週刊ヒッキイ第691号-楽器における左利きの世界(33)まつのじんさんのご意見(2)右手と左手
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)
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第691号(Vol.21 no.12/No.691) 2025/8/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
楽器における左利きの世界(33)
過去のブ左利きのヴァイオリニストまつのじん(松野迅)さんの
ご意見から考える(2)右手と左手・他」
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【左利きを考える レフティやすおの左組通信】メールマガジン
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第691号(Vol.21 no.12/No.691) 2025/8/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
楽器における左利きの世界(33)
過去のブ左利きのヴァイオリニストまつのじん(松野迅)さんの
ご意見から考える(2)右手と左手・他」
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前々回、過去6回に渡ってご紹介しました、
左利きのヴァイオリニストまつのじん(松野迅)さんの
左利きに関するサイト、エッセイ集の左利きに関する文章をヒントに、
私なりに左利きにおける楽器の演奏について考えようという企画の下、
私自身の「うれしかった情報」について書きました。
今回は、その二回目です。
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◆ <めざせ!実現!!左用ピアノ!!!>プロジェクト ◆
{左利きの人は左利き用の楽器で演奏しよう!}
- 「左利きに優しい社会」づくりは左用楽器の普及から! -
左利きと楽器演奏について考える
左利きのヴァイオリニスト・まつのじん(松野迅)さんの
ご意見から考える(2)右手と左手・他
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●まつのじん(松野仁)さんの左利きエッセイ
まつのじん(松野仁)さんの本とサイトの左利きエッセイは下のとおり
↓
著作:
『すみれのスミレの花かご ヴァイオリンのある喫茶室』松野迅
未來社 1992/1/1
a.「II マイ・プライベート・ライフ」<涙のひだりきき>
第676号(Vol.20 no.21/No.676) 2024/12/7
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
楽器における左利きの世界(27)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(2)」
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週刊ヒッキイ第676号-告知-楽器における左利きの世界(27)まつのじん(2)
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/12/post-55f0a7.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/3b193894c6d7a3499fa16569f8282e7a
サイト:
まつのじんのエッセイ&書評 Essays(Japanese)
b.「ゴーシュからの左右考」2019年7月27日
http://mjin.m1001.coreserver.jp/2019/07/27/%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%83%a5%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e5%b7%a6%e5%8f%b3%e8%80%83/
第674号(Vol.20 no.19/No.674) 2024/11/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
楽器における左利きの世界(26)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(1)」
【最新号・告知】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.11.02
週刊ヒッキイ第674号-告知-楽器における左利きの世界(26)まつのじん(1)
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/11/post-9afc9f.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/c61c87eab970c035e076d6c9e5e0876d
c.「左ききは、アカン!? WHO is LEFTY■(?の倒立像)」
(2019年8月13日)
http://mjin.m1001.coreserver.jp/%e3%83%92%e3%83%80%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/
●利き手は、「好み」と「巧みさ」
b.「ゴーシュからの左右考」から――
《わたくし、まつのじんは、
幼い頃からヴァイオリンを演奏してまいりました。
楽器(Violin)を左手に、弓(Bow)を右手に持って演奏しています。
(略)
幸せなことに私は左利きで、同時に「左手利き」です。
ヴァイオリンを演奏する際、私の右手が持つ弓はなかなか思い通りに
動いてはくれません。私はそれもひとつの個性と捉えながら、
今もなお楽しく、時に厳しくつきあっています。》
「左手利き」なので、
《私の右手が持つ弓はなかなか思い通りに動いてはくれません。》
といいます。
当然といえば当然のことでしょう。
だって、「左手利き」なんだもん! です。
利き手というものには、二つの性質があります。
一つは「好み」といわれるもの。
もう一つは「巧みさ」です。
「好み」というのは、
特に理由はない(理由は利き手だから、です!)のですが、
「つい使ってしまう側の手」ということです。
「巧みさ」は、説明の必要はないでしょう。
で、この二つの性質を鑑みて、先のまつのさんの言葉がいかに当然か、
は分かりますよね。
利き手ではない右手が思い通り動いてくれない、当然のことでしょう。
●「まつのじん稽古場」
このあと、
《「まつのじん稽古場」には、左(手)利きの方々が
自然に参集しています。》
とあります。
これも当然のことでしょう。
《楽器や社会、そして人間関係と向き合う中で、各々が悩みと苦闘の
体験の末に出逢った、かけがえのない接点を持っているのです。》
同じ悩みを共有できる「仲間」「同志」なのですから。
私にもこれだけの師匠がいれば、もっと活躍できたのでしょうけれど、
残念ながら、出会う機会がありませんでした。
今ならいろんなSNSなどでつながりを持つ機会がありますけれど。
昔は今のように知らない人同士で出会う機会が少なかったのです。
左利きは「組織化されていない数少ない少数派」といった言い方を
されます。
しかし、それはあくまでも、漠とした共通性のない現場でのことです。
「まつのじん稽古場」のような親密な集団が生まれるケースは、
実際の仕事上の困難さによるのでしょう。
音楽家、なかでもヴァイオリニストのような人々は、
非常に限られた職人さんというイメージですので、
そういう特殊な職業の場合には、また違うのかも知れません。
次に紹介します、まつのさんの著作にこうあります。
《 左利き特有の演奏上の苦労は、本当は左利き同士でないと
分かり合えないだろうと思う。》
《 人知れぬ苦労を
胸にしまって、左利きは成長していくのだ。》p.100
●左利きのままで育つ
a.『すみれのスミレの花かご』
「II マイ・プライベート・ライフ」<涙のひだりきき>から――
《 小学校に入る前から、僕は左利きだった。文字を書くのも、
絵を描くのも、箸を持つのも左である。それで、
不自由を感じたことは、子供の頃はただの一度もなかった。
しかし、いろんな人から言われて戸惑った記憶はある。
「お箸を持つ手が右手で、お茶碗を持つのが左手でしょ」。
その度に、ずいぶん困ったのである。》p.96
子供の頃から「左利き」で、
字も箸もという典型的な「左利き」だったようです。
「右と左」の混乱は、左利きの子供によくある悩みですね。
左利きの子にとっての最初で最大の危機というものがあります。
それは、左利きの「矯正」(右手使いへの転換させられること)、
もしくは「強制」です。
《さいわい、僕には誰も、そんな強制はしなかった。》
これはよかったですね、と私は思います。
人間として当然のことなのですけれど、自然なままで育つのが一番です。
「社会がこうだから~」云々ではなく、自分本位でいいのです。
だって、右利きの人はそういう風に育っているわけじゃないですか。
それで誰も「アカン!」とか、何もいわないわけですから。
右利きが右利きのままでいいのなら、
左利きも左利きのままでなぜいけないのでしょうか?
●右利き社会の実態と左利き
《左利きの人間は、右利きの人が気づかないところで、
右利き社会のギャップとたたかいながら、
さまざまな不便さを味わっているのである。》p.97
例として、よくあることですが、ハサミがあげられています。
まつのさんは、左手ではなく右手で使うそうです。
こういう人も多いようです。
子供なりの知恵なのでしょう。
通常のハサミは右手用ですので、右手用なので右手で使う、というのは、
当然のことなのでしょうけれど、私には思いつかないことでした。
ヴァイオリンもまた右利き用なので、左利きとの関係は?
《 じつは、関係がないどころか、大ありなのである。
ヴァイオリンをはじめ、すべての楽器の演奏が、右利きに適した
構造になっている。とりわけ弦楽器は、
左手で弦を押さえるだけでは音は出ない仕掛けになっている。
弓で弾いたり、弦をはじいたり……、
つまり右手が音を出す手段となっているのである。》p.99
音を出すのが、音楽の基本です。
“音を楽しむ”と書くぐらいですから。
そして、“音を楽しむ”のは心の作用です。
私の持論は、いつもいいますように、「利き手は心につながっている」。
すなわち心の作用を演じるのは、利き手です。
「利き手で音を出せない楽器」=「楽器ではない」
といっても過言ではない、というのが私の考えになります。
左手の動きと右手の動きについては、こうあります。
《 ヴァイオリン演奏は、左手が細かく動くので、右手より左手の
ほうがむずかしいように見えるのだが、じつは逆なのだ。》p.99
《 右手、つまりヴァイオリニストにとっては弓を持つ手の方が、
音量、奏法ともにむずかしいのである。だから右利きの人なら、
何も考えなくてもできるテクニックが、左利きの僕らには、
ときに非常に困難なものになったりもする。》p.99
右利きの人なら《考えなくても》勝手にできてしまう演奏テクニックが、
左利きの人には難しい、といいます。
なるほど、ですね。
この《考えなくても》という点がポイントです。
自然にできてしまう、これが利き手の不思議なのです!
《 その代わり、左手のビブラートなどの、細かい音色の変化を
表現することなどでは、何の不自由も感じないのである。》
このへんが、
「“左手の方が難しいから”左利きの人でも右利き用でいいのだ」
といった右利きの人の発言につながってきます。
しかし、何度も言いますが、音を出す方の手が本来の主役です!
左手でいかに巧みに弦を押さえて見せても、音は鳴りません。
巧みに弓を弾いてこそ、音が出て、名演奏ともなるのです。
●左用のヴァイオリンとその演奏へのまつのさんの感想
ヴァイオリンにも、左用に作り替えた楽器がある、といいます。
《 弦を左右張り替えたり、内部の魂柱(こんちゅう)(表板と裏板を
つなぐ柱。これによって音の振幅を広げる)やバスバー(力木=
低音を響かせるために表板の裏につけられた板)をチェンジしたり
しなければならないそうだ。/ でも、そのために名器を改造した、
などという勇ましい話は聞いたことがない。》p.100
こういう事情もあってか、「名器を弾きたければ右利きで」といった
「迷言?」が出て来るのでしょうか。
名器といっても、所詮は人間が作ったもの、
今後はどうなるのかわかりません。
ストラディヴァリウスも、世界中で数百台とか。
いってみれば、メジャーリーグのレギュラー選手の数ぐらいでしょうか。
日本のプロ野球選手にも、
メジャー級の選手もいるのではないでしょうか。
メジャーだけがメジャー級ではないはずです。
さらに、準メジャー級といえる選手も、当然いるでしょう。
名器だけが名器ではないのでは?
少なくともストラディヴァリウスだけが名器ではないでしょう。
どこかのだれかのお言葉ではありませんが、「二番じゃダメなんですか」
ならぬ「名器でなくちゃダメなんですか?」みたいな。
もちろん、実力があれば試してみたいと思うのが人情です。
でも「オレが名器を作る」ぐらいの意気込みではダメなのでしょうか。
名器を上回るほどの左弾きの名手になる、というのでは?
そして、
ドイツの楽団の中に左利き用のヴァイオリンで演奏している人を見た、
まつのさんの感想です。
《(隣りの人と弓がぶつからないかなぁ?)などと、余計な心配ばかり
しながら、演奏を聴いたのを覚えている。》p.101
このへんは、事情を知っているゆえの心配ごとなのでしょう。
それで演奏を聞くのに身が入らない、ということはあるかも知れません。
右利きの人たちも、そういう余計な“雑音”に気を取られてしまう、
ということはあるかも知れませんね。
だから、(右利きとは違う“異端”? の存在の「左利き」は)嫌だと。
・・・
――次回は、c.「左ききは、アカン!? WHO is LEFTY■(?の倒立像)」
から、主に「左利きヴァイオリニストあるある」についてのご意見を
みてみましょう。
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本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 楽器における左利きの世界(33)左利きのヴァイオリニストまつのじん(松野迅)さんのご意見から考える(2)右手と左手・他」と題して、今回は全紹介です。
左利きのまつのじんさんの左利きエッセイから、左弾きのヴァイオリニストとしての左利きに関する専門的なご意見を、<左利きライフ研究家>としての左利きの観点から改めて紹介しています。
・・・
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