2022.05.31

私の読書論158-アリストテレス『ニコマコス倫理学』―<NHK100de名著>から-楽しい読書319号

 ―第319号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★ 2022(令和4)年5月31日号(No.319)
「私の読書論158-アリストテレス『ニコマコス倫理学』
―<NHK100de名著>から」

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         ― 読書で豊かな人生を! ―
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2022(令和4)年5月31日号(No.319)
「私の読書論158-アリストテレス『ニコマコス倫理学』
―<NHK100de名著>から」
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 本来ですと、月末は古典の紹介、
 現在は「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」で、
 その17回目なのですが、今回はお休みさせていただきます。

 今回は特別編で、

  私の読書論158-アリストテレス『ニコマコス倫理学』
   ―<NHK100de名著>から

 をお届けします。

 

 <NHK100de名著>に関しましては、
 以前、ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』で
 私のお気に入りの名著・名作を取り上げてきました。

 『レフティやすおのお茶でっせ』カテゴリ:
NHK100分de名著

 をご覧ください。

 5月の放送が、私のお気に入りの名著の一つ
 (内容を「理解」できているかどうかは別ですよ!?)
 「アリストテレス『ニコマコス倫理学』」で、
 久しぶりに取り上げようと思ったのですが、時間的に無理でした。

 とはいえ、日にちがたってしまってもどうか、と思い、
 あえてこちらで取り上げてみようと思います。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 私の読書論158 -
  ◆ 人生の究極目的を問う ◆
  ~ 幸福とは? 友愛とは? ~
  アリストテレス『ニコマコス倫理学』
   <NHK100de名著>2022年5月――から
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●<NHK100de名著>と私

<NHK100de名著>は、
月曜日の夜、10時台のEテレで放送されている番組です。
以前は結構見ていました。
気になる名著・名作を扱った分は、ブログで紹介してきました。

ところが、ここ何年かは、全くといっていいほど見ていませんでした。

気になるタイトルを扱っていないということもありました。
しかし、それだけではなく、
何となく視聴習慣がなくなってしまった、というのが理由でしょう。

 

結局今回も、私は放送をほとんど見ることができませんでした。
第4回の最後の10分程度だけ。

一度視聴習慣を失うと、そういうものでしょうね。
もちろん、録画して見るという便利な方法が
この世の中にはあるらしいのですが……。

そこでここでは、テキストの内容を中心に、
私が以前この本を読んだ時の印象などを交えて、
この名著を紹介してみようと思います。

 

 ●<NHK100de名著>2022年5月―アリストテレス『ニコマコス倫理学』

まずは、<NHK100分de名著>のサイトの情報から――

名著119「ニコマコス倫理学」アリストテレス 2022年4月28日 午前11:58 公開

プロデューサーAのおもわく。

 《天文学、生物学、詩学、政治学、論理学、形而上学など
  あらゆる分野の学問の基礎を確立し、「万学の祖」と呼ばれる
  古代ギリシアの哲学者アリストテレス(前384- 前322)。
  そんな彼が「倫理学」という学問を史上初めて体系化し、
  その後の「倫理学」の「原点」となったともいえる名著が
  「ニコマコス倫理学」です。新生活がスタートしてまもない五月。
  「五月病」など職場や学校に適応できず人生に悩む人が多い
  この時期に、「幸福」や「生き方」を深く考察する
  この著作をわかりやすく読み解くことで、
  現代に通じるメッセージを掘り起こします。

  アリストテレスは、幸福が人間がもっている本来の固有の能力を
  発揮することにあり、その能力を十全に発揮するためには、
  外的な幸運を生かすための内的な力である「徳(アレテ―)」を
  身につける必要があると考えました。
  この「徳」は一定の行動を何度も繰り返し習慣化することで、
  「性格」として身につけることができるといいます。
  いわば、彼の倫理学は、
  義務や禁止などの堅苦しいルールを学ぶ学問ではなく、
  人間が幸福になるための知の体系なのです。

  ただし、この書物は単に偉大な哲学者の豊かな思索の跡を
  読者にたどらせてくれるだけではありません。
  現代において私たち一人ひとりが
  「よく生きる」「充実して生きる」ことを目指す際に活用できる
  豊かな洞察が散りばめられた書物でもあります。
  哲学研究者の山本芳久さんによれば、千年単位で受け継がれてきた
  この名著のエッセンスを読み解いていくと、
  単に倫理の知識を学ぶにととまらず、読者の一人ひとりが
  それぞれの人生において活用していくことのできる
  生きた知恵を学ぶことができるといいます。

  番組では、山本芳久さんを指南役として招き、
  ギリシア哲学の名著「ニコマコス倫理学」を分り易く解説。
  アリストテレスの倫理学を現代につなげて解釈するとともに、
  そこにこめられた【幸福論】や【生き方論】、
  【友情論】などを学んでいく。》

【指南役】山本芳久(東京大学大学院教授)
…「トマス・アクィナス 理性と神秘」でサントリー学芸賞受賞。

【朗読】小林聡美(俳優)【語り】小坂由里子【声】羽室満

アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年5月 (NHKテキスト)
NHK出版 2022/4/25

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(画像:<NHK100de名著>テキストと私の持っている『ニコマコス倫理学』光文社古典新訳文庫版の訳本)

 ●テキスト――【はじめに】「いかによく生きるか」を考える学問

冒頭、山本さんは、

 《哲学とは、言葉による思索を通じて
  物事を根本から理解し直そうとする学問》

だとし、フランスの哲学史家ピエール・アドによると、

近代のそれは、専門家向けの難解なものになっているが、
古代のそれは、万人に対して開かれた仕方で、人々に生の技法、
「生き方」を教えてくれるものだといいます。

その「生の技法」を教えてくれる代表的な一冊が
この『ニコマコス倫理学』だというわけです。

私がこの『ニコマコス倫理学』がお気に入りの一冊というのも、
そういうところにあります。

私が哲学に期待するものは、「いかに生きるか」であり、
「いかにして幸福となるか」です。

古代ギリシアの哲学で私の識名ものは、
プラトンのソクラテス対話篇の初期の『ソクラテスの弁明』や
『クリトン』や『饗宴』に『メノン』など。
特に『クリトン』における「よく生きる」というくだりですね。

 ・・・

このあと、山本さんの哲学読書歴を紹介されています。
『ニコマコス倫理学』は三回に渡って出会っているといい、
一回目は大学生の時。

高校時代から哲学に興味を持ち、

 《様々な入門書やプラトンの対話篇やニーチェの著作など、
  比較的読みやすい作品を読んでいた》

そうで、この辺は、私の50代以降の哲学読書と共通の遍歴です。

そして、本格的な哲学の古典として初めて「通読」したのが、
これだったそうです。

「通読」したというのは、それまでにもカントやハイデガーなどで、
挫折を経験していたから。

しかし、この『ニコマコス倫理学』は、
途中で分からないところもありながらも、
最後まで読み通すことができた本だった、といい、
哲学研究者としての出発点といったものだったそうです。

それは、そこに書かれていた「幸福とは何か」「人生の目的とは何か」
といった内容が、自分自身の関心と重なり合っていたから。

この辺も少し私と似ていますね。

そういう意味でも『ニコマコス倫理学』は、
多くの人にとっても哲学への入口になる本といえそうです。

 ・・・

古代ギリシアのアリストテレス(前384-前322)が著わした全十巻からなる
『ニコマコス倫理学』は、史上初の体系的な倫理学の本で、
倫理学とは、哲学の一分野で、「いかによく生きるか」を考える学問。

 《単に考えるだけでなく、
  それを実践に応用することに力点を置く学問でもある》

といい、「実践哲学」と呼ばれることもある、というものです。

 

 ●第1回 倫理学とは何か

【放送時間】2022年5月2日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

 《「ニコマコス倫理学」は、
哲学史上初めて「倫理学」を体系化した書物である。
「倫理学」と訳されているギリシア語は、語源的には、
「人柄に関わる事柄」という意味である。
どのような人柄を形成すれば幸福な人生、
充実した人生を送ることができるのかを考察するのが
アリストテレスの倫理学なのである。
第一回は、「倫理学」とはどのような学問なのか、
「倫理学」を学ぶことにはどのような意味があるのかを、
「理論的学」と「実践的学」の区別という
アリストテレスの学問論に基づいて明らかにする。》

アリストテレスの倫理学は、「幸福論的倫理学」と呼ばれるそうで、
「幸福と何か」「どうすればそれを実現できるか」を考える倫理学で、
違った角度から「徳倫理学」ともいわれる。
「徳」とはギリシア語で「アレテー」といい、
「卓越性」「力量」と訳される言葉。

 《アリストテレスは、人は徳を身につけてこそ初めて
  幸福を実現できると考えました。》

 《アリストテレスの倫理学では、
  人間としての力量である徳を身につけることが核となってきます。》

「幸福論的倫理学」は、「目的論的倫理学」ともいわれます。

それは、人間の存在や行為というものの究極的な目的は、
幸福にあると考え、どのように実現してゆくかを考える倫理学だ、
ということです。

そこでは「善」という言葉がキーワードとなります。
「幸福とは最高善である」という言い方がされ、
幸福という最高に善いものを探求してゆくという立場が
「幸福論的倫理学」です。

これと対比されるのが、「義務論的倫理学」で、
「○○すべきだ」といった義務や、
「○○してはいけない」といった禁止に基づいて考えるもので、
カントなどに代表される学問です。

倫理学に関するイメージとしてはこちらの方が強いかもしれません。
しかし、ここでは、人生を前向きに生きるための知恵を獲得しよう
というのが、このテキストでの狙いだそうです。

私もそういう方が好きです。

 ・・・

このあといよいよ本題に入り、
第一巻第一章の有名な冒頭の一節が引用され、
第二章の冒頭の引用へと続きます。

この回の結論的には、

 《アリストテレスの倫理学は、「徳」を身につけることで、
  「性格」をよりよい方向に変容させていき、
  それによって「幸福」を実現するという基本構造を有しています。》

人間の「性格」や「人柄」は、
「習慣」の積み重ねによって形成される。
勇敢な行為を積み重ねることで、勇敢な人間になる、というように。

 

そして、「倫理学」とは、

 《どのような人柄を形成すれば幸福な人生を送ることができるか、
  を考察する学問。》

だといいます。

 

 ●第2回 幸福とは何か

【放送時間】2022年5月9日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

 《アリストテレスの倫理学は、「幸福」という
古今東西の誰もが深く願うテーマを軸に展開している。
だからこそ、二千数百年の時を超えて
現代においても深く影響を与え続けているのだ。
「幸福になりたい」という願望は誰もが抱くものだが、
実際に「幸福」になるのは容易なことではない。
真に幸福になるための地道で手堅い道筋を示しているのが
『ニコマコス倫理学』なのである。
第二回は、「義務」や「禁止」といった概念を軸にした
堅苦しい倫理学(義務論的倫理学)ではなく、
幸福な人生の実現へと読者を導いてくれる実践的な指南の書として
『ニコマコス倫理学』の全体像に迫りつつ、
「社会的生活」と「観想的生活」という、
幸福な人生の二つの類型について明らかにしていく。》

第一巻第四章、第五章からの引用とともに、
ここでは「最高善」とされる「幸福」とはいかなるものかについて。

「善」という言葉が『ニコマコス倫理学』におけるキーワードの一つで、
「幸福とは何か」とは、「善とは何か」という意味でもあるのです。

「何らかの善を目指している」のが人間で、
それが究極目的としての「幸福」というものであり、
それは単にはるか遠くにあるのではなく、
「いま、ここ」の自分の行為に常によっている。

第二回の結論としては、
 
 《人間が持っている可能性・能力を
  可能なかぎり現実化していくことによって達成される
  充実した在り方、そこにおいてこそ幸福が見いだされる》

 《徳を身につけることが
  幸福な人生を送るための不可欠な条件になる。》

「徳」はギリシア語で「アレテー」といい、
「卓越性」「力量」などと訳されます。

馬の「アレテー」は、速く走ること。
ナイフの「アレテー」はよく切れること。

優れた働きを為すことがでできるように高められていること、
それを「徳」と呼びます。

 

 ●第3回 「徳」と「悪徳」

【放送時間】2022年5月16日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

 《アリストテレスの説く「幸福」は、
単なる「幸運」とは大きく異なっている。
幸運にも高額の宝くじに当選した人の中にも、
堅実な人生の軌道から逸れ、
「不幸」な人生を送ってしまう人もいる。「幸福」になるためには、
外的な幸運を真に生かすための内的な力が必要なのだ。
その力のことを、アリストテレスは「徳(アレテー)」と呼び、
それが一定の行動を何度も繰り返し習慣化することで、
「性格」として身についていくという。
第三回は、勇気、節制、正義、賢慮といった、
現代でもそのまま活用することができる様々な「徳」と、
それに対立する「悪徳」を分類しつつ、
「徳」を身につける方途を探っていく。》

 

第二巻第一章からの引用とともに、
知的な能力・可能性を育てることで身についてくる「力」を
「思考の徳」と呼び、私たちが一般的に思い浮かべる、
人柄の在り方に関わるものについては「性格の徳」と呼びます。

徳を身につけるのは、技術を身につけるとのと同じだといい、
一回の成功体験が二回目以降の上達につながりやすいといい、
素早くできることと喜びを感じることが、
その技術が身についた証拠だアリストテレスはいいます。

 《一回一回善い選択肢を選び取り続けていくことによって、
  どういう選択肢を選んで生きていきたいかという
  基本的な心の在り方自体を成熟させていくことができるのです。》

人間には欲望がありますが、その欲望自体を変容させることができる。
当初は節制のない人でも、欲望の在り方を整え、選択を重ねることで、
コントロールすることができるようになるというのです。

 《アリストテレスに従えば、徳を身につけることで
  はじめて達成することができる充実があります。そうした仕方で
  人間存在としての可能性を十全に実現した在り方こそ、
  彼が言うところの幸福な人生なのです。》

 

 ●第4回 「友愛」とは何か

【放送時間】2022年5月23日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

 《人間は「社会的動物」であり、
人間と人間との深いつながりなしには、幸福な人生は考えにくい。
そのような人間同士の相互的な絆のことを、
  アリストテレスは「友愛(フィリア)」と呼んでいる。
  「人柄のよさに基づいた友愛」「快楽に基づいた友愛」
  「有用性に基づいた友愛」という友愛の三分類や、
  「友愛は、愛されることよりも、愛することにその本質がある」
  という愛の本質についての分析、自己愛と友愛の関係などなど、
  『ニコマコス倫理学』の友愛論は、
  「愛」について考察するための豊かな素材に満ちている。
  第四回は、人類の思想史のなかで最も有名な友情論
  と言っても過言でないアリストテレスの友愛論を紹介して、
  人間にとって、真の「友情」とは何か、
  真の「愛」とは何かに迫っていく。》

『ニコマコス倫理学』第八巻と第九巻で論じられる「友愛」について。

まず、友愛が成立する条件を挙げます。

(1)相手に好意を抱く
(2)その好意が相互的なものである
(3)互いに気づかれている

この三つがそろったときだといいます。

アリストテレスの言葉では、(1)は「相手に善を願う」となります。
これがアリストテレスの友愛の核となります。
善が人と人をつなぐ紐帯となる。
善には、「道徳的善」「有用的善」「快楽的善」の三つがあり、

それに従い、友愛にも三つある。

(1)人柄の善さに基づいた友愛
(2)有用性に基づいた友愛
(3)快楽に基づいた友愛

(2)や(3)の友愛は、
あくまでも「自分にとって」善いものが得られるから愛しているのだ、
という限定がある、条件付きの友愛だといいます。

自分にとって相手が快いものでなくなれば、有用なものでなくなれば、
その友愛は消えてしまう。
そういう自己中心的な観点があり、持続性・安定性がない。

ただ、快楽的友愛は、互いにいっしょにいたいと思い、
いっしょにいることに喜びがある点で、友愛らしい側面がある。

一方、(1)人柄の善さに基づいた友愛 は、相手を全体として愛する。
人柄に基づくものなので、持続的であり、安定性がある。
そして、人柄の善い人は、一緒にいても快い存在であり、
また困ったときにも無条件で助けてくれる有用な人でもある。
(2)も(3)も兼ね備えた存在で、完全な友愛だというのです。

しかし反面、そういう優れた関係はまれなものでもある、と。

では、アリストテレスは、
これらの友愛をどう評価しているのでしょうか。

山下さんは、アリストテレスは
(2)や(3)の有用性や快楽に基づく友愛を否定していない、
と考えているといいます。

真の友人は、(1)人柄の善さに基づいた友愛 のみで、
それ以外は本当の友人ではない、として排除するのではなく、
不十分な友愛ではあるが、それを自覚した上で、
人生にとって重要な人間関係として認め、
友愛の在り方のグラデーションをつけた上で、全体を友愛として認める。

そういう懐の広さがアリストテレスのテキストにはある、
と読み解きます。

 ・・・

さて、番組テキストには、他にも名著の名著たる所以ともいうべき、
有用性についても書かれています。

日常生活とは無縁に思われる古典の中に、
なにかしら人生についての「気づき」を与えられることがある、と。

理解できるできないにかかわらず、
自分に合った哲学書を見つける知の旅を続ける機会にして欲しい、
と結んでいます。

 

 ●読みやすい哲学書について

私の感想をひとこと。

第一回の山下さんの読みやすい哲学書の読書歴に、
プラトンのソクラテス対話篇やニーチェの本をあげていました。

私もそういうところを読んできました。
もちろん、理解云々はなんともいえませんが、
『クリトン』の「よく生きる」についてのソクラテスの対話とか、
ニーチェの『ツァラトゥストラ――』とか『善悪の彼岸』のような
アフォリズムのような本、『この人を見よ』のような小著などは、
とっつきやすい。

私は先の「よく生きる」というような、
幸福論的な生き方論を読むのが好きです。
そういうものが哲学書だと思い込んでいる部分があります。

そういうものこそ、真に役に立つ実用本位の本だと。

三大幸福論と呼ばれる――アランやラッセル、ヒルティの『幸福論』。
ショーペンハウエルの『幸福について』、
ヒルティ『幸福論 第一部』に紹介されている
エピクテトスの『語録』等の後期ストア派の本――セネカや
ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウス『自省録』など。

そしてこのアリストテレス『ニコマコス倫理学』。

こういう本が好きで読んできました。

こういう本は目的がはっきりしていますので、読みやすいと思います。

アラン『幸福論』は短文集ですし、
エピクテトスや『自省録』は語録といったもの。
短い文読みや牛氏、すべてを理解できなくても、わかる部分もあります。

そして、機会があるたびにポチポチと読んだり、見たりしていると、
そういう読み方を続けるうちに、何となく理解が進むのかもしれません。

まあ、お試しを。

 

参考:
【山下芳久さんの本】
『トマス・アクィナス 理性と神秘』山下芳久/著 岩波新書 2017/12/21
―アリストテレスの思想とキリスト教学を統合したアクィナスの入門書

『ニコマコス倫理学』アリストテレス/著 朴 一功/訳
京都大学学術出版会 西洋古典叢書 2002/7/1
―<NHK100de名著>テキストで山下さんが引用している翻訳

【アリストテレスに関する入門書】
『90分でわかるアリストテレス』ポール・ストラザーン/著
 浅見昇吾/訳 WAVE出版 2014/5/1
―こちらは<90分でわかる哲学者>シリーズの一冊。「生涯と作品」
 「言葉」など小著ながらそれなりにポイントを抑えている。

【私の持っているアリストテレスの本】
『ニコマコス倫理学(上)』アリストテレス/著
渡辺 邦夫, 立花 幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2015/12/8

『ニコマコス倫理学(下)』アリストテレス/著
渡辺 邦夫, 立花 幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2016/1/8

『詩学』アリストテレス/著 三浦 洋/訳 光文社古典新訳文庫 2019/3/8

『アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論』アリストテレース/著
F.Q. ホラーティウス/著 松本 仁助/訳 岩波文庫 1997/1/16

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

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本誌では、「私の読書論157-読むのは「内容」か「文章」か―『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]第4回から」をお届けしています。

今回は全文紹介です。
ブログの<NHK100de名著>の紹介記事に準じた形で、2022年5月分のアリストテレス『ニコマコス倫理学』についてテキストを中心に私なりに気になった部分を紹介しています。

 ・・・

アリストテレス『ニコマコス倫理学』にこんな言葉があります。

「平和な生活を求めて、戦争をする」(第十巻 1177b,5-6)

 『90分でわかるアリストテレス』ポール・ストラザーン/著
  浅見昇吾/訳 WAVE出版 2014/5/1 p.94)

ウクライナ側からいえば、まさに平和な生活のために戦う、という状況なのでしょう。

 

この後に続く部分に、こうあります。

(なぜなら、だれ一人として、戦争をすることを目的として戦争をしたり、戦争を企てたりしないからである。
  実際、もし人が戦闘と殺戮が起こるべく友人を敵にする、というようなことをするなら、その人こそまったくの「血の汚れがしみついた輩」であると思われるだろう)

 『ニコマコス倫理学(下)』アリストテレス/著
   渡辺 邦夫, 立花 幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2016/1/8 p.404
と。

ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって三ヶ月。
どういう目的で始めた戦争なのか、私にはよくわかりません。
しかし、もう遅いかもしれませんが、少なくとも、上に書かれたような輩と思われたくなければ、プーチンさんには早急に戦闘をやめて欲しいものです。

 ・・・

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 ・・・

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2017.11.06

努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月

11月のNHK100分de名著は、バートランド・ラッセルの「幸福論」です。

名著70 バートランド・ラッセル「幸福論」

プロデューサーAのおもわく。

ラッセルの「幸福論」のキーワードは「外界への興味」と「バランス感覚」。人はどんなときにでも、この二つを忘れず実践すれば、悠々と人生を歩んでいけるといいます。そして、それらを実践するために必要な思考法や物事の見方などを、具体例を通して細やかに指南してくれるのです。まさに、この本は、人生の達人たるラッセルの智慧の宝庫といえるでしょう。

【講師】小川仁志(山口大学准教授)
【朗読】荒川良々(俳優)
【語り】墨屋 那津子(元NHKアナウンサー)

第1回 11月6日放送
自分を不幸にする原因ラッセル自身の人生の歩みを紹介しながら、人々を不幸にしてしまう原因を明らかにしていく。

第2回 11月13日放送
思考をコントロールせよ不幸に傾きがちなベクトルをプラスに転換する「思考のコントロール方法」を学ぶ。

第3回 11月20日放送
バランスこそ幸福の条件極端に走りがちな人間の傾向性にブレーキをかける、ラッセル流のバランス感覚を学んでいく。

第4回 11月27日放送
他者と関わり、世界とつながれ!ラッセルのその後の平和活動にもつながる、自我と社会との統合を理想とした、独自の幸福観を明らかにしていく。

 

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『ラッセル『幸福論』 2017年11月』小川 仁志

―客観的に生きよ
 「自分」のなかに閉じこもる――それが不幸の原因だ。

自分の「外部」に没頭せよ
核兵器の廃絶と科学技術の平和利用を訴えた「ラッセルアインシュタイン宣言」でも知られる知の巨人、バートランド・ラッセル。彼が自らの人生を通じて実証した、幸福を「獲得」する方法とは? 「究極のポジティブシンキング」で、論理的に幸福をつかめ!

 

 

【講師:小川仁志さんの関連著作】
小川 仁志『ポジティブ哲学! ―三大幸福論で幸せになる―』清流出版 2015/6/19
―アラン、ヒルティ、ラッセルの「三大幸福論」から得る幸せの見つけ方

 

『幸福論』 B・ラッセル/著 堀秀彦/訳 角川ソフィア文庫 2017/10/25
―解説:小川 仁志

 

 

 

 ●三大幸福論

哲学の三大幸福論と言われるのが、フランスの哲学者・アラン『幸福論』(1925)、スイスの哲学者ヒルティ『幸福論』(全三巻 1891-99)と、イギリスの哲学者・ラッセルの本書です。

一番とっつきやすいのは、アラン『幸福論』でしょう。
文庫本で2~3ページという短文を集めたもので、読みやすいというのが特徴の一つです。

内容は、哲学的・文学的で、アランの主張は、自分で作る幸福は決して裏切らない(「47アリストテレス」)といい、自分が幸福になるのは義務だ(「92幸福になる義務」)といい、子供には幸福になる方法を教えるべきだ(「91幸福となる方法」)といい、幸福になるにはまず気持ちの持ち方である(「66ストイシズム」)といい、幸福だから笑うのではなく笑うから幸福になるのだ(「77友情」)、と教えます。

 

*参照:『お茶でっせ』記事 2011.10.31
アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!

 

 

ヒルティ『幸福論』も各巻8本ずつの論文が集められたものです。
キリスト教的な見地からの実用的な幸福論という気がします。

「人間だれ一人として幸福を求めないものはない」(第三部「二種類の幸福」)といい、「幸福こそ、人間の生活目標なのだ」(第一部「幸福」)といい、「仕事は人間の幸福のひとつの大きな要素だ」といい、「あなたは額に汗してパンを食べねばならぬ」(創世記三の一九/同)と。
第一部が「仕事の上手な仕方」で始まるように、幸福への道は、まず仕事に励むこと、といいます。

そして、不幸は人生につきものであり、逆説的にいえば、不幸は幸福のために必要だ、とも言います。

第三部「二種類の幸福」で、「価値の低い幸福」に至る道については古くから述べられているといい、彼は「永続的な幸福」について書いています。
それは、「神のそば近くにあること」「偉大で真実な思想に生きる」ことだと言います。

 

 ●『ラッセル幸福論』

これらの著作と異なり、本書は、一冊を費やして幸福について論を張る長編の論文です。

「はしがき」によりますと、自身の経験と観察によって確かめられた処方箋で、《周到な努力によれば幸福になりうる》(『ラッセル幸福論』安藤貞雄/訳 岩波文庫より―以下同じ―p.5)という信念に基づき、本書を書いたといいます。

この本の目的は、

普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案することにある。》p.14

といいます。

いかにして幸福を獲得するか? その積極的で具体的な方法を伝授すること、だそうです。

特別な不幸――恐怖政治や戦争、社会の貧困といった大きな問題、個人的には病気やケガ等、あるいは親しい人の死等の、単純には乗り越えられない種類の不幸は取り上げない。
あくまでも個人の力で改善できる問題に置いて、です。

そして、多くの人はそのような日常的な不幸を抱えて生きている、というのです。
では、そのような日常的な不幸に陥る原因はどこにあるのでしょう。

 

第一部「不幸の原因」では、「不幸だと感じている人々」がどのような状況にあるか、を分析し原因を追究します。

第1章「何が人びとを不幸にさせるのか」では、

不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である。》p.22

といい、その原因を一つずつ挙げ、第2章「バイロン風の不幸」第3章「競争」第4章「退屈と興奮」第5章「疲れ」第6章「ねたみ」第7章「罪の意識」第8章「被害妄想」第9章「世評に対するおびえ」と、分析してゆきます。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。 》(中村融訳 岩波文庫)

と書いていますが、それと同じようなものでしょう。

 

たとえば第2章「バイロン風の不幸」では、

人生は、ヒーローとヒロインが、信じがたいような不運を乗り越えたのちにハッピーエンドで報われる、といったメロドラマの類推で考えられるべきではない。》p.33

といいます。
第3章「競争」では、

成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる》p.54

といいます。
第4章「退屈と興奮」では、

前の晩が楽しければ楽しいほど、翌朝は退屈になる》p.66

といい、

総じてわかることは、静かな生活が偉大な人びとの特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった、ということだ。》p.70

ともいい、

幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである。》p.74

といいます。
第5章「疲れ」では、

きちんととした精神を養うことで、どれほど幸福と効率がいまやすかは、驚くほどである。きちんとした精神は、ある事柄を四六時中、不十分に考えるのではなく、考えるべきときに十分に考えるのである。》p.79

といいます。
たとえば心配事に関しても、

最悪の場合でも、人間に起こることは、何ひとつ宇宙的な重要性を持つものはないからである。》p.84

といい、取り越し苦労を否定します。
第6章「ねたみ」では、

他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。何でも楽しいことが起これば、目いっぱい楽しむべきであって、これは、もしかしてよその人に起こっているかもしれないことほど楽しくないんじゃないか、などと立ち止まって考えるべきではない。》p.95-96

といいます。
第7章「罪の意識」では、

他人に対して心の広い、おおらかな態度をとれば、他人を幸福にするだけではなく、本人にとっても限りない幸福の源となる。》p.117

といい、

おのれの能力を最も完全に発揮するときに最大の幸福が訪れる。》p.121

といいます。
第8章「被害妄想」では、被害妄想を治すことが

幸福獲得の重要な部分である。というのは、私たちは万人が自分を虐待していると感じているかぎり、幸福になることはまるで不可能だからだ。》p.124

といい、被害妄想の予防薬となる四つの公理を挙げています。
第9章「世界に対するおびえ」では、世評に対する恐れは、

抑圧的で、成長を妨げるもので(略)真の幸福を成り立たせている精神の自由を獲得することは不可能である。》p.151-152

といい、幸福にとって不可欠なのは、

私たち自身の深い衝動から生まれてくる》p.152

ことがら――趣味や楽しみ、希望等によるのだと言います。

幸福は同じような趣味と、同じような意見を持った人たちとの交際によって増進される。》p.151

と。

 

第二部「幸福をもたらすもの」で、幸福になる秘訣を説きます。

第10章「幸福はそれでも可能か」では、幸福には2種類あると言います。
一つは、どんな人にも得られるが、もう一つは、読み書きのできる人にしか得られないものだといいます。
前者のそれは、動物にも見られる単純な喜び――生存における快適な充足といったものです。
それに引き換え、後者は、科学者の尊敬に値する業績のような、困難を克服したのちに得られる成功の喜び――自己の能力を高く評価する、といったものです。
しかしこのような成功を一般の人間が獲得するのは難しいものです。
そこで注目すべきは、「趣味に熱中すること」といいます。
それでも、このような趣味や道楽は、現実からの逃避の手段とも言えます。

根本的な幸福は、ほかの何にもまして人や物に対する有効的な関心とも言うべきものに依存している。》p.170

といいます。
そして、この人への関心は愛情であり、

幸福に寄与する愛情は、人びとを観察することを好み、その個々の特徴に喜びを見いだす類の愛情である。》p.170

といい、最後に

幸福の秘訣は、(略)あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ。》p.172

といいます。
第11章「熱意」では、幸福な人の最も一般的な特徴として「熱意」を取り上げます。

人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなり、また、運命に左右されることが少なくなる。》p.176

といいます。
一つを失っても別のものがある、というわけ。すべてのものに興味を持つには人生は短すぎるけれど……。

熱意こそは、幸福と健康の秘訣である。》p.192

、と。
第12章「愛情」では、

人生に対する一般的な自信は、ほかの何にもまして、正しい愛情を、必要なだけ、ふだん与えられているところから生まれる。》p.195

といいます。
ものごとへの熱意の源となる精神の習慣としての愛情において最上のものは、

相互に生命を与えあうものだ。おのおのが喜びをもって愛情を受け取り、努力なしに愛情を与える。》p.202

といいます。
ところが現代は、人との付き合いにおいて用心深さが必要とされる状況にあり、しかし、

愛における用心深さは、ことによると、真の幸福にとって致命的なものであるかもしれない。》p.205

といいます。
第13章「家族」では、

両親の子供に対する愛情と、子供の良心に対する愛情は、幸福の最大の源の一つ》p.206

となりうるにもかかわらず、現代では大きな不幸の源になっている、といいます。
それでも、

個人的に言えば、私自身は、親としての幸福は私の味わった他のどんな幸福より大きいと思っている。》p.218

といいます。
そして、

私たちは、よい人間関係は両方の側にとって満足すべきものでなくてはならないと信じている。》p.222

といい、

本当に子供幸福を希(こいねが)う親は、(略)衝動によって正しく導かれることだろう。》p.225

といいます。
第14章「仕事」では、「仕事」の役割としては、第一に

退屈の予防策として望ましいものだ。》p.231

といい、第二の利点は、

成功のチャンスと野心を実現する機会を提供してくれる。》p.232

といいます。
成功したいという欲望があれば、その仕事に耐えられるといい、

目的の持続性ということは、結局、幸福の最も本質的な成分の一つであるが、(略)これは主として仕事を通して得られる。》p.232

といいます。
そして、

一つの重要な仕事を見事にやり遂げた幸福を、人から奪えるものでは何ひとつない。》p.237-238

といい、

首尾一貫した目的(略)は、幸福な人生のほぼ必須の条件である。そして、(略)主に、仕事において具体化されるのである。》p.241

といいます。
第15章「私心のない興味」では、生活の根底をなしている主要な興味ではなく、二次的な興味について語られます。
これは、主要な仕事での疲れや活力を取りもどすための気分転換、余暇を満たす興味といった意味でしょう。

仕事以外の興味をたくさん持っていれば、持っていない場合よりも、仕事を忘れるべきときに忘れることが断然やさしくなる。》p.244

といいます。
そういう「思考のチャンネルを切り替えること」ができる

魂の偉大さを持ちうる人は、心の窓を広くあけて、宇宙の四方八方から心に風が自由に吹き通うようにするだろう。》p.250

といい、

賢明に幸福を追求する人は、(略)いくつかの副次的な興味を持つように心がけるだろう。》p.253

といいます。
第16章「努力とあきらめ」では、古代中国の『論語』でも、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』においても語られる、古今東西で指摘されてきた「中庸」という教義について語ります。

純粋に個人的な希望は、無数の形で挫折するものであって、避けがたいものかもしれない。》p.260-261

といいます。
人生においては、ことを達成することができず、その努力を半ばで諦めなければならない場合があるということです。

中庸を守ることが必要である一つの点は、努力とあきらめのバランスに関してである。》p.254

といい、

日ごとに信じがたくなる事柄を日ごと信じようとする努力(略)を捨て去ることこそ、確かな、永続的な幸福の不可欠の条件である。》p.265

といいます。
最終章の第17章「幸福な人」は、いよいよ「まとめ」の章です。

外的な事情がはっきりと不幸ではない場合には、人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである。》p.267

といい、

やはり、人生は生きがいがあるのだ、と感じられるように自分に教え込むとよい。》p.270

といいます。さらに、

幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。》p.271

といい、

私は、本書を快楽主義者として、言い換えれば、幸福を善と見る人間として書いた。》p.271

といいます。
これはおおむね、健全な道徳家の推奨する行為と同じだが、私の推奨してきた人生態度と道徳家のそれとでは少し異なる部分があるとも言います。

私たちは、愛する人びとの幸福を願うべきである。しかし、私たち自身の幸福と引き換えであってはならない。》p.272-273

といいます。
自己否定の教義にくみすることなく、世界への興味を持つことで、自己もまた生命の流れを一部であることを認識し、自己と世界を統合したものと実感できる、といいます。
最後に、

幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である。》p.268

といい、

幸福な人とは、(略)自分の人格が内部で分裂してもいないし、世間と対立してもいない人のことである。(略)自分は宇宙の市民だと感じ、(略)宇宙が与える喜びをエンジョイする。》p.273

といい、子孫という生命の連続を信じ、死を恐れない、生命の流れと結合し、大いなる歓喜を見出している、と結論します。

 

簡単にいえば、幸福な人とは、自分の内に閉じこもらず、自らを客観的に見、広く外に目を向け、興味を持って人や社会と対立することなく友好的につきあい、未来につながる生き方で人生をエンジョイする人のことである、といえるのではないでしょうか。
幸福な人生とは、よく生きることである、と。

 

 

 ●よく生きる――幸福こそ最高善である

ソクラテスは、

最も尊重しなければならなぬのは生きることではなくて、善く生きることだ

といい、そのあと続けて

善く生きることと立派に生きることと正しく生きることとは同一である

といいました(プラトン著『クリトン』山本光雄訳 角川文庫)。

「善く生きる」とは、「立派に生きること」「正しく生きること」「美しく生きること」でもあり、「生きがいのある人生」のことであり、「自分にとって望ましい生き方」ということであり、すなわち「幸福に生きる」ことだと言います。

古代ギリシア人は、真・善・美を重んじたといいます。
「真」とは「善」であり「美」である(「真」=「善」=「美」)ということで、人もそのように生きるべきだということでしょう。

「幸福に生きること」が人生における「真理」なのだ、と。

 

アリストテレス『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫[上巻]第一巻第八章)には、

幸福とはよい人生を送り、立派にやっていくこと

といい、

というのも、[われわれの説では、幸福とは]或る種の善き生であり、善き行為であると大体は語られていたからである。

といいます。
さらに、

われわれにとって幸福は、尊敬に値する、完璧なもののひとつである、ということである。》(第一巻第十二章)

と。
結論として、人間にとっての幸福こそ、「最高善」なのだ(第一巻第七章)、といいます。

 

本書のラスト(第二部「第17章」)でも、ラッセルは

幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。

といい、「幸福は善だ」と書いています。

古代西洋哲学以来の考え方なのでしょう。
そして、それが真実なのではないでしょうか。

 ・・・

171104koufukuron

 

*私が読んだ本: 『ラッセル 幸福論』B. ラッセル/著 安藤貞雄/訳 岩波文庫 1991/3/18

 

 

*「三大幸福論」他の二点: アラン『幸福論』白井健三郎/訳 集英社文庫

 

 

『ヒルティ 幸福論』(全三巻)岩波文庫
[第一部] 草間平作/訳 改版 1961/1/1

 

*その他の参考文献:

・プラトン/著『ソクラテスの弁明―エウチュプロン,クリトン』山本光雄/訳 角川文庫 改版 1989/06
―ソクラテス裁判の朝の出来事を語る「エウチュプロン」と裁判後処刑を待つある一日の出来事を描く「クリトン」を併せて収録。

 

 

・アリストテレス/著『ニコマコス倫理学(上)』渡辺邦夫, 立花幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2015/12/8

 

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2017.07.03

ジェイン・オースティン『高慢と偏見』-NHK100分de名著2017年7月

7月のNHK100分de名著は、ジェイン・オースティン Jane Austen の『高慢と偏見』PRIDE AND PREJUDICE です。

今年はジェイン・オースティン没後200年だそうです。
ということもあっての選択でしょうか。

この機会に読んでみました。
1813年に出版された小説で、しかも執筆はそれより16年も前と言います。
というと、1796年。

18世紀末もしくは19世紀初頭の作品ということで、どちらにしろ既に200年以上前の作品で、タイトルからも「古臭~い観念的な小説かな」と思っていました。

実際に読んでみますと、翻訳(小尾芙佐訳・光文社古典新訳文庫)のせいもあるのかもしれませんが、文章もすごく読みやすく、ストーリイの展開も人物の描写も明快で、楽しく読めました。

単純にみても200年以上の歴史を経たものでもあり、オースティンの文章はかなり複雑な構文で難解なものと言われているそうです。
翻訳の違いでかなり読んだ印象も異なるかと思います。
私は、この翻訳が親しめました。

 ・・・

冒頭の一節――

独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要というのが、おしなべて世間の認める真実である。/そうした青年が、はじめて近隣のひととなったとき、ご当人の気持だとか考え方などにはおかまいなく、周辺の家のひとびとの心にしっかり焼きついているのはこの真実であり、その青年は、とうぜんわが娘たちのいずれかのものになると考える。》(小尾芙佐訳・光文社古典新訳文庫

(ちなみに、最新訳ではこうなっています。)

世の中の誰もが認める真理のひとつに、このようなものがある。たっぷり財産のある独身の男性なら、結婚相手が必要に違いないというのだ。/そんな男性が近所に越してきたとなると、当人がどう思っているか、結婚について何を考えているかなどお構いなし。どこの家庭でもこの真理が頭に染みついているから、あの男は当然うちの娘のものだと決めてかかる。》(小山太一訳・新潮文庫 2014)

これを読んで、私はいっぺんにやられてしまいました。
こういう書き出しをさらっと書けるのは、やはりすごいと思います。
一見ありきたりな紋切り型に見えますが、導入部としては、やはりすごいの一言でしょう。

さらにその後に続くベネット夫妻の会話がみごとに作品世界を説明しています。
イメージがいっぺんに定着します。
(あとでふれますが、夏目漱石も引用文を示して激賞しています。)

 

内容は、年頃の長女と次女を始め、五人娘を持つ上層中産階級(アッパー・ミドル・クラス)の地主階級(ジェントルマン)のベネット家の娘たちの恋愛と結婚のお話です。

タイトルは当初『第一印象』と名付けられていたように、この作品は主人公エリザベスが結婚相手となるダーシー青年に対して見てとったその性格(高慢 PRIDE)と、抱いた誤解(偏見 PREJUDICE)についてのお話という意味でしょうか。
あるいは、ダーシー自身の性格(高慢)と階級差に対する考え(偏見)なのでしょうか。
もしくは、エリザベス自身のダーシーへの見方そのものが、高慢であったり偏見であったりした、ということでしょうか。

その辺は、各自読んだ上での判断ということにしましょう。

 

 ●結婚観や夫婦像を見る

恋愛小説のジャンルに入るかと思いますが、紆余曲折の恋愛ののち結婚にゴールインしてめでたしめでたしとなる“恋愛と結婚”の小説です。

新潮文庫版「解説」で作家の桐野夏生さんが

裕福ではないジェントリの娘にとって、結婚とは「シューカツ」である。そして、家族にとっては、少しでもいい条件のところに娘を嫁がせて、自分たちも楽をするための「ファミリー・ビジネス」なのだった。

と書いています。
確かに、ここに登場する何組かの夫婦を見ていますと、結婚のあり方というものを考えさせられます。

エリザベスは経済的にも社会的地位的にもまさに玉の輿に乗るわけですが、姉も経済的にいえばそれでしょう。
アッパー・クラス(上流階級)に属するダーシーと、アッパー・ミドル・クラス(上層中産階級)のジェントリー(地主階級)の娘であるエリザベスの結婚は、身分(階級)違いの結婚となり、多くの障害を乗り越えるためには互いの愛情と覚悟が必要でもあるのです。
姉の場合も同じです。
ダーシーは当初からその自信はあったようです。
問題は女性の側というところでしょう。

一方、エリザベスの親友の27歳の(当時としては行き遅れ?)シャーロットは、経済的な安定をとったというところでしょうか。
それぞれの結婚観に基づくものでもあるのでしょうけれど、現実的な妥協でもあるという見本でしょう。

他にも、ベネット夫妻やベネット夫人の弟夫妻、結婚したシャーロット夫妻など、いくつかの夫婦が登場します。
こういう結婚観や夫婦像を観察するのも、この作品を読む楽しみの一つでしょう。

 

 ●夏目漱石の『文学論』から

光文社古典新訳文庫版小尾芙佐さんの「訳者あとがき」によりますと、東京帝大英文科で講師を務めた夏目漱石もその前任者であったラフカディオ・ハーンも、オースティンを評価しています。

夏目漱石は『文学論』のなかで、オースティンの『高慢と偏見』や『多感と分別』にふれ、「Austenは写実家なり」といい、かつ「写実の泰斗なり」と書いています。

『文学論』「第四編 文学的内容の相互関係/第七章 写実法」(岩波文庫 2007)

Jane Austenは写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文字を草して技(わざ)神に入るの点において、優に鬚眉(しゅび)の大家を凌ぐ。余いふ。Austenを賞翫する能はざるものは遂に写実の妙味を解し能はざるものなりと。例を挙げてこれを証せん。》p.167

以下、第一章の冒頭のベネット夫妻の会話が原文とご自身の和訳で紹介されています。

取材既に淡々たり。表現亦洒々(しゃしゃ)として寸毫の粉飾を用ゐず。これ真個に吾人の起臥し衣食する尋常の天地なり。これ尋常他奇なきの天地を眼前に放出して客観裏にその機微の光景を楽しむ。もし楽しむ能はずといはばこれ喫茶喫飯のやすきに馴れて平凡の大功徳を忘れたるものの言なり。》p.175
Austenの描く所は単に平凡なる夫婦の無意義なる会話に非ず。興味無き活社会の断片を眼前に髣髴せしむるを以て能事を畢(おわ)るものにあらず。こう一節のうちに夫婦の性格の躍然として飛動せるは文字を解するものの否定する能はざる所なるべし。(略)――悉く筆端に個々の生命を託するに似たり。》p.176
即ちこの一節は夫婦の全生涯を一幅のうちに縮写し得たるの点において尤も意味深きものなり。ただ縮写なるが故に意味深きのみならず。(略)この一節の描写は単に彼ら性格の常態を縮図にせるの点において深さを有するのみならず、併せてその可能的変態をも封蔵せるの点において深さを有するものとす。》p.177
這裏(しゃり)の消息に通ずるものはAustenの深さを知るべし。Austenの深さを知るものは平淡なる写実中に潜伏し得る深さを知るべし。》p.178

 

ラフカディオ・ハーンも、オースティンの作品を高く評価しています。
「それはあまりに繊細すぎた」といい、それゆえ、

文学的教養が十分でないと彼女の小説の並はずれた長所を理解することはできない。『ラフカディオ・ハーン著作集第十二巻』野中涼・野中恵子共訳、千九百八十二年、光文社(「訳者あとがき」p.366より孫引き)

『高慢と偏見』については、

シェイクスピアの芝居のあるもののように面白い。実際、人物たちの劇的な真実といきいきしたようすは、シェイクスピア的と言っていいくらいだ》同

といいます。

 ・・・

なかなか鋭い観察眼と描写力を持つ、達者な作者の名品という感じでした。

さて、この作品を廣野由美子講師がどのように読み説いていただけるのか、楽しみです。

 ・・・

名著67 高慢と偏見

第1回 7月3日放送 偏見はこうして生まれた
第2回 7月10日放送 認識をゆがめるもの
第3回 7月17日放送 恋愛のメカニズム
第4回 7月24日放送 「虚栄心」と「誇り」のはざまで

【指南役】
廣野由美子(京都大学教授)…19世紀の英文学研究の第一人者。
【朗読】
ミムラ(女性の登場人物担当)、川口覚(男性の登場人物担当)

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
高慢と偏見 2017年7月
2017年6月25日発売

 

*私が読んだ本: 『高慢と偏見〈上〉』ジェイン・オースティン/作 小尾芙佐/訳 (光文社古典新訳文庫 2011/11/10)
―唯一の女性訳者の手になる翻訳。小尾さんの翻訳は、エンタメ系小説で多く慣れ親しんでいるので、安心して読めました。

 

『高慢と偏見〈下〉』(同)

 

『自負と偏見』ジェイン・オースティン/作 小山太一/訳 (新潮文庫 2014)

 

*講師・廣野由美子さんのオースティンの本: 『深読みジェイン・オースティン―恋愛心理を解剖する』廣野 由美子 (NHKブックス No.1246 2017/6/22)

 

 

「NHK100分de名著」カテゴリ:
NHK100分de名著

 

*他のNHKテレビ「100分 de 名著」の記事:
1 2011年11月放送:2011.10.31
アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!
2 2011年12月放送:2011.12.6
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』悲しみを、乗り越えよ-「100分 de 名著」NHK
3 2012年1月放送:2012.1.5
吉田兼好『徒然草』両面から物事を見よ!-「100分 de 名著」NHK
4 2012年2月放送:2012.1.29
新渡戸稲造『武士道』日本的思考の根源を見る-「100分 de 名著」NHK
5 2012年3月放送:2012.3.6
仏教は「心の病院」である!NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』2012年3月
6 同:2012.4.2
NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』を見て本を読んで
7 2012年4月放送:2012.4.3
紫式部『源氏物語』NHKテレビ100分de名著
8 2012年5月放送:2012.5.2
確かな場所など、どこにもない―100分 de 名著 カフカ『変身』2012年5月
9 2012年6月放送:2012.6.6
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10 2012年10月放送:2012.10.2
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11 2012年12月放送:2012.12.5
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どんな時も、人生には、意味がある。フランクル『夜と霧』~NHK100分de名著2013年3月(再放送)
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20 2013年12月放送:2013.12.11

切り離された者たちへ~ドストエフスキー『罪と罰』~NHK100分de名著2013年12月
21 2014年1月放送:2014.1.21
花とは何か~『風姿花伝』世阿弥~NHK100分de名著2014年1月
22 2014年3月放送:2014.3.4
戦わずして勝つ『孫子』~NHK100分de名著2014年3月
23 2014年6月放送:2014.6.1
目前の出来事・現在の事実『遠野物語』NHK100分de名著2014年6月
24 2014年12月放送:2014.12.3
生きるべきか、死ぬべきか-シェイクスピア『ハムレット』~NHK100分de名著2014年12月
25 2015年4月放送:2015.3.29
自分を救えるのは自分自身である-NHK100分de名著『ブッダ 最期のことば』2015年4月
26 2015年5月放送:2015.5.5
何もないことを遊ぶ『荘子』-NHK100分de名著2015年5月
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運命と人間―ギリシア悲劇/ソポクレス「オイディプス王」NHK100分de名著2015年6月
28 2015年7月放送:2015.6.30
ラフカディオ・ハーン/小泉八雲『日本の面影』NHK100分de名著2015年7月
29 2015年8月放送:2015.8.5
自然淘汰による進化「生命の樹」-ダーウィン『種の起源』NHK100分de名著2015年8月
30 2015年9月放送:2015.9.1
恋と革命~太陽のように生きる-太宰治『斜陽』NHK100分de名著2015年9月
31 2015年10月放送:2015.10.7

処世訓の最高傑作「菜根譚」NHK100分de名著2015年10月
32 2016年1月放送:2016.1.4
真面目なる生涯~内村鑑三『代表的日本人』NHK100分de名著2016年1月
33 2016年4月放送:2016.4.4

弱者(悪人)こそ救われる『歎異抄』NHK100分de名著2016年4月
34 2016年5月放送:2016.5.1
人に勝つ兵法の道-宮本武蔵『五輪書』NHK100分de名著2016年5月
35 2017年2月放送:2017.2.6
欲望から自由になれ-ガンディー『獄中からの手紙』NHK100分de名著2017年2月
36 2017年3月放送:2017.3.5
永久の未完成これ完成である〈宮沢賢治スペシャル〉NHK100分de名著2017年3月
37 2017年4月放送:2017.4.4
人生は実に旅である―三木清「人生論ノート」NHK100分de名著2017年4月
38 2017年6月放送:2017.6.4
大乗仏典『維摩経』NHK100分de名著2017年6月
39 2017年7月放送:2017.7.3
ジェイン・オースティン『高慢と偏見』-NHK100分de名著2017年7月
40 2017年11月放送:2017.11.6
努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月

 

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2017.06.04

大乗仏典『維摩経』NHK100分de名著2017年6月

NHK(Eテレ)『100分de名著』2017年6月は、名著66 維摩経です。

名著66 維摩経

第1回 6月5日放送 仏教思想の一大転換
第一回は、「維摩経」が成立した背景や維摩の人物像を紹介しながら、既存の仏教体系を大きく揺るがした大乗仏教の基本構造を学んでいく。

第2回 6月12日放送 「得意分野」こそ疑え
第二回は、維摩と釈迦十大弟子や菩薩たちとの議論を通して、「得意分野」にこそ自分の弱点が潜んでいることや、自分との向き合い方の極意を学んでいく。

第3回 6月19日放送 縁起の実践・空の実践
第三回は、維摩がもたらす予想外の答えや不思議な出来事から、単なる観念の遊戯ではなく、生きるための智慧として示された大乗仏教の精髄を学ぶ。

第4回 6月26日放送 あらゆる枠組みを超えよ!
第四回は、既存の枠組みにとらわれず、解体、再構築を繰り返しながら、融通無碍に生き抜く自由なあり方を維摩から学ぶ。

 

【指南役】釈徹宗(如来時住職・相愛大学教授)
…著書「なりきる すてる ととのえる」「お世話され上手」で知られる宗教学者・僧侶

【朗読】哲夫(お笑いコンビ「笑い飯」)

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
維摩経 2017年6月
2017年5月25日発売

とらわれない、こだわらない
「自分」の枠をばらし、新たな「私」を組み立てる。

 

*参考: ・『維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典』菅沼晃/著 NHKライブラリーNo.102 1999.6.1

・『「維摩経」を読む』長尾雅人/著 岩波現代文庫 2014/10/17

・『大乗仏典 7 維摩経・首楞厳三昧経』長尾雅人/訳, 丹治昭義/訳 中央公論社 1974

・『大乗仏典〈7〉維摩経・首楞厳三昧経』長尾雅人/訳, 丹治昭義/訳 中公文庫 2002/8/25

「プロデューサーAのおもわく。」より

「維摩経」を現代的な視点から読み解きながら、「こだわりや執着を手放した真に自由な生き方」「矛盾を矛盾のまま引き受けるしなやかさ」「自分の都合に左右されない他者や社会との関わり方」などを学んでいきます。

 

●『維摩経』について

『維摩経』番組の紹介(プロデューサーの「おもわく」)を見てもわかりますように、その昔聖徳太子が初めて解説したといい、以来日本では広く親しまれていたと言われる大乗仏教の古い経典の一つです。

なんと言っても在家の信者・維摩詰(ゆいまきつ)―漢訳名、ヴィマラキールティが元の名、略して維摩、または維摩居士とも呼ばれる―が、お釈迦様(ブッダ)の十大弟子や弥勒菩薩たち、最後は文殊菩薩を相手に教えを説く、という設定にあります。
しかもドラマ仕立てだ、というところ。

ヴァイシャーリーという町のお金持ちの一市民である、維摩が病気になり、お釈迦さまが弟子たちにお見舞いに行くように言います。
ところが、誰もが自分にはお見舞いに行く資格がない、と断ります。

たとえば、十大弟子の一人マハー・カーシャパ(大迦葉=頭陀行第一、清貧の行者と呼ばれる)はこう言います。

「在家の人でありながら、このような弁才をそなえているのであれば、(その説法を聞いて)だれか無上の正しいさとりに対して発心しない者があろうか、と思いました。」》「維摩経」長尾雅人訳(『大乗仏典7』中央公論社)p.38

最後に文殊菩薩が選ばれます。
そこで文殊菩薩がこう答えます。

「世尊よ、ヴィマラキールティはつき合いにくい人で、微妙な理屈にかんして弁説をふるう人です。逆の表現でも、満足なことばでも巧みに語り、その弁才を邪魔しうる者はありません。どんな人に対しても憤りをいだかない知恵の所有者で、菩薩のすべきことはすべて完成しており、一切の菩薩、一切の仏陀の秘奥のところにまではいりこんでおります。(略)方便という点でも知恵という点でも超越しております。(略)各種の衆生の機根に飾りを得させることが上手で、巧みな方便をよく知っており、質問に対しては決定的な答えを致します。(こちらの)貧弱な甲鎧(よろい)をもって、彼を満足させることは不可能です。」》同 p.70

そうは言いつつも、お釈迦様の言いつけとあればいたしかたないと、ブッダのお力添えをいただいて、議論してみましょう、といいます。

こうして本格的な維摩との対論が始まります。

 

●『維摩経』に学ぶこと

菅沼晃著『維摩経をよむ』(NHKライブラリー)によりますと―

仏教の真髄を体得している維摩は「人生の達人」として、その生き方が現代を生きる我々に鮮やかに示されている。
「如何に生くべきか」を教える経典として『維摩経』を読むことが重要。
大乗仏教の空の教えを、理論としてでなく、維摩の生き方から学ばなければならない。

―と。

 

●維摩はなぜ病んでいるのか

これも、菅沼晃著『維摩経をよむ』(NHKライブラリー)によりますと―

維摩が病気なのは、一切衆生(世の生きとし生けるものすべて)が病み苦しんでいるからだ、といいます。

「一切衆生病むを以って、是の故に我れ病む」と。

老・病・死といった苦を背負って生きているのが、我々一般の衆生です。
その病を受けて維摩や菩薩と呼ばれる人々は、病んでいるのだというのです。

子供が病気に苦しんでいると親もまた苦しむのと同じだ、と。

同じ立場に身を置くことで、同じ心情や悩みを共有し、人々を勇気付け、苦しくとも生きる力を与えようとしているのです。

 

●『維摩経』には逆説的な問いかけが多い

『維摩経』は、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『維摩詰所説経』3巻がもっとも読まれている。
他に、呉の支謙訳『維摩詰経』2巻、唐の玄奘訳『説無垢称経』6巻が現存。

玄奘訳は、サンスクリット原文からの忠実な直訳体であるのに対して、羅什訳は原文を達意の文章で訳しているといい、意訳的な部分があるようです。

長尾雅人著『「維摩経」を読む』によりますと、羅什訳では逆説的な問いかけの表現が多いけれど、チベット訳ではそれほどの表現ではないそうです。
その辺が羅什の解釈による翻訳になっているということでしょう。

インドのサンスクリット原本は現存せず、漢訳よりもより忠実に伝えていると見られるチベット訳からの翻訳が日本でもいくつか紹介されています。

 

●心に残ったこと

仏教の基礎的な教えから大乗仏教の考え方への変化を、維摩との対論を通して説明してゆきます。

初期仏教の自利から大乗仏教の利他への考え方の変化が一番大きな違いです。
己自身を救うことから衆生を救うことへの変化。
そのために何ができるか何をするかが、新たな時代の仏教徒の課された義務なのでしょう。

それらのお話のなかで、私の心に残ったのは、仏教では泥の中から咲く蓮の花のように、人は穢れのなかであっても花を咲かせるものだ、ということ。

ちょっと簡単には説明できないのですが、単なる道徳ではない、仏教の持つ宗教の力がその辺に存在するように思います。

また、病気についても、人は病にかかるとつい落ち込んでしまうものです。
しかし、それでも上にも書きましたように、みなと同じ立場に身を置いて、同じ目線で受け止め、力を与えようとしているという姿勢が、大乗仏教の菩薩の態度なのです。

私たちも、どのような困難な時にも勇気をもって、ありのままの自分で生きてゆくべきだなあ、と思いました。

 ・・・

内容的には、かなり難しい部分があります。
ちょっと読んだだけでは理解しがたいものですが、その辺を今回、どのように読み説いていただけるか、楽しみです。

 

*過去の仏教関係のNHK・Eテレ「100分 de 名著」の記事: ・2012年3月放送:2012.3.6
仏教は「心の病院」である!NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』2012年3月 ・同:2012.4.2
NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』を見て本を読んで ・2013年1月放送:2013.1.11
呪文に頼るのもよし?~100分de名著『般若心経』2013年1月 ・2015年4月放送:2015.3.29
自分を救えるのは自分自身である-NHK100分de名著『ブッダ 最期のことば』2015年4月 ・2016年4月放送:2016.4.4
弱者(悪人)こそ救われる『歎異抄』NHK100分de名著2016年4月

 

「NHK100分de名著」カテゴリ:
NHK100分de名著

 

*他のNHKテレビ「100分 de 名著」の記事:
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努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月

 

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2017.04.04

人生は実に旅である―三木清「人生論ノート」NHK100分de名著2017年4月

NHK『100分de名著』2017年4月は、名著64 三木清「人生論ノート」です。

三木清(1897-1945)は、今年生誕120年を迎えるという、戦前の哲学者です。
1897(明治30)年、兵庫県に生まれ、一高を経て、西田幾多郎に師事し、京大哲学科入学、卒業後大学院へ進む。
1922年、岩波書店の岩波茂雄の出資を受けドイツ留学。その後パリに移る。
帰国後、三高や大学の講師を歴任。期待された京大に職を得られず、法大教授となる。
しかし、1930年に共産党への資金援助により治安維持法で検挙、有罪となり、法大をやめ、在野の哲学者となり、新聞雑誌への寄稿が増える。
また岩波文庫の発刊に協力、発刊の言葉の草稿も書いたという。
1945(昭和20)年6月、治安維持法違反の容疑者をかくまい逃亡させた嫌疑で検挙、投獄され、敗戦後も釈放されないまま、48歳で獄死。
『パスカルに於ける人間の研究』(岩波文庫)『哲学入門』(岩波新書)『人生論ノート』(新潮文庫)『語られざる哲学』(講談社学術文庫)などの著作がある。

 ・・・

名著64 三木清「人生論ノート」

「プロデューサーAのおもわく。(4月の名著:人生論ノート)」より

三木はこの本で一つの「幸福論」を提示しようとしていました。同時代の哲学や倫理学が、人間にとって最も重要な「幸福」をテーマに全く掲げないことを鋭く批判。「幸福」と「成功」とを比較して、量的に計量できるのが「成功」であるのに対して、決して量には還元できない、質的なものとして「幸福」をとらえます。... /哲学者の岸見一郎さんは、「人生論ノート」を、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福とみなされがちな今だからこそ、読み返されるべき本だといいます。一見難解でとっつきにくいが、さまざまな補助線を引きながら読み解いていくと、現代を生きる私たちに意外なほど近づいてくる本だともいいます。/...「人生論ノート」を通して、「幸福とは何か」「孤独とは何か」「死とは何か」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに生きる方法を学んでいきます。

第1回 4月3日放送 真の幸福とは何か
幸福を量的なものではなく、質的で人格的なものであるととらえなおす三木の洞察からは、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福なのではないというメッセージが伝わってくる。... 第一回は、三木清がとらえなおそうとした「幸福」の深い意味に迫っていく。
第2回 4月10日放送 自分を苦しめるもの
三木が提示する方法は「それぞれが何かを創造し自信をもつこと」。... 第二回は、自分自身を傷つけてしまうマイナスの感情と上手につきあい、コントロールしていく方法を学んでいく。
第3回 4月17日放送 虚無や孤独と向き合う
人間の条件が「虚無」だからこそ我々は様々な形で人生を形成できる...「孤独」こそが「内面の独立」を守る術だ... 第三回は、人間の条件である「虚無」や「孤独」との本当のつきあい方に迫る。
第4回 4月24日放送 死を見つめて生きる
死への恐怖とは、知らないことについての恐怖であり、死が恐れるべきものなのか、そうではないのかすら我々は知ることができないのだ。... 第四回は、さまざまな視点から「死」という概念に光を当てることで、「死とは何か」を深く問い直していく。

【指南役】岸見 一郎(哲学者)…「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の著者。
【朗読】市川猿之助(歌舞伎役者)

 

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」人生論ノート 2017年4月 (2017年3月25日発売)
理想こそが現実を変える
人生は実に旅である。未知への漂白である。

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◆三木清「人生論ノート」:
『人生論ノート』新潮文庫 改版 1978/9

 

 

『人生論ノート 他二篇』角川ソフィア文庫 2017/3/25
―『語られざる哲学』、『幼き者の為に』所収。 解説/岸見一郎

 

 

◆岸見 一郎/著:
『三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2016/6/28

 

 

『希望について: 続・三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2017/4/13

 

 ・・・

三木清の『人生ノート』です。
1938年から『文学界』に連載した短文をまとめたものです。

哲学書というよりは、もう少し一般的なエッセイに近いものでしょうか。

三木清の著作の中でも比較的読みやすいものでしょう。
(といっても私は、これと『哲学入門』しか読んだことがありません。)

三木清については、ほとんど知りません。
(今回、『三木清 人と思想』清水書院センチュリーブックス177 を読んで知ったことぐらいです。)

『嫌われる勇気』等でアドラー心理学の紹介者として有名になられた観のある、指南役の岸見一郎さんですが、実は哲学者でこちらの方が専門のようです。
実際にどのように読み説かれるか楽しみです。
(といいながら、第一回放送は終了しましたが。)

 

第一回について少しだけ書いておきますと――

1938(昭和13)年という、戦争前夜とでもいうべき、言論が弾圧され、個人が圧殺される全体主義の時代に書かれたもので、ストレートな表現は当局から目をつけられ発禁処分になる危険性もあり、難解な言葉遣いで著した、その分わかりにくいところがある、と解説されています。

その中で、幸福について語りにくい時代であるということ、それでも幸福とは徳であり、愛する人のためにこそ自分が幸福であるべきで、自分が幸福であること以上の善いことを為し得ない。
そして、幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福だ、という(「幸福について」)。
成功と幸福を不成功と不幸と同一視するようになり、真の幸福とは何かが理解できなくなった。幸福とは人それぞれオリジナルなものだ、という(「成功について」)。

――といった内容でした。

 ・・・

新潮文庫版『人生論ノート』から、私の心に残った文章をピックアップしておきましょう。

「死について」
執着する何ものもないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死に切れないということは、執着するものがあるから死ねるということである。深く執着するものがある者は、死後自分の帰ってゆくべきところをもっている。それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。》p.11

... 死は観念である。それだから観念の力に頼って人生を生きようとするものは死の思想を掴むことから出発するのがつねである。すべての宗教がそうである。》p.12-13

「幸福について」
... 幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。... 》p.16

幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。... 》p.18-19

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのづから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。》p.22

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。》p.22

「懐疑について」
人間的な知性の自由はさしあたり懐疑のうちにある。自由人といわれる者で懐疑的でなかったような人を私は知らない。... しかるに哲学者が自由の概念をどのように規定するにしても、現実の人間的な自由は節度のうちにある。古典的なヒューマニズムにおいて最も重要な徳であったこの節度というものは現代の思想においては稀になっている。懐疑が知性の徳であるためには節度がなければならぬ。一般に思想家の節度というものが問題である。モンテーニュの最大の智慧は懷疑において節度があるということであった。また実に、節度を知らないような懐疑は真の懐疑ではないであろう。度を越えた懐疑は純粹に懐疑に止まっているのでなく、... 一つの独断である。》p.24

「習慣について」
... 生命は形成作用であり、模倣は形成作用にとって一つの根本的な方法である。生命が形成作用(ビルドゥング)であるということは、それが教育(ビルドゥング)であることを意味している。... 》p.32-33

「虚栄について」
虚栄によって生きる人間の生活は実体のないものである。言い換えると、人間の生活はフィクショナルなものである。それは芸術的意味においてもそうである。というのは、つまり人生はフィクション(小説)である。だからどのような人でも一つだけは小説を書くことができる。普通の人間と芸術家との差異は、ただ一つしか小説を書くことができないか、それとも種々の小説を書くことができるかという点にあるといい得るであろう。》p.39

しかし人間が虚栄的であるということはすでに人間のより高い性質を示している。虚栄心というのは自分があるよりも以上のものであることを示そうする人間的なパッションである。それは仮裝に過ぎないかも知れない。けれども一生仮裝し通した者において、その人の本性と仮性とを区別することは不可能に近いであろう。道徳もまたフィクションではないか。それは不換紙幣に対する金貨ほどの意味をもっている。》p.42

「名誉心について」
人生に対してどんなに厳格な人間も名誉心を抛棄しないであろう。ストイックというのはむしろ名誉心と虚栄心とを区別して、後者に誘惑されない者のことである。その区別ができない場合、ストイックといっても一つの虚栄に過ぎぬ。》p.45

「怒について」
怒ほど正確な判斷を亂すものはないといはれるのは正しいであらう。しかし怒る人間は怒を表はさないで憎んでゐる人間よりもつねに恕せらるべきである。》p.53

ひとは愛に種類があるという。愛は神の愛(アガペ)、理想に対する愛(プラトン的エロス)、そして肉体的な愛という三つの段階に区別されている。そうであるなら、それに相対して怒にも、神の怒、名誉心からの怒、気分的な怒という三つの種類を区別することができるであろう。怒に段階が考えられるということは怒の深さを示すものである。ところが憎みについては同樣の段階を区別し得るであろうか。怒の内面性が理解されねばならぬ。》p.53

「人間の条件について」
虚無が人間の条件或いは人間の条件であるものの条件であるところから、人生は形成であるということが従ってくる。自己は形成力であり、人間は形成されたものであるというのみではない、世界も形成されたものとして初めて人間的生命にとって現実的に環境の意味をもつことができるのである。生命はみずから形として外に形を作り、物に形を与えることによって自己に形を与える。かような形成は人間の条件が虚無であることによって可能である。》p.60

古代は実体概念によつて思考し、近代は関係概念或いは機能概念(函数概念)によって思考した。新しい思考は形の思考でなければならぬ。形は単なる実体でなく、単なる関係乃至機能でもない。形はいわば両者の綜合である。関係概念と実体概念とが一つであり、実体概念と機能概念とが一つであるところに形が考えられる。》p.53p.61

「孤独について」
孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」――それは物質のものでなくて人間のものである。》p.65

東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は昼の世界と夜の世界である。昼と夜との対立のないところが薄明である。薄明の淋しさは昼の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に違っている。》p.66

孤独には美的な誘惑がある。孤独には味いがある。もし誰もが孤独を好むとしたら、この味ひのためである。孤独の美的な誘惑は女の子も知っている。孤独のより高い倫理的意義に達することが問題であるのだ。
その一生が孤独の倫理的意義の探求であったといい得るキェルケゴールでさえ、その美的な誘惑にしばしば負けているのである。
》p.66

物が真に表現的なものとして我々に迫るのは孤独においてである。そして我々が孤独を超えることができるのはその呼び掛けに応える自己の表現活動においてのほかない。アウグスティヌスは、植物は人間から見られることを求めており、見られることがそれにとって救済であるといったが、表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己を救うことである。かようにして、孤独は最も深い愛に根差している。そこに孤独の実在性がある。》p.67

「嫉妬について」
もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向って働くのが一般であるから。》p.68

嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。》p.72

「成功について」
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。》p.74

他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考えられ得るものである。だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴い易い。》p.74

純粹な幸福は各人においてオリジナルなものである。しかし成功はそうではない。エピゴーネントゥム(追随者風)は多くの場合成功主義と結び附いている。》p.75-76

「瞑想について」
ひとは書きながら、もしくは書くことによって思索することができる。しかし瞑想はそうではない。瞑想はいわば精神の休日である。そして精神には仕事と同樣、閑暇が必要である。余りに多く書くことも全く書かぬことも共に精神にとって有害である。》p.81

「噂について」
噂は誰のものでもない、噂されている当人のものでさえない。噂は社会的なものであるにしても、厳密にいうと、社会のものでもない。この実体のないものは、誰もそれを信じないとしながら、誰もそれを信じている。噂は原初的な形式におけるフィクションである。》p.84

「利己主義について」
愛情は想像力によって量られる。》p.89

我々の生活は期待の上になり立っている。》p.90

利己主義者は期待しない人間である、従ってまた信用しない人間である。それ故に彼はつねに猜疑心に苦しめられる。
ギヴ・アンド・テイクの原則を期待の原則としてでなく打算の原則として考えるものが利己主義者である。
》p.91

利己主義という言葉は殆どつねに他人を攻撃するために使われる。主義というものは自分で称するよりも反対者から押し附けられるものであるということの最も日常的な例がここにある。》p.92

「健康について」
誰も他人の身代りに健康になることができぬ、また誰も自分の身代りに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。そしてまさにその点において平等のものである。私はそこに或る宗教的なものを感じる。すべての養生訓はそこから出立しなければならぬ。》p.93

健康の問題は人間的自然の問題である。というのは、それは単なる身体の問題ではないということである。健康には身体の体操と共に精神の体操が必要である。》p.95

健康というのは平和というのと同じである。そこに如何に多くの種類があり、多くの価値の相違があるであろう。》p.98

「秩序について」
外的秩序は強力によっても作ることができる。しかし心の秩序はそうではない。》p.104

人格とは秩序である、自由というものも秩序である。... 》p.104

「感傷について」
感傷は主観主義である。青年が感傷的であるのはこの時代が主観的な時期であるためである。主観主義者は、どれほど概念的或いは論理的に裝おうとも、内実は感傷家でしかないことが多い。》p.109

あらゆる情念のうち喜びは感傷的になることが最も少い情念である。そこに喜びのもつ特殊な積極性がある。》p.109

感傷には個性がない、それは真の主観性ではないから。その意味で感傷は大衆的である。だから大衆文学というものは本質的に感傷的である。大衆文学の作家は過去の人物を取扱うのがつねであるのも、これに関係するであろう。彼等と純文学の作家との差異は、彼等が現代の人物を同じように巧に描くことができない点にある。この簡単な事柄のうちに芸術論における種々の重要な問題が含まれている。》p.109

感傷には常に何等かの虚栄がある。》p.110

「仮説について」
常識を思想から区別する最も重要な特徴は、常識には仮説的なところがないということである。》p.113-4

思想は仮説でなくて信念でなければならぬといわれるかも知れない。しかるに思想が信念でなければならぬということこそ、思想が仮説であることを示すものである。常識の場合にはことさら信仰は要らない、常識には仮説的なところがないからである。常識は既に或る信仰である、これに反して思想は信念にならねばならぬ。》p.114

仮説という思想は近代科学のもたらした恐らく最大の思想である。... 》p.115

「偽善について」
... 人生において証明するということは形成することであり、形成するということは内部と外部とが一つになることである。ところが偽善者にあっては内部と外部とが別である。偽善者には創造というものがない。》p.118

「娯楽について」
生活を楽しむことを知らねばならぬ。「生活術」というのはそれ以外のものでない。それは技術であり、徳である。どこまでも物の中にいてしかも物に対して自律的であるということがあらゆる技術の本質である。生活の技術も同樣である。どこまでも生活の中にいてしかも生活を超えることによって生活を楽しむということは可能になる。
娯楽といふ観念は恐らく近代的な観念である。それは機械技術の時代の産物であり、この時代のあらゆる特徴を具えている。娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代りに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。幸福についてほんとに考えることを知らない近代人は娯楽について考える。
》p.121

「希望について」
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。... 》p.127

人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。》p.127

それは運命だから絶望的だといわれる。しかるにそれは運命であるからこそ、そこにまた希望もあり得るのである。》p.128

希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味いたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却って期待という如きものである。個々の内容の希望は失われることが多いであろう。しかも決して失われることのないものが本来の希望なのである。》p.128

希望というものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きている限り希望を持っているというのは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。生命の形成力が希望であるというのは、この形成が無からの形成という意味をもっていることに依るであろう。... 希望はそこから出てくるイデー的な力である。希望というものは人間の存在の形而上学的本質を顕わすものである。
希望に生きる者はつねに若い。いな生命そのものが本質的に若さを意味している。
》p.129

絶望において自己を捨てることができず、希望において自己を持つことができぬということ、それは近代の主観的人間にとって特徴的な状態である。》p.130

... 断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。
形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学的智慧であった。それは芸術的制作についてのみいわれることではない。それは人生の智慧である。
》p.131

「旅について」
何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。... いったい人生において、我々は何処へ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。... 》p.136

... 旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。》p.138

「個性について」
個性を理解しようと欲する者は無限のこころを知らねばならぬ。無限のこころを知らうと思ふ者は愛のこころを知らねばならない。愛とは創造であり、創造とは對象に於て自己を見出すことである。愛する者は自己において自己を否定して對象において自己を生かすのである。... 》p.147

 

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2017.03.05

永久の未完成これ完成である〈宮沢賢治スペシャル〉NHK100分de名著2017年3月

NHK『100分de名著』2017年3月は、名著63「宮沢賢治スペシャル」です。
久しぶりにまた宮沢賢治です。

 ・・・

名著63 宮沢賢治スペシャル

(Eテレ)
毎週月曜日/午後10時25分~10時50分
<再>水曜日/午前5時30分~5時55分、午後0時00分~0時25分

第1回 3月6日放送 自然からもらってきた物語第一回は、「注文の多い料理店」におさめられた童話などを中心に、賢治と自然との関わり方を読み解き、自然を奥深く感じ取り作品にしていく豊かな感受性を学んでいく。》「注文の多い料理店」「鹿踊りのはじまり」「貝の火」「イーハトーボ農学校の春」
第2回 3月13日放送 永遠の中に刻まれた悲しみ第二回は、既存の詩の枠内におさまらない新たなものを作りたいという野心と気概が込められた心象スケッチ「春と修羅」、童話「やまなし」などを読み解くことで、賢治が向き合った「生と死」の問題に迫っていく。》詩集「春と修羅」~「永訣の朝」「オホーツク挽歌」、童話「雪渡り」「やまなし」
第3回 3月20日放送 理想と現実のはざまで第三回は、作品に描かれた賢治の葛藤を克明に読み解きながら、私たちが理想と現実にどう向き合っていけばよいかを考える。 》詩「雨ニモマケズ」、童話「毒もみのすきな署長さん」「土神ときつね」「なめとこ山の熊」
第4回 3月27日放送 「ほんとう」を問い続けて 第四回は、「銀河鉄道の夜」「マリヴロンと少女」などの作品や彼の晩年の生き様を通して、「ほんとう」とは何か、そして、それを求めていくことの意味とは何かを考える。》童話「学者アラムハラドの見た着物」「ポラーノの広場」「銀河鉄道の夜」「マリヴロンと少女」

【指南役】山下聖美(日本大学芸術学部教授)
…「宮沢賢治のちから」「賢治文学『呪い』の構造」等の著作で知られる文学研究者。
【童話の朗読】原田郁子(クラムボン・ボーカル)
【詩の朗読】塚本晋也(映画監督)

○NHKテレビテキスト
「100分 de 名著」宮沢賢治スペシャル 2017年3月  16作品が照らし出す心の真実

 

 

2017年2月25日発売

永久の未完成これ完成である
善も悪も清も濁も、同時に存在する――。

永久の未完成これ完成なり
「人間とは何か」という大きな問いに、独特の感覚で向きあい続けた宮沢賢治。その作品は童話や詩としても読める形式でありながら、世代や時代を超えて愛されてきた。『注文の多い料理店』『春と修羅』をはじめとする諸作品を読み解き、日本近代文学史に屹立する異才の謎に迫る。

【はじめに】 宮沢賢治の豊穣な文学
第1回 自然からもらってきた物語
    「注文の多い料理店」「鹿踊りのはじまり」「貝の火」「イーハトーボ農学校の春」
第2回 永遠の中に刻まれた悲しみ
    「永訣の朝」「オホーツク挽歌」「雪渡り」「やまなし」
第3回 理想と現実のはざまで
    「雨ニモマケズ」「毒もみのすきな署長さん」「土神ときつね」「なめとこ山の熊」
第4回 「ほんとう」を問い続けて
    「学者アラムハラドの見た着物」「ポラーノの広場」「マリヴロンと少女」「銀河鉄道の夜」

 

【指南役・山下聖美さんの賢治本から】 『NHKカルチャーラジオ 文学の世界 大人のための宮沢賢治再入門―ほんとうの幸いを探して』 NHK出版 (2015/12/25)

 

『新書で入門 宮沢賢治のちから』 (新潮新書)2008/9

 

 ・・・

この番組で、宮沢賢治を扱うのは、2011年12月『銀河鉄道の夜』が最初だったのではないでしょうか。
私もその後ほとんど読んでいないので、久しぶりです。

2011.12.6
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』悲しみを、乗り越えよ-「100分 de 名著」NHK

今回は、いくつもの作品を通して宮沢賢治の世界を扱うようです。

あまり有名でない作品もあり、私の未読のものもかなり登場するようで、楽しみです。
小学5年生の時の授業で、先生が「風の又三郎」を朗読して下さったのが、賢治作品との最初の出会いだったか、と記憶しています。

その後、高校生の時に、当時ラジオで朗読だったかドラマだったか、そういう番組で、賢治の童話をいくつか放送されたことがあり、それをきっかけに新潮文庫の賢治作品集2冊を読んだものでした。

私のお気に入りは、「グスコーブドリ――」や「虔十公園林」。
他には、二大名作ともいうべき「風――」や「銀河鉄道――」、「セロ弾き――」等です。

 

「永訣の朝」については、東日本大震災後の2011年3月末に、私の出しているメルマガ『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』特別編 でふれています。

2011年3月31日号(No.54)-110331-特別編 宮沢賢治の詩「永訣の朝」

 

今回紹介されるのは、あまり有名でない作品も多く、どのように読み解かれるのか楽しみです。

 

【新潮文庫の宮沢賢治作品集】 『新編 風の又三郎』 (新潮文庫) 1989/3/1
―「貝の火」「虔十公園林」「グスコーブドリの伝記」「風の又三郎」など16編

 

『新編 銀河鉄道の夜』 (新潮文庫) 1989/6/19
―「マリヴロンと少女」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」など14編

 

『ポラーノの広場』 (新潮文庫) 1995/1/30
―ブルカニロ博士が現れる「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」、本物の風の子又三郎の話「風野又三郎」など17編。

 

『注文の多い料理店』 (新潮文庫) 1990/5/29
―生前唯一の童話集『注文の多い料理店』全編と、地方色の豊かな童話19編、「注文の多い料理店」「雪渡り」「土神ときつね」など

 

『新編宮沢賢治詩集』 (新潮文庫) 1991/8/1
―「永訣の朝」「雨ニモマケズ」など132編

 

「NHK100分de名著」カテゴリ:
NHK100分de名著

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2017.02.06

欲望から自由になれ-ガンディー『獄中からの手紙』NHK100分de名著2017年2月

NHK『100分de名著』2017年2月は、ガンディー「獄中からの手紙」です。


実に昨年6月の「五輪書」以来の『100分de名著』でしょうか。
たまには、お勉強してみようというわけです。


170206gokuchu


(画像:『獄中からの手紙』他、参考にした本)


 


名著62 「獄中からの手紙」 第1回 2月6日放送 政治と宗教をつなぐもの
歴史の転換点となった「塩の行進」の意味を読み解き、近代人が回避してきた「政治と宗教の本来の関係」を見つめなおしていく。
第2回 2月13日放送 人間は欲望に打ち勝てるのか
「獄中からの手紙」にも描かれたガンディーの生き方を通して、「人間は欲望とどう向き合っていけばよいか」を見つめていく。
第3回 2月20日放送 非暴力と赦し
ガンディーの非暴力思想に込められた深い意味を読み解いていく。
第4回 2月27日放送 よいものはカタツムリのように進む
ガンディー思想の根底に流れている宗教観や労働観など、奥深い思想を読み解いていく。


【指南役】中島岳志(東京工業大学教授)
【朗読】ムロツヨシ(俳優)


「プロデューサーAのおもわく。」より


「歩く」「食べない」「糸紡ぎ車を回す」といった日常的行為を通して、政治の中に宗教を取り戻そうとしたガンディー。彼の人生は「宗教的な対立や抑圧を起こすことなく、政治と宗教の有機的なつながりをつくるにはどうしたらよいか」「すべての生命の意味を問い、近代社会の問題や人間の欲望と対峙しながら、具体的な政治課題を解決していくことは果たして可能か」といった壮大な課題に取り組み続けた人生でした。その精髄が込められた「獄中からの手紙」を読み解くことで、「宗教と政治の本来の関係とは?」「自分の欲望とどう向き合うのか?」「非暴力は現実に立ち向かえるのか?」といった現代にも通じるテーマを深く考えていきます。

○NHKテレビテキスト
「100分 de 名著」獄中からの手紙 2017年2月(2017年1月25日発売)
欲望から自由になれ
よいものはカタツムリのように進むのです。


 


【名著】
『獄中からの手紙』ガンディー/著 森本達雄/訳 岩波文庫 2010/7/17


 


【指南役・中島岳志さんの著作】
『ガンディーからの<問い> ―君は「欲望」を捨てられるか』 日本放送出版協会 2009.11
―2008年12月放送『NHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』「マハトマ・ガンディー 現代への挑戦状」番組テキストに加筆、禅僧・南直哉さんとの対談を終章「ガンディーの〈問い〉を考える」として追加したもの。


 


 ●ガンディーのイメージ


実は、ガンディーと言えば(私の世代では、「ガンジー」の方が馴染みがありますね)、もちろん「インド独立の父」として「マハートマ」と呼ばれる人権擁護派の民族解放運動の指導者として有名なわけですが、私としては、ソロー⇒ガンディー⇒キングといった「非暴力不服従主義」の歴史的な流れのなかの一人といった印象を持っていました。
ソローを敬愛する私にとっては、そういうふうな見方に傾いてしまいます。


『平和をつくった世界の20人』(岩波ジュニア新書)などはそういう流れの本のように思います。
「第Ⅰ部 非暴力を選ぶ」では、ソローに始まり、ガンディー、キング、アンデルソン・サー(ブラジルのミュージシャン)と続いています。
(ソローをイギリスに紹介したソローの伝記本の著者ソルトも登場しています。
 イギリスに留学した時、ガンディーは母の教えを守り菜食主義者で、菜食主義者のソルトの本を読み知り合いになっているそうです。)


今回初めて『獄中からの手紙』を読み、その他のガンディーに関する本をいくつか読んで、必ずしもそうではないことを知りました。


特に、政治家(政治運動家)的なガンディーではなく、宗教家としてのガンディーが感じられました。


今回、本書巻末の訳者・森本達雄さんの解説によりますと、政治がらみで服役中の刑務所からの手紙ということで、政治に絡む議論を避けたため、宗教色の強い内容となったといいます。
しかし、当然そういう制限があったとはいえ、やはりガンディーのめざすもの、思想の中心にあるのは、信仰に基づくストイックな生き方にあるということでしょう。


宗教の根本にある真理に基づく政治をめざした、ということのようです。


 


 ●『バガヴァッド・ギーター』について


以前、私のメルマガ『楽しい読書』でインドの古典を取り上げた際、『バガヴァッド・ギーター』も紹介しました。
2014(平成26)年4月30日号(No.126)-140430-「生き方の秘訣-古代インドの宗教詩編-『バガヴァッド・ギーター』」


このとき、『ギーター』がガンディーの愛読書であることをしりました。


『ギーター』は、インドの二大英雄叙事詩『マハーバーラタ』のなかの一章です。
『ギーター』の訳者・上村勝彦さんはこう書いています。


『マハーバーラタ』は人間存在の空しさを説いた作品である。... しかし、作中人物たちは、自らに課せられた苛酷な運命に耐え、激しい情熱と強い意志をもって、自己の義務を遂行する。この世に生まれたからには、定められた行為に専心する。これこそ『ギーター』の教えるところでもある。》『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦/訳 岩波文庫「まえがき」 p.16

 


ガンディーが『ギーター』から学んだものは、こういうところかと思います。


自己の義務(ダルマ)の遂行は、不完全でも、よく遂行された他者の義務に勝る。本性により定められた行為をすれば、人は罪に至ることはない。(47)
何ものにも執着しない知性を持ち、自己を克服し、願望を離れた人は、放擲(ほうてき)により、行為の超越の、最高の成就に達する。(49)》『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦/訳 岩波文庫 第18章 p.137

 


インド人の哲学者アニル・ヴィディヤーランカール氏の著作『ギーター・サール バガヴァッドギーターの神髄』(長谷川澄夫/訳 東方出版)には、


... ギーターは、一般にはヒンドゥー教の聖典と認められているが、それは正しくない。ギーターで説かれている宗教は、世界の全ての人々のためであり、我々はそれを普遍宗教という名で呼ぶことができる。》p.196

とあります。


 


 ●本書の内容


1930年の「塩の行進」ののち投獄された時に、サッティヤーグラハ闘争の拠点アーシュラム(修道場)の同志たちに書き送った、信条や戒律に関する論文です。
以下の15通の手紙と釈放後、雑誌に発表された論文からなります。


1.真理
 ――サティヤー(真理)の他には何一つも存在しない。神は一つ、それぞれの人に合わせて違った姿で現われる。
2.アヒンサー=愛
 ――アヒンサーとは「不殺生」「不傷害」の意。政治闘争の場での「非暴力」の意味に用いた。(訳者注)
   アヒンサーの道は剣の刃渡りに似ている。肉体の限界を認識しつつ、日々、力の限り理想に向って精進する。
3.ブラフマチャリヤ=純潔・禁欲・浄行
 ――完全なブラフマチャリヤ(無私)なくして、アヒンサー(あまねく万人への愛)の成就はあり得ない。
4.嗜欲(味覚)の抑制
 ――いかに困難であろうと、理想に到達しようと不退転の努力をすること⇒人間生存の目的。
5.不盗(アステヤ)
 ――最高の真理はそれ自体で存在する。真理は目的であり、愛はそこに至る手段。
6.無所有即清貧
 ――不盗に関連する。富者は知足の精神を広めるよう、率先して無所有を励行する。
   完全な自己放棄の理想に到達し、肉体が存続する限り奉仕する。奉仕が生命の糧。
7.無畏
 ――「無畏」とは恐れなきこころ、真勇を意味する(訳者注)。
   真理を求め、愛を心に抱き続けるためには、無畏をなくす。
8.不可触民制の撤廃
 ――嗜欲の抑制同様、新しい戒律。不可触民のみならず、あらゆる生きとし生けるものを己の命のように愛することで成就する。
9.パンのための労働
 ――トルストイの言葉「人は生きるために働かねばならない」。
   パンのための労働は、非暴力を実践し、真理をあがめ、ブラフマチャリアの戒律を自然行為たらしめようとする人にとって、真の喜び。
10.寛容即宗教の平等(一)
 ――樹の幹は一つでも枝葉が無数にあるように、真の完全な宗教は一つ。
11.寛容即宗教の平等(二)
 ――他の宗教のどの聖典にも同じ基本的な精神性を見出した。双方が互いの見解の違いを宥恕(ゆうじょ)する。
12.謙虚
 ――検挙は戒律になりえない、アヒンサーに不可欠の条件。謙虚は人間性そのものの一部。
13.誓願の重要性
 ――誓いを立てるのは、不退転の決意を表明すること。
   古今東西の人間性についての経験は、不撓の決意なくして進歩は望めないことを物語る。
   世のビジネスはすべて、人は約束を守るものだとの想定の上に成り立っている。
14.ヤジュニャ=犠牲
 ――報酬を望まずに行う他人の幸福にささげる行為。強力な信仰心が必要。
   「おまえ自身のことは、いささかも思いわずらうな。いっさいの悩みを神に委ねよ」―すべての宗教の訓(おし)え。
15.ヤジュニャ(承前)
 ――自己犠牲の生活こそは芸術の最高峰、真の喜び。
   純粋(まこと)の献身は、無条件に人類への奉仕に生命をささげるもの。
16.スワデシー=国産品愛用
 ――私たちに課せられた法(のり)〔行動規範〕。
   国産品愛用主義は、純粋なアヒンサー〔愛〕に根差した無私の奉仕の教理。


 


これらに示されているガンディーの厳しい戒律や考えは、一に己に対してであり、二にアーシュラム(修道場)のメンバーに対するもので、一般人に対するものではありません。
また、ここで、考えておくべきことは、インドの、ヒンドゥーの社会に於ける文化的な背景です。


輪廻という考えがあります。
日本にも仏教を通して伝えられています、六道輪廻というものです。
天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄と人は死んでも生まれ変わる(輪廻転生)。


輪廻というものは、言ってみれば、一生を回し車のなかで走り続けるハムスターのようなものかもしれません。
そう見なせば輪廻し続けるのは苦痛でもあり、その輪廻を抜けるためには修行をし悟りをひらけばよい、そうすれば輪廻を抜ける(解脱)ことができるというのです。


 


ガンディーが死を恐れず断食に挑むのは、ある意味で、死んでもまた生まれ変われる、善行を積んで死ぬ時は、地獄に落ちるのでも畜生に生まれるのでもなく、また人間に、あわよくば天に生まれ変われるかもしれないから、という見方もできるのです。


また、ガンディーの戒律の厳しさも、ヒンドゥーの上位カーストの「再生族」の男子の理想の生き方である四住期――師についてヴェーダ聖典や宗教を学ぶ学生期、結婚し家長となり子を育て一般社会人として活躍する家住期、家庭的社会的な務めを果たし終えると人里を離れ、森に入り修行をする林住期、そしてすべてを放擲し遍歴を続け解脱を求める遊行期を迎える――の先にあると考えることもできます。


そういう背景を考えますと、このような厳しさも、われわれの考えるものほどではない、とも言えるでしょう。
もちろん、厳しい内容であることは事実ですけれど。


理想の先に勝利があると考えられるならば、この戦いも難しいものではないのかもしれません。


 


 ●宗教について


私が一番興味深く読んだのは、宗教の根本は一つだということ。


宗教には、キリスト教やイスラム教、仏教、ヒンドゥー教等様々あるけれども、それらの根源は一つであり、それぞれの人びとに合わせて異なる姿を示している、という考え方です。


ちょうど一本の樹は幹は一つですが枝葉が無数にあるように、真(まこと)の完全な宗教は一つですが、それが人間という媒体をとおして表されるときには多となるのです。》「10.寛容即宗教の平等(一)」p.70

わが家は真言宗ですが、法事の際にお坊さんの法話で、山の頂上は一つでもそこまで登る道はいくつもある、そのようにそれぞれの宗教や宗派もめざすものは同じでも行く道は異なるものだ、ということでした。
(このお話について、『ガンディーからの<問い>』のなかで、ガンディーのたとえ話の一つとして紹介されていました。)


弘法大師空海の密教によりますと、(ごくいい加減な表現になっているとは思いますが、簡単にいえば)大日如来という根本仏があり、他の仏は皆その化身で、それぞれの人びとに合わせて姿を変えて現れたものだ、といいます。
ブッダ(お釈迦様)は、聴く人の能力や素質に合わせて、その時々の状況に合わせて教えを説いた(対機説法)といいます。
それと同じ発想で、その延長線の考え方でしょう。


印パの分離独立につながった宗教的な対立の問題に関して、ガンディーの言わんとするものも、正にそういうものではないか、という気がします。


その辺のお話が私の興味を惹くポイントでした。


岡倉天心は、インドの人と世界宗教会議のようなものを催したと聞きます。
世界の諸宗教をまとめようという、そういう背景となる何かがインドの人たちの中にあるのかな、という気がします。


 


 ●多神教と一神教


『ガンディーからの〈問い〉』の対談で、禅僧の南直哉さんは、ガンディーの主張に反論することになるかも、と言いながら《「諸行無常」と「絶対神」が同じ頂上に至るわけがない。そんなのは幻想です。》(p.179)とおっしゃっています。
確かに理念的に頂上を究めて行こうとすると、そうかもしれません。


しかし、出発点的に人間が幸せに生きてゆくにはどうすればいいのか、といった――一種「地べたの真理」とでもいうのでしょうか――そういったものを見つめる時、様々な宗教にある黄金律(ゴールデン・ルール)には、共通した項目が見られるのも、現実です。
そこには共有できるものがあるのではないか、という気がするのです。


南さんも、宗教同士が《もし本当に協力し合いたいなら、「共通の真理」じゃなくて、「共通の問題」を見出さなければいけない。それによって折り合えるんです。》(p.182)とおっしゃっています。
これがそれにあたるのでしょう。


 


一神教と多神教的なヒンドゥー教や仏教との違いは、確かに相いれない部分があります。


多神教的な世界の人々から見れば、一神教の神の存在の絶対性というのは理解しがたいですし、逆に、一神教の人々からみれば、他の宗教は邪教以外の何ものでもなく、他の神の存在は悪魔以外の何者でもないわけで、受け入れがたいものがあるでしょう。
それをいっしょくたにされたら、信仰が成り立ちませんから。


密教の大日如来の発想もキリスト教の影響だとも言われているようです。
それでも、基本的に多神教的な風土があるので、その枠組のなかで納得できる解釈が成り立つのでしょう。


岡倉天心の世界宗教会議といったものも、多神教的な世界に生きているインドの人たちには共感されたようですが、他の国の宗教人からは今一つだったようです。


 


 ●足るを知る


ガンディーもソローも、知足(足るを知る)という『老子』等の中国の古典に出てくる考えと同じように、過度な欲望が人の心を狂わせたり、迷わせたりする、だから、必要以上のものを欲するな、欲望をコントロールせよ、ということを教えたのだと思います。
そういう点では同じ思想です。


ガンディーが鉄道のような近代文明を否定したとも言います。


これもソローは『ウォールデン 森の生活』で、歩いて一日かかる移動を鉄道なら一時間に短縮できるかもしれないが、その料金を払うために一日働かねばならないのなら、自分は歩いてゆくというふうに書いています。
また、毎朝一杯のコーヒーを楽しむ生活の豊かさを得るために、余計な労働を強いられるのなら、目の前にあるおいしい自然のままの水を楽しめばよい、とも書いています。


 


ガンディーの教えというものがあるとすれば、それは、人権侵害や民族の分裂、あるいは他民族の支配からの解放や宗教の衝突など様々な問題の源は、すべて過度な欲望(物欲であれ名誉欲であれ)に振りまわされている人間の心にある、ということでしょう。
大事なことは、人生の真実を知ることであり、物事の真理を究めること――それがどんなに難しいことであって、諦めることなく努力し続けよ、ということ教えではないでしょうか。


 ・・・


さて、中島さんはどのように読み説いて下さるのでしょうか。
楽しみにしています。


 


【『バガヴァッド・ギーター』に関する本】
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦/訳 岩波文庫 1992/3/16
―学術的にも定本となっている感の一書。訳注・解説が豊富。『バガヴァッド・ギーターの世界』と併読すると理解しやすいか。


『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』上村勝彦/著 ちくま学芸文庫 2007.7.10
―NHKラジオ文化セミナーのテキストを基にした1998年NHKライブラリー版の文庫化。『マハーバーラタ』中の一巻である『バガヴァッド・ギーター』の解説書。仏教との比較で理解を誘う。


『ギーター・サール バガヴァッドギーターの神髄』アニル・ヴィディヤーランカール/著 長谷川澄夫/訳 東方出版 2005.7.11
―『ギーター』700詩編から150詩編を選び、サンスクリット語原文・カタカナ読み・和訳・解説・原語フレーズを添えて、『ギーター』のエッセンスを、心の問題として生き方の助言を解説する。
CD付き・改訂新版 2007/10/10


【その他の関連書】
『平和をつくった世界の20人』ケン・ベラー&ヘザー・チェイス/著 作間和子、淺川和也、岩政伸治、平塚博子/訳 岩波ジュニア新書 2009/11/21
―1 非暴力を学ぶ 2 平和を生きる 3 多様性を大切にする 4 あらゆる命を重んじる、5 地球環境を大切にする、の5部。ソロー、ガンディー、キング、マザー・テレサ、シュヴァイツァー、レイチェル・カーソン等々の生き方と言葉を紹介。


 


『M.K.ガンディーの真理と非暴力をめぐる言説史 ヘンリー・ソロー、R.K.ナラヤン、V.S.ナイポール、映画『ガンジー』を通して』加瀬佳代子/著 ひつじ書房(シリーズ文化研究2) 2010.2
―ソロー⇒ガンディー⇒キングといった非暴力の思想の〈歴史的事実〉に関して、ガンディーの非暴力の思想が、ヘンリー・D・ソローの影響を受けたものかについてのくだりを興味深く読んだ。
 ガンディーがイギリス留学時、菜食主義者のソローの伝記の著者であるソルトと出会っているという事実はあるが、ガンディーがソローの「市民の抵抗」を読んだのは、1907年だという。
 ガンディーのイギリス留学は3年で、その後南アで初めて人種差別に合い、人種差別と闘うことになるのであり、留学当時にソルトからソローのことを聞いていた可能性はあっても、そのシンプルライフの思想には関心を持ったとしても、市民的不服従の考えと行動に興味を持ったかどうかは何とも言えません。


 


『ウォールデン 森の生活(上下)』ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 今泉吉晴/訳 小学館文庫 2016/8/5
―2年間ウォールデン池のほとりの小屋での自給自足の生活実験から導かれた省察録。


 



 


『市民の反抗―他五篇 』ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 飯田実/訳 岩波文庫 1997/11/17
―誰にでもできるけれど誰もやらなかった抗議行動を語る、市民的不服従の講演録「市民の反抗」他エッセイ5編。


 



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2016.05.01

人に勝つ兵法の道-宮本武蔵『五輪書』NHK100分de名著2016年5月

NHK『100分de名著』2016年5月は、宮本武蔵「五輪書」です。

今回初めて読んでみました。

以前から書名は知っていました。
薄っぺらい本だということも。
読む気になれば、すぐに読めると高をくくって、今まで読まずにいたというところです。

今回読んでみますと、色々なことが分かりました。
また著名な古典といえども、色んな見方があるものだと、改めて認識させられました。

 ・・・

名著54 五輪書 第1回 5月2日放送 兵法の道はすべてに通じる
「兵法は全てに通じる」と説く宮本武蔵独自の兵法論を学ぶことで、現実社会を生きる私達にも通じるメッセージを読み解いていく。
第2回 5月9日放送 自己を磨く鍛錬の道
「水の巻」に即して、「自己鍛錬の方法」「専門の道を極める方法」を学んでいく。
第3回 5月16日放送 状況を見きわめ、活路を開け!
戦い方の根本を説く「火の巻」から、現代のビジネスやスポーツ等の分野にも応用できる「状況を見極め、活路をひらいていく方法」を読み解いていく。
第4回 5月23日放送 己が道に徹して、自在に生きよ!
武蔵が「少もくもりなく、まよひの雲の晴れたる所」と表現する「空」のあり様を明らかにし、「より大きなところから自分自身を見つめる視点」や「偏りや歪みから解き放たれた、自在なありよう」がどんなものかを学んでいく。

【講師】魚住孝至(放送大学教授)
【出演】チョウ・ヨンホ(俳優)
【司会】伊集院光,礒野佑子
【語り】山本美穂,【声】宇垣秀成

 

「プロデューサーAのおもわく。」より

「五輪書」は、単に剣術や兵法の書にとどまりません。武蔵自身「何れの道においても人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道なり」と書いている通り、その極意は、社会のあらゆる道にも通じるものであるといいます。... 番組では魚住さんを指南役として招き、「五輪書」を、宮本武蔵の生き様を交えながら、分りやすく解説。武蔵の思想を現代社会につなげて解釈するとともに、現代の私たちが生きていくためのヒントを読み解いていきます。

 

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
宮本武蔵「五輪書」 2016年5月
独りの道を貫け!
己を磨き続ければ、自在な境地へと達する。

 

 

【講師・魚住 孝至さんの著作】『宮本武蔵「五輪書」 ビギナーズ 日本の思想』宮本 武蔵 魚住 孝至 角川ソフィア文庫 2012/12/25

 

 

『宮本武蔵―「兵法の道」を生きる』魚住孝至 岩波新書 2008/12/19

 

 

【私が読んだ本】 『五輪書』宮本武蔵/著 渡辺一郎/校注 岩波文庫 1985/2

 

 

『実戦 五輪書』柘植久慶/著 原書房 1994
―冒頭に著者が『五輪書』の梗概とみなす「兵法三十五箇条」を置き、その後本編を原文・現代語訳・著書解説で示す。
 剣術経験はないが、ナイフによる“二刀流”の格闘実戦の経験から、武蔵の剣術及び兵法の要点を解き明かす。

 

 

 ●意外に悪評もある古典

『五輪書』について色んな人の本を見ていますと、毀誉褒貶といいますか、「あの本は中身がない」とけなす人もあり、剣豪の書いた古典として名著だという人もあり、と従来の古典のイメージとはずいぶん異なった印象を受けました。

従来古典の名著と言いますと、人により好き嫌いから好悪の評価が分かれることはありますが、これほど著作そのものの価値評価が分かれる例は存知ません。

これはどういうことなのかと自分なりに読んでみますと、「はは~ん」と思うところがあります。
一つは、やはり具体的な記述よりも、精神論的な、基本中の基本といった抽象論的な部分、これは言葉では言い表せないといった記述がある、ということです。

言葉では言い表せない、文章では書けない、といった記述が何カ所か見られます。
例―

一流の太刀筋、此書に書き顕はすもの也。此道いづれもこまやかに心の儘(まま)にはかきわけがたし。》「水の巻」
此儀濃(こま)やかに書分けがたし。》「火の巻」<一 三つの先といふ事>
さまざま心のゆく所、書付くるにあらず。》「火の巻」<一 つかをはなすといふ事>
今初而(はじめて)此利を書記す物なれば、あと先とかきまぎるる心ありて、こまやかにいひわけがたし。》「火の巻」
(岩波文庫『五輪書』渡辺一郎/校注より)

というように再三書かれていて、確かに言葉では言い表し難いことも多いとは思いますが、そうはいってもそこを表現するのが著作というものでしょう、という気もします。

もう一つは、やはり読む側の期待値というものが非常に高いという面があり、それに比較するとどうなんだ、という問題があるのでしょう。
なんと言いましても宮本武蔵と言えば、「巌流島の決闘」や京都・一乗寺下がり松での兵法家・吉岡一門との戦い等を思い起こす、生涯無敗の剣豪ですので、その奥義をしたためた書となりますと、おのずから期待も高まるものです。

ところが、一対一の戦いよりは、もっと大きな集団の戦いについて書いていたり、どうも剣術の本というより「兵法の書」になっているわけです。
また、剣術指南書というより、心の持ち方やものの学びについての抽象的・精神論的な大きなくくりの書になっています。

具体的な記述もあるのですけれど、(例えば、「水の巻」での刀の持ち方や構えといったこと等)、全体に心構えの重要性を述べたり、鍛練を求める言葉で締めくくったり、これは書き著せないので口伝するとしたり、今一つすっきりしない面もあります。
こういったところが評判を下げる要素なのかな、という気がします。

口伝となる部分は、理解できます。
人により体格も力量も違い、経験も理解力も異なります。
戦いの場も状況も様々であり、そこに共通して通用する何か魔法のような極意や秘伝があるとは思えません。
ケース・バイ・ケースで、マン・ツー・マンでなければ伝えられないものがあるはずです。

全体を通じていえば、未完成?な部分(「空の巻」には具体的な解説がありません。これは元々「ない」のか、あるいは「空」=「無い」の意なのか)もあり、写本自体の精度が悪いのか(私が読んだのは、いわゆる細川家本による)、はたまた元々名文家ではなかったのか、文人といわれる著述家の先生方から見れば、言葉遣いや言い回し等にものの足りなさを感じるところがあるのかもしれません。

 

 ●まことの兵法の道とは

講師の魚住さんの著作『宮本武蔵―「兵法」の道を生きる』によりますと、武蔵は『五輪書』以前に、いくつかの剣術書を書いているようで、『五輪書』は必ずしも今私が上に書いたような若書きのような著作ではなさそうです。

24歳で円明流という一流をたて、『兵道鏡』という剣術の奥義書を書いて、有力な弟子に与えていたそうです。
その後、29歳で例の巌流島での佐々木小次郎との決闘に勝ち、それ以後「天下一」の剣豪として、決闘の類は辞め、兵法の道を究める方向に進んだようです。

剣術だけでなく、書や画、茶の湯等広く教養を身に付けていった、と言います。

そして50代に入り、弟子の稽古の備忘録として書かれた14カ条のもの(魚住さんがいうところの『兵法書付』)があり、それは『兵道鏡』をさらに一歩進めたものでした。
60歳を前にして武蔵は、熊本・細川家の客分となり、『兵法三十五箇条』を藩主に呈上します。

これらは、のちの『五輪書』に通じるものでもあったと言います。

このように、『五輪書』にはその前身となる剣術書の類があり、それらを下敷きに死を目前にした武蔵が己の求めてきた兵法の道を窮める一書に仕立て上げた、というのです。

武蔵が求めたまことの兵法の道とは何か。
それが『五輪書』にしたためられているのです。

「武士道とは、死ぬことと見つけたり」といった言葉がありましたが、武蔵は死ぬことは武士でなくても誰にでもできることであり、本当の兵法の道とはそうではなく、

... 先(ま)づ、武士は文武二道といひて、二つの道を嗜む事、是(これ)道也。縦(たと)ひ此道ぶきようなりとも、武士たるものは、おのれおのれが分際程は、兵の法をばつとむべき事なり。... 武士の兵法をおこなふ道は、何事におゐても人にすぐるゝ所を本とし、あるいは一身の切合(きりあい)にかち、あるいは数人の戦(たたかい)に勝ち、主君の為、我身の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是、兵法の徳をもつてなり。... 何時(いつ)にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにおしゆる事、是兵法の実(まこと)の道也。》「地の巻」

(1)文武両道を備えるように努め、(2)不器用でも自分なりにできる限り努力し、(3)何事においても人に優れ、(4)切り合いに勝ち戦いに勝ち、(5)名を上げ身を立てること、すなわち「人にまさる」を目指して「朝鍛夕練」――日夜精進することだ、と言います。

 

 ●人にまさる

『五輪書』から印象に残った部分を書いてみます。

 ・・・

「地の巻」冒頭、武蔵は兵法を大工にたとえています。(<一 兵法の道、大工にたとへたる事>)

大将は大工の統領だ。
大工の統領は設計から材料選び、人の配置まで心を配って建物を作る。
士卒は大工だ。
自分で道具をどぎ、その道具を駆使して仕事を仕上げる。
兵法も同じだ、と。

そして「地の巻」の最後に、9カ条の兵法の道を行なう法を述べます。
第一に、よこしまになき事をおもふ所
第二に、道の鍛練する所
第三に、諸芸にさはる所
第四に、諸職の道を知る事
第五に、物毎(ものごと)の損得をわきまゆる事
第六に、諸事目利を仕覚ゆる事
第七に、目に見えぬ所をさとつてしる事
第八に、わづかなる事にも気を付くる事
第九に、役にたゝぬ事をせざる事

ひと目見れば分かりますように、正に基本的な事柄ばかりです。

何事にも気を配り、教養を身に付け、視野を広げ、ムダなことはせず、鍛練に励む。
誰でもその気になればできることでもあります。
そうは言ってもそれを究めるとなると、また話が別です。

「人に勝つ」ということは、「人よりもまさる」ことだというわけです。

 

 ●「勝つ」ということ「切る」という思い

武蔵は、まず兵法とは「敵に勝つ」こと、二天一流の目的は「敵を切る」ことだと明確に記しています。
「勝つ」

何(いずれ)にても勝つ事を得る心、一流の道也。》「地の巻」<一 此一流、二刀と名付くる事>
此法をおこなふ事、武士のやくなりと心得て、けふはきのふの我にかち、あすは下手にかち、後は上手に勝つとおもひ、... 一身を以て数十人にも勝つ心のわきまへあるべし。》「水の巻」
剣術実(まこと)の道になつて、敵とたゝかひ勝つ事、此法聊(いささ)か替る事有るべからず。我兵法の智力を得て、直(すぐ)なる所をおこなふにおゐては、勝つ事うたがい有るべからざるもの也。》「火の巻」
物毎(ものごと)に勝つといふ事、道理なくしては勝つ事あたはず。わが道におゐては、少しもむりなる事を思はず、兵法の智力をもつて、いかやうにも勝つ所を得る心也。》「風の巻」<一 他流におゐて、つよみの太刀といふ事>

「きる」

敵をきるものなりとおもひて、太刀をとるべし。》「水の巻」<一 太刀の持ちやうのこと>
いづれのかまへなりとも、かまゆるとおもはず、きる事なりとおもふべし。》「水の巻」<一 五方の構の事>
先(ま)づ太刀をとつては、いづれにしてなりとも、敵をきるといふ心也。》「水の巻」<一 有構無構のおしへの事>
唯人をきりころさんとおもふ時は、つよき心もあらず、勿論よはき心にもあらず、敵のしぬるほどと思ふ義也。》「風の巻」<一 他流におゐて、つよみの太刀といふ事>

何事に置いても、目的をしっかりと持つことが重要です。
ゴールをしっかりと見極められないと、何をしていいのか分かりません。

武蔵は、「人をきる」こと、「敵に勝つ」ことを根本に置いて話を組み立てています。
その辺がこの書が明快なものにしている点でしょう。

反面、そのためなら手段を選ばずといった姿勢も見られ、文人からは評判が悪いのかもしれません。

勝負において勝利を至上とする考えは、『孫子』の兵法にも通じる当然の戦略でもあると思うのですけれど……。

 

 ●心は空

「風の巻」で、他流との違いを書いています。
ここで、

我兵法のおしへやうは、初而(はじめて)道を学ぶ人には、其わざのなりよき所をさせならはせ、合点のはやくゆく理を先におしへ、心の及びがたき事をば、其人の心をほどくる所を見わけて、次第次第に深き所の理を後におしゆる心也。》「風の巻」<一 他流に、奥表といふ事>

といい、しかし、自分の教える兵法に特別な「奥口」はないといいます。

武蔵は、奥義や入口も構えの極意もない、ただ心の持ち方、兵法の徳をわきまえること、これが兵法における肝心なことだ、といいます。

我一流におゐて、太刀に奥口なし、構(かまえ)に極(きわま)りなし。唯心をもつて其徳をわきまゆる事、是兵法の肝心也。》「風の巻」

これが、最後の未完と思われる「空の巻」につながります。

空といふ心は、物毎のなき所、しれざる事を空と見たつる也。勿論空はなきなり。ある所をしりてなき所をしる、是則ち空也。... 武士は兵法の道を慥(たしか)に覚へ、其外(そのほか)武芸を能(よ)くつとめ、武士のおこなふ道、少しもくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ、少しもくもりなく、まよひの雲の晴れたる所こそ、実の空としるべき也。》「空の巻」

体力・精神力・知力など稽古や勉強を重ね、経験を積み、すべての面で人間力を磨き上げることが、勝つことにつながるという、宮本武蔵の言葉は、やはり思いものを感じます。

誰もが思いつくような当たり前のこと、基本中の基本かもしれませんが、それを言葉に書き著すことが大事です。
書いたものがあれば、時にこれを復習することができます。

頭の中で分かったつもりでいるとは、大きな違いがあります。
チェックするものがある事の重要さを認識しておくべきでしょうね。

フランクリンが『自伝』で書いているように、十三徳を表にして毎日チェックした、というのと同じです。
管理の際にリストと突き合わせてチェックしたり、巡回のたびにサインや印鑑を押したりするのと何でしょう。

 

 ●武道具は手にあふやうにあるべし

私が一番心に残った言葉は、

人まねをせず共、我身に随ひ、武道具は手にあふやうにあるべし。》「地の巻」<一 兵法に武具の利を知るといふ事>

道具は自分の身に合ったものを使え、という教えです。

私は左利きで、世の多くの道具は右利きの人が右手で使う、あるいは右構えで使うことを前提としたもので、その点でいつも物足りなさを感じています。

「物足りなさ」と少し穏やかな表現をしていますが、本当はもっと腹正しく憤りを感じています。
剣豪や士卒のように、直接命を賭けてる、命をやりとりしているわけではないのですが、実際に生活の不便さや時には身の危険にも発展する問題でもあるのですから。

道具は大切です。
自分に合ったものでなければ、色々と問題があります。

右利きの人は、もうそれだけで有利です。
ところが、自分が恵まれた存在であることをこれらの人の多くが意識していません。

恵まれた存在であることの自覚がないので、他の人の苦労が見えないのです。

原始時代は自分で使う道具は自分で作ったのでしょうね。
その時代の方がよかった、というつもりはありませんけれど、考え込んでしまう事実でもあります。

 ・・・

さて、今回はどのようなお話が展開するのか楽しみです。

 

「NHK100分de名著」カテゴリ:
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39 2017年7月放送:2017.7.3
ジェイン・オースティン『高慢と偏見』-NHK100分de名著2017年7月
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努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月

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2016.04.04

弱者(悪人)こそ救われる『歎異抄』NHK100分de名著2016年4月

NHK『100分de名著』2016年4月は、「歎異抄」です。

久しぶりに読んでいる名著の登場ということで書いてみます。

講師は比較宗教学者の釈徹宗さん。
著書など全く読んでいないのですが、どのように読み説かれるのか楽しみです。

名著53 歎異抄 第1回 4月4日放送 人間の影を見つめて
親鸞の人となりや弟子・唯円が「歎異抄」が執筆した背景を紹介しながら、人間の「影」を見つめ続けた親鸞の教えに迫っていく。
第2回 4月11日放送 悪人こそが救われる!
親鸞の思想の核心である「悪人正機」と「他力」という言葉に込められた深い意味を読み解き、自らの悪を深く自覚した人、社会の底辺で生きる弱者や愚者こそが救われるという、親鸞の教えの核心に迫っていく。
第3回 4月18日放送 迷いと救いの間で
唯円の反論を丁寧に読み解き、迷いと救いの間の緊張関係をたじろがずに受け止めていく親鸞の生き方を学んでいく。
第4回 4月25日放送 人間にとって宗教とは何か
「歎異抄」後序、流罪記録に記された親鸞の信仰人としての生き様を通して、「人間にとって宗教とは何か」を考えていく。

【講師】釈徹宗…相愛大学人文学部教授。比較宗教学者。
【出演】かもめんたる(お笑いコンビ)
【親鸞の声】志賀廣太郎(俳優)
【語り】小口貴子

「プロデューサーAのおもわく。」より

同じ信徒の中からも多くの「異義」が出され混迷を深めていた状況を嘆いた門弟の一人、唯円が、師・親鸞から直接聞いた言葉と、信徒たちによる異義への唯円自身の反論を記したのが「歎異抄」です。/... 比較宗教学者の釈徹宗さんは、「歎異抄」の最大の魅力は、「常識的な日本人の宗教観や倫理観とは相容れない表現が続出し、読む者をなかなか着地させてくれない」ところだといいます。/... なすすべもない苦悩や悲嘆に直面せざるを得ない現代、「歎異抄」を現代的な視点から読み直しながら、「自分自身の闇に向き合うというのはどういうことか」「思い通りにならない現実とどう向き合えばよいのか」といった実存的な問いを掘り下げ、「人間はどう生きていけばよいのか」という根源的なテーマを考えていきます。

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
歎異抄 2016年4月

■講師:釈 徹宗
信じる心は一つである
何もできないとわかるとき、親鸞の言葉が浮き上がる
■今月のテーマ
絶対絶命の時に浮上する言葉
『歎異抄』に収められた親鸞の言葉と、苦悩と矛盾に満ちたその生涯から、現代社会を生きるためのヒントを探る。

【講師・釈 徹宗さんの著作】
『図解でやさしくわかる 親鸞の教えと歎異抄』釈 徹宗/著 ナツメ社 2012/8/11

 ・・・

『歎異抄 ―現代語版― 浄土真宗聖典』浄土真宗教学研究社 浄土真宗聖典編纂委員会/編纂 本願寺出版社(1998)
―真宗本願寺による、現代語版『歎異抄』。訳注、付録・蓮如上人書写本(カタカナ文)。読みやすい現代語訳。

『歎異抄 現代語訳付き』親鸞/述 千葉乗隆/訳註 角川ソフィア文庫 新版(2001)
―十条までの親鸞の法語を前篇とし、十条後半を後篇への序文とし、十一条の異義への批判を後篇とする。原典に訳注・要旨を添えた前半と読みやすい現代語の後半の二部構成。

『歎異抄』梅原猛/著 講談社学術文庫(2000)
―梅原『歎異抄』研究の原点。本文各条(原文・訳注・こころ=要旨および解説)、巻末解説。大活字版。元本は1970年発行。

『出家とその弟子』倉田百三/作 新潮文庫 改版(2003)、岩波文庫(1990)
―大正6年発表、倉田百三26歳の戯曲。そのせいか、後半の若き僧唯円の恋の悩みを巡る親鸞とのやり取りが主なテーマとなっている。個人的には、冒頭の唯円幼少時、その父と親鸞の悪人と往生に関するやり取りは、興味を持って読んだが、後半はややセンチメンタリズムに落ちている感じがするのが、残念。

 ・・・

『歎異抄』については、以前メルマガ『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』で取り上げています。
今回はその一部を転載し、加筆修正して紹介にかえましょう。

2008(平成20)年8月31日号(No.9)-080831-『歎異抄』弱きを救う阿弥陀さま

 

 ●『歎異抄』

日本の仏教のなかで最も知られている著作『歎異抄』――。

この本は、今でこそ最もよく知られる、よく読まれる宗教書、仏教書の一つでありますが、広く世間に知られるようになったのは、明治の半ばすぎのことで、百年ほど前の話だそうです。

浄土真宗の僧侶で西洋哲学を学び、宗門改革に尽力した清沢満之(きよざわ・まんし)が“発掘”し、その影響を受けた人たちによって注目されるようになったといいます。

特に、倉田百三の戯曲『出家とその弟子』(大正六年刊)があまねく日本人に知らしめるのに大いに役立ったのではないか、と梅原猛はその著書の中で書いています。
(『梅原猛著作集9・三人の祖師』小学館 2002「『歎異抄』と本願寺集団」371-372p)

この書物は、親鸞の死後、その教えを誤って伝える信者が増えたことを嘆いた直弟子、唯円(ゆいえん)が本当の親鸞の教えを伝える目的で、自分自身が直接聞いた親鸞の言葉をまとめたもの、といわれます。

しかるに、そういう経緯から書かれたこの書物が宗門においてもなぜ秘せられていた(といわれている)のか、その理由の一つが悪人正機説にある、とされています。

浄土教の流行がわが国におよぼした影響は大きい。中でも浄土真宗は、親鸞自身の意図とは別に、思いがけない方面に影響した。自力の拒否、戒律の放棄は独善的な、閉ざされた教団を成長させた。.../また一般に浄土教は現実逃避の傾向が強い。日本人が正面から現実の問題と取組むことを回避する態度を助長したのも、浄土教であった。したがって封建的勢力に協力し、社会の近代化を妨げた責任の一端もここにある。...》(渡辺照宏/著『日本の仏教』岩波新書(1958)「III さまざまな流れ/アミダ信仰」204p)


浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけで極楽浄土にゆけるという教えは、末法の世に生きる恵まれない境遇にある者にとっては、救いであったでしょう。

人間は弱いものです。
弱い者には逃げ場所が必要です。
その逃げ場所を提供してくれる阿弥陀さまは、まさに救いです。

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」(第三条)
「善人ですら極楽浄土へ行くことができる、まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか。」
》(『梅原猛著作集9・三人の祖師』小学館 2002 「現代語訳『歎異抄』」梅原猛/訳 647p)

  

 

 ●悪人

「悪人」の本来の意味としては、
杉浦明平(すぎうら・みんぺい)さんが『歎異抄 古典を読む』(岩波現代文庫 2003、「3 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」42p-)に書いておられるように、
殺生や肉食妻帯を禁じる等の仏教の戒律を守れない人々――山で獣や鳥を撃つ猟師、海や川で貝や魚を獲る漁師、酒を売る商人といった人たち。

さらにいえば、田畑で作物を取る農民も生き物を殺しているわけですし、当然それを食べる人間はみな同じ穴の狢です。
酒以外のものを作ったり売ったりする職人や商人も銭金にこだわるわけで、これも戒律からは外れているでしょう。
あるいは、肉欲に負けた一般庶民などの凡夫たち。

これらすべてをさし、現代的な(心も含めた)「犯罪者」を意味するのではない、のでしょう。

しかし、一歩進めて、現代的解釈であっても、「悪人」を責めるものではないように思います。

 

 ●いっとき逃げることが許されても良い

(たとえそれが言い訳であったとしても)“末法の世ゆえに仕方なく”悪事を働いた者が、悪人であってもお救いくださるという、阿弥陀さまのお力に頼ろうとすることは決して間違いではないのだ、という理屈は、弱い人間の心を強く打つものがあります。

確かに、現実逃避型の、現状肯定の思想であり、非改善・非改革の消極的な生き方ともいえます。

しかし、人間には時にそういう逃避的な生き方を選ぶ瞬間があってもよい、のではないでしょうか。

一時的にいじめから逃げるのも、一つの便法です。

同様に人生において、いっとき逃げることが許されても良い、のではないでしょうか。

 

故に、悪人でも、いや悪人ゆえに救われるという宗教家が現れてもいいはずです。

眼の前に救わねばならない人がいるならば、どのような手段を用いても救う、という行為もまた、宗教家の勤めであるような気がします。

もちろんその咎は、その宗教家自らがかぶることになりますが…。

 

 ●念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおはからひなり

さらにこの本の第二条の末尾で、教条について説明した後、

親鸞は、

「このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおはからひなりと云々。」

といいます。

なんとスゴイ言葉でしょう。
念仏を信じるのも捨てるのも自由です、あなたが自分で決めなさい、というのです。

当たり前といえば当たり前です。
しかし、弟子として信者として彼の言葉を求めてきた者に対して、こういう言葉で返す師。

これは並みの師ではいえない言葉でしょう。

第六条には、《「親鸞は弟子一人ももたずさふらう。」》と「私は弟子を一人も持っていません」とまで言い切るのです。

念仏を信じる人は親鸞自身も含めてみな、阿弥陀さまのお力にすがり、救っていただく同朋です、と。

理屈はその通りなんですが、あえてこう言う。

これほど平等、公正な師がいるでしょうか。
愚民凡夫といえども、人を人として扱ってくれる師が。

 ・・・

社会学者・上野千鶴子さんは、

「一時期この薄い文庫本をどこに行くにも持ち歩いていた。」

といいます。
なぜなら、

「慰めだったからである。」
「いつでも手の届く場所にあるだけで、安心である。」

(『図書』第697号 2007年4月臨時増刊 岩波文庫創刊80年記念「私の三冊」12p)

『歎異抄』とは、そんな存在の本なのです。

 

●法然と親鸞

法然が始めた専修念仏による浄土宗をさらに推し進めたのが、親鸞です。
法然の革新的な仏教をさらに人間的なものにした、という印象を持っています。

古今東西、宗教における救いといえば、まずは「悔い改めよ」から始まり、姿勢を正すことから入るものです。
しかし、親鸞は阿弥陀様の御慈悲にすがりなさいというだけです。

法然の他力は、既存の仏教の枠組の中での革新であり、基本的に真面目に念仏を唱えるという多少の自力的な要素が残っているように思えます。
しかし、親鸞の唱える絶対他力は、すべてを阿弥陀仏にゆだね、救いも含めてすべてをお任せする姿勢です。

また布教の在り方も、和讃といった庶民に受け入れられる形でやさしく説くなど、一般庶民に寄り添った姿勢が広い支持を得たのでしょう。

この機会にまた読んでおきたい古典です。

 

「NHK100分de名著」カテゴリ:
NHK100分de名著

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2016.01.04

真面目なる生涯~内村鑑三『代表的日本人』NHK100分de名著2016年1月

NHK『100分de名著』2016年1月は、内村鑑三「代表的日本人」です。


内村鑑三は、宗教家(無教会主義のキリスト教徒)で思想家です。
同じくキリスト教徒で思想家・教育家、国際連盟事務局次長として活躍し『武士道』の著者としても有名な新渡戸稲造とは、札幌農学校の同窓生でした。
『代表的日本人』は、そんな彼の代表的な著作の一つで、偉大な日本の先人たちを世界に紹介した日本人論です。


 


 


名著50・内村鑑三「代表的日本人」 第1回 1月6日放送 無私は天に通じる


西郷隆盛の生き方を通して、無私に生きるときに開かれる強さや自己を超えた大きな存在に寄り添う生き方の意味を考える。

第2回 1月13日放送 試練は人生からの問いである


上杉鷹山と二宮尊徳の生き方を通して、試練を好機に変えていく「誠意」の大事さを学んでいく。

第3回 1月20日放送 考えることと信ずること


中江藤樹と日蓮の生き方から、真摯に考えぬき真摯に信じぬいたからこそ得られる「ゆるぎない座標軸」の大切さを学んでいく。

第4回 1月27日放送 後世に何を遺すべきか


「代表的日本人」と「後世への最大遺物」をつないで読み解くことで、内村が私たちに何を遺し伝えようとしたのかを深く考えていく。

「プロデューサーAのおもわく。」


番組では、批評家の若松英輔さんを講師に招き、現代的な視点から「代表的日本人」を解説。現代に通じるメッセージを読み解き、価値感が混迷する中で座標軸を見失いがちな私達の現代人が、よりよく生きるための指針を学んでいきます。

【ゲスト講師】若松英輔…「井筒俊彦―叡智の哲学」「生きる哲学」「内村鑑三を読む」等の著作で知られる批評家。
【朗読】筧利夫(俳優)…映画「踊る大捜査線シリーズ」「THE NEXT GENERATION パトレイバー」等に出演。


 


○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
内村鑑三「代表的日本人」2016年1月 若松英輔 講師


西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮という『代表的日本人』の生涯を通して、内村鑑三はみずからの精神的自叙伝を書いた。講演録『後世への最大遺物』にも触れ、人生の意味を「継承される使命」のなかに見出す。生きがいなき現代の、迷える「魂」を救済する一冊。
人はみな「永遠」を生きる/真面目な生き様は、後世へと受け継がれる


 


【講師・若松英輔氏の著作】 『内村鑑三をよむ』(岩波ブックレット 2012/7/6)


 


 ●明治期の「三大日本人論」


明治時代、世界にデビューした近代日本。
その日本を世界に紹介した先人達がいました。


英語を駆使し、日本文化論・日本人論の名著を現した人たち――新渡戸稲造(1862~1933)『武士道 Bushido:The Soul of Japan』1900(明治33)年、岡倉天心(覚三)(1862~1913)『茶の本 The Book of Tea』1906(明治39)年、そして内村鑑三(1861-1930)の『代表的日本人 Representative Men of Japan』(『日本および日本人』Japan and The Japanese 1894(明治27)/1908(明治41)年再版時改題)。


これらは明治期の日本人による「三大日本人論」とも呼ばれます。


先の2著は、過去にこの番組で紹介済みです。


「武士道」2012年2月 「茶の本」2015年1月


*参照『お茶でっせ』記事:
2012.1.29
新渡戸稲造『武士道』日本的思考の根源を見る-「100分 de 名著」NHK 2015.1.5
小なるものの偉大~岡倉天心『茶の本』NHKテレビ「100分de名著」2015年1月



今回は、ついに「代表的日本人」が登場します。


(以下の文は、メルマガ『レフティやすおの楽しい読書』2009(平成21)年12月31号(No.29)-091231-『代表的日本人』内村鑑三―I for Japanの文章を元に、一部加筆修正しています。)


 


 ●挫折のなかから立ち上がる人


内村鑑三はキリスト教徒ですが、英文で書いたこの本で、世界の人々に向けて、世界における日本の地位を高める意味で書かれたものであり、かつ自身の日本人としての出所を示すものでもあったのでしょう。


内村鑑三は、『余は如何にして基督信徒となりし乎』のなかで、


... 人はその国を一歩出て個人以上である。彼は彼自身の中に彼の国民と彼の民族を担う。彼の言葉と行為はただ彼のものとしてだけでなく、彼の民族と彼の国民のそれとしてもまた判断される。かくてある意味では、異郷における滞在者はいずれも彼の国の全権公使である。... 》(鈴木俊郎/訳 岩波文庫 初1938,1993 「第七章 基督教国にて―慈善家の間にて」p.128より)

と述べています。


自分の言葉により、極東の野蛮国と目されていた日本が、世界に誇り得る文化を持ち、優れた人物を輩出した国であることを、世界中に知らしめるために書かれたものである、という事実がわかるでしょう。


 


西郷隆盛(1827-77)、上杉鷹山(1751-1822)、二宮尊徳(1787-1856)、中江藤樹(1608-48)、日蓮上人(1222-82)
この五人を日本人の代表として取り上げ、それぞれの小伝とともに、彼らがいかに優れた精神の持ち主であり、辺境の国に生まれ、異端の教えを受けたものであっても、決してキリストの教えを受けたものに負けない気高い精神を持ち、精進を重ねた聖人であることを紹介します。


彼らの多くは、後に新渡戸稲造『武士道』によって示されるような武士道精神に則った人物であり、彼らの信奉した武士道精神は、内村に言わせれば、キリスト教信徒となる礎―接ぎ木の台木となりうるもの、あるいは、それ以上であったのです。


さらに、日蓮上人に対しては、世に受け入れられぬ自らの信仰とその社会との戦いを投射し、自らを鼓舞しているように思われます。
ただし、内村鑑三はこう書いています。


戦闘的でない日蓮、これが我々の理想とする宗教家である。》(『代表的日本人』「仏僧 日蓮上人/八 人物評」p.191より 岬龍一郎/訳 PHPエディターズ・グループ 2009)

 


彼は、アメリカ留学や帰国後の教育勅語不敬事件など様々な挫折を経て、そのたびに立ち上がり、より良き日本、よりよき社会の実現のために、己の信じるところのキリスト教布教の社会活動を続けました。


彼は墓碑銘として、以下の言葉を遺しています。


余は日本の為め I for Japan;
日本は世界の為め Japan for the World;
世界は基督の為め The World for Christ;
基督は神の為め也 And All for God;

また内村鑑三は、講演録「後世への最大遺物」には、こんな言葉を残しています。


アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したい

 


今日、世界の中で日本が、そして日本人に何ができるか、を問われている時代でもあります。


それは、我々日本人一人一人の生き方を問われているとも言えます。


そんな私たちに、内村鑑三はどんな言葉を残してくれたのでしょうか。
改めて考える時期に来ているのかもしれません。


 ・・・


若松英輔講師が、どのように「代表的日本人」を読み説くのか。
また、私のおススメ本の一つでもある「後世への最大遺物」についてもふれるとのこと、大いに楽しみです。


 


*【内村鑑三「代表的日本人」】 『代表的日本人』鈴木範久/訳 岩波文庫〔新版〕1995/7/17
―目次
1 西郷隆盛―新日本の創設者
2 上杉鷹山―封建領主
3 二宮尊徳―農民聖者
4 中江藤樹―村の先生
5 日蓮上人―仏僧


『代表的日本人』岬龍一郎/訳 PHPエディターズ・グループ(2009)
[Kindle版]


『代表的日本人 対訳』稲盛和夫/監訳 講談社インターナショナル(2002)
―稲盛和夫の序文。日本語英語対訳本。


 


*【内村鑑三のその他の著作】 『余は如何にして基督信徒となりし乎』鈴木俊郎/訳 岩波文庫(1973)
―幼少時から、札幌農学校でのキリスト教入信、渡米後の生活、大学生活とそこで得た回心の経験、キリスト教国アメリカの現状など、帰国までの日々を綴る自伝的半生記。


『後世への最大遺物 デンマルク国の話』岩波文庫(1976改版)
―カネも事業も、思想も教育も後世の人たちに遺せない並みの人間が唯一遺せるものは何か、人生における最大の価値ある行いとは何かを教える「後世への最大遺物」。
 他に「デンマルク国の話」収録。


 



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NHK100分de名著



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