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2025.12.22

【最新号】『楽しい読書』創刊401号記念-私の読書論-本は<読む>もの?<見る>もの?再考

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

 

2025(令和7)年12月15日号(vol.18 no.21/No.401)
「創刊401号記念-私の読書論-
本は<読む>もの?<見る>もの? 再考」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2025(令和7)年12月15日号(vol.18 no.21/No.401)
「創刊401号記念-私の読書論-
本は<読む>もの?<見る>もの? 再考」
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 記念すべき創刊401号(!?)となりました。
 18年目で到達です。
 当初は月一回の発行でした。その後、月二回発行となり、
 今日に至っています。

 月の前半(15日)は、「私の読書論」として、
本好き・読書好きの <元本屋の兄ちゃん>1980s
としての私なりの読書論・読書雑文を書いてきました。

 今回は、そういう読書論の中から、以前も書いた「本は読むものか、
 見るものか」についてまた考えて見ようと思います。

 前回は、榊原英資(さかきばら・えいすけ)さんの『見る読書』を
 読みながら、本の読み方について考えてみましたが……。

 

*参照:
2021(令和3)年10月15日号(No.304)
「私の読書論148-本は<読む>もの?<見る>もの?」

2021.10.15
私の読書論148-本は<読む>もの?<見る>もの?-楽しい読書304号

 

*参照:
榊原英資『見る読書』KKベストセラーズ ベスト新書 2018/7/7
(Amazonで見る)

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ◆ <見る>だけなら何冊でも手を出せる ◆

  私の読書論 - 本は<読む>もの?<見る>もの? 再考

   ―― とにかく手に取って「見る」ことが始まり ――
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

前回は私の結論として、

―― もっとも正しい本の読み方=とにかく全部読む ――

と書きました。

今回は、

―― とにかく手に取って「見る」ことが始まり ――

ですが……。

 

 ●「私の読書論148-本は<読む>もの?<見る>もの?」

前回は、冒頭で、

《藤原俊成の見解――「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」(略)
 「源氏見ざる」の「見る」は「読む」。》
   津野海太郎(つの・かいたろう)『読書と日本人』岩波新書
    2016/10/21 p.36
(Amazonで見る)

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を紹介し、これは黙読している姿を示すということを書きました。

昔は、大勢の前で声を出してみんなに聴かせるようにすることが、
「読む」ことだった。
それが、一人一人が個室で黙読するようになったのが、読書の変遷だった
といい、この状態を藤原俊成は「見る」と呼んだと紹介しました。

次に、

梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書 1969/7/21
(Amazonで見る)

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「6 読書」の章

から、梅棹さんの読書法として、
 
 《まず、本というものは、はじめからおわりまでよむものである。
  (略)とにかくよみだしたら最後までよむというのは、
  うまい読書法の一つである。》pp.100-101
 
といい、読者は著者が何をいおうとしているか、を理解するように
しなければいけないといい、著者の身になって読むのだ、と、

 《その第一歩が、「はじめからおわりまでよむ」
  というよみかたであると、わたしはかんがえる。》p.101

といい、読書の最大の目的である、内容の正確な理解のためには、と。

 《半分よんだだけとか、ひろいよみとかは、本のよみかたとしては、
  ひじょうに[へた](傍点)なよみかたである。(略)
  「ななめよみ」で十分理解したという人もあるが、
  あまり信用しないほうがいい。
  すくなくとも、きわめて危険で非能率的なよみかたであろう。》
   pp.101-102

というご意見を紹介しました。

梅棹さんは、部分読みや拾い読み、斜め読みは、「よんだ」といわず、
「みた」と読んで区別していました。(p.100)

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(画像:梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書 p.100)

ここまでが前回の前提でした。

これら、あくまでも小説のような「娯楽のための本」の読み方ではなく、
お勉強のためや情報収集のためのリアル系の論文等の著書の読み方です。

 

 ●榊原英資『見る読書』のエッセンス(?)

この後、榊原英資『見る読書』の紹介に入ります。

榊原さんのいう「本は見るもの」という表現は、

 --いかに要領よく情報を摘出し、ものにするか、
  というイージーな便宜的な読書法であり、
  梅棹さん流の本格的な読書法ではありません。--

と筆者は書きました。

『見る読書』「第1章「さわり」を読む」に、

 《本は「読む」ものではない。本というものは「見る」ものだ。》
  p.19

と書いてありますが、これは本格的な読書を否定するものではない、
と明言されています。

結論は、

 《「見る」にせよ「読む」にせよ、さまざまなジャンルの本、
  それも数多くの本に目を通すことは非常に大事なことだ、
  と私は考えています。》p.60

と。

 --で、数多く目を通すとなりますと、とりあえず今関心のある、
  あるいは今読む必要のある事柄についてのみ摂取する、
  というやり方(部分読みや拾い読み)が一番効率的だ--

と、筆者はまとめていました。
そして、

で、「必要な情報を短時間に手に入れるための読書法」として、
その本の本質(さわり)をつかむ方法は、以下の3つだ(p.19)と。

1.「はしがき」や「はじめに」に書かれた著者の言葉
2.「あとがき」や「おわりに」に書かれた著者の言葉
3.「目次」で、全体を小分けにし見出しをつけて紹介された内容・構成

これらからその著作の大体のエッセンスが分かる、といいます。

そうして「目次」を眺めて、
《カギとなる言葉を拾い、全体の構成を理解し》、
その本の「さわり」が分かれば、今読むべきか本かどうかが分かり、
読むべき本と分かれば、そのポイントのみをつまみ食いするように、
熟読・精読すればいい、と。

ただしこの方法は、ある程度読書経験があり、本を読みこなせる人で、
あまり時間がないという人には参考になるに違いない、と。

 ・・・

榊原さん流の部分読みや拾い読み、あるいは
さわりを知るためのまえがきやあとがき、目次のみを「見る」読書でも、
同じ本を繰り返し手に取っていれば、結局「熟読」「精読」したことに
なる、といい、本を手に取る「きっかけ」が大事だ、と。

人は忘れてしまうものなので、以前読んだ本であっても、
改めて読んでみると新しい発見があるもので、
自分にとって有用な「使える本」は、何度でも読んでいることになり、
それが榊原さん流の「熟読」だったのです。

 

 ●筆者の場合――「読む」読書=完読主義からの脱却

筆者は昔は完読主義――梅棹さん流のいう「読んだ」という読書でした。
それは何も梅棹さんのような考えによるものではなく、
単純に「読書とはそういうものだ」と思っていたからでした。

昔は基本、小説本しか読んでこなかった、という事情もあります。

小説や物語というものは、初めから終わりまで、という
一本道の読み方が基本です。
完読しないと内容がよくわからない、という単純な理由によるものです。

筆者が小説のようなフィクション系の本以外の、
論文のようなリアル系の本を読むようになったのは、おおむね
50代になって、このメルマガやブログなどを書くようになってから、
のことでした。
文章を書こうと思ったら、あまりにも何も知らなさすぎる、
と自覚するようになり、もう少し知識や教養を身につけねば、
と考えるようになってからのことでした。

では、どういう本を読むのがよいのか、と考えて読書術や読書論といった
本を図書館で借りてきて勉強したのが、
完読主義からの脱却の始まりでした。

読書といっても、小説を読むのと、このような情報の詰まった本を読む
のとでは、当然その方法は違ってきます。

こういう情報本を読む場合、自分の知りたい事柄や情報というものは、
ある程度限られてきます。

野球でいえば、左の強打者に対してワンポイントで左投手を起用する
ようなものです。
その打者一人、そこだけ抑えれば良い、というもの。

読書も同じで、このポイントだけ押さえれば良い、という場合もある
のです。

 

 ●「見る」読書=選択肢を広げる

そこで必要なのは、勝負のポイントを知り、ここぞというところを
しっかり押さえること。
それさえできれば、後は後回しで良いのです。
今必要な部分を確実に押さえられる方法を持つこと。

それは、まずいろんな本を手に取り、目を通すこと。
本を完読しようとすると、いかに速読術を身につけていたとしても、
一生の間に読める本の数は有限です。

無限に近くあるだろう本の中から、今自分の必要とする情報を得るため
に一番大事なことは、まず、より多くの本に接することです。
そのためには、一冊の本にこだわらず、入手可能な範囲で色々な本に
チャレンジしてみる。

その際には先に紹介しました榊原さんの読書法を応用してみる。
「見る」読書を実践してみてください。

最初はポイントを逃してしまうこともあるかも知れません。
筆者もある本にある情報が書かれていると聞いていながら、
ペラペラ読み――筆者流の「見る」読書法では見つけられず、
結局、完読したという経験がありました。

そういう経験も重ねて、読む技術を磨いてゆくのですよ、人は。

 

 ●「見る」読書から「読む」読書へ

「見る」読書で、世界を広げ、多くの本との出会いの機会を作るのです。

そうすることで、色んな本に出会うことができるようになります。
その結果、自分にとって本当に重要な一冊――
大切な書と出会うという奇跡も起こりうるのです。

世界には本当に多くの本があります。
一冊ずつ読んでいたのでは、なかなかはかが行きません。

とにかく気になった本、興味を感じた本があれば、
(1)まず手に取ってみる。
(2)目次やまえがき、あとがきなどのぞいて見て、
 気になる言葉(その本の理解を助けるキーワード)を探ってみる。
そして、
(3)ペラペラとページをめくり、気になるくだりを読んでみる。
それで納得がいけば、
(4)その前後を、関係のありそうな箇所をもう少し読んでみる。

さらにいえば、
(5)心に残った部分をちょっとメモしておく。

こうして「見る」読書を続けていれば、いつしか、
ある程度の知識とそれに伴う思考が自分のものになってきます。

先に引用しました梅棹さんの『知的生産の技術』からのその先に
こう書いてあります。

 《読書においてだいじなのは、著者の思想を正確に理解するとともに、
  それによって自分の思想を開発し、育成することなのだ。》p.114

251215-titeki-p114

(画像:梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書 p.114)

 ・・・

「見る」読書で、手当たり次第に本を手に取り、
気になる本の中の大事なポイントを探りながら、知識と情報を得て、
自分にとって最も重要となるだろう一冊を探し出すのです。

そうして見つけた大切な本を完読するのが、正しい読書の手順です。

最近の筆者はそう思うようになりました。
(まあ、実践できているかどうかは、また別の話ですが、ね。)

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本誌では、「創刊401号記念-私の読書論-本は<読む>もの?<見る>もの? 再考」と題して、今回も全文転載紹介です。

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2025.12.15
【別冊 編集後記】『楽しい読書』創刊401号記念-私の読書論-本は<読む>もの?<見る>もの?再考

 

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