親御さんへ―特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後)-週刊ヒッキイ第694号
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)
【最新号】
第694号(Vol.21 no.15/No.694) 2025/9/20
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後半)」
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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考える レフティやすおの左組通信】メールマガジン
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第694号(Vol.21 no.15/No.694) 2025/9/20
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後半)」
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今回も、前号に引き続き、8月30日の放送されました、
TBSラジオ「人権TODAY」の日本左利き協会の大路直哉さんの回の、
サイト版を元に、私なりの解釈と感想を交えて紹介する後半です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―特別編―
◆ 「左利き」と「右利き」の相互理解がある社会を目指す
「日本左利き協会」 ◆
ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後半)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分
◆TBSラジオ
「人権TODAY」8月30日放送
https://www.tbsradio.jp/horio-human/
--
「まとめて!土曜日」内で8時22分頃から放送中。
人権に関わる身近な話題をテーマに掲げて、
ホットなニュースをお伝えしています。
--
2025.08.30 土曜日 08:45
社会・政治・経済
「左利き」と「右利き」の相互理解がある社会を目指す
「日本左利き協会」
人権TODAY
https://www.tbsradio.jp/articles/99980/
がそれで、
《「左利き」を取り巻く環境の過去と現在について》
「日本左利き協会」発起人で、『左利きの言い分』の著者
大路直哉さんに取材したお話です。
●左利きへの寛容度が高くなった一方、新たな問題も、、、(前半)
《現在の「左利き」を取り巻く環境について》です。
大路さんのコメント――
《左利きに対する寛容度っていうのは、私が幼少期だった1970年代と
比べるともう雲泥の差ではあると思います。
その一例としましても、よく左利き用品の話題が取り沙汰されます
けど、今までは左利き用の道具は割高で困るとか、いろいろそういう
人がいらっしゃったんですけど、今は100円ショップでも買えますし、
選択肢はもう確実に広がってると思います。》
さて、大路さんのいう左利き用品についてですが、
一部の商品は確かに100円ショップでも買えるかも知れません。
しかし、選択肢の幅はどうでしょうか。
本当に広がっているのでしょうか?
例えば、ハサミ一つとっても、分かります。
右手用のハサミは選び放題です。
大中小から長刃のもの、シールののりが着きにくい加工をしたもの。
取っ手の部分の色一つとっても選び放題です。
ある左利きの少女の場合、親御さんは左利きだから左手用(取っ手が
黄色)をすすめました。
しかし、彼女は他の女の子たちと同じピンク(の取っ手)が欲しい
といい、右手用を選びました。
今のハサミは、二枚の刃の合わせがしっかりしていますので、
ただ切るだけなら右手用を左手で使っても問題ないでしょう。
しかし、逆の手で使うと切り取り線に沿って切ろうとするとき、
上の刃が邪魔をして線が見えません。
ハサミを傾けるか首を傾けるか、不自然な姿勢になります。
右手用というのは、
その名の通り右手で自然に持って切れる設計になっているものです。
左手用は、その通り左手で自然に持って切れるような設計になっている
ものなのです。
先日、久しぶりにホームセンターで、ハサミを調べてみました。
確かに各社から多種多様なハサミが販売されていました。
でも「左手用」と銘打たれたものは、一点だけでした。
残りの30種ほどのハサミは、みな右手用でした。
右手用に関しては、まさに選び放題です。
しかし、左手用は一種のみ、子供用と合わせても二種二点だけでした。
これが一つの現実です。
また一般的な日常の生活必需品は、左用が色々と出回ってきています。
その点はなるほど改善されてきましたよね。
しかし今、弊誌で取り上げているように、楽器などはどうでしょうか。
左用の鍵盤ハーモニカはありません。
左用のピアノもありません。
左用のヴァイオリンは、一部で発売されているのですが、
サイトを見ますと、音楽教室の先生でも知らない人が多いようで、
まだまだ一般的とはいえません。
楽器の世界で左利き用が一般化しているのは、ギターの類いぐらいです。
他はまったく右利きオンリーといっていい状況です。
この差別のひどさは、
左利きの音楽家のみなさまの多くが感じていることのようです。
しかし、世間一般では問題視されることはありません。
なぜなのでしょうか?
●道具を使うことは人間の証?
道具は、人間と他の動物を分ける象徴のようにいわれます。
道具を使うことこそが人間の証だとすれば、
その道具が右利き用しかなければ、左利きの人は人間のうちではない、
ということになるのでしょうか。
以前、私が左利きの道具の不便を右利きの人に訴えたときに、
こう言われました。
「左利きといっても右手があるのだから、右手を使えば済む問題」と。
これが、昔の世間の右利きの人たちの平均的な考え方だったように
思います。
「利き手」という性質を正しく理解されていなかったのです。
私の考えを書いておきます。
私は、二十代後半まで「左利きの自分が間違っているのだ」と
思い込んでいました。
なにしろ「左利きの子を右手使いになおす(直す/治す)」ことを
指して「矯正」と呼んだくらいですから。
「矯正」の正しい意味は知らなくても、「正しい」という字が
入っていますし、正しいことのように思えます。
「誤りや悪いことを正すのだ」という意味らしいということは、
小学生にも分かりますよね。
でも、本当は左利きが誤りでも悪いことでもないとしたら?
「左利きは悪いこと/誤り」という認識が「まちがい」だ、
と教えてくださったのが、1970年代に「左利き友の会」を主宰された
精神科医の箱崎総一先生でした。
「左利きがまちがっているのではなく、
まちがっているのは左利きを受け入れない社会の方だ」
こうして私に生きる勇気を与えてくださったのは、
箱崎総一先生の著書『左利きの秘密』でした。
『左利きの秘密』箱崎総一 立風書房 マンボウブックス
(Amazonで見る)
そのなかで、ご自身の考える「左右同権」の物差しを示されています。
《左利きに対する偏見と差別が真になくなるのは、左利きの人たちが
何ら苦痛を強いられることなく生活していけるときである。
それをはかる物差しは、結局、左利きのための道具・器具類の
普及度である、と私は考える。/
たとえ人々の頭の中から左利きに対するあやまった考えがなくなった
としても、それだけでは左右同権の社会とはいえない。
左利きの人たちが右利きのための道具や器具に囲まれて暮らしている
かぎり、真の解放はありえないのだ。/
こうしたことを考えるとき、わが日本の左利きにとってまだまだ
けわしい前途が横たわっているといわねばならない。》(pp.61-62)
今現在の日本の状況と比較してどうでしょうか。
45年経っても、どこまで進展したのか、大いに疑問です。
確かに流れは“左利き解放”に向かっています。
しかしその歩みは遅々としたものである、と私には思えます。
昨年6月に出版されました
『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
(ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社)
(Amazonで見る)
という本には、ヨーロッパを中心にした西欧での、
左利きのまさに迫害と解放への歴史が綴られています。
その道は決して平坦でまっすぐなものではなく、
曲がりくねり山あり谷あり行ったり来たり、の激動の歴史でした。
●左利きへの寛容度が高くなった一方、新たな問題も、、、(後半)
《ただ、その一方で日常生活において手の器用さが問われる動作が
減って、ボタン操作だけで用が足せること多くなってるのは、人間の
視線がないゆえの新しい「サイレントストレス」というのがあると
私は考えています。》
「サイレントストレス」というのが、私には今ひとつよくわかりません。
右利き用の道具や機械、システム等に囲まれて生活してるゆえに感じる
左利きの人の不便をいうのでしょうか。
新しい「サイレントストレス」があるというのも、例えばそれは、
さらに進む機械化社会における、新たなる左利きの不便を指すようです。
それは、左利きの人も気付かない形で、社会の中に浸透している。
右利きの人は自分が多数派ゆえに、
自分の設計がそのまま世間で通用することが多いのです。
ところが、実はそれが右利き用だ(=左利きには不向き/不便だ)、
という事実を忘れているケースが多い、ということではないでしょうか。
恒藤さんの文章には、こんな右利きの不便が指摘されていました。
《一方で、最近、右利きの人でもこの現象に気づくことも増えてきて
います。例えば、スマートウォッチで改札を通る時、右利きの人は
左手に時計をつけていることが多いので、手をクロスしないと改札に
かざすことができず、不便さを感じることになると思います。》
大路さんの本にもあるように、この社会が「右利き社会」だという事実
――これが、右利きの人たちには理解されていないように思われます。
「これが当たり前」の社会だ、という認識があるのです。
そしてそれは、右利きの人だけでなく、左利きの人にもあるのです。
私たちのような旧世代――左利きゆえに偏見と差別に泣かされてきた世代
――は、ある程度「社会に問題がある」という認識を持っています。
若い世代は、「左利き=悪」というレッテルや、極端な先鋭的な社会的
圧力をあまり受けてこなかったので、この社会をまるごと
「こういうものだ」と受け入れてしまっている部分があるようです。
子供の頃の私自身、右手用のハサミを左手で使っているので不便なのだ、
という事実を知らないまま、「ハサミとはこういう切れないものだ」
と受け止めていたのと同じです。
●「右利き」と「左利き」の相互理解、共感力を育んでいきたい
最後に、大路さんが目指す社会について、です。
《やっぱり右利きと左利きの相互理解、共感力を育むことっていうのに
まず一点集約して進めていきたいんですけども、そうした相互理解を
深めていく上で大切にしたい心がけのポイントっていうのは、次の
3つだと思います。
1つ目は、左利きを特別視しない。
2つ目が、同情や単なる関心にとどまるのではなくて、実感を通して
右利きと左利きが共感しあえる意識を共有する。
そして3つ目が、そこから利き手の関心を越えて、右利きにとって
身近な隣人である左利きの存在を通して深まる社会的包摂への理解
です。
とくに、3つ目の考えがない限り、なかなか右利きの人に関心を続け
てもらうことは難しいんじゃないかなとも考えるところですね。》
「右利き」と「左利き」の相互理解、右利きの人に共感してもらう、
という点を上げています。
右利きの人が社会の多数派なので、右利きの人の共感、これ抜きには、
社会を改変してゆくことはできません。
「右利き」と「左利き」の相互理解は、絶対条件です。
しかし、それ以前にやはり私が一番問題に感じていることは、
「左利きの人の自覚」です。
左利きの人自身が「この社会の在り方に問題があるのだ」としっかりと
認識していなければ、問題として発信していけない、ということです。
右利きの人に共感してもらうにも、その共感の素(もと)となるものが
なければ、どうにもなりません。
「ここに問題があるのだ」とハッキリと発信してゆかなければ、
右利きの人の理解も共感も得られません。
大路さんは、「右利き」と「左利き」の相互理解は、この社会を
左利きにとってのやさしい社会へ変えるためだけのものではなく、
もっと広く「社会的包摂への理解」につながるものだ、といいます。
《人間の多様性を認め合い誰一人取りこぼすことのないソーシャル・
インクルージョン、つまり「社会的包摂」の精神そのものです。》
大路直哉『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』
PHP新書1367 2023/9/16 ――「第六章「右利き社会」から
「左利きにやさしい社会」づくりへ」p.261
(Amazonで見る)
●左利き専用と左右兼用
恒藤さんの文章から
《最近では、ハサミなどの道具も左利き専用ではなく左右兼用のものが
あり、利き手に関わらずそういった道具をシェアできたり、道具を
通じて利き手を意識することにつながったりしています。》
道具には兼用できるものもあります。
また、「兼用」と「共用」という考えもあります。
「(左右)兼用」というのは、私なりに解釈しますと、
「右用にも左用にも変えられる構造を持つ」タイプ
――ここで紹介されていたものは、
「レイメイ藤井 ペン型はさみ・ペンカット」という製品です。
刃そのものが右刃と左刃の二辺になっていて、
ハンドル部分を入れ換えることで、
右用にも左用にも変えられるもの(購入時は右用に組まれています)。
小型のカッターナイフには、刃を裏返して入れれば、
右用を左用に変えられる、というものがあります。
ここで紹介されている定規は、
板状の二辺をそれぞれ右用の目盛りと左用の目盛りにすることで、
そのどちらの辺を使うかで右用にも左用にも変えられるものです。
二辺を整形しなければいけないので、コストアップになります。
「共用」というのは、文字通りどっちの手でも使えるタイプのもの――
例えばお箸などは、横書き文字のロゴや横長の絵柄を入れないかぎり、
どちらの手でも使えます。左右対称のスプーンなどもそうです。
ここで紹介されているカッターは、刃の出し入れ用のスライダーが
上部にある「縦型」のカッターです。
これは、先に例に挙げたカッターとは違い、そのままの状態で
どちらの手でも使えるものなので、私は「共用」と呼んでいます。
《<左右兼用のカッター>刃の出し入れ用のレバーが中心についている
ので、左右どちらの手でも刃の出し入れができる》
恒藤さんの〆の文章です。
《今後はこうした動きがさらに広がっていき、利き手を意識する方が
増え、右利きと左利きの相互理解が進んでいくことを願っています。》
●私の意見
最後に、もう一度、私の意見をまとめておきましょう。
(1)左利きの人自身が、左利きの問題を自覚し、社会に発信してゆく。
それによって初めて、右利きの人への共感を求めることができます。
(2)道具や機械類に関しては、左右性のあるものは、
一定の比率で左用を用意する。
その際、費用の分担は、ユニバーサル・サービス料金制を導入し、
全体で均等に負担する。
(3)社会は、多様性について、それぞれのグループの声の大小や
圧力の強弱に関係なく、平等に対応する。
具体的には――
左利きの人たちは、8月13日の<国際左利きの日>や
2月10日の<左利きグッズの日>のような記念日を利用して、
「左利き用の道具展」のようなイベントを繰り返し実行し、
「左利きの不便」や、右利き偏重社会の構造が持つ、
左利きの人に不合理な在り方を訴える機会を増やし、
右利きの人たちの理解と共感を得る努力をする。
ことが重要だと考えます。
●「右利き生まれ」と「右利き育ち」
ここで一つ私の持論である仮説を――。
よく、左利きは全体の10%程度、といわれます。
この場合、正確には「左利き」というより「左手利き」と呼ぶ方が
よいと思われます。
大半の場合、問題視されるのは、
「手、もしくは腕」にまつわる作業について、ですから。
「左手利き」が10%で「右手利き」が90% という場合の、
「90%の右手利き」のなかには、「本当は右手利きではなかった人」が
いるのではないかというのが、ここで紹介する私の持論です。
・・・
右利きの人には、二種類ある、ということ。
一つは、「右利き生まれ」=「生まれつき右利きの人」。
この場合の「右利き」とは、私がいつもいっている利き手/利き側
(利き足/利き目/利き耳など)のテストで、
「強い右利き」に分類される人のことです。
もう一つは、「右利き育ち」=
「生まれたのちの教育や指導により、右利きになった人」。
元は、私のいう「中間の人」、利き手/利き側テストで、
「弱い右利き」や「弱い左利き」と分類される人。
ある程度、右もしくは左が使える人が、その後の指導や教育で、
練習の結果、主に特定の動作において右使いが身についた人。
それゆえ人により、その「右利き度」は異なり、
「○○は右だが、××は左」というように「利き」が混在する、
というようなケースです。
もし社会の圧力がなければ、それらの人は「右手利き」ではなく、
「左手利き」になっていたかもしれない、という仮説です。
日本人の多くは、日本語は話せるけれど英語は話せない、
というのは、素質ではなく、環境の力です。
それと同じような理屈です。
私の仮説では、
真に「右利き」(強い右利き――手や腕だけでなく、足や眼、耳などを
含めて右優位)は、半数超(50~60%)。
「中間の人」(弱い右利きと弱い左利き)は、三分の一程度(33%)。
真に「左利き」(強い左利き)は、その残り(5~10%)。
●選べない「生まれ」の違いでの差別を解消しよう
人は「生まれ」を選べません。
人権の問題に直面している人々の多くは、
この「自分が選ぶことができない事柄」で悩まされているのです。
「左利き」も同じです。
以前調べてみましたら、障害者手帳を持っている人の数は、
たしか全人口の数パーセントでした。
LGBTの人の数も、同じく数パーセントだと聞いたことがあります。
左利きのうちでも、「強度の左利き」はやはりそれぐらいだ、
という研究がありました。
これらそれぞれ全人口の数パーセントの人のために、あれやこれや面倒を
見るのは、社会的には「非効率」なことかも知れません。
しかし効率の良さだけが社会の重要な価値ではないはずです。
ときに、非効率な生き方も、重要な生き方になるはずです。
人種や民族、文化の違いなども含めれば、多様性の多くはそうです。
お釈迦様、ブッダは「生きとし生けるものは、幸せであれ」
(『ブッダのことば―スッタニパータ―』中村元訳 岩波文庫
「第一 蛇の章/八、慈しみ」(147) p.37)
(Amazonで見る)
と説いたそうです。
誰彼の区別なく、人も動物も生き物すべて、みんなが幸せになる権利を
持っているのです。
基本的人権というのは、そういうものなのではないでしょうか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後半)」と題して、今回は全紹介です。
人権の番組というところが、期待を抱かせるものでした。
「左利き」「利き手」の問題を、人権の立場から、取り上げてもらえるのは、うれしいことでした。
この機会に、左利きの人自身が積極的に問題点を訴えるようになっていただけると、私のいつもいうところの、「右利きだけでなく、左利きにも優しい社会」の実現に近づいてゆくのだ、と思います。
・・・
弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。
*本誌のお申し込み等は、下↓から
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