水栓ハンドルから考える
「左蛇口に右水栓」にコメントをいただきました。それを元に少し考えて見ます。
栓をひねるくらいなら、左利きの人でも右手で右側の栓を開け閉めするのは容易ではないかという感じもするのですが、そうでもないのでしょうか。/というのは、右利きのあっしなんかでも左手でドライバーを使うこともあるので、なんとなくそう思った次第です。/ただ、栓が右についているということが不公平であることは否定できませんが。
ここに「利き手」と「使い手」のおもしろいところがあります。
人間を長くやっていると自然に身につく動作というものがあります。条件反射といいますか。
たとえば同じ水周りで言うと、水洗便所の便器の水栓のレバーというものはたいてい右手を伸ばしたところにあります。いくら私が左利きだからといっても左手を伸ばしてこれを使うことはありません。無意識に右手を使っています。
通常「利き手」といえば無意識に、知らず知らず使ってしまう手と考えます。しかしこの場合は違います。これは左手ではむずかしい、右手が早くて便利、と身体が学習しているからでしょう。
状況によって「利き手」と「使い手」を分けることはよくあります。しかし、これは両手が使えるという必要条件があってのこと。
もし、右手が不自由ならどうでしょうか。左手でほとんどのことをしなければいけない状況になったときはどうすればいいのでしょう?
もし左右同じ条件に設定されていたら、問題なく使えます。しかしこのように右手でないと使いずらい状況であれば、問題があります。
本当は、単に左利きの人のためだけではないのです。こういうあらゆる状況を考慮して設計することがこれからの社会には大切な要素になってきます。
ユニバーサルデザインという考えがそれです。誰にでも使いやすいものを、という発想で作ってゆくことが重要だと思います。
もうひとつの落とし穴があります。「これぐらいのことなら」という発想がそれ。
ホントにこれぐらいのことなら問題にならぬ、とみんなが考えるなら本来右用と左用が半々、50:50で存在してもいいはずです。誰もが右手と左手を同じ比率で持っているわけですから。
ところが右用ばかりが世に氾濫しているのはなぜでしょう?
これは逆に「これぐらいのこと」だからこそ「利き手」が選ばれるのではないでしょうか。「これぐらいのことだから」―日常茶飯事のことだから、とっさに使いやすい手である「利き手」を使おうと考えるわけですね。
右利きの人が左手を使う状況を考えると、たいていは右手がなんらかの理由でふさがっている場合が多いのではないでしょうか。あえて左手を使うという状況が作られている場合ではないかと想像します。
右手に子供を抱いているため、左手を使わねばならない、あるいは重い荷物は右手でしか持てないのでを左手を使わねばならない、等。
これは左利きの人が右手を使う場合と同じです。右手を使いたい、というより、右手を使う方が手っ取り早い、あるいは使わざるを得ないと判断した時でしょう。頭が判断するときもあれば、身体が判断するときもあるわけです。
先に「平等に不便になる選択」を提案しました。そのときに、真ん中に投入口のある自動販売機なるものを例えにしました。
今回の、水道の蛇口の水栓ハンドルこそ真ん中に設置し、どちらの手でも使えるようにするべきかもしれません。
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