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2025.05.31

中国の古典編―漢詩を読んでみよう(34)陶淵明(11)「帰去来の辞」1-楽しい読書389号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号・告知】

2025(令和7)年5月31日号(vol.18 no.9/No.389)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(34)陶淵明(11)
さあ、帰ろう「帰去来の辞」1」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2025(令和7)年5月31日号(vol.18 no.9/No.389)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(34)陶淵明(11)
さあ、帰ろう「帰去来の辞」1」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」陶淵明の11回目です。

 陶淵明編もいよいよ最後の一篇となります。
 
 今回は、『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より、
 <さあ、帰ろう>「帰去来の辞」の詩を読んでみます。

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◆ 決意の詩 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(33)

  ~ 陶淵明(11)さあ、帰ろう ~ 
 
  「帰去来の辞」第一段から第三段まで

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今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より
(Amazonで見る)『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』

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 ●「帰去来の辞」について

「帰去来兮辞(帰去来の辞)」は、本文は四段からなる本文の前に
「序」文が付いています。
そこには、いかなる理由で官職を辞め帰郷するのか、が綴られています。

貧しい生活の中で子供たちを食わせるために仕官した。
しかし少日にして帰りたいという気持ちになった。
役人の生活は自分には向いていない。
自分の理想とする生き方ではない。
妹が死んだのを機に、葬儀に行くのを理由に職を辞めることにした。
云々。
その末尾に日付があり、四十一歳の時のことと分かります。

いよいよ自分の理想とする生活に入ってゆくぞ、という決意の詩であり、
田園作家とも言われる陶淵明さんの代表作といわれています。

 

 ●「帰去来の辞」(第一段)

「帰去来の辞」は、四十一歳で官職を辞めて、その翌年の春、
隠居生活が始まった直後に作った詩。

 《“これからやるぞ”と意気盛んな、言ってみれば人生で一番
  高揚していた頃の作品で、彼の一般的なイメージを形づくった
  代表作です。》p.400

どういう場で詠まれたのかはわからないようですが、
 《親戚が集まった宴会、退職のご苦労様会で発表された雰囲気があ》る
と、宇野さんの解説。

内容は、
 《第一・第二段がひとまとまりで、官職を退いて帰郷し、落ち着いた
  ところまでの描写。第三・第四段は、“さあこれからだ”の決意表明
  で、思想的な要素が入って来ます。》同上

 

帰去来兮辞    帰去来の辞(ききよらい)の(じ)   陶淵明

(第一段)

帰去来兮      帰(かへ)りなん いざ
田園将蕪胡不帰   田園(でんえん) 将(まさ)に蕪(あ)れんとす
           胡(なん)ぞ帰(かへ)らざる

既自以心為形役   既(すで)に自(みづか)ら心(こころ)を以(もつ)て
          形(かたち)の役(えき)と為(な)す
奚惆悵而独悲    奚(なん)ぞ惆悵(ちゆうちよう)として
          独(ひと)り悲(かな)しまん
悟已往之不諫    已往(いおう)の諫(いさ)められざるを悟(さと)り
知来者之可追    来者(らいしや)の追(お)ふ可(べ)きを知(し)る
実迷途其未遠    実(まこと)に途(みち)に迷(まよ)ふこと
           其(そ)れ未(いま)だ遠(とほ)からず
覚今是而昨非    今(いま)の是(ぜ)にして
           昨(さく)の非(ひ)なるを覚(さと)る

舟遙遙以輕颺    舟(ふね)は遙遙(ようよう)として
          以(もつ)て軽(かろ)く颺(あが)り
風飄飄而吹衣    風(かぜ)は飄飄(ひようひよう)として
          衣(ころも)を吹(ふ)く
問征夫以前路    征夫(せいふ)に問(と)ふに
          前路(ぜんろ)を以(もつ)てし
恨晨光之熹微    晨光(しんこう)の熹微(きび)なるを恨(うら)む

 

 さあ、帰ろう
 我が家の畑も庭も、今ごろは荒れ果てているだろう
  さあ、帰ろうではないか

 私はこれまで自ら、心を肉体の奴隷にして来た
 しかしどうして今さら打ちしおれ、一人で悲しんでいることがあろうか
 過ぎた事はもはや改められないと悟り
 今後の事はまだ追いかけて間に合うとわかったのだ
 まことに私は人生の道に迷ったとは言うものの、
  決して深入りはしていない
 今の気持ちは正しくて、昨日までの気持ちは間違っていたんだ

 故郷に向かう舟はゆったりと風を受けて、軽やかに進む
 風はひらひらと我が衣の袖をふいている
 舟を操る船頭さんに先の道のりを尋ねたが
 日の光が弱くてよく見えないのが残念である

 

「帰去来兮」は、「帰りなん いざ」と読む。
動詞の「帰る」に方向性を示す「去」がついて「帰去」=「帰って行く」。
「来」は言葉の終わりにつける助詞で、ここでは促す意味で、
「いざ」という大和言葉が一番合うだろう、と。
「兮」は『楚辞』風の歌には必ず入っている。
「~の辞」という題が『楚辞』系列の作品であることを示す。
陶淵明は、南国の人で、『楚辞』に親近感があるのでは、と宇野さん。
「胡ぞ~ざる」は“ぜひ~しよう、ぜひ~しなさい”など勧誘の気持ち。

次の六句、今までの生活の反省
本心を曲げて官職を続けてしまった。
官職に就いたのも自分の責任、悲しんでいる暇はない。
「過ぎた事」とは役人になったこと。

「軽く颺り」は「軽やかに進む」。
「征夫」は船頭で、「晨光」は日の光、「熹微」は微かなようす。

 

 ●「帰去来の辞」(第二段)

第二段は、いよいよ実家についた心境やようす、家族たちの出迎え、
庭の描写など。

 

(第二段)

乃瞻衡宇     乃(すなは)ち 衡宇(こうう)を瞻(み)
載欣載奔     載(すなは)ち欣(よろこ)び 載(すなは)ち奔(はし)る
僮僕歓迎     僮僕(どうぼく) 歓(よろこ)び迎(むか)へ
稚子候門     稚子(ちし) 門(もん)に候(ま)つ

三逕就荒     三逕(さんけい) 荒(こう)に就(つ)けども
松菊猶存     松菊(しようきく) 猶(なほ) 存(そん)す
携幼入室     幼(よう)を携(たずさ)へ 室(しつ)に入(い)れば
有酒盈樽     酒(さけ)有(あ)りて 樽(たる)に盈(み)てり
引壺觴以自酌   壺觴(こしよう)を引(ひ)いて
          以(もつ)て自(みづか)ら酌(く)み
眄庭柯以怡顏   庭柯(ていか)を眄(かへり)みて
          以(もつ)て顏(かんばせ)を怡(よろこ)ばしむ
倚南窓以寄傲   南窓(なんそう)に倚(よ)りて
          以(もつ)て傲(ごう)を寄(よ)せ
審容膝之易安   膝(ひざ)を容(い)るるの安(やす)んじ
          易(やす)きを審(つまび)らかにす

園日渉以成趣   園(その)は日(ひ)に渉(わた)つて
          以(もつ)て趣(おもむき)を成(な)し
門雖設而常関   門(もん)は設(まう)くと雖(いえど)も
          常(つね)に関(とざ)せり
策扶老以流憩   策(つゑ)もて老(お)いを扶(たす)けて 
          以(もつ)て流憩(りゆうけい)し
時矯首而遐観   時(とき)に首(かうべ)を矯(あ)げて遐観(かかん)す
雲無心以出岫   雲(くも)は無心(むしん)にして
          以(もつ)て岫(しゆう)を出(い)で
鳥倦飛而知還   鳥(とり)は飛(と)ぶに倦(う)みて
          還(かへ)るを知(し)る
景翳翳以将入   景(ひ)は翳翳(えいえい)として
          以(もつ)て将(まさ)に入(い)らんとし 
撫孤松而盤桓   孤松(こしよう)を撫(ぶ)して 盤桓(ばんかん)す

 

 ようやく我が家の門や屋根が目に入り
 私は喜びのあまり、走りつつ帰って行った
 召使いや使用人たちは喜んで迎えに出てきてくれ
 幼い子供たちは門のところで待っていてくれた

 門を入ると、庭の三つの道は荒れ始めていた
 松や菊はまだしっかり残っていた
 幼い子の手を引いて部屋に入ると、
 お祝いの酒がたるいっぱいに満たされていた
 徳利と杯を引き寄せて手酌で飲みながら
 庭の木の枝を眺めて表情をやわらげる
 南の窓に寄りかかって、ゆったりとくつろぎ
 この狭い家もそれなりに落ち着きやすいことがよくわかった

 庭は日毎によい趣になってゆく
 我が家の門はあることはあるが、つねに閉ざされている
 杖をついて、老いに近づいた私の歩みを助け、
 あちこちで気ままに休憩しながら散歩し
 時々首を上げて辺りを見回す
 雲は無心に山のほら穴から出て来る
 鳥たちは飛ぶのに疲れて巣に帰ることを知っている
 やがて日の光は薄暗くかげり、いよいよ沈もうとするが
 庭に一本だけ立つ松の木をなで、去るにしのびずたたずんでいる

 

「衡宇」は家の門と屋根。
「載ち欣び 載ち奔る」で「喜びながら走った」が直訳。
「稚子」は、「子を責む」の五人の子供たち、逆算すると、
長男十四歳ぐらい、末っ子が七歳なので。
「三逕」は、三つの道――門から通じていく道・裏門の道・井戸への道
――この作品以後は隠者の住みかの代名詞となる。
「傲」は“たのしみ、気まま”の意。
「膝を容るる」は、左右の膝がやっと入るぐらいの空間、部屋が狭いこと。
「園」は庭。季節は春で、木や草の緑が濃くなり、花も咲く。
訪ねてくるうるさいお客さんがいない。
「流憩」は、あちこちで休憩すること、気ままな生活。

「時矯首而遐観」からの四句は有名で、独立して引用される。
なぜこれが名句なのかわかりにくいが――
 《“動物たちや万物はみんな自らの分に安んじている”
  という意味でしょうか。“功名心を捨てて辞職し、
  故郷に帰った自分も彼らと同じになったんだなあ”
  というたとえかな。》p.405

「岫」は、山にある洞穴――
古代中国では雲は山の洞穴から湧いて出て来るという言い伝えがある。
“雲が山から出る”は、よく隠者の暮らしのたとえとして使われれる。

松も陶淵明の詩によく出て来る。
 《常緑樹の松は、節操を変えない信念の人を表わすので、
  そこに共感を覚えて
  「やっと自分も松の木のように節操をまっとうできるぞ」
  といった心境なんでしょうか。》p.405

 

 ●「帰去来の辞」(第三段)

帰去来兮      帰(かへ)りなん いざ
請息交以絶游   請(こ)ふ 交(まじ)はりを息(や)めて
          以(もつ)て游(ゆう)を絶(た)たん
世与我而相違   世(よ)と我(われ)と 相違(あいたが)ふ
復駕言兮焉求   復(ま)た駕(が)して
          言(ここ)に焉(なに)をか求(もと)めん

悅親戚之情話   親戚(しんせき)の情話(じようわ)を悅(よろこ)び
楽琴書以消憂   琴書(きんしよ)を楽(たの)しんで
          以(もつ)て憂(うれ)ひを消(け)さん
農人告余以春及  農人(のうじん) 余(よ)に告(つ)ぐるに
          春(はる)の及(およ)べるを以(もつ)てし
将有事於西疇   将(まさ)に西疇(せいちゆう)に於(お)いて
          事(こと)有(あ)らんとす

或命巾車     或(ある)いは巾車(きんしや)を命(めい)じ
或棹孤舟     或(ある)いは孤舟(こしゆう)に棹(さお)さす
既窈窕以尋壑   既(すで)に窈窕(ようちよう)として
          以(もつ)て壑(たに)を尋(たづ)ね
亦崎嶇而経丘   亦(また)崎嶇(きく)として丘(をか)を経(ふ)

木欣欣以向栄   木(き)は欣欣(きんきん)として
          以(もつ)て栄(えい)に向(むか)ひ
泉涓涓而始流   泉(いづみ)は涓涓(けんけん)として
          始(はじ)めて流(なが)る
善万物之得時   万物(ばんぶつ)の
          時(とき)を得(え)たるを善(よみ)し
感吾生之行休   吾(わ)が生(せい)の行ゝ(ゆくゆく)
         休(きゆう)するに感(かん)ず

 さあ、帰ってきたぞ
 どうかこれからは社交を断ち切って、
  世の人々との交友もきっぱり辞めよう
 世の中と私とは、お互いに忘れてしまおう
 ふたたび車に乗って宮仕えをして、何を求めるというのか
 
 これからはそれよりも親戚の真心のある話、
  社交辞令ではない心からの会話、
 また琴や書物を楽しんで心配ごとを消そう
 我が荘園の農夫たちは、私に春がやって来たことを告げる
 これから西の畑でたいへんな事が始まりそうだ

 或る時は蔽いをかけたくるまに命じて陸地を行き、
 或る時は一艘の小舟に棹さして川を行こう
 深い山道をどこまでも辿り、谷川の奥を訪ね、
 険しい山道を通って丘を越えたりしよう

 木々は生き生きとして青葉が茂り、花を咲かせて
 山中の泉は、なみなみと水量も増えて盛んに流れ始めるであろう
 そんなふうに、私は万物が春の時節を得て栄えるのを楽しく眺める
 一方で、自分の人生がだんだん終わりに近づくことに
 ふと感傷を覚えたりするであろう

 

「来」は、“達成された”という意味もあり、前からの続きで言えば、
もう帰っているので、「さあ、帰ってきたぞ」ぐらいの感じ。

 《最初の四句は世の中への絶縁状というか、“もう役人社会はいい”
  というきっぱりした宣言です。》p.407

 

「請ふ~せん」は“どうか~したい”という請願の形。
「駕す」は、動詞で“馬車に馬をつける、馬に乗る”の意味だが、
“官職に就く、仕官する”ことを示す。

 《位が高くなると自分では歩かず馬車に乗りますから。だからここは
  “もう宮仕えはしない”という宣言です》

次の八句は、具体的な時間の過ごし方。
「~するに……を以てす」は漢文によく出て来る形で、下から訳すと
わかりやすい。
(八句の後半の)四句は暇な時間の過ごし方。
「或る時は~、また或る時は~」の形で、あちこち散歩をする。
ゆとりのある生活の始まる雰囲気。
「窈窕」は、深く遠い様子を表わす形容詞。
そんなときに目に映る景色の描写、感慨。
「栄に向ふ」は、花や葉が盛んになっていくようす。
「善す」は、“いいと思う、感心する”。

 ・・・

四段中の三段目が終わったところで、ちょっと中途半端になりますが、
分量的に今回はこのへんで。

次回は最後の段になります。

あと少し、まとめ的な文章を書いておく予定です。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(34)陶淵明(11)さあ、帰ろう「帰去来の辞」1」と題して、今回も全文転載紹介です。

本文にも書いていますように、分量的に一回ではむずかしく、中途半端ではありますが、第三段で区切りました。
次号をお読みの際、前段まではどうだったかしら、という読者のためもあり、今回も全文紹介です。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

 

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※本稿は、レフティやすおの他のブログ『レフティやすおの新しい生活を始めよう』に転載しています。
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2025.05.17

週刊ヒッキイ第686号-『左組通信』復活計画[37]『LL』復刻(10)LL10 1996年秋号(後)

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)

【最新号】

第686号(Vol.21 no.9/No.686) 2025/5/17
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [37]
『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(10)
LL10 1996(平成8)年 秋号(後半)」

 

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【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第686号(Vol.21 no.9/No.686) 2025/5/17
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [37]
『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(10)
LL10 1996(平成8)年 秋号(後半)」
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 久しぶりに今回は、
 季刊誌『LL(レフティーズ・ライフ)』の復刻です。

 今回も新規入力分で、
 すなわち「ネット初公開!」――ということになります。

 今回は、前回に引き続き、LL第10号の後半をお送りします。

 

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓

ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [37]

  『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻 (10)
 
   (内容紹介)LL10 1996(平成8)年 秋号(後半)

┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

 

*(参照)――

・メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第43号(No.43) 2006/8/12
<「国際左利きの日」記念号>「私にとっての左利き活動(3)」
 ■レフティやすおの左利き活動万歳■ ―隔号掲載―
私にとっての左利き活動(3)『LL』の時代
(参照)※『レフティやすおの左組通信』のページ
○レフティやすおの左利き自分史年表
○レフティーズ・ライフ(LL)再録(1)全号目次 

・メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第602号(No.602) 2021/9/4
「創刊600号突破記念―
 私が影響を受けた左利き研究家・活動家(2)第二期・紙の時代―その1」
・ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』2021.9.4
私が影響を受けた左利き研究家・活動家(2)第二期・紙の時代1
(創刊600号突破記念)-週刊ヒッキイ第602号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2021/09/post-57d0e5.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/e2aaaa56a6400bcc04d24d46a47d1d03

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 ●『Lefties' Lifeレフティーズ・ライフ』LL10 概要

 

LL10 1996(平成8)年 秋号 A5版 8ページ

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前説 The Compliments of the FALL Issue
―特集“左利きを科学する”(1)
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左利きの生活 To Live In The Right-Handed World
―あなたの<左利き度>をしらべてみよう!
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■その1■…………………………………………………………………………
 スタンレー・コリン著 石山鈴子訳『左利きは危険がいっぱい』
    ((c)1992) 文藝春秋 刊より

 

(1) 利き手調査――あなたの利き手を調べてみましょう。
(2) 利き足調査――あなたの利き足はどちらでしょうか。
(3) 利き目調査――あなたの利き目はどちらでしょうか。
(4) 利き耳調査――あなたの利き耳はどちらでしょうか。
------------------------------------------------------------------
■その2■…………………………………………………………………………
 前原勝矢著 『右利き・左利きの科学』((c)1989)
  講談社ブルーバックス 刊 より
側性係数(LQ)を用いて利き手の程度を数値で確認してみよう
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左利きの本だなぁ その8 お勉強編
 前原勝矢著『右利き・左利きの科学 利き手・利き足・利き目・
  利き耳…』講談社ブルーバックス (c)1989
―<あなたの左利き度をしらべてみよう>その2で引用した本。
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左利き用の道具を知っていますか? 使ったことがありますか?
 その9 Left-handed tools & goods
いつもポケットにウェンガー WENGER
―ウェンガー・スイス・アーミーナイフ レフトハンダー・シリーズ
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右側の席から/左側の席から (読者のお便りコーナー)
Letters from the right/left side seats
―右側の席から/左利き用品メーカーより/左側の席から
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左利きのテキスト本紹介
―全巻左利きに関するもの/左利きに関する章を含むもの
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250419-ll10

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 LL10 1996(平成8)年 秋号
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

(後半)5ページから8ページまで

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左利きの本だなぁ その8 お勉強編

 前原勝矢著『右利き・左利きの科学 利き手・利き足・利き目・
  利き耳…』講談社ブルーバックス (c)1989

―<あなたの左利き度をしらべてみよう>その2で引用した本。
------------------------------------------------------------------

 <あなたの左利き度をしらべてみよう>その2で引用したのが、
この本。
 日本人の著者による、「左利き」について書かれた科学的な本の中で
いちばん手に入れやすく、わかりやすい本。

 私がおもしろいと思ったのは、人間の身体は一見左右対称形ではある
が、実は微妙に左右で異なっており、それぞれの役割分担が決められて
いて、その結果、人間が人間として他の動物たちと分かたれることになる
能力を得た、という考え。
 左右の役割分担が人間に言語と道具を作ることを可能にした、という。
そして、この左右の違いを生んだのは、ふたつに分かれた脳―左脳と右脳
―の存在であろう。

 気になるのは、矯正について、「右手利きは多数であり、社会は右手
利きを前提としているのが現状」だから、「さほどの努力を必要としない
程度のことであれば」、郷に入れば郷に従えの「柔軟な姿勢」で「使い手
を変えることは、悪いことでも、恐ろしいことでも」ない、と述べている
点。
 一見まっとうな意見だが、実は「長いものには巻かれろ」の強者の
論理。7年前の著作という時代背景の違いはあるものの、こういう考えの
持ち主が学者と呼ばれる人たちのあいだにも当時まだ存在していたという
状況は、まさに社会がさまざまな差別や偏見を容認していたという事実を
示している。
 前提がまちがっているのだ! 正しくは、右利き左利きにかかわらず
「だれでも…」、「どちらの手でも…」の考え方である。

*『右利き・左利きの科学 利き手・利き足・利き目・利き耳…』
前原勝矢/著 講談社ブルーバック782 1989/6/1
250419-migikiki-hidarikiki-no-kagaku

(Amazonで見る)

 

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左利き用の道具を知っていますか? 使ったことがありますか?
 その9 Left-handed tools & goods

いつもポケットにウェンガー WENGER

―ウェンガー・スイス・アーミーナイフ レフトハンダー・シリーズ
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 私は数年前からこのシリーズのポケットナイフのひとつ<キャンパー・
レフト>を愛用している。特に便利なのがハサミ。小さいけれど切れ味
バツグンで、ちょっとしたときに非常に重宝している。

 ハイカー・レフト、キャンパー・レフト、トラベラー・レフト、
サイクリスト・レフトの4種類。左利き用となると割高になるのが普通
だが、右利き用と同一価格で提供されているのがうれしい。

(*注:以下に、ウェンガーのレフトハンダー・シリーズのカタログから
 写真と説明を転載している。)

250517-wenger

19965-hidarigumituusin-no10-wen_20250516171601

(画像:ウェンガーの日本での発売元だった日本シイベルヘグナーのSさんからいただいた資料を基に作成した、当時並行して出していた新聞『左組通信』第10号(平成8(1996)年5月)「ウェンガー/レフトハンダー・ポケット・ナイフ 紹介号」)

 

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右側の席から/左側の席から (読者のお便りコーナー)
Letters from the right/left side seats

―右側の席から/左利き用品メーカーより/左側の席から
------------------------------------------------------------------

<左側の席から>⇒⇒⇒

【わたしたちはひとりではない】(やすお)

 この夏私の元に一枚の往復はがきが舞い込んだ。
「私は左利きで左利き用に作られた商品を探して各社色々と問い合わせて
いたところミズノKK(お客様商品相談センター)より、やすお様が
新聞を発行されておられるので一度連絡をされたらどうかと住所を教えて
いただきました。」
 と、同じ市内に在住のTさん。
 さっそくお会いして大いに盛り上がり、語り合いました。久々の快感!
溜飲が下がる思いでした。同志とめぐり合えた気分。幕末の志士たちも
きっとこんな気持ちでいたのでしょう!
 Tさんは、非常に熱心に左利き用品を探し、あるいは左利きの人に
とって不便に思われることに関して企業にアピールしてこられた方で、
いろいろと新しい情報を教えていただきました。大いに触発され、新たな
力が湧いてきました。やったるでェー!

 

<左利き用品メーカーより>⇒

▼川嶋工業株式会社・商品企画開発部・Oさん

 先のTさんから教えていただいた左利き調理用品 <サンクラフト>
“愛妻専科”シリーズ・左きき用11品目の製造販売元――

「当社は、家庭用の刃物を中心に、調理用品、卓上用品、製菓用品などを
企画からデザイン、開発、製造販売をさせていただいているメーカーで
ございます。」
「左利きの方々にとって、生活の中で、自分の片腕としてご使用頂ける
ものを提供させて頂けるよう、研究をしております。
 1、幼児専用のはさみは17年前に香川県の幼稚園の先生と一緒に研究
しできあがりましたものです。このとき幼稚園児の中には25%ぐらいの
左利きの子があったかとおもいます。そこで、左利きも同時に製品化し
使用して頂けるようになりました。この時点で価格も右も左も同じで
提供させてもらいました。現在も販売をさせて頂いております。
 2、その後、調理用品につきましても検討をしておりましてようやく
94年、製品化をいたしました。」
「まだまだ、研究を重ねなければ本当に満足していただける物には
なりません。左利きの皆さんにご使用頂きまして、これからもさらに良い
ものに、また新しい物をご提供させていただければと考えております。
左利きの方々が本当に必要とされているものはなにか、共に考え、具体的
に企画し商品開発できればと思います。」

● ていねいな手紙と“愛妻専科”のカタログ、この左利きシリーズを
 紹介した産経新聞の記事と百貨店の広告、そして幼児専用はさみ
 <ちょっきんな>のパンフレット、並びにその開発に当たった大学の
 研究報告の資料を送っていただきました。とても熱心に左利き用品に
 取り組んでおられる、会社の姿勢がうかがえて、たいへんうれしく
 思いました。ぜひとも、この熱意に水をささぬよう、広く左利きの人達
 に使っていただけるように、わが“LL”でも積極的に応援します。
 (やすお)

19968-hidarigumituusin-no11-aisaisenka

(画像1:川嶋工業株式会社・商品企画開発部・Oさんから頂いた資料を基に作成した、当時並行して出していた新聞『左組通信』第11号(平成8(1996)年8月)「サンクラフト愛妻専科 左きき調理用品 紹介号」)

19968-aisaisenka-siryou

(画像2:川嶋工業株式会社・商品企画開発部・Oさんから頂いた資料――産経新聞の記事と百貨店の広告)

 

←←←<右側の席から>

▼両手利きの――――<静岡県のNさん>

「『おっ、来たぞ』内心そんな呟きで、読んでいます。多忙な日々を
送っていると、“LL”のことも忘れがちになってしまうのですが、郵便
受けの中に見つけたりすると何やら心待ちにしていたような気がするので
不思議です。…現在私が一番関心のあるのは、左利きと右脳との関係です
が、もしこれに関する情報等お持ちでしたら、次次次…回でけっこうです
ので特集を組んでください。」

● 今回から、「左利き」について科学する、という特集を始めました。
 とこまで実態に迫れるかわかりませんが、いろんな本をテキストに
 「左利き」の謎にチャレンジしてみます。(やすお)

 

------------------------------------------------------------------
左利きのテキスト本紹介
―全巻左利きに関するもの/左利きに関する章を含むもの
------------------------------------------------------------------

 ここで、私が読んだ範囲で、これはという「左利き」のテキスト本を
紹介しましょう。

 

 ・・・「左利き」について知るための本・・・

◆全巻左利きに関するもの

・『左利きは危険がいっぱい』スタンレー・コレン著 文藝春秋
(原著1992 日本語版1994)刊――“LL”3号/左利きの本だなぁ 参照
・『右利き・左利きの科学』前原勝矢著 講談社ブルーバックス(1989)刊
――“LL”10号/左利きの本だなぁ 参照
・『左ききの人の本』斎藤茂太著 MG出版(1987)刊
 (文庫版)『左利きの人はなぜ才能があるのか』KKベストセラーズ/
 ワニ文庫――“LL”5号/左利きの本だなぁ 参照
・『かくれた左利きと右脳』坂野登著 青木書店(1982)刊

 

◆左利きに関する章を含むもの

・『新版 自然界における左と右』マーティン・ガードナー著
 紀伊國屋書店 刊
・『手と脳―脳の働きを高める手』久保田競著 紀伊國屋書店 刊
・『右脳革命』大前研一編訳/T・R・ブレークスリー 新潮文庫 刊
・『左の脳と右の脳』医学書院 刊

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本誌では、「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [37]『LL(レフティーズ・ライフ)』復刻(10)LL10 1996(平成8)年 秋号(後半)」と題して、今回は全紹介です。

『LL(レフティーズ・ライフ)』第10号 1996(平成8)年 秋号 の(後半)部分です。

第10号にして、
「特集“左利きを科学する”(1)―あなたの<左利き度>をしらべてみよう!」
と意気込んで始めたのですが、その後あれこれあって、日を置いた次号で紙の時代は終わってしまいます。

今思いますと、気負い込みすぎだったのかも知れません。
仕事がだんだん忙しくなり、一方で、こちらの仕事量も自分の能力を超えるような、難しいチャレンジを始めてしまい、過負荷になってしまったようです。

今みたいな、だましだましやるのが私の実力にあったやり方だったのかも知れません。

それでも、結果的にここまでこれたのだから、それはそれで良かったのでしょう。

済んだことを今になってにあれこれいってみても詮無いこと。
とにもかくにも、3年11号(LL1-1994(平成6)年 夏号 ~ LL11 1997(平成9)年 夏号終刊号)がんばったのですから。
その前のはがき大の“新聞”からですと、1991年からですので、6年以上。

まったくの素人が情熱だけでやり遂げたのですから、それなりに、褒めてあげたい気持ちです。
よう、やらはりましたなあ!

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

 

『レフティやすおのお茶でっせ』
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※本稿は、レフティやすおの他のブログ『レフティやすおの新しい生活を始めよう』に転載しています。
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2025.05.15

私の読書論196-<後世への最大遺物>としての紙の本を!-楽しい読書388号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!)

【最新号】

 

2025(令和7)年5月15日号(vol.18 no.8/No.388)
「私の読書論196-<後世への最大遺物>としての紙の本を!」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2025(令和7)年5月15日号(vol.18 no.8/No.388)
「私の読書論196-<後世への最大遺物>としての紙の本を!」
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 ここんところ、この「私の読書論」では、もっぱら<町の本屋論>を
 新聞や書籍の情報を紹介しながら、私なりの本屋論を語ってきました。

 今回は、そちらはいったんお休みして、私個人について書いておこう、
 と思います。

 実はこの4月はけっこう色々なことがありました。

 70歳を超えたぐらいの年齢になりますと、何かがあったと言えば、
 思い浮かぶのは、四苦八苦のうちの「病死」ということになりますが、
 まあ、それに似たもので、「別れ」ですね。
 いくつかの別れの時が来てしまったのです。

 で、その時に思ったことがありました。

 今回はそれについて書いて見よう、と思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 - 私の読書論196 -

  ~ <後世への最大遺物>としての紙の本を! ~

  内村鑑三『後世への最大遺物』を紹介しながら……

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●「四苦八苦」

仏教では、人は生まれながらに八つの「苦」を背負っている、
と教えます。
人生において避けては通れない、人間の根源的な苦しみですね。

何かがうまく行かずに苦労するときに、「四苦八苦」する、
といった言い方をします。

この「四苦八苦」とは、仏教の言葉です。

「四苦」とは、生老病死。

生苦(しょうく):人は「生まれ」を選ぶことができません。
老苦(ろうく):日々年老いてゆくことを止められません。
病苦(びょうく):いつどんな病気にかかるかわかりません。
死苦(しく):人は必ず訪れる死をまぬがれることはできません。

さらに次の四つの句を合わせて、「八苦」といいます。

愛別離苦(あいべつりく):愛する人との別れの苦しみ
求不得苦(ぐふとくく):欲しいもの、求めるものを得られない苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく):嫌なことや嫌いな人と出会う苦しみ
五陰盛苦(ごおんじょうく):
 自分の体や心が思いのままにならない苦しみ

今回私はいくつかの別れ、失うことがありました。

人はそういう喪失感に陥るとき、色々と考えるものではないでしょうか。

 

 ●生きてきた証として遺すもの

人として生きてきた証をほしい、と強く思うようになりました。

以前からそういう思いはありました。
誰でもそうでしょう。
何かしら自分がこの世に生きてきた証を遺しておきたい、と思うことが。

 ・・・

内村鑑三さんの名著(だと思っている!)に
『後世への最大遺物』という講演録があります。

ご存知のように、内村鑑三さんは、クラーク博士の
「ボーイズ・ビー・アンビシャス」“Boys, be ambitious!”
で有名な札幌農学校の第二期生で、
『武士道』や昔の五千円札で有名な新渡戸稲造さんらと同級生です。

新渡戸さんがどちらかといいますと、表舞台で活躍したのに比べますと、
内村さんのほうは、少し裏道といいますか、
ちょっと日陰の存在のような印象があります。

不敬事件が影響しているせいもあるか、と思います。

内村さんの著作では、『代表的日本人』が有名です。
この本を、弊誌

*参照:
2009(平成21)年12月31号(No.29)-091231-
『代表的日本人』内村鑑三―I for Japan

で紹介する際に、評伝とともに、
『余は如何にして基督信徒となりし乎』と本書を読みました。
50代半ばぐらいでしたか。
それ以来、私の人生の一つの目標のようになっているのです。

『後世への最大遺物』は、青空文庫でも読めます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000034/files/519_43561.html

これは、明治二十七年七月の夏季学校での講演録ということで、
非常に読みやすく、難しいところのない、短い作品です。

私の持っているのは、岩波文庫版の二本立ての
『後世への最大遺物 デンマルク国の話』という本です。

・『後世への最大遺物 デンマルク国の話』内村鑑三 岩波文庫 改版
(解説=鈴木範久) 2011/9/17

250515-kouseihenosaidaiibutu

(Amazonで見る)

 

 ●『後世への最大遺物』

前半が『後世への最大遺物』です。
その本の巻末の鈴木範久さんの「解説」に、
大まかな内容紹介の文章がありますので、それを引用しておきましょう。

《内村鑑三の話はくだけた調子で語られ、随所に笑い声も生じている。
 この美しい地球に生まれたからには
 何か記念となる物を遺して逝かなくてはならない。
 では、その仕事は何か。内村鑑三は、自分の過去の経験も織り交ぜて、
 金銭、事業、思想、文学、教育をあげる。
 しかし、いずれも一定の才能がなくてはできるものではない。
 では何の才能もないものにできるものとは何か。
 それは「勇ましい高尚なる生涯」であると結んでいる。》

内村鑑三さんはキリスト教徒ですので、
そういう宗教的な背景からのお話となっています。

しかし、そういう部分を抜きにしても、人と生まれて来た私たちが、
己の人生の記録として、後世のために何かしら遺しておきたい、
とすれば、何がふさわしいのか?
――という疑問は、どなたにもあるのではないか、と思います。

才能はなくても、運よくパートナーに恵まれ、
子を遺すことの出来た人は、それはそれで結構な人生だった、
と言えるのはないか、と私には思えます。

しかし、私のように、自分の力のなさから、
そのようなチャンスを得られなかった者にも、
何かしら遺せるものがあるとすれば――
それは、まさにこの内村鑑三さんの言葉にあるものぐらいではないか、
と思うのです。

 

 ●内村鑑三さんの結論――「真面目なる生涯を送った人」

「青空文庫」本文より――「勇ましい高尚なる生涯」

《それならば最大遺物とはなんであるか。
 私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、
 ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、
 利益ばかりあって害のない遺物がある。
 それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。
 これが本当の遺物ではないかと思う。
 他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。
 しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、
 私がここで申すまでもなく、
 諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。
 すなわちこの世の中は
 これはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、
 神が支配する世の中であるということを信ずることである。
 失望の世の中にあらずして、
 希望の世の中であることを信ずることである。
 この世の中は悲嘆の世の中でなくして、
 歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、
 その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。
 その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。(略)》

Dsc08289-koushounarushougai

同――「己の信ずることを実行するものが真面目なる信者」

《(略)来年またふたたびどこかでお目にかかるときまでには少くとも
 幾何いくばくの遺物を貯えておきたい。この一年の後にわれわれが
 ふたたび会しますときには、われわれが何か遺しておって、
 今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、
 今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、
 また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、
 しかしそれよりもいっそう良いのは
 後世のために私は弱いものを助けてやった、
 後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、
 後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、
 後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、
 後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、
 という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
 この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、
 われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして、
 実に水の辺ほとりに植えたる樹のようなもので、
 だんだんと芽を萌ふき枝を生じてゆくものであると思います。
 けっして竹に木を接つぎ、木に竹を接ぐような少しも成長しない
 価値のない生涯ではないと思います。
 こういう生涯を送らんことは実に私の最大希望でございまして、
 私の心を毎日慰め、かついろいろのことをなすに当って
 私を励ますことであります。(略)》

 

同――講演の最後の締めの言葉――「真面目なる生涯を送った人」

《われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人に
 これぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、
 アノ人はこの世の中に活きているあいだは
 真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを
 後世の人に遺したいと思います。》

Dsc08113-majimenarushougai

私自身、「真面目なる生涯を送った人」とまでは言われないまでも、
「真面目な、いい人だった」ぐらいの評判は遺したいなあ、
という気持ちです。
今までも、「真面目な人」とか「いい人」とかいわれてきましたけれど、
「ただ真面目なだけ(で、これといって才能も能力もない)」だったり、
「いい人(だけど、これといって魅力のない)」だったり……。

 

 ●ネット情報では……

このような、それなりの評判は遺せるかも知れないけれど、
できるならば、もう少し何かを遺したい、という気持ちがあります。

今、一部ではありますが、「左利き」に関してはそれなりの評価
(といいますか、それに近いもの)をいただいています。

自分でも「<左利きライフ研究家>30年超」と自称しています。

ネットでは左利きメルマガを680号超、21年続けています。
ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』での左利き関連記事の発信も、
2003.12.24から21年半近くになります。

『日本左利き協会』のサイトでもご紹介頂いています。

*参照:『日本左利き協会』サイト―左利き便利帳
レフティやすおさんのメルマガとブログ
https://lefthandedlife.net/leftyyasuo.html

2023lhaj-hidarikiki-benrichou

今はなきホームページ『レフティやすおの左組通信』もありました。

「左利き」に関しては、現時点では少しは知られた存在となっている、
ようです。

しかし、これらのネットの成果は、
現状ではいずれ消えてしまうものです。

現に、先ほども上げた、ホームページ『レフティやすおの左組通信』は、
消えてしまいました。
場を提供していた会社のサービス変更に伴い、
移行すれば残せたのですが、すでに更新を止めていたので、
消滅させることにしました。

別の形で復活させたいと思い、現在メルマガで一部紹介しています。

 

 ●私の「後世への最大遺物」

内村鑑三さんは、《この美しい地球に生まれたからには
 何か記念となる物を遺して逝かなくてはならない》(上記「解説」)
として、思想や文学、教育を上げています。

確かにこういうものも誰にでもできることではありません。

しかし、今のところ、「左利きの情報」に関しては、
さらに「左利きへの思い」に関しては、
私は私なりに、色々と集め、書いて来ました。
その情報は、十分遺すに足るものではないか、という自負もあります。

で、今私が考えているのは、やはりネットの情報は消えてしまうので、
なんとか紙の本、それも商業出版で遺したい、ということです。

商業出版の紙の本なら、少なくとも国立国会図書館には保存されます。

個人的に保存する人もいらっしゃるでしょう。
また、ある程度の部数が出れば、古本として残る率が高くなります。

自分の仕事が、そういう目に見える形で残せれば、それは結果的に
私の「後世への最大遺物」といえるでしょう。

 

 ●「左利きの本」を遺したい

今、過去に書き散らした文章をテーマ毎にまとめ始めています。
月に4本のメルマガ(左利きメルマガ2本と読書メルマガ2本)で
手一杯になってはいますが、閑をみて、原稿作りに励んでいます。

紙の本について、まったく努力していなかったわけではありませんが、
基本人任せでした。

実際に「左利きの本」といいますと、
なかなか出版社の人から相手にしてもらえない傾向にあります。

「左利き」関係の本でベストセラーになった本
というのも限られていますし、それらの多くは名のある人であったり、
社会的地位のある人だったり、です。

私のように、何の権威でもなく、過去に本を出した実績もなく、
有名でもない人の場合、非常にハードルが高い、と考えられます。

それでも熱意があれば、なんとかなるのではないか、
という気持ちでいます。

 ・・・

「左利きの問題」があるのだ、という事実をもっと広く世に知らせ、
後に続くであろう、左利きの子供たちのために、今の社会を
もう少し左利きの人にとって生きてゆきやすいものに変えていきたい、
という気持ちでいます。

そのために、「左利き」について語り、本に遺したいものです。

 ・・・

左利きの本について書きましたが、
弊誌に書き散らしてきた、私の読書論やオススメの本
(例えば、<クリスマス・ストーリーをあなたに>など)
についても書いてみたいものです。

実はこちらも一部ですが、一つのテーマで文章をまとめ始めています。

いつになるかわかりませんが、死を考える機会が多くなっている昨今、
早急になんとかしなければ、という気持ちにはなっています。
頑張りますので、応援よろしくお願いいたします!

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「私の読書論196-<後世への最大遺物>としての紙の本を!」と題して、今回も全文転載紹介です。

春という季節は、出会いと別れの季節とも言われます。
もう5月になってしまいましたが、この春は私にとってけっこう色々なことがありました。
別れもありました。
別に嫌いになったとか何かではなく、年齢的なもの、加齢に伴うものといってもいいでしょう。
仕方のないことです。
出会いがあれば、いつか別れが来るのは、人生の必然でもあります。

死すべき人間である限り、これはどうしようもないものなのですから。

まあ、そんなこんな色々ありまして考えてしまったのが、今回のテーマになっています。

生きてきた証として何か遺したい、これは人間として誰もが考えることだと思うのです。
特にもう終わりが近づいてきた人にとっては、重大なことといえましょう。

ま、そういうわけで、今回はこうなりました。

願いはかなえられるのでしょうか?
努力しだいですよね。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

 

『レフティやすおのお茶でっせ』
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※本稿は、レフティやすおの他のブログ『レフティやすおの新しい生活を始めよう』に転載しています。
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2025.05.03

週刊ヒッキイ第685号-楽器における左利きの世界(31)まつのじん(6)

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(まぐまぐ!)

【最新号】

第685号(Vol.21 no.8/No.685) 2025/5/3
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(31)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(6)」

 

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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
  【左利きを考える レフティやすおの左組通信】メールマガジン
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第685号(Vol.21 no.8/No.685) 2025/5/3
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(31)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(6)」
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 左利きのヴァイオリニストまつのじん(松野迅)さんの
 左利きに関するサイト、エッセイ集の左利きに関する文章を紹介し、
 左利きにおける楽器の演奏について考えよう、という試みの6回目。

 

■1回目――まつのじんさんのサイトから

241102-matunojin-1s

 

 「まつのじん」さんについて知る意味で、
 <まつのじんWebsite> 平和ねがいて 弦なりやまず
 http://mjin.m1001.coreserver.jp/
 「ゴーシュからの左右考」2019年7月27日

第674号(Vol.20 no.19/No.674) 2024/11/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(26)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(1)」
【最新号・告知】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.11.02
週刊ヒッキイ第674号-告知-楽器における左利きの世界(26)まつのじん(1)
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/11/post-9afc9f.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/c61c87eab970c035e076d6c9e5e0876d

 

■2回目――まつのじん(松野迅)さんのエッセイ集から

『すみれの花かご ヴァイオリンのある喫茶室』松野迅 未來社 1992/1/1
241207sumire-no-hankago

(Amazonで見る)

 「II マイ・プライベート・ライフ」<涙のひだりきき>

第676号(Vol.20 no.21/No.676) 2024/12/7
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(27)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(2)」
【最新号・告知】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.12.07
週刊ヒッキイ第676号-告知-楽器における左利きの世界(27)まつのじん(2)
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/12/post-55f0a7.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/3b193894c6d7a3499fa16569f8282e7a

 

■3回目――まつのじんのサイトの左利きページから

 「左ききは、アカン!? WHO is LEFTY■(?の倒立像)」
(2019年8月13日)
http://mjin.m1001.coreserver.jp/ [ヒダリスト/]
%e3%83%92%e3%83%80%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/

第679号(Vol.21 no.2/No.679) 2025/2/1
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(28)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(3)」
【最新号・告知】『レフティやすおのお茶でっせ』2025.2.1
週刊ヒッキイ第679号-告知-楽器における左利きの世界(28)まつのじん(3)
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2025/02/post-5db9f0.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/9d54a490b52746a60f5212b9afc3b88a

 

■4回目――まつのじんのサイトの左利きページから

第681号(Vol.21 no.4/No.681) 2025/3/1
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(29)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(4)」
【最新号】『レフティやすおのお茶でっせ』2025.3.1
週刊ヒッキイ第681号-告知-楽器における左利きの世界(29)まつのじん(4)
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2025/02/post-4c221d.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/ec35e4d1f81a0ac9153e695fbaaef719

 

■5回目――まつのじんのサイトの左利きページから

第683号(Vol.21 no.6/No.683) 2025/4/5
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(30)
左利きのヴァイオリニストまつのじん(5)」

【最新号】『レフティやすおのお茶でっせ』2025.4.5
週刊ヒッキイ第683号-告知-楽器における左利きの世界(30)まつのじん(5)
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2025/04/post-99dd44.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/9c05f485df40b156b80fc269468ffb6e

 

 さて第6回目は、前回同様、まつのさんの左利きサイト
 「左ききは、アカン!? WHO is LEFTY■(?の倒立像)」
 (2019年8月13日)
 から、その後半に当たる部分を分けたその3回目を紹介します。

 以前も書いていると思いますが、私は音楽のまったくの素人ですので、
 色々とトンチンカンなことを書いている場合もあるかと思いますが、
 その辺は、想像力を働かせて、お読みください。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ◆ <めざせ!実現!!左用ピアノ!!!>プロジェクト ◆

 {左利きの人は左利き用の楽器で演奏しよう!}

- 「左利きに優しい社会」づくりは左用楽器の普及から! -

 左利きと楽器演奏について考える

   左利きのヴァイオリニスト・まつのじん(松野迅)さん(6)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 ●「LEFTY-INFO-BOX」

「LEFTY-INFO-BOX」の段落では、アメリカのカレッジにおける
「左利き学生向けの奨学金」について紹介されています。

 《学校や医療機関に自己負担を伴わない、
  欧米の発想が生きています。》

アメリカの大学では、左利きの人向けのテーブル付折りたたみ椅子が、
人数の10%分置くのが決められている、と聞いたことがあります。

トランプ大統領になって、逆平等になっているといった理由からか、
様々な多様性への対応が取り消されているようですが、
左利きへの配慮はどうなっているのでしょうか。
ちょっと気になるところです。

 

 

 ●「HOW TO PLAY for LEFTY VIOLINIST」冒頭解説

250503matunojinhow-to-play-for-lefty-vio

 

次のメインの段落「HOW TO PLAY for LEFTY VIOLINIST」では、
まつのさん自身の演奏に関する解説で、読み方として【じっくりコース】
【斜め読みコース】【飛ばし読みコース】の三通り提案されています。

「左(手)利き演奏家 アルアル」の専門家向け解説、
というところでしょうか。

 《〈左(手)利き 弓弦楽器奏者の アルアル〉コーナーで、
  さまざまな「個性」を紹介しました。左(手)利きの方でも、
  当てはまる項目とそうでない項目があるでしょう。また
  右(手)利きの方で、当てはまる項目に遭遇することもあるでしょう。
  〈アルアル〉で取り上げた現象はわかりやすい例のみで、
  各々のケースが複合的に結合した時には、思いもよらない現象と
  対峙することもあります。
  そのような場合は、絡み合った毛糸をほぐすように、
  エクササイズを用いて「原因探求」をしてゆきます。
  自身に対してもそうです。根気と直感力のいる作業です。》

といいます。

 

左利きの人が、右利き・右手用のハサミを左手で使う場合を
想定してみるとわかりやすいかも知れません。

ふつうのハサミは、「右手用ハサミ」と呼ぶように、
「右手で使うことを想定した作り」になっています。

「右手用ハサミ」は、右手に持ったときの力の入れ方が、
二枚の刃をかみ合わせる方向に働きます。

それを左手で持つと、逆に刃を離す方向に働くことになり、
切ろうとする対象をはさむだけになります。

また、ふつうに構えますと、上の刃が左側にあるので、
切るところを直接見ることが出来ません。

ちょっと横から首を傾げてのぞき見るようにしなければなりません。
あるいは、最初の個所だけ切るところにあてがい、
あとは勘で切っていくことになります。

このように、左手で右手用を使うには、
それなりの工夫が必要になります。

ヴァイオリンの演奏もそれと同じことなのだろうと思います。
独特のやり方をマスターする必要がある、ということです。

*注:
昨今のハサミは二枚の刃のかみ合わせがしっかりしているので、
昔のガタガタのハサミとは違い、
逆の手で持って使ってもある程度は切れるようになっています。
ただし、切る位置を自然な角度で見ることができません。

 

 ●突撃する弓

 《右(手)利きの方にとっては、どうして雑音が発生したり、
  演奏途中に右手の持つ位置が変わったりするのだろう…
  と思われるでしょう。
  私たちは、
  「着地点がわからないままジャンプしてしまったような感覚」
  で弦の上に弓が当たります。(略)想定外の「接触音」に、
  コントロールできない自身が驚いているのです。》

また、弓は「右(手)利きの(西洋)人」にちょうどよい長さになっている、
といいます。

 《左(手)利きにとっては、現実の弓の長さの倍くらいの長さを
  操っているような感覚に近いように思います。
  演奏中に弓の先を認識しようとして、弓の持つ手が真ん中方向に
  移動するのは、この長さの認識が先まで至っていないことが
  影響していると思われます。》

日本人向きになっていないだけでなく、左利きを想定していないので、
微妙な違いが出るのかも知れません。

以前、左利きの人の利き手と軸足の関係に基づいて
「ヴァイオリンの演奏と軸足の関係」について書きました。

第669号(Vol.20 no.14/No.669) 2024/8/3
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(23)左利きは左弾きヴァイオリンで(2)」

『レフティやすおのお茶でっせ』2024.8.3
楽器における左利きの世界(23)左利きは左弾きヴァイオリンで(2)-週刊ヒッキイ第669号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/08/post-531140.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/46057327d09383dd6cd5a1447ab5da30

--
左利きの人では通常、多くの人が右足が軸足となり、体重を支えます。

このとき、右手に弓を持ち大きく動かそうとしますと、
重心の位置がぶれ、その身体を支えるのは非常に不安定になります。

弓を右に大きく弾こうと腕を大きく引くと、身体も同じように振れます。
逆に弓を左に押していけば、右足の重心も左に傾き、
左手に持つヴァイオリン本体も不安定になります。

身体が不安定ですと、安定した演奏も難しいでしょう。
--
 <●ヴァイオリンの演奏と軸足の関係>より引用

 

左手利きの人は、たいてい左足利きで、
体重を支える支持足(軸足)は右足になる傾向があります。

身体の右側に重心を置いているのです。
そのため、右手・右腕を大きく動かすと重心がぶれ、不安定になります。
逆に左手側は、自由に動かすことが可能になります。

右手利きの人は、左手利きの人とは逆で、
左足が体重を支える支持足(軸足)で、重心は左側になります。
そのため右手・右腕を大きく動かしても、重心はぶれにくいのです。

左手利きの右弾き演奏家の場合、支持足(軸足)の関係で、
右手に持つ弓を大きく動かすのに不向きになっている、と考えられます。

無意識につい右足に重心を置いてしまい、いざ演奏というときに、
右手に持つ弓の動きが不自然になってしまう……。

弓の動きに関しては、
こういうことも影響しているのではないでしょうか。

 

 ●ウォーミングアップ<左(手)利き編>

 《「左(手)利きの人が右手に弓を持つ場合、右(手)利きの人には
  必要ない(と思われる)ウォーミングアップが必須✌️でしょう。
  しかも、段階的に慣らしてゆくウォーミングアップです。
  日常的に意思疎通のできていない「非利き手」に、
  意思伝達を促してゆきます。ここに時間と知恵を用いましょう。》

《日常的に意思疎通のできていない「非利き手」》
という表現がありますが、
これは、
「利き手は心につながっている」という私の持論に同じでしょう。

以下の部分は、専門的になりますので、割愛します。

「ウォーミングアップ」の4番目に、<左(手)利き編>があります。

 《最終的に弓と弦が接触する瞬間が「勝負どころ」です。
  その接触する直前に、左手に構えた楽器を弓の方向へ接近させます。
  弓がバウンドする前に、左の動きで弓を「とらえる」のです。》

と、左手側から動け、という左手側は単に「受ける」のではなく、
積極的に動け、ということのようです。

先ほどの、支持足と重心の関係で、左手利きは左手側が動かしやすい、
と書いたのと同じ発想でしょう。

 《うまくゆくと、音の出発点から〈左(手)利きコントロール〉の
  「見せ場」&「聴かせどころ」となるでしょう。》

と。

 

 ●自分の指なのに…

 《そうですね。右手の指を動かして弓を操るのは、
  なかなか思い通りにはゆきません。右(手)利きの人たちにとっても、
  指の動作になるとすべての人ができるとは限りません。》

 《あきらめてはなりません。利き手は違っても、
  同じ形状の指があるのですから、半歩ずつでも乗り越えましょう。》

この辺は、利き手の違いによる困難さ、というところでしょう。

「指の自主独立…」「中指と薬指の分離」
この辺のところは流し読む感じです。

 

 ●右手は今どこにいるのだろう…

目を閉じて、両手の指先をそれぞれ近づけてみると――

 《どちらかというと利き手の指先の意識が高く、非利き手の指先を
  そこに近づけてゆくスタイルが多いのではないでしょうか。
  非利き手が空間をさまようことがよくあります。》

それぞれの指の感覚を研ぎ澄まそうというところでしょう。
眼で見て確認するようでは演奏してられませんから。

パソコンのキーボードのタイピングなどと同じですね。

 

 ●いつも曲線を意識してみませんか。

 《利き手に限らず、多くの演奏者の弓の角度が直線的です。》

というのですが、音楽の演奏はもっと自由で、

 《弓の角度は、(略)常に曲線を描くことが可能です。
  その曲線の動きが次に移動する弦へのアプローチとなり、
  音色づくりに結びつきます。音楽的な表現は、弓が放物線のように
  動く姿と切り結んでゆきます。》

で、このとき有効なのが、〈左(手)利きコントロール〉だといいます。

 《楽器の角度に変化を持たせて、弓の角度をサポートすることです。
  弓の右手の角度と、左手で持つ楽器の角度の両方を(反対方向に
  曲面で)動かしてあげると、最小限の角度で収まります。
  その左手側の動作の自由を保障するためには、ヴァイオリンや
  ヴィオラの「肩当て」は動きが制限することがあります。》

左(手)利きだからこそできる、左手でリードする演奏、
とでもいうのでしょうか。
先ほども言いましたように、支持足(軸足)の関係で左利きの場合、
右手の動きは制限されかねませんが、
逆に、左手側の自由度は高くなります。

そこに、
左利き右弾き演奏家特有の円満な演奏の鍵があるかも知れません。

 《自然界に、直線は存在しません。曲線や曲面から成り立っています。
  「曲」を意識することは、自然と融合することです。
  そして日本語の「曲」は音楽を示します。》

なるほど、左利き右弾き演奏家の活路がそこにある、
という、自信の発露のような締めの言葉でしょう。

 

 ●「【ひだり図書館】です」

末尾に「【ひだり図書館】です」というコーナーがあります。
「脳科学」や「左利き」や「左右」に関連する図書のリストです。

《「おすすめ」や「おきにいり」ではございません。》とあるように、
特にこれを読んで欲しい、というまつのさんのオススメ本のリストでも、
左利き演奏に関連する書目でもありません。
あくまでも、「左利き」を理解する上で役に立ちそうな本のリストで、
1964年から2019年までの65点が紹介されています。

私のお気に入りやオススメの本は、
今までにもいろんな機会に書いていますので、そちらをご参考に!

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本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 楽器における左利きの世界(31)左利きのヴァイオリニストまつのじん(6)」と題して、今回は全紹介です。

この「左ききは、アカン!? WHO is LEFTY■(?の倒立像)」のサイトは、左手利き右弾きヴァイオリン演奏家のまつのじんさんの左利きへの思いの強さ・熱さが伝わってくるような内容でした。

音楽のこと、ヴァイオリンのことはまったくわかりませんが、左利きの動作としては、何かしら理解できるような気がしました。
後に続くであろう左利きの演奏家にとって、右弾きであろうと左弾きに挑戦する人であろうと、おおいに役に立つものだろうと思います。

さらなる続編が生まれることを楽しみにしています。

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弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

 

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※本稿は、レフティやすおの他のブログ『レフティやすおの新しい生活を始めよう』に転載しています。
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