2020.02.08

2020年2月10日は令和初の〈左利きグッズの日〉-文末に嬉しい情報あり

今年の2月10日〈左利きグッズの日〉は、私にとっては、小学校入学時からの左利き公認60年、36歳にして生まれて初めての左手・左利き用品としての「京セラサムライZ2-L」を手にして以来の左利き研究30年の区切りの年の――そして令和の時代になって初の記念すべき日となります。

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2月10日は〈左利きグッズの日〉について

●記念日の由来●

社会生活で左利きの人が感じているさまざまな道具の使いづらさ。それを解消するための左利き用グッズの普及を目指し、左利きグッズを扱う神奈川県相模原市の菊屋浦上商事株式会社が制定。日付は2月10日を0210として「0(レ)2(フ)10(ト)」と読み、レフト=左の発想から。

といって、特に何をしようと言うこともないのですけれど……。

 ・・・

今では多くの人が左利きを容認する傾向にあります。
しかし、「私は左利きじゃないから」とか「私のまわりには左利きの人がいないから」という理由で、左利きというものを黙認しているだけであったり、もしくは単なる無視や放置で終わっていたりする可能性もあるように思えます。

私の願いは、もう一歩進めて、左利きを多様性の一つとして、右利きの人と同じように「一個の人間」として考えてもらえる世の中にしたい、というものです。
右利き偏重の右利き仕様のみの世界ではなく、当然、左利きであれ、左手・左利き用品がなくて困るということもない、という世界です。

そのためには、いつも書いていることですが、「心のバリアフリー」が大切です。

昨年も「ノーマライゼーション」について書きました。

ノーマライゼーション【normalization】

(通常化の意)障害者などが地域で普通の生活を営むことを当然とする福祉の基本的考え。また、それに基づく運動や施策。1960年代に北欧から始まる。》(『広辞苑』第六版 より)

左利きを別個の存在として、社会から隔離してしまうことのない、多様性に対して、発想や考え方という意味での精神の自由が確保された世界であることです。

 

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 ●左利きは個性か?

今回は、こんな話をしましょう。

よく「左利きは個性として尊重しましょう」という言い方をされます。

なんとなく、それでいいような気もします。
左利きを容認しようという姿勢があるから。

また、人は一人一人違うものでもあるし、それらの違いを「個性」と呼ぶのだから、左利きも誰にでも見られる性質でもないから、「左利きは個性」でいいんじゃないだろうか、と。

 

私はちょっと違うような気がするのです。

こういう考え方があります。
(普段、私は「左利きは障害ではない」という意見なのですけれど、ここでは一つのものの考え方として引用しています。)

孫引きで申し訳ないのですが、
私の敬愛する串崎真志という心理学の先生の著書
『悩みとつきあおう』(岩波ジュニア新書 2004)

にこんなことが書かれていました。

浜田寿美男さんは、著書『ありのままを生きる――障害と子どもの世界』(岩波書店 1997、39p)
{「読書案内」の串崎先生のコメント:自閉症のたかし君、右手に障害のあるみつこさんのエピソードが印象的でした。}

で、障害は「生きるかたち」であると捉えているそうです。

 

(以下孫引き)

たがいの違いを前提に、それぞれが対等な異文化を生きるものとして出発し、違いを違いとして認めて生き合うなかで、やがてそこから人どうしとして、あるいは生き物どうしとして、たがいの同じさに気づいていく、そういう流れになる。こうした異文化接触の流れにこそ、なにか人どうしの出会いの原点がある。

そして、「障害は個性である」という言い方では、このような「共同的な生き方」が見えてこないといい(41p)、「障害の克服」という発想も、ありのままを否定して、かえってその人の生活を生き苦しくさせてしまうと指摘している(96p)そうです。

串崎先生は、バリアフリーもユニバーサルデザインも広がってきたけれど、「共同的な生き方」には《まだまだ「惜しい」ものがたくさんあります》と続けます。

例として、視覚障害者の三宮麻由子さんの著書『眼を閉じて心開いて――ほんとうの幸せって何だろう』(岩波ジュニア新書 2002)
{「読書案内」の串崎先生のコメント:幸福と不幸は「プラスマイナスゼロ」という言葉が印象的でした。}

から、スーパーでほとんどの商品がはラップに包まれていて中身がわからない、バーコードをチェックすれば音声で説明してくれるそうちがあればいいなとか、「表示された料金をお入れ下さい」と言いながら、音声では金額を言わず画面に表示する精算機等が示されています。

 

 ●左利きの場合は

左利きに置き換えていえば――
「左利きは個性だ」ということで、それぞれを別個の存在として認めてしまうと、同じ人間としての立場が見えなくなってしまい、ともに生きる者としての「共同的な生き方」が見えにくくなる、ということでしょう。

「左利きの人」という特別な人間がいるのではなく、動作が基本的に左利きだというだけのことです。

動作以外には、特に違いがあるわけではないのです。
外見的に違いはないですし、内面的にも明らかな違いがあるというものでもありません。

左利きは天才だとか、逆に左利きは発達障害が多いとか、昔言われたように犯罪者が多いとか、右脳がどうの左脳がどうのとかいうよりも、もっと日常的・平均点的な見地から、人間として見てゆく方がいいでしょう。

 

動作に入る前の構えが違うとか、動かす側や動かす方向や動き自体が違うとか、動作的な面で変化が起きるだけです。

特別に「おれは右利き、おまえは左利き」と分類する必要はないのです。

ただ相手の動きを見て「違和感がある」というのは理解できますが、それを一方的な思い込みで「左利きはおかしい」とか「右使いが正しい」とか言い始めると問題になります。

あくまでも人間という総合的な見地からは、右利きも左利きも関係ないのです。
そこから、たがいの違いを発見しながら、協調できる部分を模索する、そういう流れが必要なのです。

 

16世紀フランスのモラリスト、モンテーニュの『エセー』の手引きとして、その全訳者である宮下志朗さんの書いた好著
『モンテーニュ 人生を旅するための7章』(岩波新書 2019)

にこんなことが書かれています。

モンテーニュにおける世界の「多様性」と言う認識は、人間存在の多様性という認識と表裏一体だ。「どんなできごとも、どんなかたちも、どれひとつとして完全に似たものがないように、完全に異なるものだってひとつもない。自然による混合のわざとは、なんと巧妙なものであろう」(3・13「経験について」)。大いなる自然がミキシングという技を駆使して、似て非なるものを創り上げている。だからこそ、「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちを備えているのである」(3・2「後悔について」)。》「第3章 旅と経験」<3-4旅は人間を知るための最高の学校>

完全に似た人もいなければ、完全に異なる人もいない、というのです。

私たちは単純に「右利き」「左利き」と二分することがあります。
さも正反対の存在でもあるかのように。

しかし実態は、そんな単純ものではありません。
ちょっとした違いを拡大して強調しているだけのことです。

一人一人人は違うし、案外みんな似ているものでもあるのです。

 

 ●「利き手テスト」分布図と道具の右用左用

たとえば、「利き手テスト」の結果の分布図を、右端に右利き100%左端に左利き100%に置いたグラフに表すと、「J」の字のような曲線を描くグラフになるといいます。
「J」の長い棒に当たるのが(1)「強い右利き」傾向を示す人々で、「J」の字のピンと跳ね上がった部分は(4)「強い左利き」傾向を示す人々で、その中間の鍋底に当たる部分の右半分は(2)「弱い右利き」、反対側の部分は(3)「弱い左利き」の人々を示します。
この鍋底に当たる人たちを、私は「強い右利き」と「強い左利き」の間なので、そのまま「中間の人」と呼んでいますが、これは世間的には「クロスドミナンス」「混合利き」等と言われる人たちです。

私の考えでは、(1)「強い右利き」が約50%、(2)が20%、(3)も20%、そして(4)10%ぐらいではないか、と考えています。
よく「左利きは10%」程度といわれるのはこの辺のことで、アメリカの学者などが「左利きは30%」ぐらいいるというのは、この(3)と(4)を併せた数字ではないか、と考えています。

また、利き手ではなく、利き足や利き目に関しては、「60-70%が右利き」と言われるのは、(1)と(2)を併せた数字に近いものがあり、その辺のところで説明できそうな気がします。

利き足などは、利き手に比べますと単純な動きが主で、(ボールを)蹴るか(ペダルを)踏む程度のことでしょう。
それでは単純な違いしか出ないと思われます。

 

次に、道具や環境面でいいますと、左利きだから、左手・左利き用品を使うのはいいことですし、必要なことです。

自分の身体に合った道具を使うのが、いちばんいいことです。

たとえば、サイズの合わない靴では、思いっきり走れません。
左利きの場合も同じです。

 

でも、ことさらに左用としなくてもいい場合もあります。
たとえば、お箸は、それだけなら左右どちらの手でも使えます。
右利き用・左利き用と区別する必要はありません。

しかし、横向きに絵や字をプリントすると、どうでしょうか。
プリントの方向で、右手用と左手用に分裂します。

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*参照画像:(左手用箸)(1)昔百均で買った箸(2)一般商店で買ったウサギ模様

 

でも縦にプリントすれば、左右性は消えます。

右・左専用は、それぞれの人にとっては有用ですし、必要なときもあります。
しかし、常に絶対条件となるわけではない、ということです。

 

たとえば、誰もが遊ぶトランプ。

ババ抜きの時、右利きの人は、左手にカードを持って右手で右方向に拡げ、相手にとらせます。
しかし、左利きの人は、右手に持ったカードを左手で開き、相手に差し出します。

そのため大抵のトランプは、マークと数字の表示が向かって左側の隅になる対角にしかありません。
右利きの人がプレイするときに便利なようになっているのです。

ですから、左利きの人にはちょっと不便です。

そこで左利きの人にも右利きの人と同じように楽しめるようにした、四隅に表示のついたトランプが発売されています。

 

もしここで、右専用と左専用に分けたらどうでしょうか。
常に右利きは右利きの人としか、一方左利きの人は左利きの人としか遊べなくなります。
それで楽しいと言えるでしょうか。

 

 ●教科書に左手書字例を

話があちこちしているかもしれません。

私の願いをもう一度書けば、左利きの人も右利きの人と同じように生活できる世界にしたい、ということになります。
「男女同権」ふうにいえば、「左右同権」です。
あるいは「男女平等」なら、「左右平等」です。

まずは、左利きに対する無知や誤解、偏見をなくし、それら無知や偏見から生まれる差別をなくす、という流れです。

誤解や偏見についていえば、モンテーニュはこんなこともいっています。

真実と虚偽は、顔も似ているし、物腰も、好みも、歩き方もそっくりなので、われわれは両者を同じ目で眺めている。われわれは、欺瞞を拒むだけの根性がないばかりか、むしろ、自分から進んでそうした罠に飛び込んでいくような気がする。》『モンテーニュ』「第4章 裁き、寛容、秩序」(3・11「足の悪い人について」)

宮下さんは、《真実と虚偽はそっくりなことも多くて、理性も経験も騙されかねないのだ、と》説明されています。

また、多様性と寛容について(長くなりますが引用を続けますと)、モンテーニュはこんなことも書いています。

「世間の人は、自分という存在にしたがって、他人に判断をくだすけれど、わたしはこうしたまちがいはしない。他人については、自分と異なることがずいぶんあるんだなと思ってしまうのだ。自分が、ある型にがちっとはまっていると感じてはいても、だれもがそうするように、それを人々に押しつけることはなくて、異なる生き方がたくさん存在するのだと思って、そのように了解する。世間一般とは反対に、われわれのあいだの類似よりも、差異のほうをすんなり受け入れるのだ」》同上「第4章 裁き、寛容、秩序」(1・36/37「小カトーについて」)

宮下さんは、自分の「型」を他者に押しつけたり、自分の「型」から他者を判断して排除したりするというありがちな所作を退けて、「差異」を受け入れる考えの裏には、《「人間はだれでも、人間としての存在の完全な形を備えている」(3・2「後悔について」)》からだ、といいます。
さらに、宮下さんは、

各人が人間存在として十全なかたちを備えているということは、人間の条件について、その多様性を担保していることになる。人間はさまざまな文化や環境のもとに生を享け、実人生を生きていくが、そのだれもが人間としての十分条件を備えているということだ。ハンディキャップを負っている人も、逆に、「文化資本」に恵まれた人もいる。人さまざまなのである。/そうした多様な「個」が、普遍的な人間存在を支えている。そうであるならば、そんな人間社会に寛容性があることは、当然の結果ということになるであろう。要するに、個の尊重が全体の尊重に、あるいは、モンテーニュ的にいうならば、「わたし」を重視することが、「あなた」を、つまり「他者」を尊重することと表裏一体となっているのである。》同上「第4章 裁き、寛容、秩序」

 

そして、

「類似」にこだわって群れを作り、「壁」を作り、「差異」を排除するほうが、ある意味で楽なのかもしれない。差異のある人々や、彼らの生活習慣を受け入れて共生すべきだと、口でいうのは簡単だが、真に実行するのはむずかしい。でもモンテーニュは、自分とは異なる人々に「好意を抱いて」、「想像力で、すんなりと彼らの立場に入りこんでいく」。各人を、「彼自身という型に合わせて肉付け」してやるのだ。モンテーニュが願うのは、なによりも各人が「別々に判断される」ことなのだった(1・36/37)》同上

といいます。

 

 

右利き左利きに関していいますと、右利きだ左利きだと、それだけで何か人格の全てであるかのように、人を決めつけるあり方に疑問を持ち、各人一人一人が多様性の持ち主として受け入れられるそういう社会になればいいなあ、という気がします。
(先ほども書きましたように、「左利き」と一口にいいましても、いろいろなパターンがありますから。)

 

そこで大切なのは、左利きについての認知、啓蒙活動です。
その重要な一歩が、いつもいっている学校の教科書の改革です。

 

今の学校教科書、特に小学一年生の書写の教科書には、初めて字を書くことを学ぶ子供に向けて、字を書くときの鉛筆の持ち方や字を書くときの姿勢を、写真やイラストを交えて説明しています。

しかし、その写真やイラストは、性差別に配慮して男児と女児をモデルに使い分けしているのですが、字を書くモデルは右利き・右手書きのみになっています。

この世の中には、左手で字を書く人がいないかのように。
あるいは、左手で字を書くことはいけないことでもあるかのように、とも言えるでしょうか。

これでは、左利きの子を持つ親御さんが不安になるのは当然のことでしょう。

 

この学校の教科書に、右利き・右手書き例でだけでなく、左利き・左手書き例を載せることが重要だ、と考えています。

なぜなら、現実のこの世の中には、右手で字を書く人もいれば、左手で字を書く人もいる/いてもいいのだ、という多様性の容認の証の一つになるからです。

さらにいえば、左手で字を書く子の存在を知らしめることで、右利きの子にも自分とは異なる書き方をする人もいるのだ、ということを知らしめ、人間の多様性を知る一助にしてもらえるだろうということです。

 

実は、家庭科の教科書などでは、左手対応されているものもあるそうです。
家庭科の裁縫セットの購買の際に、右利き左利きの別があるともいいます。

しかし、学校で一番大切なはずの最初の学問の道具である字を書くという行為において、「左右同権」「左右平等」が実現されていないのです。

ネットを調べてもこういう訴えをしている人はほとんど見たことがありません。
(私の知っている限りでは「3人産んでこうなりました」〈左右平等作戦in小学校〉のガボちゃんぐらいです。)

どうしてなんでしょうか、不思議です。
当然のこと過ぎて、思いつかないのでしょうか。

「小学一年書写教科書に左手書字例を!」

 

*参照:
【過去の主な「小一書写教科書に左手書字例を!」プロジェクト】

・第258号(No.258) 2010/4/30 「<左利きプチ・アンケート>
第68回 小1書写教科書に左手書き(左利き)例を入れるべきか?」

※ 現在の結果を見るのは、こちら

1(右利きの人)左右対等にのせる     208
2(  〃  )右手(大)左手(小)でもよい 111
3(  〃  )左手例はいらない     152
4(中間的な人)左右対等にのせる     149
5(  〃  )右手(大)左手(小)でもよい 102
6(  〃  )左手例はいらない     132
7(左利きの人)左右対等にのせる     117
8(  〃  )右手(大)左手(小)でもよい 122
9(  〃  )左手例はいらない     130
16:45 2020/02/05

2011.5.4
週刊ヒッキイhikkii258 左利きアンケート68回小1書写教科書に左手書き(左利き)例を入れるべきか?(先週号の案内)

 

・第259号(No.259) 2011/5/7 「学校教科書に左利き(左手)例を!」
――――――――――――――――――――――――――
 ◆なぜ、学校教科書に左利き(左手)例を掲げるのか◆
――――――――――――――――――――――――――
学校教科書に、左利き(左手)例を掲載する意義は、
大きく二つあります。

【1】左利きの子供の理解を助ける
【1'】子供たちが自分とは異なる立場の人の存在を知ることで、
    自分たちの住んでいる世界の多様性を認識し、
    共存・共生への道を考えさせる
【2】左利きの認知、啓蒙を促進する

 

・第361号(No.361) 2013/4/27「<左利きプチ・アンケート>
≪教科書プロジェクト・アンケート・1≫どちらの手で…」

※ 現在の結果を見るのは、こちら

1(右利きの人)右手 28
2(  〃  )左手 39
3(  〃  )どちらともいえない 41
4(中間的な人)右手 43
5(  〃  )左手 41
6(  〃  )どちらともいえない 46
7(左利きの人)右手 46
8(  〃  )左手 41
9(  〃  )どちらともいえない 37
16:50 2020/02/05

 

・第369号(No.369) 2013/6/22「≪教科書プロジェクト≫
【小学書写教科書に左手書字例を!】プロジェクト・3」
 6社教科書をのぞいてみる (1) 東京書籍「新しい書写」

2013.6.26
小学書写教科書左手例PJ-3-東京書籍~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii369号

 

・第459号(No.459) 2015/12/19「≪教科書プロジェクト≫
【小学書写教科書に左手書字例を!】PJ24
左手書字例を考える(14) 最終回に当たって~総ざらい」

2016.2.4
左手書字例(最終回)きれいに見えるコツ-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第459号 --

 

 ●東京書籍・小学校教科書「新しい書写 2年度用」

今回、改めて調べてみました。
すると、こんな結果が出ました。

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新しい書写 | 2年度用 小学校教科書のご紹介 | 東京書籍 - 東書Eネット 東京書籍が発行する,2年度用 小学校教科書「新しい書写」についてのご紹介ページです。
... ○1年P28-29. 教材文字に集中できる.
「毛筆教材の周りに、イラストなどほかの要素があると集中できない子がいる」との現場の先生方の声を受け、毛筆教材文字の周囲には他の要素は置かず、毛筆教材 ...
右手・左手どちらの持ち方も掲載 ... 水書用筆で運筆を体感することで、硬筆での適切な書字動作が身につくことが期待できます。
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1全ての子供の学びやすさのために
特別支援教育
ユニバーサルデザイン
特別な教育的ニーズのある子供に分かりやすく工夫した紙面は、特性の有無に関わらず誰もが学びやすい、
東京書籍がめざすのはそんな教科書です。
左利きの子供にとっての学びやすさにも向き合いました。

なんと、《左利きの子供にとっての学びやすさにも向き合いました。》と言う言葉通り、「特別支援教育への配慮」「色覚多様性への配慮」とともに「左利きへの配慮」という項目ができています。

右手・左手どちらの持ち方も掲載
右利きの持ち方の写真のみが掲載されていたこれまでの教科書では、左利きの子供たちは写真を頭の中で反転させて、それを自分の手指で再現しなければなりませんでした。そこで、左利きの写真を載せることで不要な負担をなくすよう配慮しました。

なんと、《右手・左手どちらの持ち方も掲載》とあるように、左手で鉛筆を持つ写真が掲載されています!
ついに夢が一つ現実になりました。

 

以下詳細は、別稿「左利きへの配慮がなされた東京書籍・小学校教科書「新しい書写 2年度用」」で。

 

ようやく一つ段階を越えることができました。

私と同じ考えで、実践している教科書会社もあるのだと思うと、もう一踏ん張りしてみようという気持ちになります。

東京書籍の皆様、ありがとうございます!

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(画像:上記サイトより無断拝借 ●1年P4-5 )

 

*『レフティやすおのお茶でっせ』過去の2月10日「左利きグッズの日」の記事:
・2008.12.28
2月10日は左利きグッズの日、日本記念日協会で認定される

・2009.2.10
今日2月10日は“左利きグッズの日”

・2011.2.8
左手書字考(1)左手で字を書くこと―再考:週刊ヒッキイhikkii249

・2011.2.9
「左利きグッズの日」記念「第5回<LYグランプリ>2011」読者大賞アンケート

・2012.2.9
2月10日は「左利きグッズの日」ですが…メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」298号告知

・2012.2.10
2月10日「左利きグッズの日」記念<LYGP>第6回2012:メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」299号予告

・2013.2.10
今年もまた<左利きグッズの日>でした

・2015.2.10
2月10日は改称7年目の〈左利きグッズの日〉

・2016.2.9
2月10日は左利きグッズの日

・2016.2.10
2月10日は左利きグッズの日―普及の前提

・2017.2.9
2月10日〈左利きグッズの日〉をまえに左来人(Right Hidari)『左利きあるある 右利きないない』を買う読む

・2017.2.10
左手左利き専用グッズ開発「レフティー21プロジェクト」菊屋浦上商事呼びかけ

・2018.2.10
2月10日は「左利きグッズの日」―どこまで進む「左利き」容認―産経新聞投書から

・2019.2.10
2月10日は「左利きグッズの日」―に思うこと

(新生活版)2月10日は「左利きグッズの日」―に思うこと

 

[カテゴリ] 2月10日左利きグッズの日 

 

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2019.02.10

2月10日は「左利きグッズの日」―に思うこと

2月10日は「左利きグッズの日」

●記念日の由来●

社会生活で左利きの人が感じているさまざまな道具の使いづらさ。それを解消するための左利き用グッズの普及を目指し、左利きグッズを扱う神奈川県相模原市の菊屋浦上商事株式会社が制定。日付は2月10日を0210として「0(レ)2(フ)10(ト)」と読み、レフト=左の発想から。

左利きグッズで左利き生活を向上させよう、ということわけですが、その裏にはもちろん左利きを社会的に認めてもらわなければならないのです。

今では多くの人が容認する傾向にありますが、本当のところはどうなのか、単なる無視ではないのか、といった疑問があります。

「私は左利きじゃないから」というだけの理由で、なにも考えていない人も多いのではないでしょうか。

でも、そういう考え方は今の時代には問題があります。

なにしろ多様性の時代ですから。

 

 ●天性のものを活かす

中国の戦国時代の思想家・荀子の著作とされる『荀子』の「性悪篇」にこう書かれています。

天性とは、生れつきできあがっているものであって、学んで得られるものでもなければ、つくろうと励んでつくれるものでもない。(略)学んでも身につかず、つくろうにもつくれないものなのに、人間が生まれつき身につけているもの、それが天性である。生まれたときにはないのに、学べば身につくし、励めばつくれるもの、それが「人為」である。》『荀子』杉本達夫/訳 徳間書店・中国の思想IV 1996.6

 

例として、見たり聞いたりする力が天性で、学んで得られるものではない、といいます。

左利きという利き手や利き側という性質も、天性のものです。

(人の)生れつきがそうであるもの、これを性と呼ぶ。生気の調和によって生じ、精妙に一致し感応しあい、努力しなくても自ずとそうなるもの、これを性と呼ぶ。(正名篇)》『荀子』内山俊彦/著 講談社学術文庫 1999/9/10

 

天性のものを活かす生き方が大事なのです。

かつて左利き友の会を主宰し、左利きの人の悩みに寄り添い、社会における左利きの地位向上のために活動をされた、精神科医・箱崎総一さんの著書『左利きの秘密』の中で、

先生は「教育とはその人の持つ才能を引き出すこと」だと書かれています。
 

「教育」という言葉を英語ではEDUCATIONという。これは〝EDUCE=引き出す〟という動詞からきた言葉なのだ。
 つまり、教育というのは無限にある子どもの能力や個性を無理にねじ曲げることではけっしてないのだ。
 私が、左利きはひとつの〝個性〟であって〝異常〟なのではないと強調してきたのも、そういった教育の本来の意義に即してのことである。
 左利きの子どもを持つ親としては、子どもの健全な心の発達、個性の開花といったことをじゅうぶんに考えて、子どもに対応していただきたい。
》箱崎総一著『左利きの秘密』立風書房 1979

 

 

 

だから右利きの人は右利きで、左利きの人は左利きで。
中間の人は中間で。

男性は男性として女性は女性として、LGBTはLGBTで――と同じなのです。

そこで問題となるのは、左利きの問題に置いても、ハード面のバリアフリーをつくるためには、まず心のバリアフリーが大切なのです。

ノーマライゼーション【normalization】
(通常化の意)障害者などが地域で普通の生活を営むことを当然とする福祉の基本的考え。また、それに基づく運動や施策。1960年代に北欧から始まる。

(『広辞苑』第六版 より)

とも言えるでしょう。

 

 ●教育における左右平等としての書写教科書における左手書字例の掲示

左利き問題に置いて私がいつも訴えていることは、教育における左右平等であり、まずは書写教科書における左手書事例の掲載です。

コンピューターの時代になっても、以前、学問の現場における基礎は手書き文字です。

福澤諭吉は『学問のすゝめ』の中で《文字は学問をするための道具にて、たとへば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。》(第二編)と書いています。
それほどに重要なものなのです。

今、小学校一年生の書写の教科書は、色の見え方が異なる人に対応してカラー・ユニバーサルデザインが適応されています。
また、男女性差別問題に配慮してか、イラストや写真では男児と女児、両方の画像がモデルとして使われています。

全身像が男児(もしくは女児)なら、上半身像は女児(もしくは男児)というように。

ところが、鉛筆を持つ画像は右手のみ。

手は二つしかないのに、左手で字を書く人の姿は見られません。

それではまるで、左手で書く人は存在しないかのようです。
あるいは、存在してはいけないかのよう……。

 

これでは左利きの子をもつ親御さんが不安になるのもいたしかたないでしょう。
他のことは左利きで良いとしつつも、字は右手で、という考えを持つのも当然かもしれません。

なにしろ“教科書では認められていない”のですから。

なんとしてもこの点を改善して欲しいものです。

 

現場の先生が奮闘して工夫しているのが現実です。

日本の教育を統括する人たちは、現場の先生任せでいいと考えているのでしょうか。

この機会に、ぜひとも検討していただきたいものです。

 

*『レフティやすおのお茶でっせ』過去の2月10日「左利きグッズの日」の記事:

・2008.12.28
2月10日は左利きグッズの日、日本記念日協会で認定される
・2009.2.10
今日2月10日は“左利きグッズの日”
・2011.2.8
左手書字考(1)左手で字を書くこと―再考:週刊ヒッキイhikkii249
・2011.2.9
「左利きグッズの日」記念「第5回<LYグランプリ>2011」読者大賞アンケート
・2012.2.9
2月10日は「左利きグッズの日」ですが…メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」298号告知
・2012.2.10
2月10日「左利きグッズの日」記念<LYGP>第6回2012:メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」299号予告
・2013.2.10
今年もまた<左利きグッズの日>でした
・2015.2.10
2月10日は改称7年目の〈左利きグッズの日〉
・2016.2.9
2月10日は左利きグッズの日
・2016.2.10
2月10日は左利きグッズの日―普及の前提
・2017.2.9
2月10日〈左利きグッズの日〉をまえに左来人(Right Hidari)『左利きあるある 右利きないない』を買う読む
・2017.2.10
左手左利き専用グッズ開発「レフティー21プロジェクト」菊屋浦上商事呼びかけ
・2018.2.10
2月10日は「左利きグッズの日」―どこまで進む「左利き」容認―産経新聞投書から
・2019.2.10
2月10日は「左利きグッズの日」―に思うこと
(新生活版)2月10日は「左利きグッズの日」―に思うこと

 

[カテゴリ] 2月10日左利きグッズの日

 

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2018.02.09

2月10日は「左利きグッズの日」―どこまで進む「左利き」容認―産経新聞投書から

2月10日は「左利きグッズの日」です。

左利き(の不便さ、左利きの“差別”待遇の不合理さ)について知ってもらい、左利きの人の生活環境向上のため、左利きグッズ、左手・左利き用品の普及を目指す日です。

... 2009年、左利き用グッズコーナーを始めてから10周年を迎えるという、神奈川県相模原市の「菊屋浦上商事株式会社」が、 『左利きグッズを通じて、使いやすさの喜びと楽しさを多くの人に知って頂く記念日』になれば、との考えで「日本記念日協会」に2月10日を左利きグッズの日として申請し、... 認定されたものです。

●記念日の由来●

社会生活で左利きの人が感じているさまざまな道具の使いづらさ。それを解消するための左利き用グッズの普及を目指し、左利きグッズを扱う神奈川県相模原市の菊屋浦上商事株式会社が制定。日付は2月10日を0210として「0(レ)2(フ)10(ト)」と読み、レフト=左の発想から。

『レフティやすおのお茶でっせ』2008.12.28
2月10日は左利きグッズの日、日本記念日協会で認定されるより

 

「〈左利きグッズ〉=左手・左利き用品を普及させ、左利きの人の生活環境の向上を図りたい」というのが、この日の趣旨です。
しかし、それを実現させるには、その背景となる左利きに対する認識を改善させる必要があります。

近年、左利きに対する容認の度合いはかなり進んできました。
それをさらに上げてゆく必要があるのです。

そういう気持ちを新たにさせたのは、↓のような投書を読んだからでした。

 

 ●投書――どこまで進む「左利き」容認

1月17日(水曜日)の産経新聞・朝刊の読者の投書欄「談話室」に、
「どこまで進む「左利き」容認」 という40歳の左利きの人の投書が掲載されていました。

 

内容は――

最近、左手で箸を使う人をよく見かける。左利きが社会的に容認されてきたのだろう。
最近の日本は左利きを容認する社会になったのかと思うと、左利きの私はうれしく思う。
自分の子供の頃は、厳しく「矯正」され、箸と鉛筆は右になったが、ボール投げは左のままだ。
ゴルフセットの左用は購入しにくい。
「右利きに沿って覚えればいいだけ」という意見が多数だが、押し付けるのはいかがなものかと思う。
剣道の竹刀の持ち方や構えもどうだろうか。
やはり伝統武道の変更はむちゃな訴えだろうか。
というものです。

 

私よりも20年以上後のお生まれですが、《厳しい指導》を受けたとのこと。
私はつくづく“幸運”だったのか、という気がします。

それはさておき、「伝統武道の変更は可能か?」という問いかけです。
そして、広く社会としてどこまで「左利き」(の在り方)が容認してもらえるのか、という問いかけです。

 ・・・

最近、私も

『左利きライフ研究家レフティやすおの左組通信ブログ』2018.1.8
「【14年後の解説】━左利きの現状を見よう/左利き私論―はじめに(1)━」

という文章をあげました。

 

そこでも書いたのですけれど、確かにここ十数年はもちろん(戦後から一貫して)、左利きを容認する傾向がずっと続いています。
少しずつですが、左利きを頭から否定する、左利きを忌避する傾向は減少しています。

一部では「左利きフェチ」という左利きを偏愛する人も誕生しています。

そうはいっても、その社会の容認度としては、まだまだ左右平等にはほど遠いものがあります。
先の投書で言う武道のような伝統を重んじる文化の類なども代表的な一つです。

もちろん、右利きの人が多数派で、左利きの人が少数派であるため、ある程度の「どうしても越えられない壁」が生まれるのは致し方のないことでしょう。
たとえば、設備やシステムの動線であるとか、非常時のストップボタンの位置などといったイザというときの処置の仕方であるとか、多数派の右利きを優先する社会の構造があります。

そういうどうしようもない障壁は別にして、容認できる相違はたくさんあります。

 

 ●改善のポイント

改善できる点の一つは、左右対称に作れるものは左右平等が可能だ、ということです。
これは、道具や機械に限らず、建物構造といったものも含めて可能ではないでしょうか。

左手・左利き用品の例を挙げれば、カメラです。
ほぼ左右対称形のカメラでは右でも左でも特に問題なく使えます。

 

(1)キヤノン コンパクトカメラ パワーショット「PowerShot N」、および「N2」

カメラ本体も左右対称で、レンズの回りにリング状の「シャッターリング」があり、右手でも左手でも操作できます。

 

*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2015.3.18
左利きにも優しいシンメトリーデザイン・カメラCanon PowerShot N改良機PSN2


Canon デジタルカメラ PowerShot N2 自分撮りモード搭載 PSN2

 

 

(2)富士フイルム 新型チェキ「instax SQUARE SQ10」

こちらの新型チェキも左右対称形で、「右手でも左手でも使えるデュアルシャッターボタン」といって、シャッターボタンが左右に一つずつあるのです。
どちらも使えますし、機能を有効無効に切り換えることもできます。

 

*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2017.5.18
右手でも左手でも左右両シャッター新“チェキ”「instax SQUARE SQ10」5月19日発売予定

*FUJIFILM ハイブリッドチェキSQ10 インスタントカメラ ブラック instax SQUARE SQ10 INS SQUARE SQ 10

 

 

これらのように、左右対称形というのは、一つの回答です。

箸のような道具は左右がありません。
右手でも左手でも使えます。

一方ハサミは、持ち手の部分が左右同じ形状なら、平たく置いたとき、シルエットは対称形になります。
しかし、シルエットは対称形でも、実際には刃の噛み合わせに違いがあります。

そのため、右手で持ったときと左手で持った時では、左右差のある道具となります。

 

*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2004.10.27
右利き用と左利き用のはさみ、どこがどう違うの?

2016.03.31
左手左利き用品考-右用と左用の違い(1)ハサミ編-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第465号

 

上のカメラの左右対称の例で言えば、シャッターリングを使う場合のように(A)真ん中に置く場合と、左右に二つのシャッターボタンを設定する(B)左右に一つずつ用意する場合と、この二つのパターンがあります。

前者の場合、位置取りや機構が難しい場合も出てくるでしょう。
その点、後者は二重の構造が必要になります。

 

 ●「左利き」の容認と武道等の伝統文化について

話が少しそれてきました。

「左利き」の容認という話題に戻りましょう。

 

実際、どこまで左利きが容認されるのか、一番の指標となるのが、当初にも出てきました「伝統」というキーワードです。

毛筆の習字といったものも、そういう一つです。

今でも他のことは左利きで良いと言いつつ、「字だけは右手で」という親御さんが少なくありません。

一部のお習字の先生の中には、「きれいな字を書きたければ、右手で」という方もいます。
なぜなら「日本の字は右手で書きやすいようにできている」から、と。

しかし「伝統」を言うのなら、日本語は右から左へ行変えする縦書です。
ところが、一部の漢字の書き方練習帳では、お手本が左にあり、左から右へと練習してゆく形式になっています。

一方で伝統といいながら、他方では右手書きに都合の悪い時は、伝統を無視した書き方を選んでいるケースもあるのです。

 

一見些細なことと思われるかもしれませんが、「左利き」の容認という、そこに真の民主主義や人間の平等といった人権の問題を見るような気がしています。

 

伝統文化を重んじるのは大切なことで理解できますが、それによって、特定の人たちに犠牲を強いるような在り方は、現代では許されないのではないでしょうか。
伝統的なルールも大事ですが、その運用には人間味が加味されるべきだと考えます。

人間の多様性を容認する、という公平さを守る姿勢が大事でしょう。

 

伝統といっても人間がつくったものです。

「守破離」という言葉があります。

剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
》(出典 小学館デジタル大辞泉)

このようにして、新たな流派が生まれ、新たな伝統が作られるのです。

文化というものはそういう変化そのものだ、といっても過言ではなりません。

 

左利きの容認も含めて、武道においても、本当の公平さを持ったルールに変化――革新、改善されるように期待しています。

それが文化の発展や深化――間口を広げることや奥行を深めることにつながると思います。

 

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2017.02.10

左手左利き専用グッズ開発「レフティー21プロジェクト」菊屋浦上商事呼びかけ

いつも様々な左利き関連情報を教えてくださるこちら↓のブログで、2月9日の東京新聞の〈左利きグッズの日〉にちなむ記事が紹介されていました。

2017.1.7
今年も2月10日がやってきました

左利きに優しい社会を 文具店主呼び掛け、専用グッズ開発へ

左利きの人が使いやすい道具を増やし、活躍しやすい環境づくりにつなげようと、文具店主とその呼び掛けに応じた文具メーカーらが10日、「レフティー21プロジェクト」を発足させる。メンバーは「世界でも珍しい左利きグッズを開発し、2020年東京五輪・パラリンピックでアピールしたい。少数派にも優しい社会につなげたい」と話す。(井上靖史)

左手左利き用品を約100種類常時展示販売している神奈川県相模原市の「菊屋浦上商事」の三代目社長・浦上裕生さんがその人。
参加する6社は、文具製造のゼブラ、プラス、ライフ、調理器具製造のレーベン販売、ペンタブレットを手掛けるワコム、輸入文具を扱うドイツ系のエトランジェ・ディ・コスタリカ。

ゼブラと言えば、昨年速乾インクのボールペン「サラサドライ」を発売しました。
その後、左利きの悩みの実態についてアンケート調査を実施した会社でもあります。

その時に左用の需要を感じられたのでしょう。

*参考:
2016.5.5 左利きの悩み実態調査(ゼブラ)左利き100人に聞いてみた!

 

今回のプロジェクトは、《二十以上の商品開発を試み、発信する方針だ》という。

そう言えば、以前「○○良品」なんかも、商品開発し販売するという話があったものですが……。
(期待していいのか、またしても裏切られるのか、などなど様々な思いが渦巻きますが。)

 

ここは、裕生さんにがんばってもらうしかないです。
過去に商品開発にもタッチされていますので、今度は大丈夫でしょう。

問題は、開発され商品化されても、「期待したほど売れない」といったケースで尻すぼみになることですね。

もし発売されたら、ぜひ、お試しでいいので買って使ってみて欲しいですね。
そして、使用後の感想を届けてやってください。
それが、明日につながるのですから。

期待しています。

 

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