2022.08.15

2022(令和4)年版夏休み特別編・読書感想文を書く-「楽しい読書」第324号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書-322号【別冊 編集後記】

2022(令和3)年8月15日号(No.323)
「夏休み特別編・読書感想文を書く
―2008(平成20)年8月15日号(No.8)―加筆再録」


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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2022(令和3)年8月15日号(No.323)
「夏休み特別編・読書感想文を書く
―2008(平成20)年8月15日号(No.8)―加筆再録」
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 今年も本来ですと、毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2022―
 第三回集英社文庫編をお送りするところですが、
 予定を変更して、昔配信しました第8号の、
 夏休み特別編の読書感想文の書き方に関する文章を再録します。

 夏休みと言えば、読書感想文の宿題が定番です。
 簡単なようで難しいのがこの宿題。

 私も小中高と苦労しました。
 その後左利きの活動を通して文章の書き方も少しは学びました。
 ブログやメルマガを書くことで実践も続けてきました。
 今では“それなりの書き方”は理解しているつもりです。

 再掲載に当たり、いくらか手を入れました。
 例文なども考えて、工夫してみました。

 元の文章は14年前のものですので、
 どこまでお役に立つか分かりませんが……。

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 「2008(平成20)年8月15日号(No.8)-080815-
  夏休み特別編2・読書感想文を書く」 より加筆再録

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 夏休み特別編・読書感想文を書く
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 夏休み特別編集でお送りしています。
 今回は感想文の書き方について書いてみます。

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 夏休み特別編・読書感想文を書く 2022(令和4)年版
 『レフティやすおの楽しい読書』流
  「読書報告書」的読書感想文の書き方
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

かつてこの「楽しい読書」の別冊編集後記を掲載していた
『作文工房』では、
過去に読書感想文の書き方といった記事を書いています。

・2005年02月16日(水) 読書感想文を書く(テーマ:作文と読書)
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-10000797778.html
・2005年08月24日(水)
読書感想文の書き方―レフティやすおのアドバイス
(テーマ:作文と読書)
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-10003729088.html

毎年かなりのアクセスを記録していました。

そこで、今回は、この夏休みのど真ん中の時期に、
私なりの読書感想文の書き方といったものを紹介してみましょう。


 ●「読書報告書」的な読書感想文の書き方

夏休みといえば、読書感想文―。

そんな決まりがあるかのように、読書感想文の宿題が出ます。
で、この感想文を書くと言うのが、結構苦痛だったものです。

普段から日常の授業のなかで
きちんとした読書指導と作文指導を受けている子供たちならば、
読書感想文の宿題など全く気にならないはずです。

それどころか大喜びしてもおかしくないでしょう。
なぜなら得意なことだからです。

そうではなく、読書感想文が苦手だ、苦になるというのは、
そういう適切な指導を受けていないからです。

ところがそういう学校や先生ほど、
この長期休暇中に読書感想文の宿題を出すようです。

せめてこんなときぐらい本を読まそう
という考えなのでしょうが、
それではかえって本嫌いを作りかねないように思うのですが…。

で、ここでは
本格的な正道の読書感想文の書き方というより、
邪道かもしれませんが、いってみれば、
本を読んだという事実を証明するための
「読書報告書」的なものの書き方を考えて見ましょう。


 ●基本的な設計図

本を読んで読書感想文を書きなさい、
自由に自分の好きなように書いていいのですよ、

といわれても、

普段から書きなれていない人、
初心者にはなかなか書けないものです。

でも、読書感想文には、実は一定の形式があるものなのです。
それを知っていれば、特に書くことに困ることはありません。

パターンはいくつかあると思います。
幸い昨今では「感想文のお手本」のような本も売っています。
パラパラッとそういう本を見てみるのもいいでしょう。


さて、実践―。

ではどうすればいいか、
まず一定の設計図を描いてみればよい、といいます。


【基本的な設計図】とは、

第一段階:導入部
・その本を選んだ理由―なぜこの本を読もうと思ったか、を書く。
・あらすじを書く―どんなお話か、何が書いてあるのか、
 大体のところを紹介する。

第二段階:内容
・具体的な例を挙げる―引用と感想。自分がどういう点に、
 何をどういうふうに感動したか、感心したか、興味を持ったか、
 面白いと思ったか、などを示す。

第三段階:まとめ
・著者の狙いは何か―著者は何を言いたかったのか、
 何を伝えようとしているのか。
・自分はどう感じたか、どう考えたか―本を読む前と比べて、
 読み終えて何がどう変ったか。

これで形はわかりました。


 ●報告者(あなた)の反応を記す

次に内容です。

簡潔な報告書を書くときの方法の一つに、
問いを設定し、それに答える、という方法があります。

適切な問いを発見できれば、それに答えるだけで、
必要なこと・重要なことが何であるかを導き出せるものです。


対象に対する具体的な質問を問い掛けてみる。

報告を受ける人が求めていること・知りたいと思うことは何か、
を考えながら、
その答えを導き出せるような問いを用意して、
それに答える形で、何を書けばよいかを見極めてゆくのです。


本の場合、何を読んだか、どんなお話だったか、これは基本です。
しかし、あらすじをだらだら書くのは無駄です。

報告を受ける人(先生)が本当に知りたい―伝えて欲しいのは、
報告者(あなた)の反応です。

この本を「なぜ選んだのか」であり、
この本の「どの点にどう反応したか」―「どう解釈したか」です。


 ●読むときにメモを取る

そこで、読むときはメモを取る準備をしておきます。
感想文を書くための「材料集め」です。

自分の本なら、鉛筆で線を引くなりしてもかまいません。
借りた本なら、短冊(付箋)をたくさん用意しておきます。

気になるところにはすべてマークします。

初心者は、線を引いて読むと、本が真っ黒になります。
付箋をつけて読むと、本が付箋だらけになります。

なぜなら、初めはどこが重要かの判断がつかないからです。

でも、それらのなかから、さらに絞ってゆけばいいのです。

そして、最終的には、あるポイントに絞って書くのです。
せいぜい二三点に絞って書くのです。

自分で「どうしてもこのことを伝えたい」、
と思うことだけに絞るのです。


長さに規定がある場合はそれにあわせなければなりません。

それでも、大体はそれで十分です。

では、始めてみましょう!


 ●例――森鴎外「最後の一句」

ここでは、弊誌

2022(令和3)年7月31日号(No.323)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から
(2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外」

で読みました『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』から
「最後の一句」を例に書いてみます。

角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外

220729sanshoudayuu-kadokawa

 ・・・

本編では、孝行娘が自分の命をなげうって
父を助けようとする行動が描かれています。

しかしその「献身」的行動ではなく、お白洲での取調で、
彼女が最後につけ加えた「最後の一句」――

 《「お上(かみ)の事には間違(まちがい)はございますまいから」》p.76

が、奉行所の役人たちに与えた影響が問題となっています。

 《白洲を下がる子供等を見送って、佐佐は太田と稲垣とに向いて、
  「生先(おいさき)の恐ろしいものでござりますな」と云った。
  心の中には、哀な孝行娘の影も残らず、
  人に教唆(きょうさ)せられた、おろかな子供の影も残らず、
  只(ただ)氷のように冷かに、刃のように鋭い、
  いちの最後の詞(ことば)の最後の一句が反響しているのである。》p.76

役人として、世の秩序を守ることを心掛けているはずの人々であっても、
現実の世では、実際には色々とお定め通りに事を行うことは難しいもの。

それを十分知っているからこその、
この一句に対しての反応だったでしょう。


 《献身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、
  いちと語(ことば)を交えた佐佐のみではなく、
  書院にいた役人一同の胸をも刺した。》p.76

というのも無理はないのです。


鴎外がこの小説に
「最後の一句」という作品名を与えた理由もそこにあるのでしょう。

娘いちの思い定めたような厳しい決意が感じられる一句で、
それを痛切に思い知らされた役人たちの物語でもあります。

私もこういう場で、確固たる一句を発言できるような
心の強さと自分への厳しさを持ちたいものですね。

 ・・・

――以上、感想文の例文として成り立っているかどうか、
  怪しいところもありますが、
  何かしらヒントにはなったのではないか、という気がします。

 ・・・

昨今では、
ネットで「読書感想文 書き方」といったキーワードで検索しますと、
いくつものレベルに合わせた参考書が見つかります。
それらを参考にするのもいいでしょう。


*(例)

・『ちびまる子ちゃんの読書感想文教室』貝田 桃子、さくら ももこ (著)
(ちびまる子ちゃん/満点ゲットシリーズ) 集英社 2017/7/14

・『ドラえもんの国語おもしろ攻略 読書感想文が書ける』藤子 F不二雄
(著), 宮川 俊彦 (監修)
(ドラえもんの学習シリーズ) 小学館 2013/7/11

・『小学1・2年生 スラスラ書ける読書感想文』永岡書店 2021/6/18
上條 晴夫 (監修)

・『脚本家が教える読書感想文教室』主婦の友社 2020/7/2
篠原明夫 (著)

 などなど……

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。
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本誌では、「夏休み特別編・読書感想文を書く―2008(平成20)年8月15日号(No.8)―加筆再録」と題して、全文紹介です。

以前からこの時期には、季節柄一度は書いておきたいと思っていたのが、「読書感想文の書き方」でした。

昔、書いたものがあり、結構アクセス数があったという記憶があり、またこちらのブログでも書いておきたいという気持ちがありました。

今回、もう一つの方のメルマガの8月13日の「国際左利きの日」の特別編のメルマガ原稿書きに追われてしまったこともあり、この際、昔の文章に一部手を入れてごまかしてやれという気になりました。

加筆もしているので、全くの再録ではなゐので、と言い訳しておきます。

本誌がおもしろいと思われた方は、ぜひこの機会に購読登録をよろしくお願いいたします。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
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『レフティやすおのお茶でっせ』
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2022.08.13

2022年8月13日左利きの日INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY合併号-週刊ヒッキイ第624号

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』別冊編集後記

第624号(No.624) 2022/8/13
「2022年8月合併号―「8月13日は国際左利きの日」―」

 

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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第624号(No.624) 2022/8/13
「2022年8月合併号―「8月13日は国際左利きの日」―」
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 今月、8月13日(土)は、世界的な左利きの日
 「国際左利きの日」INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY です。

 毎年、この前後に、この「左利きの日」を記念した
 新たなブログ記事を書いてきました。

 今年も何か書く予定でいましたが、
 そうしますと、三週続けて左利きについて書くことになります。
 正直今の私には、その余力がありません。
 そこで、メルマガを一ヶ月通じての合併号とすることで、
 一つの記事で済ませることにしました。

 勝手ながらご容赦ください。

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
2022年8月合併号
―「8月13日は国際左利きの日(INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY)」― 
   左利きとアイデンティティ
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

 ●1976年から47回目の2022年8月13日「国際左利きの日」

今年も8月13日「国際左利きの日 INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」
が近づいています。

毎年毎年書いていることですが、
日本語で「左利きの日(8月13日)」とネット検索しますと、
難儀なほど、多数の
《1992年8月13日、イギリスにある「Left-Handers Club」により制定》
という記事が出てきます。

日本語版 Wikipedia「左利きの日」の受け売りが大半なのでしょう
けれど、困ったことです。
最も昔からやっているのですよ、といいたいのです。

なにしろ同じ「Wikipedia」でも英語版で
「INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」で検索しますと、

英語版Wikipedia「International Lefthanders Day」
https://en.wikipedia.org/wiki/International_Lefthanders_Day

冒頭に、
《International Left Handers Day is an international day
observed annually on August 13 to celebrate the uniqueness
and differences of left-handed individuals.
The day was first observed in 1976 by Dean R. Campbell,
founder of Lefthanders International, Inc.》
と出てきます。

210813international-lefthanders-daywikip

(画像:英語版ウィキペディアの「INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」の項目冒頭――下線部分の筆者訳:「国際左利きの日」は「レフトハンダー・インターナショナル」の創設者ディーン・R・キャンベルによって1976年に最初の祝祭が行われた)

それ以外にも、いくつものサイトで
この「1976年キャンベル起源説」が出てきます。

私自身、昔購読していたのが、
このキャンベルさんがチェアマンをしていた
「LEFTHANDERS INTERNATIONAL」という組織が発行する
「LEFTHANDER MAGAZIN」という左利きの人のための雑誌でした。

これは、1991(平成3)年3月発行の
『モノ・マガジン』1991年4月2日号 No.188
「特集/左を制するものは時代を制す/左利きの商品学」
(ワールド・フォトプレス)に掲載されていたもので、
1993(平成5)年に、英語を勉強して連絡を取り、
定期購読していたものでした(1993年11・12月号~1996年3・4月号)。

そこには、アメリカでのイベントのリポートなども掲載されていました。

ちなみに、雑誌で知ったイギリスの左利き用品専門店
「Anything Left-Handed」の顧客が参加できる、
前述の「Left-handers Club」の会員になり、
機関誌「The Left-hander」も定期購読していました
(1994(平成6)年No.16~1997年10月No.27)。

 

もちろん現在、世界的に唯一かもしれない、活動中の
「lefthandersday」サイト「https://www.lefthandersday.com/」では、
自身が始めた1992年を起源としています。

今年のサイトには、
《Welcome to the official site for the 30th annual Left Handers Day! August 13th is a chance to tell your family and friends how proud you are of being left-handed, and also raise awareness of the everyday issues that lefties face as we live in a world designed for right-handers.》
「30th」と書かれています。

これはあくまでも、先週の<号外>でも書きましたように、
そちら側の「主張」です。

本当の歴史的事実は、違います。

 

 ●記念日制定の趣旨は同じ――左利き生活向上のため

キャンベルさんもご自身左利きで、
アメリカのカンザス州トピカで左利き用品店を始め、
開店一周年のこの8月13日に、左利きの人のための会(前述の)
「LEFTHANDERS INTERNATIONAL」を開設、
左利きの人の生活向上のために左利き用品の普及を目指して、
この記念日を制定したわけです。

ですから、制定の趣旨は同じです。

 

この「国際左利きの日(INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY)」は、
本来外国の記念日ですから、日本語で調べるだけではなく、
英語で「INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY」と調べれば、
より正確であろう情報に出会える、と考える方が自然でしょう。

と、私なら思うのですが、
大半の人は、日本語で調べただけで納得してしまうのでしょうか。

結果として、多くの人が間違った情報を広めています。
裏付けにこだわらない、という態度は、不思議です。

 

 ●私の左利きの活動のきっかけも……

上にも書きましたように、「左利きの日」制定の趣旨は、
左利きの人の生活向上を願って、左利き用品を普及させることでした。

そういう目的を持っています。
この日を機会に、左利きの人について、その生活について考えてもらう。

左利きの人の生活上の不便や困り事を解決する手段の一つとして、
道具を工夫すること、左利きの人に使いやすい道具を用意すること、
があげられます。

もちろん、そういう物理的な問題解決だけではなく、
といいますか、それ以前の問題として、
左利きについて知ってもらい、左利きに忌避感をもたないように、
という精神的な問題解決の面もあります。

また道具の開発や普及のためには、
多数派である右利きの人たちの協力や理解が必要です。
左利きの人だけで解決できる問題ではありません。

そういう意味からも、左利きの人のみならず、
右利きの人の側の意識改革が必要になります。

その機会としての「左利きの日」でもあるのです。

とはいえ、
まずは具体的な生活上の利便性の向上を図らねばなりません。

私が左利きの活動を始めたのも、左利きとして生きてきたなかで、
苦労したこと、不都合に感じたことなどの多くは、
道具を得ることで解決できるという意識があり、
上にも紹介しました1991年3月発行の
『モノ・マガジン』1991年4月2日号・左利き特集号 でみた
左利き用品の数々を集め、実際に使ってみて、
いいものはまわりの左利きの人に紹介しよう、と考えたからでした。

左手・左利き用品――道具から始まったのですね。

そういう意味では、「国際左利きの日」や
「左利きグッズの日」の制定の趣旨と同じ方向性ですね。

 

 ●左利きというコンプレックス

ただ、それ以前に、
精神性の問題も重要であることに変わりはありません。

私は「左利きである」ということにコンプレックスを持っていました。
「いました」と過去形で書きましたが、
本当は今でも根強く残っています。

それがそもそもの左利き活動の推進力であり、源泉でもあったわけです。

では、
そもそも左利きであることに関するコンプレックスとは何だったのか、
そして、
それはどういう形で現在の活動につながっているのでしょうか。

これを語り始めると長くなります。

今簡単に言えることは、
二十代に読んだ、箱崎総一先生の著書、
『左利きの秘密』(立風書房・マンボウブックス 1979)

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によって、
「間違っているのは自分ではなく社会の方だ」
と認識できたこと。

「変えるべきなのは、自分自身ではなく社会の方だ」ということ。

「右利き(偏重/優先)社会に順応できない左利きの自分自身ではなく、
 そういう左利きの人を容認できない――
 受け入れられない社会の方に問題があるのだ」
ということですね。

この社会の在り方を変えていかなければならない、
という思いが、左利き活動に進ませたのです。

 

 ●ゼナ・ヘンダースン《同胞(ピープル)》シリーズ

ここで、すこし話題を変えましょう。

左利きとアイデンティティについて考えて見ます。

ゼナ・ヘンダースンというアメリカのSF作家さんがいました。
1950年代から60年代にかけて主に活躍した人といっていいかと思います。
実際には、70年代に入っても活躍していたようですが、
日本で知られる代表作は大半が1950~60年代の短編です。

いちばんの人気作であり代表作といえるのは、
<ピープル>シリーズと呼ばれる一連の短編シリーズで、
『果てしなき旅路』(短編をまとめて長編に仕立ててある)と
『血は異ならず』(短編集)の2冊が出ています。

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*ゼナ・ヘンダースン<ピープル>シリーズ
1.『果てしなき旅路』ゼナ・ヘンダースン/著 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF ピープル・シリーズ 1978/7/1

2.『血は異ならず』ゼナ・ヘンダースン/著 宇佐川晶子, 深町眞理子/訳
ハヤカワ文庫 SF 500 ピープル・シリーズ) 1977/12/1

私がこの作品が好きなのは、ここに登場する人たちが、
みな、社会から疎外された「一人ぼっち」の孤独な存在で、
その理解者との出会いとそれによる、
精神的な「孤独からの解放」を描いたような作品だったから、でしょう。

自分でそういう理由を自覚できたのは、
図書館で見つけた赤木かん子さんの本を読んだからでした。

『こころの傷を読み解くための800冊の本 総解説』
赤木 かん子/著 自由國民社 2001/5/1

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この本の紹介文はこうなっています。

 《アダルト・チルドレン(AC)という言葉は
  90年代初めにブームになりましたが、
  今ひとつ、理解しづらいものでした。
  そのアダルト・チルドレンの理解に役に立つように、
  そしてその理解によって、
  本人もまわりの人も少し楽になれることを願って、
  小説やマンガや児童書やミステリや専門書など、
  幅広い分野から本を集めて紹介します。
  生きにくいと感じて、アルコール依存、虐待、共依存…など、
  さまざまな問題を抱えている、そんな人たちの、
  こころの傷を読み解くために―。》

 《「アダルト・チルドレン(AC)――
  子ども時代に必要な愛情と安らぎを得られずに育ち、
  傷ついた心を抱え、癒されぬまま大人になっている人たち」
  をテーマにしたブックガイド。》

220812kokoro-no-kizu-8002

この本の中の「第2章 アイデンティティ」<差別>で、
『果てしなき旅路』が取り上げられていました。

お話そのものは、《故郷》の星が破滅の危機に陥り、
宇宙船で脱出した異星人《同胞(ピープル)》たちが
新たな生活の場を求めて移動中、地球に突入する際に、宇宙船が壊れ、
散り散りになった彼らは、世界中(大半がアメリカの山中)に
ばらばらに住み着きます。

自分たちの優れた能力(人類から見れば超能力)を封印して、
地球人らしく振る舞うことで、地球人の社会に順応しようとするのです。

超能力の持ち主であることが分かれば――異星人という、
地球人とは違った存在だと分かれば――社会から排除されたり、
抹殺されたり、迫害されるという歴史があったからです。

しかし、真の自分を偽り、身を隠すような生き方は、
心が苦しむものです。

「人とは違う」という事実は、
特に大人の事情が理解できない子供には多大な影響を与えます。
結果的に様々な問題を引き起こすことになるのです。

この本に関する説明文を読んだ時、
初めて自分がどういう理由でこの本を好んでいたのか、
ということが理解できました。

 

 《数家族で放り出され、谷間に住みついた一族は
  自分のアイデンティティには悩まなくてすみました……
  でも子どものときに、一人ぼっちになり、
  つまり自分が何者なのか教えてもらえなかったために悩み、怯え、
  うっかり力をつかっては気味悪がられ、
  そのために州中の学校で拒否されて、
  自分は“違うのだ”ということで絶望してその谷へやってきて
  同朋とめぐりあった女教師のような人々の物語……、
  ピープルがピープルと出会い、自分は一人ではないということ、
  本当の自分をさらけだして生きてもいいのだということを知った時
  どんなに嬉しかったか、という話が、ある晩、ある山のふもとで
  交替で語られるのです。
  それは個人の歴史であると同時に一族の歴史であり、
  集まってきた人々すべてを共感で満たし、
  今までの傷を癒やす作業でもあるのでした――。》p.69

要するに、社会から受け入れられず、迫害を受けている人々が、
同じ立場の人や思いやりのある理解者という味方を得て、
精神的に立ち直り、新たな人生に取り組んでいく、という物語です。

こういう背景は、ある意味で左利きであること――
右利きの「普通の人」とは違うということで、
色々な嫌な思いを経験してきた私自身と重なるものがあったのです。

 

続けてこう書いています。

 《これって……そのまんま、ACの物語でしょう?/
  私はこれが、大好きでした。このテの話が……。
  自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
  不安で不幸な人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、
  幸福になる……そういう話が――。そうしてそのテの物語を、
  “ピープル・タイプ”と呼んでいました。それは今考えればみな、
  アダルト・チルドレンの物語だったのです。/
  当時のSF作家たちは超能力者だけではない
  いろいろなSF的手法を使って、
  ACの癒やしの物語を紡いでいたのでした。なぜか……?!
  彼ら自身がそうだったから……、そしてそうやって
  自分自身を癒やそうとしたのではないかと私は思います。》p.69

 

220812kokoro-no-kizu-8003-hatesinakitabi

《自分はまわりと違う、という孤独感と孤立感に悩まされ、
 不安で不幸な人々》

まさに、当時の私は、そういう「不幸な左利きの一人」だったのです。

そんな
《人々が自分と同じ人々と出会い、救われ、解放され、幸福になる》
としたら、どうでしょうか。

こんな素晴らしいお話は他にはありませんよね。

 ・・・

ここまで書いたところで、もうかなりの行数になりました。
本来は、
「左利きとアイデンティティ」について書くつもりだったのですが、
前半に少し行数をとられてしまったようです。

 

「国際左利きの日」について語ることも大事なのですが、
「なぜ制定されたのか?」という根本的な部分が
「左利きの人の生活向上には適切な道具は大事だよ」
だけで終わっています。

それ以前に、
「どうして左利きの人は必要な道具が手に入れにくいのか」
という部分が説明されていない、ように思います。

必要なのに、適切な道具が手に入れにくいのか、
それは、
「左利きの人の必要とする道具がどういうものかよく知られていない」
という理由が、一つあります。

それは、
「左利きの人の必要なものが右利きの人の必要なものとは違うのだ」
という事実が知られていないからでしょう。

それは、結局、右利きの人と左利きの人との「違い」の認識の問題です。

それが左利きとアイデンティティに関わることだと思うのです。
その辺をお話ししたかったのですけれど。

もう一度、来月の第一土曜日発行分で、
今回の続きを書きたいと思います。

ゼナ・ヘンダースンさんの<ピープル>シリーズと
赤木かん子さんの本の記述をもう少し紹介して、
作品を通して具体的な「疎外者」の意識を、
私のような左利きの人が感じていたであろうそれと比較して、
考えていただけるようにしようと思っています。

 ・・・

 要は、ゼナ・ヘンダースンさんの<ピープル>シリーズについて
 語りたいだけなのかもしれません……。

 

*参照:「レフティやすおのお茶でっせ」
 過去の「8月13日は<国際左利きの日>」の関連記事

カテゴリ:8月13日国際左利きの日

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 「★600号までの道のり」は、お休みです。

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本誌では、「2022年8月合併号―8月13日 国際左利きの日 INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY―」と題して、今回も全紹介です。

ゼナ・ヘンダースンについて少し書いておきます。

私の好きなSF作家の一人で、短編派の作家では、ロバート・F・ヤングと並ん部存在というところです。
以前、ハヤカワ文庫50周年の時に、もう一つのメルマガ『レフティやすおの楽しい読書』で「ハヤカワ文庫の50冊」という企画をやった際にあげた「【私のお気に入り7】」に、
ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』に次いで、
2.ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』 3.ロバート・F・ヤング『ジョナサンと宇宙クジラ』 にあげています。
他には、
4.ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』 5.シャーリイ・ジャクスン『野蛮人との生活―スラップスティック式育児法』 6.クレイグ・ライス『スイート・ホーム殺人事件』 7.ルイス・ギルバート『フレンズ―ポールとミシェル』 です。

というように、非常に愛好する作家の一人で、世界的な大作家さんでもなければ、世界の名作文学というわけではないかもしれません。
しかし、単にお話がおもしろいとか、表現や文章がうまいとか、センス・オブ・ワンダーに優れているとか、なんやかんやといった小説のもつ面白さだけではなく、プラスアルファの部分が非常に心に響く作品を書く作家さんという印象です。

ぜひ、機会を作って読んでいただきたい作家さんの一人です。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
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2022.07.31

新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(2)角川文庫『山椒大夫~』森鴎外-「楽しい読書」第323号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書-322号【別冊 編集後記】

2022(令和3)年7月15日号(No.322)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から
(2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外」

※「森おう外」の「おう」は正確には「鷗」ですが、
 この文字は「環境依存文字」ですので、
 当メルマガでは、新字の「鴎」を代用しています。

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2022(令和3)年7月31日号(No.323)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から
(2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外」
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 今年も毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2022から――。

 当初は、年一回7月末に、
 三社の文庫フェアから一冊ずつ紹介していました。

 近年は、読書量の減少もあり、
 自分にとっての“新規の作家を発掘”しようという試みもあり、
 7月、8月の月末二回程度に分けて紹介してきました。
 
 で、今年は一号ごと三回続けて、一社に一冊を選んで紹介しよう
 と思います。

 二回目は、角川文庫です。

 

新潮文庫の100冊 2022
https://100satsu.com/

角川文庫 カドブン夏フェア2022
https://kadobun.jp/special/natsu-fair/

集英社文庫 ナツイチ2022
http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/

 

 ~<夏の文庫>三社フェア2022・第一回~

2022(令和3)年7月15日号(No.322)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(1)
新潮文庫『老人と海』ヘミングウェイ(高見浩訳)」
2022.7.15
新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(1)新潮文庫『老人と海』
-「楽しい読書」第322号

「新生活」版 

 

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 ◆ 2022テーマ(2)森鴎外 没後100年・晩年の名作 ◆

  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から

  (2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外

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 ●森鴎外、没後100年

角川文庫からは、森鴎外の没後100年ということで、
(1862年2月17日(文久2年1月19日)-1922年(大正11年)7月9日)
鴎外を取り上げてみることにしました。

角川文庫のこの本を読むのは初めてですが、
以前、弊誌で森鴎外の「舞姫」を取り上げた際に、
他社文庫(岩波文庫、文春文庫)で、
これらの収録作品を読んでいました。


2011(平成23)年2月28日号(No.53)-110228-
人知らぬ恨「舞姫」森[鴎おう]外

※「別冊 編集後記」~『レフティやすおの作文工房』~
2.28
森[鴎]外を読む:「舞姫」人知らぬ恨
―第53号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」

 

ちなみに、鴎外の「鴎(おう)」は、正しくは、偏の「区」の部分が旧字、
囲いの中の「メ」の部分が「口」3つです。
メルマガではこの漢字は使用できない(「×」になってしまう)ので、
便宜上、新字で紹介しています。

 ・・・

角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外
https://www.kadokawa.co.jp/product/201202000090/

角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外

220729sanshoudayuu-kadokawa

目次:(o:私のお気に入り)

o「山椒大夫」
o「じいさんばあさん」
o「最後の一句」
o「高瀬舟」
 「附高瀬舟縁起」
「魚玄機」
「寒山拾得」
 「寒山拾得縁起」
「興津弥五右衛門の遺書」
o「阿部一族」
「佐橋甚五郎」

 ・・・

ちなみに、「新潮文庫の100冊 2022」からも、
森鴎外の後期の作品集が選ばれています。

『山椒大夫・高瀬舟』新潮文庫‎ 改版 2006/6/1

220729sanshoudayuu

 

全12編収録で、共通するのは、
「興津弥五右衛門の遺書」「山椒大夫」「最後の一句」
「高瀬舟」「高瀬舟縁起」の5作。

個人的には、角川文庫版の方が、
後期の名作中の名作とも言うべき作品を集めていて「買い」でしょう。

 

 ●「山椒大夫」

まずはそれぞれの作品について軽くふれておきましょう。

「山椒大夫」は、安寿と厨子王の物語として有名でしょう。

私は子供の頃に東映動画のアニメ『安寿と厨子王』として親しみました。

父を訪ねて西国へ向かう安寿と厨子王とその母と女中の四人旅。
人買いの山岡大夫に騙されて、母は佐渡への船に売られ、
女中はこれまでと身を投げて死ぬ。
一方、子供二人は富山からさらに西へ向かう船に売られます。
で、題名となっている山椒大夫のもとに。
安寿は潮汲みで、厨子王は柴刈り。
で、心定めた安寿は、ある日、弟の厨子王を都に逃げろと教え、
自分は入水自殺します。
近くの寺に逃げ込み、都へ逃げ延びた厨子王は、
清水寺で関白師実(もろざね)と出会い、守り本尊の仏像のお陰もあって、
出世し、丹後の国守となって人買いをやめさせ、
佐渡に渡り、母とも出会い、めでたしめでたし――。

安寿の思い定めた心の強さが心に残る作品です。

「じいさんばあさん」は、仲のよい老夫婦のお話。
これはあとでふれます。

 

 ●「最後の一句」

「最後の一句」は、大阪の町奉行に直訴した少女のお話。
高校時代の教科書で初めて読んだ、鴎外作品。

 《「お上(かみ)の事には間違(まちがい)はございますまいから」》p.76

という当年16歳の長女いちが、
西町奉行所の白洲での取り調べで最後につけ加えた、
この<最後の一句>が厳しく心に残ります。

 《白洲を下がる子供等を見送って、佐佐は太田と稲垣とに向いて、
  「生先(おいさき)の恐ろしいものでござりますな」と云った。
  心の中には、哀な孝行娘の影も残らず、
  人に教唆(きょうさ)せられた、おろかな子供の影も残らず、
  只(ただ)氷のように冷かに、刃のように鋭い、
  いちの最後の詞(ことば)の最後の一句が反響しているのである。
  元文(げんぶん)頃の徳川家の役人は、
  固(もと)より「マルチリウム」という洋語も知らず、
  又当時の辞書には献身と云う訳語もなかったので、
  人間の精神に、老若男女の別なく、
  罪人太郎兵衞の娘に現れたような作用があることを、
  知らなかつたのは無理もない。
  しかし献身の中に潜む反抗の鋒(ほこさき)は、
  いちと語(ことば)を交えた佐佐のみではなく、
  書院にいた役人一同の胸をも刺した。》p.76

安寿の思い定めたような心と同じような厳しい決意が感じられます。

 

 ●「高瀬舟」

弟殺しの罪で島流しになる罪人を護送する
京都の高瀬川を行く高瀬舟の役人が、その罪人喜助の態度が
今までの罪人たちと異なる様子に思わず事情を聴くというお話。

身寄りのない兄弟二人だけで生活におわれていたが、
弟が病気になり、兄貴助の負担になるのを嫌い、
自殺を図るが、死にきれずにいる。帰った喜助に殺してくれと言う。
仕方なくカミソリを引いたとき、近所の女が現れ……。
罪人となり遠島になるにあたって、ただ飯を食わせてもらった上、
二百文のお金までもらえたことに、素直に喜んでいるのです。
今までまじめに働いていてもこのような大金を手にしたことはない、
というのです。
役人は、この弟殺しというものが本当に罪なことだったのか、
と考え込んでしまいます。

 《これが果して弟殺しというものだろうか、
  人殺しと云うものだろうかという疑(うたがい)が、
  話を半分聞いた時から起(おこ)って来て、聞いてしまっても、
  其(その)疑を解くことが出来なかった。(略)
  喜助はその苦(く)を見ているに忍びなかった。
  苦から救って遣(や)ろうと思って命を絶った。
  それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。
  しかしそれが苦から救うためであったと思うと、
  そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。》p.92

役人は、上のものの判断に任せるしかない、と思う。
お奉行さまの判断を自分の判断にしようと思うのでした。

安楽死問題を扱った医師らしいとも言えるお話です。
文豪ミステリ的な意味合いもあり、有名な作品です。

「附高瀬舟縁起」は、作品の背景を語るもの。

 

 ●「魚玄機」「寒山拾得」

この二つは、中国ものの歴史物です。
「魚玄機」は、詩の才能を持った女性(名前がタイトル)のお話。
漢詩が出てきます。

「寒山拾得」は、仏教もののユーモア編という感じです。
(「寒山拾得縁起」は、その背景を語るもの。)

 

 ●「興津弥五右衛門の遺書」「阿部一族」

江戸時代の殉死もの二編。
「興津弥五右衛門の遺書」は、殉死の覚悟を決めた男の遺書。

「阿部一族」は、この短篇集中ももっとも長い短編
(といっても50ページほど)。
殉死を許されなかった侍が追い腹を切るが認められず、討手を出され、
阿部一族は閉じこもり対抗するが……。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」の世界の物語。
殉死の範囲というものも規定があるわけではなし、
追い腹を認められる場合もあり、
討手となっても死をもって奉公の態度を示さねばならなかったり、
武士の道とは死ぬことという言葉を文字通り示すお話。
名誉を重んずる故の行動とはいえ、
理不尽でもあり、悲劇でもあるという、
何かしら割り切れない気持ちになります。

「佐橋甚五郎」は、逆に生きのびることにつくした男のお話。

 

 ●「じいさんばあさん」

本書はまさに、鴎外の晩年の名作を集めた一冊です。

その中で、最後に、今年の私のこの企画のテーマともいうべき、
老人問題から、「じいさんばあさん」を取り上げましょう。

非常に仲のよい老夫婦の謎とは?

江戸時代の話です。
武家屋敷の一角の離れに引っ越してきた老夫婦は、非常に仲がよい。
近所のものの話では、
もしこれが若い男女だったら平気で見ていられないというほど。
なかには、夫婦ではない、兄弟だろうという人も。
なぜなら
 《隔てのない中(うち)に礼儀があって、夫婦にしては、
  少し遠慮をし過ぎているようだと云うのであった。》p.50

 《二人の生活はいかにも隠居らしい、気楽な生活である。
  爺いさんは眼鏡を掛けて本を読む。細字で日記を附ける。
  毎日同じ時刻に刀剣に打粉(うちこ)を打って拭(ふ)く。
  体(たい)を極(き)めて木刀を揮(ふ)る。
  婆あさんは例のまま事の真似をして、
  その隙(すき)には爺いさんの傍(そば)に来て団扇(うちわ)であおぐ。
  もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。
  婆あさんが暫しばらくあおぐうちに、
  爺いさんは読みさした本を置いて話をし出す。
  二人はさも楽しそうに話すのである。》pp.50-51

 《どうかすると二人で朝早くから出掛けることがある。(略)
  二人が出歩くのは、最初のその日に限らず、過ぎ去った昔の
  夢の迹(あと)を辿(たど)るのであろうと察した。》p.51

男のほうは伊織という武家だが、癇癪持ちが玉に瑕という。
嫁のるんは、決して美人ではないが、
長年、屋敷奉公をしていて行き遅れたが、押し出しが立派で賢く、
才気にあふれている、良き嫁であった。

新婚間もなく、伊織は京に出向くことになる。
無事に任務を終えるが、良い刀の出物があり、同役に借金をして買う。
そのお披露目会で招かれていない借金の主が現れ、言い争いになり、
かんしゃくを破裂させた伊織は相手を切りつけ殺してしまう。

その結果、よそへお預けの身となり、二人は離ればなれに。
夫の祖母も息子も亡くしたるんは、武家に奉公に出る。

そしてようやく夫がお預け御免となり、
こうして、37年ぶりに二人は夫婦として暮らすことになったのでした。

 

こういう事実が明らかになりますと、
この老夫婦お二人の仲の良さというものも理解できるように思います。

凍結されていた新婚時代が、時を超えて復活した、というわけですね。
とてもいいお話だと感じました。

ということで今回はおしまいです。

 

 ●鴎外と漱石

森鴎外という人は、明治の文豪としては、
夏目漱石(1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉-1916年〈大正5年〉12月9日)
と並ぶ二大文豪とされています。

私自身は、夏目漱石よりは、鴎外の短編の方が好き
という印象があります。

今回紹介しましたような一連の短編ですね。
他にも、処女作の「舞姫」のような作品ですね。

ちなみに、「新潮文庫の100冊 2022」に選ばれている
森鴎外『山椒大夫・高瀬舟』に収録されている「普請中」は、
この「舞姫」のモデルとされる外国人の女性が
日本にやってきたというお話で、興味深いものがあります。

仕事を持っていたということもあるのでしょうが、
夏目漱石が長編が多いのに対して、鴎外は短編が多い、
という違いがあります。

一つは、鴎外が軍医であったという兼業作家だったのに対して、
漱石は東京帝大の先生を辞めてから
(漱石はラフカディオ・ハーンに代わって日本人の文学部講師になった
 ――余談ですが、ハーンの研究もある、
 比較文学研究家の平川祐弘(ひらかわすけひろ)さんの説では、
 ハーン同様、熊本の第五高等学校の先生をやり、イギリス留学後、
 ハーンの後釜として、東京帝大文学部の講師になった、そして、
 ハーンの「怪談」に対抗して「夢十夜」を書いた、といいます。)、
朝日新聞に入社、新聞に小説を連載する仕事を始めた、
という専業作家だったという事実もあります。
鴎外は、時間的に長いものを書く余裕がなかった、というわけですね。

しかし、基本的にはその人の作家としての資質の問題でもあるのでしょう。
長編作家と短編作家という違いがあります。

同じ小説でも、やはりワン・アイデアでも書ける短編に対し、
ある程度の構想が必要な長編という違いがありそうです。

読む場合でも、私のように体力に自信のない人は、
一気に読める短編を好み、
体力のある人はじっくり長編に取り組めるのではないでしょうか。

まあ、そんな気がします。

漱石の印象が悪いのは、
高校時代に国語の宿題で『こころ』を読まされた
という経験がマイナスになっています。

その後、漱石も自主的に明治の文豪ということで、
『こころ』の再読のほか、『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』『草枕』
『三四郎』などを読みました。
マイナスな印象はあまり変わっていません。

『坊ちゃん』などはもう一度きちんと読んでみたいものです。

ほかの作品も読み進めれば、
また違ってくるのかもしれませんけれど……。

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

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本誌では、「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から (2)角川文庫『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』森鴎外」と題して、全文紹介です。

明治の文豪で、今年没後100年になる森鴎外の晩年の名作集を取り上げました。

本文中にも書いていますように、印象に残っている作品がいくつもあります。
東映動画の「安寿と厨子王」でよく知られた物語「山椒大夫」、高校の教科書で読んだ作品で、この一言は現代でも大きな意味を持つ「最後の一句」、安楽死問題、下層階級の経済問題など多くの社会性を持つ「高瀬舟」、武士道とは死ぬことと見つけたりという殉死問題を扱う「阿部一族」などなど。

なかでも、若夫婦のように仲のよい老夫婦の謎の真相を描く「じいさんばあさん」は、今年のこの夏の三社フェアの私のテーマ<老人>問題に関連して取り上げてみました。
正直、仲のよい老夫婦をみますと、あこがれますよね。

 

[追記] 本文中、「山椒大夫」に関連して、

 《私は子供の頃に東映動画のアニメ『安寿と厨子王』として親しみました。》

と記載しましたが、調べてみますと、『安寿と厨子王丸』が正しい題名でした。
1961年7月19日公開作品。

 

*『安寿と厨子王丸』DVD
 

220729anju-to-zusioumaru

 ・・・

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2022.07.15

新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(1)新潮文庫『老人と海』-「楽しい読書」第322号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書-322号【別冊 編集後記】

2022(令和3)年7月15日号(No.322)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(1)
新潮文庫『老人と海』ヘミングウェイ(高見浩訳)」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2022(令和3)年7月15日号(No.322)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(1)
新潮文庫『老人と海』ヘミングウェイ(高見浩訳)」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今年も毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2022から――。

 当初は、年一回7月末に、
 三社の文庫フェアから一冊ずつ紹介していました。

 近年は、読書量の減少もあり、
 自分にとっての“新規の作家を発掘”しようという試みもあり、
 7月、8月の月末二回程度に分けて紹介してきました。
 
 で、今年は一号ごと三回続けて、一社に一冊を選んで紹介しよう
 と思います。

新潮文庫の100冊 2022
https://100satsu.com/

角川文庫 カドブン夏フェア2022
https://kadobun.jp/special/natsu-fair/

集英社文庫 ナツイチ2022
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220711natu-no-bunko2022

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 ◆ 2022年テーマ(1)「老人の戦い」 ◆
  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(1)
  新潮文庫『老人と海』ヘミングウェイ(高見浩訳)
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 ●「新潮文庫の100冊 2022」から古典的な「名作」

新潮文庫は、三社のなかでは文庫の老舗でもあり、
海外文学から日本文学まで、
古典的な名作から現代の人気作家の作品まで、
また、小説やエッセイなどの文芸作品からノンフィクションまで、と
かなり幅広いジャンルから作品が選ばれています。

なかでも内外の古典的な名作――
特に、三社のなかでは際だって多くの海外作品を広く集めている、
という点が特徴でしょう。

 

まずは、「新潮文庫の100冊 2022」から
主な「古典的な名作」っぽい作品をピックアップしてみましょう。

(海外)
赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1―
ルーシー・モード・モンゴメリ/著 村岡 花子/訳

あしながおじさん ジーン・ウェブスター/著 岩本 正恵/訳

異邦人 カミュ/著 窪田 啓作/訳

悲しみよ こんにちは フランソワーズ・サガン/著 河野 万里子/訳

グレート・ギャツビー フィツジェラルド/著 野崎 孝/訳

ジキルとハイド ロバート・L・スティーヴンソン/著 田口 俊樹/訳

シャーロック・ホームズの冒険 コナン・ドイル/著 延原 謙/訳

車輪の下 ヘッセ/著 高橋 健二/訳

十五少年漂流記 ジュール・ヴェルヌ/著 波多野 完治/訳

月と六ペンス サマセット・モーム/著 金原 瑞人/訳

罪と罰〔上〕 ドストエフスキー/著 工藤 精一郎/訳
罪と罰〔下〕 ドストエフスキー/著 工藤 精一郎/訳

変身 フランツ・カフカ/著 高橋 義孝/訳

星の王子さま サン=テグジュペリ/著 河野 万里子/訳

老人と海 ヘミングウェイ/著 高見 浩/訳

ロミオとジュリエット ウィリアム・シェイクスピア/著
 中野 好夫/訳

若きウェルテルの悩み ゲーテ/著 高橋 義孝/訳

(国内)
伊豆の踊子 川端 康成

海と毒薬 遠藤 周作

江戸川乱歩傑作選 江戸川 乱歩

金閣寺 三島 由紀夫

新編 銀河鉄道の夜 宮沢 賢治

黒い雨 井伏 鱒二

こころ 夏目 漱石

山椒大夫・高瀬舟 森 鴎外

塩狩峠 三浦 綾子

砂の女 安部 公房

痴人の愛 谷崎 潤一郎

人間失格 太宰 治

燃えよ剣〔上〕 司馬 遼太郎
燃えよ剣〔下〕 司馬 遼太郎

羅生門・鼻 芥川 龍之介

檸檬 梶井 基次郎

 

 ●新潮文庫『老人と海』ヘミングウェイ(高見浩訳)

ということで、例年のことなのですが、
新潮文庫では主に古典的な名作、
それも海外の作品を取り上げてきました。
今回もそういう作品を取り上げてみます。

それが、このヘミングウェイの晩年の作品といっていい、
『老人の海』です。

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アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)は、
1899(明治32)年7月21日、アメリカ・イリノイ州オークパークに、
医師の父と芸術家肌の母の長男に生まれる。

(この年には、彼同様ノーベル賞を受賞し、その後自殺した小説家、
 川端康成さんが6月14日に生まれています。)

1961(昭和36)年7月2日、猟銃により自殺、享年61歳。

 

『老人の海』(The Old Man and The Sea)発表は、1952(昭和27)年9月、
アメリカの「ライフ」誌の特別号に一挙掲載。

直後に出版され、翌53年5月、ピューリッツァー賞を受賞。
1954年10月、ノーベル文学賞を受賞。

51歳当時に書かれた作品で、
70年ほど前とはいえ、決して老齢とはいいがたい年齢です。

その辺はやはり作家なのでしょう、
しっかりと老人の漁師の肉体の状態や心情などを描いています。

 

 ●ストーリー

84日間不漁続きのキューバの老漁師が、85日目、一人で海に出る。
一気に挽回しようと沖まで出て大物を狙う。
その甲斐あって大物に出会い、二晩の格闘の末、仕留めるものの、
あまりの大きさに舟の横にくくりつけることしかできず、
港に戻るまでに次々と鮫に襲われ、ほとんど骨ばかりにされてしまう。
夜、疲労困憊の身体で帰り着いたものの、収穫は無し。
帆を巻き付けたマストを担いで、一人自分の小屋に戻り付く。

 ・・・

初めのうちの40日目まで、老人とともに漁に出ていた少年が、
翌朝老人の家を訪問する。
他の漁師が魚の骨の全長を測っている。

 《「鼻から尻尾まで十八フィート」》

 《「たいした代物だな」店主は言った。
  「初めてお目にかかったよ、あんな魚には。
   おまえが昨日釣り上げた二匹も、立派なものだったが」/
  「ぼくのなんか、どうでもいいよ」少年は言って、
  また泣き出した。》p.130
 
少年はこの老人から漁師としての仕事を教えられたのだった。
今でも本当は、一緒に漁にで出たかったのだが、
漁の運に見放された老人の舟に乗るのを辞め、ほかの舟に乗るように、
親からいわれていたのでした。

 《「(略)サンチアゴをそっとしておきたいんだ。
   みんなにそう言っといて。ぼく、また来るから」/
  「残念だったな、と言っといてくれ」/「ありがとう」》p.130

小屋に少年が戻ると、
舟や漁の後始末をしてくれている男に、頭は漁の仕掛けにでも、と老人。

「あの槍みたいな嘴は?」と少年が問うと、
「ほしけりゃ、おまえのものにするさ」と老人。

 《「(略)また一緒に漁に出ようよ。
   もっともっと、教えてもらいたいんだ」》p.132

老人は、漁の間、何度も「あの子がいてくれたら」と思いつつ、
一人奮闘するのです。
その独り言が、小説の軸になっていると言ってもいいでしょう。

双方が相思相愛といってもいい、すばらしい師匠と弟子の関係、
という感じでしょうか。

早くケガを治して、と色々と世話を焼く少年。
老人はまた眠りにつき、ライオンの夢を見る……。
(老人は少年くらいの年ごろ、アフリカ通いの船に乗っていて、
 夜になると砂浜を歩くライオンをよく見た、という。)

*新潮文庫
『老人と海』ヘミングウェイ 高見浩訳 2020/6/24

*参考:光文社古典新訳文庫
『老人と海』アーネスト ヘミングウェイ 小川 高義/訳 2014/9/11

220711roujin-to-umi

 

 ●この「老人」と「海」の関わりについて

私もいつしか老人の仲間入りをしていました。
特に昨年、腰を痛めてそれが左足に来て、
一か月、杖をついて歩いていた時期があったのですが、
それ以来、一気に自分が老人になったな、と自覚させられたものでした。

 

この小説の主人公の老人は、腕相撲のチャンピオンになったり、
漁師として長年漁獲を出してきたベテラン漁師。
愛する妻を亡くし、今は一人暮らし、
小屋には妻の形見のイエスとマリアの絵を飾っている。
かつては色づけした妻の写真を飾っていたが、
見ているとさびしくなるのでしまってある、という。

「老人」と「海」との交流――仕留めるまでの大魚との戦い、
シイラ、マグロ、トビウオ等の魚や鳥たち、そしてサメとの戦い、
海流や風など――孤独な戦いですけれど、何かしら読んでいると、
ジーンとくるものがあります。
そして幾度も少年がいたら、という繰り返す老人。

遅くなった長い漁の帰りに、村人のことを気遣う老人。

 《(略)村のだれにも心配をかけていなければいいが。
  もちろん、あの子だけは気を揉んでいるだろう。
  だが、おれの力はわかっているはずだ。年をくった漁師たちは、
  気を揉んでいるのが多いかもしれん。他にもたくさんいるかもな。
  おれはつくづくいい村に住んでいるんだ。》p.121

と。

釣り上げた大魚に対しても、サメに襲われたときには、
自分の身が襲われたように感じ、
サメを銛で突き、倒したときには、仇は取ってやった、と。

大魚にもかわいそうなことをした、
よっぽど、家で寝転んでいた方がよかったとも思いつつも
彼は思います。

《「だが、人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」(略)
 「叩きつぶされることはあっても、負けはせん」》p.109

漁の技のみならず、不屈の精神と、他を思う心情の深さが――
いってみれば、人生への<こだわり>の強さを持っている人、
ともいえそうです。
その辺が、この老人が愛されている理由なのではないでしょうか。

 

茂木健一郎さんの英語の著書
『生きがい ―世界が驚く日本人の幸せの秘訣―』
(邦訳版 恩蔵詢子訳 新潮文庫 令和4(2022)/05/01)

に、<こだわり>についてこう書かれています。

 《<こだわり>は本質的に私的なものであり、
  自分がやっていることへのプライドの表明である。
  要は、<こだわり>は、
  ものすごく小さな細部を尋常でなく気にする、
  その方法のことなのだ。》p.49

また、こうも書いています。

 《<こだわり>は本質的に、
  他人に合わせるという可能性を一切排除するくらいに、
  頑固で、自己中心的な得失であるように見える。》p.51

例として、こだわりのラーメンを出す店主をあげています。

 《しかし、実際には<こだわり>が目指すゴールは、
  つまるところコミュニケーションの成立である。》p.51

といいます。
店主で言えば、<こだわり>の先にある“報酬”は、客の笑顔だ、と。

さらに、

 《<こだわり>の重要な点の一つは、
  市場原理に基づいた常識的予測のはるか上を行くところに、
  自分自身の目標をおくことである。》p.52

と。

この老人の場合も、漁のやり方はもちろん、
人生の様々な場面での<こだわり>のあれこれが
この小説の中心に描かれているように思います。

 

私も老人となり、
色々と身体の不調や精神的に落ち込むこともあります。

しかし、この老人のように、
なにかしら「これは」という<こだわり>を、
心の強さを持って生きていきたい、と思いました。

 

 ●左利きの観点から

まあ、これ以下は余談になりますが――。

『老人と海』は、
私のライフワークと呼んでいる左利きライフ研究の方面で、
一度取り上げています。

『レフティやすおのお茶でっせ』2005.5.26
『老人と海』に見る右利きの人の左手観 「新生活」版

 

--
 八十四日も不漁続きの老人が
 ついに大きなカジキマグロを二昼夜かけて釣り上げたものの、
 帰る途中でサメに食われ、港に持ち帰ったのは骨だけだった、
 という短いけれどドラマティックな名作です。

 今回は作品についてどうこう言うつもりはありません。
 このなかで
  主人公が左手について色々と述べている部分
 が気になりました。その辺を紹介してみましょう。
 右利きの人の非利き手である左手に対する考え、
 左手観といったものが垣間見れそうです。
--

新潮文庫の福田恆存訳の旧訳版から――

 《その気になれば、どんなやつだってやっつけられる。
  だが漁には右手が大切だ、かれはそう思った。
  そして左手で二、三度勝負をこころみたことがある。
  しかし、かれの左手はいつも裏切者だった。
  自分の思いどおりには動かない。
  それからというもの、かれは左手を信用しなくなった。》

--
 …私は、若い頃、
 右手で書字や箸使いを幾度となくこころみたことがある。
 しかし、私の右手はいつも裏切者だった。
 自分の思い通りには動かない。それからというもの、
 私は右手のみならず自分のすべての能力を信用しなくなった。…
--

というように、
この作品のなかで老人が示す左手に対する考えを紹介しながら、
右手観と左手観の違いについて書いています。

 

*参考:
新潮文庫 福田恆存訳の旧訳版『老人と海』2003/5/1

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本誌では、「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2022から(1) 新潮文庫『老人と海』ヘミングウェイ(高見浩訳)」と題して、全文紹介です。

 

本文にも書きましたが、私もいつしか老人の仲間入りしてしまいました。
いつの間にか、もう戻れないぐらいのところまで来ています。
棺桶の方が近い、というところでしょう。

でも、この老人のように、精一杯大魚に挑んでみたい、という気持ちは残っています。
結果はどうあれ、そのチャレンジ精神というのは、大事です。
そして、単にチャレンジするだけでなく、実際にそれなりの成果をあげる、ということはなんとか実現したいものです。

AmazonのKindleという電子書籍も、著者が友人への贈答用などに使える紙版が出せるようになったそうです。
左利きの本を出すというのは、自費出版ならいざ知らず、現実にはなかなか難しいものです。

Kindleなら自分の力で出せるので、チャレンジしてみたいと思ってはいたのですが、友人に贈れないなあ、と躊躇する部分がありました。
こういうサービスが始まれば、そういう友人にも贈れれるし、チャレンジのハードルも下がりそうです。

「老人力」という言葉があるようです。
『老人と海』の主人公のように、最後まで諦めることなく、死ぬまでに何か一つでも「これは」というものを残すべく、奮闘してみたいものです。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
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『レフティやすおのお茶でっせ』
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2022.06.30

中国の古典編―漢詩を読んでみよう(17)漢代(8)古詩十九首(2)-楽しい読書321号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
         ― 読書で豊かな人生を! ―
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2022(令和4)年6月30日号(No.321)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(17)漢代(8)古詩十九首から(2)」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 しばらくあきましたが、久しぶりに漢詩を読んでみましょう。

 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」の17回目です。

 後漢末期、五言詩が中国の詩の中心となるきっかけとなった
 作品群の一部が、後世「古詩十九詩」としてまとめられました。
 今回も引き続き、そのなかから<妻の悲しみ>についての詩を――。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 知識人の悲しみ ◆
 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(16)漢代(6)
  後漢末期・古詩十九首 から(2)妻の悲しみ
  ~ 其の二/其の十九/古詩 ~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「五、知識人の挫折――古詩十九首」より

 

 ●古詩十九首 其の二

漢詩の伝統の中には、妻の悲しみをテーマにする系譜があるそうで、
その出発点となったのが、この「古詩十九首」あたりで、
今回はそういう詩を紹介しましょう。

 ・・・

 其二  其の二  無名氏

青青河畔艸  青青(せいせい)たる河畔(かはん)の草(くさ)
鬱鬱園中柳  鬱鬱(うつうつ)たる園中(えんちゅう)の柳(やなぎ)

盈盈楼上女  盈盈(えいえい)楼上(ろうじょう)の女(じょ)
皎皎当窓牅  皎皎(きょうきょう)として窓牅(そうゆう)に当(あた)る

 青々(あおあお)と萌(も)え出(い)でる河辺(かわべ)の若草
 鬱蒼(うっそう)と茂っている庭の柳

 満ちあふれるような美しさを発散させている高楼(たかどの)の上の女性
 輝くように色白のその姿が、窓辺に寄り添っている

 

娥娥紅紛粧  娥娥(がが)たる紅紛(こうふん)の粧(よそほひ) 
繊繊出素手  繊繊(せんせん)として素手(そしゆ)を出(いだ)す

昔為倡家女  昔(むかし)は倡家(しようか)の女(じょ)に当(あた)る
今為蕩子婦  今(いま)は蕩子(とうし)の婦(つま)為(た)り

 なおやかに美しいその姿を
  紅おしろいのお化粧がさらに引き立てている
 彼女はほっそりとした白い手を見せている

 彼女は以前、演芸場に勤める娘であった
 今では旅ばかりしている夫の妻になっている

 

蕩子行不帰  蕩子(とうし) 行(ゆ)きて帰(かえ)らず
空床難独守  空床(くうしよう) 独(ひと)り守(まも)ること難(かた)し

 夫は家を出たままずっと帰って来ない
 さだめし彼女は、夫のいない寝床で独り過ごすことがつらいんだろう

 ・・・

行商人なのか、旅に出ている夫の妻となった歎きを詠う詩ですが、
その裏に暗号が隠されているといいます。

 《旅する夫と別れている若妻に託して、当時の知識人の、
  仲間と会えない、
  朝廷の天子さまに会えない歎きが表現されています。》p.179

第二句の「鬱」という字、これが植物を形容することは、めずらしく、
『詩経』の歌に
(秦風―晨風)――
 「鴥(いつ)たる彼の晨風/鬱たる彼の北林/未だ君子を見ず/
  憂いの心 欽欽たり」
 「さっと激しく吹く朝風、うっそうと茂る北の森。
  そちらの森の方角にいる賢者に会えない、私の心は悩んでばかり」
とあり、

 《“鬱蒼と茂る樹木”というのは、立派な人、
  慕わしい人に会えないことを言う枕詞のようになっている》p.179

そこがこの詩とダブる、といいます。

『詩経』の知識がないと分からないのですが、そこで、
『詩経』が広く定着した後漢以後に作られた詩だと推測できるわけです。

こういうダブルミーニングな部分が、「古詩十九首」の特徴です。

主人公が女性で、
その裏に作者である知識人層の悲しみが込められている、といいます。

 

 ●「閨怨詩(けいえんし)」

漢詩の大きなジャンルの一つ「閨怨詩(けいえんし)」――
「閨」は、“女性が部屋で歎くことを歌う歌”の意味。

 《表面的には男性の愛が得られない女性の歎きを歌いながら、
  その裏に、才能があるのに君主に用いられない作者の歎きを
  重ねるわけです。》p.180

女性の姿を美しく表現することで、
作者の才能が優れていることを示すので、
そういう詩が清朝末期まで脈々と作られたのだそうです。

これは、中国の多くの詩人たちが
役人だったことに関係するのではないでしょうか。
これは女心なんだと言い逃れしやすかったから。

 

 ●古詩十九首 其の十九

次に、「閨怨」のテーマとして有名な歌を紹介しましょう。

 ・・・

 其十九  其の十九  無名氏

明月何皎皎  明月(めいげつ) 何(なん)ぞ皎皎(きょうきょう)たる
照我羅牀幃  我(わ)が羅(うすぎぬ)の牀幃(しようい)を照(てら)す
憂愁不能寐  憂愁(ゆうしゅう)して寐(い)ぬる能(あた)はず
攬衣起徘徊  衣(ころも)を攬(と)りて 起(た)ちて徘徊(はいかい)す
客行雖雲楽  客行(かくこう) 楽(たの)しと云(い)ふと雖(いへど)も
不如早旋帰  早(はや)く旋帰(せんき)するに如(し)かじ
出戸獨彷徨  戸(こ)を出(い)でて独(ひと)り彷徨(ほうこう)し
愁思当告誰  愁思(しゅうし) 当(まさ)に誰(たれ)にか告(つ)ぐべき
引領還入房  領(うなじ)を引(ひ)いて
        還(かえ)りて房(へや)に入(い)れば
涙下沾裳衣  涙(なんだ)下(くだ)つて裳衣(しょうい)を沾(うるは)す

 ・・・

遠く旅に出た夫を待つ妻のようすを歌うものです。

 《彼女は月の明るい晩、眠れぬまま外へ出てゆきます。
  しかしなすすべもなくまた部屋に戻り、涙にくれてしまう……。
  この詩の“夜中の不眠→不安のため歩き回る”という設定は
  ひろく支持されまして、後漢から三国時代にかけて、
  同じような詩がたくさんが作られています。》p.181

 

 ●古詩

次に、「古詩十九首」に収められていない当時の古詩を紹介します。

 ・・・

 古詩  古詩  無名氏

上山採蘼蕪  山(やま)に上(のぼ)つて蘼蕪(びぶ)を採(と)り
下山逢故夫  山(やま)より下(くだ)つて故夫(こふ)を逢(あ)う
長跪問故夫  長跪(ちようき)して故夫(こふ)に問(と)ふ
新人復何如  新人(しんじん) 復(ま)た如何(いかん)と

 山に登って蘼蕪(おんなかずら)という草をつみとり、
 山から降りたところで元の夫に出会った
 丁寧にお辞儀をして尋ねた
 “今度の奥さんはいかがですか”

新人雖言好  新人(しんじん) 好(よ)しと言(い)ふと雖(いへど)も
未若故人姝  未(いま)だ故人(こじん)の姝(しゆ)なるに若(し)かず
顏色類相似  顔色(がんしよく)は類(おほむ)ね相(あひ)似(に)たるも
手爪不相如  手爪(しゆそう)は相(あひ)如(し)かずと

 新しい妻はいい人ではあるが
 君の美貌には敵わない
 容貌が要望がだいたい同じだとしても
 手芸の腕前は君に敵わないよ

新人従門入  新人(しんじん) 門(もん)より入(い)り
故人従閣去  故人(こじん) 閣(かく)より去(さ)る
新人工織縑  新人(しんじん)は縑(けん)を織(お)るに工(たくみ)にして
故人工織素  故人(こじん)は素(す)を織(お)るに工(たくみ)なり

 新しい妻が表門から入った時
 元の妻は台所から去って行った
 新しい妻は手の込んだ[かとり](傍点)絹を織るのが上手で
 元の妻は[しろ](傍点)絹を織るのが上手だった

織縑日一匹  縑(けん)を織(お)ること日(ひ)に一匹(いつぴき)
織素五丈余  素(そ)を織(お)ること五丈(ごじよう)余(よ)  
将縑來比素  縑(けん)を将(もつ)て
        来(きた)つて素(そ)に比(ひ)すれば
新人不如故  新人(しんじん)は故(こ)に如(し)かず

 新しい妻がかとり絹を織るのは一日に四丈で
 元の妻がしろ絹をおるのは一日に五丈を超えていた
 かとり絹をしろ絹に比べて見ると
 新しい妻は元の妻には敵わない

 ・・・

久しぶりに出会った元の妻と夫、
妻は今も夫を思い、夫も元の妻の方がみばもよければ、
織物の仕事の腕も優れていると、未練も残っている様子。

解説の宇野さんは、
当時の手工業者の集りの余興に歌われたものではないか、
と想像されています。

 《内容面では、今なお愛情を抱いている二人が、
  何かやむを得ない事情のために離別している感じがあって、
  後漢後半の非常に過酷な世の中で懸命に生きる民衆の姿が見えます》
   p.184
と。

『詩経』の草つみのたとえ――妻が離れている夫や恋人の健康や
再会を祈ることを表す――を受け継いでいるように、
《たいへん素朴で暗号もなく》、
《後漢に流行していたオリジナルに近い》もので、
当時歌われていたそのままの姿で伝わったのではないかといいます。

「古詩十九首」は、すべて暗号が入り、起承転結もきちんとして、
完成度が高い。

それは、『文選』によって表面に出るまで300年間、
《宦官の勢力を恐れながら密かに歌い継がれるうちに
 いろんな人の知恵が入ってアレンジされ、完成度が高くなった》p.184
と考えられると言います。

 ・・・

歌というものは、その時々の人々の様々な思いが込められ、
歌い継がれてきた、といいますが、
まさにそういう人々の思い、ときに男女の思いが歌われているのは、
いつの世も変わらぬもののようです。

個人の思いよりも、世の中の、社会の圧力といったもののなかで、
生きてゆかねばならなかったということでしょう。

戦後の日本では、かなり個人の思いが叶う可能性が高くなっています。
そういう時代に生きている喜びというものを
もう一度大事にしたいものです。

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(17)漢代(8)古詩十九首から(2)」をお届けしています。

今回もまた全文転載です。

お気に召した方はぜひ、弊誌のご購読を!

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2022.06.15

私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―<2022年岩波文庫フェア>から-楽しい読書320号

 ―第320号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★ 2022(令和4)年6月15日号(No.320)
「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』
―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」

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         ― 読書で豊かな人生を! ―
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2022(令和4)年6月15日号(No.320)
「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』
―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」
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 今回は、久しぶりに<岩波文庫フェア>を取り上げます。
 2019年以来の<岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」>です。

2022年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」
https://www.iwanami.co.jp/news/n46643.html

 毎年夏休みに恒例の新潮文庫・角川文庫・集英社文庫の
 三社夏の文庫フェアは、
 こちらでも私のお気に入りを紹介してきました。

 それに引き比べ岩波文庫の方は、一時期扱っていただけ。
 どうしても一社のみのフェアですので、
 扱える範囲が限られるということもあり、

 毎年は取り上げにくいものがあります。

 また近年は、フェアの特集冊子が発行されなくなり、
 それもさびしく、取り上げにくくなっています。

 無料であれだけ有意義な内容の冊子を作っていたのですから、
 「スゴイ」の一語でした。

 もちろん、のちにまとめて一冊の文庫本に仕立てて、
 ラインアップにくわえてはいましたけれど。

 

<過去に扱った岩波文庫フェア>

2019(令和元)年6月30日号(No.250)-190630-
「2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...」

2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...
―第250号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2019/06/post-b015ac.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/e3a5116ac2b0a7abfec291e180ec97ce

 

2016(平成28)年8月31日号(No.182)-160831-
「2016年岩波文庫フェア-名著名作再発見から―森の生活、論語」

2016年岩波文庫フェア-名著名作再発見から―森の生活、論語
―第182号 別冊 編集後記
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-12194826487.html
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2016/08/2016--3cd9.html

 

2015(平成27)年7月15日号(No.155)-150715-
「私の読書論-69- 2015年岩波文庫フェア-名著名作再発見」

持ち時間別に読む本~私の読書論69-2015年岩波文庫フェア
-名著名作再発見 ―第155号 別冊 編集後記
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-12048469836.html
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2015/07/69-2015--b3c3.html

 

2014(平成26)年10月15日号(No.137)-141015-
「私の読書論-61- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(4) その他あれこれ」

古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(4) その他:私の読書論61
―第137号 別冊 編集後記
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11938507746.html
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/10/-461-255f.html

 

2014(平成26)年9月15日号(No.135)-140915-
「私の読書論-60- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(3) 外岡秀俊」

古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(3):私の読書論60
―第135号 別冊 編集後記
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11924535782.html
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/09/-360-4a5d.html

 

2014(平成26)年8月15日号(No.133)-140815-
「私の読書論-59- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(2) 伊藤真」

古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(2):私の読書論59
 ―第133号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/08/-259-04f9.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11909797601.html

 

2014(平成26)年7月15日号(No.131)-140715-
「私の読書論-58- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(1) 安藤元雄」

古典を考える 岩波文庫フェア/名著・名作再発見! 小冊子から
 ―第131号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/07/post-2f48.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11893553438.html

 

2012(平成24)年8月31日号(No.88)-120831-
2012年岩波文庫フェアから
<名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう> 

2012年岩波文庫フェアからの古典のおススメ ―第88号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2012/08/2012-fcb9.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11341482084.html

 

2011(平成23)年6月15日号(No.59)-110615-
私の読書論-22-初心者のための読書の仕方を考える
 (4)最初の一冊の選び方

岩波文庫<名著・名作再発見!>最初の一冊の選び方:
「原典」から入ろう! ―第59号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2011/06/post-1678.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-10922640244.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 私の読書論159 -
  ◆ 精神の自由と幸福に生きる方法 ◆
  ~ 元奴隷の哲学者の人生哲学 ~
  エピクトテス『人生談義』―『語録』『要録』
   <2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!――から
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●2022年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」

まずは、そのラインアップから紹介しましょう。

 

2022年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」

▼1.五輪書【青2-1】  宮本 武蔵/渡辺 一郎 校注
▲2.学問のすゝめ【青102-3】  福沢 諭吉
3.善の研究【青124-1】  西田 幾多郎
▲4.遠野物語・山の人生【青138-1】  柳田 国男
5.新版 きけ わだつみのこえ【青157-1】
 日本戦没学生記念会 編
6.君たちはどう生きるか【青158-1】  吉野 源三郎
7.意識と本質【青185-2】  井筒 俊彦
▲8.論語【青202-1】   金谷 治 訳注
9.北斎 富嶽三十六景【青581-1】  日野原 健司 編
▼10.エピクテトス 人生談義(上)【青608-1】  國方 栄二 訳
▼ エピクテトス 人生談義(下)【青608-2】  國方 栄二 訳
▼11.マルクス・アウレーリウス 自省録【青610-1】  神谷 美恵子 訳
12.永遠平和のために【青625-9】  カント/宇都宮 芳明 訳
▼13.読書について  他二篇【青632-2】
 ショウペンハウエル/斎藤 忍随 訳
▲14.死に至る病【青635-3】  キェルケゴール/斎藤 信治 訳
▼15.ラッセル 幸福論【青649-3】  安藤 貞雄 訳
▼16.ロウソクの科学【青909-1】  ファラデー/竹内 敬人 訳
17.生命とは何か【青946-1】
 シュレーディンガー/岡 小天,鎮目 恭夫 訳
18.何が私をこうさせたか【青N123-1】  金子 文子
・19.古事記【黄1-1】   倉野 憲司 校注
▲20.源氏物語(一) 桐壺―末摘花【黄15-10】 柳井 滋,室伏 信助,
 大朝 雄二,鈴木 日出男,藤井 貞和,今西 祐一郎 校注
21.西行全歌集【黄23-2】  久保田 淳,吉野 朋美 校注
▼22.新訂 方丈記【黄100-1】  鴨 長明/市古 貞次 校注
・23.新訂 徒然草【黄112-1】  西尾 実,安良岡 康作 校注
24.芭蕉 おくのほそ道【黄206-2】  末尾 芭蕉/ 萩原 恭男 校注
▲25.こころ【緑11-1】  夏目 漱石
▲26.夢十夜 他二篇【緑11-9】  夏目 漱石
27.柿の種【緑37-7】  寺田 寅彦
▼28.濹東綺譚【緑41-5】  永井 荷風
29.銀の匙【緑51-1】  中 勘助
30.萩原朔太郎詩集【緑62-1】  三好 達治 選
▲31.蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇【緑70-7】 芥川 竜之介
▲32.童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇【緑76-3】
 宮沢 賢治/谷川 徹三 編
・33.江戸川乱歩短篇集【緑181-1】 千葉 俊二 編
・34.桜の森の満開の下・白痴 他十二篇【緑182-2】 坂口 安吾
35.自選 谷川俊太郎詩集【緑192-1】  谷川 俊太郎
36.茨木のり子詩集【緑195-1】  谷川 俊太郎 選
37.危機の二十年【白22-1】  E.H.カー/原 彬久 訳
▲38.日本国憲法【白33-1】  長谷部 恭男 解説
39.民主体制の崩壊【白34-1】   フアン・リンス/ 横田 正顕 訳
▲40.自由論【白116-6】  J.S.ミル/関口 正司 訳
41.マルクス エンゲルス 共産党宣言【白124-5】
 大内 兵衛,向坂 逸郎 訳
42.プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神【白209-3】
 マックス・ヴェーバー/大塚 久雄 訳
43.職業としての政治【白209-7】
 マックス・ヴェーバー/ 脇 圭平 訳
44.アイヌ神謡集【赤80-1】  知里 幸惠 編訳
▲45.ソポクレス オイディプス王【赤105-2】  藤沢 令夫 訳
▲46.動物農場【赤262-4】  ジョージ・オーウェル/川端 康雄 訳
47.対訳  ディキンソン詩集【赤310-1】  亀井 俊介 編
▲48.人間とは何か【赤311-3】  マーク・トウェイン/ 中野 好夫 訳
▲49.新編 悪魔の辞典【赤312-2】  ビアス/ 西川 正身 編訳
▲50.若きウェルテルの悩み【赤405-1】  ゲーテ/竹山 道雄 訳
52.バウドリーノ(上)【赤718-2】 ウンベルト・エーコ/堤 康徳 訳
 バウドリーノ(下)【赤718-3】 ウンベルト・エーコ/堤 康徳 訳
53.白い病【赤774-3】  カレル・チャペック/阿部 賢一 訳
54.伝奇集【赤792-1】  J.L. ボルヘス/鼓 直 訳
55.20世紀ラテンアメリカ短篇選【赤793-1】  野谷 文昭 編訳
56.やし酒飲み【赤801-1】  エイモス・チュツオーラ/ 土屋 哲 訳
57.失われた時を求めて1 スワン家のほうへI【赤N511-1】
 プルースト/吉川 一義 訳
▼58.星の王子さま【赤N516-1】  サン=テグジュペリ/内藤 濯 訳
59.声でたのしむ 美しい日本の詩【別冊25】
  大岡 信,谷川 俊太郎 編

(全59点61冊)※2022年5月27日発売(小社出庫日)

 ▼ 岩波文庫版で読んだもの
 ▲ 他社版で読んだもの
 ・ 一部読んでいるもの

私の読んだ本、一部読んだ本など25点。

弊誌で取り上げた作品も『論語』や『星の王子さま』など、
いくつもあります。

 

 ●私のオススメの名著・名作

どれも読んでおいて損はない名著名作揃いなのですが、
比較的最近、私が読んだものの中から、
私のお気に入りのオススメ本をあげますと――

名著(リアル系)では、

 エピクテトス 人生談義
 ロウソクの科学  ファラデー
 死に至る病  キェルケゴール
 人間とは何か  マーク・トウェイン

名作(小説・フィクション系)では、

 濹東綺譚  永井 荷風

あたりでしょうか。

『死に至る病』は、実は途中までしか読んでいません。
もう一度機会を見て読んでみようと思います。
途中まではいいんですがね、なんといえばいいのか……。

『ロウソク――』と『人間――』は、
ともに読み応えのある小著(「小さな一冊」)といっていいでしょう。

 

その他の定番中の定番ともいうべきもののうち、
私の既読のものから、特にここに書き出しておきたい作品として
あげておきますと――

名著では

 五輪書  宮本 武蔵
 学問のすゝめ  福沢 諭吉
 論語
 読書について  ショウペンハウエル

など。

フィクション系では、

 ソポクレス オイディプス王
――現存するギリシア悲劇三大詩人の作品中の最高裁大の傑作
 蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 芥川 竜之介
――芥川龍之介の児童ものの名作集
 星の王子さま  サン=テグジュペリ
――『トム・ソーヤーの冒険』と並ぶ私のベスト・ワンを争う双璧

それぞれ「小さな一冊」と呼んでいいでしょう。
でも中身は読み応え十分です。

 

 ●本年第一位――『エピクテトス 人生談義』

今年の59点から私の選ぶ一点は、『エピクテトス 人生談義』です。

*(新訳)
『エピクテトス 人生談義(上)』國方 栄二 訳 岩波文庫【青608-1】 2020/12/17

『エピクテトス 人生談義(下)』國方 栄二 訳 岩波文庫【青608-2】‎ 2021/2/18 

 

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元奴隷の哲学者エピクテトスの
奴隷という立場からの生き方を反映したと思わせる人生哲学です。

『エピクテトス 人生談義』は、
古代ローマ時代の元奴隷の哲学者エピクテトスの講義録のようなもので、
弟子のアリアノスという人がまとめた『語録』
(現存するのは全八巻中の四巻のみ)と、その『要録』(抄録作品)と、
「断片」からなる。

タイトルの『人生談義』は、
旧訳の鹿野治助訳(1958年)の書名を継承したもの。

*(旧訳)
『人生談義〈上〉〈下〉』エピクテートス/著 鹿野 治助/訳 岩波文庫 1958/7/5

 

エピクテトスは、
ローマ皇帝で『自省録』の著者マルクス・アウレーリウスや
セネカと並ぶ古代ローマの後期ストア派の哲学者で、
奴隷の子に産まれ、奴隷として長年暮らし、哲学を学び、
解放後は学校を開き、哲学の講義を行った。
アリアノスはその弟子の一人。

近代以降の哲学は、学者のための学問のようになって、
一般人には縁遠い高邁なものになってしまった印象があります。

しかし、古代の哲学は、まさに「よく生きる」ための学問で、
人生とは何か、どうすればしあわせに生きることができるのかを問う
人生論・幸福論のような一般人にもなじみ深いものになっています。

『エピクテトス 人生談義』は、
まさにそういう生き方論の考え方を教えてくれる
教科書のようなものではないでしょうか。

前回の「私の読書論158」では、
アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を取り上げましたが、
それにも似た、幸福論の一冊として読めるものです。

アリストテレスのような理詰めの論文調とは違い、
講義録といっても、『論語』に近いものかもしれません。
しかも内容的には、『老子』のような逆説に満ちています。
しかし一見逆説に見えますが、
よくよくきいてみるとなるほどと納得できる転回があります。

この『要録』を自身の『幸福論』の中で紹介している
スイスの哲学者カール・ヒルティは、こう書いています。

 《この書物は、現在そうであるよりも一層広く読まれる価値があり、
  ことに学校でもっと多く読まれてよいものである。
  まさにストア主義は、向上の精神にもえて修業の道にいそしむ
  青年の魂と性格とに、
  非常な魅力と、鼓舞の力とを与えるものである……》p.43

   ――ヒルティ『幸福論(第一部)』草間平作訳 岩波文庫

*『幸福論(第一部)』ヒルティ/著 草間 平作/訳 岩波文庫 1961/01)

 

日本では、このヒルティの『幸福論 第一部』中の「要録」が
最もよく読まれたエピクテトスでしょう。

旧訳の『人生談義』はあまり読まれてはいなかったように思います。
抄訳の方は、
『世界の名著(13) キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス』
 (責任編集/鹿野治助 中央公論社 1968)に収録され、
これは今も読まれているようですけれど。

今度の新訳はもっと読まれてほしいと思っています。

訳者の國方栄二さんの著作

『ギリシア・ローマ ストア派の哲人たち』
(中央公論新社 2019――ストア派哲学の初期から後期まで、
特に後期のエピクテトス、セネカ、アウレリウスについての著作)

で、この新訳が出るという話を知り、出るや早々購入したものでした。

本書の上巻の巻末解説「エピクテトスの生涯と著作」の末尾に、
<幸福論・人生論として>と書かれているように、
そういう読み方をしていただきたいものです。

 

 ●われわれの力の及ぶものとわれわれの力の及ばないもの

具体的に内容に触れておきましょう。

いちばん衝撃的といいますか、感銘を受けたのは、冒頭のこの一節です。

『語録』「第一巻/第一章
 われわれの力の及ぶものとわれわれの力の及ばないもの」より

 《われわれの力の及ぶものは、
  最も善いように処理しなければならないが、
  力の及ばないものは自然のままに扱うようにしなければならない
  ということだ。/「自然のままにとはどういうことだ」/
  神がのぞむままにということだ。》『上巻』p.23

 《(略)何が自分の手元にあるだろうか。何が私のものであり、
  何が私のものではないのか、何が私に許されており、
  何が許されていないのかを知ること、
  これ以外に何があるだろうか。》同 p.24

 《(略)私を縛るのか。君は私の足を縛るだろう。
  だが、私の意志はゼウスだって支配することはできない。》同 p.25

 

次に長いですが、『要録』の「一」の冒頭部分を。

 《物事のうちで、あるものはわれわれの力の及ぶものであり、
  あるものはわれわれの力の及ばないものである。
  「判断、衝動、欲望、忌避」など、一言でいえば、
  われわれの働きによるものはわれわれの力の及ぶものであるが、
  「肉体、財産、評判、官職」など、一言でいえば、
  われわれの働きによらないものは、
  われわれの力の及ばないものである。
  そして、われわれの力の及ぶものは本性上自由であり、
  妨げられも邪魔されもしないが、
  われわれの力の及ばないものは脆弱で隷属的で妨げられるものであり、
  本来は自分のものではない。
  そこで次のことを心に留めておくがいい。
  本性上隷属的であるものを自由なものと考え、
  自分のものでないものを自分のものと考えるならば、
  君は妨げられ、苦しみ、神々や人びとを非難するだろう。
  だが、君のものだけを君のものと考え、自分のものでないものは、
  実際そうであるように、自分のものでないものと考えるならば、
  だれもけっして君を強制したりしないし、邪魔したりもしないし、
  君はだれをも非難したりせず、だれかを咎めることもなく、
  なにひとつとして不本意におこなうようなこともなく、
  だれも君を害することはないし、敵をもつこともないだろう。
  なにか害を受けることもないからだ。》『下巻』p.360

 

要するに、
「われわれの力の及ぶもの」と
「われわれの力の及ばないもの」とを分けて考えよ、
という教えです。

「われわれの力の及ぶもの」――自分の意志で変えられるもの、と
「われわれの力の及ばないもの」――
自分の意志でどうにかできるとは限らないもの、
とをごっちゃに考えるから、事態が難しくなるというのです。

いい成績を取ろうと思い、一所懸命勉強することはできますが、
結果としていい成績を残せるかどうかは、なんともいえません。

自分の評判を上げようと、
人の気に入られるような行動を取ることはできますが、
それで評判が上がるかどうかは分かりません。

しかし「私は努力した」と、自分の気持ちを満たすことはできます。
人の心というものは、自分の力ではどうにもできませんが、
自分の心は自分の力でどうにかできる、自分の力の及ぶ範囲です。

究極ともいうべきは、
「君は私の足を縛れるが、私の意志は縛れない」というのがそれですね。

精神の自由を奪うことはできない、という宣言です。

奴隷の子に産まれ奴隷として過ごしてきた人、
エピクテトスらしい発想といえましょう。

 

 ●松井秀喜さんの『不動心』にも……

この「われわれの力の及ぶもの」と
「われわれの力の及ばないもの」を分けて考えよ、という教えは、
日本のプロ野球やアメリカの大リーグでも活躍した
松井秀喜さんも、その著書『不動心』(新潮新書 2007/2/16)の中で、

「自分のコントロールできることとできないことを分ける」

という言葉で表現されています。

左手のケガで試合に出場できなくなったとき、出場に向けてケガを治し、
無事な部分の体力筋力を維持するという、最善の準備をした、と。

最善の準備は、自分の力の及ぶ範囲のことですが、
結果は、自分の力の圏外のことです。

*『不動心』松井秀喜 新潮新書 2007/2/16

 

 ●私たちは劇の俳優だ、選ぶのは他の人

もうひとつ書いておきたいことがあります。

それは、『要録』の「一七」――。

 《次のことを心に留めておくがいい。
  君は劇作家がのぞむような俳優なのだ。
  劇作家が短いものを望めば短い劇の俳優になるし、
  長いものを欲するなら長い劇の俳優になるのだ。
  もし君に物乞いを演じることを望めば、
  それを上手く演じるようにせよ。(略)
  というのは、君の仕事は、
  あたえられた役を立派に演じることだが、
  どの役を選ぶのかは、他の人の仕事であるから。》『下巻』p.372

 

『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業
――この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』
(荻野弘之 かおり&ゆかり[漫画] ダイヤモンド社 2019)

というエピクテトスの本をもとに、
一般向けに人生訓・幸福論として
漫画と解説でわかりやすく紹介する本があります。

この最終話「さよなら、エピさん」(漫画)にこうあります。

 《どんな国に生まれ/どんな身体/どんな両親や兄弟を持ち/
  そして/どのような環境や立場に/置かれるかは/
  すべて神次第じゃ/
  しかし/神の仕事は/そこまでじゃ/
  そこからは/我々の仕事じゃ/
  神に与えられた場で/どのように/生きるかは/
  「我々次第」で/あるからな》

いま「親ガチャ」という言葉があるそうです。
俗に「ガチャガチャ」と呼ばれる
お金を入れてダイヤルを回すと丸い透明ケースに入った景品が出てくる
というヤツ、ですね。
あれのようにどんな親に生まれるかは当て物のようなものだ、
というわけです。

確かに経済力のある家に生まれれば、有利に人生を始められます。
あるいは遺伝的に優位の親の下に生まれれば――
例えば、頭がいいとか運動能力に優れているとか、であれば――
その素質を受け継いで、優良な人間になれるかもしれません。

しかし、神様の仕事はそこまでで、そこからは自分の努力次第です。
優れた素質を活かせるかどうかは、本人次第なのですから。

エピクトテスは、それを俳優に例えています。
私たちは、雇われた俳優で与えられた自分の役を精一杯演じるのみです。
勝手に主役を演じたりはできません。
たとえ端役でも腐ったりしないで、今自分の持てる力を精一杯ぶつける。
そうした努力を続けていれば、いつかは実力が正当に認められ、
自分にふさわしい役どころを得る日も来るかもしれません。

人生というものもそうで、与えられた場所で、
精一杯自分を活かすように努力するしかないのです。

渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』というのも同じですね。

*『置かれた場所で咲きなさい』渡辺 和子 幻冬舎文庫 2017/4/11

 

そここそが自分の力の及ぶ範囲なのですから。

そして、自分の力の及ばないものに関しては、煩わされないようにする。

この二つの違いをしっかり見極めて自分らしく生きていきましょう!
――というお話でした。

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

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本誌では、「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」をお届けしています。

今回も全文紹介です。

前回同様長くなっていますが、ご容赦のほどを!

まあ、毎度のことで驚きはないでしょうけれど。

今回紹介した『エピクトテス 人生談義』は、プラトンの『クリトン』(ただ生きるのではなく「よく生きる」云々)などの<ソクラテス対話篇>の諸編、アランの『幸福論』、最近では前号でも紹介しましたアリストテレスの『ニコマコス倫理学』などとともに、私の気になる哲学書の一つです。
冗長な部分もありますが、『語録』『要録』を並べて読んでみれば、何かしら感じるところがあるかと思います。

なかでも冒頭の「われわれの力の及ぶものとわれわれの力の及ばないもの」をしっかり見極めて分けて考えよ、の教えは、非常に有効なものだと思います。

努力には、有効な努力とムダな努力があると思います。
自分の力の及ぶ範囲を見極めることで、ムダな努力を減らし、有効な努力に注力する。
人生は短い、そういう努力が必要だと思います。

「ムダな努力」が不要だとは思いません。
「努力することにムダはない」という考え方もあります。

しかし、物事には明らかに「ムダな努力」としかいえないものもあります。
そういうものを減らし、有効な努力に変えてゆく。
自分の力の及ぶ範囲のこと、自分がコントロールできることに注力する。

自分の力の範囲で生きるということは、人生の舞台で与えられた役回りを精一杯演じること。

それが大切なことで、<よく生きる>ことにつながるものでしょう。

 

[追記 2022.6.17]

私のもう一つのメルマガ、左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』の2021年の新春号で、2021年末に出た『人生談義(上巻)』をもとにした文章を書いていました。

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

第586号(No.586) 2021/1/2
「2021(令和3)年 新春放談 自分の力の及ぶものと及ばないもの」

<別冊編集後記>
2021.1.2
2021(令和3)年 新春放談 自分の力の及ぶものと及ばないもの-週刊ヒッキイhikkii第586号

(「新生活」版)

 

当時は、(下巻)はまだ出ていなくて、待ち遠しく感じたものでした。

すっかり忘れていましたが、結構エピクテトスの『人生談義』(『語録』と『要録』)について書いていたのですね。
別のメルマガの方だったので、チェックもれしていました。

私にとってそれだけ強烈な印象を持っている著作だった、ということです。

 ・・・

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2022.05.31

私の読書論158-アリストテレス『ニコマコス倫理学』―<NHK100de名著>から-楽しい読書319号

 ―第319号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★ 2022(令和4)年5月31日号(No.319)
「私の読書論158-アリストテレス『ニコマコス倫理学』
―<NHK100de名著>から」

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         ― 読書で豊かな人生を! ―
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
------------------------------------------------------------------
2022(令和4)年5月31日号(No.319)
「私の読書論158-アリストテレス『ニコマコス倫理学』
―<NHK100de名著>から」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 本来ですと、月末は古典の紹介、
 現在は「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」で、
 その17回目なのですが、今回はお休みさせていただきます。

 今回は特別編で、

  私の読書論158-アリストテレス『ニコマコス倫理学』
   ―<NHK100de名著>から

 をお届けします。

 

 <NHK100de名著>に関しましては、
 以前、ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』で
 私のお気に入りの名著・名作を取り上げてきました。

 『レフティやすおのお茶でっせ』カテゴリ:
NHK100分de名著

 をご覧ください。

 5月の放送が、私のお気に入りの名著の一つ
 (内容を「理解」できているかどうかは別ですよ!?)
 「アリストテレス『ニコマコス倫理学』」で、
 久しぶりに取り上げようと思ったのですが、時間的に無理でした。

 とはいえ、日にちがたってしまってもどうか、と思い、
 あえてこちらで取り上げてみようと思います。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 私の読書論158 -
  ◆ 人生の究極目的を問う ◆
  ~ 幸福とは? 友愛とは? ~
  アリストテレス『ニコマコス倫理学』
   <NHK100de名著>2022年5月――から
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●<NHK100de名著>と私

<NHK100de名著>は、
月曜日の夜、10時台のEテレで放送されている番組です。
以前は結構見ていました。
気になる名著・名作を扱った分は、ブログで紹介してきました。

ところが、ここ何年かは、全くといっていいほど見ていませんでした。

気になるタイトルを扱っていないということもありました。
しかし、それだけではなく、
何となく視聴習慣がなくなってしまった、というのが理由でしょう。

 

結局今回も、私は放送をほとんど見ることができませんでした。
第4回の最後の10分程度だけ。

一度視聴習慣を失うと、そういうものでしょうね。
もちろん、録画して見るという便利な方法が
この世の中にはあるらしいのですが……。

そこでここでは、テキストの内容を中心に、
私が以前この本を読んだ時の印象などを交えて、
この名著を紹介してみようと思います。

 

 ●<NHK100de名著>2022年5月―アリストテレス『ニコマコス倫理学』

まずは、<NHK100分de名著>のサイトの情報から――

名著119「ニコマコス倫理学」アリストテレス 2022年4月28日 午前11:58 公開

プロデューサーAのおもわく。

 《天文学、生物学、詩学、政治学、論理学、形而上学など
  あらゆる分野の学問の基礎を確立し、「万学の祖」と呼ばれる
  古代ギリシアの哲学者アリストテレス(前384- 前322)。
  そんな彼が「倫理学」という学問を史上初めて体系化し、
  その後の「倫理学」の「原点」となったともいえる名著が
  「ニコマコス倫理学」です。新生活がスタートしてまもない五月。
  「五月病」など職場や学校に適応できず人生に悩む人が多い
  この時期に、「幸福」や「生き方」を深く考察する
  この著作をわかりやすく読み解くことで、
  現代に通じるメッセージを掘り起こします。

  アリストテレスは、幸福が人間がもっている本来の固有の能力を
  発揮することにあり、その能力を十全に発揮するためには、
  外的な幸運を生かすための内的な力である「徳(アレテ―)」を
  身につける必要があると考えました。
  この「徳」は一定の行動を何度も繰り返し習慣化することで、
  「性格」として身につけることができるといいます。
  いわば、彼の倫理学は、
  義務や禁止などの堅苦しいルールを学ぶ学問ではなく、
  人間が幸福になるための知の体系なのです。

  ただし、この書物は単に偉大な哲学者の豊かな思索の跡を
  読者にたどらせてくれるだけではありません。
  現代において私たち一人ひとりが
  「よく生きる」「充実して生きる」ことを目指す際に活用できる
  豊かな洞察が散りばめられた書物でもあります。
  哲学研究者の山本芳久さんによれば、千年単位で受け継がれてきた
  この名著のエッセンスを読み解いていくと、
  単に倫理の知識を学ぶにととまらず、読者の一人ひとりが
  それぞれの人生において活用していくことのできる
  生きた知恵を学ぶことができるといいます。

  番組では、山本芳久さんを指南役として招き、
  ギリシア哲学の名著「ニコマコス倫理学」を分り易く解説。
  アリストテレスの倫理学を現代につなげて解釈するとともに、
  そこにこめられた【幸福論】や【生き方論】、
  【友情論】などを学んでいく。》

【指南役】山本芳久(東京大学大学院教授)
…「トマス・アクィナス 理性と神秘」でサントリー学芸賞受賞。

【朗読】小林聡美(俳優)【語り】小坂由里子【声】羽室満

アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年5月 (NHKテキスト)
NHK出版 2022/4/25

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(画像:<NHK100de名著>テキストと私の持っている『ニコマコス倫理学』光文社古典新訳文庫版の訳本)

 ●テキスト――【はじめに】「いかによく生きるか」を考える学問

冒頭、山本さんは、

 《哲学とは、言葉による思索を通じて
  物事を根本から理解し直そうとする学問》

だとし、フランスの哲学史家ピエール・アドによると、

近代のそれは、専門家向けの難解なものになっているが、
古代のそれは、万人に対して開かれた仕方で、人々に生の技法、
「生き方」を教えてくれるものだといいます。

その「生の技法」を教えてくれる代表的な一冊が
この『ニコマコス倫理学』だというわけです。

私がこの『ニコマコス倫理学』がお気に入りの一冊というのも、
そういうところにあります。

私が哲学に期待するものは、「いかに生きるか」であり、
「いかにして幸福となるか」です。

古代ギリシアの哲学で私の識名ものは、
プラトンのソクラテス対話篇の初期の『ソクラテスの弁明』や
『クリトン』や『饗宴』に『メノン』など。
特に『クリトン』における「よく生きる」というくだりですね。

 ・・・

このあと、山本さんの哲学読書歴を紹介されています。
『ニコマコス倫理学』は三回に渡って出会っているといい、
一回目は大学生の時。

高校時代から哲学に興味を持ち、

 《様々な入門書やプラトンの対話篇やニーチェの著作など、
  比較的読みやすい作品を読んでいた》

そうで、この辺は、私の50代以降の哲学読書と共通の遍歴です。

そして、本格的な哲学の古典として初めて「通読」したのが、
これだったそうです。

「通読」したというのは、それまでにもカントやハイデガーなどで、
挫折を経験していたから。

しかし、この『ニコマコス倫理学』は、
途中で分からないところもありながらも、
最後まで読み通すことができた本だった、といい、
哲学研究者としての出発点といったものだったそうです。

それは、そこに書かれていた「幸福とは何か」「人生の目的とは何か」
といった内容が、自分自身の関心と重なり合っていたから。

この辺も少し私と似ていますね。

そういう意味でも『ニコマコス倫理学』は、
多くの人にとっても哲学への入口になる本といえそうです。

 ・・・

古代ギリシアのアリストテレス(前384-前322)が著わした全十巻からなる
『ニコマコス倫理学』は、史上初の体系的な倫理学の本で、
倫理学とは、哲学の一分野で、「いかによく生きるか」を考える学問。

 《単に考えるだけでなく、
  それを実践に応用することに力点を置く学問でもある》

といい、「実践哲学」と呼ばれることもある、というものです。

 

 ●第1回 倫理学とは何か

【放送時間】2022年5月2日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

 《「ニコマコス倫理学」は、
哲学史上初めて「倫理学」を体系化した書物である。
「倫理学」と訳されているギリシア語は、語源的には、
「人柄に関わる事柄」という意味である。
どのような人柄を形成すれば幸福な人生、
充実した人生を送ることができるのかを考察するのが
アリストテレスの倫理学なのである。
第一回は、「倫理学」とはどのような学問なのか、
「倫理学」を学ぶことにはどのような意味があるのかを、
「理論的学」と「実践的学」の区別という
アリストテレスの学問論に基づいて明らかにする。》

アリストテレスの倫理学は、「幸福論的倫理学」と呼ばれるそうで、
「幸福と何か」「どうすればそれを実現できるか」を考える倫理学で、
違った角度から「徳倫理学」ともいわれる。
「徳」とはギリシア語で「アレテー」といい、
「卓越性」「力量」と訳される言葉。

 《アリストテレスは、人は徳を身につけてこそ初めて
  幸福を実現できると考えました。》

 《アリストテレスの倫理学では、
  人間としての力量である徳を身につけることが核となってきます。》

「幸福論的倫理学」は、「目的論的倫理学」ともいわれます。

それは、人間の存在や行為というものの究極的な目的は、
幸福にあると考え、どのように実現してゆくかを考える倫理学だ、
ということです。

そこでは「善」という言葉がキーワードとなります。
「幸福とは最高善である」という言い方がされ、
幸福という最高に善いものを探求してゆくという立場が
「幸福論的倫理学」です。

これと対比されるのが、「義務論的倫理学」で、
「○○すべきだ」といった義務や、
「○○してはいけない」といった禁止に基づいて考えるもので、
カントなどに代表される学問です。

倫理学に関するイメージとしてはこちらの方が強いかもしれません。
しかし、ここでは、人生を前向きに生きるための知恵を獲得しよう
というのが、このテキストでの狙いだそうです。

私もそういう方が好きです。

 ・・・

このあといよいよ本題に入り、
第一巻第一章の有名な冒頭の一節が引用され、
第二章の冒頭の引用へと続きます。

この回の結論的には、

 《アリストテレスの倫理学は、「徳」を身につけることで、
  「性格」をよりよい方向に変容させていき、
  それによって「幸福」を実現するという基本構造を有しています。》

人間の「性格」や「人柄」は、
「習慣」の積み重ねによって形成される。
勇敢な行為を積み重ねることで、勇敢な人間になる、というように。

 

そして、「倫理学」とは、

 《どのような人柄を形成すれば幸福な人生を送ることができるか、
  を考察する学問。》

だといいます。

 

 ●第2回 幸福とは何か

【放送時間】2022年5月9日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

 《アリストテレスの倫理学は、「幸福」という
古今東西の誰もが深く願うテーマを軸に展開している。
だからこそ、二千数百年の時を超えて
現代においても深く影響を与え続けているのだ。
「幸福になりたい」という願望は誰もが抱くものだが、
実際に「幸福」になるのは容易なことではない。
真に幸福になるための地道で手堅い道筋を示しているのが
『ニコマコス倫理学』なのである。
第二回は、「義務」や「禁止」といった概念を軸にした
堅苦しい倫理学(義務論的倫理学)ではなく、
幸福な人生の実現へと読者を導いてくれる実践的な指南の書として
『ニコマコス倫理学』の全体像に迫りつつ、
「社会的生活」と「観想的生活」という、
幸福な人生の二つの類型について明らかにしていく。》

第一巻第四章、第五章からの引用とともに、
ここでは「最高善」とされる「幸福」とはいかなるものかについて。

「善」という言葉が『ニコマコス倫理学』におけるキーワードの一つで、
「幸福とは何か」とは、「善とは何か」という意味でもあるのです。

「何らかの善を目指している」のが人間で、
それが究極目的としての「幸福」というものであり、
それは単にはるか遠くにあるのではなく、
「いま、ここ」の自分の行為に常によっている。

第二回の結論としては、
 
 《人間が持っている可能性・能力を
  可能なかぎり現実化していくことによって達成される
  充実した在り方、そこにおいてこそ幸福が見いだされる》

 《徳を身につけることが
  幸福な人生を送るための不可欠な条件になる。》

「徳」はギリシア語で「アレテー」といい、
「卓越性」「力量」などと訳されます。

馬の「アレテー」は、速く走ること。
ナイフの「アレテー」はよく切れること。

優れた働きを為すことがでできるように高められていること、
それを「徳」と呼びます。

 

 ●第3回 「徳」と「悪徳」

【放送時間】2022年5月16日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

 《アリストテレスの説く「幸福」は、
単なる「幸運」とは大きく異なっている。
幸運にも高額の宝くじに当選した人の中にも、
堅実な人生の軌道から逸れ、
「不幸」な人生を送ってしまう人もいる。「幸福」になるためには、
外的な幸運を真に生かすための内的な力が必要なのだ。
その力のことを、アリストテレスは「徳(アレテー)」と呼び、
それが一定の行動を何度も繰り返し習慣化することで、
「性格」として身についていくという。
第三回は、勇気、節制、正義、賢慮といった、
現代でもそのまま活用することができる様々な「徳」と、
それに対立する「悪徳」を分類しつつ、
「徳」を身につける方途を探っていく。》

 

第二巻第一章からの引用とともに、
知的な能力・可能性を育てることで身についてくる「力」を
「思考の徳」と呼び、私たちが一般的に思い浮かべる、
人柄の在り方に関わるものについては「性格の徳」と呼びます。

徳を身につけるのは、技術を身につけるとのと同じだといい、
一回の成功体験が二回目以降の上達につながりやすいといい、
素早くできることと喜びを感じることが、
その技術が身についた証拠だアリストテレスはいいます。

 《一回一回善い選択肢を選び取り続けていくことによって、
  どういう選択肢を選んで生きていきたいかという
  基本的な心の在り方自体を成熟させていくことができるのです。》

人間には欲望がありますが、その欲望自体を変容させることができる。
当初は節制のない人でも、欲望の在り方を整え、選択を重ねることで、
コントロールすることができるようになるというのです。

 《アリストテレスに従えば、徳を身につけることで
  はじめて達成することができる充実があります。そうした仕方で
  人間存在としての可能性を十全に実現した在り方こそ、
  彼が言うところの幸福な人生なのです。》

 

 ●第4回 「友愛」とは何か

【放送時間】2022年5月23日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ

 《人間は「社会的動物」であり、
人間と人間との深いつながりなしには、幸福な人生は考えにくい。
そのような人間同士の相互的な絆のことを、
  アリストテレスは「友愛(フィリア)」と呼んでいる。
  「人柄のよさに基づいた友愛」「快楽に基づいた友愛」
  「有用性に基づいた友愛」という友愛の三分類や、
  「友愛は、愛されることよりも、愛することにその本質がある」
  という愛の本質についての分析、自己愛と友愛の関係などなど、
  『ニコマコス倫理学』の友愛論は、
  「愛」について考察するための豊かな素材に満ちている。
  第四回は、人類の思想史のなかで最も有名な友情論
  と言っても過言でないアリストテレスの友愛論を紹介して、
  人間にとって、真の「友情」とは何か、
  真の「愛」とは何かに迫っていく。》

『ニコマコス倫理学』第八巻と第九巻で論じられる「友愛」について。

まず、友愛が成立する条件を挙げます。

(1)相手に好意を抱く
(2)その好意が相互的なものである
(3)互いに気づかれている

この三つがそろったときだといいます。

アリストテレスの言葉では、(1)は「相手に善を願う」となります。
これがアリストテレスの友愛の核となります。
善が人と人をつなぐ紐帯となる。
善には、「道徳的善」「有用的善」「快楽的善」の三つがあり、

それに従い、友愛にも三つある。

(1)人柄の善さに基づいた友愛
(2)有用性に基づいた友愛
(3)快楽に基づいた友愛

(2)や(3)の友愛は、
あくまでも「自分にとって」善いものが得られるから愛しているのだ、
という限定がある、条件付きの友愛だといいます。

自分にとって相手が快いものでなくなれば、有用なものでなくなれば、
その友愛は消えてしまう。
そういう自己中心的な観点があり、持続性・安定性がない。

ただ、快楽的友愛は、互いにいっしょにいたいと思い、
いっしょにいることに喜びがある点で、友愛らしい側面がある。

一方、(1)人柄の善さに基づいた友愛 は、相手を全体として愛する。
人柄に基づくものなので、持続的であり、安定性がある。
そして、人柄の善い人は、一緒にいても快い存在であり、
また困ったときにも無条件で助けてくれる有用な人でもある。
(2)も(3)も兼ね備えた存在で、完全な友愛だというのです。

しかし反面、そういう優れた関係はまれなものでもある、と。

では、アリストテレスは、
これらの友愛をどう評価しているのでしょうか。

山下さんは、アリストテレスは
(2)や(3)の有用性や快楽に基づく友愛を否定していない、
と考えているといいます。

真の友人は、(1)人柄の善さに基づいた友愛 のみで、
それ以外は本当の友人ではない、として排除するのではなく、
不十分な友愛ではあるが、それを自覚した上で、
人生にとって重要な人間関係として認め、
友愛の在り方のグラデーションをつけた上で、全体を友愛として認める。

そういう懐の広さがアリストテレスのテキストにはある、
と読み解きます。

 ・・・

さて、番組テキストには、他にも名著の名著たる所以ともいうべき、
有用性についても書かれています。

日常生活とは無縁に思われる古典の中に、
なにかしら人生についての「気づき」を与えられることがある、と。

理解できるできないにかかわらず、
自分に合った哲学書を見つける知の旅を続ける機会にして欲しい、
と結んでいます。

 

 ●読みやすい哲学書について

私の感想をひとこと。

第一回の山下さんの読みやすい哲学書の読書歴に、
プラトンのソクラテス対話篇やニーチェの本をあげていました。

私もそういうところを読んできました。
もちろん、理解云々はなんともいえませんが、
『クリトン』の「よく生きる」についてのソクラテスの対話とか、
ニーチェの『ツァラトゥストラ――』とか『善悪の彼岸』のような
アフォリズムのような本、『この人を見よ』のような小著などは、
とっつきやすい。

私は先の「よく生きる」というような、
幸福論的な生き方論を読むのが好きです。
そういうものが哲学書だと思い込んでいる部分があります。

そういうものこそ、真に役に立つ実用本位の本だと。

三大幸福論と呼ばれる――アランやラッセル、ヒルティの『幸福論』。
ショーペンハウエルの『幸福について』、
ヒルティ『幸福論 第一部』に紹介されている
エピクテトスの『語録』等の後期ストア派の本――セネカや
ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウス『自省録』など。

そしてこのアリストテレス『ニコマコス倫理学』。

こういう本が好きで読んできました。

こういう本は目的がはっきりしていますので、読みやすいと思います。

アラン『幸福論』は短文集ですし、
エピクテトスや『自省録』は語録といったもの。
短い文読みや牛氏、すべてを理解できなくても、わかる部分もあります。

そして、機会があるたびにポチポチと読んだり、見たりしていると、
そういう読み方を続けるうちに、何となく理解が進むのかもしれません。

まあ、お試しを。

 

参考:
【山下芳久さんの本】
『トマス・アクィナス 理性と神秘』山下芳久/著 岩波新書 2017/12/21
―アリストテレスの思想とキリスト教学を統合したアクィナスの入門書

『ニコマコス倫理学』アリストテレス/著 朴 一功/訳
京都大学学術出版会 西洋古典叢書 2002/7/1
―<NHK100de名著>テキストで山下さんが引用している翻訳

【アリストテレスに関する入門書】
『90分でわかるアリストテレス』ポール・ストラザーン/著
 浅見昇吾/訳 WAVE出版 2014/5/1
―こちらは<90分でわかる哲学者>シリーズの一冊。「生涯と作品」
 「言葉」など小著ながらそれなりにポイントを抑えている。

【私の持っているアリストテレスの本】
『ニコマコス倫理学(上)』アリストテレス/著
渡辺 邦夫, 立花 幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2015/12/8

『ニコマコス倫理学(下)』アリストテレス/著
渡辺 邦夫, 立花 幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2016/1/8

『詩学』アリストテレス/著 三浦 洋/訳 光文社古典新訳文庫 2019/3/8

『アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論』アリストテレース/著
F.Q. ホラーティウス/著 松本 仁助/訳 岩波文庫 1997/1/16

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

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本誌では、「私の読書論157-読むのは「内容」か「文章」か―『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]第4回から」をお届けしています。

今回は全文紹介です。
ブログの<NHK100de名著>の紹介記事に準じた形で、2022年5月分のアリストテレス『ニコマコス倫理学』についてテキストを中心に私なりに気になった部分を紹介しています。

 ・・・

アリストテレス『ニコマコス倫理学』にこんな言葉があります。

「平和な生活を求めて、戦争をする」(第十巻 1177b,5-6)

 『90分でわかるアリストテレス』ポール・ストラザーン/著
  浅見昇吾/訳 WAVE出版 2014/5/1 p.94)

ウクライナ側からいえば、まさに平和な生活のために戦う、という状況なのでしょう。

 

この後に続く部分に、こうあります。

(なぜなら、だれ一人として、戦争をすることを目的として戦争をしたり、戦争を企てたりしないからである。
  実際、もし人が戦闘と殺戮が起こるべく友人を敵にする、というようなことをするなら、その人こそまったくの「血の汚れがしみついた輩」であると思われるだろう)

 『ニコマコス倫理学(下)』アリストテレス/著
   渡辺 邦夫, 立花 幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2016/1/8 p.404
と。

ロシアによるウクライナ侵攻がはじまって三ヶ月。
どういう目的で始めた戦争なのか、私にはよくわかりません。
しかし、もう遅いかもしれませんが、少なくとも、上に書かれたような輩と思われたくなければ、プーチンさんには早急に戦闘をやめて欲しいものです。

 ・・・

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2022.05.15

私の読書論157-読むのは内容か文章か-『HMM』[本の話]第4回から-楽しい読書318号

 ―第318号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★

2022(令和4)年5月15日号(No.318)
「私の読書論156-読むのは「内容」か「文章」か
―『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]第4回から」

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         ― 読書で豊かな人生を! ―
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
------------------------------------------------------------------
2022(令和4)年5月15日号(No.318)
「私の読書論157-なぜ本を読むのか
―『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]第4回から」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 前回に引き続き、私の愛読誌の一つである
 『ミステリマガジン』(早川書房)に連載されている
 湯川豊さんのコラム[本の話]の連載第4回「なぜ本を読むのか」から、
 <読むのは「内容」か?「文章」か?>について紹介しましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 私の読書論157 -
  ◆ 本の価値 ◆
  ~ 読むのは「内容」か?「文章」か? ~
  ――『ミステリマガジン』連載コラム[本の話](湯川豊)
  第4回「なぜ本を読むのか」から
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●文章が好き!――渡辺京二「命のリズムを読む」

湯川豊さんの『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]の
第4回「なぜ本を読むのか」(HMM2021年7月号(no.747))に
こんな話が出てきます。

220514hmm20217-honnohanasi-4

 

「なぜ本を読むのか」というやっかいな問いかけへの答えとして、

 渡辺京二「命のリズムを読む」
 (『万象の訪れ――わが思索』2013年刊 所収)

の一節が紹介されています。

 《――省みれば、音楽や絵が好きという人とおなじく、
  文章というものが好きなのだと思う。
  「読む」というのは、文章を読むのだと思う。
  なにを当たり前なというなかれ。
  読むのは内容じゃなく文だと言っているのだ。》

 

湯川さんはこの文章に出会って、
《目を見張り、まさに共感した》といいます。

そしてこの後に続く説明の文を読み、さらに共感を深めた様子です。

 《というのは、経験から言って、「読む」とは、
  その読む文のリズムが自分のからだに染みつくことだからだ。
  それがなければ、とても文など読めはしない。
  自分のからだに、おなじことだが自分のこころに、
  ある場合には心地よい、
  ある場合には戦くような反応が生じてきて、
  自分自身の生を一瞬照らし出し、拡張したり凝縮させたりする。》

 

湯川さんは、

 《この人も、自分に染みつくような文章に出会ったとき、
  それが自分の血肉になるように読んでしまうのだ》

と。

 

というのは、湯川さんが一年ほど前にある人からの
「須賀敦子の本はなぜこんなに長く、熱心に読まれるのでしょう」
という問いに、

 《「良い文章を読みたいという人がいるからでしょう。
  良い文章を読んで、良い気持ちになるのを求めている人が」》

と答えた経験があったそうです。

言いたいことは、「内容じゃなく」という意味で。

もちろん「文章は良いが内容はダメ」とか、
「内容がないけれど文章は良い」ということはあり得ないが、とも。

*参考:
『ミステリマガジン』2021年7月号(no.747) 早川書房 (2021/5/25)

 

 ●スラスラ読める文章

音楽を聴くときに、(詞等の)内容より曲先行という場合もあります。
あるいは、単純に「音」の良さに聞き惚れるようなこともあるでしょう。

それを本に当てはめれば、
こういう「文章」の持つリズム等の良さに惹かれて、
読んでしまうこともあり得るでしょう。

よく「名文」とか言われます。

なにが「名文」なのかというのも難しい問題ですが、
音読する名作の本といったものが一時期流行りました。

そういう本をみますと、「名文」の基準の一つとして、
音読したときに心地よいもの、というのがありそうに思われます。

例えば日本語には七五調という独特の調子があります。

和歌とか短歌とか、俳句だけでなく、
時代劇の映画やドラマのナレーションなどで、多用されています。
演歌等の歌詞でもよく使われていますよね。

七五調もそうですが、
音読したときの心地よさ、というものには、
そういう文章の一定のリズムという存在があると思います。

この文章の持つリズムといったものも、名文の条件の一つでしょう。

読んでいてスラスラと読める。
つっかえずに読み進めることができる、というのは、
確かに一つの名文の証でしょう。

 

ただ、このリズムも人によりけりです。
自分に合うリズムというものがあるのかもしれません。
それにより、ある人には読みやすい文章であっても、
他の人には読みづらい文章となることもあるかもしれません。

文章の相性というものもありそうです。
自分のリズムに合うということを、
湯川さんも書いていらっしゃいましたよね。

 

しかし、私の場合、
スラスラ読めるのはいいのですが、上っ面をなめるだけで、
意味を取れないまま、右から左へ言葉だけが抜けていく、
なんてこともあります。

そういう意味では、読みやすい文章、かならずしも名文に非ず、
かもしれません。

 

 ●読むのは内容か文章か

ここでもう一度「読むのは内容か文章か」について考えて見ましょう。

私の場合は、基本的には「内容」派ですが、
これはあくまでも情報を入手することを第一義にしているからです。

湯川さん同様、内容もあり文章も良い、というのは
当然のことですけれど、単にそれだけではなく、
文章がそれほどでなくても、内容が傑出していれば、
その辺は、自分なりに解釈しながら頑張って読み進むことができます。

要するに、本を読む行為というものは、
内容を知りたいという興味が動機になっているからでしょう。

多少の文章の稚拙さも気にならない、というケースです。

 

一方で、文章を楽しむという行為もありそうな気がします。
上にも書いたように、音楽を文字通り音として楽しむ姿勢と同じです。

文章を音読する楽しみのようなものです。
内容より文章のもつ言葉の響きなどを純粋に楽しむ姿勢ですね。

そういう本の読み方もアリな気がします。

 

本を読むのが好きだ、という人の中には
そういう人も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 ・・・

あなたの場合はいかがでしょうか?

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ★創刊300号への道のり(16) 2021(令和3)年7-12月(14年目後半)

(下段URL:ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』、
 goo版『レフティやすおの新しい生活を始めよう』
 掲載【別冊 編集後記】)

298.
2021(令和3)年7月15日号(No.298)
「私の読書論146-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(9)
ハヤカワ文庫の50冊(7)拾遺・蔵書以外の名作傑作・
ミステリ編(2)サスペンス他」
2021.7.15
私の読書論146-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(9)
ハヤカワ文庫の50冊(7)拾遺ミステリ編(2)-楽しい読書298号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/07/post-6f1005.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/ac35cb4854a3b92851db545567f9d4a1

299.
2021(令和3)年7月31日号(No.299)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2021から(1)準古典」
2021.7.31
新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2021から(1)
-「楽しい読書」第299号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/07/post-38536e.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/872fb55a4a5a78d989b58cf7878bc188

 

・【角川文庫】『走れメロス』太宰治

・【新潮文庫】『さぶ』山本 周五郎

 

300.
2021(令和3)年8月15日号(No.300)
「創刊300号記念号(放談)それでもやっぱり本が好き!」
2021.8.15
それでもやっぱり本が好き!-「楽しい読書」第300号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/08/post-2ca533.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/1f45afce518bb16b6042ad18ea72819a

301.
2021(令和3)年8月31日号(No.301)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2021から(2)新顔作家」
2021.8.31
新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2021から(2)新顔作家
-「楽しい読書」第301号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/08/post-709d62.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/76ed255eb712153d96e6ef9ca568633c

 

・【集英社文庫】『作家の秘められた人生』ギヨーム・ミュッソ/著
吉田 恒雄/訳 2020/9/18

 

302.
2021(令和3)年9月15日号(No.302)
「私の読書論147-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(10)
ハヤカワ文庫の50冊(8)最終回/拾遺・蔵書以外の名作傑作・SF編」
2021.9.15
私の読書論147-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(10)
ハヤカワ文庫の50冊(8)拾遺SF編-楽しい読書302号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/09/post-91bb0c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/d5177990812901e6a5ec1c80293ea30a

303.
2021(令和3)年9月30日号(No.303)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12)
特別編-中島敦「山月記」より」
2021.9.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12)特別編-中島敦「山月記」より
-楽しい読書303号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/09/post-0666dc.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/01e422e6e9e18417a82bd6713f662e3f

304.
2021(令和3)年10月15日号(No.304)
「私の読書論148-本は<読む>もの?<見る>もの?」
2021.10.15
私の読書論148-本は<読む>もの?<見る>もの?-楽しい読書304号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/10/post-a887cc.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/f87a5a4441366c4942a89a1fd0ebf613

305.
2021(令和3)年10月31日号(No.305)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(13)漢代(4)李陵と蘇武 」
2021.10.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(13)漢代(4)李陵と蘇武
-楽しい読書305号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/10/post-0dd04c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/156f20ec8874a78841b7bb8cfe311a79

306.
2021(令和3)年11月15日号(No.306)
「私の読書論149-今年も読めない!?」
2021.11.15
私の読書論149-今年も読めない!?-楽しい読書306号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/11/post-92e47c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/c4cc501456a7fc1a66046a6ca5fa0729

307.
2021(令和3)年11月30日号(No.307)
「クリスマス・ストーリーをあなたに~(11)-2021-
「パーティー族」ドナルド・E・ウェストレイク」
2021.11.30
クリスマス・ストーリーをあなたに~(11)-2021-「パーティー族」
-楽しい読書307号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/11/post-89135b.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/18c776f043925c645747d63c43d02f2c

・ドナルド・E・ウェストレイク
 『<現代短篇の名手たち3> 泥棒が1ダース』
 木村二郎/訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 2009/8/21 収録

308.
2021(令和3)年12月15日号(No.308)「私の読書論150-
私の年間ベスト3・2021年リアル系(前編)岡本太郎他」
2021.12.15
私の読書論150-私の年間ベスト3・2021年リアル系(前)-楽しい読書308号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/12/post-6520fd.html
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~ 私の年間ベスト3・2021リアル系 ~
(1)『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか』
岡本太郎 青春出版社・青春文庫<新装版> 2017/12/9

(2)『対極と爆発 岡本太郎の宇宙1』岡本太郎
 椹木野衣/編 ちくま学芸文庫 2011/2/8

309.
2021(令和3)年12月31日号(No.309)「私の読書論151-
私の年間ベスト3・2021年リアル系(後編)岡本太郎他」
2021.12.31
私の読書論151-私の年間ベスト3・2021年リアル系(後)-楽しい読書309号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/12/post-ceb6fd.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/b171098bc2132d4d4f7e6cd2a77c3dcd

~ 私の年間ベスト3・2021リアル系 ~
(3)『ギリシア・ローマ ストア派の哲人たち
 セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス』
 國方栄二 中央公論新社 2019/1/9

 ・・・

2021年後半7-12月分です。

この年の月末「古典紹介編」は、古代中国の文芸「漢詩を読む」編は
漢代の詩を取り上げています。

この年も、7月8月は恒例の「夏の文庫フェア」を、
11月末の<クリスマス・ストーリーをあなたに>では、ウェストレイクの
<天才的犯罪プランナー・ドートマンダー>シリーズの短編から。

「創刊300号記念号」では、記念放談「それでもやっぱり本が好き!」を
お届けしました。

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本誌では、「私の読書論157-読むのは「内容」か「文章」か―『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]第4回から」をお届けしています。

今回は全文紹介です。
といっても、特にどうという内容ではありませんでしたね。

「内容で読ませる心地よいリズムの文章を書く」
ことを理想とする私ですが、それができているかどうかは……
読者のみなさまのご判断にゆだねたいと思います。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

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2022.04.30

中国の古典編―漢詩を読んでみよう(16)漢代(7)古詩十九首-楽しい読書317号

 ―第317号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」【別冊 編集後記】

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★

2022(令和4)年4月30日号(No.317)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(16)漢代(7)古詩十九首から」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2022(令和4)年4月30日号(No.317)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(16)漢代(7)古詩十九首から」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」の16回目です。

 後漢末期、五言詩が中国の詩の中心となるきっかけとなった
 作品群の一部が、後世「古詩十九詩」としてまとめられました。
 今回はそのなかから三つほど紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 知識人の悲しみ ◆
 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(16)漢代(6)
  後漢末期・古詩十九首 から
  ~ 別離の歌/七夕伝説/去る者は日に以て疎し ~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社
「五、知識人の挫折――古詩十九首」より
Kansiwoyomu1-2

 

 ●古詩十九首

今回は、後漢末期に地方に潜伏していた知識人が
自らの思いを託して書いた詩の中から、
政治をになっていた宦官たちに抹殺されることもなく後世に伝えられ、
300年後の南北朝時代の後半(六世紀後半)に編纂された名作集
『文選(もんぜん)』に掲載された「古詩十九首」を取り上げます。

当時の知識人とは、中国では官僚が中心、他には学生。
後漢中頃から政治の中心にいたのは、
短命な皇帝にかわり勢力を伸ばした太后や太后の外戚たちでした。
太后は大臣や高官との仲立ちに宦官を用いたことから、
そののちには、宦官が権力を持つようになります。
そこに加わった第三勢力が官僚たち知識人でした。
知識人には、官僚の他、予備軍として書生や大学で学ぶ学生がいました。
地方の官僚たちにもそのネットワークにより、朝廷の権力闘争が伝わり、
儒教を学んだ知識人たちが「これではいけない」と思い、
政治批判、権力批判の言論活動を始めます。
このグループ化した知識人を「党人」と呼びます。
しかし、ここでは宦官が一枚上手で、「党人」一味を弾圧します。
知識人たちは地方にちりぢりに逃げ出し、政治活動は諦めても、
政治批判の言論活動を続けます。
それとともに、政治活動を立たれた絶望感や無力感を詩の形にします。
詩の表現にも本心を隠している部分があるといいます。

 

 ●古詩十九首―其の一

古詩十九首 古詩十九首 無名氏

 其一 其の一

行行重行行  行(ゆ)き行(ゆ)きて 重(かさ)ねて行(ゆ)き行(ゆ)く
与君生別離  君(きみ)と生(い)きながら別離(べつり)す
相去万余里  相(あひ)去(さ)ること万余里(ばんより)
各在天一涯  各々(おのおの)天(てん)の一涯(いちがい)に在(あ)り

道路阻且長  道路(どうろ) 阻(そ)にして且(か)つ長(なが)し
会面安可知  会面(かいめん) 安(いずく)んぞ知(し)る可(べ)けん
胡馬依北風  胡馬(こば)は北風(ほくふう)に依(よ)り
越鳥巣南枝  越鳥(えつちよう)は南枝(なんし)に巣(すく)ふ

 私はどこまでもどこまでも旅を続け、
 こうして君と生きながら別れている
 互いに一万里以上も隔たって、
 お互い大空のかなたに生きている

 二人をつなぐ道のりは険しく、えんえんと長く続いており、
 再びまみえることがあるかどうか、どうしてわかるものか
 北で産まれた馬は、大きくなっても北風に身を寄せるものだ
 南の国から来た鳥は、北へ行っても南側の枝に巣を作るものだ

 

相去日已遠  相(あひ)去(さ)ること日(ひ)に已(すで)に遠(とほ)く
衣帯日已緩  衣帯(いたい) 日(ひ)に已(すで)に緩(ゆる)やかなり
浮雲蔽白日  浮雲(ふうん) 白日(はくじつ)を蔽(おほ)ひ
遊子不顧返  遊子(ゆうし) 顧返(こへん)せず

思君令人老  君(きみ)を思(おも)へば人(ひと)をして老(お)い令(し)む
歳月忽已晩  歳月(さいげつ) 忽(たちま)ち已(すで)に晩(く)る
棄捐勿複道  棄捐(きえん)せらるるも複(ま)た道(い)ふ勿(なか)らん
努力加餐飯  努力(どりょく)して餐飯(さんぱん)を加(くは)へよ

 お互い隔たること毎日ますます遠くなり、
 私の衣の帯は日に日に緩くなって参りました
 空を流れる雲が太陽の光を蔽い隠したようにあなたの姿は見えず、
 旅するあなたの姿は見えず、旅するあなたは戻って来てくださいません

 

 あなたのことを思い詰めていると、私は一層老け込みます
 歳月はあっという間に過ぎ、すぐに年の暮れになってしまうでしょう
 あなたに捨てられてしまっても、
 もうこれ以上何も言うのをやめましょう
 ただあなたに一言申し上げたい、
 どうぞ努めてお食事をしっかり召し上がって、
 お体を大事になさってください

 

悲しみの別離の歌。
前半は夫が妻に贈るメッセージ、
後半はそれを受けて妻が夫に返すメッセージと
二段構えになっていて、当時としてもめずらしい形、といいます。

後半の妻の一人称の部分にある、
「浮雲(ふうん) 白日(はくじつ)を蔽(おほ)ふ」がここのキーワードで、
《当時流行した“邪な臣下が賢い人間を妨害すること”のたとえ》
だといいます。
(『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』江原正士、宇野直人
「五、知識人の挫折――古詩十九首」p.168)

ここまで読むとこの詩には裏があるな、と分かる人には分かるのだ、
といいます。
単に離別を悲しむ詩ではなく、そこに何かしらのニュアンスを込め、
連帯感を新たにしている。

 

 ●<諦めと無常観>七夕伝説――其の十

そういう中央の政治から切り離された知識人たちのあきらめや、
儒教を信じてきた自分たちがまちがっていたのか、という思考のあと、
仏教の伝来や道教の体系化に伴う背景から、
「無常観」という価値観が見られるようになった、といいます。

 

其十  其の十   無名氏

迢迢牽牛星  迢迢(ちようちよう)たる牽牛星(けんぎゆうせい)
皎皎河漢女  皎皎(きようきよう)たる河漢(かかん)の女(じよ)
纖纖擢素手  纖纖(せんせん)として素手(そしゆ)を擢(ぬき)んで
札札弄機杼  札札(さつさつ)として機杼(きちよ)を弄(ろう)す

 遙か遠くに彦星が輝いている
 明るく輝く天の娘がいる
 織姫はほっそりとした白い手を持ち上げて、
 カタコトと音を立てながら機織り機を動かしている

終日不成章  終日(しゆうじつ) 章(しよう)を成(な)さず
泣涕零如雨  泣涕(きゆうてい) 零(お)つること雨(あめ)の如(ごと)し
河漢清且浅  河漢(かかん) 清(きよ)く且(か)つ浅(あさ)し
相去復幾許  相(あひ)去(さ)ること復(ま)た幾許(いくばく)ぞ

 しかし彼女は一日中かかっても布地を織り上げることができず
 涙が雨のように流れるばかりだ
 天の川は清く澄んで浅い
 二人が隔てられていること、いったいどれくらいであろうか

盈盈一水間  盈盈(えいえい)として一水(いつすい)間(へだ)て
眽眽不得語  眽眽(みやくみやく)として語(かた)るを得(え)ず

 しかし実際には天の川には水がいっぱいにあふれ
 一筋の流れが二人を阻んでいるために
 二人はじっと見つめ合うばかりで言葉を交わすこともできないのだ

 

最初の一句と二句で、牽牛と織女(河漢の女)が出てきます。
中国の七夕伝説を扱った最初期の例。
大体この後漢時代に伝説が形にまとまった。
中国の伝説には、天帝が出てきます。

牛に農具を牽かせて畑を耕す彦星、機を織る織姫、
二人は働き者だったので、天帝は感心して二人を引き合わせる。
ところがお互いに一目惚れし、仕事をサボるようになり、
怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離した。
そして七月七日にだけ会えるようにした。
その晩晴れていたら、鵲(かささぎ)が飛んできて橋を架け、
それを渡って織姫が彦星に会いに来る。

日本と違って、女の方が通ってくる。
日本では通い婚の風習があったので、逆になったのかもしれません。

ところで、
日本にはこれとは別に“棚機(たなばた)”という行事があったそうです。
秋の神様を迎える祭事で、崖の棚状になった場所に小屋を建て、
選ばれた娘が籠もり、秋に神様が着る着物を織る。
文字通り「棚」で「機」を織る。
それがちょうど旧暦の七月に当たり、
そこに彦星と織姫が出てくる中国の七夕伝説が入って合体した。
《日本の機織りの行事に、
 中国の星の世界のロマンチックな伝説がミックスされた》(同書p.171)。

この詩は、連帯感の強い知識人同士を彦星と織姫に、
彼らから政治の場を奪った宦官グループを、
二人を引き裂く天の川や天帝にたとえて、
彼ら知識人たちの絶望の気分を強く表しています。

 

 ●「去る者は日に以て疏し」―其の十四

其十四  其の十四   無名氏

去者日以疏  去(さ)る者(もの)は日(ひ)に以(もつ)て疏(うと)く
来者日以親  来(く)る者(もの)は日(ひ)に以(もつ)て親(した)しむ
出郭門直視  郭門(かくもん)を出(い)でて直視(ちょくし)すれば
但見丘与墳  但(ただ) 丘(きゆう)と墳(ふん)とを見(み)るのみ

 世を去った者は日ごとにどんどん忘れられ
 生きて始終訪れのある者は日増しに親しみ深くなる それが世の常だ
 或る日、私は町外れの城壁の門を出て前をまっすぐ見つめると
 なんとまあ、見わたす限り、たくさんのお墓がみえるばかり

古墓犁為田  古墓(こぼ)は犁(す)かれて田(でん)と為(な)り
松柏摧為薪  松柏(しょうはく)は摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為(な)る
白楊多悲風  白楊(はくよう) 悲風(ひふう)多(おお)く
蕭蕭愁殺人  蕭蕭(しようしよう)として人(ひと)を愁殺(しゆうさつ)す

 古い墓をお参りする人もいなくなり、
  やがて掘り返されて畑となることもあるだろう
 墓に植えられたハコヤナギに悲しい秋風が盛んに吹きつけ
 寂しい音をたてて私を深く悲しませる

思還故里閭  故(もと)の里閭(りりよ)に還(かへ)らんことを思(おも)ひ
欲帰道無因  帰(かえ)らんと欲(ほつ)するも
        道(みち) 因(よ)る無(な)し

 我が故郷に帰りたいと思うのだが、
 いざ帰ろうとしても辿るべき道がとざされてしまっている

 

一句目が有名な「去る者は日に以て疎し」。

「去る者」とは死者のことで、「来る者」とは生きている人、
お墓が畑になったとあったり、
永久不変のたとえである「松柏」といった常緑樹が薪になったり、
故郷に帰りたくても帰れないといった絶望感など、
人の世のむなしさ、時間の流れの冷酷さ、
当時の死生観が表れた詩となっています。

「悲風」とは、これ以後「秋風」を言うようになるそうです。

“秋の悲しみ”を詠った宋玉にしても、ここまでの無常観ではなく、
この詩にいたって初めて無常観といったものが表現された。

そこには、仏教や道教の影響がある、と。

 《実は、“古い墓がやがて畑になり、常緑樹が薪になる”と言うのは、
  道教関係の仙女の伝説に基づいているんです。
  仙女の麻姑(まこ)が或る時、お役人に会って話すには、
  「私はもう三千年も生きていて、向こうの山が川となり、
   その川が畑になるのを三回、この目で見ました」。》同書p.176

という仙女伝説や、日常をはるかに超えた時間感覚などは、
仏教や道教の影響が感じられる、と言います。

このような無常観は、
後世の詩人たちにも受け継がれていくことになります。

 

鎌倉末期、吉田兼好の随筆『徒然草』第三十段にも引用されています。

 《年月を経ても、つゆ忘るるにはあらねど、「去る者は日々に疎し」
  といへることなれば、さは言へど、そのきはばかりは覚えぬにや、
  よしなしごと言ひてうちも笑ひぬ。
  からは、気(け)うとき山の中にをさめて、
  さるべき日ばかりまうでつつ見れば、
  ほどなく卒塔婆(そとば)もこけむし、木の葉ふりうづみて、
  夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける……》同書p.176

 ・・・

いつの世でも、人の世の営みの、時の流れのむなしさ、
というものがあります。

コロナ禍にしましても、このたびのウクライナ侵攻問題にしましても、
あるいは地震にしましても、どうしてこう次々と問題が起きてくるのか、
それでなくても、人として生きていますと、加齢に伴う病が起き、
悩まされる種の尽きぬことのおびただしさには、あきれるほどです。

四苦八苦と仏教ではいいますが、生きることもまさに苦そのもの。
なんとかならんものか、という日々を過ごしています。

さあ、最後はちょっと愚痴になってしまいましたが、
本日はこの辺で。

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 ● 漢詩の入門書等を読む

★『漢詩入門』一海知義/著 岩波ジュニア新書 1998.6.22

 

▲★『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
―漢詩の歴史をたどるシリーズ全4巻。第1巻は『詩経』から屈原の
 『楚辞』、漢や三国時代を経て東晋の陶淵明まで。
 俳優・声優の江原正士が専門家の宇野直人を相手に、代表的な詩
 を対話形式でわかりやすく読み解く。

 

★『漢詩入門』入谷仙介/著 日中出版 1979/01
―漢詩の有名作をたどりながら、その歴史と構造を解く漢詩入門。

 ▲マークは、本文で取り上げた本
 ★マークは、筆者のおすすめ本です。本選びの参考にどうぞ。
 (基本的に、筆者が“偶然”手にしたものを取り上げています。)

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 ★創刊300号への道のり(16) 2021(令和3)年7-12月(14年目後半)

298.
2021(令和3)年7月15日号(No.298)
「私の読書論146-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(9)
ハヤカワ文庫の50冊(7)拾遺・蔵書以外の名作傑作・
ミステリ編(2)サスペンス他」
2021.7.15
私の読書論146-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(9)
ハヤカワ文庫の50冊(7)拾遺ミステリ編(2)-楽しい読書298号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/07/post-6f1005.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/ac35cb4854a3b92851db545567f9d4a1

299.
2021(令和3)年7月31日号(No.299)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2021から(1)準古典」
2021.7.31
新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2021から(1)
-「楽しい読書」第299号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/07/post-38536e.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/872fb55a4a5a78d989b58cf7878bc188

300.
2021(令和3)年8月15日号(No.300)
「創刊300号記念号(放談)それでもやっぱり本が好き!」
2021.8.15
それでもやっぱり本が好き!-「楽しい読書」第300号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/08/post-2ca533.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/1f45afce518bb16b6042ad18ea72819a

301.
2021(令和3)年8月31日号(No.301)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2021から(2)新顔作家」
2021.8.31
新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2021から(2)新顔作家
-「楽しい読書」第301号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/08/post-709d62.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/76ed255eb712153d96e6ef9ca568633c

302.
2021(令和3)年9月15日号(No.302)
「私の読書論147-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(10)
ハヤカワ文庫の50冊(8)最終回/拾遺・蔵書以外の名作傑作・SF編」
2021.9.15
私の読書論147-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(10)
ハヤカワ文庫の50冊(8)拾遺SF編-楽しい読書302号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/09/post-91bb0c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/d5177990812901e6a5ec1c80293ea30a

303.
2021(令和3)年9月30日号(No.303)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12)
特別編-中島敦「山月記」より」
2021.9.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(12)特別編-中島敦「山月記」より
-楽しい読書303号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/09/post-0666dc.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/01e422e6e9e18417a82bd6713f662e3f

304.
2021(令和3)年10月15日号(No.304)
「私の読書論148-本は<読む>もの?<見る>もの?」
2021.10.15
私の読書論148-本は<読む>もの?<見る>もの?-楽しい読書304号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/10/post-a887cc.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/f87a5a4441366c4942a89a1fd0ebf613

305.
2021(令和3)年10月31日号(No.305)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(13)漢代(4)李陵と蘇武 」
2021.10.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(13)漢代(4)李陵と蘇武
-楽しい読書305号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/10/post-0dd04c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/156f20ec8874a78841b7bb8cfe311a79

306.
2021(令和3)年11月15日号(No.306)
「私の読書論149-今年も読めない!?」
2021.11.15
私の読書論149-今年も読めない!?-楽しい読書306号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/11/post-92e47c.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/c4cc501456a7fc1a66046a6ca5fa0729

307.
2021(令和3)年11月30日号(No.307)
「クリスマス・ストーリーをあなたに~(11)-2021-
「パーティー族」ドナルド・E・ウェストレイク」
2021.11.30
クリスマス・ストーリーをあなたに~(11)-2021-「パーティー族」
-楽しい読書307号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/11/post-89135b.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/18c776f043925c645747d63c43d02f2c

308
2021(令和3)年12月15日号(No.308)「私の読書論150-
私の年間ベスト3・2021年リアル系(前編)岡本太郎他」
2021.12.15
私の読書論150-私の年間ベスト3・2021年リアル系(前)-楽しい読書308号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/12/post-6520fd.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/00d4199074d690a9a06614e57c97d6f5

309.
2021(令和3)年12月31日号(No.309)「私の読書論151-
私の年間ベスト3・2021年リアル系(後編)岡本太郎他」
2021.12.31
私の読書論151-私の年間ベスト3・2021年リアル系(後)-楽しい読書309号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/12/post-ceb6fd.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/b171098bc2132d4d4f7e6cd2a77c3dcd

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今回は昨年、2021年の7-12月の後半です。
7月8月は、恒例の新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェアから、
私の選んだ各社一点ずつ計3点の紹介。
11月末は、これも毎年恒例の「クリスマス・ストーリーをあなたに~」の
11回目で、現代編としてウェストレイクのクライムコメディ、
犯罪プランナー<ドートマンダー>ものの短篇集からのクリスマス編。
12月は、<私の年間ベスト3>からでした。

それ以外の月末の「古典紹介編」は、
古代中国の文芸「漢詩を読む」編の漢代編。

月の半ばの号では、「私の読書論」として、
ハヤカワ文庫創刊50年記念の残りと、その他あれこれでした。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(16)漢代(7)古詩十九首から」をお届けしています。

今回もまた全文転載です。

お気に召した方はぜひ、弊誌のご購読を!

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2022.04.15

私の読書論156-読書家・蒐書家・愛書家-『ミステリマガジン』[本の話]第5回から-楽しい読書316号

 ―第316号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★ 2022(令和4)年4月15日号(No.316)
「私の読書論156-読書家・蒐書家・愛書家
―『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]第5回から」

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2022(令和4)年4月15日号(No.316)
「私の読書論156-読書家・蒐書家・愛書家
―『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]第5回から」
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 今回は、私の愛読誌の一つである『ミステリマガジン』(早川書房)に
 連載されている湯川豊さんのコラム[本の話]の連載第5回
 「内田魯庵・本を読む人」から、
 <読書家・蒐書家・愛書家>の違いについてを紹介しましょう。

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 - 私の読書論156 -
  ◆ 本の価値 ◆
  ~ <読書家・蒐書家・愛書家>の違い ~
  ――『ミステリマガジン』連載コラム[本の話](湯川豊)
  第5回「内田魯庵・本を読む人」から
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 ●内田魯庵―<読書家・蒐書家・愛書家>の違い

湯川豊さんの『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]の
第5回「内田魯庵・本を読む人」(HMM2021年9月号(no.748))に
こんな話が出てきます。

<読書家・蒐書家・愛書家>の違いです。

「東西愛書趣味の比較」(『魯庵随筆 読書放浪』所収)に――

 《読書家と蒐書家がどう違うか。読書家はややもすれば
  「つんどく先生」である蒐書家を軽侮するが、それはどうか。
  本が保全され、善書が読書家に届くのは
  ともすれば蒐書家がいるからではないか。》

 《また愛書家というのがいて、
  これは読書家とも蒐書家とも違っている。
  この種の人は、わずかに二、三冊の本を限りなく熱愛する。
  そしてだんだんに成長して読書家や蒐書家になるばあいもあるが、
  そうでないこともあり、とにかく見つめているほかはない、
  というのだ。》

*参考:
『ミステリマガジン』2021年9月号(no.748) 早川書房 (2021/7/21)

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(画像:『ミステリマガジン』2021年9月号(no.748)(早川書房 2021.7.25)連載コラム・湯川豊[本の話]第5回の冒頭部分)

 ●<読書家・蒐書家・愛書家>―私のイメージ

(略)

 ●私の場合は……

(略)

 ●愛書家として

(略)

 ●本についての私の格言――【どんな本でも役に立つ】

十分書き切れたかどうか分かりませんが、
最低限度書きたかったことは書けたかな、と思います。

いつもの比べてちょっと短いので、
最後に私なりの本に関する格言を紹介しましょう。

 ・・・

本についての格言――その一

 【どんな本でも役に立つ】

 

《どんな本にも役に立つ部分があるよね》というもの。

ちょっとカッコイイ言葉、決まる表現にはなっていませんが、
私のいいたいことは伝わっていると思います。

前回、紹介しました
荒俣宏さんの『喰らう読書術』(ワニブックスPLUS新書 2014/6/9)
にも、

 (4)本はクズでも毒でも、思いがけない価値がある

というくだりがありました。

それに共通する部分ですが、これはいえることです。
一見ムダな本、役立たずな本に思えても、よくよく読んでみると、
役に立つフレーズの一つや二つは見つかるものです。

 

 ●例「欠点を気づくことも才能のうち……」

例を一つあげましょう。

ここでこの本のことをその例――一見クズ本でも実は役に立つ――
としてあげると、著者や出版社の方々に申し訳ないのですけれど、
偏見を持っているつもりはありません。

世間的な見方によれば、そういう目で見る人も居るよね的な本です。
「たかがAV女優ごときの書いた本」などと。

それは、元AV女優(今風にいいますとセクシー女優)の
蒼井そらさんの『ぶっちゃけ蒼井そら』というエッセイです。

私が見つけた名言――

 《欠点を気づくことも才能のうち。下手なら努力すればいい。》p.89

このまえに、

 《でも「下手」がわかってよかったと思う。/
  自分の下手さや欠点がわからず
  「こんなものだよね」と自己満足してたら、
  その先に成長はなかったと思います。》

とあります。

どんな分野でも、成長できる人とできない人がいるものです。
その差はどこにあるのか、というと、こういうところなのでしょう。

*参考:
蒼井そら『ぶっちゃけ蒼井そら』ベスト新書 2009/9/9

200999aoi-sora

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 ★創刊300号への道のり(15) 2021(令和3)年1-6月(14年目前半)

(下段URL:ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』、
 goo版『レフティやすおの新しい生活を始めよう』
 掲載【別冊 編集後記】)

 

286.
2021(令和3)年1月15日号(No.286)
「私の読書論140-私の年間ベスト3・2020年(後編)フィクション系
『泥棒はスプーンを数える』ローレンス・ブロッグ」

2021.1.15
私の読書論140-私の年間ベスト3・2020年(後)
フィクション系-楽しい読書286号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/01/post-50c1d0.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/77189c18b01371dbeee3c48a7451aecf

287.
2021(令和3)年1月31日号(No.287)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(6)
『楚辞』(4)屈原の他の作品「九章」」

2021.1.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(6)『楚辞』(4)-楽しい読書287号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/01/post-62755d.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/5df8119cefb5cbb6eeda8bb493d59085

288.
2021(令和3)年2月15日号(No.288)
「私の読書論141-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(5)
ハヤカワ文庫の50冊(3)NVの数々」

2021.2.15
私の読書論141-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(5)
ハヤカワ文庫の50冊(3)NVの数々-楽しい読書288号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/02/post-5af022.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/bd2863095641ce166963a6aabc7405c8

289.
2021(令和3)年2月28日号(No.289)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(7)
『楚辞』(5)屈原「九歌」「漁父」」

2021.2.28
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(7)『楚辞』(5)-楽しい読書289号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/02/post-361c76.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/6e9eaaa081df9735e2be1975a9d0ff57

290.
2021(令和3)年3月15日号(No.290)
「私の読書論142-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(6)
ハヤカワ文庫の50冊(4)ミステリ文庫」

2021.3.15
私の読書論142-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(6)
ハヤカワ文庫の50冊(4)-楽しい読書290号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/03/post-0574cb.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/5fb379dedfe0c35721ff8cc2b4dbabd4

291.
2021(令和3)年3月31日号(No.291)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(8)『楚辞』(6) 宋玉」

2021.3.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(8)『楚辞』(6)宋玉
-楽しい読書291号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/03/post-03ddff.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/6b35c57d2c3bdf25c3158e78ff4a85a5

292.
2021(令和3)年4月15日号(No.292)
「私の読書論143-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(7)
ハヤカワ文庫の50冊(5) ノンフィクションその他」

2021.4.15
私の読書論143-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(7)
ハヤカワ文庫の50冊(5)NF他-楽しい読書292号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/04/post-cde3df.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/7a3190d6f5084d5747d6d068bbe27bee

293.
2021(令和3)年4月30日号(No.293)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(9)漢代(1)項羽と劉邦」

2021.4.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(9)漢代(1)項羽と劉邦
-楽しい読書293号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/04/post-4b639f.html
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294.
2021(令和3)年5月15日号(No.294)
「週刊ヒッキイコラボ企画:私の読書論144<左利きミステリ>その後」

2021.5.15
私の読書論144-<左利きミステリ>その後
-週刊ヒッキイ595号&楽しい読書294号コラボ企画
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/05/post-e0ec7a.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/400a7921be1d016f8bfbff350762971a

295.
2021(令和3)年5月31日号(No.295)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(10)漢代(2)武帝」

2021.5.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(10)漢代(2)武帝-楽しい読書295号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/05/post-f8c653.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/d31b50fcf279c28162a752e01ad8b80e

296.
2021(令和3)年6月15日号(No.296)
「私の読書論145-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(8)
ハヤカワ文庫の50冊(6)拾遺・蔵書以外の名作傑作・
 ミステリ編(1)本格ミステリ」

2021.6.15
私の読書論145-私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年(8)
ハヤカワ文庫の50冊(6)拾遺ミステリ編(1)-楽しい読書296号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/06/post-04b31f.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/a9e30ce5eb0f87cf109b659f937f17e3

297.
2021(令和3)年6月30日号(No.297)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(11)漢代(3)司馬相如」

2021.6.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(11)漢代(3)司馬相如
-楽しい読書297号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/06/post-aa5f70.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/3785ab87310dd8b989acb0d12f973c69

 ・・・

2021年前半の1-6月分です。

この年の月末「古典紹介編」は、古代中国の文芸、
「漢詩を読む」編で、『楚辞』を終え、漢代の詩を取り上げています。

月半ばの「私の読書論」号では、引き続き、
「私を育てたハヤカワ文庫創刊50周年」と題して、
1970年に創刊され、私の一般向け読書の期間とほぼ同じ、
50年を迎えたハヤカワ文庫から、
今現在も手持ちの「お気に入り」の本を紹介しました。

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本誌では、「私の読書論156-読書家・蒐書家・愛書家―『ミステリマガジン』連載コラム[本の話]第5回から」をお届けしています。

今回も一部見出しだけで、全文紹介ではありません。
あしからず!

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