『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』【別冊 編集後記】
(『まぐまぐ!』: https://www.mag2.com/m/0000171874.html)
第654号(No.654) 2023/12/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
楽器における左利きの世界(17)
大路直哉著『左利きの言い分』の音楽家たちについて」
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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン
右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第654号(No.654) 2023/12/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
楽器における左利きの世界(17)
大路直哉著『左利きの言い分』の音楽家たちについて」
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今回は、前回予告しましたように、
9月に出版された大路直哉さんの著書『左利きの言い分』から、
「第5章 左利きの才人、偉人たち」の音楽家たちについて
思うところを書いてみましょう。
『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』大路 直哉/著
PHP新書 2023/9/16
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』
2023.9.6
「日本左利き協会」発起人大路直哉さんの新著『左利きの言い分』9月16日発売 (「新生活」版)
2023.9.20
「日本左利き協会」発起人大路直哉さんの新著『左利きの言い分』9月16日発売
(「新生活」版)
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◆ <めざせ!実現!!左用ピアノ!!!>プロジェクト ◆
{名のある左利きのアーティストは左用の楽器を演奏せよ!}
- 「左利きに優しい社会」づくりは左用楽器の普及から! -
大路直哉著『左利きの言い分』の音楽家たちについて
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●坂本龍一の左利きについての話
「第五章 左利きの才人、偉人たち」の
【鍵盤をめぐる新たな左手の役割と可能性】において、
左利きの音楽家や左手の演奏に関して記載されています。
最初は、今年3月28日に亡くなられた坂本龍一さんについて。
『左うでの夢』というソロアルバムもあるといいます。
左うでの夢(紙ジャケット仕様)坂本龍一 形式: CD 2015/1/21
左うでの夢 坂本龍一 形式: CD 1993/9/21
《生前は自身の左利きについて熱く語ることが間々あった》(p.194)
とありますが、私はまったくといっていいぐらい存じません。
単にファンでなかったというだけではないと思うのですが、
どうでしょうか。
●坂本龍一 第4回 「左利き」について言いきる
私が知っていたのは――
2015年4月16日
坂本龍一 第4回 「左利き」について言いきる
https://openers.jp/lounge/4348
《坂本龍一のなんでも相談コーナー。
ふたりの親御さんからいただいた、左利きにかんする質問に、
教授がお答えします。》
というもの。
左利きのメリットとでデメリットに関しては
《ぼくも左利きですが、メリットといえば……ないですね。
自分が経験した最大のデメリットといえば「習字」。
子どものころ、しょうがないから右で書いてましたけど、
当然上手に書けるわけがなくて、
右利きの人が左で書いているような下手な字でした。
漢字文化圏の人間としてはいちばんのデメリットです。
あれにはホントに困った……。》
メリットがないかどうかは、私にもよくわかりません。
具体的にこれで得したということは、左利きだという点を強調すれば、
覚えてもらえることがある、というぐらいでしょうか。
ほぼない、というのが実態でしょう。
強いていえば、少数派ゆえの“特別”な存在、異能の存在である、
とでもいうのでしょうか、“特別”な感じを持てる点でしょうか。
あるいは、大路さんの本にもあるような「不便益」(p.183)――
日常的な不便さから色々考えるようになったり、人の不便に気づいたり、
といった不便さから生まれる「不便の益」があります。
●坂本龍一、自身の左利きについて
次に、坂本さんは自身の左利きについて、
左手用のハサミとか缶切りを試してみたが、
《すごく不便!
長年、右手用のものを左手で使ってきたんで、
いまさら左手用を出されても、うまく使えないんですよ。》
といいます。
坂本龍一さんは、1952年1月17日生まれですので、私より二つ上。
ほぼ同年代です。
そのころには、左手・左利き用のハサミというものは、
ほぼありませんでした。
ふつうに右手・右利き用のハサミを使っていました。
しかも昔のハサミは、刃の合わせがいい加減で、がたついていました。
これを自然な左手の持ち方で扱いますと、
刃と刃の間に紙をはさんでしまって切れません。
そこで、微妙な力のいれ加減を身につけて、
初めて使えるようになります。
この持ち方を覚えますと、
当然、左手・左利き用のハサミを使おうとしますと、上手くいきません。
力の入れ方が逆になるからです。
●「左利きを直すか」――けしからん!
そして、小学校入学前に「左利きを直すか」と聞かれたという
学校への対応については、
《日本も戦前までは「右利きになおす」ということが
徹底されていたみたいですが、戦後からはその風潮も変わって、
左利きも認められるようになった。
……と思っていたのですが、
まさか学校が「なおすか」などと聞くなんて。
けしからん!
そんなもの放っておけ!なおさなくていい!
と言い張ったほうがいいでしょう。》
と左利きの私からいえば、ごくごく当たり前の回答でした。
最後に余談として、こういう発言がありました。
《ぼくは左利きだから、脳のはたらきも左右反対なのか、
と思って調べたことがあります。
左が言語脳、右は空間脳といわれていますけど、
テストしてみたら、反対じゃなかったですね(笑)。
じゃあ、なんで左利きなのかは、ナゾです。》
まあ、これは致し方ありませんよね、私もわかりません。
●幼少時の坂本龍一はピアノが右利き用だと気づかなかった?
では、大路直哉著『左利きの言い分』に記された坂本龍一さんは?
<坂本龍一――左手が脇役であることに納得できなかった>
とあります。
2018年9月2日付け日本経済新聞の特集記事
「音楽家坂本龍一さん、未知の音探す苦しみの先(My Story)」
からのコメントが紹介されています(p.195より、孫引きしておきます)。
《主役は右手ばかり。左手はいつも脇役に追いやられていた。
僕は左利きだから、これが納得できなかった。
「差別じゃないか」とか言ってね。かなり生意気な子どもでした》
というのです。
しかし、これは考えてみれば、
「ピアノという楽器が右利き用である」というだけの話で、
右利きの人から見れば、“当然”のことに過ぎません。
そういう意味では、単なる「生意気な子」だったのかもしれません。
坂本龍一さんの自伝『音楽は自由にする』(新潮文庫 2023/4/19)
の幼少のころの部分を読んでも、同じようなことが書かれていました。
『坂本龍一 音楽の歴史 ~A HISTORY IN MUSIC~』吉村栄一/著
小学館 2023/2/21
の「第一章 少年のころ」によりますと、
幼稚園時代にピアノに触れる機会があった、といいます。
小さいころからピアノという楽器に親しんでいたため、
低音部が左側で、高音部が右側に配置されていて、
右手で主に旋律を左手で伴奏を、という右利きの人にふさわしい形式を、
それが当然のこと、普通の状態と思い込んでいた、ということでしょう。
そういう中にあって、ヨハン・セバスチャン・バッハの楽曲の旋律は、
《左手と右手を対等に用いるもので、
「自由」と「反権威」への意識を覚醒させるものだった》pp.194-195
正直、私には楽曲云々というむずかしいことはわかりません。
しかし、大人になって、右利きと左利きの違いや、
右利き用の道具と左利き用の道具の違いなどを理解したのちに、
ピアノといった楽器に出会った私は、
今あるピアノという楽器はまさに右利き用だ、
左利きの自分にとっては不都合な楽器だ、
という明確な意識を持ちました。
坂本さんは、あまりに小さいころから親しんでいたため、
そういう認識が生まれなかったのかもしれません。
●バッハは左手と右手が同等に扱われている、というけれど
小学二年の時、ドイツに留学中の叔父宛に、
《「バッハはすばらしい。
なぜなら左手と右手が同等に扱われているから」》
と、ハガキを出しているそうです。
(『坂本龍一 音楽の歴史 ~A HISTORY IN MUSIC~』による)
『左利きの言い分』によりますと、
《バッハの楽曲は、複数の旋律を各々の独自性を保ちながら
互いを調和させる対位法の集大成と評されます。坂本によれば、
右手で奏でたメロディーが左手に移ったり
形を変えて右手に戻る手法に対して、〈バッハでは
両方の手が同等に動き、旋律とハーモニーの境目もない。
自由ってこういうことだ〉とのこと。》
とあります。
両手を同等に扱っている、という点を評価するのは、
それはそれでいいのです。
問題ありません。
ただ、他の音楽家はおおむね右利きの人が多く、
単に右利きであるがゆえに、右利き偏重の楽曲になるのは自然なこと、
といってもいいのではないでしょうか。
もし、左利き用のピアノがあって、それで演奏すれば、
右手にあたる部分はみな左手で演奏するわけで、
左利きの人にとっても何も気になるものではないことになります。
左手が主となり、右手の役割が少ない楽曲、ということになりますよね。
楽器が左右反転しているので、曲も単なる左右反転演奏です。
●グレン・グールド――異端の演奏法が結果オーライだった?
そして、坂本龍一さんは、自分と同じ左利きのピアニスト・作曲家の
グレン・グールドに夢中になった、といいます。
次はそのグレン・グールドさんです。
『左利きの言い分』の音楽家の二人目は、
<グレン・グールド――
左利きであったことが唯一無二の演奏スタイルをつくった>
グレン・グールドは、
《左手のアルペジオが正確であったことやバッハに代表される
対位法の曲の場合は左利きが有利となったことなど、
左利きであることが唯一無二の演奏スタイルを確立する
大きな要因であったという、音楽家・原摩利彦の指摘があります。》
といい、
《左利きであったからこそ得られた才能と称えられるべきもの》
というのですが、これはいってみれば、
<不便の益>と同じレベルではないか、という気がします。
左利きの人が、自分の身体に合った楽器を使わず、
右利き用の楽器を無理矢理使っているので、
そういう結果が生まれただけではないでしょうか。
異端の演奏法が結果オーライだった、と。
もし左用のピアノを使って、演奏する手の左右は違っていても、
楽譜通りの正統な演奏法で王道の演奏を行えば、
もっと偉大なピアニストになっていた、
という可能性もあったのではないでしょうか。
●ビル・エヴァンズ――<不便の益>の音?
次のビル・エヴァンズも同様のことがいえるでしょう。
<ビル・エヴァンズ――左手の演奏が未知の旋律を生んだ>
ですが、多くの評論家が指摘する彼の特徴は、
《創造性あふれる左手の使い方》
だそうです。
以下演奏法のあれこれはむずかしくて理解できませんでしたが、
何やら左手の演奏方法に工夫があるようです。
右利き用のピアノを左手で演奏する中で生まれてきた異色の音、
なのでしょうか。
もしそうなら、これも<不便の益>の音といえますまいか?
●右利きの上原ひとみの場合
<余談:上原ひとみ――左手だけの演奏を披露>
アニメのピアニストが右手が使えず左手だけで演奏するシーンを、
左手だけで演奏したというのが、右利きの上原さん。
自身の曲でも、バッハへの敬意を捧げるような、
《伴奏者じゃなくて、ずっと右手に反応することなく、
左手が存在するっていうチャレンジ》
をやって見せた、ということです。
右利きの人でも、左手で異端の演奏をする例ということでしょうか。
●左用のピアノがあれば
先の二人、グールドとエヴァンズも、
左利きの人が右利き用のピアノで異端の演奏を行い、
結果として、それが一つの魅力となった例といえないでしょうか。
上原さんの場合も、左手の常識的な役割を越えた演奏の結果、
異質な演奏を実現したといえそうです。
大路さんは、
「第六章 「右利き社会」から「左利きに優しい社会」づくりへ」
【左利きに言いたい! 個人の能力開発以上に大切にしたいこと】
の中の、<有能と目される左利きが陥りやすい罠>で、
《左利きは脳科学的に優れた才能を持つ――
左利きとして生まれたことが選ばれし民のごとく賞賛され、
「右利き社会」の中で右利きでは得難い能力を発揮できる
といった話題が跡を絶ちません。(略)自己の能力開発のみに
固執し自画自賛するだけでは、「利き手の左右を越えた
やさしい人間社会や生活空間づくり」への意志を
他者と分かち合うことなど、土台無理な話。/
さらに左利きの才能を強調すればするほど、「右利き社会」の
現状に甘んじてしまう危惧の念を抱きかねません。》pp.239-240
と訴えておられます。
その通りだと思います。
その伝で行きますと、先の音楽家の方々も、現状に満足することなく、
左用のピアノを使えるように、という運動を起こして欲しかった、
という気がします。
坂本龍一さんなどは、左利きの音楽家として、
晩年には相当な知名度をほこる人物であったはずで、
メーカーさんに左用のピアノを所望すれば、
アコースティックのピアノはむずかしくても、
電子ピアノなら試作してもらえたかもしれないのでは?
と私などは考えてしまいます。
左用のピアノがあれば、右手主体の楽曲であっても、その裏返しで、
左手主体の演奏でカバーできるのですから。
左用のピアノがあれば、従来は左手と右手のバランスの悪さから、
「凡人」レベルで留まっていた左利きの演奏家も、
自分らしく、左手主体の演奏ができるようになり、「才能あり」や
「名人」クラスの演奏家になれるかもしれません。
今まではあきらめていた「凡人」以下の「才能なし」の左利きの人も、
「凡人」レベルの演奏を楽しむアマチュア演奏家程度には
なれるかもしれません。
自分の身体に合った道具の有効性は、多くの方がご存知のはず!
楽器もまた同様です。
●「左利きに優しい社会」づくりは左用楽器の普及から!
プロ野球のアメリカ大リーグのアメリカン・リーグのMVPに
満場一致で選ばれた“投打”二刀流でかつ“左右”二刀流でもある、
大谷翔平選手は、契約メーカーの協力をえて、
日本の小学校2万校に、右利き用に2個と左利き用1個のグローブを、
「野球やろうぜ!」の言葉とともに寄贈する、といいます。
日本を代表するような左利きのビッグなアーティストのみなさんにも、
右利き用のギター二本、左利き用のギター一本を、子供たちに
「音楽やろうぜ!」の言葉とともにプレゼントするような企画を
ぶち上げてほしいものです。
(もちろん、日本の芸能人、タレント、アーティスト、アスリートの
皆様方も、それぞれに社会福祉に尽力されているという事実は、
見聞きしております。がしかし、今回の大谷選手のような事例を
目の当たりに致しますと、やはり……。)
・・・
音楽は人の心を癒やすもの、決して贅沢品ではありません。
生活必需品です。
左用の楽器を普及させ、右利きの人だけでなく、
左利きの人にも音楽の、楽器演奏の喜びを感じてもらえる、
「右利き偏重の社会」から、
「左利きの人にも優しい社会」へ変えてゆきましょう!
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本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 楽器における左利きの世界(17)大路直哉著『左利きの言い分』の音楽家たちについて」と題して、今回も全紹介です。
左利きの音楽家、ここではピアニストですが、プロのピアニストの方々は、やはり幼少時からこの楽器に親しんでいるため、ごくごく普通にこの楽器の仕様を受け入れてしまっているように感じました。
右利き仕様であることを自然と受け入れている。
そのため、ご自身左利きでありながら、この仕様が不便だと思うことが少なくなっているように思います。
坂本龍一さんは、左手の役割が不当に差別されている、という印象はお持ちなのですが、それが楽器の仕様のせいだという点に気付いていないのか、それとも気付いていても黙っているのか、その辺のところはわかりません。
しかし、これはやはり問題だと私には思えます。
トップに立つ人が黙っていると、下のものはあれこれ意見することがむずかしくなりますから。
亡くなった人にあれこれいうのはどうかとも思いますが、私のこの気持ちは理解していただきたいものです。
・・・
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