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2023.10.31

中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)「飲酒二十首 其の五」-楽しい読書353号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年10月31日号(No.353)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年10月31日号(No.353)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)
「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」25回目は、
 前回に引き続き、陶淵明の第二回です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 自然のなかに「真」がある ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)

  ~ 陶淵明(2) ~
  「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より

 

 ●飲酒二十首 序

まずは、お酒好きの陶淵明さん、
飲酒についての詩が多く残っているそうで、
連作「飲酒二十首」があります。

その中から、まず「飲酒二十首 序」という連作の序文を。

 ・・・

飲酒二十首 序  飲酒(いんしゆ)二十首(にじつしゆ) 序(じよ)

余閑居寡歓、   余(よ) 閑居(かんきよ)して
          歓(よろこ)び寡(すくな)く、
兼比夜已長。   兼(か)ねて此(このご)ろ夜(よる)
          已(はなは)だ長(なが)し。
偶有名酒、    偶々(たまたま)名酒(めいしゆ)有(あ)り、
無夕不飲。    夕(ゆふべ)として飲(の)まざる無(な)し。
顧影独尽、    影(かげ)を顧(かへり)みて独(ひと)り尽(つく)し、
忽焉復醉。    忽焉(こつえん)として復(ま)た酔(よ)ふ。
既酔之後、    既(すで)に醉(よ)ふの後(のち)は、
輒題数句自娯。  輒(すなは)ち数句(すうく)を題(だい)して
          自(みづか)ら娯(たの)しむ。
紙墨遂多、    紙墨(しぼく) 遂(つひ)に多(おほ)く、
辞無詮次。    辞(じ)に詮次(せんじ)無(な)し。
聊命故人書之、  聊(いささ)か故人(こじん)に命(めい)じて
          之(これ)を書(しよ)せしめ、
以為歓笑爾。   以(もつ)て歓笑(かんしよう)と為(な)さん爾(のみ)。

 

詳しい現代語訳は本書『漢詩を読む1』にはないので、
ごくごく簡単に、私なりに記しますと、

私、世間を離れ、一人で暮らすようになって、喜び事が少なく、
夜がやたらに長い。
たまにいい酒があると、夜はつい飲んでしまう。
興に乗ると詩の文句をあれこれと書き留め、
それがたまると一つ一つの詩にまとめ、
友人に清書させては笑いの種に楽しんでいる。

といったところでしょうか。

 

 ●飲酒二十首 其の五

次に、代表作とされる「飲酒二十首 其の五」を見てゆきましょう。

 ・・・

飲酒二十首  飲酒(いんしゆ)二十首(にじつしゆ)  陶淵明

其五  其の五(そのご)

結廬在人境  廬(いほり)を結(むす)んで人境(じんきよう)に在(あ)り
而無車馬喧  而(しか)も車馬(しやば)の喧(かまびす)しき無(な)し
問君何能爾  君(きみ)に問(と)ふ 何(なん)ぞ能(よ)く爾(しか)ると
心遠地自偏  心(こころ)遠(とお)ければ
        地(ち)も自(おのづか)ら偏(へん)なり

私は粗末な家を構え、しかし山の中ではなく、
 人通りのある村里に暮らしている
それでいながら、車や馬に乗った貴族たちとのうるさい付き合いはない
あなたはどうしてそんな事ができるんですか
私の心がもう世間から遠くなっているから、どこに住もうとその土地は、
 うるさい場所から遠ざかっているのと同じなんだよ

 

采菊東籬下  菊(きく)を采(と)る東籬(とうり)の下(もと)
悠然望南山  悠然(ゆうぜん)として南山(なんざん)を望(のぞ)む
山気佳日夕  山気(さんき) 日夕(につせき)に佳(よ)く
飛鳥相与還  飛鳥(ひちよう) 相(あひ)与(とも)に還(かへ)る

或る秋の夕暮れ、私は東の垣根の側で聞くのは名をつんだ
起き上がって、はるかに落ち着いた気持ちで南の山に祈る
山のたたずまいはこの夕暮れ時、まことに美しい
飛ぶ鳥が連れ立って帰ってゆくじゃないか

 

此中有真意  此(こ)の中(うち)に真意(しんい)有(あ)り
欲弁已忘言  弁(べん)ぜんと欲(ほつ)して
        已(すで)に言(げん)を忘(わす)る

こういう眺めの中にこそ、人生のほんとうの姿が表れているのだ
それを君に説明したいのだけれど、
 そう思った瞬間、言葉を忘れてしまったよ

 ・・・

この詩は、全体として隠者の心構え、生活態度を詠んでいる、と
解説の宇野直人さんはいいます。

第一段では、隠者の心構えです。
騒がしい村の中に住んでいても、粗末な家には貴族は訪ねてこないし、
私の心は世間から遠く離れているので、どこに住もうと同じだ、
と自問自答している。
これは“隠者は山に住むもの”という固定観念への反抗心だ、
と宇野さんの解説。

第二段では、夕暮れの一コマで、有名な部分。
「南山」は、不老長寿の象徴ですので、お祈りをするのです。

《この「南山を望む」の「望む」という字を
 「見る」に作る伝本が多いのですが、「南山を見る」だと、
 ただ単に“南山が目に入る”という意味になって、
 “不老長寿の象徴をじっとみつめて祈る”意味が消えてしまいます。
 ここはやはり「望む」がよいでしょう。》p.334

最後の二句では、人生のほんとうの姿を山の中の風景に見いだしたが、
その言葉は忘れてしまった、と弁舌を重んじる貴族への風刺なのか、と。

《この「真意」とは“人間が生きるほんとうの意味”、
 或いは“私のほんとうの気持ち”などの意味かもしれません。》p.334

 

 ●「此の中にこそ真意あり」

夏目漱石の『草枕』の冒頭に、この部分が引用されています。

 《うれしい事に東洋の詩歌(しいか)は
  そこを解脱(げだつ)したのがある。
   採菊(きくをとる)東籬下(とうりのもと)、
   悠然(ゆうぜんとして)見南山(なんざんをみる)。
  ただそれぎりの裏(うち)に暑苦しい世の中を
  まるで忘れた光景が出てくる。
  垣の向うに隣りの娘が覗(のぞ)いてる訳でもなければ、
  南山(なんざん)に親友が奉職している次第でもない。
  超然と出世間的(しゅっせけんてき)に
  利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。(略)》

これほどに有名な句だというのですね。

で、陶淵明はこのような風景の中に、人生の真意を見たというのです。

この最後の部分について、こういう解説がありました。

小尾郊一『中国の隠遁思想 陶淵明の心の軌跡』
(中公新書902 1988/12/1)

 

 

198812chuugoku

198812chuugoku-mokuji

(画像:Amazonより拝借)

 《「此の中」とは、上の夕方の美しい山の気配、
  ねぐらに連れだって帰る飛ぶ鳥の姿である。
  このなかに「真の意」があるという。「真」とは、(略)
  真実であり、老荘のいう道であり、自然であるといえよう。
  この風景のなかに、真実があるというのである。》p.164

それは《人間の作りあげた技巧ではない、自然のままの姿である》。

この日常の風景のなかに真実なる道が存在しているのだ、というのです。

そして、

 《この句の背後には、『荘子』「外物篇」の
  「筌(やな)というものは、魚を捕るものである。
   魚を捕ってしまえば、筌のことは忘れてします。
   蹄(わな)は兎を捕えるものである。
   兎を捕えてしまうと蹄のことは忘れてしまう。
   と同じく、言語というものは、意味を伝えるものである。
   その意味を会得してしまえば、言語は忘れられる」
  ということを踏まえている。
  淵明は、「真の意」があることを会得することが大事であって、
  今や自分は会得したので説明する必要もないというのである。/
  自然の風景のなかに真実があるという自然観は、広くいえば、
  隠遁から生まれた注目すべき収穫であって、
  後世にまで伝わる自然観である。》p.165-166

といい、
自然にあこがれるという場合、山水に隠遁するという風潮であったのが、
陶淵明は、田園に隠遁するという考え方をうみ、
さらに大きな自然観を生んだ、といいます。

 《それはわれわれをとりまく環境の自然のなかに「真」がある
  という考え方である》p.162

 ・・・

次回は、来年になります。

引き続き、陶淵明の詩を取り上げます。
「飲酒二十首」の続き、もしくは「田園の居に帰る五首」当たりを
紹介する予定です。
乞うご期待!

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(25)陶淵明(2)「飲酒二十首」から「序」と代表作「其の五」」と題して、今回も全文転載紹介です。

本文にも書きましたが、陶淵明は、われわれの日常的な自然の風景のなかに「真」がある、と考えました。
これが、当時の老荘的な「無為自然」「無私無欲」の人間本来のあるがままの姿を尊重するものであるとする考え方で、官僚世界の儒教的なものの見方にはまったくないものだった、といいます。
陶淵明のこの考え方がその後の自然観を生んだ、というのです。

老荘的な生き方というのは、ちょっと気になる生き方でもあります。
あるがままの姿でいいのだというのは、なにかしら楽な気がしますよね。

ちょっと話は違いますが、仏教の教えとして「悉皆成仏」(「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」)という考え方があります。
「ものみなすべて仏となる」というものです。
こういう風に言われますと、かなり気が楽になりますよね。
むずかしく考えますと、無用な殺生をするなとか、色々大変な部分もありますが。

老荘的な生き方もそれに似た、気楽さにつながるものがあると思います。

儒教的な生き方はある意味で「倫理、倫理」とうるさくなりかねません。
「あれをしてはいけない、これをしてはいけない」と、「戒」が多い感じです。

くわしいことは知りませんが、西洋の『旧約聖書』でも何かと「戒」が出てきて、ついて行けない気がします。

老荘的なものは、その辺でちょっとやさしい生き方になるような気がしています。

 ・・・

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2023.10.21

『左組通信』復活計画(24)左利き自分史年表(1)1954-1971―高校卒業まで-週刊ヒッキイ第651号

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第644号 【別冊 編集後記】

第651号(No.651) 2023/10/21
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [24]
レフティやすおの左利き自分史年表(1)1954-1971―高校卒業まで」

 

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【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第651号(No.651) 2023/10/21
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [24]
レフティやすおの左利き自分史年表(1)1954-1971―高校卒業まで」
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 6月以来の<ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画>
 です。

第644号(No.644) 2023/6/17
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [23]
<左利きプチ・アンケート> 全公開(23)「利き手調査」番外
第46回 利き手テストと意識の一致度は?」
2023.6.17
『左組通信』復活計画<左利きプチ・アンケート>(23)
利き手テストとの一致度は?-週刊ヒッキイ第644号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/06/post-bc6033.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/a6059a8b9461d9268446e06a57459754

 前回までは<左利きプチ・アンケート>を公開してきました。
 利き手テストの類いをずっと続けていました。
 一番興味を持たれるコンテンツといいますか、アンケートでした。

 その後、それ以外のアンケートのなかから、
 比較的人気のものを選んで紹介する予定でした。

 しかし、全64回のなかから適当のものを選ぶのは、結構むずかしく、
 申し訳ないですが、一応終了とさせていただき、
 次のコンテンツを紹介しようと思います。

 『レフティやすおの左組通信』のメイン・コンテンツは、4つ。

 (1)左利き私論――私の左利きについての考えをまとめたもの
 (2)<左利きプチ・アンケート>――前回まで一部を紹介
 (3)左利きphotogallery――以前一部紹介した、私の愛用・愛蔵の
   左利き用品や、前号でも紹介したカメラなどを写真入りで紹介
 (4)レフティやすおの左利き自分史年表――更新停止の2009年頃までの
   社会における左利きにまつわる出来事や自分の体験などの歴史年表
   
 このうちから、(4)左利き自分史年表 を紹介していこうと思います。
 前号で昔の活動について書きましたが、過去のメモと比較しますと、
 記憶の間違いも結構ありました。
 この際、改めてまとめておこうと思います。

 過去のホームページ版に新たに追記しながら、
 現時点での<完全版>を作って行く予定です。

 

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(画像:今はなきホームページ『レフティやすおの左組通信』「レフティやすおの左利き自分史年表」のページ冒頭) 

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(画像:今はなきホームページ『レフティやすおの左組通信』「レフティやすおの左利き人生/少年時代 その1」のページ冒頭) 

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [24]

  <レフティやすおの左利き自分史年表>(1)
 
  1954-1971―高校卒業まで
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

 ●「1954-1971―高校卒業まで
【左利きライフ研究家】レフティやすおの左利き自分史年表-1」

====================================================================
(太文字=西暦(元号)年齢) レフティやすおの出来事 (茶文字=社会の出来事)(青文字=左利き・利き手関連文献
====================================================================

(前史)

1948(昭和23)

(左利きミステリ・短編)「アンゴウ」坂口安吾 初出:『別冊サロン』1948年5月号
(本作収録雑誌・短編集)『ミステリマガジン』2012年1月号(早川書房)
【小特集1/アニメ「UN-GO」】から原作。
『日本探偵小説全集 10 坂口安吾集』(創元推理文庫 1996)より再録

(収録短編集)『古書ミステリー倶楽部II』ミステリー文学資料館/編 光文社文庫 2014/5/13

(関連作品)UN-GO第6話脚本「あまりにも簡単な暗号」會川昇
(参照)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第304号(No.303) 2012/3/17「名作の中の左利き
 ~推理小説編5「アンゴウ」坂口安吾」
2012.3.24
坂口安吾「アンゴウ」名作の中の左利き~推理小説編5~
左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii304号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2012/03/5-hikkii304-66e.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/9c6612ea005ecae70727661b14446e28

 ・・・

1954(昭和29) 0歳

1/大阪府に生れる。
時期不明 入園前後の時期か、5,6歳のころか、左利きに気付いた両親から右に直すように、左手を使わぬよう、左手の人差し指にやいとをされた(ようだ)。今もひとつ4,5mm程度の跡が残っている。

1959(昭和34) 5歳

(幼稚園時代)左ひじを骨折。しばらくの間(期間不明)三角巾で釣り、左手を使用できない状況に陥るが、左利きは変わらない。

1960(昭和35) 6歳

4/小学校入学。両親が担任の先生に左利きを矯正すべきか相談する。そのままでよいという返答で、以後一切矯正は受けず、現在に至る。

(参照)『レフティやすおのお茶でっせ』
【左利きライフ研究家レフティやすおのできるまで】
2012.6.11 第1回

●右利きにあらずんば…
※【「左利き(利き手)の矯正」について】
※【「左利き(利き手)の矯正」について】
本稿は、無料メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』(第39号 2006/7/15 ~ 第112号 2007/12/15)での連載記事「レフティやすおの左利き活動万歳/私にとっての左利き活動」(全19回)に、ホームページ『左利きを考える レフティやすおの左組通信』「レフティやすおの左利き人生 少年時代」等の記事を交え、加筆修正したものです。

2012.6.19 第2回 幼少時の記憶から

●昭和30年代の時代風潮
●秋山孝『左手のことば』から
●左手人差し指のやいとの痕
本稿は、メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第39号(No.39) 2006/7/15「私にとっての左利き活動」より、「■レフティやすおの左利き活動万歳■ 私にとっての左利き活動(1)」(隔号掲載)、
および『レフティやすおの左組通信』「レフティやすおの左利き人生 少年時代 その1」を元に、一部加筆修正したものです。

2012.7.5 第3回 利腕を骨折しても…

●利腕を骨折しても…
●簡単に「矯正」できると言うけれど…
●才能と能力
●利き手テストによる分布図
●右岸と左岸との間に架かる橋の上に立つ人
●左右の手の筋運動測定による判別
●左利きの度合い
本稿は、メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第39号(No.39) 2006/7/15「私にとっての左利き活動」より、「■レフティやすおの左利き活動万歳■ 私にとっての左利き活動(1)」(隔号掲載)、および『レフティやすおの左組通信』「レフティやすおの左利き人生 少年時代 その1」を元に、一部加筆修正したものです。

2012.11.22 第4回 左利きの意識とハサミの話

●左利きの意識
●ハサミは右手用・左手用の二種類
●右手用と左手用のハサミの構造
《今回は、小学校低学年時代だろう?ハサミの思い出を中心に―。》
《「左利き=マイナス」、「左利き=良くないこと」、「左利き=できれば隠しておいた方がいいこと」といった意識は刷り込まれていました。》

1959(昭和34)-1960(昭和35) 5-6歳

(左利きミステリ)『霧の旗』松本清張 ――冤罪を受けた男の妹が左利きの犯人を暴こうとする物語。
初出:『婦人公論』1959年7月号~1960年3月号連載
 (1961年3月) 中央公論社刊
『霧の旗』松本清張(新潮文庫 昭和47.1.30発行/平成15.9.10 41刷改版/平成20.7.10 51刷)

(参照)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第317号(No.317) 2012/6/16「名作の中の左利き~推理小説編8~『霧の旗』松本清張」
2012.6.21
名作~推理小説編8『霧の旗』松本清張:左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii317号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2012/06/8-hikkii317-5c5.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/ea53289cc83c3eb73f0733ab31121f8a

1961(昭和36) 7歳

9/30(左利きミステリ/SF)H・G・ウェルズ「プラトナーの話」宇野利泰訳 ――『来たるべき世界の物語』H.G.ウェルズ短篇集〈第1〉 早川書房編集部編 ハヤカワSFシリーズ 収録(別題「プラトナー物語」The Plattner Story (The New Review 1896/4))
  四次元世界に飛び込み戻ってきた男性は右利きから左利きに、内臓を含め身体の左右も反転していた。

「プラットナー先生綺譚」小野寺健訳 『白壁の緑の扉』
  ボルヘス編バベルの図書館8 国書刊行会 1988/9・収録

(参照)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第561号(No.561) 2019/12/21「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(38) 小説編:左右反転世界「大喝采」横田順彌」
2019.12.21
右用と左用の違い(38)小説編左右反転世界「大喝采」横田順彌
-左利きで生きるには週刊ヒッキイ561号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2019/12/post-24c855.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/0ba543b6e210a8a6e9f74a3aa7732c50

第565号(No.565) 2020/2/15「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(39)小説編(2) 左右反転で左利きになった人々
(楽しい読書・コラボ編)」
2020.2.15
左右反転小説-左利きになった男(楽しい読書/週刊ヒッキイ・コラボ編)
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2020/02/post-386af3.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/4f51bd8d9db08cbed1d00af8d1aad595

1963(昭和38)頃か? 9歳?

(小学4年?)親戚のお葬式?での食事の際、左手に箸を持って食べている私に同席の大人の男性が「左利きは頭がおかしい…」といった言葉をかけてきた。それ以来、人前では右手を使えるように、と考えるようになり、ひそかに右手で字を書く練習を始める。
運動会でもらった低学年用みたいで使っていなかった大きな升目のノートを使ってかなりの期間練習し、かたかな、画数の少ない漢字、線の少ないひらがなはかなり書けるようになっていた。
しかし学年が上り、勉強が難しくなると、ノートを取るスピードの問題など時間的制約を感じるようになると、やはり左手でないとついていけなくなってしまい、立ち消えになった。

(参照)『レフティやすおのお茶でっせ』
【左利きライフ研究家レフティやすおのできるまで】
2012.12.26 第5回 最初の衝撃!

●「ぎっちょ/左ぎっちょ」と「差別」
●最初の衝撃!
●「頭がおかしい」発言によるショック
●親にも言えないこと
●ある決意
●秘密の特訓
●左手書きでも「けっこうきれいな字だ」
●忙しくなれば…
※本稿は、『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「少年時代その1(左利きマイヒストリー・エッセイ)」「最初の衝撃!」を基に書いています。

(小学4年?)習字の授業が始まり、大筆を使う大きな文字は腕全体の動きで書くので、新しい技術として見よう見まねで右手で書く。左利きの児童向けの指導がなかったこともある。素直な子だったから左手での書き方を先生に尋ねることもなかった。ただし、横に名まえを書くときは小筆を使い小さい字で書かねばならないくので、手先の細かい作業はやはり左手でないと不自由なので、左手に持って書いた。
(小学4年?)そろばんの授業があり、これも見よう見まねで右手で行う。

1964(昭和39)? 10歳or11歳?

(小学5年or6年?)家庭科の授業で、裁縫を習う。習字やそろばん同様、見よう見まねで右手で運針をこなす。手先の細かい作業なので左手でやってみようとしたが、いちいち先生の言うことを頭の中で左右を入れ替えてやるのが面倒になりやめる。

1966(昭和41)?12歳?

(中学1年?)ペン習字の時間があり、ペン軸にペン先を差し込む式のペンをインクに浸して書くのだが、左手で書く場合はペン先を紙に押し付けるため、ペン先が固いせいで紙が破れるだけでまったく書けず、おおじょうする。

1967(昭和42)?13歳?

(中学2年?)技術家庭の授業で、製図を習う。T定規を使って線を引くのだが、左手で書こうとすると反対の方から線を引くことになり非常に使いにくいことがわかり、右手で線を引くようにする。

1968(昭和43)14歳

(中学3年)高校受験を控え父兄懇談で工業高校に進むと決まったことを知った数学の担任の先生が、工業高校に上ると左利きではいろいろ不自由なことがあるから右に直したほうがいい、と忠告してくれる。
――その時点では正直よく理解できなかったが、日常左利きであることに不便さは感じていたが、何で直さんならんねん、という気もあって「嫌な先生だ」と感じた。今思うと決して悪い先生ではなく、よく忠告していただいたと思っている。当時はまだ個人でどうにかするしかない時代だったのだ。とにかく利き手についてふれた指導をしてくれた先生はこの人だけだった。忠告はしても具体的に強制的な指導はしなかった。

『左利きの世界』箱崎総一 読売新聞社 ――後の〈左利き友の会〉主宰者で精神科医による、日本初の左利き応援本?
 <“左利き”の旗手>として、戦後『太陽の季節』により文壇の寵児となり、政治家に転身した石原慎太郎さんと芸能界の左利きとして《わが国の映画界で活躍している一家》高田浩吉さんとその娘・高田美和さんを紹介し、高田美和さんの「手記」を掲載。

1968-hidarikikinosekai

1968-hidarikikinosekai-mokuji

(参照)
第519号(No.519) 2018/6/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その23―
左利き者の証言から~ 左利き先輩たちの足跡(2)高田美和」

『わが家は父も母もそろって左利きですが、そのせいもあって、私は小学校へ上がる前ごろ、両親から人一倍きびしく、右手を使う特訓を受けましたが、どうしてもうまく行きません。困り果てた両親が、小学校の先生に頼みこんだところ「なおすひつようはありません。また、無理になおすと、どもりになるおそれもありますから」といわれて、両親以上に私もホッとしました。

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『レフティやすおのお茶でっせ』2018.6.13
左利き者の証言(2)『左利きの世界』から高田美和
-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第519号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2018/06/2--hikkii519-3e.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/706537ad79155a698052c9a3ca1d12cd

1969(昭和44)15歳

(高校1年)工業高校に入学する。製図の時間、ドラフターを使うときはやはり左手で線を引くのはむずかしく、右手で線を引く。数字などは当然左手で書く。
――実習で各種の工作機械を使うようになるが、どれもやはり右利き用に設計されていると実感する。利き手の違いによる違和感を持ち始める。

1969-1972(昭和44-47)?年月不明

?/入学祝いに父に買ってもらった腕時計を当初は左手にするものだという固定観念で、左手にしていたが、字を書くとき邪魔になるせいもあり、いつしか右手にかえる。

1971(昭和46)17歳

精神科医箱崎総一による左利き友の会発足。(1975/1『左利きニュース』42号をもって活動停止) ――この左利き友の会のことは当時新聞でも話題になり、その記事を読んだ記憶がある。興味はあったが参加するところまでは行かなかった。左利きであることを家では公認されていたものの、自分のなかにコンプレックスがあり、それを自ら表明するようで、親に対して申し訳ないような気持ちもあり、そういう思いを人に知られることが嫌だったから。

5/「兄弟」阿刀田高 ――双子の兄弟の片割れとの扱いの違いに悩むもう一方の片割れのお話。
初出:東京新聞等 昭和56年(1981)5月31日
(1981) 収録短編集『最期のメッセージ』講談社刊
(収録短編集)『新装版 最期のメッセージ』講談社文庫 2009.1.15

(参照)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第291号(No.291) 2011/12/17「名作の中の左利き~推理小説編-3-「兄弟」阿刀田高」
2011.12.29
阿刀田高「兄弟」とLYGP2012:メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」291、292号告知
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2011/12/lygp2012-hikkii.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/8067fe3bf2ee0e82e960e5259cc9b509

--高校卒業まで--

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本誌では、「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [24]レフティやすおの左利き自分史年表(1)1954-1979―世界が間違っている」と題して、今回も全紹介です。

今回からは予定を変更し、メインのコンテンツの一つである「レフティやすおの左利き自分史年表」の改訂版の第一弾をお送りしています。

過去2号に渡って、私の左利き活動について、その「初心」を紹介しました。
その流れでこういう展開になりました。

従来の年表をそのまま示し、更新停止した2009年以降の追加を入れるという方法もありましたが、この際思い切って更新版を作製することにしました。

今回は、誕生から高校卒業まで、【左利きライフ研究家】の前史といったところでしょうか。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

 

『レフティやすおのお茶でっせ』〈左利きメルマガ〉カテゴリ

 

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2023.10.15

私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと-楽しい読書352号

古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年10月15日号(No.352)
「私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと」

 

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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年10月15日号(No.352)
「私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと」
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 前回に引き続き、本と本屋の世界といいますか、業界について、
 「元本屋の兄ちゃん」として、本好き・読書好きの人間として、
 私なりに考えていることを書いてみようと思います。

 前回は、朝日新聞の記事「本屋ない市町村、全国で26%~」を基に、
 書店が生き残る方法など、私なりの考えを書きました。
 再販制度をやめよとか、雑誌販売についてとか、
 書店の選書について等々。

 今回はその続きで、出版業界における改革について、
 私なりの案を書いてみましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 - 日本の本は安い!? -

  ~ より良い本作りのために ~

   本の価格を1.5倍に、著者・出版社・書店に厚く配分する
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●日本の本は安い!?

以前読んだ雑誌の記事によりますと、
海外の本の値段を日本のそれと比べてみると、
およそ1.5倍だというのです。

どのように比較したかといいますと、
どんな作品だったかは忘れましたが、
日本でも海外でも翻訳されている古典の名作を比較したわけです。

たとえていえば、ドストエフスキーだとか、ですね。
日本なら文庫本で出ていますが、
海外でもポケットブック判で出ていたりするわけです。

それを比較する。
翻訳作品ですから、著書以外に翻訳者の翻訳料も含まれるわけです。
編集や営業やらなんやらの出版社の取り分と、
それに物の本としての原材料費のようなものが加算されます。
そこに、流通業者の取次や書店の取り分が加算されたものが、
最終的な本の値段になるわけです。

日本の本は海外のものに比べて安い、というわけです。
本の値段が安いと何が問題かといいますと、
それぞれの段階で取り分が少なくなる、ということです。
取り分が少なくなれば、それだけ経済的に生活が苦しくなる、
ということになります。

 

 ●本の値段を上げてみれば?

そこで、本の値段を上げてやれば、それぞれの取り分が増え、
余裕ができ、やたらと仕事をしなくても生活が楽になるわけです。

本を書く人(著者や翻訳家など)は、
じっくり時間をかけて作品と取り組むことができます。

出版社は、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとばかりに、
本をやたら点数出す必要もなくなります。
売れる本の冊数が少なくなっても一冊当たりの取り分が増えれば、
その分補うことができます。

こうして著者や出版社側の条件をよくすることができます。
すると、よりよい作品が生まれる可能性が高まります。

 

次に、流通側です。

流通側の取次は、現状では基本的に本を動かせば(送品・返品)、
お金が入ることになっています。
また、どちらかといえば、比較的大きな会社がやっていますので、
現状でも本さえ出版され、時に売れれば、もうけは出るはずです。

取次は現状のままでも本の値段が上げれば、
もちろん、取り分も少しは上がるはずです。

 

問題は、今急速に減少している本屋さん(書店)です。

パパママストア的な地方の小さな書店や、
それに毛が生えたような中小の書店でも、
本が売れにくい現状で、一方で出版社がやたら本の点数を出すので、
一冊の本をじっくりと時間をかけて売ることができにくくなっています。
新刊本でいい本があったとして、
次々と本が送られてくるので、限られたスペースでは置ききれず、
一定の期間でどんどん本を置き換えていくことになり、
口コミで徐々に読者が増えてきている状態になったとしても、
すでに地元の本屋さんには現物がない、という状況が生まれてきます。

また、都市部の繁華街にある大手の有力書店でも、
店舗の賃貸料が高騰し、本屋の取り分だけでは
もうけが出ない状況になってきています。

そこで今、新刊書店では、粗利の多い他の物品販売と組み合わせたり、
カフェなどを併設したりして、
もうけの取り分を増やすように工夫しています。

しかし、これも新たな業態への転換といっていいわけで、
新たな勉強が必要になります。

もちろん他の業界でも同じようなことが起きています。
何も書店だけのことではありません。
しかし、従来から大きく変化している業界の一つであることは事実です。

 

 ●本の価格を1.5倍に

まずは、本の価格を50%ほど値上げします。

で、増やした分の20%を書店の取り分に、
10%を著者に、15%を出版社に、残りの5%を取次に、と分配する。

細かな数字は別にして、大雑把に言ってこんな感じです。

現状では書店のもうけが少なすぎる(22%程度)ので、
専門家を雇うというのが、むずかしくなっています。
パパママストアや店主とアルバイトやパートさんでやっている、
という小さな本屋さんも少なくありません。

すると専門家は店主ぐらいで、後は経営はおろか、
本の知識も十分でない人が店頭に立つ、ということになります。
なにしろ本はあらゆるジャンルにまたがっているのですから。
文学は分かっても科学は分からないとか、
絵本や児童書、学習参考書が分からない、
今はやりのゲーム本やコミックが分からない、
ビジネス書や教養書や実用書のなんたるかが分からないとか、
専門書に至っては……。

スーパーの粗利が25%ぐらいといわれています。
22%ならそれほど変わらないじゃないか、といわれるかもしれません。
本は置いておいても腐らないし、毎日入れ替える必要もないだろう、と。

実は本も生ものなのです。
旬というものがあります。
雑誌はもちろん、新刊書籍であっても。

コロナ禍の際に、怪しげな内容のものも含めて、
いろんな感染症の本が出ました。
タイムリーにその時その時、読者が求めているものを供給する、
というのも出版の在り方です。

人気作家の売れ行き良好書や人気シリーズ、
古典だ名作だといった定番商品だけ置いていても、商売にはなりません。

インチキ本や怪しい本も色々出版されますし、ボーダーの本もあります。
そんななかで、
新しい時代の名著名作をフォローしていかなくてはいけません。
見極めるための勉強が必要になります。

本が売れない時代だといわれながらも、
一方で、爆発的に売れる本――ベストセラーが生まれることもあります。
何が売れるか分からない部分があります。
だからこそ、下手な鉄砲式に出版社はあれこれと点数を出すのです。

書店のことはその辺にして、次に進みましょう。

 

 ●より良い本作りが可能に

出版社と著書について。

著者の取り分は、印税と呼ばれて、平均10%といわれていました。
ところが、昨今ではこれがだんだんと下がってきているといわれます。
特に新規の(実績のない)著者の場合はかなり押さえられる、と。

これではいい本を書こうとしても、時間をかけて資料を準備し、
文章を推敲し、よりよい原稿にしようすることがむずかしくなります。

日本の場合は、出版エージェントといった職業がないので、
多くの作家が個別に出版社と交渉することになります。
どうしても作家側の力関係は弱くなり、
専業作家は数をこなすような仕事になり、自転車操業になってしまい、
よりよい作品を生み出すことがむずかしくなります。

出版社は、本の部数が出れば出るほど、一点の本が売れれば売れるほど、
もうけが増えるようになっています。
ベストセラーのような本が出れば、初めてもうけが増えるのです。

本が売れないといわれる時代になり、一点当たりの売上部数が減り、
本の価格が低ければ、もうけも減ってしまいます。
そこで、本の点数を増やして一発を当てようとするのです。
あるいは、数でなんとかもうけを出そうとします。
著者への印税を押さえ、経費を節減して。

出版社が点数を出す理由の一つに、
各書店の売場の割り当てを確保する、という意味合いもあります。

大手といわれる出版社の場合、
新刊売場の自社の面積を確保・維持するために
毎月同数の本を出す必要があるわけです。

そのため、常に一定の水準の本を確保するというのはむずかしいもので、
実績のある人に原稿を依頼するということが多くなります。
結果、同じ著者の似たような本があちこちから出る、
という現象がおきます。

 

せめて本の価格が高くなれば、
経費を差し引いたその分、もうけの幅が増えます。

本のもうけが増えれば、
ムダに本の出版点数を増やす必要もなくなります。
いい本だけを出そう、とすることが可能になります。

 

 ●「軽い」本は電子版で

今の出版社は、先ほども書きましたように
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」というような傾向を感じます。
とにかく点数を出して一発当ててやろう的な。
この業界は一発当たれば一気に儲かる、
という仕組みになっているそうです。

しかし、実際にはそんなに玉はないものです。
確かにネットにはいろんな文章があります。
名のある人が色々と書いているのは事実です。
それらを適当にまとめても本になります。
そんな風に作られた本もかなりあります。

あるいは、
昔なら総合雑誌などに一本の記事として出されたような文章が、
色々と実例やデータを交えたり、
イラストや図表をいれてよりビジュアル的にわかりやすく読みやすく、
ズバリ言えば水増しをして一冊にまとめる、
といった本作りもされています。

そういう私から見ると、軽い本が多く出されています。
こういう本は紙の本で出す必要はありません。
どうしても出したいのなら、電子版で出せば、
資源の無駄遣いも減るだろうと思います。

それでも売れるような「良い本」と認められれば、
その時点で「紙で残す」という選択肢を採ればいいのです。

電子版についていいますと、
日本の電子版は紙の本に比べてお高いようです。

といいますか、紙の本の方が安いという言い方もできますね。

 

 ●「良い本」を作れる環境を!

まとめ的にいいますと、
現状ではまず本の値段を上げてそれぞれの取り分を増やす。

そうして、著者・出版社の「良い本」を作れる環境を整え、
書店がそれらの「良い本」をじっくり時間をかけて売れる状況にする。

――というところでしょうか。

 ・・・

書店の改革といいますか、最近の書店の傾向といいますか、
カフェを併設するとか、専門店化するといったことについては、
また次の機会に考えて見たいと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「私の読書論175-出版業界―または本と本屋のこと」と題して、今回も全文転載紹介です。

今回は、主に書店側から出版社・著者について考えてみました。

ふだんから思っていることの一つが、本を出しすぎじゃないか、ということでした。
35年ほど前、本屋さんで働いていたころから感じていることです。
当時で、年間4万点ぐらいだったかと思います。
それでも多いと感じていたのですが、今では8万点を越えているそうです。
それでも最近では少し反省されたのか、横ばいになっているとか。

色々なレベルの本が出るのはいいことですが、点数が多くなりますと一般の書店では置ききれません。
売れる前に返品せざるを得ないというケースも出てきます。
そうしないと毎月次々と新刊が送られてくるからです。
この本は売れると持っても、次の新刊が出て来ると考えなければいけなくなります。

お客様が新聞の書評など切り抜いて、この本ありますか、と来られるのは、本が出てたいてい二ヶ月後ぐらいです。
書評が新聞や雑誌に出るころには、書店の店頭にはない、というケースも少なくありません。
その際、注文を出してもこの段階では返品にまわっているケースが多く、出版社品切れで帰ってくることもよくありました。

本を選んで出して欲しい、というのが書店員側の希望でしたね。
今も同じです。
著者や編集者のみなさまでどうしても出したい本があるというのなら、まずは電子版で出して、ようすを見るというのをオススメしたいものです。
それで「売れ(てい)る」となったら、紙で出す、というぐらいでちょうどいいのではないか、という気がします。

 ・・・

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2023.10.07

<左利きの人の覚醒>左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii創刊19年記念号-第650号

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』【別冊 編集後記】

第650号(No.649) 2023/10/7
「創刊19年に向けて―650号記念号―
 <左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン

  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第650号(No.649) 2023/10/7
「創刊19年に向けて―650号記念号―
 <左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要」
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 いよいよ創刊以来19年目に突入します。

 週刊といいながら途中から月二回になりましたので、
 18年たったにもかかわらずまだ650号です。

 とはいえ、毎日発行しても2年近くということになりますから、
 相当な数になると思います。
 

 本来ですと、月の初めの第一土曜日は、

 「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界」

 をお送りしていましたが、今回は、またまたお休みで、
 (ただいま勉強中! 鋭意情報収集中!)

 記念放談となります。

 今回から、購読するという方もいらっしゃるかと思いますが、
 毎回こんな風ではありませんので、
 これからも温かい目で見守ってください。

20239hikkiimagmag
(画像:まぐまぐ―『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』登録ページ)

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
  創刊19年に向けて―650号記念号―

  「来た、見た、買(こ)うた」から始まった左利き活動33年

    <左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

 ●左利き活動の「初心」は?

前号では、このメルマガの「初心」について書きました。

《幼い頃の自分のように左利きで
 嫌な思いをする人がいなくなるように》

という思いで、何かできないかということで始めたわけです。

一方、私の左利き活動は、ネットの前に紙の時代がありました。
その紙の時代の前に、個人の時代がありました。
人に知らせる前に、個人的にあれこれしていた時代ですね。

そもそもそのときの「初心」とはなにか、といいますと、

《左利きの人たちに「左利きの人は左利き用品を!」
 ということを伝える》

ということでした。
そして、

《左利きの人たちを覚醒させたい》

ということでした。

《右利きの人たちは、身体に合った道具や機械を使うことで
 いかにいい思いをしているか、を知って欲しい》

ということです。

《左利きの人も、自分の身体に合った道具や機械を使うことで、
 快適な生活を送ることができるのだ》

という事実を認識して欲しい、ということです。

では、いかにしてそのような思いを抱くようになったのか、
その辺の事情を書いてみましょう。

 

 ●「来た、見た、買(こ)うた」

《左利きの人たちに「左利きの人は左利き用品を!」と伝える》
という気持ちになった、そのきっかけについて書いてみます。

それは一つのカメラに出会ったことがきっかけでした。

 ・・・

始めに、この見出しについて説明しておきましょう。
 
「来た、見た、買(こ)うた」というのは、
「来た、見た、勝った」という、
古代ローマのユリウス・カエサル(英語読みシーザー)
の勝利を伝える言葉をもじったもので、

昔、大阪・日本橋でんでんタウンにあった家電販売店
「喜多商店」のキャッチコピーで、
テレビでもよくCMが流されていました。

実際に私が買ったのは、他のお店、「カメラのなにわ」でしたが。

当時よく日本橋のでんでんタウンと呼ばれていた
家電の街に遊びに行ってました。
そのはずれというか、日本橋側の駅に近いの方のお店でのことです。

 

 ●左利き活動の始まりは、1990年末「世界初左手用カメラ」購入

私の左利き活動は、正規には、1991年1月1日開始としています。

その前年末、会社のお正月休みの初日に、ボーナスのお金をもって、
大阪市内の有名カメラ店へカメラを買いに行きました。
それが、運命の出会いでした。

その時に買おうと思っていたのは、
当時はやりのニュー・コンセプト・カメラの一種で、
1989年7月1日に発売された「世界初左手用カメラ」という
キャッチコピーの「京セラ SAMURAI(サムライ) Z-L」という機種の
同年9月に出た、一部機能を省略した廉価版の左手用「Z2-L」でした。

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1990年12月1日の『週刊プレイボーイ』(集英社)に、
ニュー・コンセプト・カメラ特集の「ぐぁんばれ、カメラ!!」
という記事が出て、そこにこの「Z-L」も紹介されていました。

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片手で写せるカメラ「ワンハンド・ショット」というのが売りで、
それなら右手用と左手用が必要だ、とこの機種が開発・販売された
という話でした。

そして、右手用と同一価格で発売。
左利きの人のために作られたカメラというのです。

まずは見てから、と思い、カメラ店に行って聞いてみると、
すぐに出してもらえました。

手に取った瞬間から、手に、身体にピッタリとフィットして、
なんとも言えない感動でした!

それはちょうど、右利きの人がビデオ・カメラを右手に持って、
右目でファインダーをのぞいて撮るのが、ピタッとくるように。

 

身体に合った道具・機械って、こんなに素敵なものなのだ、と実感!

右利きの人たちは、いつもこんないい思いをしていたんだ、と。

やっぱり左利きの人は、左利き用の道具を使わなければダメだ、と。

当時、自分のまわりに何人かの左利きの友達や知り合いがいました。
それらの人たちに「人生の真実」を教えてあげなくちゃ、と思い、
それが左利き活動を始めるきっかけとなりました。

店員さんによりますと、そのお店で販売した左用は三台目だ、
ということでした。
少なくとも三人のお仲間がいたわけですね。
きっと大喜びで帰っていかれたことでしょう。

 

 ●右手用のハンディカムの違和感

カメラを買おうと思った動機について、
いままで書いていなかったことですが、書いておきましょう。

本屋で働いていたとき、向かいにSONYのお店があり、
よく出入りしていました。

先ほど、ビデオ・カメラのことを書きましたが、
当時ハンディカムというビデオカメラが流行っていた時期で、
私もパスポートサイズのものではないのですが、
小型のビデオ・カメラを買いました。

母親が末期のがんで、もう先がないと言われていて、
何か記念になるものを残したかったのです。

でもこのビデオ・カメラというのは、
右手に持って動作するというもので、右手専用といってもいいもので、
左手は全くといっていいほど、不要なものになっていました。

私個人としては、強度の左利きですので、
右手を使うのはあまり得意ではありません。

どうもうまく行かない感じで、
撮ったものを見てもらったSONYのお店の店長さんからも
「ピントが甘い」とかなんとかかんとか、「もう一つ」の評価でした。

ちなみに、店長さんは左利きの方で仲良くしてもらっていました。
ビデオ撮影も得意で、私同様半田付けもできるし、
持ち込み修理もやってくれる、何でもできる器用な方でした。

そんなときに京セラの左手用「サムライ」のことを知りました。
まさに自分のために作られたカメラのような気がしたものでした。

休みのたびにあちらこちらと写真を撮りに行っては、
その使用感の心地よさを改めて実感していました。

 

 ●『モノ・マガジン』左利き特集号との出会い

そんなときに、母が亡くなりました。
1991(平成3)3月、37歳のときでした。
遂にその日が来たのです。
幸い特に苦しむこともなく。
前日まで自分のことは自分でできて、外出などはむずかしいにしても
毎朝起きると身だしなみを整えて、安穏に暮らしていました。

そして、その後のなにやかんやの日を過ごしていたとき、
新聞の朝刊の広告で、ある雑誌のことを知りました。

『モノ・マガジン』左利き特集号(1991年4月2日号 No.188)
「特集/左を制するものは時代を制す/左利きの商品学」

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というものでした。

すぐ、近くの本屋さんに行って買ってきました。
この雑誌との出会いが、また一つの転機になりました。

なにしろ、実に色々な商品が、
左手・左利き用品が写真入りで紹介されていたからです。

亡くなった母の最期の贈り物だったのかもしれません。

 

 ●存在を知らなければ、「存在しない」のと同じ

このカメラのお陰で
「左利きは自分の身体に合った左利き用の道具・機械を!」
という真実を知り、
次に『モノ・マガジン』のおかげで、カメラ以外の
左手・左利き用の道具のあれこれの存在を知ることができました。

それまでは、ただやみくもに行き当たりばったりに、
あるかどうかも分からない商品を、それとなく探していたものでした。

 

でも今は現実に存在すると分かっているものを探すのですから、
ずっと簡単です。

日本中で、私と同じように、
この雑誌から多大な影響を受けた人はおおぜいいらしゃっただろう、
と思います。
私と同じようにこれらの商品を探し、買い込んでいた人たちが……。

こういう現象は、
「左利き友の会」(1971(昭和46)年発足)が活動していた1970年代、
1973(昭和48)年の麻丘めぐみさん「わたしの彼は左きき」
(作詞・千家和也 作編曲・筒美京平)のヒットのころに起きた
<左利きブーム>以来のことではなかったか、と思います。

ただし、今回は一部の左利きの人だけのことだったでしょうけれど。

 ・・・

まずは「左用のハサミ」を探すことにしました。

話には聞いていたけれど、実物は見たこともなかったハサミを
会社の休みの日にあちこち探し歩きました。

すると、あんなに無縁だと思っていた左用のハサミが
案外身近に見つかったのは衝撃でした。

いつもよく行っていたスーパー「西友ストア」の文具売場に
「レイメイ藤井」の「こどもはさみ」左手用がありました。
しかも、右手用と同じ価格で売っていました。

次に、「コーナン」という関西中心のホームセンターで、
「林刃物」の「左手用ハサミ」一般事務用を見つけました。

結構あるやん、知らんかっただけやん、と。
「無知」「知らない」というのはいかに悲惨なことか、
と実感しました。

その存在を知らなければ、「存在しない」のと同じなのです。

これらの見つけた情報をまわりの左利きの友人知人に
次々と話してゆきました。

現物を見せて話しても、思いの他、共感してもらえなくて、
がっかりな部分も多い日々でした。

 

 ●最初はハガキサイズの「左組通信」という紙媒体

当時、「プリントゴッコ」という簡易印刷機がありました。
年賀状などをこれで印刷していたものです。

1990年末に左手用カメラ「Z2-L」を買い、左利きに目覚めた私は、
左利きの活動をボチボチと始めました。
翌1991年の3月に「左利き特集号」に出会い、その活動に加速がつき、
その後同年末、いよいよ、左利きの友人・知人と友人たちに向けて、
左利きの会員と右利きの賛助会員の募集を始め、
「LEFTY CLUB『左組』」を始めることにしました。

プリントゴッコでハガキサイズの左利き用品について書いたお便り
「ひだりぐみ通信」を始めることを考えました。

当時、私の左利きの友人・知人といいましても、
みんながそれぞれに知り合いというわけではなく、
一堂に介して話ができるという状態ではなく、
私が会って話すのは一度に一人ずつぐらいで、
同じ話を何度もしなければならないわけです。

元々口下手でもあり、そういう状況は非常にやっかいなものでした。

幸い、子供の頃から話すのは苦手でも、その不足を補うかのように、
文章を書くのは結構好きで、高校生時代は物書き志望だったくらいで、
「じゃあ、書いてみよう」ということで始めたのでした。

 

現存するものを引っぱり出してみました。

実際の発行は「0号」が1992年4月1日付で、
「創刊1号」が5月21日付、「創刊2号」は1993年4月25日付、
「創刊3号」は1994年1月21日付、「創刊4号」は1994年3月1日付。

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もう少し出したつもりだったのですが、記憶違いだったのか、
この程度でした。

思えば当時は、私が一番忙しく働いていた時期(下請けの町工場で、
週6日朝8時から夜8時頃まで、工場長兼雑用係として)でもあり、
なかなか個人的な「趣味」に割く時間がなかったものでした。

 

その間、1993(平成5)年、
『モノ・マガジン』の左利き特集で紹介されていた、アメリカの
「Lefthanders International」に問い合わせの手紙を出したところ、
9月29日に『Lefthanders Magazine』の<見本>として、
バックナンバーの一冊が届きました。

ちなみに、入会後届いた「11・12月号」の通信販売のページに
「タジマ・サウスポー・カッターナイフ」の広告を発見し、
外国に日本のものが紹介されていて驚いたものでした。
日本の会社もがっばってるじゃないか、と。

1994年4月には、雑誌で知ったイギリスの左利き用品専門店
「Anything Left-Handed」の通信販売で左利き用品を購入
(文具セット、万年筆、他)し、顧客が参加できる
「Left-handers Club」の会員にもなりました。

のちにこちらの会誌に、紙版の『ひだりぐみ通信』に代わる季刊誌
『Lefties’Life』誌に英語のキャプションを付けたものを送ったところ、
第一面で「左組」が紹介されるということもありました。

 

 ●左利き活動の「初心」について――もう一度

今回現存する「左組通信」を読んでみますと、「入会案内」にすでに
左利きのお子さんをお持ちの親御さんへの言葉もありました。

今思い起こすと、当初は、あくまでも
大人の人に「左利きの人は左用を!」と訴えることが主目的でした。

ところが、左利きの友人・知人の輪をひろげていく過程で、
左利きの子を持つ親御さんに出会い、その悩みを聞く機会がありました。

私自身は、小学校入学時に、左手利きが「公認」されていましたので、
その後の社会の変化(「左利き友の会」や「わたしの彼は左きき」の
ヒットなど)もあり、
「左利きは左利きのままで」が当然のことと思っていました。

しかし、必ずしもそうではない、という事実を知らされて、
左利きの人自身の覚醒のみならず、
右利きの人への啓蒙も必要と感じるようになっていたようです。

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今、大路直哉さんの新著『左利きの言い分』の中で、
左利きの不便益の問題に対して、右利きの人の共感を得て、
相互理解の上で、左利きに優しい社会を実現していこう、
といった内容の話を書かれています。

確かに右利きの人の理解なくして、「右利き(優先の)社会」を
「左利きの人にも優しい社会」に変えることはできません。

そういう意味からも
右利きの人の共感を得られるように努めることは大事だ、と思います。

ダーウィンの言葉にこういうものがあるそうです。

 《愛国心、忠誠、従順、勇気、
  そして共感の感情をより高く保持していて、
  たがいに助け合ったり、全員の利益のために
  自分を犠牲にする用意のあるような人間を
  たくさん擁している部族が、
  他の部族に打ち勝つだろうことは間違いない。》
   チャールズ・ダーウィン『人間の進化と性淘汰』文一総合出版
  "The Descent of Man and Selection in Relation to Sex"(1871)
    長谷川 真理子/訳 文一総合出版 2000/2/1 

互いに助け合うというのが、本来の社会性だろうと思います。
多様性とよくいいますが、
 <誰もがしあわせになれる社会>を目指して努力する、
というのがあくまでも理想の姿だ、と思っています。

 

 ●始まりは左利きの人の覚醒にある

しかしその前に、ここであえて私が強調したいのは、
まずは当事者である

 <左利きの人自身が「左利きの問題」に目覚めるべきだ>

ということです。

当事者が「苦」を訴えなければ、他者の共感も得られません。

しかし、私が強調したいのは、まずは当事者である

 <左利きの人自身が「左利きの問題」に目覚めるべきだ>

ということです。

 

今、このメルマガの第一土曜日発行分では「左利きと音楽」について、
なかでも「左利きと楽器」について考えています。

その時によく目にする言葉は、
「両手を使うから利き手は関係ない」とか、
「初めて習うことだから利き手は関係ない、慣れたら一緒」
といった言葉です。

しかし、両手を使うといっても、使い方に違いがあるケースが大半です。
ギターしかり、バイオリンしかり。
ギターには、ちゃんと左用があります。
しかし、バイオリンには?

またピアノは両手を使いますが、使い方に差が、違いがあります。
右手では多く主旋律を、左手では主に伴奏を担当します。

そもそも、腕や指の使い方が違います。

人間の腕は、右腕は左から右へ横に引くような動きが自然です。
左腕はその逆で、右から左への動きが自然です。
指は、親指から小指へ順に動かすのが自然な動きで、
小指から親指へ順に動かしてゆくことはあまりありません。

また音階は、低音から高音へと移っていく方が、心が伸びやかになり、
逆に高音から低音に移っていくのは、心が沈んでゆきます。

それゆえ通常のピアノでは、右腕・右手の指の自然な動きに合わせて、
音階は、左から右へ低音から高音に移ってゆくのです。

親指で「ド」を弾き、次に人差し指で「レ」、
さらに中指で「ミ」というふうに……。

 

左手指・腕の得意な左利きの人では、その逆の動き、
右から左へ順に低音から高音に移っていく方が、自然な動きとなります。

 ・・・

長くなりますので、説明はこの辺でおわりにしますが、
そういうふうに、人間の身体には左右の違いがあり、
それゆえに、左利きの人の「幸福」を考えますと、
左利きの人は自分の身体に合った道具・機械を使うのが、
大切なポイントになります。

そういう
 <左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要なことだ、
と考えて、私は左利きの活動を日々行っているのです。

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本誌では、「創刊19年に向けて―650号記念号―<左利きの人の自覚――意識の覚醒>が最も重要」と題して、今回も全紹介です。

またまた長い文章になってしまいました。
毎回、何を書くか、きちっと決まってから書くのではなく、だいたいこんな内容で、と決まっている程度で書き始めます。
で、書いているうちに色々な資料を引っぱり出して、ああでもないこうでもない、としながら何稿も書いて、やっとここまで到達します。
そんな書き方ですので、とにかく長くなって意味不明な結果にもなりかねません。

まさに行き当たりばったりの書き方で、読む方もそれなりに読んでいただければ、幸いです。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

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