2026.06.07

【最新号】中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)鮑照-楽しい読書412号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

2026(令和8)年5月31日号(vol.19 no.10/No.412)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)
鮑照「代東門行」「擬行路難十八首」「梅花落」」

 

 

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2026(令和8)年5月31日号(vol.19 no.10/No.412)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)
鮑照「代東門行」「擬行路難十八首」「梅花落」」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」39回目は、元嘉期の詩人の
を取り上げます。

 平凡社の江原正士、宇野直人/著『漢詩を読む』のシリーズ第二巻
 『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』を参考にすすめています。

 

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◆ 唐代歌行詩の先駆者 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)

  ~ 元嘉の三大家・三人目 ~ 
 
  鮑照「代東門行」「擬行路難十八首」「梅花落」

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今回の参考文献――

『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/11/26
「一、元嘉期の詩人たち」より
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 ●鮑照(ほうしょう 412?-466)

鮑照は、先に紹介しました謝霊運さんや顔延之さんと並び、
「元嘉の三大家」と称される詩人です。

鮑照は、晩年になって高い官職に就いた人で、
当時は軍閥が幅をきかす時代ではありましたが、
まだ社会的地位の高い貴族に対する価値観が残っていたのでした。

鮑照は、歌行詩という、
 《目で読むより耳で聴くことをとおして内容やメッセージを伝える
  ことが主になります。前もって曲があって、そのメロディに合う
  ように文字を並べてゆく――鮑照はそれが得意な詩人でした。》

今回はそんな歌謡体の詩三首を。

 

 ●「代東門行」東門行に代ふ

「代東門行」は、「東門行に代(か)ふ」で、
「~に代(か)ふ」は「~になぞらえる」「~にあてはめる」の意味で、
この題名から“これは替え歌ですよ”と宣言していることになり、
「東門行」という後漢の頃からある歌の変化した形を、
改めて替え歌にしたのだろう、と解説の宇野さん。

替え歌というか、日本の和歌における「本歌取り」のようなもの。

中国の文化では、ゼロから新しいものを作るより、

《すでにある物に手を加えて一層輝かせる、新しい価値を見いだす
  行為の方が高く評価されるふしがあります。》p.46

別れの宴会で作られたものですが、
旅立つのが知人なのか鮑照自身なのかは不明。

 ・・・

代東門行 東門行に代ふ 鮑照

 

傷禽悪弦驚 傷禽(しようきん)は弦(げん)の驚(おどろ)くを悪(にく)み
倦客悪離声 倦客(けんかく)は離声(りせい)を悪(にく)む
離声断客情 離声(りせい) 客情(かくじよう)を断(た)ち
賓御皆涕零 賓御(ひんぎよ) 皆(みな) 涕(なんだ)零(お)つ

 猟師の矢で射られて傷ついた鳥は、
  以後弓の弦がはじける音を聞いただけでも嫌がる
 同じように、長旅に疲れた旅人は、
  別れの曲を聞くだけでもうとましくなる
 それは旅人の心を断ち切るようにつらい思いをさせ…
 旅立つ者を見送る人、馬車を操る御者も、
  みんなもらい泣きをしてしまう

 

第一段は、“人と別れるのは悲しい”という一般論から。
「傷禽」は“傷ついた鳥”、「離声」は“離別の音声”つまり別れの曲。

 

涕零心断絶 涕(なんだ)零(お)ちて 心(こころ) 断絶(だんぜつ)し
将去復還訣 将(まさ)に去(さ)らんとして復(ま)た還(かえ)り訣(わか)る
一息不相知 一息(いつそく)にして相(あひ)知(し)らず
何况異郷別 何(なん)ぞ况(いわ)んや異郷(いきよう)に別(わか)るるをや

 涙はこぼれ、心は引き裂かれ、
 いざ出発という時になって、
  もう一度振り返って別れの挨拶をせずにいられない
 人間というのは、ほんの短い別れでも、
  互いのようすがわからなくなってしまう
 まして異郷に旅立つとなればなおさら、
  将来がどうなるかわからないじゃないか

 

第二段は、説明を加えて、別れの悲しさを強調。

《「何ぞ况んや」は“まして~はなおさらだ”、
 文法用語で“累加(るいか)”の句形とされます。》p.48

別れといっても現代の私たちの別れとは違うんだ、と宇野さん。
「今生の別れ」と思ってもいい、と江原さん。
私たちはこの詩をずいぶん大げさと感じますが、
当時は、まさに実感だった、と宇野さん。

 

遙遙征駕遠 遙遙(ようよう)として征駕(せいが)遠(とほ)く
杳杳白日晩 杳杳(ようよう)として白日(はくじつ)晩(く)る
居人掩閨臥 居人(きよじん)は閨(ねや)を掩(おほ)つて臥(ふ)し
行子夜中飯 行子(こうし)は夜中(やちゆう)に飯(はん)す

 やがてはるか彼方へ馬車は遠ざかってゆく
 暗く深く太陽が沈んでゆく
 夜になれば、自分の家にいる人は寝室の戸を閉めて眠りにつくが
 旅人は夜中になって、やっと食事にありつくことができる

 

この二句は対句で、夕方から夜にかけての旅人のようす。
「遙遙」ははるかに遠いこと、「杳杳」はぼんやり薄暗いようす。
“旅は大変だ”と。

 

野風吹草木 野風(やふう) 草木(そうもく)を吹(ふ)き
行子心腸断 行子(こうし)心腸(しんちよう)断(た)つ
食梅常苦酸 梅(うめ)を食(くら)えば常(つね)に酸(さん)に苦(くる)しみ
衣葛常苦寒 葛(かつ)を衣(き)れば常(つね)に寒(かん)に苦(くる)しむ

 野原をわたる風が、草や木を吹いて音をたてる
 旅人は心を切り刻まれる思いをする
 梅の実を食べるといつもその酸っぱさがつらく、
 葛で作った薄い夏服ばかり着ていると寒い季節には悩まされてしまう

 

“特に秋の旅はつらい”。
旅では食べるものや着るものに苦労する、といいたいようです。

 

糸竹徒満座 糸竹(しちく) 徒(いたづ)らに座(ざ)に満(み)つれども
憂人不解顏 憂人(ゆうじん) 顏(かんばせ)を解(と)かず
長歌欲自慰 長歌(ちようか)して
       自(みづか)ら慰(なぐさ)めんと欲(ほつ)すれば
弥起長恨端 弥〃(いよいよ)長恨(ちようこん)の端(たん)を起(おこ)す

 琴や笛の音がむなしく部屋に満ち満ちているが
 悩んでいる人は表情をほころばすことはない
 声を長く引いて歌い、自らをなぐさめようとしても、
 それはますます深い長きのきっかけとなってしまうだけだ
 

ふと我に返るとここは宴会の場。
「顏を解く」とは笑う意味。
《“美しい音楽を聴いても、全くなぐさめられない”》と、
これは旅する当事者のこと。

《――これまでの別れの歌と言えば、故事が盛り込まれたりして、
   多岐にわたっていて華やかな印象もありましたが、これはちょっと
   違う感じがしますね。/
  言葉もそう難しくなく、故事もなくてさらさら進みます。鮑照の
  作風の特色でしょうか。》
 《ふつうは、詩の中に知識教養を織りこんでゆくのが腕の見せ所だった
  のですが、鮑照はそういうことと決別したんでしょう、そこに何か
  彼の主張があるのかもしれません。》

 

 ●「擬行路難十八首」より「その六」

次の詩は、「行路難」という歌になぞらえたもので、
この歌は後に李白も作っている。

鮑照自身役人でありながら、役人生活を否定するという、過激な内容。
それを宴会で披露したと考えられ、ということは、共感する不満の多い
官僚がたくさんいたと……。

《思い起こせば屈原以来、詩を作る人はたいてい、天下社会に貢献する
  という理想、抱負をもちながら、それがうまくゆかない、才能がある
  のに自分が抜擢されないのは周りが悪い、と不平不満をうたったもの
  が多かったのですが、役人生活そのものを否定して別の世界へ行こう
  とまで歌ったものは珍しいですね。やはり時代精神なのか……。》p.52

 《「行路難」は、旅路がつらいことに託して人生行路の険しさ、
  難しさを歌うもので、この作品もその基本線を守っています。》p.52

 ・・・

擬行路難 其六  行路難(こうろなん)に擬(ぎ)す  鮑照

 

 其六   その六
 
対案不能食 案(あん)に対(たい)して食(くら)ふ能(あた)はず
抜剣撃柱長嘆息 剣(けん)を抜(ぬ)き
         柱(はしら)を撃(う)つて長嘆息(ちようたんそく)す
丈夫生世會幾時 丈夫(じようふ)
         世(よ)に生(い)くること能(よ)く幾時(いくとき)ぞ
安能畳燮垂羽翼 安(いづく)んぞ能(よ)く畳燮(じようしよう)して
          羽翼(うよく)を垂(た)れん

 食膳に向かっても、どうも食べられない
 そこで私は剣を抜き、立ち上がって柱に斬りつけ、
  深いため息をついてしまう
 一人前の男がこの世にどれほどの間、生きられるものか
 どうしてこせこせ歩いて、意気の揚がらないままでいられようか

 

《「畳燮」はちょこちょこ小股で歩くことで、気遣いながら生きること
  のたとえです。“短い人生、何か大きなことをしなきゃだめだ”と
  いうストレスです。でもうまくゆかない、そこで発想を転換するのが
  第二段、役人社会よりも家庭生活を重視しようと……すごい価値観の
  転換です。》p.53

 

棄檄罷官去 檄(げき)を棄(す)てて官(かん)を罷(や)め去(さ)り
還家自休息 家(いえ)に還(かへ)つて
         自(みづか)ら休息(きゆうそく)せん
朝出与親辞 朝(あした)に出(い)でて親(しん)と辞(じ)し
暮還在親側 暮(くれ)に還(かえ)つて
         親(しん)の側(かたはら)に在(あ)り

 いっそのこと役人としての身分を捨て
 家に帰って自分なりにくつろぐとしよう
 朝に家を出て家族と別れても
 夕方には家族の側に戻るのだ

 

「檄」は身分証明書、辞令のこと。「親」は家族のこと。
役人は残業もあり、地方に赴任するとなると単身赴任で、
役人を辞めれば家族と友にいられる、のだそうです。

 

弄児牀前戯 児(じ)を弄(ろう)して牀前(しようぜん)に戯(たはむ)れ
看婦機中織 婦(つま)を看(み)れば機中(きちゆう)に織(お)る
自古聖賢尽貧賤 古(いにしへ)より聖賢(せいけん)
         尽(ことごと)く貧賤(ひんせん)
何況我輩孤且直 何(なん)ぞ況(いは)んや我(が)輩(はい)の
         孤(こ)にして且(か)つ直(ちよく)るをやな

 家では我が子の相手をして寝台の前で遊び
 妻の方を見れば甲斐甲斐しく機織り機の中で布を織っている
 歴史を顧みれば、昔から立派な人たちは誰もが貧しく、
  志が叶えられなかった
 まして私のように有力な保護者もなく、
  かつ融通がきかない頑固一徹な者は、恵まれないに違いない

 

 《家庭生活の楽しみを具体的に想像して結びます。》

「聖賢」で思い浮かべるのは孔子と孟子、でも二人の人生は不遇のまま
終わってしまったので、

 《“孔子や孟子でさえも”のニュアンスがある。》
「弧」は援護者や後ろ盾のないこと。
 《“役人生活で成功しないと予想されるなら、もう辞めてしまおう”
  という宣言です。》
 《ずいぶん過激で、ふつうの人が言えないことを言ってしまって 
  います。拍手喝采を受けたんじゃないでしょうか。》

という解説の宇野さんでした。

 

 ●「梅花落」

「梅花落」という笛の曲があり、それに歌詞が付いて歌い継がれてきた。
それに新しい詩を作ったもの。
メロディに合わせるからでしょう、変則的な構成に。

 ・・・

梅花落 梅花落(ばいからく)  鮑照

 

中庭雜樹多 中庭(ちゆうてい) 雜樹(ざつじゆ)多(おほ)く
偏為梅咨嗟 偏(ひとへ)に梅(うめ)の為(ため)に咨嗟(しさ)す
問君何獨然 君(きみ)に問(と)ふ
         何(なん)ぞ独(ひと)り然(しか)るやと

 私の家の庭にはさまざまな木がたくさんある
 しかし私は、ただひたすら梅に対して感歎のため息をつく
 或る人が尋ねた、あなたはどうして梅だけを好むのか

 

念其霜中能作花 念(おも)ふ 其(そ)の霜中(そうちゆう)
         能(よ)く花(はな)を作(な)し
露中能作実 露中(ろちゆう) 能(よ)く実(み)を作(な)すを
揺蕩春風媚春日 春風(しゆんぷう)に揺蕩(ようとう)して
         春日(しゆんじつ)に媚(みめよ)し
念爾零落逐寒風 念(おも)ふ 爾(なんぢ)が零落(れいらく)して
         寒風(かんぷう)を逐(お)ひ
徒有霜華無霜質 徒(いたづ)らに霜華(そうか)有(あ)るのみにして 
         霜質(そうしつ)無(な)きを

 私はしみじみ思う、梅は冷たい霜の中で花を咲かせることができ
 冷たい露の中で実を結ぶこともできる
 ふつうの木々は春になると春風に揺られ、陽射しの中で美しさを競う
 しかし私はこう考える、お前たち一般の木々は秋に萎んで枯れ、
  寒い風の後を追ってちりぢりに散ってしまう
 そういうお前たちは、寒い冬の季節には、ただ白く輝く霜に覆われる
  だけで、霜に耐える強い性質がないんだね
 

「念う」は“ずっと考え続ける意味”
 

《梅はそうではない、霜や雪に耐えて立派な花を咲かせる。
  “私もそのように生きたい”と。》p.56

 《――うーん、官職でストレスのたまった人たちには、心に深く染み
   入る歌なんでしょうね。/
  古今東西、役人生活は大変なのでしょうが、その一点を捉えて巧みに
  表現したのが鮑照だったのでしょう。》p.56

 

 ●鮑照さんの詩の力

旅立つ人を歌う「代東門行」での、別れのつらさ――
今と違って連絡の手段が限られている時代ゆえの、
そういうもの悲しさというものが出ているようです。

二つ目の「擬行路難 其六」と三つ目の「梅花落」では、
役人生活の大変さを思わせます。
その立場に人たちにとっては、後ろ盾のある人とない人の差などは特に、
痛切に感じられるのではないでしょうか。

いつの時代にあっても勤め人の大変さは変わらないもののでしょう。

でも、それをストレートに表現する、そして後世まで残るというのは、
まさに詩の力の偉大さを感じさせます。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(36)山水詩の祖・謝霊運」と題して、今回も全文転載紹介です。

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2026.5.31
【編集後記】中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)鮑照-楽しい読書412号

 

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2026.05.31

【編集後記】中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)鮑照-楽しい読書412号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【別冊 編集後記】

2026(令和8)年5月31日号(vol.19 no.10/No.412)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)
鮑照「代東門行」「擬行路難十八首」「梅花落」」

 

 

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2026(令和8)年5月31日号(vol.19 no.10/No.412)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)
鮑照「代東門行」「擬行路難十八首」「梅花落」」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」39回目は、元嘉期の詩人の
鮑照を取り上げます。

 平凡社の江原正士、宇野直人/著『漢詩を読む』のシリーズ第二巻
 『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』を参考にすすめています。

 

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◆ 唐代歌行詩の先駆者 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)

  ~ 元嘉の三大家・三人目 ~ 
 
  鮑照「代東門行」「擬行路難十八首」「梅花落」

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今回の参考文献――

『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/11/26
「一、元嘉期の詩人たち」より
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 ●鮑照(ほうしょう 412?-466)

鮑照は、先に紹介しました謝霊運さんや顔延之さんと並び、
「元嘉の三大家」と称される詩人です。

鮑照は、晩年になって高い官職に就いた人で、
当時は軍閥が幅をきかす時代ではありましたが、
まだ社会的地位の高い貴族に対する価値観が残っていたのでした。

鮑照は、歌行詩という、
 《目で読むより耳で聴くことをとおして内容やメッセージを伝える
  ことが主になります。前もって曲があって、そのメロディに合う
  ように文字を並べてゆく――鮑照はそれが得意な詩人でした。》

今回はそんな歌謡体の詩三首を。

 

 ●「代東門行」東門行に代ふ

(以下、略)

 ●「擬行路難十八首」より「その六」

 ●「梅花落」

 ●鮑照さんの詩の力

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(39)鮑照「代東門行」「擬行路難十八首」「梅花落」」と題して、元嘉の三大家の最後の一人、鮑照さんの漢詩の紹介です。
今回も冒頭のみの転載です。
冒頭以下は、見出しのみで本文は省略させていただきました。

今回は替え歌ということですが、元歌を知らない筆者ではありますが、内容的にはわかりやすかったように感じました。
難しい言葉が比較的少なかったのか、それがこの方の持ち味の一つのようで、わかりやすい簡単な言葉を使い、知識や教養が必要な表現はあまり使わないという作風のようです。

文学に限らず、物事というものは、歴史の積み重ねの中に作られてゆくものだと思います。
そうとは言え、誰もが皆そのような知識や教養を持っているわけではないのです。
初心者にも理解できる作品というのも、一つの力の発揮の仕方だと思います。
そういうものを作れるというのも、作者の大事な力量でしょう。

 ・・・

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※本稿は、レフティやすおの他のブログ『レフティやすおブログ【左利きライフ研究家:元本屋の兄ちゃん】』に転載しています。
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2026.05.22

【最新号】私の読書論-長編小説について『アリバイ・アイク』解説-楽しい読書411号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

2026(令和8)年5月15日号(vol.19 no.9/No.411)
「私の読書論-長編小説について―
リング・ラードナー『アリバイ・アイク』
巻末【解説セッション】村上春樹×柴田元幸―より」

 

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2026(令和8)年5月15日号(vol.19 no.9/No.411)
「私の読書論-長編小説について―
リング・ラードナー『アリバイ・アイク』
巻末【解説セッション】村上春樹×柴田元幸―より」
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 今年のゴールデンウイークは後半が連休で、
 まとめて休みを取れた人も多かったようです。
 当方は、「毎日が日曜」族ですので、通常どうりというところ。

 とはいえ、天候が今ひとつ、気温はある程度高いにもかかわらず、
 何となくひんやりした感じが残り、結局は、冬ものの整理等で、
 時間を潰してしまいました。

 そんななかで手に取った本から、今回は書いてみましょう。

 

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 - 私の読書論 -

  ~ 長編小説について ~

  リング・ラードナー『アリバイ・アイク』巻末
  【解説セッション】村上春樹×柴田元幸― より

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 ●リング・ラードナー『アリバイ・アイク』《村上柴田翻訳堂》

リング・ラードナーは、あまり日本では知られた作家ではないようです。
筆者は、青春時代、高校生の頃に購読を始めた『ミステリマガジン』と
いう、海外ミステリ専門誌(現在は、国内外のミステリを扱う雑誌)の
70年代の初めごろ、時折掲載されている短編を読んだことがあります。

バックナンバーでは、長編の連載もあったようです。
当時、新潮社から短編集が3冊ほど出ていました。

本書『アリバイ・アイク ラードナー傑作選』加島祥造/訳、新潮文庫
<村上柴田翻訳堂>は、1978(昭和53)年9月新潮社刊の復刊。

 

『アリバイ・アイク ラードナー傑作選』リング・ラードナー/著
加島 祥造/訳 新潮文庫<村上柴田翻訳堂> 2016/8/27
(Amazonで見る)

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《ヘミングウェイやフィッツジェラルドにも愛された、短編の名手にして
 名物コラムニストの傑作13編。息を吐くように言い訳する野球選手。
 スピード違反の女性に恋してしまった警察官。冷酷無情な行状を繰り
 返すボクサー。患者を放っておけないおしゃべり看護婦。夫の自慢が
 止まらない妻――。アメリカを虜にした饒舌すぎる語り口とユーモアが
 炸裂する! 《村上柴田翻訳堂》シリーズ。》

本書収録13編中では何度か読んでいる「微笑がいっぱい」がお気に入り。
《スピード違反の女性に恋してしまった警察官》のお話で、
甘くて酸っぱいといいますか、ほろ苦いお話です。

まあ、そういう話は置いておいて、今回のテーマは、
巻末の「村上春樹×柴田元幸」の解説セッション(2016年6月22日、
新潮社クラブにて)にあります。

ここで、村上さんが長編小説について語っています。
<長編小説という新しいシステム>(pp.462-465)の項がそれです。

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 ●長編小説を書くための基本

リング・ラードナー(1885-1933)は、マーク・トウェイン(1835-1910)と
よく似た経歴の持ち主で、新聞のコラムで名を上げ、雑誌に短編小説を
書いて人気者となります。
マーク・トウェインは、のちに『トム・ソーヤーの冒険』や
『ハックルベリー・フィンの冒険』を初め、数々の長編を発表しました。
一方、ラードナーは、名編集者のパーキンズがコラムや短編のみならず、
長編を書かせようとしますが、うまくいかなかった。

その理由として村上さんは、

 《ラードナーは基本的に語りだけで持っていくスタイルだから、
  その文体だけで長いものを書くというのは簡単じゃない。語りって
  やっぱり息切れしちゃうんです。息が続くかぎりしか書けない。
  長編は一息で書くことはできません。》

それに対して、柴田さんは、 

《トウェインは一息で書ける短い語りから出発して、少しずつスパンを
  伸ばしていきます。(略)短いエピソードを連ねれば書けそうな
  テーマを選んで。そして長編のほうに向かっていきます。》

ラードナーもそれに向かいかけたができなかった、と。

村上《彼のヴォイスというのは饒舌なものだと思うんですが、
 その文体のみで長いものを書くのはむずかしいと思う。》

ここで、『素晴らしいアメリカ野球』のフィリップ・ロスの例をあげて、

 《ロスのヴォイスも饒舌ですが、彼の作品の場合には大きな仕掛けが
  ひとつあるわけです。ヴォイスの芸だけじゃない。そういう仕掛け
  なしで物語の息を続かせることはできないと思う。》

柴田《ラードナーは、物語の大きい枠になるような仕掛けを発想
 できる人ではなかったですね。》

 

ここで、長編小説を書くための基本的な発想が明らかになりましたね。
それは、物語の大きな枠となる仕掛けが一つ必要だ、ということ。

 

 

 ●普通のことを普通に書く

村上さんは、ラードナーは普通のことを普通に書くことができなかった、
つい面白おかしく書いてしまう、と。

村上《長いものを書くためには、普通の部分というものが必要なんです、
   絶対に。》
柴田《野球選手やボクサーといった、語り手のお面をかぶって書くことは
   できるんだけれど、そのお面をとって何かを語るということが
   できなかったんでしょうね。》
村上《フィクションを書くというのはアーティフィシャルな作業では
   あるけれども、といってアーティフィシャルな部分だけでは成り
   立たないんです。素の部分というものをはさまないといけない。
   野球でいえばカウントをとるためのカウント球みたいに。それを
   彼はできなかった。》
柴田《二イニングしか投げられないピッチャーみたいなものですね。
   二イニングは見事に抑えるけど、完投はできない。》

 

長編小説を書くうえでのもう一つのポイントがこれでしょうか。
長いものを書くために必要な普通の部分。

見事な“語り”は読ませるけれど、それだけでは、息継ぎのできない
水泳選手のようなもので、長距離は泳げません。

 

 

 ●「近代小説」という、長編小説の時代

19世紀になり、ヨーロッパだけではなく、
アメリカにも「近代小説」の波がやって来ます。

村上《資本主義というシステムに長編小説という枠組みが乗っかってきた
   といってもいい。短編は生活するため、長編は大きな流れを作り
   出すためという風に、それぞれの役割分担もできあがる。》

それが、フィッツジェラルドやヘミングウェイの時代。

一方、ラードナーは、

村上《長編小説で勝負して、短編小説で稼ぐという作家の生き方が登場
   するんですが、そこには対応できなかったということでしょうね。
   長編文化に行く前の世代というか。》

それ以前にも長編で勝負する作家はいたが、それはお金に困らないような
上流階級に属する特殊な人たちだった。

 

 ●声を聞くこと

柴田《ラードナーの作品は、ページから声がぱっと立ち上がってきます。》
村上《僕も小説を書くわけだけれど、スタイルはまったくちがうにも
   かかわらず、彼のヴォイスの力強さには感心するんですよね。
   小説というのは[耳で書く](傍点)んですよ。目で書いちゃいけない
   んです。(略)黙読しながら耳で立ち上げていくんです。そして
   どれだけヴォイスが立ち上がってくるかということを確認する。》

耳のない人もいるが自分は悪くない方だと。

村上《目で見た時に声が聞こえてこないと物語は書けない。ラードナーと
   いう人は声が聞きとれるし、立ち上げることができる人なんです。
   間違いなく、カズオ・イシグロもそうですね。みんなすぐに
   ヴォイスが立ち上がってくる。ロスなんかはもう、立ち上がり過ぎ
   という感じだけれど(笑)。》

柴田《翻訳でも同じことかもしれません。推敲というのはそういうこと
   なんでしょうね。目で確認しているんですが、じつは耳で聞いて
   いる。訳文から聞こえてくる声が原文と同じトーンで聞こえるか
   どうかチェックしている。》

 

村上さんも、人の書いた本を読むときも、本当は声を聞いているのだ、
と答えます。

柴田さんは、ヘミングウェイもフィッツジェラルドも、
ラードナーの文章を一時期手本にしたんでしょう、といい、

 《でもその後彼らは違う方向に進んでいって、ラードナーには
  ラードナーの立ち上がり方があり、ヘミングウェイにはヘミング
  ウェイの立ち上がり方があるということになって、二十世紀の文学は
  ヘミングウェイの立ち上がり方を選んだということなんでしょうね。》

と。

 

 

 ●短編の名手にして名コラムニスト――リング・ラードナー

村上春樹さんと柴田元幸さんのこの「解説セッション」は、
ラードナーという、
マーク・トウェインのようなアメリカのほら話的な伝統に基づく、
ジャーナリズム発の短編小説作家を俎上に上げて、
その後の「近代小説」という長編小説の時代に生き延び、
アメリカ文学の新しい流れを作った作家たちについて語っています。

長編小説を書くための、基本的なポイントも
いくつか理解できたように思います。

筆者もその昔楽しんだ作家である、
ラードナーをこの機会にまた読み直してみるのも、一興でしょう。

《登場人物全員おしゃべり! 全米を魅了した短編の名手にして
 名コラムニストによる13の傑作短編。》

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本誌では、「私の読書論-長編小説について―リング・ラードナー『アリバイ・アイク』巻末【解説セッション】村上春樹×柴田元幸―より」と題して、今回も全文転載紹介です。

【最新号】編は、メルマガ本文の全文転載です。

【別冊 編集後記】は、【別冊 編集後記】編↓ で、

2026.5.31
【編集後記】私の読書論-長編小説について『アリバイ・アイク』解説-楽しい読書411号

 

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

 

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2026.05.15

【編集後記】私の読書論-長編小説について『アリバイ・アイク』解説-楽しい読書411号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【別冊 編集後記】

2026(令和8)年5月15日号(vol.19 no.9/No.411)
「私の読書論-長編小説について―
リング・ラードナー『アリバイ・アイク』
巻末【解説セッション】村上春樹×柴田元幸―より」

 

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2026(令和8)年5月15日号(vol.19 no.9/No.411)
「私の読書論-長編小説について―
リング・ラードナー『アリバイ・アイク』
巻末【解説セッション】村上春樹×柴田元幸―より」
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 今年のゴールデンウイークは後半が連休で、
 まとめて休みを取れた人も多かったようです。
 当方は、「毎日が日曜」族ですので、通常どうりというところ。

 とはいえ、天候が今ひとつ、気温はある程度高いにもかかわらず、
 何となくひんやりした感じが残り、結局は、冬ものの整理等で、
 時間を潰してしまいました。

 そんななかで手に取った本から、今回は書いてみましょう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 私の読書論 -

  ~ 長編小説について ~

  リング・ラードナー『アリバイ・アイク』巻末
  【解説セッション】村上春樹×柴田元幸― より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ●リング・ラードナー『アリバイ・アイク』《村上柴田翻訳堂》

リング・ラードナーは、あまり日本では知られた作家ではないようです。
筆者は、青春時代、高校生の頃に購読を始めた『ミステリマガジン』と
いう、海外ミステリ専門誌(現在は、国内外のミステリを扱う雑誌)の
70年代の初めごろ、時折掲載されている短編を読んだことがあります。

バックナンバーでは、長編の連載もあったようです。
当時、新潮社から短編集が3冊ほど出ていました。

本書『アリバイ・アイク ラードナー傑作選』加島祥造/訳、新潮文庫
<村上柴田翻訳堂>は、1978(昭和53)年9月新潮社刊の復刊。

 

『アリバイ・アイク ラードナー傑作選』リング・ラードナー/著
加島 祥造/訳 新潮文庫<村上柴田翻訳堂> 2016/8/27
(Amazonで見る)

260515-aribai-aiku

 

《ヘミングウェイやフィッツジェラルドにも愛された、短編の名手にして
 名物コラムニストの傑作13編。息を吐くように言い訳する野球選手。
 スピード違反の女性に恋してしまった警察官。冷酷無情な行状を繰り
 返すボクサー。患者を放っておけないおしゃべり看護婦。夫の自慢が
 止まらない妻――。アメリカを虜にした饒舌すぎる語り口とユーモアが
 炸裂する! 《村上柴田翻訳堂》シリーズ。》

本書収録13編中では何度か読んでいる「微笑がいっぱい」がお気に入り。
《スピード違反の女性に恋してしまった警察官》のお話で、
甘くて酸っぱいといいますか、ほろ苦いお話です。

まあ、そういう話は置いておいて、今回のテーマは、
巻末の「村上春樹×柴田元幸」の解説セッション(2016年6月22日、
新潮社クラブにて)にあります。

ここで、村上さんが長編小説について語っています。
<長編小説という新しいシステム>(pp.462-465)の項がそれです。

2026515-murakami-sibata

 

 ●長編小説を書くための基本

(以下、省略)

 ●普通のことを普通に書く

 ●「近代小説」という、長編小説の時代

 ●声を聞くこと

 ●短編の名手にして名コラムニスト――リング・ラードナー

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本誌では、「私の読書論-長編小説について―リング・ラードナー『アリバイ・アイク』巻末【解説セッション】村上春樹×柴田元幸―より」と題して、村上春樹×柴田元幸の「解説セッション」からの長編小説についての発言の紹介です。

今回も冒頭のみの転載です。
冒頭以下は、見出しのみで本文は省略させていただきました。

 ・・・

リング・ラードナーといってもご存じない方のほうが多いでしょう。
筆者は、高校二年生の夏休みに出会った一冊の雑誌『ミステリマガジン』で、<都会小説>と銘打たれて時折掲載されていた、と記憶しています。

『アリバイ・アイク ラードナー傑作選』に掲載されている作品のうちのいくつかは読んでいます。
一番のお気に入りは、「微笑がいっぱい」ですかね。

以前、弊誌で取り上げた作家デイモン・ラニアンも、この雑誌で<都会小説>と銘打たれて同じ加島祥造さんの翻訳で紹介されていました。
ラードナーはこのラニアンの前によく紹介されていました。

ラードナーは、ラニアンに比べると数は読んでいません。
また、好みという点でも、ラニアンほどではありません。

ついでにいいますと、翻訳者の加島祥造(かじま しょうぞう 1923年1月12日-2015年12月25日)さんも、好みの作家です。
翻訳者で英米文学者で詩人で、伊那谷のタオイスト(『老子』の現代詩訳『タオ 老子』ちくま文庫など)としても有名で、筆者の敬愛する人物の一人でありました。

 

*参照:【リング・ラードナーRing Lardner】<加島祥造>翻訳書
『微笑がいっぱい』新潮社 1970/8/1
(Amazonで見る)

『息がつまりそう』新潮社 1971
(Amazonで見る)

『ここではお静かに』新潮社 1972
(Amazonで見る)

『大都会』新書館 1974
『アリバイ・アイク ラードナー傑作選』新潮文庫 1978 (新潮文庫、村上柴田翻訳堂 2016)
『ラードナー傑作短篇集』福武文庫 1989/1/1
(Amazonで見る)

『メジャー・リーグのうぬぼれルーキー』ちくま文庫 ら 4-1 2003/4/1
(Amazonで見る)

 

【デイモン・ラニアン】
2024(令和6)年11月30日号(No.378)
「クリスマス・ストーリーをあなたに~(14)-2024-
デイモン・ラニアン「三人の賢者」クリスマス・イヴの出産」
2024.11.30
レフティやすおの楽しい読書378号-告知-クリスマス・ストーリーをあなたに~(14)-2024-デイモン・ラニアン「三人の賢者」

 

▼デイモン・ラニアンと第一短編集『ガイズ&ドールズ』について
2024.6.21
新潮文庫にデイモン・ラニアン(『ガイズ&ドールズ』)が帰ってきた! 『ガイズ&ドールズ』デイモン・ラニアン/著、田口俊樹/訳 2024.5.29
(Amazonで見る)

240529-guys-and-dolls

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2026.05.07

【最新号】中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)顔延之-楽しい読書410号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

2026(令和8)年4月30日号(vol.19 no.8/No.410)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)
顔延之「還至梁城作」「夏夜呈従兄散騎車長沙」」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2026(令和8)年4月30日号(vol.19 no.8/No.410)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)
顔延之「還至梁城作」「夏夜呈従兄散騎車長沙」」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」38回目は、元嘉期の詩人の
 顔延之を取り上げます。

 平凡社の江原正士、宇野直人/著『漢詩を読む』のシリーズ第二巻
 『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』を参考にすすめています。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆ 見識も才能もある、ぼろ家に住む貴族 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)

  ~ 生前は大詩人 ~ 
 
  顔延之「還至梁城作」「夏夜呈従兄散騎車長沙」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

今回の参考文献――

『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/11/26
「一、元嘉期の詩人たち」より
(Amazonで見る)『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』

260228-kansi2

 

 ●顔延之という人

顔延之(がん えんし 384-456)という人は、

《生前は大詩人の定評があったのですが、今日ではすっかり埋もれて
  しまいました。ただ読めばわかりますように、たいへん立派な詩を
  作った人ですので、ぜひここで再評価したいと思っています。》p.34

だということで、今回取り上げて見ようと思います。

謝霊運さんより一つ年上で、ほぼ同時代、東晋から宋王朝に移る頃に
青春時代を過ごした人で、謝霊運さんと同じ貴族で親しく、詩のやり取り
もしていたといいながら、謝霊運さんとは正反対で、ぼろ家に住み、
馬車ではなく、牛の引く車で動くという、財産や物質面に執着がない、
名誉など精神面に重きを置く人だったのでしょう、と。

見識も才能もあり、政府から重用された高官だった。
昔の「竹林の七賢」の阮籍(げんせき)のような生き方をした人で、
彼をまねて大酒を喰らい、政敵ばかりでなく自分の理解者や上司にも
暴言を吐く、という人柄。

 

 ●「還至梁城作」

東晋末期、三十歳で官職についた二年後に大抜擢を受けた顔延之さん。
のちに南朝の宋王朝を建てる将軍の劉裕(りゅうゆう)が、功績を挙げて
東晋から高い称号を授けられたとき、その使節となった顔延之が、
その行き帰りに作った詩が評判となり、以後栄転してゆくことに――。

題名にある河南省の梁城(りょうじょう 魏の都だった古都)についたとき
の大宴会で一座の人に詠んだ、社交的な色彩の強い詩。

歴史上の場所や人物が登場する、いわゆる「詠史詩」の性格もある。
戦国時代ゆかりの場所で、周辺を見て、それにちなんだ事件や人物を
思い出しながら作った詩。

 ・・・

 還至梁城作  還(かえ)りて梁城(りようじよう)に至(いた)るの作(さく)
顔延之

 

眇黙軌路長 眇黙(びようもく)として軌路(きろ)長(なが)く
憔悴征戍勤 憔悴(しようすい)して征戍(せいじゆ)に勤(つと)む
昔邁先徂師 昔(むかし) 邁(ゆ)きしとき
          徂師(そし)に先(さき)だち
今来後帰軍 今(いま) 来(きた)るとき 帰軍(きぐん)に後(おく)る

 どこまでも静かに馬車の道は続いている
 私は疲れてやつれながらも、遠征して守りにつく務めに励んでいる
 以前、都から北へ向かった時には
 朝廷の北伐の軍に先立って意気揚々と進んだものだが
 南に戻る今は、帰る軍隊に遅れをとってしまっている

 

振策睠東路 策(むち)を振(ふる)つて東路(とうろ)を睠(かへり)み
傾側不及群 傾側(けいそく)すれども群(ぐん)に及(およ)ばず
息徒顧将夕 徒(と)を息(やす)ましめて
          顧(かへり)みるに将(まさ)に夕(ゆふべ)ならず
極望梁陳分 望(のぞ)みを極(きは)むれば
          梁(りょう)・陳(ちん)分(わか)る

 馬にむちを振るって東への帰り道を見つめ
 身を乗り出すようにして先へと急ぐが
  行ってしまった兵士たちに追いつけない
 従う者たちを休ませて見回すと
  いつしか日が暮れようとしていて
 視線の届くかぎり見渡すと、梁と陳の国境が目に入る

 

故国多喬木 故国(ここく)に喬木(きようぼく)多(おお)く
空城凝寒雲 空城(くうじよう)には寒雲(かんうん)凝(こ)る
丘壟塡郛郭 丘壟(きゆうろう)に郛郭(ふかく)塡(み)ち
銘志滅文無 銘志(めいし)は滅(めつ)して文(ぶん)無(な)し
木石扃■幽闥 木石(ぼくせき)は幽闥(ゆうたつ)を扃■(とぎ)し
黍苗延高墳 黍苗(しよびよう)は高墳(こうふん)に延(の)ぶ

 古い都のここ梁城には高い木が多い
 人けのない町の上空には、冬の寒々とした雲が垂れ込めている
 盛り土をした墓が、城壁の外に連なっている
 墓の銘文は時代を経てすり減り、文字の形をなしていない
 木や石が墓の入口を覆い隠してしまっている
 黍やその他、雑草の茎が高い墓の上にはびこっているではないか

 

惟彼雍門子 惟(おも)ふ 彼(か)の雍門子(ようもんし)の
吁嗟孟嘗君 孟嘗君(もうしようくん)を吁嗟(うさ)せしむるを
愚賎同堙滅 愚賎(ぐせん) 同(おな)じく堙滅(いんめつ)す
尊貴誰独聞 尊貴(そんき) 誰(たれ)か独(ひと)り聞(きこ)えん
曷為久遊客 曷(なん)為(す)れぞ 久遊(きゆうゆう)の客(かく)
憂念坐自殷 憂念(ゆうねん) 
          坐(そぞ)ろ自(おのづか)ら殷(さかん)なる

 そこで私は思う。昔、戦国時代の雍門周が、
  人の命の短さやはかなさを述べて、孟嘗君を悲嘆に暮れさせたことを
 愚かな者、身分の低い者は皆消えてゆく
 そして身分の高い尊い人、立派な人も例外ではなく
 その中で誰が語り継がれるというのか、そんな人はいない
 さていったいどういうわけで、長旅を続けるこの私は、
 悩み事や心配が止めようもなく盛んに湧き起こり、
  深まってゆくんだろう

 

《――「愚賎(ぐせん) 同(おな)じく堙滅(いんめつ)す/尊貴(そんき)
   誰(たれ)か独(ひと)り聞(きこ)えん」のあたりなどちょっと引っ
   かかりますよね。
 そうですね。表面的には“身分の高下に拘わらず、人はみんな、やがて
 人生を終える”というのですが、仕官して二年、抜擢されて名誉の旅、
 そんな中で感性の鋭い人ですから、朝廷の内部事情への嫌悪感とか、
 やがて軍閥が天下を取る予感とか、いろいろ感じ取ったんでしょうか。
 「愚賎」は深読みすれば、朝廷で時代の流れを読み取れない人への
 風刺かもしれませんね。》pp.39-40

まあ誰も皆、「死すべき人間」で、いかに高名な偉人といえども、
時の移り変わりとともに、権力の座も移行してゆくわけで、
王様や皇帝のような絶対的な権力者といえども、死ねば元も子もない。
どんなに立派な墓を建ててはみても、時とともに荒廃してゆくわけで、
こういう詩にもつながってゆくのでしょう。

 

 ●「夏夜呈従兄散騎車長沙」

題名にもある二人の知人宛の個人的なメッセージなれど、
二重の意味があるといいます。

「還至梁城作」よりもずっと後の作で、ある程度朝廷での生活を経て、
暴言により一時左遷された時期に作られたもの。

《或る夏の夕暮れ時から夜にかけてさまざまな風物を見たり聞いたりし
 て、季節の変化に心を打たれ、親しい友人に会いたくなった心境を綴っ
 ています。》p.41

二人への手紙に付録として同封したものではないか、そのため、表面的に
読んだのでは分からない暗号がいくつかある、といいますが……。

「従兄散騎」の「散騎」は官職名で従兄の顔敬宗(がんけいそう)、
「車長沙」は車が名字。

 ・・・

 夏夜呈従兄散騎車長沙
 夏夜(かや) 従兄(じゆうけい)散騎(さんき)と(しやちようさ)
     とに呈(てい)す
顔延之

 

炎天方埃鬱 炎天(えんてん) 方(まさ)に埃鬱(あいうつ)
暑晏闋■塵紛 暑(しよ) 晏(く)るれば塵紛(じんふん)闋■(や)む
独静闕偶座 独(ひと)り静(しづ)かにして偶座(ぐうざ)を闕(か)き
臨堂対星分  堂(どう)に臨(のぞ)んで星分(せいぶん)に対(たい)す

 燃え立つように暑い日、
  まったく埃が立ちこめるように煩わしく鬱陶しい
 ところがその暑さも日が暮れると、土ぼこりもすっかりおさまった
 今は一人静かにここにいて、共に座る相手もなく
 広間の前に出て、夜空に広がる星を見つめている

 

側聴風薄木 側(ほの)かに聴(き)く
         風(かぜ)の 木(き)に薄(せま)るを
遙睇月開雲  遙(はる)かに睇(み)る
         月(つき)の 雲(くも)を開(ひら)くを
夜蝉当夏急  夜蝉(やせん)は夏(なつ)に当(あた)つて急(きゆう)に
陰虫先秋聞  陰虫(いんちゆう)は
         秋(あき)に先(さきだ)つて聞(きこ)ゆ

 私はじっと耳を澄ます 夜風の木々にあたってたてたかすかな音に
 はるか遠くに眺められる、月が雲を開いて現れるようすが
 夜の蝉は夏の季節にあたってせわしく鳴き続け、
 こおろぎは秋にならないのに声が聞こえる

 

歳候初過半 歳候(さいこう) 初(はじ)めて半(なか)ばを過(す)ぐ
荃■蕙豈久芬 荃■蕙(せんけい) 
         豈(あに) 久(ひさ)しく芬(かを)らんや
屛居惻物変  屛居(へいきよ)して物(もの)の変(へん)ずるを惻(いた)み
慕類抱情殷  類(るい)を慕(した)うて情殷(じよういん)を抱(いだ)く

 季節は今や、春夏と、一年の半ばをすぎたところである
 そうなると春以来の香り草も、
  これからずっと香っているというわけにはゆくまい
 引きこもって暮らしていると、
  万物が移り変わってゆくことにひときわ心が痛む
 親しい友のあなたたちを懐かしみ、会えない悩みを抱くのだ

 

九逝非空思  九逝(きゆうせい)
         空(むな)しく思(おも)ふに非(あら)ざれども
七襄無成文 七襄(しちじよう) 文(ぶん)を成(な)す無(な)し

 何度もあなた方を思い出して心を向けるが、
  ただ何となく思っているわけではない
 何度も推敲して作り直しても、あなた方に送るに値する
  立派な作品を完成させることが出来ないままだ
 

初めの二句に暗号が――「埃鬱」「塵紛」の埃や塵が気になるといい、
「塵埃」は俗世間、政治の社会や役人の社会のたとえ。
左遷中も顔延之は式典や宴会に引っぱり出されていて、この日も暑い中
引っぱり出され、夕方にやっと落ち着いたところ、と。

夜蝉~以下にも暗号が――

《つまり高潔な人格である私が暑い夏に焦りを
 感じている一方、次の季節の虫も出て来ている、これは“時代の変化に
 先立って小者たちが騒いでいる”といったところでしょうか。》p.42

「荃■蕙(せんけい)」も暗号で、『楚辞』以来、高邁な理想、固い節操の
たとえで屈原がよく使っていた、といいます。

《“私の人生ももう半ばを過ぎ、高邁な理想ももう長くはないかなあ”
 ということ、もしくは“王朝がもう全盛期を過ぎ、その立派なあり方も
 長くはなさそうだ”という予感を友人たちに伝えたのでしょうか。》p.43

屛居~以下も、

《“隠居しているからこそ、政治状況を敏感に感じ取って
 しまう”という意味にも取れます。》p.43

最後の二句は、二人へのメッセージ。

「九逝」「七襄」には出典があり、
「九逝」は『楚辞』(九章―抽思)の

《旅人の魂がひと晩のうちに九回
故郷に飛んで行く、つまり望郷の強さを表わします。》p.43

「七襄」は『詩経』(小雅―大東)の

《織女星が丹念に織物を織ること、
それが転じて、何度も推敲して詩文を作ることを言います。》p.43

 

 ●宇野直人さんの顔延之の詩への解説

《これらの二首は、顔延之の作品では比較的、彼本来の美質、感受性や
 才能の良い部分が出ているものだと思います。こういう詩をずっと作り
 続けていれば彼の名声は今日まで不滅だったと思いますが、朝廷で重用
 されて、本来と少し違う公の顔で生きることを強いられたのかなあ。》p.44

一方、宴会などで詠んだ詩は、見識の高さゆえにテクニックに走った
というか、朝廷の環境を軽く見てルーティンワークに安住してしまった、
という見方をされています。

友人に贈る詩に関しては、

《或る程度、自分の思いを込め、心情が吐露できた》(江原正士)p.44
《二十歳年上の陶淵明とも親しく、朝から晩まで酒を酌み交わして、
 別れ際にぽんと大金を渡して去った、という故事もあります。》p.44

 ・・・

今回、ネットで顔延之さんとその詩について調べようとしたのですが、
あまりこれといった情報を集められなかった、
というのが本当のところです。

まあ、その辺が宇野さんの言うところの、
今日では忘れられた詩人というところなのでしょう。

この二首は詩としてはなかなかなものだという気はしますが、
いまひとつと言えば、いまひとつなのかも、という思いもあります。

――というところ、今回はこのへんで。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)顔延之「還至梁城作」「夏夜呈従兄散騎車長沙」」と題して、今回も全文転載紹介です。

【最新号】編は、メルマガ本文の全文転載です。

【別冊 編集後記】は、【別冊 編集後記】編↓ で、
2026.4.30
【編集後記】中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)顔延之-楽しい読書410号

 

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2026.04.30

【編集後記】中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)顔延之-楽しい読書410号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【別冊 編集後記】

2026(令和8)年4月30日号(vol.19 no.8/No.410)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)
顔延之「還至梁城作」「夏夜呈従兄散騎車長沙」」

 

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2026(令和8)年4月30日号(vol.19 no.8/No.410)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)
顔延之「還至梁城作」「夏夜呈従兄散騎車長沙」」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」38回目は、元嘉期の詩人の
 顔延之を取り上げます。

 平凡社の江原正士、宇野直人/著『漢詩を読む』のシリーズ第二巻
 『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』を参考にすすめています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 見識も才能もある、ぼろ家に住む貴族 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)

  ~ 生前は大詩人 ~ 
 
  顔延之「還至梁城作」「夏夜呈従兄散騎車長沙」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/11/26
「一、元嘉期の詩人たち」より
(Amazonで見る)『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』

260228-kansi2

 

 ●顔延之という人

(以下、略)

 ●「還至梁城作」

 ●「夏夜呈従兄散騎車長沙」

 ●宇野直人さんの顔延之の詩への解説

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(38)顔延之「還至梁城作」「夏夜呈従兄散騎車長沙」」と題して、「顔延之」の漢詩の紹介です。
今回も冒頭のみの転載です。
冒頭以下は、見出しのみで本文は省略させていただきました。

 ・・・

本文中にも書いていますように、顔延之さんは生前は大詩人として定評があったのですが、今日ではすっかり埋もれてしまいました。
参考書に利用している『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』(平凡社 2010/11/26)の著者、宇野直人さん(聞き手:江原正士さん)は再評価したいということでした。
取り上げている二首を見ますと、良い出来の詩と思われます。
陶淵明や謝霊運などとも同時代といっていい人で、そういう意味で比較されるとやはりちょっと違うのかも知れません。
(筆者にはまだその辺のレベルの話はできないのですけれど……。)

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

 

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

 

『左利きライフ研究家(元本屋の兄ちゃん)レフティやすおのお茶でっせ』
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2026.04.22

【最新号】私の読書論-<町の本屋>論(10)思いつくあれこれ-楽しい読書409号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

2026(令和8)年4月15日号(vol.19 no.7/No.409)
「私の読書論-<町の本屋>論(10)
『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』(飯田一史)より
思いつくあれこれ」

 

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2026(令和8)年4月15日号(vol.19 no.7/No.409)
「私の読書論-<町の本屋>論(10)
『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』(飯田一史)より
思いつくあれこれ」
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 一昨年9月から散発的に綴ってきました、本屋さん減少を嘆く
 <元本屋の兄ちゃん>による<町の本屋>論の、昨年4月以来の
 10回目となります。

 今回は、前回9回目でふれました飯田一史さんの著書

『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか 知られざる戦後書店抗争史』
 飯田 一史/著 平凡社新書
(Amazonで見る)

Dsc06323-matinohonya

 を基に書いていく予定でしたが……。

 

 (第9回)

2025(令和7)年4月15日号(vol.18 no.6/No.386)
「私の読書論195-<町の本屋>論(9)
『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』まえがき(飯田一史)より」

2025.4.15
私の読書論195-<町の本屋>論(9)『町の本屋は~』(飯田一史)より-レフティやすおの楽しい読書386号

 

 【過去8回の<私の「町の本屋」論>】は、上記の第9回の号冒頭を
 ご参照ください。」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 私の読書論 -

  ~ がんばれ!町の本屋さん <「町の本屋」論>10 ~

  『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』飯田一史 より

   思いつくあれこれ……
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ●力作だけど売れそうもない本

前説にも書きましたように、『町の本屋~』を読んで、
その感想や思ったことを書いていくつもりでしたが、
正直読み切れませんでした。

力作で、相当なボリュームもあります。
通常の新書の場合、うすっぺらい本ですと150ページから200ページ
程度で、ちょっとがんばった本でも250から300ページ程度です。
この本は、350ページ。
中身を見ましても、表やグラフなどもありますが、ほぼ一面黒い字
ばっかりという感じです。

力作ではありますが、決して売れる本ではない、
絶対ベストセラーにはなり得ない、でも必要な本、そういう本です。

《出版業界や図書館業界の少なからぬ人たちから煙たがられそうな話も
 含むこの企画を平凡社が引き受けてくれたことには、大変感謝している
 (本が出る前から「介入」はあったが……)。》p.338

と「あとがき」にもありますように、こういう企画の商品をよく出版した
な、というのが正直なところです。
一時期町の本屋さんで働いていて、多少は実状を知っている人間でも、
ここまでは知らない、という事実が色々と書かれています。
特に歴史的な事実に関しては、これは調べていただかないと、
分からないことばかりです。

扱っている内容ですが、日本の書店業の「基本構造」を知るための営業や
経理関係、関係法規などにもふれており、ちょっとシンドイ部分があり、
業界用語などの説明は入っていますが、難しい用語も頻発です。

「まえがき」末尾に本書を読むための注意書きが入っています。

《しんどいと感じたら「戦後書店経営史」の本編である第三章から、
 あるいは比較的時代が近い第六章の郊外型複合書店や第十一章の
 ネット書店の話から、または興味のある話題からよんでもらいたい。
 出版業界の制度や法律、公取の言い回しは複雑だから、「よくわから
 ない」「つまらない」と思う部分はどんどん読み飛ばしてもらって
 かまわない。ただ各章末尾には「まとめ」を置いているから、そこは
 読んでほしい。先に各章まとめと、「終章」を読んでもらえれば
 全体の見通しがよくなるかもしれない。》

 

思いのほか手応えのある読書となり、時間までには到底読み切れず、
「パラパラッと通し読みしてみた」だけで終わりました。

というわけで、
内容に本格的に踏み込んだ感想や意見を述べることができません。

本格的な内容紹介は、また次回あるいはいずれ、ということになります。

今回は、申し訳ないですが、
ただただ思いつくままに愚痴をこぼすような回になってしまいそうです。

 

 ●「目次」

まずは、今回も「目次」を転載しておきましょう。

 

《目次》
まえがき
第一章 日本の新刊書店のビジネスモデル
 コラム1 本屋の動向と読書の動向は必ずしも一致しない
第二章 日本の出版流通の特徴
 コラム2 書店の注文・取引方法あれこれ
第三章 闘争する「町の本屋」――運賃負担・正味・新規参入者との戦い
 コラム3 見計らいの重視、予約と客注の軽視
第四章 本の定価販売をめぐる公正取引委員会との攻防
 コラム4 返品条件付販売への切り替えはいつ起こり、
  いつ委託ではないと認識されたのか
第五章 外商(外売)
 コラム5 取次からの請求への書店の入金率の変化と返品入帳問題
第六章 兼業書店
 コラム6 信認金制度
第七章 スタンドと鉄道会社系書店
 コラム7 出版物のPOSの精度を高めるのはなぜむずかしいのか
第八章 コンビニエンス・ストア
 コラム8 書籍の客注と新刊予約注文の歴史
第九章 書店の多店舗化・大型化
 コラム9 共同倉庫構想の挫折史
第十章 図書館、TRC(図書館流通センター)
 コラム10「送料無料」と景表法規制
第十一章 ネット書店
 コラム11 2020年代の「指定配本」の増加
終章
あとがき

 

前回も書きましたように、

《新書版ながら、350ページ超というかなりゴツい本で、
 出版業界における新刊書店の立場や、環境の変化や、
 その衰退の歴史を追った本》

で、

《元(町の)本屋の兄ちゃんとしては、気になる本です。》

 

 ●未必の故意か怠慢か

正直読んでいますと、そんなにずっと昔から問題があったのだ、
というのが偽らざるところです。

筆者が現役の<本屋の兄ちゃん>時代から、気になっていたこと、
はもちろんですが、それ以前からの構造的な問題点が、
いつまでも改善されることなく続いてきた、ということになります。

もちろん、だれもがみな放置していたというわけではありませんが、
肝心要の構造的な部分――委託販売、再版制度などなど――に本格的に
メスを入れることができないままにズルズルと来てしまった、
というのが現状のようです。

そういう未必の故意のような、怠慢のような業界の在り方に、
腹が立ってしまって、どうも冷静に読み進めることができませんでした。

もう腹が立ってきて、こんなことをしているからダメになるんだ、
と怒り心頭に、というところですね。

 

 ●委託販売について

本屋さんは基本的に「委託販売」だということは、
多くの方がご存知のようで、またどの店で買っても同じ値段(定価販売)
だ、ということもご存知でしょう。

ただ「委託販売」といっても、実際には、
書店には毎月毎月在庫分の支払いの請求が来ます。
日銭が入るいい商売のように思われがちですが、売れた本だけ帳合が
発生するわけではなく、取次(本の卸売)から送られてきた本のすべての
代金が請求されます。
返品すれば、その分は返してもらえるわけですが、即日返品しても、
実際にはその金額が還ってくるのは、一定期間先になります。
また返品手数料というものもかかってきます。
このタイムラグのせいで、資金繰りに困り倒産する例も少なくない、
というのが現状です。

 

 ●本が売れても赤字になる構造

本が売れなくなっている、といわれますが、
書店経営が苦しくなっている理由は必ずしもそれではないというのが、
本当のところです。

根本的に商品価格と、その掛け率の問題、粗利そのものが少ない、
という問題があります。

定価販売で競争から守られている、といわれたりしますが、
実際には、自分が売る商品の売値を自分で付けられない、
というのは小売業として困った点です。

安く仕入れて高く売れば、儲けは増えます。
しかし本屋は、仕入れ価格も販売価格も出版社や取次によって、
支配されています。
本屋が勝手に、これは数売れるから安く設定してやろうとか、
逆に、これは売れないから高くしてもいいやとか、
そういうわけにはいかないのです。

客集めのために、売れ行き良好書を多数仕入れて目玉商品にしてやろう、
儲けはついで買いのほかの本で、という作戦は取れません。

しかも、売れ行き良好書というのは、返品を嫌う取次により、
売上の大きい大書店に集中的に配本されます。
中小の書店は、思うように仕入れることはできません。

「今、置いておけば売れる!」本が手に入らないのが、町の本屋です。

お客様は、ここになければよそで探す、という人が大半です。
なぜかといえば、ここにはなくても「あるところにはある」からです。

町の本屋さんが無理して注文を出しても、よそで売れなくなってから、
やっと回ってくるというのが、実状です。
そういう本はもちろん並べて置いてもまず売れません。
売れ時を過ぎてしまったからです。

そして売れ残ったから、賞味期限が近いから、季節外れになったから、
と安売りしたり、ワゴンセールに出すというわけにはいかないのです。

「本は腐らないから」いつまでも市場価値は変わらない、と思われる
かも知れませんが、実は本も「生もの」なのです。
売れどき、旬というものがあるのですね。

○○で取り上げていたからとか、映画やドラマ化で人気が出ているとか、
新刊といってもホントに出たばっかりの時もあれば、一ヶ月過ぎたあと
とか、様々です。
「今月の新刊」として今売れてます、といわれた本でも一ヶ月後には
だれも見向きもしない、というケースもよくあります。

そして、仕入れすぎた本は、支払いに困るだけです。

 

また最近では、売れてるのにどうして? という閉店が増えています。
店舗の家賃が高騰して――特に一等地の商業地は、どことも高騰して、
家賃の改正を機に閉店という例も多々あります。
貸し手もテナントとしてもっと売上を出せる店に入ってもらいたい、
と考えるのは当然のことでしょうから。

本屋は小売店の取り分が少ないため、経費倒れになってしまうのです。

 

 ●原価と定価とその差額の分配について

「第一章」にあったのですが、アメリカでは本の原価は20%ぐらいで、
だから40%引きや50%引きといった値引き販売も可能なのだ、
というのです。
これは正直驚きでした。

外国の本の値段に比べて日本の本の値段が安い、という話は聞いていま
した。
この企画の過去の回でも紹介していましたが、ここまでとは。

現状の再販制度を続けるのなら、本の値段を上げて、
その分配の比率を変えて、本屋さんと著者に厚く配分しようというのが、
筆者の考えでした。

*参照:
2024(令和6)年11月15日号(vol.17 no.20/No.377)
「私の読書論190-<町の本屋>論(7)産経新聞記事10/27朝刊記事
「書店が消えない処方箋」より」
『レフティやすおのお茶でっせ』
2024.11.15
レフティやすおの楽しい読書377号-告知-
私の読書論190-<町の本屋>論(7)産経新聞10/27朝刊記事より

 

 ●根本的改革の時

再販制度や委託販売制度など、従来の販売方法を根本的に変えるしかない
というのが、本当のところだと思います。

とにかく小売店が自分で商品の値付けをできないのでは、お話にならない
という気がします。

何を売りたいかとか、どういう風に売りたいのか、どれぐらいの値段で
売りたいのか、そういうことぐらいは自分で決めたいものです。

それぞれに経営状況というものは異なっています。
立地条件とか、顧客層とか。

本も普通の商品と同じように売れるように変えていくのが一番だ、
と思います。

自分の店では売れない本は仕入れない、などというのは、
基本中の基本でしょう。
現状では、仕入れの大半は、取次に支配されていて、
書店側ではどうにもできません。
売りたくない本でも大量に送ってきたりするのですから。

 

 ●昔の思い出話

筆者の働いていた本屋さんのお話をしますと、
近隣に公立私立の中高校がある文教地区の駅前(というか駅裏?)の
店舗で、筆者が高校生のときに開店し、よく通った店で、
隣駅に本店のある書店の支店でした。

そういう土地柄、エロ本の類いは極力置かない――ただライバル店が
スーパー内の店舗で、当時スーパーは七時閉店でしたので、その分、
夜のお客様が多い当店では夜客用に多少は置く、という方針。

店長は基本的に送られてきた本はみな店に並べるタイプの人で、
一方筆者は過去のデータから実際に売れる数量にこだわるタイプで、
特に昼のお客様重視で見栄えを気にする本の並べ方をする人間でした。
そこで、エロ本系は実売数ギリギリまで即返するやり方でした。
ライバル店がスーパー内店舗ということで、婦人客・ママさん客、
子供客に強く、当店には来てもらえない傾向がありました。
その点を少しは改善したい、という考えがありました。

『週刊少年ジャンプ』が好調な時代で、初めて100冊仕入れたときは、
店長から大丈夫かと言われたものでしたが、あそこならある、と
いつしか噂が広がったのか、子供客が増え、即日完売の連続でした。
ところが、それ以上の数量はどうしても入れてもらえない状況でした。

児童書や小学生用のドリルなどにも力を入れ、婦人客や女性客向けの
編み物の季節物なども力を入れたものでした。

高校生客は三年で卒業してしまうのですが、一年目につかめばあと二年は
期待できるということで、「客を育てる」ことを考えていました。
そこで、男子高校生向けにバイク雑誌やバイクもののコミックを充実
させたり、親しくなったクラブの上級生に下級生に来てもらえるように
頼んだりもしたものでした。

元々多かった夜の会社帰りの男性会社員やOL(当時は若い女性会社員
さんをこう呼んだ)のお客様向けにも、雑誌など力を入れたものでした。
50冊売れる雑誌をいくつ作れるか、等々。

当時は、一般書店では書籍と雑誌の売上の比率が半々程度といわれ、
当店は雑誌が弱いといわれていたものでした。

 

 ●時代について行くのがしんどくなる

まあ、そんな思い出話はこの辺にして、とにかく、努力は報われる、
というのが楽しい毎日でした。
しかし、それも最初の何年間かの話でした。
いつしか、世間の本屋同様、当店の売上も頭打ち状態になり始めました。
一つはコンビニ、もう一つは郊外の複合店の登場です。

さらに、ファミコンの登場などもあり、
子供たちや若者の好みの変化が激しくなり、お客様に着いていくのが
しんどくなったものでした。
私は年齢を感じてしまい、天職だと思っていた仕事を辞めることに
しました。
本、特に書籍中心の店なら、それほど若い感性は必要ではなかったのかも
しれません。
しかし、雑誌を中心に、コミックやゲームが登場したり、
タレントさんやテレビの影響が大きくなったりするようになりますと、
時代に着いていくのが難しくなります。

 ・・・

ということで、今回はこのへんで。

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本誌では、「私の読書論-<町の本屋>論(10)『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』(飯田一史)より 思いつくあれこれ」と題して、今回も全文転載紹介です。

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【別冊 編集後記】は、【別冊 編集後記】編↓ で、

2026.4.15
【編集後記】私の読書論-<町の本屋>論(10)思いつくあれこれ-楽しい読書409号

 

 

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2026.04.15

【編集後記】私の読書論-<町の本屋>論(10)思いつくあれこれ-楽しい読書409号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【別冊 編集後記】

2026(令和8)年4月15日号(vol.19 no.7/No.409)
「私の読書論-<町の本屋>論(10)
『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』(飯田一史)より
思いつくあれこれ」

 

 

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2026(令和8)年4月15日号(vol.19 no.7/No.409)
「私の読書論-<町の本屋>論(10)
『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』(飯田一史)より
思いつくあれこれ」
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 一昨年9月から散発的に綴ってきました、本屋さん減少を嘆く
 <元本屋の兄ちゃん>による<町の本屋>論の、昨年4月以来の
 10回目となります。

 今回は、前回9回目でふれました飯田一史さんの著書

『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか 知られざる戦後書店抗争史』
 飯田 一史/著 平凡社新書
(Amazonで見る)

Dsc06323-matinohonya

 を基に書いていく予定でしたが……。

 

 (第9回)

2025(令和7)年4月15日号(vol.18 no.6/No.386)
「私の読書論195-<町の本屋>論(9)
『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』まえがき(飯田一史)より」

2025.4.15
私の読書論195-<町の本屋>論(9)『町の本屋は~』(飯田一史)より
-レフティやすおの楽しい読書386号
私の読書論195-<町の本屋>論(9)『町の本屋は~』(飯田一史)より-レフティやすおの楽しい読書386号

 

 【過去8回の<私の「町の本屋」論>】は、上記の第9回の号冒頭を
 ご参照ください。」

 

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 - 私の読書論 -

  ~ がんばれ!町の本屋さん <「町の本屋」論>10 ~

  『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』飯田一史 より

   思いつくあれこれ……
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ●力作だけど売れそうもない本

前説にも書きましたように、『町の本屋~』を読んで、
その感想や思ったことを書いていくつもりでしたが、
正直読み切れませんでした。

力作で、相当なボリュームもあります。
通常の新書の場合、うすっぺらい本ですと150ページから200ページ
程度で、ちょっとがんばった本でも250から300ページ程度です。
この本は、350ページ。
中身を見ましても、表やグラフなどもありますが、ほぼ一面黒い字
ばっかりという感じです。

力作ではありますが、決して売れる本ではない、
絶対ベストセラーにはなり得ない、でも必要な本、そういう本です。

《出版業界や図書館業界の少なからぬ人たちから煙たがられそうな話も
 含むこの企画を平凡社が引き受けてくれたことには、大変感謝している
 (本が出る前から「介入」はあったが……)。》p.338

と「あとがき」にもありますように、こういう企画の商品をよく出版した
な、というのが正直なところです。
一時期町の本屋さんで働いていて、多少は実状を知っている人間でも、
ここまでは知らない、という事実が色々と書かれています。
特に歴史的な事実に関しては、これは調べていただかないと、
分からないことばかりです。

扱っている内容ですが、日本の書店業の「基本構造」を知るための営業や
経理関係、関係法規などにもふれており、ちょっとシンドイ部分があり、
業界用語などの説明は入っていますが、難しい用語も頻発です。

「まえがき」末尾に本書を読むための注意書きが入っています。

《しんどいと感じたら「戦後書店経営史」の本編である第三章から、
 あるいは比較的時代が近い第六章の郊外型複合書店や第十一章の
 ネット書店の話から、または興味のある話題から読んでもらいたい。
 出版業界の制度や法律、公取の言い回しは複雑だから、「よくわから
 ない」「つまらない」と思う部分はどんどん読み飛ばしてもらって
 かまわない。ただ各章末尾には「まとめ」を置いているから、そこは
 読んでほしい。先に各章まとめと、「終章」を読んでもらえれば
 全体の見通しがよくなるかもしれない。》p.21

 

思いのほか手応えのある読書となり、時間までには到底読み切れず、
「パラパラッと通し読みしてみた」だけで終わりました。

というわけで、
内容に本格的に踏み込んだ感想や意見を述べることができません。

本格的な内容紹介は、また次回あるいはいずれ、ということになります。

今回は、申し訳ないですが、
ただただ思いつくままに愚痴をこぼすような回になってしまいそうです。

 

 ●「目次」

《目次》
まえがき
第一章 日本の新刊書店のビジネスモデル
 コラム1 本屋の動向と読書の動向は必ずしも一致しない
第二章 日本の出版流通の特徴
 コラム2 書店の注文・取引方法あれこれ
第三章 闘争する「町の本屋」――運賃負担・正味・新規参入者との戦い
 コラム3 見計らいの重視、予約と客注の軽視
第四章 本の定価販売をめぐる公正取引委員会との攻防
 コラム4 返品条件付販売への切り替えはいつ起こり、
  いつ委託ではないと認識されたのか
第五章 外商(外売)
 コラム5 取次からの請求への書店の入金率の変化と返品入帳問題
第六章 兼業書店
 コラム6 信認金制度
第七章 スタンドと鉄道会社系書店
 コラム7 出版物のPOSの精度を高めるのはなぜむずかしいのか
第八章 コンビニエンス・ストア
 コラム8 書籍の客注と新刊予約注文の歴史
第九章 書店の多店舗化・大型化
 コラム9 共同倉庫構想の挫折史
第十章 図書館、TRC(図書館流通センター)
 コラム10「送料無料」と景表法規制
第十一章 ネット書店
 コラム11 2020年代の「指定配本」の増加
終章
あとがき 

(以下、略)

 ●未必の故意か怠慢か

 ●委託販売について

 ●本が売れても赤字になる構造

 ●原価と定価とその差額の分配について

 ●根本的改革の時

 ●時代について行くのがしんどくなる

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本誌では、「私の読書論-<町の本屋>論(10)『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』(飯田一史)より 思いつくあれこれ」と題して、飯田一史さんの『町の本屋は~』をパラパラと見て筆者の思うところをあれこれと書いてみた、の紹介です。
【別冊 編集後記】は、冒頭のみの転載です。
冒頭以下は、見出しのみで本文は省略させていただきました。

本文中にも書いていますが、新書本ながら350ページ超というボリュームで、いかも結構難しいといいますか、ややこしい問題に触れていて、気軽には読めないな、という感じです。
<元本屋の兄ちゃん1980s>というかつての関係者として本好きとして、気になる本屋さんの問題というので色々考えてしまうだけに、読み捨てにはできない、というわけです。
読み終えたら、また取り上げたい、と思っています。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

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2026.04.07

【最新号】中国の古典編―漢詩を読んでみよう(37)山水詩の祖・謝霊運(2)-楽しい読書408号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

2026(令和8)年3月31日号(vol.19 no.6/No.408)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(37)山水詩の祖・謝霊運(2)」

 

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2026(令和8)年3月31日号(vol.19 no.6/No.408)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(37)山水詩の祖・謝霊運(2)」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」37回目は、第3シーズン?の
 謝霊運の二回目です。

 平凡社の江原正士、宇野直人/著『漢詩を読む』のシリーズ第二巻
 『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』を参考にすすめていきます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 「景」の描写から「情」の描写へ ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(37)

  ~ 山水詩の祖・謝霊運 ~ 
 
  (2)「遊赤石進汎海」「石壁精舎環湖中作」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

今回の参考文献――

『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/11/26
「一、元嘉期の詩人たち」より
(Amazonで見る)『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』

260228-kansi2

 

 

 ●謝霊運「遊赤石進汎海」

宋王朝となり、軍出身の官僚が幅をきかせる時代となりましたが、
名門貴族出身の謝霊運には財力があり、それなりの力はあったようです。

謝霊運は、「赤石(せきせき)」(浙江省の臨海地区)に別荘を持ち、
滞在中、舟遊びをしたそうで、次の「遊赤石進汎海」は、
左遷された永嘉で作ったもので、まったく暗い影がなく、
海での舟遊びの楽しさを記録したもので、
海をテーマにした中国では珍しい詩だ、といいます。

大陸国家である中国では海は“世界の果て、縁(へり)”のような感覚で、
《最後に諦めて行く場所だった》(p.24)と。

ところが謝霊運は、あちこちで土木建築工事をしていて、それは
《一種の庭造りの発想で》、《山、川、湖などの自然を、自分の好みに
合うように改造していた》ので、《海のとらえ方も独特なものになって
い》る、といいます(p.25)。

山水詩の一環で、前半で景色を述べ、終盤で思想感情を。

 ・・・

「遊赤石進汎海」 赤石(せきせき)に遊(あそ)び
     進(すす)んで海(うみ)に汎(うか)ぶ 謝靈運

 

首夏猶清和 首夏(しゆか) 猶(な)ほ清和(せいわ)にして
芳草亦未歇 芳草(ほうそう)も亦(また) 未(いま)だ歇(つ)きず
水宿淹晨暮 水宿(すいしゆく) 晨暮(しんぼ)を淹(ひさ)しうし
陰霞屢興没 陰霞(いんか) 屢ゝ(しばしば)興没(こうぼつ)す

 初夏はまだ清々しく和やかで
 香りのよい草も萎れていない
 私は舟泊りのまま、朝と夕暮れとを何度も過ごした
 雲やもやが、しばしば湧き起こっては消えていった

 

周覧倦瀛壖 周(あまね)く覧(み)て瀛壖(えいせん)倦(う)み
況乃陵窮髪 況(さながら)乃(すなは)ち窮髪(きゆうはつ)を
         陵(しの)ぐ
川后時安流 川后(せんこう)は時(とき)に流(なが)れを安(やす)んじ
天呉静不発 天呉(てんご)は静(しづ)かにして発(おこ)さず

 

 もうすっかり見尽くしたので海岸の眺めに飽きてしまい
 まるで北の果ての何もない土地を越えて行くような
  味気ない気分になって来た
 そんな時、川の神様である川后はちょうど流れを穏やかに静めてくれ
 海の神様の天呉もおだやかで、荒波を立てようとはしない

 

揚帆採石華 帆(ほ)を揚(あ)げて石華(せきか)を採(と)り
掛席拾海月 席(せき)を掛(か)けて海月(かいげつ)を拾(ひろ)ふ
溟漲無端倪 溟漲(めいちよう)は端倪(たんげい)無(な)く
虚舟有超越 虚舟(きようしゆう)は超越(ちようえつ)有(あ)り

 そこで帆を上げて海草を取り
 甲板にむしろを広げてたいらぎを拾った
 深く広い海は行き着く果てがなく
 私たちの乗った舟は軽々と波を越えて、どこまでも進んでゆく

 

仲連軽斉組 仲連(ちゆうれん)は斉組(せいそ)を軽(かろ)んじ
子牟眷魏闕 子牟(しぼう)は魏闕(ぎけつ)を眷(かへり)みる
矜名道不足 名(な)に矜(ほこ)れば道(みち)足(た)らず
適己物可忽 己(おのれ)に適(かな)へば 物(もの)
         忽(ゆるが)せにす可(べ)し

 魯仲連は官職を辞退して海に逃れ、また公子牟はこんなふうに言った
 “私は海の上にいる時でも魏の宮廷のことを忘れはしない”
 名誉や高い官職を自慢していると、道というものは悟れない
 しかし自分の本性に従って生きていれば、
 俗世の名誉や金銭を軽んずることが出来るようになる

 

請附任公言 請(こ)う 任公(じんこう)が言(げん)に附(ふ)し
終然謝夭伐 終然(しゆうぜん) 夭伐(ようばつ)に
         謝(しや)せんことを

 私は太公任の言葉に同情し、
 最後まで、若くして倒されるような事態を免れていたいと願う

 ・・・

謝霊運は、何百人もの従者を従えた大宴会をしょっちゅう催していた。
まわりの人たちも彼のサロンに招かれることを光栄に思っていた。
この詩もそういう一つの場で発表したもので、パワフルで前向きな内容、
と解説の宇野さん。

初めの四句は、初夏の気持ちの良い天候の下、何日も続く豪奢な舟遊びに
ふけるようす。
次の四句は、岸辺を眺めて回るのに飽き、
“いっそ海の中に漕ぎ出してゆこう”、という決意。
「川后」は川の神様、「天呉」は海の神様で、“まるで私たちに、
海の中に出て行けといざなっておられるようだ”(p.28)と。
次の四句は、海に舟を出して、海草や貝をとる場面、
「海月」は日本では海月ですが、中国では“たいらぎ”という貝の名。

左遷中なのに変に明るく、海に対する恐れも嫌悪の気分も見られず、
舟遊びも興が乗ってきます。

次からはガラッと変わって、思想感情の表現に。
正反対の生き方をした戦国時代の人「仲連」と「子牟」。
それぞれの生き方を考えての反省――「名」は“俗世の名誉、官職”、
「物」は自分の心と体以外の“名誉や金銭、他人”等をさす。

宇野直人さんの解説では、

《ここはちょっと舌足らずで、「道」とはどういう道なのか、なぜ官職を
 自慢することを辞める必要があるか、少し説得力が足りません》(p.29)。

太公任の言葉は『荘子』からの引用――

《孔子が或る時、別人と間違えられて殺されそうになったのを太公任が
 なぐさめます。「まっすぐな木は材木に使えるからすぐ切られて
 しまう。おいしい水はみんなが汲むからすぐに涸れる。あなたは才能や
 教養を誇り過ぎたので、殺されそうになったのではないですか」と。
 孔子は確かにその通りだと答えた(山木篇)。つまり“あまり自分の
 美点をひけらかすと災いに遭いやすい”という教訓です。》(p.29)

貴族出身の謝霊運さんも、軍出身の官僚が幅をきかせる時代でもあり、
自分が目立たない方が良いのだろう、という考えなのでしょうね。
といいながら、こういう宴会を繰り返すのはどうなのでしょうか。

 

 

 ●謝霊運「石壁精舎環湖中作」

次の詩は、山水詩の完成作、といいます。

《彼の詩は、描写の後に感情や思想を述べるという特徴があります。
 もともと感性が鋭く、「景」の描写が非常に素晴らしくて印象的なの
 ですが、それと「情」の部分がうまく溶け合わず、唐突に変わる場合
 が多かった。でもこの詩に関しては両者がスムーズにつながって
 いまして、会心の作だったのではないでしょうか。》pp.29-30

この詩も多くの取り巻きとともに遊んだ情景を描いています。

《サロン文学の色彩があります。そのために彼の感情や思想表現があまり
 深刻さを帯びないのか、どこか生身の声とは違う感じがしてならない
 んです。》pp.31-32

というのが、宇野さんの感想ですが……。

 ・・・

「石壁精舎環湖中作」 石壁精舎(せきへきしようじや)より
     湖中(こちゆう)に還(かへ)るの作(さく)  謝靈運

 

昏旦変気候 昏旦(こんたん)に気候(きこう)変(へん)じ
山水含清暉 山水(さんすい) 清暉(せいき)を含(ふく)む
清暉能娯人 清暉(せいき) 能(よ)く人(ひと)を娯(たのし)ましめ
遊子憺忘帰 遊子(ゆうし) 憺(たん)として帰(かへ)るを忘(わす)る
出谷日尚蚤 谷(たに)を出(い)でて 日(ひ) 尚(な)ほ蚤(はや)く
入舟陽已微 舟(ふね)に入(い)りて 陽(ひ) 已(すで)に微(び)なり

 この湖の当たりは夕方と朝とで気候が変わる
 山も水も、清々しい光を帯びてきている
 その光は私を楽しませ、遠くからやって来た私は安らかな気持ちなり
 帰るのも忘れてしまっていた
 別荘のある谷を出たのは夜明け早々であったが
 あちこちの景物を楽しむうち、舟に乗って帰ろうとすると、
  陽の光はかすかにおぼろになっている

 

林壑斂暝色 林壑(りんがく) 暝色(めいしょく)を斂(おさ)め
雲霞收夕霏 雲霞(うんか) 夕霏(せきひ)を収(おさ)む
芰荷迭映蔚 芰荷(きか) 迭(たがひ)に映蔚(えいい)し
蒲稗相因依 蒲稗(ほはい) 相(あひ)因(いん)依(い)す

 森や谷は夕暮れのたたずまいを色濃く宿している
 夕方の雲やもやは、夕焼けの光を吸い込んでしまうようである
 ひしやはすは互いに夕陽を浴びて美しく照り映え
 がまなどの水草は寄りそうように茂っている

 

披拂趨南径 披払(ひふつ)して南径(なんけい)に趨(おもむ)き
愉悦偃東扉 愉悦(ゆえつ)して東扉(とうひ)に偃(ふ)す

 草や木を払いのけながら南の小道へと急ぎ
 愉快な満足感に浸りながら東の部屋で休んだ

 

慮澹物自軽 慮(りょ) 澹(しづ)かにして
         物(もの)自(おのず)から軽(かろ)く
意愜理無違 意(い) 愜(かな)うて 理(り) 違(たが)ふ無(な)し
寄言摂生客 言(げん)を寄(よ)す 摂生(せつせい)の客(かく)
試用此道推 試(こころ)みに此(こ)の道(みち)を用(もつ)て推(お)せ

 私の心境は静かに落ち着き、世間の物事の価値はひとりでに軽くなった
 私の心は自然によって満たされ、
  大自然の道筋に誤りがないことを実感している
 一言申し上げよう、健康法に注意し、
  一所懸命に養生して長生きを欲している人々に
 試みにこの大自然の道に自分を合わせて生きてみたまえ

 ・・・

最初の六句では、山や湖の美しさに見とれて帰るのが遅くなった、と。

《次の六句が彼の本領の自然描写で、夕暮れ時のひときわ美しい眺めを
 描写します。》p.32
《彼は陽の光、それも特に夕暮れ、日没前の一瞬の華やかな輝きを好んだ
 ようです。本のわずかの間に移ろい消えてしまう美しさ、そこに注目
 するところが独特のセンスで、もともと間隔が鋭敏でデリケートな人
 なんでしょう。》p.32
《謝霊運は日の光に照らされる景物を好んでよくうたいます。》p.31

「林壑」は“森や谷”「暝色」は“夕暮れの雰囲気”。

《「斂め」のニュアンスが難しく、本来は“集める”という意味なのです
 が、“森や谷に、夕暮れの雰囲気が集中している”と言いたいのかな
 あ。》p.32

というのが宇野さんの解説。

《美しい自然にすっかり満足して横になり、そこからすんなりと思想表現
 につながって最後の四句、“俗世を軽んじて自然の法則に従って生き
 よう”と、彼がよく主張する内容になります。》p.33
《自然が私の心を洗って、俗念をきれいすっかり流してしまった。》p.33
《最後は少し彼の地金が出た感じになります。》p.33
《“やれるものなら自分と同じようにやってみろ”と、何だか奢っている
 ような結びで、我の強い性格が顔を出しています。》p.33

宇野さんの解説によりますと、謝霊運は、あくまで官僚として
権力の中枢に入って世直しをしようと考えていた。
なにしろ祖父は、北の異民族と戦って、北中国を取り戻そうと考え、
それが受け入れられずに隠居した人で、その生き方を重く見ていた、と。

聞き手の江原正士さんは、

《要するに、中央で活躍したいと思いながらも、ひと言多いために地方に
 追いやられてはまた故郷に戻る。この状況下でも落ち込んで腐ること
 なく、どこであれ、好き放題に楽しんで自然と相対し、詩も多く書いて
 いた人だったと。》p.33

さらに、

《名門出身のプライドを持ち続けながら山水詩を完成させた謝霊運は、
 政権が軍部に移り変わる中での或る意味、時代の寵児、貴族の象徴
 とも言えそうですね。》p.34

と。

 ・・・

謝霊運さんの詩は、前半の自然の描写などは非常に美しい、
という印象を受けました。
その辺の上手さと、後半の思想感情を著わすという部分の取り合わせ、
といいますか、つながり具合が今ひとつ筆者には分かりにくく、
感じました。

もっとよく読み込んでいけば、また違う印象を持つのかも知れませんが、
今のところは、そういう感想を持ちましたね。

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2026.3.31
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「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(36)山水詩の祖・謝霊運(2)」

 

 

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2026(令和8)年3月31日号(vol.19 no.6/No.408)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(36)山水詩の祖・謝霊運(2)」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」37回目は、第3シーズン?の
 謝霊運の二回目です。

 平凡社の江原正士、宇野直人/著『漢詩を読む』のシリーズ第二巻
 『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』を参考にすすめていきます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 「景」の描写から「情」の描写へ ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(37)

  ~ 山水詩の祖・謝霊運 ~ 
 
  (2)「遊赤石進汎海」「石壁精舎環湖中作」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

今回の参考文献――

『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/11/26
「一、元嘉期の詩人たち」より
(Amazonで見る)『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』

260228-kansi2

 

 ●謝霊運「遊赤石進汎海」

宋王朝となり、軍出身の官僚が幅をきかせる時代となりましたが、
名門貴族出身の謝霊運には財力があり、それなりの力はあったようです。

謝霊運は、「赤石(せきせき)」(浙江省の臨海地区)に別荘を持ち、
滞在中、舟遊びをしたそうで、次の「遊赤石進汎海」は、
左遷された永嘉で作ったもので、まったく暗い影がなく、
海での舟遊びの楽しさを記録したもので、
海をテーマにした中国では珍しい詩だ、といいます。

 

大陸国家である中国では海は“世界の果て、縁(へり)”のような感覚で、
《最後に諦めて行く場所だった》(p.24)と。

ところが謝霊運は、あちこちで土木建築工事をしていて、それは
《一種の庭造りの発想で》、《山、川、湖などの自然を、自分の好みに
合うように改造していた》ので、《海のとらえ方も独特なものになって
い》る、といいます(p.25)。

山水詩の一環で、前半で景色を述べ、終盤で思想感情を。

 ・・・

「遊赤石進汎海」
赤石(せきせき)に遊(あそ)び
     進(すす)んで海(うみ)に汎(うか)ぶ 謝靈運

(以下、略)

 

 ●謝霊運「石壁精舎環湖中作」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(37)山水詩の祖・謝霊運(2)」と題して、「謝霊運」の漢詩の紹介の二回目です。
今回も冒頭のみの転載です。
冒頭以下は、見出しのみで本文は省略させていただきました。

 ・・・

謝霊運さんの山水詩を2回にわたって紹介しました。
参考にしている『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』の宇野さんの解説によりますと、謝霊運さんは山水詩を完成させた人だそうです。
山水詩は、はじめに自然の情景描写プラスその後に思想や感情を描くという手法だといいます。

本紙本文でも書いていますが、筆者にはこの二段構えのつながり方が今ひとつピンとこない部分がありました。
前半の自然描写は良いなあと思うのですが……。

(歴史にも詳しくない、詩心のないド素人の発言ですので、その辺は割り引いてお読みくださいね。)

*参考書:(Amazonで見る)『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/11/26

 ・・・

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