2022.11.06

左利きと茶道および日本の伝統的芸能や武道について考えたこと

茶道に関する記事に、茶道暦が長いというレフティさんからコメントをいただきました。

左利きということで敬遠されている方にも、楽しんでもらえる会を、という内容です。
私は大賛成です。

 

改めて、左利きと伝統的な芸能や芸事等について考えたことを書いてみました。

 【コメントをいただいた記事】――

2012.8.16
左利きとマナー(7)茶道~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii325号

「新生活」版

◎内容の概略――
 (あ)現代の茶道は、明治以降、女子教育の場に進出するという形で、変化に対応することで生き延びてきた
 (い)昔のように左利きが忌避されてきた時代から左利きは左利きで良いとされる時代への変化を踏まえて、それに対応する作法を考える時期に来ているのではないか
 (う)伝統を重んじつつも、この時代にふさわしい姿に変容する必要がある
 (え)形式のための形式、そんな形式を守るためだけの作法ではなく、身体の変化に対応できる形式による心のこもった作法でありたい

*(注)「身体の変化」とは、利き手の問題だけでなく、ケガや高齢化に伴う身体の故障等で茶道を行う人が、正座が出来ない等の従来の作法を履行できない状態をいいます。

基本的に私の意見は上記のものと変わりませんが、お返事代わりに、茶道並びに日本の伝統的な芸事や武道等について、今回改めて私が考えたことを書いてみます。

221106sadou-240_f_193764454_f2imcu6si3yb 221106sadou-240_f_110594969_cic5xixtud2v

(参考画像――ネットより) 

 

 ●「形」よりも「心」を

茶道そのものは、日本のよき文化だと思います。
岡倉天心の『茶の本』など読みましても。

ですので、多くの方が親しむべきだろうと思います。

ただ、日本のこういう古典芸能とか文化においては、
「形」を重んじるあまり、「心」がおろそかにされているのでは? という印象があります。

「形」は大事ですが、必ずしも一つではないのではないでしょうか。

茶道でも最近では、椅子で行うやり方もあると聞いています。
外国人など「畳に正座」に慣れていない方や、高齢化もあり足や腰に支障がある人にも楽しんでもらえるように、という配慮のようです。

基本は定まっていても、参加者や状況に応じて臨機応変に対応を変える、という融通をきかす度量もあってよいように思います。

「左利き」というだけで敷居の高さを感じて辞めてしまう人がいるなら、その人にとっても、日本文化の継承者の皆様方にとっても残念なことでしょう。

ですから、「左利きの人のためのお茶を楽しむ会」のような催しの開催には大いに期待します。

 

 ●「右手」の作法から「利き手」の作法へ

初心者と、たとえば師範のような上級者では、
どういう風に取り組むか、は同じでなくてもよいと思うのです。

特に「まずは茶道それ自体を知ってもらう」という、ごくごく入口に立つ人たちには、必要以上に「形」にとらわれなくてもいいように思います。

「形」から入るというのは、初心者には都合のいい面もあるのです。
ただ、日本の伝統的な古典芸能や武道などでは、「右使い」が基本になっている場合があります。

書道でもそうですが、昔は「字は右手で書くもの」と、「常識」として固まっていました。
左手で書くのは、ケガ等で右手が使えなくなった人だけ。

実際には、巧みに書いてしまえば、どちらの手で書いたか分からない場合もあります。
それでも、「まずは右手で」というのが常識でした。

近年では、書家や書道家の先生方の世界では、どうかよく知りませんが、少なくとも小学校のレベルではどちらの手で書いてもいい、という状況になってきています。

それが本来の姿ではないか、と私は考えています。
「書きたい方の手で」「使いやすい方の手で」というのが、原則として通用する世の中になってほしいものです。

茶道も同様です。
「形」の上では、「右手で」という作法の規定を「利き手で」に変えるだけで、「心」の部分――本質は変わらないと思うのですが、どうでしょうか。

それで万人が受け入れられる芸能や芸術になるのなら、誰にとっても嬉しいことではないでしょうか。

抵抗勢力(?)として、「右」の作法の「形」としての美しさを訴える人もいるかもしれません。

しかし、「左」の作法にも美しさはあると思うのです。
要は、見慣れているかどうかの違いではないでしょうか。

昔は「利き手」の性質がどういうものかを理解できず、多数派の右利きによる右使いが作法として規定され、「右手」が作法になっていたのでしょう。
一方、左利きについての偏見から左利きが忌避され、左使いは邪道とされたのでしょう。

今では、「利き手」の違いが脳・神経組織の違いにあると知られ、誰もが一様に「右へ習え」とは行かないことが分かってきました。

そういう背景を考慮すれば、「右手」の作法から「利き手」の作法に切り替えてゆくことが自然なのではないか、という気がします。

 

| | Comments (0)

2022.02.10

2月10日〈左利きグッズの日〉―左利き対応楽器を普及させよう!

2月10日は〈左利きグッズの日〉です。
2月10日〈左利きグッズの日〉の由来につきましては、昨年のこちら↓の記事をご覧いただくとして、今年は本来の意義、左利きグッズの普及に関して書いてみます。

『レフティやすおのお茶でっせ』2021.2.8
〈日本版左利きの日〉から20年、2月10日は〈左利きグッズの日〉

前回の「2月10日〈左利きグッズの日〉を前にTBSテレビ【新・情報7daysニュースキャスター】で左利き情報」の末尾で、今年の期待として
「心の栄養」としての芸術の世界等における左利き対応の道具、音楽でいえば楽器における左利き対応品の普及です。》と書きました。

「なぜ楽器の左利き用なのか?」の理由について書いておこうと思います。

 ・・・

昨今では、かなりの左利きグッズ(左手・左利き対応の道具類)が普及してきました。

ハサミ等の「生活必需品」はいってみれば「身体(からだ)」の一部、「身体(からだ)」の延長、「身体(からだ)」を手助けするものです。
言い換えれば「身体(からだ)の栄養」のようなものだと思うのです。

そういう生活必需品に関しては、左手・左利き対応の道具類は、かなり普及してきました。
ただし、コンビニで気軽に手に入るというところまでは行きません。
また、機能や色・デザインなどの選択肢も限られてはいます。

それでも、ある程度の規模のお店に行けば、とりあえず何かしらの必要最小限の左手・左利き用品が手に入る状況になってきました。

一方で、「贅沢品」といいますか「嗜好品」といいますか、「娯楽や芸術のための道具類」――楽器やカメラ等の道具・器具類では、全くといっていいほど左手・左利き用品が見当たりません。

生活必需品的なものはいってみれば、「身体(からだ)」の延長、一部といえます。
道具類は、生活を便利にする、豊かにするという意味では「身体(からだ)の栄養」的な「食べ物」にあたるとはいえないでしょうか。
それに対して嗜好品的なものは、心を豊かにする「心(魂・精神)の栄養」という意味での「食べ物」でしょう。

今、左利きの人たちは、「身体(からだ)の栄養」としての「食べ物」をやっと手に入れた状況です。
これからは「心(魂・精神)の栄養」としての「食べ物」、楽器やカメラといった「芸術」や「娯楽」に関するような道具類を必要とするのではないでしょうか。

 

楽器でいいますと、左利きに対応した製品といえば、ギターの類いのみ、という状況です。
それも「谷口楽器」のようなレフティー(左利き)ギター専門店をのぞけば、どこでも置いているというものでもなさそうです。
左利き用のバイオリンも一部売られているようですが、大きな店なら置いているというわけではありません。
ましてや左利き用のピアノなど売っていません。

子供が小学校で必需品のようになっている鍵盤ハーモニカの左用もありません。

過去に何度も私のサイトに相談のメールが来たりしたものでした。
「左利き用の鍵盤ハーモニカはありますか?」と。
その都度「残念ながらありません」と答えるしかありませんでした。

 ・・・

「楽器は両手を使うから利き手は関係ない」という人もいます。
(一眼のカメラなども。)
しかしそれは違うと思います。

もし本当にそのとおりなら、どうして楽器はみな右利き用にできているのでしょうか。
なぜ左右半々ではないのでしょうか。

楽器がみな右利き対応のものになっているのは、なぜか?
工場で機械で大量生産するから、という理由を考える人もいるかもしれませんが、それ以前の時代から右利き用が標準だったのではないでしょうか。

理由は簡単です。
「右利きの人は右手で弾きたいから」
そして「人類の大部分は右利きだったから」です。

強度の左利きである私の持論は、「利き手は心につながっている」です。
「心の栄養」となる音楽を演奏するための道具である「楽器」は、やはり「利き手で弾きたい」ものです。

右利きの人は右手で、左利きの人は左手で。

両手を使うといいましても、役割が違うのです。
最初に音を出すのは右手(右利きの人の利き手)です。
音を出さなければ楽器ではありません。

利き手でない方の手は、単に音の調整のために使うだけです。
利き手で音を出し、非利き手で調整するのです。

そのため、楽器はみな右利き用になっているのです。

 ・・・

そこで、今年の「左利きグッズの日」の目標は、左利き対応の楽器の普及です。

┏━━━━━━━━━━━━━┓
♪(ギターだけでなく)♪
#左利き対応楽器     
   (#○○)が欲しい!

┗━━━━━━━━━━━━━┛

(「○○」には、ご自分の欲しい楽器名を入れましょう。)

拡散希望です!

 

*『レフティやすおのお茶でっせ』過去の2月10日「左利きグッズの日」の記事:
・2008.12.28
2月10日は左利きグッズの日、日本記念日協会で認定される

・2009.2.10
今日2月10日は“左利きグッズの日”

・2011.2.8
左手書字考(1)左手で字を書くこと―再考:週刊ヒッキイhikkii249

・2011.2.9
「左利きグッズの日」記念「第5回<LYグランプリ>2011」読者大賞アンケート

・2012.2.9
2月10日は「左利きグッズの日」ですが…メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」298号告知

・2012.2.10
2月10日「左利きグッズの日」記念<LYGP>第6回2012:メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」299号予告

・2013.2.10
今年もまた<左利きグッズの日>でした

・2015.2.10
2月10日は改称7年目の〈左利きグッズの日〉

・2016.2.9
2月10日は左利きグッズの日

・2016.2.10
2月10日は左利きグッズの日―普及の前提

・2017.2.9
2月10日〈左利きグッズの日〉をまえに左来人(Right Hidari)『左利きあるある 右利きないない』を買う読む

・2017.2.10
左手左利き専用グッズ開発「レフティー21プロジェクト」菊屋浦上商事呼びかけ

・2018.2.10
2月10日は「左利きグッズの日」―どこまで進む「左利き」容認―産経新聞投書から

・2019.2.10
2月10日は「左利きグッズの日」―に思うこと (新生活版)2月10日は「左利きグッズの日」―に思うこと

・2020.2.8
2020年2月10日は令和初の〈左利きグッズの日〉-文末に嬉しい情報あり

(新生活版)2020年2月10日は令和初の〈左利きグッズの日〉-文末に嬉しい情報あり

・2021.2.8
〈日本版左利きの日〉から20年、2月10日は〈左利きグッズの日〉

(新生活版)〈日本版左利きの日〉から20年、2月10日は〈左利きグッズの日〉

 

『レフティやすおのお茶でっせ』[カテゴリ]――
2月10日左利きグッズの日

 

 

| | Comments (0)

2021.08.25

笑福亭仁鶴さんの思い出―ラジオで“デビュー作”を朗読してもらう

上方落語を代表する関西芸能界の大御所、
笑福亭仁鶴さんが17日にご逝去されました。
謹んで哀悼の意を表します。

YouTube
【訃報】上方落語の発展に生涯を捧げた落語家 笑福亭仁鶴さん死去
2021/08/20

さて、私にとって仁鶴師匠は、私の“デビュー作”を朗読してくださった方でした。
私が何歳だったでしょうか。
二十歳前後でしょうか。

ラジオの番組――深夜(といっても午後11時から翌1時まで、だったと思います。)の
OBCラジオ大阪の「ヒットでヒット バチョンといこう」(だったかな)の
パーソナリティーをされていたとき、
「メルヘン・コーナー」という聴取者からの投稿作品を朗読するコーナーがありました。
400字詰め原稿用紙二、三枚程度の作品です。

これを投稿して採用され、仁鶴師匠に朗読していただいたのです。

「ブタとサルの話」という「さるかに合戦」風の昔話的な作品でした。

腹を減らしたサルが柿の実のなった木の下を通ったとき、
サルが枝の上で柿の実を食べているを見て、一つおくれと頼んだのに、
食べかけた実を投げつけてきたので、
怒ったブタがそれを投げ返すと見事命中し、サルはお尻から落下。
それ以来、ブタはブーブーと鳴き、サルのお尻は真っ赤っか。
――といったお話でした。

今でもはっきり覚えているのは、読み終えた仁鶴師匠の感想です。

本当に腹が減っていたら、たとえかじりかけの実でも、
投げ返さずに食べてしまうものだろう、
という意味の発言をされました。

なるほど。

戦後の食糧難の時代に育ち盛りをすごされた方の言葉として、
実感がありました。


その時にもらったデニム生地の手提げ袋「バチョンバッグ」は
今もどこかに大切にしまってあります。
番組名と当時の各曜日のパーソナリティの名前が印刷されていました。

当時もう一人の人気若手落語家、
大学出でスマートな印象の桂三枝さん(現・六代目桂文枝師匠)とは違って、
仁鶴師匠は、エラの張った四角い顔でちょっと泥臭いようなイメージがあり、
私と同じ左利きで工業高校出身ということも手伝って、
あの独特のキャラクターが好きでした。

人間国宝の桂米朝師匠ともども「上方落語の四天王」と称された
師匠の六代目松鶴さんがなくなられたとき、七代目襲名の話があったのに、
「松鶴」は松竹芸能の看板だから吉本興業の自分が継ぐものではない、
と仁鶴師匠が固辞されたそうです。
筋を通すというのか、誠実な性格を著わすエピソードでしょう。

米朝師匠同様、自分の手で「仁鶴」という名を大きくしたいと思われたのか、
あるいは単に自分の名に愛着があったということかもしれません。

昔あったという歌声喫茶でロシア民謡をよく歌っていたという仁鶴師匠。
大ヒット曲「おばちゃんのブルース」とか
深夜の定期便トラック運転手の歌「花の定期便」とかも味があります。

大塚食品「ボンカレー」のCMとか、
NHKの土曜日お昼の「バラエティー生活笑百科」もよく見ていました。

今でも読売テレビの「大阪ほんわかテレビ」のタイトルコールは
仁鶴師匠の声のまま放送されています。

次回の放送はどうなるのか、楽しみ半分寂しさ半分です。

Bg_mv_sp
Img_chara_jinsaku
Img_name_jinsaku

読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」

笑福亭仁鶴師匠のご逝去にあたり、心からご冥福をお祈り申し上げます

突然の悲報に接し、悲しみにたえません。1993年の番組開始当初からご出演いただき、 番組の父のような存在として、 出演者・スタッフ全員を温かい笑顔で包み込んでくれていました。
2017年より番組への出演をお休みされており、 再び元気な姿で仁鶴師匠が戻って来られる日を、皆心待ちにしておりましたが、 残念ながらこのようなことになり、あまりにも突然のことで言葉が見つかりません。
謹んでお悔やみ申し上げます。

大阪ほんわかテレビ スタッフ一同

8月27日(金)放送
なお、今週の放送は1時間全編に渡り、 仁鶴師匠のこれまでの様々な名場面とともに、出演者の皆様と ほんわかテレビらしく明るく仁鶴師匠を偲ぶ特別企画をお送りする予定です。


YouTube
おばちゃんのブルース(1969年12月)

大阪は第二の故郷 笑福亭仁鶴(1970年11月)

男・赤壁周庵先生 笑福亭仁鶴(1971年11月)

花の定期便 (笑福亭仁鶴)(1972年4月)

| | Comments (0)

2013.03.13

左利きとマナー(13)まとめ~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii354号

先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第354号のお知らせです。

 ・・・

第354号(No.354) 2013/3/9「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―その19―左利きとマナー(13)まとめ」は、
▲左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ▲「―その19― 左利きとマナー(13)まとめ」をお送りしました。

一年ちょい続けて来ました<左利きとマナー>編もとりあえず最終回、まとめです。

 ●左右は単なる極性の違い
 ●形の先にあるゴールを見る
 ●単に違っているだけ
 ●太陽は同じように照らしている

詳細は本誌をお読みください。↑

--
※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
--

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2013.02.14

神事及び宗教と左利き(2)~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii351号

先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第351号のお知らせです。

 ・・・

第351号(No.350) 2013/2/9「左利きとマナー(12) 神事及び宗教と左利き(2)」は、
<左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その19―>「左利きとマナー(12) 神事及び宗教と左利き(2)」をお送りしました。

 ●一般化、習慣化したタブーは?
 ●どの程度に不便かを考慮する
 ●配膳について
 ●外国での宗教的タブー
 ●“慣れ”の問題

宗教と左利きについては、まだまだ不勉強な私ですので、考えの至らぬところもあるかとは思いますが、現時点での私の考えを書いてみました。

詳細は本誌をお読みください。↑

--
※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
--

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.12.02

書道家・武田双雲氏の左利きの子の習字指導発言について思うこと

テレビでおなじみの書道家・武田双雲氏が、11月22日、自身のブログ<書道家・武田双雲 公式ブログ『書の力』>で左利きの子の習字指導をどうするかについて、以下↓のような記事を書いていらっしゃいます。


左利きの子はお習字はどうする?


121122takeda_souun_hidarikiki_shuuj


 


氏はこう答えるそうです。


「両方で書けたらもてます(^-^)v」

さらにこう続けています。


うちの息子も左利きですが、/両方で書きます。

そして、


うちの書道教室でも左利きの子はなぜか多いのですが、みんな器用に両方で書けます。/でもやはり自然と右で書くようになるんですよね。

理由として、


字は右ききが前提で開発されてるから。/結局、書きやすい方に流れますから

しかし、どうなんでしょうか。
私の体験では、確かに大筆を使う大きな文字は右手で書けても、脇に小筆で小さく書く自分の名前はなかなか書けないものです。


そのレベルまで行ってるのかどうか、私は怪しいのではないか、という気がします。
少なくとも大部分の子が、という点で。


それと、「左利きの子」と一口に言っても、左利きの度合いがどうかという問題があります。
一見左利きっぽい子―左もある程度使える子もいます。
そういう子供の場合は、書けるんでしょうね。


でも、そういう子供ばかりとは言えないという気もします。


 


そして、一番大事なことは、「両方で書けたら…」といわれるのは、常に左利きの子だという事実です。


多分武田双雲氏も、左利きの子にしか言わないのではないでしょうか?


教室に来る子供全員に対して、


「両方で書けたらもてます(^-^)v」

と言っているのでしょうか?


 


左利きの子供に対してよく言われる教育法―しつけの方法として、「両方使えたら便利でいいね」といった言葉があります。
「右手も使わせて、両利きにしましょう!」という場合もあります。


一見、筋の通った意見のように思えますが、実は立派な“差別”発言です。


なぜそう言えるのか?


いつも私は言うのですが、「両方使えて便利になるのは、左利きの子だけではない」ということです。
右利きの人だって、右手をケガした時などは、左手が使えれば便利です。


「両手が使えて便利になる」のは、決して左利きの子供だけではないのです。
右利きの子供だって両方使えれば、便利になります。


ところが、右利きの子供に左手も使えたら便利だから、と左手を使わせる教育を施す例は、ほとんどないという事実です。
また、それを訴える親や教育者もまずいない、と言えるでしょう。


特定の人にのみ特定の行動を“強要”する行為は、“差別”と呼ばれて仕方ないのではないでしょうか?


 


今回の武田双雲氏の指導も、同じことです。


私はその点を非常に憤るのです。
坊主憎けりゃ袈裟まで、という意味で言うのではないですが、単に彼は自分ができることを自慢しているだけではないか、という疑惑まで感じるのです。


これは以前、2011.6.23の記事、6月13日日テレ「深イイ話」武田双雲氏左利きの書道についてでも書いたことですが。


 ・・・


もう一言言えば―


氏は、


字は右ききが前提で開発されてるから。

と書いていますが、これも事実とは言えません。


元々文字の歴史を見てみますと、発明された当初は、右手での書きやすさというのは、考慮されていませんでした。
漢字でも楔形文字でも、左右性というのは考慮されていなかったようです。
ましてや、右手で筆記しやすいように、という考えはなかったのです。


今、日本語や中国語では、縦書きは右から左へ改行してゆきます。
英語などヨーロッパ系の言語では、横書きで左から右へ綴ります。
これらは確かに右手での書きやすさを考慮した結果です。


しかし、楔形文字でも、左から右へ綴るようになったのは、発明されて1000年ぐらいたってから、突然90度回転し、今のように左から右へ綴られるようになったのだそうです。


今の文字は、右手で書きやすいように、後に“改良”されたものに過ぎないのです。


最初から右手で書きやすいものとして開発された、というものではないのです。


 


そういう意味でも、左手で書くということを否定することはできません。
右手で書くことだけが習字ではないのです。


要するに、右手であろうと左手であろうとなんであろうと、自分が最も書きやすいと思う、最も自然に書くことが可能だと思う器官を用いて書けばよいのです。


その結果として、右利きの人では右手となり、左利きの人では左手となる、といった違いが生まれるだけのことです。
それがいいとか悪いとかいう次元の問題ではないのです。


 


「右手の方がきれいな字が書ける」と言う場合の、「きれい」とはなんでしょうか?


それは、従来の基準では、全体のバランス等はともかく、基本的には<右手で書くときの書き癖を活かした形をよし>とするものに過ぎないのです。
始筆の入り方や送筆の際の右上がりの線、終筆におけるハネやトメといった形などに現れるものです。


しかし、それらも工夫をすることで、左手書きでも“真似る”ことは可能です。


実際のコンクールでは、左手書きで受賞している人も少なくないのです。
なかには、右手が不自由になり、左手で勉強しなおしたという方もいらっしゃいます。


世の中には、見やすい、読みやすいといった機能美が満たされていればよい、とする見方もあります。


本来「美」というものは、基準などあってないようなものではないでしょうか。


 ・・・


氏の言葉によれば、


双雲@人は、楽しい方へ向かうとうまくいく。

のだそうです。


左利きの人や左手で書きたい人は、左手で楽しく書けばよいのです。
そうすれば、うまくいくそうです。
双雲先生のお墨付きです、自信を持ちましょう。


 


*参考:<左手書字>
『左組通信』
<私論4>左手で字を書くために <私論4>左手で字を書くために(その2)実技 『お茶でっせ』
<左手書字>カテゴリ


 


*『お茶でっせ』「武田双雲」関連の記事
07.10.25
左ききでは書道は無理ですか?:武田双雲『書愉道 双雲流自由書入門』から 08.7.30
『女性自身』2008年8月12日号で左利き記事 11.6.23
6月13日日テレ「深イイ話」武田双雲氏左利きの書道について 12.9.26
Twitterの威力か?[武田双雲テレビ番組左利き書道]記事にアクセス集中!


 


--
※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
--


 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.30

第7回<LYGP>2013へ向けて(2)~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii340号

先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第340号のお知らせです。

 ・・・

第340号(No.340) 2012/11/24
「第7回<LYグランプリ>2013 へ向けて(その2)」
は、
「2012年左利きの人・物・事 を振り返る」の2回目として、前回の【人:部門】3件【物:部門】1件に続いて、【事:部門】3件を紹介しました。

このブログでも取り上げて紹介したことのある、以下の3件です。

【『レフティ生活 万年筆編』】
2012.2.8
左利きでも万年筆は使えます。『レフティ生活 万年筆編』―左手書字の研究

【無印良品、プロジェクト ハートフル・左利き】
2012.4.4
Project01左利き~空想無印cuusoo muji商品化企画の試み
2012.7.20
無印良品プロジェクト ハートフル・左利き

【ガスト、スープ用のお玉(レードル)の形状改善】
2012.10.1
ガストのスープ用オタマが左右両注ぎ用に!

詳細は本誌で。


◆定期購読者募集中!

サイドバーから、もしくはこちら↓から、ご登録いただけます。

・『まぐまぐ!』のページ
「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」
・『左組通信』のページ
「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」(現在、更新は滞っています)

メルマガ登録・解除
 

--
※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
--

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.14

伝統と左利き:茶道(2)~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii338号

先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第338号のお知らせです。

 ・・・

第338号(No.338) 2012/11/10 「左利きとマナー(10) 伝統と左利き:茶道(2)」は、
▲左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ▲―その19― 左利きとマナーの10回目「伝統と左利き:茶道(2)」をお送りしました。

前回に引き続き、日本の伝統的な芸道の一つ茶道における左利きの問題について考える二回目です。
今回も、裏千家 高山宗真氏のブログ「緑水庵」でのお話を基に考察しています。

 ●小堀宗実氏の著作『茶の湯の不思議』から
 ●左利きの場合も同じ
 ●右勝手に流れるだけが「美」と言えるのか?
 ●時代とともに変化しても良いのでは?

詳細は本誌で。

*参考:
遠州茶道宗家十三世家元、小堀宗実氏の著作、
『茶の湯の不思議』日本放送出版協会 生活人新書(2003)


--
※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
--

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.11.02

11月1日は古典の日

一日遅れましたが、昨日、11月1日は、「古典の日」でした。

「古典の日」とは、2008年11月1日に京都で宣言された、源氏物語千年期を記念した、時空を超えた人類の叡智の結晶である古典に親しもうという記念日です。

「11月1日」という日付の由来は、『源氏物語』のことが最初に『紫式部日記』に記されたのが、寛弘5(1008)年11月1日ということで、この日に決めたというものです。
「「古典の日」について」

「古典の日に関する法律」(下↓に引用)も制定され、単に日本の古典文学のみならず、広く世界中の古典作品に範囲を広げて、あらゆるジャンルの古典を対象としています。

第二条 この法律において「古典」とは、文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったものをいう。

最近「もう古典を読め!古典を読め!」などという教養主義はやめようという学者さんもいらっしゃるようです。

確かに「古典の文学作品を読め」といった文学作品に限ってしまう、文学偏重であるならば、私も反対です。
一口に古典と言っても色々あります。
先に挙げた「古典の日に関する法律」の中に記されているように。


で、話を戻して、「古典を読め」というのはやめようという発言に対しての反論です。

がしかし、昔から温故知新という言葉があるように、古典を忘れて今はないだろうと思います。

第一、人間というものはほとんど進歩していないものです。

おいしいものを腹いっぱい食べたい、少しでも楽をしたい、お金が欲しい、若くてきれいな異性に惹かれる、他人よりも偉くなりたい、他人を自分の思い通りに操りたい、他人よりも善く思われたい、キラキラ光るもので身を飾りたい、他人様の為になる人間になりたい、他人様に役立つことをしたい、etc...。
人の思いというものは、なんら変わっていません。
古典にみんな書かれている、描かれているものです。


現代の私たちはそれら―古典に示されているような、古今東西の人間の英知の集積の上に立って行動しているだけなのです。
自分のオリジナルなんてホントはまずない、と言っていいでしょう。

それは科学技術に関しても同じだと思います。
今日、科学技術は全く新たな世界を切り拓いているように見えますが、それは人類の英知の光がまだ届いていなかったために我々には見えなかっただけで、昔からそこに在ったものにすぎません。


古典なんて面倒なだけじゃん、という人もいるでしょう。

でも、ホントはそれがすべてなのだ、と言っていいのです。
古典に始まり古典に終わる、なんて言う言い方をすれば、古い人間と思われるかもしれません。
でも、よーく考えてみれば、そういうものなのですね。

昨日があって今日があり、明日があるのです。


私は、毎月メルマガ『古典から始める 楽しい読書』を発行しています。
難しいことは分からないし、分析的な読み方もできない半端ものの人間ですので、単なる古典の紹介、こんな本がありますよ、読書はおもしろいですよ、私はこんなふうに本を読んでいますよ、と勧めるものにすぎません。

しかし、自分でこういうものを始めることで、何かしら勉強になっているように感じています。
ただの錯覚かもしれませんが、まったくの無駄な努力ではないように思います。

少なくとも、人生に楽しみができたことだけは事実です。
色んなものにふれる楽しみです。

文学はもちろんですが、音楽や美術や演劇や建築やその他諸々も、全て何かしらどこかしらつながっているものだと知りました。

ぜひ、皆様もこの機会に古典に親しむように心がけて欲しいものです。
できれば、サイドバーにある私のメルマガに登録していただければ、毎月二回メールが届きます。

それをきっかけにして、私とともに、古典に親しむ人生を送っていただければ、嬉しく思います。
きっとあなたの世界が広がりますよ。

*参考:
古典の日に関する法律について - 文化庁
古典の日に関する法律(条文)(PDF形式(1.32MB))
--
古典の日に関する法律

(目的)

第一条 この法律は、古典が、我が国の文化において重要な位置を占め、優れた価値を有していることに鑑み、古典の日を設けること等により、様々な場において、国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ、もって心豊かな国民生活及び文化的で活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。

(定義)

第二条 この法律において「古典」とは、文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったものをいう。

(古典の日)

第三条 国民の間に広く古典についての関心と理解を深めるようにするため、古典の日を設ける。
2古典の日は、十一月一日とする。
3国及び地方公共団体は、古典の日には、その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする。
4国及び地方公共団体は、前項に規定するもののほか、家庭、学校、職場、地域その他の様々な場において、国民が古典に親しむことができるよう、古典に関する学習及び古典を活用した教育の機会の整備、古典に関する調査研究の推進及びその成果の普及その他の必要な施策を講ずるよう努めるものとする。

附 則
この法律は、公布の日から施行する。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.10.18

伝統と左利き:茶道(1)~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii334号

先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第334号のお知らせです。

 ・・・

第334号(No.334) 2012/10/13「左利きとマナー(9) 伝統と左利き:茶道(1)」は、
▲左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ▲―その19―「左利きとマナー」の9回目、「伝統と左利き:茶道(1)」と題して茶道に関して、
裏千家 高山宗真氏のブログ『緑水庵』記事「2010年8月16日 左利き その1」~「その5」までの一連の記事を基に、私の考えたことを書いています。

「左利きは左利きのままでよい」と認められた現代社会であれば、従来のように一方的に右利きのみの作法というのはどうか? というのが、私の基本的な意見です。

詳細は、本誌で。

*本誌で参照した本:
『キケロ ―ヨーロッパの知的伝統―』高田康成/著 岩波新書(新赤版627) 1999.8.20
『新訂 方丈記』市古貞次/校注 岩波文庫 1989.5.16
 

・脳科学者・久保田競先生の著書『脳を探検する』講談社 (1998/03)

--
※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
--

| | Comments (0) | TrackBack (0)