中国の古典編―漢詩を読んでみよう(29)陶淵明(6)「雑詩十二首/飲酒二十首」-楽しい読書367号
古典から始める レフティやすおの楽しい読書(まぐまぐ!) 【別冊 編集後記】
2024(令和6)年5月31日号(vol.17 no.10/No.367)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(29)陶淵明(6)
「雑詩十二首 其の二/飲酒二十首 其の十六・其の二十」」
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2024(令和6)年5月31日号(vol.17 no.10/No.367)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(29)陶淵明(6)
「雑詩十二首 其の二/飲酒二十首 其の十六・其の二十」」
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今月の「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」は引き続き、
陶淵明の詩から「居を移す二首」を。
(陶淵明 第1回)
2023(令和5)年9月30日号(No.351)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.9.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)
「五柳先生伝」-楽しい読書351号
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(第2回)
2023(令和5)年10月31日号(No.352)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2023.10.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首 其の五」-楽しい読書353号
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(第3回)
2024(令和6)年2月29日号(No.361)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)
「園田の居に帰る五首 其の一・其の二」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.2.29
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(26)陶淵明(3)
「園田の居に帰る五首(其一・二)」-楽しい読書361号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2024/02/post-40f92c.html
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(第4回)
2024(令和6)年3月31日号(vol.17 no.6/No.363)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(27)陶淵明(4)
「園田の居に帰る五首 其の三・其の四」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.3.31
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(27)陶淵明(4)
「園田の居に帰る五首(其三・四)」-楽しい読書363号
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(第5回)
2024(令和6)年4月30日号(vol.17 no.8/No.365)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)
「居を移す二首 其の二」
「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」」
【別冊 編集後記】『レフティやすおのお茶でっせ』2024.4.30
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)「居を移す二首」他
-楽しい読書365号
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◆ 封印された「猛志」 ◆
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(29)
~ 陶淵明(6) ~
「雑詩十二首 其の二/飲酒二十首 其の十六・其の二十」
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今回の参考文献――
(Amazonで見る)『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より
●陶淵明「雜詩其の二」
陶淵明さんは隠者暮らしを続けるのですが、
予想していたほど楽しくない、なかなか思惑通りには進まない、
閉塞感が募り、その心境を詩に吐露して、
少しずつ自己反省してゆきます。
次に紹介するのが、そういう隠居しても平静な心を得られなかった、
陶淵明さんの辞職後、十年以上たった、50歳から60歳頃の詩です。
《秋の夜、心に悲しみがあって寝られない歎きを歌っています。》p.358
と、宇野直人さんの解説。
・・・
雜詩其二 雜詩其の二 陶淵明
白日淪西阿 白日(はくじつ) 西阿(せいあ)に淪(しづ)み
素月出東嶺 素月(そげつ) 東嶺(とうれい)に出(い)づ
遙遙万里輝 遙遙(ようよう)たり 万里(ばんり)の輝(き)
蕩蕩空中景 蕩蕩(とうとう)たり 空中(くうちゆう)の景(けい)
輝く太陽はだんだん西の丘に沈み
かわって白く明るい月が東の峰から顔を出す
遙か遠く一万里の彼方に満ち渡る月の輝き
大きく広がる夜空いっぱいの月の光
第一段は、夜に月が出て来る描写。
風来入房戸 風(かぜ)来(きた)つて房戸(ぼうこ)に入(い)り
夜中枕席冷 夜中(やちゆう) 枕席(ちんせき)冷(ひ)ゆ
気変悟時易 気(き) 変(へん)じて時(とき)の易(かは)るを悟(さと)り
不眠知夕永 眠(ねむ)らずして夕(ゆふべ)の永(なが)きを知(し)る
風が吹き寄せて私の寝室に入り込み
夜中に寝床が冷えてきた
空気の様子が変わったことで季節の変化に気付き
眠れないために夜が長いことをたしかに知った
第二段では、隠者になってみて初めて、隠者が退屈だとわかった、と。
欲言無予和 言(い)はんと欲(ほつ)するも
予(われ)に和(わ)するもの無(な)く
揮杯勧孤影 杯(さかづき)を揮(ふる)うて孤影(こえい)に勧(すす)む
日月擲人去 日月(じつげつ)人(ひと)を擲(なげう)ちて去(さ)り
有志不獲騁 志(こころざし)有(あ)るも騁(は)するを獲(え)ず
念此懐悲悽 此(これ)を念(おも)うて悲悽(ひせい)を懐(いだ)き
終曉不能静 曉(あかつき)を終(を)ふるまで
静(しづ)かなる能(あた)はず
何か話をしたいけれど答えてくれる相手はおらず
ひとり杯をあげて自分の影法師に酒を勧める
月日の流れは私を放り出したままどんどん去って行き
抱負を抱いているのに一向に発揮することができない
こんな思いにふけるうち、すっかり悲しみにとらわれてしまい
夜明けが明けるまで落ち着くことができなかった
志がありながら果たすことができず、仕方なく酒を飲むうちに、
悲しみがふかまって、夜明けまで眠れずにいる。
《五十を過ぎて悲しみのために徹夜をしてしまう、激しい人ですね。》p.359
陶淵明さんのその志の実態が現れているのが、次に紹介する詩です。
●「飲酒二十首 其の十六」
「飲酒」の連作は、
《隠居後の折々、酒を飲みながら心に浮かんだものを書き付けた作品》
で、
《ただ悲しんでいるだけでなく、自己反省し、
自分がほんとうに求めているのは何なのか、
だんだん浮き彫りになって来ます。》p.361
・・・
飲酒二十首 陶淵明
其十六 其の十六
少年罕人事 少年(しようねん)より人事(じんじ)罕(まれ)にして
遊好在六経 遊好(ゆうこう)は六経(りくけい)に在(あ)り
行行向不惑 行(ゆ)き行(ゆ)きて不惑(ふわく)に向(なんな)んとし
淹留遂無成 淹留(えんりゆう)して遂(つひ)に成(な)る無(な)し
私は若い頃は世間の事にあまり関わりがなく
喜んで愛好するのは六経であった
そのうち時が流れて四十歳になろうとしても
ぐずぐずしているだけで物にならなかった
第一段は、40歳になるまでの思い出と、改めて自分の本質に気付く。
「少年」は、中国では18歳から30歳くらいまでを指し、
“若き日、青年”に近い。「人事」は、“世間の事柄”。
「六経(りくけい)」は、儒教の重要な古典。
《自分は本当は官職を求めていたのではなく、読書、
とくに儒教を勉強するのが好きだったんだなあ、
と改めて思い当たった》(p.361)という感じ。
そして、『論語』為政第二《「四十、五十になっても
世の中から注目されなければその人はだめだ」》(p.361)という
孔子の言葉を踏まえて、自分は物にならなかった、と反省しています。
竟抱固窮節 竟(つひ)に固窮(こきゆう)の節(せつ)を抱(いだ)き
飢寒飽所更 飢寒(きかん) 更(ふ)る所(ところ)に飽(あ)く
弊廬交悲風 弊廬(へいろ) 悲風(ひふう)を交(まじ)へ
荒草没前庭 荒草(こうそう) 前庭(ぜんてい)を没(ぼつ)す
その間、私は終始一貫して“君子はとかく困窮するものだ”という
覚悟をしかと持ち続けた
しかしその結果、飢えや寒さをいやと言うほど経験した
壊れかけたあばら家には悲しげな秋風が吹きわたり
伸び放題の雑草は家の前の庭をうずめている
第二段でも、自分は官職にいても隠者になっても常に貧乏だ、と。
陶淵明の詩のキーワード=人生目標ともいうべき、
「固窮の節」という言葉が出てきます。
『論語』衛霊公第十五「君子 固(もと)より窮す。
小人、窮すれば斯(ここ)に濫(らん)す」という言葉で、
《“立派な人間はとかく困窮しがちだが、そういうときも信念を曲げず
迎合もしない、対してつまらない人間は平常心を失ってしまう”》と。
《そんな君子の、貧窮に負けず信念を守る覚悟を示し、
これに陶淵明は共感したんでしょう》(p.362)と宇野さんは解説する。
被褐守長夜 褐(かつ)を被(き)て長夜(ちようや)を守(まも)るに
晨鶏不肯鳴 晨鶏(しんけい) 肯(あへ)て鳴(な)かず
孟公不在茲 孟公(もうこう) 茲(ここ)に在(あ)らず
終以翳吾情 終(つい)に以(もつ)て
吾(わ)が情(じよう)を翳(かげ)らしむ
粗末な服を着て秋の夜長を眠らずに過ごしているが
夜明けを告げる鶏はなかなか鳴いてくれない
今は孟公がいない
そのことが私の心を暗くするのだ
「孟公」は、張仲蔚(ちようちゆううつ)という隠者の
よき理解者だった人物のこと。
張仲蔚は、文才があり読書好きで、雑草だらけの家に住んでいた。
自分にはそういう孟公のような人はいないので、心を暗くする、と。
当時は、隠者が宮廷に登用されるということもあったと言います。
陶淵明さんは、自分を評価してくれる人のいないことを
嘆いているようです。
宇野さんの解説では、
これは「固窮の節」といえるのかどうか、疑問ではあります、と。
それでも、こういう風に素直に自分の気持ちを出している点が、
親しみを誘うのかも知れません。
●「飲酒二十首 其の二十」
飲酒二十首 陶淵明
其二十 其の二十
羲農去我久 羲農(ぎのう) 我(われ)を去(さ)ること久(ひさ)しく
挙世少復真 世(よ)を挙(あ)げて
真(しん)に復(かへ)ること少(すく)なし
汲汲魯中叟 汲汲(きゆうきゆう)たり 魯中(ろちゆう)の叟(そう)
弥縫使其淳 弥縫(びほう)して 其(それ)を淳(じゆん)ならしむ
鳳鳥雖不至 鳳鳥(ほうちよう) 至(いた)らずと雖(いへど)も
礼楽暫得新 礼楽(れいがく)
暫(しばら)く新(あら)たなるを得(え)たり
伏羲と神農の太平の世はたいへん遠くなった
本質に帰ろうとすることが稀になった
思えば春秋時代、倦(う)まずたゆまず道を説き続けたあの魯の大人
孔子さまは、伏羲・神農以来の太古の正しい道を手直しして
世の中をすなおで人間らしいものにしようとなさった
聖天子の出現を予告する鳳は残念ながら現れなかったが
孔子の仕事のおかげで礼儀作法や音楽がひとまず面目を改め、
現代的な意味をもった
最初の六句は、儒教を体系化した、孔子の仕事を讃えます。
「羲農」とは、儒教で聖天子といわれる、
民衆に工芸技術を教えた伏羲と、農業や薬を教えた神農のこと。
何が真実かを見直そうとすることがめったになくなった――
昔の話ではなく、現代にも通じること。
「魯中の叟」とは、魯の国出身の孔子さま。
「鳳鳥」は鳳(おおとり)という想像上の鳥で、
理想的な天子の出現とともにやって来る。
礼楽は、人間関係をスムーズにする礼儀作法と、
人の心を和らげる音楽のことで、
この二つをうまく運用するのが立派な政治とされ、儒教では重視した。
洙泗輟微響 洙泗(しゆし) 微響(びきよう)を輟(や)め
漂流逮狂秦 漂流(ひようりゆう)して狂秦(きようしん)に逮(およ)ぶ
詩書復何罪 詩書(ししよ) 復(ま)た何(なん)の罪(つみ)かある
一朝成灰塵 一朝にして灰塵(かいじん)と成れり
区区諸老翁 区区(くく)たる諸(しよ)老翁(ろうおう)
為事誠殷勤 事(こと)を為(な)して誠(まこと)に殷勤(いんぎん)なり
洙水と泗水の辺りで説かれた孔子の教えは奥の深い影響を次第に弱め
世の中はふらふらとさまよって、あの凶暴な秦の時代にいたった
『詩経』と『書経』にいったい何の罪があったのか
何の罪もないのに或る日突然、それらは焼かれて灰となった
こつこつ努力してやまない先生方が
儒教を発掘して伝える仕事にまことに手厚く取り組んだ
次の六句は、始皇帝による秦の時代の儒教迫害、
そして漢の時代の学者による儒教復活の流れをたどる。
「洙泗」は魯の国を流れる二つの川、洙水と泗水。
この側で孔子が塾を開いていたので、孔子の塾や学問をさす。
「詩書」は『詩経』と『書経』で、儒教で尊重する「六経」に含まれる。
「焚書坑儒」のことを語る。
如何絶世下 如何(いかん)ぞ 絶世(ぜつせい)の下(もと)
六籍無一親 六籍(りくせき) 一(いつ)の親(した)しむ無(な)き
終日馳車走 終日(しゆうじつ) 車(くるま)を馳(は)せて走(はし)るも
不見所問津 津(しん)を問(と)う所(ところ)を見(み)ず
それなのにいったいどうしたことだろう
儒教の伝統は今の世の中、絶えてしまい、
その経典はまったく立派なものではなくなった
こういう現状では一日中、馬車をあちこち走らせても
進むべき渡し場のありかを尋ねるべき相手がいない
次の四句は自分の時代に移り、儒教が重んじられないと嘆く。
名目上は中心になっているが、実際の運用はそうでもない。
「如何ぞ」は二句にかかる。どうしたことか?
「津」は船の渡し場、転じて“人生の拠り所、人生の指針”の意味。
儒教の伝統はたえてしまい、人生の拠り所は見つからない。
若復不快飮 若(も)し復(ま)た快飲(かいいん)せずんば
空負頭上巾 空(むな)しく頭上(ずじよう)の巾(きん)に負(そむ)かん
但恨多謬誤 但(ただ) 恨(うら)む 謬誤(びゆうご)の多(おほ)きを
君当恕醉人 君(きみ) 当(まさ)に酔人(すいじん)を恕(じよ)すべし
こんな世の中に生きているなら、大いに酒を飲まなければ
わが頭巾に申し訳が立たないぞ
ただ一つ心残りなのは、こういう私の考え方に誤りの多いことだ
しかし君はきっと、この酔いどれ男を多めに見てくれるでしょうなあ
当時は自分の家で酒の醸造が許されていたようで、頭巾で絞り、
それを平気でかぶっていた。
「当は~べし」は、確実視性の強い推量。
《“ちょっと言い過ぎたかな”というかんじで、最後はおどけ、
あきらめた感じで結びます。》p.367
老荘思想が普及している貴族社会のなかで、
自分の本質はやはり儒教だと告白した陶淵明さん。
詩で自分を表現できる風潮が広まったとは言え、
彼にも家族や使用人もいるので、彼らを守る意味で、
こういう風にむすんだのだろう、という宇野さんの解説です。
いままでのあれやこれやは、酔っ払いの戯れ言と許しておくれ、と。
世の中の変化を嘆きつつも、自分は隠居の身として、致し方なく
酒でも飲んで暮らしましょう、というところでしょうか。
解説の宇野さんは、《最後でちょっとおどけてますが、
議論の詩、論説の詩とも言うべき、理知的な作品》p.364
と評価されています。
「飲酒二十首」の最後の一首で、全体をまとめる一首という形でしょう。
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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(28)陶淵明(5)「居を移す二首 其の二」「庚戌の年 九月中 西田に於いて早稲を穫る」 」と題して、今回も全文転載紹介です。
今回も田舎に帰った陶淵明さんの詩です。
孔子の教えに従い、儒教を自分の本質と考える陶淵明さんですが、世の変化に不満を持ちつつも酒に紛らせる日々、というところでしょうか。
・・・
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※本稿は、レフティやすおの他のブログ『レフティやすおの新しい生活を始めよう』に転載しています。
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