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2025.09.30

私の読書論-岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ(2)-楽しい読書396号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

2025(令和7)年9月30日号(vol.18 no.16/No.396)
「私の読書論-岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ
から(2)『人間の大地』」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2025(令和7)年9月30日号(vol.18 no.16/No.396)
「私の読書論-岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ
から(2)『人間の大地』」
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 今回は、サン=テグジュペリの岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』の
 二回目、黄金のカップリングのもう一つの作品、
 『夜間飛行』の次に出版された『人間の大地』です。

 

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 - 私の読書論 -

  ~ 飛行機乗り作家の哲学的エッセイ ~

  岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ/著
    野崎 歓/訳 から(2)『人間の大地』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

●サン=テグジュペリの思い出

好きな作家の一人である、サン=テグジュペリは、
弊誌の4号目で扱った作家ですね。

*参照:
2008(平成20)年4月号(No.4)-080430-星になった少年『星の王子さま』

 

↓にも書いたように、

『レフティやすおのお茶でっせ』2025.8.24
『NHK100分de名著』152「人間の大地」サン=テグジュペリ 2025年8月放送中

 

サン=テグジュペリという作家さんは、
中学一年の時に、『星の王子さま』の冒頭の絵に関して、
「大人はわかってくれない」を教えてくれた、
という意味で興味を持つようになった人でした。

今回は、いよいよ小説や寓話や童話ではなく「哲学的エッセイ」とでも
呼ぶべき作品『人間の大地』です。

タイトルは、私なりの解釈では、
『(私たち)人間の星<地球>』といったところでしょうか。

 

 ●目次と概略紹介

まずは、目次を紹介しましょう。

『人間の大地』 目次

 1 定期路線 137-164
 2 仲間たち 165-190
 3 飛行機 191-196
 4 飛行機と惑星 197-215
 5 オアシス 216-225
 6 砂漠の中で 226-277
 7 砂漠の中心で 278-345
 8 人間たち 346-379

 

1章の前に

大地はわれわれ自身について、どれだけ本を読むよりも多くのことを教えてくれる。》野崎歓訳・岩波文庫版『人間の大地』p.135

という有名な書き出しで始まる文章「前口上」があります。
夜間、南米の航空路を飛ぶ飛行機の上から見た地上の明かり――
人の住む痕跡、それはまるで夜空に散らばる星のようで、
それらをつなげること、連絡を取ることを試みなければならない、
と語りかけます。

人間の大地での行いを振り返ってみよう、という試みです。

 

 1 定期路線 137-164

1926年ラテコエール社に 定期路線操縦士として入社した著者。
本書を捧げた先輩操縦士ギヨメから教わった話などが語られます。
 

そのときから、惑星のあいだで宇宙空間をさまよっているような気分になった。近づくことのできない百もの星々のただなかで、唯一の本当の星、われわれの星、なじみのある風景や大切な家や愛情がそこにだけ保たれている、ただ一つの星を求めて飛び続けた。/ただ一つの星、そこには……。(略)》野崎歓訳・岩波文庫版『人間の大地』p.157

 

 2 仲間たち 165-190

先輩操縦士メルモーズ、そしてギヨメの遭難のお話。
 

「妻は、ぼくがまだ生きていると信じているだろう。とすれば妻は、
  ぼくが歩き続けていると信じているだろう。仲間たちも、歩き続けて
  いると信じているだろう。みんなが信頼してくれている。だから
  歩くのをやめれば、ぼくはろくでなしということになる」
》p.182

雪の中、歩き続けるギヨメ。 

「救いをもたらすのは、一歩踏み出すことだ。さらにもう一歩。そうやってとにかくまた歩き出すんだ……」》p.186

自分を待っている人がいるから、歩き続け、生還する。

それが《人間であること、それはまさしく責任をもつことだ》(p.188)と。

 

 3 飛行機 191-196

機械は目的ではない。飛行機は目的ではなく道具である。》p.192

私たちは、技術の進歩について行けていない。
しかし、大事なことは、
新しい家を建てるのではなく、そこに住むことだ、と。

 

 4 飛行機と惑星 197-215

飛行機は一個の機械であるにせよ、分析の道具としてなんと役に立つことか!》p.197

飛行機で空からこの地上の世界を見るとき、
そこには、人の手の入っていない土地があることに気付く。
人は日常、街にしろ畑にしろ、その生活の場を辿っているだけで、
人の住む場所として、 

この惑星は湿潤で温暖なところだと思い込んできたのだ。》p.198

しかし、現実には――砂漠の上や海の上を飛ぶ飛行機乗りが知っている
現実は、人の住んでいない、あるいは、まったく人の手によって
汚されたことのない世界が広がっているのだ、ということ。

時には、白い砂漠に黒い石が落ちていて、それは空から落ちてきた、と。

 

 5 オアシス 216-225

飛行機のもう一つの奇跡とは、それが直接、神秘のただなかに降下させてくれることである。》p.216

アルゼンチンで実地に体験した神秘なおとぎ話。
飛行機で降りた地で出会った二人の娘を持つ夫婦の家に泊めてもらう。

夕食時、足下でシュウシュウという音がする。
なんとそれは「マムシ」だという、床下に巣を作っていて、
昼間は狩りをして夜には帰って来るのだ、といいます。

妖精のような少女たちとの出会い……。

 

 6 砂漠の中で 226-277

ムーア人によってさらわれてきて奴隷(バルク)にされた黒人男性には、
マラケシュに妻子がいます。
不帰順地帯にある中継基地の著者と整備士たちは、お金を出し合って、
彼を身請けし、返してやることにします。
帰る途中、一日の休みを得た彼は、寄付して貰ったお金を使って、
貧しい町の子供たちに金糸の履き物を配ってやります。
 

自由になった彼は、本質的な富を手にしていた。つまり愛される権利、北あるいは南へ歩いていく権利、自分の労働で糧を得る権利だ。だが、お金などいったい何の役に立つだろう……。深い飢えを感じる者のように、彼は人々のあいだで、人々とつながった一人の人間でありたいという欲求を感じていたのだ。(略)》p.273

 

 7 砂漠の中心で 278-345

リビア砂漠に不時着した著者と機関士プレヴォ。現在地点も分からず、
命の糧である飲み水もなく放浪を続けることとなります。
渇きによる死の直前、リビアのベドウィンに助けられます。

(略)またしても、川や木陰や人里は幸せな偶然の産物なのだと思えてくる。岩と砂ばかりではないか!》p.281
いやはや、この惑星には人間が住んでいるはずなんだが……。/「おーい! 人間!……」/(略)そんなふうに叫ぶ自分が滑稽に思える……。もう一度だけ叫んでみる。/「にんげーん!」》p.318

ギヨメのことを思い出す著者たち。

またもや、遭難したのはわれわれではないと実感する。遭難したのは、待っている人たちなのだ!(略)彼らに向かって駆けていかずにはいられない。ギヨメもまた、アンデスから戻ってきたとき、自分は遭難者たちを助けるために駆けつけたのだと語ってくれた!それが普遍的な真実なのだ。》p.323

プレヴォはいいます、自分一人なら寝てしまうのだが、と。 

重要なのは飛行機の操縦ではない。飛行機は目的ではなく、手段だ。命を懸けるのは飛行機のためではない。(略)/人間の仕事をし、人間の苦労を知る。風、星、夜、砂、海を相手にする。自然の力と駆け引きをする。(略)約束の地のように中継基地を待ち望み、星におのれの真実を求める。》p.334

著者はこの仕事に満足している、といいます。
後悔はしていない、勝負をして負けただけなのだ、
この仕事にはつきものだ、と。

飛行機で飛び、風を受ける、それを一度味わったものは、
自然のなかで得たこの糧を決して忘れない、と。
危険な生き方をすることではなく、

(略)わたしが愛するのは危険ではない。自分が何を愛しているのかはわかっている。それは生きることなのだ。》pp.335-336

この死を前に、生きることの意味を知るのです。 

われわれを救ってくれたリビアのベドウィンよ、(略)きみは「人間」であり、わたしの前に同時にありとあらゆる人間の顔で現れる。(略)きみは最愛の兄弟だ。そしてわたしもまた、あらゆる人間の内にきみを認めるだろう。/(略)わたしのあらゆる友、あらゆる敵が、きみを通してこちらに歩み寄る。するとわたしにはもはや、この世に一人の敵もいなくなる。》pp.344-345

そして、救ってくれた人に、人間の存在の価値を知るのです。

 

 8 人間たち 346-379

人間は絶望のどん底に落ちたとき、断念したときに、心に平安が訪れ、
自分を知るのだ、と著者はいいます。

われわれは何を知っているのか、われわれを豊かにしてくれる未知の条件があるということ以外に? 人間の真実はどこにある?》p.347

一つの例として、オレンジの木がその土地でしっかり根を張り、
実を結べば、その土地がオレンジの木にとっての真実だ、と。

大空での夜、砂漠での夜、といった経験は特殊なもので、
誰にでも与えられるものではないけれど、
人生の真実は、特定の人だけのものでもない。

人間の本質的な部分を引き出そうとするならば、しばしのあいだ分断を忘れる必要がある。(略)真実とは世界を単純化するものであって、混沌を生み出すものではない。真実とは普遍的なものを引き出す言葉なのだ。(略)》p.366

われわれの住むこの星、地球は人類をのせて宇宙を運ぶ一つの星。
同じ船の乗組員であるわれわれは運命をともにする仲間。

そんなわれわれを結びつける目標を求めるのがいい、といいます。

 

どんなに目立たないことであっても、自分の役割を自覚したとき、われわれは初めて幸せになれるだろう。そのとき初めて、心穏やかに生き、心穏やかに死ぬことができるだろう。なぜなら、生に意味を与えるものは、死にも意味を与えるのだから。》p.371

 ・・・

最後に、有名な列車のなかで見た少年のエピソードが語られます。

少年の未来の可能性について、人間がどこまで成長できるのか、
その可能性に期待する彼の“思想”というものを感じさせます。

死を前に、生に向かってどこまで歩けるのかを実地に試した人間である、
彼の思想を。

そして結びのことば――

「精神」だけが、その息吹が粘土の上に通うならば、「人間」を創造することができる。》p.379

 

このラストの章などは特に、宗教的な色彩が強い印象があります。

 

 ●圧巻の章

圧巻はなんといっても、第7章の砂漠での遭難の話です。

かつてギヨメがそうしたように、
著者も彼らの生還を信じて待つ人たちのために歩き続けるのでした。

このへんはやはり実際に体験した人でなければ書けない
状況と心理なのでしょう。

それまではどこか読んでいても今ひとつ入ってこない感じがありました。
訳書は違いますが、もう何度目かのこの作品ですので、いつか来た道、
慣れた道、でしたので。
しかし、さすがにこの章になりますと、ここまでの読書体験と相まって、
感動が重層的になって迫って来ます。

もし読むのがシンドイと感じていた人がいらっしゃれば、
少なくとも、ここまではガマンして読んでみましょう。
ここまで来れば、本当に「感動」の一言です。

 

 ●行動の書であり精神の書、そして希望の書

最初に読んだ? 堀口大學訳の『人間の土地』(新潮文庫)の
「訳者あとがき」(1955年)にこうあります。

世にも現実的な行動の書であると同時にまた、最も深遠な精神の書
必ずや読者の心に、自らの真実、自らの本然に対する《郷愁》をふるいおこし、生活態度に対しよき影響を与えずにはおかないと訳者は信じるものだ。》p.264

 

一方、今年2025年の
『NHKテキスト 100分de名著 サン=テグジュペリ『人間の大地』
2025年8月』の [講師] 野崎 歓 さんは、「希望の書」だといいます。
人間と世界への信頼を失うまいとする理想主義者サン=テグジュペリ
によって、世界大戦を前に、世界が分断されようとしている絶望の時代に
書かれた本書は、希望の灯を掲げようとした、と。

世界各地で戦争の火が消えないなか、
今こそこの本の「呼びかけ」がわれわれの元にまっすぐ届くのだ、と。

 ・・・

今回一番好きな言葉として心に残ったのは、先に紹介しました

自分が何を愛しているのかはわかっている。それは生きることなのだ。》pp.335-336

という部分ですね。

 

結局、彼は飛行機乗りとして現役のまま、この世を去ったのでした。
飛行士として“生きた”人生だった、と。

真剣に“生きる”ことを教えてくれる作品だと思います。

ぜひ何度でも読んでみてほしい、と思います。

 

参照:

『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ/著 野崎 歓/訳
岩波文庫 赤N516-2 2025/5/19
(Amazonで見る)

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『NHKテキスト 100分de名著 サン=テグジュペリ『人間の大地』
 2025年8月』 [講師] 野崎 歓
(Amazonで見る)

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『夜間飛行』サン=テグジュペリ/著 堀口 大学/訳 新潮文庫 1956/2/22
――「序」アンドレ・ジッド、処女作「南方郵便機」を併録
(Amazonで見る)

 

『人間の土地』サン=テグジュペリ/著 堀口 大学/訳 新潮文庫 1955/4/12
(Amazonで見る) ――名訳で知られる堀口大學さんの訳書。ただ訳語や言葉の言い回しに
どうしても時代色が感じられます。宮崎駿さんの解説とカバー・挿絵が
楽しめます。

 

『夜間飛行』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ/著 二木 麻里/訳
光文社古典新訳文庫 Aサ 1-2 2010/7/8
(Amazonで見る)

 

『人間の大地』サン=テグジュペリ/著 渋谷豊/訳
光文社古典新訳文庫 Aサ 1-3 2015/8/6
(Amazonで見る)

 

『戦う操縦士』サン=テグジュペリ/著 鈴木雅生/訳
光文社古典新訳文庫 Aサ 1-4 2018/3/7
(Amazonで見る)

 

『サン=テグジュペリ・コレクション 2 夜間飛行』山崎庸一郎/訳
みすず書房 2000/7/20
――本書を捧げられた相手、ディディエ・ドーラさんの
「『夜間飛行』に着想を与えた人物から見た」を収録
(Amazonで見る)

 

『サン=テグジュペリ・コレクション 3 人間の大地』山崎庸一郎/訳
みすず書房 2001/8/1
――『星の王子さま』『ある人質への手紙』を捧げられたレオン・
ヴェルトの「わたしが識っているままのサン=テグジュペリ」を収録
(Amazonで見る)

 

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(画像:サン=テグジュペリ『人間の大地』訳本――『サン=テグジュペリ・コレクション 3 人間の大地』みすず書房版、『人間の大地』光文社古典新訳文庫版、『人間の土地』新潮文庫版、『夜間飛行・人間の大地』岩波文庫版、『NHKテキスト 100分de名著 『人間の大地』サン=テグジュペリ 2025年8月号』)

 

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(画像:私の所蔵するサン=テグジュペリの本――『星の王子さま』岩波少年文庫版、オリジナル版、『戦う操縦士』光文社古典新訳文庫版、『人間の土地』新潮文庫版、『NHKテキスト 100分de名著 『人間の大地』サン=テグジュペリ 2025年8月号』、『夜間飛行・人間の大地』岩波文庫)

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本誌では、「私の読書論-岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ から(2)『人間の大地』」と題して、今回も全文転載紹介です。

岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ の二回目で、最終回です。

過去に三度くらい読んでいるとはいえ、久しぶりに読んだもので、当初はちょっと読みにくさを感じていました。
過去の印象を思い出しながら読んでいましたが、本文にも書いていますように、第7章まで読み進みますと、過去の感動が甦りつつ、また新たに感動を覚えました。

野崎歓さんのことばに「理想主義者サン=テグジュペリ」とありましたが、こういう一生懸命さや誠実さ、熱情といった心情が、私の彼が好きなところかも知れません。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

 

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※本稿は、レフティやすおの他のブログ『レフティやすおブログ【左利きライフ研究家:元本屋の兄ちゃん】』に転載しています。
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2025.09.20

親御さんへ―特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後)-週刊ヒッキイ第694号

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)

【最新号】

第694号(Vol.21 no.15/No.694) 2025/9/20
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後半)」

 

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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
  【左利きを考える レフティやすおの左組通信】メールマガジン
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第694号(Vol.21 no.15/No.694) 2025/9/20
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後半)」
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 今回も、前号に引き続き、8月30日の放送されました、
 TBSラジオ「人権TODAY」の日本左利き協会の大路直哉さんの回の、
 サイト版を元に、私なりの解釈と感想を交えて紹介する後半です。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―特別編―

  ◆ 「左利き」と「右利き」の相互理解がある社会を目指す
    「日本左利き協会」 ◆

   ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後半)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ●ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分

◆TBSラジオ
「人権TODAY」8月30日放送
https://www.tbsradio.jp/horio-human/

--
「まとめて!土曜日」内で8時22分頃から放送中。
人権に関わる身近な話題をテーマに掲げて、
ホットなニュースをお伝えしています。
--

2025.08.30 土曜日 08:45
社会・政治・経済
「左利き」と「右利き」の相互理解がある社会を目指す
「日本左利き協会」
人権TODAY
https://www.tbsradio.jp/articles/99980/

 

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がそれで、
《「左利き」を取り巻く環境の過去と現在について》
「日本左利き協会」発起人で、『左利きの言い分』の著者
大路直哉さんに取材したお話です。

 

 ●左利きへの寛容度が高くなった一方、新たな問題も、、、(前半)

《現在の「左利き」を取り巻く環境について》です。

大路さんのコメント――

 《左利きに対する寛容度っていうのは、私が幼少期だった1970年代と
  比べるともう雲泥の差ではあると思います。
  その一例としましても、よく左利き用品の話題が取り沙汰されます
  けど、今までは左利き用の道具は割高で困るとか、いろいろそういう
  人がいらっしゃったんですけど、今は100円ショップでも買えますし、
  選択肢はもう確実に広がってると思います。》

さて、大路さんのいう左利き用品についてですが、
一部の商品は確かに100円ショップでも買えるかも知れません。

しかし、選択肢の幅はどうでしょうか。
本当に広がっているのでしょうか?

例えば、ハサミ一つとっても、分かります。
右手用のハサミは選び放題です。
大中小から長刃のもの、シールののりが着きにくい加工をしたもの。
取っ手の部分の色一つとっても選び放題です。

ある左利きの少女の場合、親御さんは左利きだから左手用(取っ手が
黄色)をすすめました。
しかし、彼女は他の女の子たちと同じピンク(の取っ手)が欲しい
といい、右手用を選びました。

今のハサミは、二枚の刃の合わせがしっかりしていますので、
ただ切るだけなら右手用を左手で使っても問題ないでしょう。
しかし、逆の手で使うと切り取り線に沿って切ろうとするとき、
上の刃が邪魔をして線が見えません。
ハサミを傾けるか首を傾けるか、不自然な姿勢になります。

右手用というのは、
その名の通り右手で自然に持って切れる設計になっているものです。
左手用は、その通り左手で自然に持って切れるような設計になっている
ものなのです。

先日、久しぶりにホームセンターで、ハサミを調べてみました。
確かに各社から多種多様なハサミが販売されていました。
でも「左手用」と銘打たれたものは、一点だけでした。
残りの30種ほどのハサミは、みな右手用でした。
右手用に関しては、まさに選び放題です。
しかし、左手用は一種のみ、子供用と合わせても二種二点だけでした。
これが一つの現実です。

また一般的な日常の生活必需品は、左用が色々と出回ってきています。
その点はなるほど改善されてきましたよね。

しかし今、弊誌で取り上げているように、楽器などはどうでしょうか。
左用の鍵盤ハーモニカはありません。
左用のピアノもありません。
左用のヴァイオリンは、一部で発売されているのですが、
サイトを見ますと、音楽教室の先生でも知らない人が多いようで、
まだまだ一般的とはいえません。

楽器の世界で左利き用が一般化しているのは、ギターの類いぐらいです。
他はまったく右利きオンリーといっていい状況です。
この差別のひどさは、
左利きの音楽家のみなさまの多くが感じていることのようです。

しかし、世間一般では問題視されることはありません。
なぜなのでしょうか?

 

 ●道具を使うことは人間の証?

道具は、人間と他の動物を分ける象徴のようにいわれます。
道具を使うことこそが人間の証だとすれば、
その道具が右利き用しかなければ、左利きの人は人間のうちではない、
ということになるのでしょうか。

以前、私が左利きの道具の不便を右利きの人に訴えたときに、
こう言われました。

「左利きといっても右手があるのだから、右手を使えば済む問題」と。

これが、昔の世間の右利きの人たちの平均的な考え方だったように
思います。
「利き手」という性質を正しく理解されていなかったのです。

 

私の考えを書いておきます。

私は、二十代後半まで「左利きの自分が間違っているのだ」と
思い込んでいました。
なにしろ「左利きの子を右手使いになおす(直す/治す)」ことを
指して「矯正」と呼んだくらいですから。
「矯正」の正しい意味は知らなくても、「正しい」という字が
入っていますし、正しいことのように思えます。
「誤りや悪いことを正すのだ」という意味らしいということは、
小学生にも分かりますよね。
でも、本当は左利きが誤りでも悪いことでもないとしたら?

「左利きは悪いこと/誤り」という認識が「まちがい」だ、
と教えてくださったのが、1970年代に「左利き友の会」を主宰された
精神科医の箱崎総一先生でした。

「左利きがまちがっているのではなく、
 まちがっているのは左利きを受け入れない社会の方だ」

こうして私に生きる勇気を与えてくださったのは、
箱崎総一先生の著書『左利きの秘密』でした。

『左利きの秘密』箱崎総一 立風書房 マンボウブックス
(Amazonで見る)

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そのなかで、ご自身の考える「左右同権」の物差しを示されています。

 《左利きに対する偏見と差別が真になくなるのは、左利きの人たちが
  何ら苦痛を強いられることなく生活していけるときである。
  それをはかる物差しは、結局、左利きのための道具・器具類の
  普及度である、と私は考える。/
  たとえ人々の頭の中から左利きに対するあやまった考えがなくなった
  としても、それだけでは左右同権の社会とはいえない。
  左利きの人たちが右利きのための道具や器具に囲まれて暮らしている
  かぎり、真の解放はありえないのだ。/
  こうしたことを考えるとき、わが日本の左利きにとってまだまだ
  けわしい前途が横たわっているといわねばならない。》(pp.61-62)

今現在の日本の状況と比較してどうでしょうか。
45年経っても、どこまで進展したのか、大いに疑問です。

確かに流れは“左利き解放”に向かっています。
しかしその歩みは遅々としたものである、と私には思えます。

昨年6月に出版されました
『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
(ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社)
(Amazonで見る)

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という本には、ヨーロッパを中心にした西欧での、
左利きのまさに迫害と解放への歴史が綴られています。
その道は決して平坦でまっすぐなものではなく、
曲がりくねり山あり谷あり行ったり来たり、の激動の歴史でした。

 

 ●左利きへの寛容度が高くなった一方、新たな問題も、、、(後半)

 《ただ、その一方で日常生活において手の器用さが問われる動作が
  減って、ボタン操作だけで用が足せること多くなってるのは、人間の
  視線がないゆえの新しい「サイレントストレス」というのがあると
  私は考えています。》

「サイレントストレス」というのが、私には今ひとつよくわかりません。
右利き用の道具や機械、システム等に囲まれて生活してるゆえに感じる
左利きの人の不便をいうのでしょうか。
新しい「サイレントストレス」があるというのも、例えばそれは、
さらに進む機械化社会における、新たなる左利きの不便を指すようです。
それは、左利きの人も気付かない形で、社会の中に浸透している。
右利きの人は自分が多数派ゆえに、
自分の設計がそのまま世間で通用することが多いのです。
ところが、実はそれが右利き用だ(=左利きには不向き/不便だ)、
という事実を忘れているケースが多い、ということではないでしょうか。

恒藤さんの文章には、こんな右利きの不便が指摘されていました。

 《一方で、最近、右利きの人でもこの現象に気づくことも増えてきて
  います。例えば、スマートウォッチで改札を通る時、右利きの人は
  左手に時計をつけていることが多いので、手をクロスしないと改札に
  かざすことができず、不便さを感じることになると思います。》

大路さんの本にもあるように、この社会が「右利き社会」だという事実
――これが、右利きの人たちには理解されていないように思われます。
「これが当たり前」の社会だ、という認識があるのです。

そしてそれは、右利きの人だけでなく、左利きの人にもあるのです。

私たちのような旧世代――左利きゆえに偏見と差別に泣かされてきた世代
――は、ある程度「社会に問題がある」という認識を持っています。
若い世代は、「左利き=悪」というレッテルや、極端な先鋭的な社会的
圧力をあまり受けてこなかったので、この社会をまるごと
「こういうものだ」と受け入れてしまっている部分があるようです。

子供の頃の私自身、右手用のハサミを左手で使っているので不便なのだ、
という事実を知らないまま、「ハサミとはこういう切れないものだ」
と受け止めていたのと同じです。

 

 ●「右利き」と「左利き」の相互理解、共感力を育んでいきたい

最後に、大路さんが目指す社会について、です。

 《やっぱり右利きと左利きの相互理解、共感力を育むことっていうのに
  まず一点集約して進めていきたいんですけども、そうした相互理解を
  深めていく上で大切にしたい心がけのポイントっていうのは、次の
  3つだと思います。
  1つ目は、左利きを特別視しない。
  2つ目が、同情や単なる関心にとどまるのではなくて、実感を通して
  右利きと左利きが共感しあえる意識を共有する。
  そして3つ目が、そこから利き手の関心を越えて、右利きにとって
  身近な隣人である左利きの存在を通して深まる社会的包摂への理解
  です。
  とくに、3つ目の考えがない限り、なかなか右利きの人に関心を続け
  てもらうことは難しいんじゃないかなとも考えるところですね。》

「右利き」と「左利き」の相互理解、右利きの人に共感してもらう、
という点を上げています。
右利きの人が社会の多数派なので、右利きの人の共感、これ抜きには、
社会を改変してゆくことはできません。

「右利き」と「左利き」の相互理解は、絶対条件です。

しかし、それ以前にやはり私が一番問題に感じていることは、
「左利きの人の自覚」です。

左利きの人自身が「この社会の在り方に問題があるのだ」としっかりと
認識していなければ、問題として発信していけない、ということです。

右利きの人に共感してもらうにも、その共感の素(もと)となるものが
なければ、どうにもなりません。
「ここに問題があるのだ」とハッキリと発信してゆかなければ、
右利きの人の理解も共感も得られません。

大路さんは、「右利き」と「左利き」の相互理解は、この社会を
左利きにとってのやさしい社会へ変えるためだけのものではなく、
もっと広く「社会的包摂への理解」につながるものだ、といいます。

 《人間の多様性を認め合い誰一人取りこぼすことのないソーシャル・
  インクルージョン、つまり「社会的包摂」の精神そのものです。》
    大路直哉『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』
    PHP新書1367 2023/9/16 ――「第六章「右利き社会」から
             「左利きにやさしい社会」づくりへ」p.261
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 ●左利き専用と左右兼用

恒藤さんの文章から

 《最近では、ハサミなどの道具も左利き専用ではなく左右兼用のものが
  あり、利き手に関わらずそういった道具をシェアできたり、道具を
  通じて利き手を意識することにつながったりしています。》

道具には兼用できるものもあります。
また、「兼用」と「共用」という考えもあります。

「(左右)兼用」というのは、私なりに解釈しますと、
「右用にも左用にも変えられる構造を持つ」タイプ
――ここで紹介されていたものは、
「レイメイ藤井 ペン型はさみ・ペンカット」という製品です。
刃そのものが右刃と左刃の二辺になっていて、
ハンドル部分を入れ換えることで、
右用にも左用にも変えられるもの(購入時は右用に組まれています)。

小型のカッターナイフには、刃を裏返して入れれば、
右用を左用に変えられる、というものがあります。

ここで紹介されている定規は、
板状の二辺をそれぞれ右用の目盛りと左用の目盛りにすることで、
そのどちらの辺を使うかで右用にも左用にも変えられるものです。
二辺を整形しなければいけないので、コストアップになります。

 

「共用」というのは、文字通りどっちの手でも使えるタイプのもの――
例えばお箸などは、横書き文字のロゴや横長の絵柄を入れないかぎり、
どちらの手でも使えます。左右対称のスプーンなどもそうです。

ここで紹介されているカッターは、刃の出し入れ用のスライダーが
上部にある「縦型」のカッターです。
これは、先に例に挙げたカッターとは違い、そのままの状態で
どちらの手でも使えるものなので、私は「共用」と呼んでいます。

 《<左右兼用のカッター>刃の出し入れ用のレバーが中心についている
  ので、左右どちらの手でも刃の出し入れができる》

 

恒藤さんの〆の文章です。

 《今後はこうした動きがさらに広がっていき、利き手を意識する方が
  増え、右利きと左利きの相互理解が進んでいくことを願っています。》

 

 ●私の意見

最後に、もう一度、私の意見をまとめておきましょう。

(1)左利きの人自身が、左利きの問題を自覚し、社会に発信してゆく。
 それによって初めて、右利きの人への共感を求めることができます。
(2)道具や機械類に関しては、左右性のあるものは、
 一定の比率で左用を用意する。
 その際、費用の分担は、ユニバーサル・サービス料金制を導入し、
 全体で均等に負担する。
(3)社会は、多様性について、それぞれのグループの声の大小や
 圧力の強弱に関係なく、平等に対応する。

 

具体的には――

 左利きの人たちは、8月13日の<国際左利きの日>や
 2月10日の<左利きグッズの日>のような記念日を利用して、
 「左利き用の道具展」のようなイベントを繰り返し実行し、
 「左利きの不便」や、右利き偏重社会の構造が持つ、
 左利きの人に不合理な在り方を訴える機会を増やし、
 右利きの人たちの理解と共感を得る努力をする。

ことが重要だと考えます。

 

 ●「右利き生まれ」と「右利き育ち」

ここで一つ私の持論である仮説を――。

よく、左利きは全体の10%程度、といわれます。
この場合、正確には「左利き」というより「左手利き」と呼ぶ方が
よいと思われます。

大半の場合、問題視されるのは、
「手、もしくは腕」にまつわる作業について、ですから。

「左手利き」が10%で「右手利き」が90% という場合の、
「90%の右手利き」のなかには、「本当は右手利きではなかった人」が
いるのではないかというのが、ここで紹介する私の持論です。

 ・・・

右利きの人には、二種類ある、ということ。

一つは、「右利き生まれ」=「生まれつき右利きの人」。

 

この場合の「右利き」とは、私がいつもいっている利き手/利き側
(利き足/利き目/利き耳など)のテストで、
「強い右利き」に分類される人のことです。

もう一つは、「右利き育ち」=
「生まれたのちの教育や指導により、右利きになった人」。

元は、私のいう「中間の人」、利き手/利き側テストで、
「弱い右利き」や「弱い左利き」と分類される人。

ある程度、右もしくは左が使える人が、その後の指導や教育で、
練習の結果、主に特定の動作において右使いが身についた人。

それゆえ人により、その「右利き度」は異なり、
「○○は右だが、××は左」というように「利き」が混在する、
というようなケースです。

もし社会の圧力がなければ、それらの人は「右手利き」ではなく、
「左手利き」になっていたかもしれない、という仮説です。

日本人の多くは、日本語は話せるけれど英語は話せない、
というのは、素質ではなく、環境の力です。
それと同じような理屈です。

私の仮説では、
真に「右利き」(強い右利き――手や腕だけでなく、足や眼、耳などを
含めて右優位)は、半数超(50~60%)。
「中間の人」(弱い右利きと弱い左利き)は、三分の一程度(33%)。
真に「左利き」(強い左利き)は、その残り(5~10%)。

 

 ●選べない「生まれ」の違いでの差別を解消しよう

人は「生まれ」を選べません。
人権の問題に直面している人々の多くは、
この「自分が選ぶことができない事柄」で悩まされているのです。

「左利き」も同じです。

以前調べてみましたら、障害者手帳を持っている人の数は、
たしか全人口の数パーセントでした。
LGBTの人の数も、同じく数パーセントだと聞いたことがあります。
左利きのうちでも、「強度の左利き」はやはりそれぐらいだ、
という研究がありました。

これらそれぞれ全人口の数パーセントの人のために、あれやこれや面倒を
見るのは、社会的には「非効率」なことかも知れません。
しかし効率の良さだけが社会の重要な価値ではないはずです。

ときに、非効率な生き方も、重要な生き方になるはずです。

人種や民族、文化の違いなども含めれば、多様性の多くはそうです。

 

お釈迦様、ブッダは「生きとし生けるものは、幸せであれ」
(『ブッダのことば―スッタニパータ―』中村元訳 岩波文庫
「第一 蛇の章/八、慈しみ」(147) p.37)
(Amazonで見る)

と説いたそうです。

誰彼の区別なく、人も動物も生き物すべて、みんなが幸せになる権利を
持っているのです。
基本的人権というのは、そういうものなのではないでしょうか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(後半)」と題して、今回は全紹介です。

人権の番組というところが、期待を抱かせるものでした。
「左利き」「利き手」の問題を、人権の立場から、取り上げてもらえるのは、うれしいことでした。

この機会に、左利きの人自身が積極的に問題点を訴えるようになっていただけると、私のいつもいうところの、「右利きだけでなく、左利きにも優しい社会」の実現に近づいてゆくのだ、と思います。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

 

『レフティやすおのお茶でっせ』
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2025.09.17

はてなブログ始めました―『レフティやすおブログ【左利きライフ研究家:元本屋の兄ちゃん】』

9月15日より、はてなブログで

『レフティやすおブログ【左利きライフ研究家:元本屋の兄ちゃん】』
250915hatena-blog-lyb

を始めました。
これは、メインブログのこの

『左利きライフ研究家(元本屋の兄ちゃん)レフティやすおのお茶でっせ』
250915cocolog-blog-ly-o

からの転載を中心に投稿していました、gooブログ

『レフティやすおの新しい生活を始めよう!』
250915goo-blog-ly-a

の方が、今年2025年の11月でサービスが終了し、消滅することになったことに伴う処置です。

gooブログからはてなブログへ移転したのです。

メインブログのこのブログも従来の飾り気のないタイトル
『レフティやすおのお茶でっせ』から変更しました。


新しいはてなブログも、
タイトルが長くなりますが、これからもお付き合いのほどを!
m(__)m

レフティやすお 


--
※本稿は、レフティやすおの他のブログ『レフティやすおブログ【左利きライフ研究家:元本屋の兄ちゃん】』に転載しています。
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2025.09.15

私の読書論-岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ(1)-楽しい読書395号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

2025(令和7)年9月15日号(vol.18 no.15/No.395)
「私の読書論-岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ
から(1)『夜間飛行』」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2025(令和7)年9月15日号(vol.18 no.15/No.395)
「私の読書論-岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ
から(1)『夜間飛行』」
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 今回は久しぶり? に「私の読書論」として書いてみます。
 今回で200回ぐらいになるかと思います。
 どういう範疇で書くかというのは難しすぎて、混乱を生むだけです。
 適当が一番だと思うので、もう番号は振らないで、そのままで行こう
 と思います。これからもよろしく!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 私の読書論 -

  ~ 好きな作家の一人 ~

  岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ/著
    野崎 歓/訳 から(1)『夜間飛行』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

●サン=テグジュペリの思い出

好きな作家の一人である、サン=テグジュペリを取り上げるのは、
『星の王子さま』以来かも知れません。

*参照:
2008(平成20)年4月号(No.4)-080430-星になった少年『星の王子さま』

 

↓にも書いたように、

『レフティやすおのお茶でっせ』2025.8.24
『NHK100分de名著』152「人間の大地」サン=テグジュペリ
2025年8月放送中
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2025/08/post-9ba848.html

サン=テグジュペリという作家さんは、
中学一年の時に、『星の王子さま』の冒頭の絵に関して、
「大人はわかってくれない」を教えてくれた、
という意味で興味を持つようになった人でした。

実際には、20代になったころにやっと
岩波少年文庫版の『星の王子さま』を買い、読んだのでした。

他の作品に触れたのは、さらにずっとずーっと後年のことです。

正確には調べないと分からないのですが、
古典や名著・名作を読むようになった50代以降のことでしょう。

堀口大學訳の新潮文庫『夜間飛行』
(処女作「南方郵便機」とのカップリング)だったと思います。
次に読んだのが、同じく新潮文庫の堀口大學訳『人間の土地』。

それで本当に好きになりました。

元々飛行機に対するあこがれを持つ少年でした。
自由に空を飛んでいる飛行機が好きで、
空を見上げてる子だったところがあります。

大阪東部上空は、伊丹空港に着陸する飛行機が通過するところでもあり、
大きな飛行機が時折爆音をさせて通過することがありました。
また、八尾空港という小型機専門の飛行場もあり、
交通情報など上空から報告するような飛行機も飛んでいました。

 

 ●初期の飛行機乗りの作家

飛行機が好きで、飛行機乗りの作家の書く小説も好きで、
色々読んでいます。

『かもめのジョナサン』で有名な、リチャード・バック。
『イリュージョン』が好きでした。
ほかにはかわいいフェレットの物語にも、飛行機ものがありました。

小説ではないですが、1954年にピューリッツァー賞を受賞した、
チャールズ・リンドバーグの著作『翼よあれがパリの灯だ
(The Spirit of St. Louis)』-
大西洋無着陸飛行に初成功した時のノンフィクションです。
前半が準備の日々、後半が実際の冒険行という構成で、
準備が大事だということを教えてくれます。
リンドバーグの夫人で、女性飛行機乗りの草分けだった、
アン・モロウ・リンドバーグさんの『海からの贈り物』もいい本でした。

そういうなかでもっとも初期の飛行機乗りの作家が
サン=テグジュペリでしょう。

 

 ●最高の名作カップリング

偶然、本屋さんに行った5月、
まさかと思っていた、この本がありました。

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『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ/著 野崎 歓/訳
岩波文庫 赤N516-2 2025/5/19
(Amazonで見る)

――『星の王子さま』の新訳本『ちいさな王子』の訳者でもあるフランス
 文学者でこの番組の指南役でもある野崎さんの手になる、代表作二作
 『夜間飛行』と『人間の大地』の黄金のカップリング新訳本。

 

その前に、ミシェル・ビュッシというフランスの作家の本、
『だれが星の王子さまを殺したのか』(集英社文庫)を読み、
『夜間飛行』とか『人間の大地』を再読してみたいな、
と思っていたところでしたから。

でも『夜間飛行』の本は持っていないし、
『人間の土地』は持っていますが、どうしようかと思っていたのです。
堀口大學訳は、文章が正直古びてきている印象がありました。

以前読んだなかでは、光文社古典新訳文庫の二冊、
二木麻里さんの訳の『夜間飛行』は「解説」も楽しかったですし、
渋谷豊さん訳の『人間の大地』も今どきな印象がありましたので、
これらを探そうか、と思っていました。

そこにズバリ、この二作のカップリングの本が出た、というわけです。
今までありそうでなかったこのカップリング。
これに『星の王子さま』が加われば、最高の一冊となります。
でも『星の王子さま』は、カバーからあれが欲しいですし……。

 

 ●『夜間飛行』について

『夜間飛行』は、1900年生まれのサン=テグジュペリの31歳の時の
作品で、1929年に第一長篇小説『南方郵便機』が出版されたのちに
の、1930年頃から執筆された、と光文社古典新訳文庫版、二木麻里訳
『夜間飛行』の巻末年表にあります。
サン=テグジュペリの第二作です。

当時彼は、アエロポスタル社の南米路線アエロポスタ・アルヘンティーナ
社のブエノスアイレスで支配人として従事していたのでした。
まさにこの小説の主人公の立場でした。

この作品はアンドレ・ジッドの序文を添えて出版され(岩波文庫版では
未収録、光文社古典新訳文庫版では本文の後に、みすず書房
『サン=テグジュペリ・コレクション』版は冒頭に)フェミナ賞を受賞。
すぐに映画化されてヒットして、同名の香水まで発売されました。

主人公リヴィエールのモデルになったとされ、本書を捧げられた
ディディエ・ドーラさん(当時サン=テグジュペリが働いていた会社の
上司、路線開発者)の「『夜間飛行』に着想を与えた人物から見た」が
みすず書房版には収録されています。

そこにはこんな文章があります。
ドーラさんは、彼の飛行機乗りとしての経歴や操縦ぶりに
決して満足していたわけではなかったようです。
それでも彼を採用したのは、

 《(略)サン=テグジュペリがその高潔な心のなかで、
  飛行機というものが、やがては人間たちのあいだに新しい関係を
  築き上げるに役立つことになる、最高度に象徴的な道具であることを
  理解していたということを。》

と。さらに続けて、

 《飛行機は、まもなく彼独自のものとなる文学的世界に入り込むため
  に、おそらくは無意識にであろうが、彼が内心で探し求めていた
  理想的な機械だったのである。》 pp.106-7
   (『サン=テグジュペリ・コレクション 2 夜間飛行』
     山崎庸一郎/訳 みすず書房 より、ディディエ・ドーラ
    「『夜間飛行』に着想を与えた人物から見た」

 

 ●『夜間飛行』――優れた職業小説

内容ですが、アルゼンチンのブエノスアイレスにある、航空郵便会社の
支配人リヴィエールと事務員や監督官、飛行場主任、そして飛行士たちと
のある一夜の物語です。
嵐に遭遇し、事故にあったと思われる飛行機と飛行士、それを各地からの
無線連絡を通して知るリヴィエール。
迷い悩みながらもそれを隠してふるまい、難しい決断を下します。
航空郵便事業の成功のために。

一見非情に徹する冷徹な上司と映るリヴィエールですが、心の内には、
当然のごとく、様々な葛藤があります。
嵐により事故に遭ったと思われる飛行士の妻が事務所にやって来ます。
何もしてやれないのは分かっていながら、面会を断らないリヴィエール。
これといった話もできないまま、帰って行く妻。

 

最終的にリヴィエールは、事故に遭った便の荷をのぞき、
ヨーロッパ便を出発させます。
飛行士はいいます。

 《「馬鹿なリヴィエールめ。このおれが……怖がってるだなんて思って
  いやがる!」》

 

飛行を辞めることは、事業を終わらせることになるのです。
夜間飛行を続けることこそ、航空郵便の優位さを維持できる唯一の方法
なのですから。

 《勝利……敗北……。そんな言葉に意味はない。生命はそんなイメージ
  よりも下にあって、すでに新たなイメージを準備し始めている。
  一つの勝利が民衆を弱体化させ、一つの敗北が別の民衆を目覚め
  させる。リヴィエールが喫した敗北と引き換えに、真の勝利が引き
  寄せられるのかもしれない。進行していく出来事だけが重要だ。》

最後の段落――。

 《 そしてリヴィエールはゆったりした足取りで仕事に戻り、その
  厳めしい視線を浴びて社員たちはうつむく。偉大なリヴィエール、
  勝利者リヴィエールは、自らの勝利の重みを背負っている。》

 

まあ、一つの優れた職業小説だと思っています。

リヴィエールは、偉大な支配人。
南米からアフリカ、ヨーロッパへと続く、郵便の航空路を維持している
のです、その厳格な仕事ぶりで。

しかし、彼一人が偉大なわけではありません。
彼の元に従う様々な役職の人々がいての成功です。
もちろん、その最先端に立つのは、飛行士たちです。
危険をものともせず、夜の闇に飛び立ってゆく……。

それを支えるのは、家庭では妻であり、会社では飛行場主任であり、
監督官であり、最終的には支配人なのでしょう。

仕事に身を捧げるという言い方は、古くさいかも知れません。
しかし、人間にとって、仕事=働くということは、厳粛なものであって、
生半可な気持ちでは続けられるものではない、ということでしょう。

特に、最先端の分野において、第一級の存在であり続けるためには。

実体験に基づく小説とはいえ、ここまでリアルな印象を抱かせる臨場感に、
その描写の凄さを感じさせます。
その印象をより強める構成の巧みさも見事の一言です。

文庫本で120ページ強の中編ですので、ぜひ御一読を!

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参照:
250804-ningen-no-daiti

 

『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ/著 野崎 歓/訳
岩波文庫 赤N516-2 2025/5/19
(Amazonで見る)

『NHKテキスト 100分de名著 サン=テグジュペリ『人間の大地』
 2025年8月』 [講師] 野崎 歓
(Amazonで見る)

『夜間飛行』サン=テグジュペリ/著 堀口 大学/訳 新潮文庫 1956/2/22
――「序」アンドレ・ジッド、処女作「南方郵便機」を併録
(Amazonで見る)

『人間の土地』サン=テグジュペリ/著 堀口 大学/訳 新潮文庫 1955/4/12
(Amazonで見る) ――名訳で知られる堀口大學さんの訳書。ただ訳語や言葉の言い回しに
どうしても時代色が感じられます。宮崎駿さんの解説とカバー・挿絵が
楽しめます。

『夜間飛行』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ/著 二木 麻里/訳
光文社古典新訳文庫 Aサ 1-2 2010/7/8
(Amazonで見る)

『人間の大地』サン=テグジュペリ/著 渋谷豊/訳
光文社古典新訳文庫 Aサ 1-3 2015/8/6
(Amazonで見る)

『戦う操縦士』サン=テグジュペリ/著 鈴木雅生/訳
光文社古典新訳文庫 Aサ 1-4 2018/3/7
(Amazonで見る)

『サン=テグジュペリ・コレクション 2 夜間飛行』山崎庸一郎/訳
みすず書房 2000/7/20
――本書を捧げられた相手、ディディエ・ドーラさんの
「『夜間飛行』に着想を与えた人物から見た」を収録
(Amazonで見る)

『サン=テグジュペリ・コレクション 3 人間の大地』山崎庸一郎/訳
みすず書房 2001/8/1
(Amazonで見る)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「私の読書論-岩波文庫『夜間飛行・人間の大地』サン=テグジュペリ から(1)『夜間飛行』」と題して、今回も全文転載紹介です。

好きな作家サン=テグジュペリの黄金のカップリングの一冊である、岩波文庫版『夜間飛行・人間の大地』の紹介の一回目は、前半の『夜間飛行』。
彼の著作のなかで一番の小説です(といってもほかには『南方郵便機』ぐらいしか知りません)。
『星の王子さま』は、童話(あるいは寓話)です。
『人間の大地』は、哲学的エッセイというところです。
純粋な小説と呼べるものは、この『夜間飛行』ぐらいというところでしょう。

この三作が私の思う彼のベスト3です。
まあ、たいていの人はそういうところでしょうね。

四人目の翻訳家による、四度目の<再読>というところでした。

 ・・・

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2025.09.06

週刊ヒッキイ第693号-親御さんへ―特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)

【最新号】

第693号(Vol.21 no.14/No.693) 2025/9/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(前半)」

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
  【左利きを考える レフティやすおの左組通信】メールマガジン
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第693号(Vol.21 no.14/No.693) 2025/9/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(前半)」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 今回は、

第691号(Vol.21 no.12/No.691) 2025/8/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(33)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(松野迅)さんの
ご意見から考える(2)右手と左手・他」

『レフティやすおのお茶でっせ』2025.8.2
週刊ヒッキイ第691号-
楽器における左利きの世界(32)まつのじんさんのご意見(2)右手と左手
17:38 2025/07/25
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2025/08/post-d94232.html

 の続きで、「ご意見から考える(3)」をお送りする予定でしたが、
 先日少し情報を頂いた、あるラジオ番組について書いておこう
 と思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ
   ―特別編―

  ◆ 「左利き」と「右利き」の相互理解がある社会を目指す
    「日本左利き協会」 ◆

   ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(前半)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分

◆TBSラジオ
「人権TODAY」8月30日放送
https://www.tbsradio.jp/horio-human/

--
「まとめて!土曜日」内で8時22分頃から放送中。
人権に関わる身近な話題をテーマに掲げて、
ホットなニュースをお伝えしています。
--

 

2025.08.30 土曜日 08:45
社会・政治・経済
「左利き」と「右利き」の相互理解がある社会を目指す
「日本左利き協会」
人権TODAY
https://www.tbsradio.jp/articles/99980/

250830tbsjinkentoday-jla

がそれで、
《「左利き」を取り巻く環境の過去と現在について》
「日本左利き協会」発起人で、『左利きの言い分』の著者
大路直哉さんに取材したお話です。

関東中心の放送らしいので、放送は聞いていませんが、
サイトの情報を読みました。

実は、「日本左利き協会」の大路直哉さんからの紹介で、
私のところにも話を聞かせて、というお便りも頂きました。
(大路さんからはいつもお声がけいただいて恐縮です。)

今回は時間の余裕がないということで、お断りさせていただきました。
リモート等の現代的な取材にも適応できませんし、ね。

普段から考えていることを簡潔に話せばいいのでしょうけれど、
元々人前で話すのが苦手で、身構えてしまうのと、
臨機応変に対応できる人間ではないので、
こういう短期間・短時間での取材は苦痛以外の何ものでもありません。

もったいないといえばもったいない話なのですが、
致し方ない、と思っています。

あとで私がする発言――
「左利きの人自身が不都合な点をもっと社会に向かって発言すべき」
という言葉と矛盾するのですけれど、ね。

 

 ●「左利き」を人権の問題として

さて、番組内容についてです。

この番組の放送時間は、約6分と聞いています。

6分で、左利きの過去・現在・未来について語ろうというわけですので、
どうしても細部を詳細にふれて紹介することはむずかしく、
一般論的に概略することになります。

サイトでは実際の放送よりもある程度、説明できる部分もあるか
と思われますけれど、その点を踏まえてお読みください。

以下の文章で、私が突っ込み不足のように指摘し、
不満を述べることもあるかと思われますが、そういう事情があるのだ
という点をここで確認しておきたいと思います。

 ・・・

まず最初に書いておきたいことは、「人権の番組」だということ。
人権の問題について取り組んでいる人やグループについて取材して
紹介している番組だ、という点です。

なんと28年も続けている番組とのこと。

この、人権の問題として受け止める姿勢が、私にはうれしく思えました。
私には当然のことだとは思うのですが、
世の中はそんなに甘くはないのです、ホントのところ。

従来、テレビやラジオの番組といったマスコミから声がかかる場合、
たいていは、もっと単純な「一つのトピック」として、でした。

「今日は何の日? 左利きの日!」といった感じで、由来は? とか、
左利きの人に便利なグッズの紹介、とかで終わってしまう。

もちろん、それはそれで、何もないよりはいいのですけれど、
それで終わってしまって「365分の1」で済まされても困るのです。

右利きの人にとっては、たった一日だけ思い出せばいいだけの
「左利きの日」かもしれません。
しかし、私たち左利きの人にとっては、
毎日が、365日と何時間かのすべてが「左利きの日」なのですから。
それで終わらせられては……。

それはさておき、この番組の内容です。

 

 ●左利きの女性はお嫁にいけない!?

まずは、過去のお話です。

《かつての「左利き」を取り巻く環境について》――

大路さんの言うところは、

 《かつては左利きっていうのは親の躾の問題だと捉えられていて、
  異常だとかそういうことよりも、躾がなってるか、なってないか
  という観点で左利きっていうものが槍玉に挙げられていました。
  特にお見合いのときに、左利きの素振りを見せたりすると破談に
  なったりすることもあったと伝えられてます。
  また、今ではほとんどないと思うんですけど、拷問ともいえる
  左利きから右利きへの矯正の事例として、左手を使わせないように
  テープとか包帯でグルグル巻きにしたりして、左手を使うのは
  良くないっていう刻印付けみたいな感じで捉えられていた部分も
  ありました。
  大体1970年代ぐらいまでは、こういった話題が多かったと、
  いろいろな資料や私の少年期の実体験から感じますね。》

大路さんは、「親の躾の問題」とされています。
もちろん、そういう一面もありました。
「親の顔が見たい! 恥ずかしくないのか?」というような。

が、それだけではなく、
過去にはもっと強く否定的な見方があったことも事実です。

私自身、自分の小さい頃の話はあまりしたくないので、
最少限度のことしか書いてきませんでした。

大路さんは1967年生まれ、私は1954年生まれ、
と一回りほど違います。

大路さんの幼少期から小学生時代に当たる1970年代は、
日本における左利き解放の歴史における一大転換期に当たります。

アメリカ留学から帰国した精神科医の箱崎総一さんは、アメリカでは
見られなかった左利きに悩む患者さんが日本では多いことに気付き、
1968年に『左利きの世界』(読売新聞社)を出版し、
左利きについての啓蒙活動を始めました。
1971(昭和46)年には、箱崎さんは、<左利き解放運動>としての
「左利き友の会」を主宰されました(1975(昭和50)年、
左利き友の会『左利きニュース』42号をもって活動停止)。

1972(昭和47)年には、この「左利き友の会」をモデルにした、
広瀬正さんの左利きテーマのSF小説『鏡の国のアリス』出版。

さらにこの年にはイギリスの左利き研究家、マイケル・バーズリーさんの
『右きき世界と左きき人間』が翻訳出版されました。
1973(昭和48)年には、バーズリーさん『左ききの本』が翻訳出版。

そして夏に、麻丘めぐみさんの歌う「わたしの彼は左きき」
(作詞・千家和也 作編曲・筒美京平)が登場し、大ヒットします。

デパートに左利き用品コーナーができるなど、左利きがブームになり、
左利きのイメージ・アップと偏見の打破に大きな力となりました。

さらに、私もそうでしたが、左利きの子供にとって、
<左利きの英雄>の一人だった世界のホームラン王、
王貞治選手が日本で二人目、自身初の三冠王に輝きました(翌年も)。

1976(昭和51)年には、プロ野球・読売ジャイアンツに、
左打ちの安打製造機と呼ばれた張本勲選手が入団、王選手とともに、
ON砲に変わるOH砲として、〈左利きの時代〉を現す代名詞のように。

1977(昭和52)年には、大リーグ初の女性(左腕)投手の活躍を
描いた『赤毛のサウスポー』ポール・R・ロスワイラー
(稲葉明雄訳 集英社)が翻訳出版。
9月5日には、王貞治選手が、ホームラン世界新記録通算756号を達成し、
国民栄誉賞受賞の第1号に。
この年には、、日清食品のインスタントうどん「どん兵衛」が発売され、
左利きの山城新吾さんと川谷拓三さんの二人がそれぞれ左手箸で食べる、
かけ合い漫才のようなCMがヒットしました。

1978(昭和53)年には、王選手モデルにした強打者と対戦する
左腕投手を描く、ピンクレディー「サウスポー」
(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)が発売され大ヒット。

1979(昭和54)年には、箱崎総一さんの
『左利きの秘密』(立風書房 マンボウブックス)が出版され、
「左利き友の会」の顛末や左利きについての解説などが語られました。
年末には、♪左ききのあなたの手紙~で知られる、
アリスの「秋止符」(作詞・谷村新司 作曲・堀内孝雄)も発売。

1980(昭和55)年末には、『左利きの本―右利き社会への挑戦状』
(ジェームス・ブリス/ジョセフ・モレラによるアメリカ版、後半は訳者
・草壁焔太による日本版の左利き本が講談社から出版されました。

 

1970年代前半の箱崎総一さんの「左利き友の会」の活動と新聞等での
報道、それに続く「わたしの彼は左きき」「サウスポー」の大ヒット、
王選手らの活躍、いくつかの左利き関連本の出版といった出来事は、
左利きの啓蒙やイメージアップに大きな影響を与えました。

*参照:
『左利きの世界』箱崎総一 読売新聞社
(Amazonで見る)

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『鏡の国のアリス』広瀬正(河出書房新社 1972/6/1)
(Amazonで見る)

 

(『広瀬正・小説全集・4 鏡の国のアリス』集英社文庫)
(Amazonで見る)

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『右きき世界と左きき人間』マイケル・バーズリー
 西山浅次郎訳 TBS出版会(発売・産学社)
(Amazonで見る)
(原著 Left-handed Man in a Right-handed World, 1970)

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『左ききの本』マイケル・バーズリー 西山浅次郎訳
 TBS出版会(発売・産学社)
(Amazonで見る)
(原著 The Left-handed Book―An Investigation
into The Sinister History of Left-Handedness,初出1966)

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麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」作詞・千家和也 作編曲・筒美京平
(Amazonで見る)

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『赤毛のサウスポー』ポール・R・ロスワイラー 稲葉明雄訳 集英社
(Amazonで見る)
(『赤毛のサウスポー』集英社文庫 1979/4/1)
(Amazonで見る)

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ピンクレディー「サウスポー」作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一
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『左利きの秘密』箱崎総一 立風書房 マンボウブックス
(Amazonで見る)

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アリス「秋止符」作詞・谷村新司 作曲・堀内孝雄
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『左利きの本―右利き社会への挑戦状』ジェームス・ブリス/
ジョセフ・モレラ 草壁 焔太訳 講談社
(Amazonで見る) 

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第582号(No.582) 2020/11/7
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(2)
 「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(1)」
『レフティやすおのお茶でっせ』2020.11.7
左利きの人生を考える(2)「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(1)
-週刊ヒッキイ第582号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2020/11/post-2a8f44.html

第584号(No.58 x2) 2020/12/5
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(3)
 「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(2)」
『レフティやすおのお茶でっせ』2020.12.5
左利きの人生を考える(3)「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(2)
-週刊ヒッキイ第584号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2020/12/post-353947.html

第588号(No.588) 2021/2/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(4)
 「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(3)」
 ――1970年代は日本における左利き観の転換期だった
『レフティやすおのお茶でっせ』2021.2.6
1970年代は左利き観の転換期「わたしの彼は左きき」の時代
-週刊ヒッキイ第588号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/02/post-be0a5a.html

 

 ●私レフティやすおの幼少期のこと

私の幼少期は、1950年代の後半から1960年代にかけてでした。
まだ戦後が色濃く残る時代――観光地など人の集まる場所には、
白装束に兵隊帽をかぶった傷痍軍人といわれる人たちがいた時代でした。
民主主義や人権、社会福祉といった“進歩的”な考え方が、
必ずしも一般的ではなかった、ともいえそうな時代でした。

そんな幼少期の私の体験からいいますと、
「左利きは片○者だ」「左利きは頭がおかしい」といった、
左利きを身体障害者・精神障害者のように考える人がいたのは事実です。
そこまでいわないとしても、
「できそこない」人間的な意識はあったように思います。

また、左利きの子は親や教師のいうことを聞かない、根性曲がりや偏屈者
といった性格に難がある子と考える人もいました。
躾に似た見方として、右手使いが正しい作法であり、
左手使いは間違った作法、悪い例であるといった見方もありました。

たとえば、故・秋山孝さん(デザイナーでイラストレーターで
多摩美術大学教授でもあった、1952年生まれ)の著書
『左手のことば』(日貿出版社 1990)の巻末のエッセイで、
先生から右手で字を書くように言われた経験を語っています。
《先生の考えの中での「左手は悪」という既成概念に対する抵抗だね。》

大路さんも発言されているように、肉体的に左手を封じられて、
というケースもよく聞いています。
私の親は「自分の子供を叩くなんてできない」という人でしたので、
左手の人差し指に小さな灸の跡があるくらいです。

とにかく、左利きに対する偏見が残っている時代でした。
偏見があるので、差別にもつながってゆきます。

左利きであるというだけで、全人格を否定するような発言が、
大人たちのあいだから聞かされることがありました。
子供たちもそういう大人たちの影響を受けて、意味も分からないままに、
「ぎっちょ、ぎっちょ」とはやし立てたものでした。

それゆえ、私自身も「左利き=できれば隠しておいた方がいいこと」
といった意識は刷り込まれていました。

このように、過去の問題について語るのは、私自身、正直心が痛むので、
(大路さんのように)躾の問題としておく方が、
私のような被害者から見ますと、精神衛生上は良いのかも知れませんね。

【追記:2025/9/6】

『左ききでいこう!―愛すべき21世紀の個性のために―』(大路直哉・フェリシモ左きき友の会/編著 フェリシモ)の「chapter2 「フェリシモ左きき友の会」誕生以前に「左利き友の会」があった!?」の中に、箱崎「左利き友の会」のスローガン『左利き党宣言』六ヶ条が紹介されていました(p.49)。
1.一、右利きが優遇されている右手偏重の社会を改善しよう。
2.一、左利きの無理な矯正はやめよう。
3.一、左利きのための道具を安く作ろう。
4.一、左利きは異常でないという考え方を普及しよう。
5.一、左利きであるための劣等感を消し去るための精神衛生を普及しよう。
6.一、左利きの人権宣言をしよう。

昨今の左利きの状況を考えますと、これら六ヶ条のうちある程度成果が認められるものは、2番目の「矯正」云々と、3番目の「道具を安く」の一部は大路さん言うところの「100均でも」を当てはめれば、まずはありということにしておきましょう。
そして、私が左利きの過去に関して発言していたのは、この4および5「左利きは異常ではない」であり、「左利きであるための劣等感」に当たる部分です。
これが大きな問題として存在していたのです。
今ではかなり解消された、といっていいのかも知れません。
それゆえ、このへんのところを今の若い人たちはあまり意識されていないのではないか、という気がします。
過去にそういう問題があったのだという事実と、(主に年配の人で)今も苦しんでいる人が存在するということを、忘れないでいてほしいと思います。

――【追記】以上。

*参照:
『左手のことば』秋山孝 日貿出版社 1990.6
(Amazonで見る)

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『左ききでいこう!―愛すべき21世紀の個性のために―』(大路直哉・フェリシモ左きき友の会/編著 フェリシモ出版 2000/6/1)
(Amazonで見る) 

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 ●「左利き」だけ放課後に残って、右手で文字を書く練習をしたことも

めずらしく大路さん自身の左利き体験が語られています。

3冊の本(『見えざる左手』『左ききでいこう!』『左利きの言い分』)
を見ても、ほとんどご自身について語ることがなかっただけに、
今回、過去の左利きの実状紹介ということで初めて明かされた、
といっても過言ではないかも知れません。

人に聞いた話よりご自身の話の方がよいだろう、
という選択だったかと思います。

 《小学校に入学した直後の放課後に、数回、左利きの児童だけが
  集められて、右手で文字を書く指導っていうのがあったんです。
  当時の光景を思い出すと、1年生の担任教師の多くがベテランの
  先生だったわけです。
  とくに昭和1ケタ世代の人だったので、右利き社会ゆえに左利きを
  特別視した、ある意味老婆心だったと思うんですよね。》

左利きのメンバーだけで、右手で字を書く練習をする、
というお話を聞きますと、ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス
さんの短篇小説「左ぎっちょクラブ」を思い出します。

私の経験を話しますと、私の左利きが直らないので心配した母親が、
小学校入学時に担任の先生に相談したとき、
「左利きは左利きのままでいい」という回答をえて、
それ以来、私の左利きは家でも学校でも公認されたものでした。
後年、色々な人に聞いてみたところ、これは、当時としては、
かなり進歩的な考え方だったようです。

のちに聞いた話では、同年代はおろか、もう少し下の世代でも
親や先生から右手使いを指導された、という人は少なくないのでした。
そういう意味では、私は恵まれた環境育ちだった、といえる方でしょう。

*参照:
『僕の緑の芝生』ギュンター・グラス 飯吉光夫訳 小沢書店 1993.10
(「左ぎっちょクラブ」1958を収録)
(Amazonで見る)

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《僕らの綱領には、右手が左手と同じになるまで、決して怠けぬこと、
 と書いてある。/この箇条がどれほど力強く決意にみちていようとも、
 こんな申し合わせはまったくのナンセンスである。
 こんなことできようはずがない。僕たちのクラブの最右翼は
 もうしばらくここから、こんな条件は削りとって、代わりに、
 われわれはわれわれの左手を誇りに思う、われわれは生まれつきの
 左ぎっちょを恥と思わない、とでも書き直すべきである
 と主張してきた。》

 

 ●今の若い人は、左利きを気にしていない?

以下は、この記事の担当者「恒藤泰輝」さんの言葉です。

 《近年では、
  このような矯正や左利きへの蔑視はなくなりつつありますが、
  まだまだ生活環境において左利きが不便さを感じることは多いです。
  私自身も左利きで、小さい頃からいろいろと不便に感じることが
  多かったです。/とくに不便だったのが、書道の毛筆です。》

恒藤さんのお便りから私の受けた感じでは、
左利きとしての「被害者意識」がかなり薄い、というものでした。

不便さはあるけれど、自分がちょっとガマンすれば済む問題、
と考えているような印象を受けました。

最近、お医者さんの受付で、左手にボールペンを持って書いている
20歳過ぎぐらいの女性がいました。
「ひだり?」と聞いたら、ハイとの返事。
「ぼくといっしょ、全部ひだり」といい、続けて、
「昔は色々言われた」といいますと、
「へえー」と心から驚いたような反応が見られました。

それ以上のお話はできませんでしたが、改めて、
今の若い左利きの人は、左利きを気にしていないらしい、と感じました。
本人だけでなく、まわりの人たちからも。

昔のように、問答無用で「左利き」=「悪」というレッテルが貼られる、
もしくはそれに近い状況ではなくなった、ということのようです。

それ自体は良いことだとは思うのですが、
それゆえに、左利きの人自身が、左利きの不便な部分を改善してゆこう、
という意欲や熱意というものが薄れてしまうのは、
やはり問題だと思うのです。

 ・・・

この番組の紹介は、この一回で済ませるつもりでしたが、
今まであまり書かなかった昔話など長くなってしまい、
次号で後半を紹介しながら、私の感想、および私の伝えたい考えを
述べたいと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 特別編:ラジオ「人権TODAY」8月30日放送分(前半)」と題して、今回は全紹介です。

本文中にも書きましたが、大路さんが私のことも紹介していただき、取材の許可など連絡をいただきました。
ただ、諸般の事情もあり、残念ながらお断りしました。
一番の理由はやはり時間的な制約ですね。もうちょっと考えをまとめる時間がほしいところです。
限られた時間で簡潔に自分の考えを述べるというのは、やはり難しい。
普段から考えていることを結論だけ述べれば良いのでしょうけれど。

私は、左利きの人自身の行動が不足しているように感じています。
そこで私の結論的には、左利きの人自身がもっと発言して、右利きの人たちに状況を理解してもらい、右利きの人だけでなく左利きの人にも優しい社会、左右平等、左右共存の社会に変えてゆきましょう、となります。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

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