*左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その三*
過去に二度記事にした、左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」こと、小野二郎氏についての三番目の記事となります。
・2005.5.20<左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その一> お茶でっせ版、新生活版
・2005.5.23<左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その二>左利きのすし職人『すきやばし次郎 旬を握る』 お茶でっせ版、 新生活版
『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』山本益博・著 (新潮社・新潮新書 2003年12月発行)を手に入れ、そこで二郎氏の左利きに関する疑問が解決されました、と前回書きました。
その疑問とは、氏の包丁使いは右か左かということでした。既に<その一>でも書いているように、氏は包丁を右手で使っています。
その辺の事情をこの本から拾ってみましょう。
氏は、小学校二年生(八歳)のときに地元天竜市の割烹旅館に奉公に出され、小学校卒業後、昭和十六年(1941年、十六歳)で軍需工場に徴用されるまで料理人として働く。
「十六歳で、庖丁はもう一人前に持てました。刺身の盛り込みだって出来ました。いまから思えば、庖丁の腕前なんか、十六の頃からあまり進歩してないと思えるくらい使えていましたね。わたしは左利きでしたから、箸は小学一、二年で右に直しましたし、庖丁も十三歳のときに右で使えるようにしました。十代のうちに身体に覚え込ませた技術というのは、一生の財産になるもので、腕前だって本当はその頃が一番なんじゃないですか……」
明くる昭和二十年に徴兵され、終戦後、浜松の料理屋で働くうちに「自分でやるなら、料理屋よりすし屋がいい」と思うようになり、東京へ出てすし屋の職人への道を進む。昭和二十六年、二十六歳という遅いスタートであった。
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ここで注目しておくべきことは、当時の風潮からいって箸使いを右手に変えさせられるのは当然のことだった、と考えられるということです。それが二郎氏の場合は小学校一、二年とのこと。左右の脳の成長のバランスもあり、潜在的な利き手が誰の目にも明らかになるのが、だいたい七、八歳といわれていますので、ほぼその時期にあたるかと思われます。
さらに、二郎氏が包丁使いを非利き手の右手に変えた時期を十三歳と発言されています。これは、物心ついて、自ら料理人として生きることを決心してからのことと考えられます。即ち自らの意志で自ら進んで行った変更で、当然問題なく身に付けることができたのでしょう。
「十代のうちに身体に覚え込ませた技術というのは、一生の財産になる」という言葉どおり、その技術が必要でかつその意志があれば、十代以降に身に付けても遅くないということです。
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昔(いつ頃まで、と特定するのは難しいことです。なぜなら、今でも皆無ではないので)は、「矯正」と呼んで、左利きの子は左手使いを右手使いに変えるように躾されていました。ごく稀に左手使いのままの子がいると、親の躾がなっていない、と批判されたといいます。利き手というものが何であるかという、科学的な認識がないままに、右手使いこそ正しい作法と考え、左利きであっても左手使いを戒め、右手を使うように指導するのが当たり前のこととして行われていました。
今でも、このように左利きの子に右手使いをさせようと考える人がいます。現在ではもっと早い段階で、小学校入学以前になんとかしようという考えがあるようです。これは、かなり危険なリスクを背負う行為であると考えられています。利き手の確立以前に利き手を使わせないで非利き手を使わせていると、利き手の神経が発達せず、どちらの手もうまく使えない"非利き手"状態になってしまうといいます。
どうしても非利き手使いをさせたいと望むなら、二郎氏のように、利き手が確立してのちに本人を納得させた上で、本人の意志で自ら進んで非利き手を使うように指導すべきでしょう。これなら強制的な変更ではないので、利き手の変更による弊害(ストレスから来る吃音やチック症状等)の心配も少なくなると考えられます。
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左利きに関して、もうひとつこの本でふれられているのは、二郎氏の接客の際の利き手対応です。お客様の様子を見て左利きとわかったら、その後は必ず左手で取りやすいように出す、というのです。
山本:(略)真っ直ぐに置かずに、客が手でつまみやすいように、ちょっと角度をつけて置かれます。(略)あれは意識して置かれているんですよね。
二郎:はい。
山本:その最初の一個を左利きで召し上がるお客様だったら、すかさず二個目からは……。
二郎:左に向けます。
山本:(略)どういうタイミングでどっちの方の手ですしをつまむ方なのか、さらに、手でつまむのか箸で召し上がるのかもはかってらっしゃいますよね。
二郎:はい、全部やります。手でつまむ方と箸を使われる方ではにぎりのかたさをわずかに変えます。箸の方のほうはちょっとですが堅めににぎります。それをやるのが、こちらの仕事です。(略)
この話は、2005.06.04記事「左利きの子にやさしい環境を整えよう―左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―その6」お茶でっせ版、新生活版、左組通信・左利き私論3―左利きのお子さんをお持ちの親御さんへのなかでも配膳に関するくだりで利き手への気配りの例として紹介していますが、さすがに左利きの人らしい、非常に優しい心遣いだと感じました。
初めから聞けばいいじゃないか、という意見もあるかもしれません。しかし、これはあくまでカウンターを挟んですしを握る、対面で接する職人ならではの奥ゆかしさではないでしょうか。
専門の接客係がいて作り手は陰に隠れているレストランなどと違い、カウンターのすし屋では、あらかじめ利き手の確認を取って給仕するというのもちょっとよそよそしい感じがします。ここは黙って相手の様子をうかがって気を配るというやり方がふさわしいように思われます。
一方、レストランなどではやはりあらかじめお客さんの利き手―あるいは実際に使う手がどちらかを確認した上で、それに応じた給仕をして欲しいものです。
分煙の進んだ今日、喫煙するのか否かを尋ねるのと同じことです。サービスの一環として、標準化されるべきではないでしょうか。
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私は、氏は職人として仕事のためにすべてに気を使って生きている、という感じを受けました。たとえば、お客さんが口に入れるものを直接素手で扱っているので、夏でも手袋をして手のケアを心がけている、と。これは握りすし職人なら当然の心がけかもしれません。しかし、徐々にそういう職人気質を持った人が減り、皆良くも悪くもサラリーマン化してきているように感じます。反面、最近また、こういう古風ともいうべき職人のあり方が見直されつつあるように思います。
ぜひ良い面は残して、今様の現代版職人さんが増えてゆくことを祈っています。
※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。
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