『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)
【最新号】
第693号(Vol.21 no.14/No.693) 2025/9/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(前半)」
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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考える レフティやすおの左組通信】メールマガジン
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第693号(Vol.21 no.14/No.693) 2025/9/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(前半)」
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今回は、
第691号(Vol.21 no.12/No.691) 2025/8/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
楽器における左利きの世界(33)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(松野迅)さんの
ご意見から考える(2)右手と左手・他」
『レフティやすおのお茶でっせ』2025.8.2
週刊ヒッキイ第691号-
楽器における左利きの世界(32)まつのじんさんのご意見(2)右手と左手
17:38 2025/07/25
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2025/08/post-d94232.html
の続きで、「ご意見から考える(3)」をお送りする予定でしたが、
先日少し情報を頂いた、あるラジオ番組について書いておこう
と思います。
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左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ
―特別編―
◆ 「左利き」と「右利き」の相互理解がある社会を目指す
「日本左利き協会」 ◆
ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(前半)
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●ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分
◆TBSラジオ
「人権TODAY」8月30日放送
https://www.tbsradio.jp/horio-human/
--
「まとめて!土曜日」内で8時22分頃から放送中。
人権に関わる身近な話題をテーマに掲げて、
ホットなニュースをお伝えしています。
--
2025.08.30 土曜日 08:45
社会・政治・経済
「左利き」と「右利き」の相互理解がある社会を目指す
「日本左利き協会」
人権TODAY
https://www.tbsradio.jp/articles/99980/

がそれで、
《「左利き」を取り巻く環境の過去と現在について》
「日本左利き協会」発起人で、『左利きの言い分』の著者
大路直哉さんに取材したお話です。
関東中心の放送らしいので、放送は聞いていませんが、
サイトの情報を読みました。
実は、「日本左利き協会」の大路直哉さんからの紹介で、
私のところにも話を聞かせて、というお便りも頂きました。
(大路さんからはいつもお声がけいただいて恐縮です。)
今回は時間の余裕がないということで、お断りさせていただきました。
リモート等の現代的な取材にも適応できませんし、ね。
普段から考えていることを簡潔に話せばいいのでしょうけれど、
元々人前で話すのが苦手で、身構えてしまうのと、
臨機応変に対応できる人間ではないので、
こういう短期間・短時間での取材は苦痛以外の何ものでもありません。
もったいないといえばもったいない話なのですが、
致し方ない、と思っています。
あとで私がする発言――
「左利きの人自身が不都合な点をもっと社会に向かって発言すべき」
という言葉と矛盾するのですけれど、ね。
●「左利き」を人権の問題として
さて、番組内容についてです。
この番組の放送時間は、約6分と聞いています。
6分で、左利きの過去・現在・未来について語ろうというわけですので、
どうしても細部を詳細にふれて紹介することはむずかしく、
一般論的に概略することになります。
サイトでは実際の放送よりもある程度、説明できる部分もあるか
と思われますけれど、その点を踏まえてお読みください。
以下の文章で、私が突っ込み不足のように指摘し、
不満を述べることもあるかと思われますが、そういう事情があるのだ
という点をここで確認しておきたいと思います。
・・・
まず最初に書いておきたいことは、「人権の番組」だということ。
人権の問題について取り組んでいる人やグループについて取材して
紹介している番組だ、という点です。
なんと28年も続けている番組とのこと。
この、人権の問題として受け止める姿勢が、私にはうれしく思えました。
私には当然のことだとは思うのですが、
世の中はそんなに甘くはないのです、ホントのところ。
従来、テレビやラジオの番組といったマスコミから声がかかる場合、
たいていは、もっと単純な「一つのトピック」として、でした。
「今日は何の日? 左利きの日!」といった感じで、由来は? とか、
左利きの人に便利なグッズの紹介、とかで終わってしまう。
もちろん、それはそれで、何もないよりはいいのですけれど、
それで終わってしまって「365分の1」で済まされても困るのです。
右利きの人にとっては、たった一日だけ思い出せばいいだけの
「左利きの日」かもしれません。
しかし、私たち左利きの人にとっては、
毎日が、365日と何時間かのすべてが「左利きの日」なのですから。
それで終わらせられては……。
それはさておき、この番組の内容です。
●左利きの女性はお嫁にいけない!?
まずは、過去のお話です。
《かつての「左利き」を取り巻く環境について》――
大路さんの言うところは、
《かつては左利きっていうのは親の躾の問題だと捉えられていて、
異常だとかそういうことよりも、躾がなってるか、なってないか
という観点で左利きっていうものが槍玉に挙げられていました。
特にお見合いのときに、左利きの素振りを見せたりすると破談に
なったりすることもあったと伝えられてます。
また、今ではほとんどないと思うんですけど、拷問ともいえる
左利きから右利きへの矯正の事例として、左手を使わせないように
テープとか包帯でグルグル巻きにしたりして、左手を使うのは
良くないっていう刻印付けみたいな感じで捉えられていた部分も
ありました。
大体1970年代ぐらいまでは、こういった話題が多かったと、
いろいろな資料や私の少年期の実体験から感じますね。》
大路さんは、「親の躾の問題」とされています。
もちろん、そういう一面もありました。
「親の顔が見たい! 恥ずかしくないのか?」というような。
が、それだけではなく、
過去にはもっと強く否定的な見方があったことも事実です。
私自身、自分の小さい頃の話はあまりしたくないので、
最少限度のことしか書いてきませんでした。
大路さんは1967年生まれ、私は1954年生まれ、
と一回りほど違います。
大路さんの幼少期から小学生時代に当たる1970年代は、
日本における左利き解放の歴史における一大転換期に当たります。
アメリカ留学から帰国した精神科医の箱崎総一さんは、アメリカでは
見られなかった左利きに悩む患者さんが日本では多いことに気付き、
1968年に『左利きの世界』(読売新聞社)を出版し、
左利きについての啓蒙活動を始めました。
1971(昭和46)年には、箱崎さんは、<左利き解放運動>としての
「左利き友の会」を主宰されました(1975(昭和50)年、
左利き友の会『左利きニュース』42号をもって活動停止)。
1972(昭和47)年には、この「左利き友の会」をモデルにした、
広瀬正さんの左利きテーマのSF小説『鏡の国のアリス』出版。
さらにこの年にはイギリスの左利き研究家、マイケル・バーズリーさんの
『右きき世界と左きき人間』が翻訳出版されました。
1973(昭和48)年には、バーズリーさん『左ききの本』が翻訳出版。
そして夏に、麻丘めぐみさんの歌う「わたしの彼は左きき」
(作詞・千家和也 作編曲・筒美京平)が登場し、大ヒットします。
デパートに左利き用品コーナーができるなど、左利きがブームになり、
左利きのイメージ・アップと偏見の打破に大きな力となりました。
さらに、私もそうでしたが、左利きの子供にとって、
<左利きの英雄>の一人だった世界のホームラン王、
王貞治選手が日本で二人目、自身初の三冠王に輝きました(翌年も)。
1976(昭和51)年には、プロ野球・読売ジャイアンツに、
左打ちの安打製造機と呼ばれた張本勲選手が入団、王選手とともに、
ON砲に変わるOH砲として、〈左利きの時代〉を現す代名詞のように。
1977(昭和52)年には、大リーグ初の女性(左腕)投手の活躍を
描いた『赤毛のサウスポー』ポール・R・ロスワイラー
(稲葉明雄訳 集英社)が翻訳出版。
9月5日には、王貞治選手が、ホームラン世界新記録通算756号を達成し、
国民栄誉賞受賞の第1号に。
この年には、、日清食品のインスタントうどん「どん兵衛」が発売され、
左利きの山城新吾さんと川谷拓三さんの二人がそれぞれ左手箸で食べる、
かけ合い漫才のようなCMがヒットしました。
1978(昭和53)年には、王選手モデルにした強打者と対戦する
左腕投手を描く、ピンクレディー「サウスポー」
(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)が発売され大ヒット。
1979(昭和54)年には、箱崎総一さんの
『左利きの秘密』(立風書房 マンボウブックス)が出版され、
「左利き友の会」の顛末や左利きについての解説などが語られました。
年末には、♪左ききのあなたの手紙~で知られる、
アリスの「秋止符」(作詞・谷村新司 作曲・堀内孝雄)も発売。
1980(昭和55)年末には、『左利きの本―右利き社会への挑戦状』
(ジェームス・ブリス/ジョセフ・モレラによるアメリカ版、後半は訳者
・草壁焔太による日本版の左利き本が講談社から出版されました。
1970年代前半の箱崎総一さんの「左利き友の会」の活動と新聞等での
報道、それに続く「わたしの彼は左きき」「サウスポー」の大ヒット、
王選手らの活躍、いくつかの左利き関連本の出版といった出来事は、
左利きの啓蒙やイメージアップに大きな影響を与えました。
*参照:
『左利きの世界』箱崎総一 読売新聞社
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『鏡の国のアリス』広瀬正(河出書房新社 1972/6/1)
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(『広瀬正・小説全集・4 鏡の国のアリス』集英社文庫)
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『右きき世界と左きき人間』マイケル・バーズリー
西山浅次郎訳 TBS出版会(発売・産学社)
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(原著 Left-handed Man in a Right-handed World, 1970)

『左ききの本』マイケル・バーズリー 西山浅次郎訳
TBS出版会(発売・産学社)
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(原著 The Left-handed Book―An Investigation
into The Sinister History of Left-Handedness,初出1966)

麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」作詞・千家和也 作編曲・筒美京平
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『赤毛のサウスポー』ポール・R・ロスワイラー 稲葉明雄訳 集英社
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(『赤毛のサウスポー』集英社文庫 1979/4/1)
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ピンクレディー「サウスポー」作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一
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『左利きの秘密』箱崎総一 立風書房 マンボウブックス
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アリス「秋止符」作詞・谷村新司 作曲・堀内孝雄
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『左利きの本―右利き社会への挑戦状』ジェームス・ブリス/
ジョセフ・モレラ 草壁 焔太訳 講談社
(Amazonで見る)

第582号(No.582) 2020/11/7
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
左利き本のために――左利きの人生を考える(2)
「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(1)」
『レフティやすおのお茶でっせ』2020.11.7
左利きの人生を考える(2)「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(1)
-週刊ヒッキイ第582号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2020/11/post-2a8f44.html
第584号(No.58 x2) 2020/12/5
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
左利き本のために――左利きの人生を考える(3)
「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(2)」
『レフティやすおのお茶でっせ』2020.12.5
左利きの人生を考える(3)「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(2)
-週刊ヒッキイ第584号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2020/12/post-353947.html
第588号(No.588) 2021/2/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
左利き本のために――左利きの人生を考える(4)
「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(3)」
――1970年代は日本における左利き観の転換期だった
『レフティやすおのお茶でっせ』2021.2.6
1970年代は左利き観の転換期「わたしの彼は左きき」の時代
-週刊ヒッキイ第588号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/02/post-be0a5a.html
●私レフティやすおの幼少期のこと
私の幼少期は、1950年代の後半から1960年代にかけてでした。
まだ戦後が色濃く残る時代――観光地など人の集まる場所には、
白装束に兵隊帽をかぶった傷痍軍人といわれる人たちがいた時代でした。
民主主義や人権、社会福祉といった“進歩的”な考え方が、
必ずしも一般的ではなかった、ともいえそうな時代でした。
そんな幼少期の私の体験からいいますと、
「左利きは片○者だ」「左利きは頭がおかしい」といった、
左利きを身体障害者・精神障害者のように考える人がいたのは事実です。
そこまでいわないとしても、
「できそこない」人間的な意識はあったように思います。
また、左利きの子は親や教師のいうことを聞かない、根性曲がりや偏屈者
といった性格に難がある子と考える人もいました。
躾に似た見方として、右手使いが正しい作法であり、
左手使いは間違った作法、悪い例であるといった見方もありました。
たとえば、故・秋山孝さん(デザイナーでイラストレーターで
多摩美術大学教授でもあった、1952年生まれ)の著書
『左手のことば』(日貿出版社 1990)の巻末のエッセイで、
先生から右手で字を書くように言われた経験を語っています。
《先生の考えの中での「左手は悪」という既成概念に対する抵抗だね。》
大路さんも発言されているように、肉体的に左手を封じられて、
というケースもよく聞いています。
私の親は「自分の子供を叩くなんてできない」という人でしたので、
左手の人差し指に小さな灸の跡があるくらいです。
とにかく、左利きに対する偏見が残っている時代でした。
偏見があるので、差別にもつながってゆきます。
左利きであるというだけで、全人格を否定するような発言が、
大人たちのあいだから聞かされることがありました。
子供たちもそういう大人たちの影響を受けて、意味も分からないままに、
「ぎっちょ、ぎっちょ」とはやし立てたものでした。
それゆえ、私自身も「左利き=できれば隠しておいた方がいいこと」
といった意識は刷り込まれていました。
このように、過去の問題について語るのは、私自身、正直心が痛むので、
(大路さんのように)躾の問題としておく方が、
私のような被害者から見ますと、精神衛生上は良いのかも知れませんね。
【追記:2025/9/6】
『左ききでいこう!―愛すべき21世紀の個性のために―』(大路直哉・フェリシモ左きき友の会/編著 フェリシモ)の「chapter2 「フェリシモ左きき友の会」誕生以前に「左利き友の会」があった!?」の中に、箱崎「左利き友の会」のスローガン『左利き党宣言』六ヶ条が紹介されていました(p.49)。
1.一、右利きが優遇されている右手偏重の社会を改善しよう。
2.一、左利きの無理な矯正はやめよう。
3.一、左利きのための道具を安く作ろう。
4.一、左利きは異常でないという考え方を普及しよう。
5.一、左利きであるための劣等感を消し去るための精神衛生を普及しよう。
6.一、左利きの人権宣言をしよう。
昨今の左利きの状況を考えますと、これら六ヶ条のうちある程度成果が認められるものは、2番目の「矯正」云々と、3番目の「道具を安く」の一部は大路さん言うところの「100均でも」を当てはめれば、まずはありということにしておきましょう。
そして、私が左利きの過去に関して発言していたのは、この4および5「左利きは異常ではない」であり、「左利きであるための劣等感」に当たる部分です。
これが大きな問題として存在していたのです。
今ではかなり解消された、といっていいのかも知れません。
それゆえ、このへんのところを今の若い人たちはあまり意識されていないのではないか、という気がします。
過去にそういう問題があったのだという事実と、(主に年配の人で)今も苦しんでいる人が存在するということを、忘れないでいてほしいと思います。
――【追記】以上。
*参照:
『左手のことば』秋山孝 日貿出版社 1990.6
(Amazonで見る)

『左ききでいこう!―愛すべき21世紀の個性のために―』(大路直哉・フェリシモ左きき友の会/編著 フェリシモ出版 2000/6/1)
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●「左利き」だけ放課後に残って、右手で文字を書く練習をしたことも
めずらしく大路さん自身の左利き体験が語られています。
3冊の本(『見えざる左手』『左ききでいこう!』『左利きの言い分』)
を見ても、ほとんどご自身について語ることがなかっただけに、
今回、過去の左利きの実状紹介ということで初めて明かされた、
といっても過言ではないかも知れません。
人に聞いた話よりご自身の話の方がよいだろう、
という選択だったかと思います。
《小学校に入学した直後の放課後に、数回、左利きの児童だけが
集められて、右手で文字を書く指導っていうのがあったんです。
当時の光景を思い出すと、1年生の担任教師の多くがベテランの
先生だったわけです。
とくに昭和1ケタ世代の人だったので、右利き社会ゆえに左利きを
特別視した、ある意味老婆心だったと思うんですよね。》
左利きのメンバーだけで、右手で字を書く練習をする、
というお話を聞きますと、ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス
さんの短篇小説「左ぎっちょクラブ」を思い出します。
私の経験を話しますと、私の左利きが直らないので心配した母親が、
小学校入学時に担任の先生に相談したとき、
「左利きは左利きのままでいい」という回答をえて、
それ以来、私の左利きは家でも学校でも公認されたものでした。
後年、色々な人に聞いてみたところ、これは、当時としては、
かなり進歩的な考え方だったようです。
のちに聞いた話では、同年代はおろか、もう少し下の世代でも
親や先生から右手使いを指導された、という人は少なくないのでした。
そういう意味では、私は恵まれた環境育ちだった、といえる方でしょう。
*参照:
『僕の緑の芝生』ギュンター・グラス 飯吉光夫訳 小沢書店 1993.10
(「左ぎっちょクラブ」1958を収録)
(Amazonで見る)

《僕らの綱領には、右手が左手と同じになるまで、決して怠けぬこと、
と書いてある。/この箇条がどれほど力強く決意にみちていようとも、
こんな申し合わせはまったくのナンセンスである。
こんなことできようはずがない。僕たちのクラブの最右翼は
もうしばらくここから、こんな条件は削りとって、代わりに、
われわれはわれわれの左手を誇りに思う、われわれは生まれつきの
左ぎっちょを恥と思わない、とでも書き直すべきである
と主張してきた。》
●今の若い人は、左利きを気にしていない?
以下は、この記事の担当者「恒藤泰輝」さんの言葉です。
《近年では、
このような矯正や左利きへの蔑視はなくなりつつありますが、
まだまだ生活環境において左利きが不便さを感じることは多いです。
私自身も左利きで、小さい頃からいろいろと不便に感じることが
多かったです。/とくに不便だったのが、書道の毛筆です。》
恒藤さんのお便りから私の受けた感じでは、
左利きとしての「被害者意識」がかなり薄い、というものでした。
不便さはあるけれど、自分がちょっとガマンすれば済む問題、
と考えているような印象を受けました。
最近、お医者さんの受付で、左手にボールペンを持って書いている
20歳過ぎぐらいの女性がいました。
「ひだり?」と聞いたら、ハイとの返事。
「ぼくといっしょ、全部ひだり」といい、続けて、
「昔は色々言われた」といいますと、
「へえー」と心から驚いたような反応が見られました。
それ以上のお話はできませんでしたが、改めて、
今の若い左利きの人は、左利きを気にしていないらしい、と感じました。
本人だけでなく、まわりの人たちからも。
昔のように、問答無用で「左利き」=「悪」というレッテルが貼られる、
もしくはそれに近い状況ではなくなった、ということのようです。
それ自体は良いことだとは思うのですが、
それゆえに、左利きの人自身が、左利きの不便な部分を改善してゆこう、
という意欲や熱意というものが薄れてしまうのは、
やはり問題だと思うのです。
・・・
この番組の紹介は、この一回で済ませるつもりでしたが、
今まであまり書かなかった昔話など長くなってしまい、
次号で後半を紹介しながら、私の感想、および私の伝えたい考えを
述べたいと思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(前半)」と題して、今回は全紹介です。
本文中にも書きましたが、大路さんが私のことも紹介していただき、取材の許可など連絡をいただきました。
ただ、諸般の事情もあり、残念ながらお断りしました。
一番の理由はやはり時間的な制約ですね。もうちょっと考えをまとめる時間がほしいところです。
限られた時間で簡潔に自分の考えを述べるというのは、やはり難しい。
普段から考えていることを結論だけ述べれば良いのでしょうけれど。
私は、左利きの人自身の行動が不足しているように感じています。
そこで私の結論的には、左利きの人自身がもっと発言して、右利きの人たちに状況を理解してもらい、右利きの人だけでなく左利きの人にも優しい社会、左右平等、左右共存の社会に変えてゆきましょう、となります。
・・・
弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。
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