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2022.06.30

中国の古典編―漢詩を読んでみよう(17)漢代(8)古詩十九首(2)-楽しい読書321号

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2022(令和4)年6月30日号(No.321)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(17)漢代(8)古詩十九首から(2)」
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 しばらくあきましたが、久しぶりに漢詩を読んでみましょう。

 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」の17回目です。

 後漢末期、五言詩が中国の詩の中心となるきっかけとなった
 作品群の一部が、後世「古詩十九詩」としてまとめられました。
 今回も引き続き、そのなかから<妻の悲しみ>についての詩を――。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆ 知識人の悲しみ ◆
 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(16)漢代(6)
  後漢末期・古詩十九首 から(2)妻の悲しみ
  ~ 其の二/其の十九/古詩 ~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「五、知識人の挫折――古詩十九首」より

 

 ●古詩十九首 其の二

漢詩の伝統の中には、妻の悲しみをテーマにする系譜があるそうで、
その出発点となったのが、この「古詩十九首」あたりで、
今回はそういう詩を紹介しましょう。

 ・・・

 其二  其の二  無名氏

青青河畔艸  青青(せいせい)たる河畔(かはん)の草(くさ)
鬱鬱園中柳  鬱鬱(うつうつ)たる園中(えんちゅう)の柳(やなぎ)

盈盈楼上女  盈盈(えいえい)楼上(ろうじょう)の女(じょ)
皎皎当窓牅  皎皎(きょうきょう)として窓牅(そうゆう)に当(あた)る

 青々(あおあお)と萌(も)え出(い)でる河辺(かわべ)の若草
 鬱蒼(うっそう)と茂っている庭の柳

 満ちあふれるような美しさを発散させている高楼(たかどの)の上の女性
 輝くように色白のその姿が、窓辺に寄り添っている

 

娥娥紅紛粧  娥娥(がが)たる紅紛(こうふん)の粧(よそほひ) 
繊繊出素手  繊繊(せんせん)として素手(そしゆ)を出(いだ)す

昔為倡家女  昔(むかし)は倡家(しようか)の女(じょ)に当(あた)る
今為蕩子婦  今(いま)は蕩子(とうし)の婦(つま)為(た)り

 なおやかに美しいその姿を
  紅おしろいのお化粧がさらに引き立てている
 彼女はほっそりとした白い手を見せている

 彼女は以前、演芸場に勤める娘であった
 今では旅ばかりしている夫の妻になっている

 

蕩子行不帰  蕩子(とうし) 行(ゆ)きて帰(かえ)らず
空床難独守  空床(くうしよう) 独(ひと)り守(まも)ること難(かた)し

 夫は家を出たままずっと帰って来ない
 さだめし彼女は、夫のいない寝床で独り過ごすことがつらいんだろう

 ・・・

行商人なのか、旅に出ている夫の妻となった歎きを詠う詩ですが、
その裏に暗号が隠されているといいます。

 《旅する夫と別れている若妻に託して、当時の知識人の、
  仲間と会えない、
  朝廷の天子さまに会えない歎きが表現されています。》p.179

第二句の「鬱」という字、これが植物を形容することは、めずらしく、
『詩経』の歌に
(秦風―晨風)――
 「鴥(いつ)たる彼の晨風/鬱たる彼の北林/未だ君子を見ず/
  憂いの心 欽欽たり」
 「さっと激しく吹く朝風、うっそうと茂る北の森。
  そちらの森の方角にいる賢者に会えない、私の心は悩んでばかり」
とあり、

 《“鬱蒼と茂る樹木”というのは、立派な人、
  慕わしい人に会えないことを言う枕詞のようになっている》p.179

そこがこの詩とダブる、といいます。

『詩経』の知識がないと分からないのですが、そこで、
『詩経』が広く定着した後漢以後に作られた詩だと推測できるわけです。

こういうダブルミーニングな部分が、「古詩十九首」の特徴です。

主人公が女性で、
その裏に作者である知識人層の悲しみが込められている、といいます。

 

 ●「閨怨詩(けいえんし)」

漢詩の大きなジャンルの一つ「閨怨詩(けいえんし)」――
「閨」は、“女性が部屋で歎くことを歌う歌”の意味。

 《表面的には男性の愛が得られない女性の歎きを歌いながら、
  その裏に、才能があるのに君主に用いられない作者の歎きを
  重ねるわけです。》p.180

女性の姿を美しく表現することで、
作者の才能が優れていることを示すので、
そういう詩が清朝末期まで脈々と作られたのだそうです。

これは、中国の多くの詩人たちが
役人だったことに関係するのではないでしょうか。
これは女心なんだと言い逃れしやすかったから。

 

 ●古詩十九首 其の十九

次に、「閨怨」のテーマとして有名な歌を紹介しましょう。

 ・・・

 其十九  其の十九  無名氏

明月何皎皎  明月(めいげつ) 何(なん)ぞ皎皎(きょうきょう)たる
照我羅牀幃  我(わ)が羅(うすぎぬ)の牀幃(しようい)を照(てら)す
憂愁不能寐  憂愁(ゆうしゅう)して寐(い)ぬる能(あた)はず
攬衣起徘徊  衣(ころも)を攬(と)りて 起(た)ちて徘徊(はいかい)す
客行雖雲楽  客行(かくこう) 楽(たの)しと云(い)ふと雖(いへど)も
不如早旋帰  早(はや)く旋帰(せんき)するに如(し)かじ
出戸獨彷徨  戸(こ)を出(い)でて独(ひと)り彷徨(ほうこう)し
愁思当告誰  愁思(しゅうし) 当(まさ)に誰(たれ)にか告(つ)ぐべき
引領還入房  領(うなじ)を引(ひ)いて
        還(かえ)りて房(へや)に入(い)れば
涙下沾裳衣  涙(なんだ)下(くだ)つて裳衣(しょうい)を沾(うるは)す

 ・・・

遠く旅に出た夫を待つ妻のようすを歌うものです。

 《彼女は月の明るい晩、眠れぬまま外へ出てゆきます。
  しかしなすすべもなくまた部屋に戻り、涙にくれてしまう……。
  この詩の“夜中の不眠→不安のため歩き回る”という設定は
  ひろく支持されまして、後漢から三国時代にかけて、
  同じような詩がたくさんが作られています。》p.181

 

 ●古詩

次に、「古詩十九首」に収められていない当時の古詩を紹介します。

 ・・・

 古詩  古詩  無名氏

上山採蘼蕪  山(やま)に上(のぼ)つて蘼蕪(びぶ)を採(と)り
下山逢故夫  山(やま)より下(くだ)つて故夫(こふ)を逢(あ)う
長跪問故夫  長跪(ちようき)して故夫(こふ)に問(と)ふ
新人復何如  新人(しんじん) 復(ま)た如何(いかん)と

 山に登って蘼蕪(おんなかずら)という草をつみとり、
 山から降りたところで元の夫に出会った
 丁寧にお辞儀をして尋ねた
 “今度の奥さんはいかがですか”

新人雖言好  新人(しんじん) 好(よ)しと言(い)ふと雖(いへど)も
未若故人姝  未(いま)だ故人(こじん)の姝(しゆ)なるに若(し)かず
顏色類相似  顔色(がんしよく)は類(おほむ)ね相(あひ)似(に)たるも
手爪不相如  手爪(しゆそう)は相(あひ)如(し)かずと

 新しい妻はいい人ではあるが
 君の美貌には敵わない
 容貌が要望がだいたい同じだとしても
 手芸の腕前は君に敵わないよ

新人従門入  新人(しんじん) 門(もん)より入(い)り
故人従閣去  故人(こじん) 閣(かく)より去(さ)る
新人工織縑  新人(しんじん)は縑(けん)を織(お)るに工(たくみ)にして
故人工織素  故人(こじん)は素(す)を織(お)るに工(たくみ)なり

 新しい妻が表門から入った時
 元の妻は台所から去って行った
 新しい妻は手の込んだ[かとり](傍点)絹を織るのが上手で
 元の妻は[しろ](傍点)絹を織るのが上手だった

織縑日一匹  縑(けん)を織(お)ること日(ひ)に一匹(いつぴき)
織素五丈余  素(そ)を織(お)ること五丈(ごじよう)余(よ)  
将縑來比素  縑(けん)を将(もつ)て
        来(きた)つて素(そ)に比(ひ)すれば
新人不如故  新人(しんじん)は故(こ)に如(し)かず

 新しい妻がかとり絹を織るのは一日に四丈で
 元の妻がしろ絹をおるのは一日に五丈を超えていた
 かとり絹をしろ絹に比べて見ると
 新しい妻は元の妻には敵わない

 ・・・

久しぶりに出会った元の妻と夫、
妻は今も夫を思い、夫も元の妻の方がみばもよければ、
織物の仕事の腕も優れていると、未練も残っている様子。

解説の宇野さんは、
当時の手工業者の集りの余興に歌われたものではないか、
と想像されています。

 《内容面では、今なお愛情を抱いている二人が、
  何かやむを得ない事情のために離別している感じがあって、
  後漢後半の非常に過酷な世の中で懸命に生きる民衆の姿が見えます》
   p.184
と。

『詩経』の草つみのたとえ――妻が離れている夫や恋人の健康や
再会を祈ることを表す――を受け継いでいるように、
《たいへん素朴で暗号もなく》、
《後漢に流行していたオリジナルに近い》もので、
当時歌われていたそのままの姿で伝わったのではないかといいます。

「古詩十九首」は、すべて暗号が入り、起承転結もきちんとして、
完成度が高い。

それは、『文選』によって表面に出るまで300年間、
《宦官の勢力を恐れながら密かに歌い継がれるうちに
 いろんな人の知恵が入ってアレンジされ、完成度が高くなった》p.184
と考えられると言います。

 ・・・

歌というものは、その時々の人々の様々な思いが込められ、
歌い継がれてきた、といいますが、
まさにそういう人々の思い、ときに男女の思いが歌われているのは、
いつの世も変わらぬもののようです。

個人の思いよりも、世の中の、社会の圧力といったもののなかで、
生きてゆかねばならなかったということでしょう。

戦後の日本では、かなり個人の思いが叶う可能性が高くなっています。
そういう時代に生きている喜びというものを
もう一度大事にしたいものです。

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(17)漢代(8)古詩十九首から(2)」をお届けしています。

今回もまた全文転載です。

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2022.06.18

『左組通信』復活計画<左利きプチ・アンケート>(14)利き手調査(3)第23回H.N.きき手テスト-週刊ヒッキイ第621号

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第621号 別冊編集後記

第621号(No.621) 2022/6/18
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [14]
<左利きプチ・アンケート> 全公開(14)「利き手調査」その3-1
 第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト」

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  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第621号(No.621) 2022/6/18
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [14]
<左利きプチ・アンケート> 全公開(14)「利き手調査」その3-1
 第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト」
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 <利き手調査アンケート>編の6回目です。

 3種類目の利き手テストを紹介します。

 H.N.きき手テストがそれ。
 これは、前回紹介しましたエディンバラ利き手テストが
 西洋のテストということで、日本人の利き手を正しく判断する上で、
 不都合な点があるとされ、一部の項目が変更された、
 「日本人による日本人のための利き手テスト」
 とでもいうべきものになっています。

 日本では、長年左利きが忌避され、
 右手使いが正しい作法という考えから、「矯正」と呼んで、
 特に箸使いと字を書くことに関して、
 無理矢理、左利きの子供を右手使いに転換させることが
 行われてきました。
 
 その影響から、「字を書く」という項目が
 真の「利き手」を判断する指標にはなりにくい
 という事実がありました。

 その欠点を補正するために調査項目の変更が為されたのです。

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
2020年は左利き公認60年&左利きライフ研究30年(その22)
ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [14]
  <左利きプチ・アンケート> 全公開(14)
  「利き手調査」アンケート編・その3-1
  第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛      

 ●第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト

220618enq23

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左利きを考える レフティやすおの左組通信
 Lefty Yasuo's HIDARIGUMI Announcement
 
  <左利きプチ・アンケート>
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<左利きプチ・アンケート>

第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト 

(初出)2005.12.24(最終)2007.04.29

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<左利きプチ・アンケート>
第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト 
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前原勝矢著『右利き・左利きの科学』に紹介されていた
側性係数(LQ)に始まり、
前回は、エディンバラ利き手調査を紹介しました。
そして、今回は利き手調査第三弾です。 

H.N. きき手テスト

これは、エディンバラ利き手調査や
アネット尺度(イギリスの利き手研究家の使用した利き手テスト)では、
社会的文化的影響を強く受けている日本人の利き手を
正しく判断できないという考えによって作成されています。

文字や絵を書/描く動作、およびナイフやスプーンあるいは箸を使う
といった摂食に関わる動作を割愛して、
いわゆる「矯正」の影響を省こうとしています。
(八田武志・中塚善次郎氏によって作成された故、
その頭文字をとってこう呼ばれているようです。)

※参照―八田武志『左ききの神経心理学』医歯薬出版 1996.11

 

以下の動作においてあなたはどちらの手を使いますか。

▼調査項目:

1・消しゴムはどちらの手に持って消しますか?
2・マッチをするのに軸はどちらの手に持ちますか?
3・ハサミはどちらの手に持って使いますか?
4・押しピンはどちらの手に持って押しますか?
5・果物の皮をむくときナイフはどちらの手に持ちますか?
6・ネジまわしはどちらの手に持って使いますか?
7・クギを打つときカナヅチはどちらの手に持ちますか?
8・カミソリ、または口紅はどちらの手に持って使いますか? 
9・歯をみがくとき歯ブラシはどちらの手に持って使いますか?
10・ボールを投げるのはどちらの手ですか?  

▼判定基準:

左手の場合には、-1点、
どちらでもないとき(どちらともいえない場合)は、0点、
右手の場合は、+1点、
 を配点する。

その合計点数が、
-4点以下は、左利き、
+8点以上は、右利き、
それ以外(-3~+7)は、両手利き、
 とします。

 

さて、あなたは右利き、それとも左利き、あるいは両利き、
いずれに判定されましたか。
以下の中で当てはまる番号に投票してください。

*今回は利き手調査のため、利き手別投票ではありません。
(手の不自由な方は、それぞれの判断で考慮の上、
投票に参加不参加を決定してください。)

*一言言わせて、という方は投票後に表示されます
一番下の「ご意見ボード」をご利用ください。
もっと言わせて、という方は掲示板もご利用ください。
貴方のご意見ご感想をお聞かせください

 

1 +9以上~10
2 +8以上
3 +5以上
4 +1以上
5 0
6 -1以下
7 -4以下
8 -8以下
9 -9以下~-10

________________________________________

●利き手調査テスト関連アンケート
第14回 貴方の利き目は右左どちらですか
第20回 利き手調査1回目―側性係数を調べてみよう
第22回 エディンバラ利き手調査
第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト
第24回 利き手調査第4回chapman利き手テスト
第28回 利き足を調べてみよう・チャップマン利き足テスト

(自己申告による利き手別の投票アンケート)
第33回 新版・利き手調査第1回―利き手テスト側性係数を調べる
第35回 新版・利き手調査第2回―エディンバラ利き手調査
第37回 新版・利き手調査第3回―H.N.きき手テスト
第39回 新版・利き手調査第4回-chapman利き手テスト
第41回 新版・利き手調査第5回 マクマナスの利き手テスト
第46回 利き手テストと意識の一致度は?
第49回 新版・利き目は右左どちらですか?
第51回 新版・利き足は右左どちらですか―利き足テスト

 

------------------------------------------------------------------
投票結果

実施期間2005.11.27-12.24(総数:28)
------------------------------------------------------------------

1 右利き  +9以上~10 3
2  〃   +8以上   1
3 両手利き +5以上   2
4  〃   +1以上   2
5  〃    0     1
6  〃   -1以下   2
7 左利き  -4以下   3
8  〃   -8以下   5
9  〃   -9以下~-10 9

------------------------------------------------------------------
投票結果について

初出締め切り時(2005.12.24)の結果
------------------------------------------------------------------

*投票総数:28

・右利き(+8以上):4
・両手利き(+7~-3):7
・左利き(-4以下):17

 

今回の投票結果について、思うところを述べて見ます。

グラフの分布を見ていただくと、ちょうど「J」の字を右に倒した
(90度回転させた)ような形になっています。
これは一般的な利き手分布曲線の裏返しになっています。

一般的な利き手分布グラフの曲線は、右端に右利き100%、
左端に左利き100%を置くと、ちょうど「J」の字型になります。

すなわち右利き100%に近い人が最も多く、
その割合が低くなるにつれて次第に減少し、
左端の左利き100パーセントに近いところで少し盛り上がりを見せます
(「J」の字の尻尾の部分)。

ところが、このアンケートではその逆の結果になっています。
これは左利きの読者の多いサイトのアンケート結果であるための偏向で、
いってみればこの曲線は、途中図といったものと考えられます。
このまま総数を伸ばしてゆくと本来の「J」の字になるのでしょう。

一番の特徴として感じることは、
左利きの度合いの強い人がやはり多いということ。

もうひとつの特徴としては、
中間的な人―両手利き―も意外に多くいる、ということでしょう。

従来は書字や箸使いが右なので
単純に「右利き」と思い込んでいた人の中にも、
実はこういう「非右利き」の要素を持った人がいる、
ということが明らかになったのではないでしょうか。

メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイ』
「左利き講座」でも書いていることですが、左利きの人だけでなく、
このような「非右利き」の人たちの存在を考えると、
左利きの問題を解決する新たな糸口になるような気がします。

 

------------------------------------------------------------------
投票結果 2007.04.29
------------------------------------------------------------------

1 右利き  +9以上~10 37
2  〃   +8以上   39
3 両手利き +5以上   33
4  〃   +1以上   68
5  〃    0     72
6  〃   -1以下   26
7 左利き  -4以下   58
8  〃   -8以下   41
9  〃   -9以下~-10 66

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~過去に実施した主な<左利きプチ・アンケート>~

第1回 左利きイメージ調査
第2回 左利きで困ったこと(物理的バリア編)
第3回 左利きの子に右手使いを試みるか否か
第5回 左利き?と思うのはどんな仕草ですか
第7回 左利きでも字は右手で書くべきか
第11回 「利き手(左利き)の矯正」という言葉をどう思いますか
第17回 学校での配膳は左利きの子も伝統的ルールに従うべきか
第29回 左手での毛筆(習字/書道)は是か非か?
第32回 非利き手使い指導を受けたことがありますか

●利き手調査テスト関連アンケート
第14回 貴方の利き目は右左どちらですか
第20回 利き手調査1回目―側性係数を調べてみよう
第22回 エディンバラ利き手調査
第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト
第24回 利き手調査第4回chapman利き手テスト
第28回 利き足を調べてみよう・チャップマン利き足テスト

(自己申告による利き手別の投票アンケート)
第33回 新版・利き手調査第1回―利き手テスト側性係数を調べる
第35回 新版・利き手調査第2回―エディンバラ利き手調査
第37回 新版・利き手調査第3回―H.N.きき手テスト
第39回 新版・利き手調査第4回-chapman利き手テスト
第41回 新版・利き手調査第5回 マクマナスの利き手テスト
第46回 利き手テストと意識の一致度は?
第49回 新版・利き目は右左どちらですか?
第51回 新版・利き足は右左どちらですか―利き足テスト

○最近のアンケート
第34回 あなたの父母は右利きor左利き?
第36回 利き手は変えられると思いますか
第38回 LYグランプリ2006 があったら…
第40回 スポーツで左利きは有利だと思いますか
第42回 左利きの日はどっちがいい?
第43回 タレントさんの左手使いは気になりますか
第44回 じゃんけん、ポン!はどっち?
第45回 左利きのための生活技術指導者・コーチは必要か?
第47回 左利き(利き手)研究会は必要?参加協力する?
第48回 「ぎっちょ」は差別的な言葉だと思いますか?
第52回 利き手をケガしたとき不便を感じましたか?

 

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投票結果 2012/06/21
------------------------------------------------------------------

1 右利き  +9以上~10 132
2  〃   +8以上   122
3 両手利き +5以上   119
4  〃   +1以上   191
5  〃    0     180
6  〃   -1以下   126
7 左利き  -4以下   148
8  〃   -8以下   121
9  〃   -9以下~-10 186

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<左利きプチ・アンケート>
第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト

http://personal-dictionary.com/enq/view/view.asp?EID=38207

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2022.6.16(追記)

「ご意見ボード」の書き込みなど見ましても、
結構「両利き」の人が多いのがわかります。

○○は右で××が左といったご意見があります。

また教えてもらう人により使う手(利き)が異なるというケースも。
ある意味では「左利きの人あるある」かもしれません。

毎回書くことですが、この手の利き手テストをしますと、
どうしても自分の利き手が定かではないという人が、
多く参加されるようです。

その結果、このアンケートでは
こういう中間の人が多数になるケースが多くなります。

 

 ●「エディンバラ利き手テスト」と「H.N.利き手テスト」との比較

ここでもう一度、「エディンバラ利き手テスト」と
「H.N.利き手テスト」との違いを確認しておきましょう。

(八田武志『左対右 きき手大研究』DOJIN文庫 2022/5/16 より

 以下、表記は同書に従う。)

220518hattatakesi-hidarikiki

「エディンバラきき手テスト」
1 文字を書く 
2 ボールを投げる 
3 ハサミを使う
4 歯ブラシを使う 
5 絵を描く
6 マッチをする
7 箒をもつとき上になる
8 フォークをもたないときにナイフをもつ 
9 箱の蓋を開ける
10 スプーンをもつ

 
「H.N.きき手テスト」
1・消しゴムはどちらの手にもって消しますか?
2・マッチをするのに軸はどちらの手にもちますか?
3・ハサミはどちらの手にもって使いますか?
4・押しピンはどちらの手にもって押しますか?
5・果物の皮をむくときナイフはどちらの手にもちますか?
6・ネジまわしはどちらの手にもって使いますか?
7・クギを打つときカナヅチはどちらの手に持ちますか?
8・カミソリ、または口紅はどちらの手にもって使いますか? 
9・歯をみがくとき歯ブラシはどちらの手にもって使いますか?
10・ボールを投げるのはどちらの手ですか?  

それぞれ10項目の片手動作をあげています。
共通するのは、
ボール(2と10)、ハサミ(3と3)、歯ブラシ(4と9)、
マッチ(6と2)、ナイフ(8と5)の5項目。

いちばんの違いは、書字動作と摂食動作をあげるか省くかです。
「H.N.」ではこられを排除しています。
日本では従来これらの動作は、
左利きの子供の場合、右使いに変更させることが多かったからです。
利き手を判断する動作にはなり得なかったからです。

 

このアンケートの参考文献である、
八田武志さんの『左ききの神経心理学』(医歯薬出版 1996年刊)の
その後の研究をまとめた『左対右 きき手大研究』の文庫増補版が
今年発行されましたが、この本で追加された文章に、
「日本人のきき手検査」があります。

そこに「エディンバラ利き手テスト」と
「H.N.利き手テスト」との比較について書かれています。

前者は、

 《1970年当時のイギリス人の日常生活で使う片手動作項目の
  母集団から統計学的な手続きを経て作成されたもの》

で、後者は、

 《日本人のきき手を調べるために、
  1970年ごろの日本人の生活での片手動作項目から作成されたもの》
で、

国別のきき手の割合を調べたいのなら、
多数の国で共通する動作項目を探さねばならない。

しかし、その国の左利きの人の諸特性を検討するためには、
そのいう共通的なテストでは感受性が低くなる。

両者を比較した研究では、両テスト結果の相関関係は、
「右利きと左利き」の区別では、r=0.96と極めて高いものでしたが、
「両手利き」を考慮した分類を行うと、
エディンバラきき手テストでは、12.1%
H.N.きき手テストでは、20.0%が「非右利き」となり、
かならずしも一致しない。

 《手前味噌といわれそうだが、エヴィデンスは日本人対象の研究では
  H.N.きき手テストの使用が望ましいことを指摘し、
  使用するテストの選択は研究目的に応じて行うことが大切
  と考えている。》

とあります。

現代ではかなり左利きを取り巻く状況に変化が見られます。
「左利きの子は左利きのままで」という風潮が広がっています。
しかし、今でも一部にはこれらの動作に関して、
「作法として右使いが正しい」と主張する人もいます。

あるいは、
「日本の字は右手で書くように作られていて、
 きれいな字を書きたければ右手で」
と主張する習字教室の先生もいます。

そういう状況を考えますと、まだまだ日本においては、
「H.N.きき手テスト」の利き手テストしての存在感は大きい、
と判断できそうです。

 ・・・

 次回は、引き続き、「H.N.きき手テスト」を、
 アンケート投票者の利き手別に投票するタイプの新版を紹介します。

 <左利きプチ・アンケート>
  第37回 新版・利き手調査第3回―H.N.きき手テスト

------------------------------------------------------------------
<左利きプチ・アンケート>
●利き手調査テスト関連アンケート
------------------------------------------------------------------

第14回 貴方の利き目は右左どちらですか
第20回 利き手調査1回目―側性係数を調べてみよう
第22回 エディンバラ利き手調査
第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト
第24回 利き手調査第4回chapman利き手テスト
第28回 利き足を調べてみよう・チャップマン利き足テスト

(自己申告による利き手別の投票アンケート)
第33回 新版・利き手調査第1回―利き手テスト側性係数を調べる
第35回 新版・利き手調査第2回―エディンバラ利き手調査
第37回 新版・利き手調査第3回―H.N.きき手テスト
第39回 新版・利き手調査第4回-chapman利き手テスト
第41回 新版・利き手調査第5回 マクマナスの利き手テスト
第46回 利き手テストと意識の一致度は?
第49回 新版・利き目は右左どちらですか?
第51回 新版・利き足は右左どちらですか―利き足テスト

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「★600号までの道のり」は、お休みです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [14] <左利きプチ・アンケート> 全公開(14)「利き手調査」その3-1 第23回 利き手調査3回目―H.N.きき手テスト」と題して、今回も全紹介です。

利き手調査のアンケートの3種類目のその1回目です。

1970年当時のイギリス人のための利き手判定テスト「エディンバラ利き手テスト」に対して、1970年頃の日本人の生活に準じた、日本人による日本人のための改良版の利き手判定テストとして考えられた「H.N.利き手テスト」の紹介です。

当時の日本の風潮は、以前にも弊誌やブログでも紹介しましたように、1970年代を一つの境に左利きが徐々に容認されるようになる時期でした。

 

・1971(昭和46)年、私が17歳の時に、箱崎総一先生による「左利きの友の会」が誕生(1975年に解散)

・1973(昭和48)年、19歳のとき、麻丘めぐみさんの歌う「わたしの彼は左きき」(作詞・千家和也 作編曲・筒美京平)がヒット

・1973年、74年と二年連続でプロ野球・巨人軍の王貞治選手が三冠王

・1977年頃、「日清食品・どん兵衛」のテレビCMで、左手箸でうどんを食べる左利きの山城新吾さん、川谷拓三さんが登場

・1978(昭和53)年には、ピンクレディーさんの歌う「サウスポー」(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)がヒット

・1979(昭和54)年、(25歳のときに地元の図書館で見つけて読み、左利きであることに自信を持たせてくれた、箱崎総一さんの著書『左利きの秘密』出版

*参照:
第601号(No.601) 2021/8/21
「創刊600号突破記念―私が影響を受けた左利き研究家・活動家(1)第一期・箱崎総一」

2021.8.21
私が影響を受けた左利き研究家・活動家(1)第一期・箱崎総一(創刊600号突破記念)-週刊ヒッキイ第601号 (「新生活」版)

 

そういう時期ですので、書字描画や摂食行為における左手使いに否定的な傾向が残る当時の状況では、それらの片手動作を利き手テストの項目に含めるのは、正確な利き手の判定に取ってマイナスとなるとされるのは、当然のことだったでしょう。

そして、現状でもまだまだ高齢者を中心に、周りに左利きの人がいない環境にある人たちなどでは、左利きを忌避する人もいます。

本質的な真の意味での利き手動作を項目にあげている、という見方ができるといってよいかと思います。。
そのいう観点からいいますと、現状でも、かなり有効な利き手テストであるといえそうです。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

 

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2022.06.15

私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―<2022年岩波文庫フェア>から-楽しい読書320号

 ―第320号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★ 2022(令和4)年6月15日号(No.320)
「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』
―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
         ― 読書で豊かな人生を! ―
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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
------------------------------------------------------------------
2022(令和4)年6月15日号(No.320)
「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』
―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 今回は、久しぶりに<岩波文庫フェア>を取り上げます。
 2019年以来の<岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」>です。

2022年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」
https://www.iwanami.co.jp/news/n46643.html

 毎年夏休みに恒例の新潮文庫・角川文庫・集英社文庫の
 三社夏の文庫フェアは、
 こちらでも私のお気に入りを紹介してきました。

 それに引き比べ岩波文庫の方は、一時期扱っていただけ。
 どうしても一社のみのフェアですので、
 扱える範囲が限られるということもあり、

 毎年は取り上げにくいものがあります。

 また近年は、フェアの特集冊子が発行されなくなり、
 それもさびしく、取り上げにくくなっています。

 無料であれだけ有意義な内容の冊子を作っていたのですから、
 「スゴイ」の一語でした。

 もちろん、のちにまとめて一冊の文庫本に仕立てて、
 ラインアップにくわえてはいましたけれど。

 

<過去に扱った岩波文庫フェア>

2019(令和元)年6月30日号(No.250)-190630-
「2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...」

2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...
―第250号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2019/06/post-b015ac.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/e3a5116ac2b0a7abfec291e180ec97ce

 

2016(平成28)年8月31日号(No.182)-160831-
「2016年岩波文庫フェア-名著名作再発見から―森の生活、論語」

2016年岩波文庫フェア-名著名作再発見から―森の生活、論語
―第182号 別冊 編集後記
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-12194826487.html
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2016/08/2016--3cd9.html

 

2015(平成27)年7月15日号(No.155)-150715-
「私の読書論-69- 2015年岩波文庫フェア-名著名作再発見」

持ち時間別に読む本~私の読書論69-2015年岩波文庫フェア
-名著名作再発見 ―第155号 別冊 編集後記
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-12048469836.html
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2015/07/69-2015--b3c3.html

 

2014(平成26)年10月15日号(No.137)-141015-
「私の読書論-61- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(4) その他あれこれ」

古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(4) その他:私の読書論61
―第137号 別冊 編集後記
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11938507746.html
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/10/-461-255f.html

 

2014(平成26)年9月15日号(No.135)-140915-
「私の読書論-60- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(3) 外岡秀俊」

古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(3):私の読書論60
―第135号 別冊 編集後記
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11924535782.html
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/09/-360-4a5d.html

 

2014(平成26)年8月15日号(No.133)-140815-
「私の読書論-59- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(2) 伊藤真」

古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(2):私の読書論59
 ―第133号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/08/-259-04f9.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11909797601.html

 

2014(平成26)年7月15日号(No.131)-140715-
「私の読書論-58- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(1) 安藤元雄」

古典を考える 岩波文庫フェア/名著・名作再発見! 小冊子から
 ―第131号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2014/07/post-2f48.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11893553438.html

 

2012(平成24)年8月31日号(No.88)-120831-
2012年岩波文庫フェアから
<名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう> 

2012年岩波文庫フェアからの古典のおススメ ―第88号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2012/08/2012-fcb9.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-11341482084.html

 

2011(平成23)年6月15日号(No.59)-110615-
私の読書論-22-初心者のための読書の仕方を考える
 (4)最初の一冊の選び方

岩波文庫<名著・名作再発見!>最初の一冊の選び方:
「原典」から入ろう! ―第59号 別冊 編集後記
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2011/06/post-1678.html
http://ameblo.jp/lefty-yasuo/entry-10922640244.html

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 - 私の読書論159 -
  ◆ 精神の自由と幸福に生きる方法 ◆
  ~ 元奴隷の哲学者の人生哲学 ~
  エピクトテス『人生談義』―『語録』『要録』
   <2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!――から
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 ●2022年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」

まずは、そのラインアップから紹介しましょう。

 

2022年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」

▼1.五輪書【青2-1】  宮本 武蔵/渡辺 一郎 校注
▲2.学問のすゝめ【青102-3】  福沢 諭吉
3.善の研究【青124-1】  西田 幾多郎
▲4.遠野物語・山の人生【青138-1】  柳田 国男
5.新版 きけ わだつみのこえ【青157-1】
 日本戦没学生記念会 編
6.君たちはどう生きるか【青158-1】  吉野 源三郎
7.意識と本質【青185-2】  井筒 俊彦
▲8.論語【青202-1】   金谷 治 訳注
9.北斎 富嶽三十六景【青581-1】  日野原 健司 編
▼10.エピクテトス 人生談義(上)【青608-1】  國方 栄二 訳
▼ エピクテトス 人生談義(下)【青608-2】  國方 栄二 訳
▼11.マルクス・アウレーリウス 自省録【青610-1】  神谷 美恵子 訳
12.永遠平和のために【青625-9】  カント/宇都宮 芳明 訳
▼13.読書について  他二篇【青632-2】
 ショウペンハウエル/斎藤 忍随 訳
▲14.死に至る病【青635-3】  キェルケゴール/斎藤 信治 訳
▼15.ラッセル 幸福論【青649-3】  安藤 貞雄 訳
▼16.ロウソクの科学【青909-1】  ファラデー/竹内 敬人 訳
17.生命とは何か【青946-1】
 シュレーディンガー/岡 小天,鎮目 恭夫 訳
18.何が私をこうさせたか【青N123-1】  金子 文子
・19.古事記【黄1-1】   倉野 憲司 校注
▲20.源氏物語(一) 桐壺―末摘花【黄15-10】 柳井 滋,室伏 信助,
 大朝 雄二,鈴木 日出男,藤井 貞和,今西 祐一郎 校注
21.西行全歌集【黄23-2】  久保田 淳,吉野 朋美 校注
▼22.新訂 方丈記【黄100-1】  鴨 長明/市古 貞次 校注
・23.新訂 徒然草【黄112-1】  西尾 実,安良岡 康作 校注
24.芭蕉 おくのほそ道【黄206-2】  末尾 芭蕉/ 萩原 恭男 校注
▲25.こころ【緑11-1】  夏目 漱石
▲26.夢十夜 他二篇【緑11-9】  夏目 漱石
27.柿の種【緑37-7】  寺田 寅彦
▼28.濹東綺譚【緑41-5】  永井 荷風
29.銀の匙【緑51-1】  中 勘助
30.萩原朔太郎詩集【緑62-1】  三好 達治 選
▲31.蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 他十七篇【緑70-7】 芥川 竜之介
▲32.童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇【緑76-3】
 宮沢 賢治/谷川 徹三 編
・33.江戸川乱歩短篇集【緑181-1】 千葉 俊二 編
・34.桜の森の満開の下・白痴 他十二篇【緑182-2】 坂口 安吾
35.自選 谷川俊太郎詩集【緑192-1】  谷川 俊太郎
36.茨木のり子詩集【緑195-1】  谷川 俊太郎 選
37.危機の二十年【白22-1】  E.H.カー/原 彬久 訳
▲38.日本国憲法【白33-1】  長谷部 恭男 解説
39.民主体制の崩壊【白34-1】   フアン・リンス/ 横田 正顕 訳
▲40.自由論【白116-6】  J.S.ミル/関口 正司 訳
41.マルクス エンゲルス 共産党宣言【白124-5】
 大内 兵衛,向坂 逸郎 訳
42.プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神【白209-3】
 マックス・ヴェーバー/大塚 久雄 訳
43.職業としての政治【白209-7】
 マックス・ヴェーバー/ 脇 圭平 訳
44.アイヌ神謡集【赤80-1】  知里 幸惠 編訳
▲45.ソポクレス オイディプス王【赤105-2】  藤沢 令夫 訳
▲46.動物農場【赤262-4】  ジョージ・オーウェル/川端 康雄 訳
47.対訳  ディキンソン詩集【赤310-1】  亀井 俊介 編
▲48.人間とは何か【赤311-3】  マーク・トウェイン/ 中野 好夫 訳
▲49.新編 悪魔の辞典【赤312-2】  ビアス/ 西川 正身 編訳
▲50.若きウェルテルの悩み【赤405-1】  ゲーテ/竹山 道雄 訳
52.バウドリーノ(上)【赤718-2】 ウンベルト・エーコ/堤 康徳 訳
 バウドリーノ(下)【赤718-3】 ウンベルト・エーコ/堤 康徳 訳
53.白い病【赤774-3】  カレル・チャペック/阿部 賢一 訳
54.伝奇集【赤792-1】  J.L. ボルヘス/鼓 直 訳
55.20世紀ラテンアメリカ短篇選【赤793-1】  野谷 文昭 編訳
56.やし酒飲み【赤801-1】  エイモス・チュツオーラ/ 土屋 哲 訳
57.失われた時を求めて1 スワン家のほうへI【赤N511-1】
 プルースト/吉川 一義 訳
▼58.星の王子さま【赤N516-1】  サン=テグジュペリ/内藤 濯 訳
59.声でたのしむ 美しい日本の詩【別冊25】
  大岡 信,谷川 俊太郎 編

(全59点61冊)※2022年5月27日発売(小社出庫日)

 ▼ 岩波文庫版で読んだもの
 ▲ 他社版で読んだもの
 ・ 一部読んでいるもの

私の読んだ本、一部読んだ本など25点。

弊誌で取り上げた作品も『論語』や『星の王子さま』など、
いくつもあります。

 

 ●私のオススメの名著・名作

どれも読んでおいて損はない名著名作揃いなのですが、
比較的最近、私が読んだものの中から、
私のお気に入りのオススメ本をあげますと――

名著(リアル系)では、

 エピクテトス 人生談義
 ロウソクの科学  ファラデー
 死に至る病  キェルケゴール
 人間とは何か  マーク・トウェイン

名作(小説・フィクション系)では、

 濹東綺譚  永井 荷風

あたりでしょうか。

『死に至る病』は、実は途中までしか読んでいません。
もう一度機会を見て読んでみようと思います。
途中まではいいんですがね、なんといえばいいのか……。

『ロウソク――』と『人間――』は、
ともに読み応えのある小著(「小さな一冊」)といっていいでしょう。

 

その他の定番中の定番ともいうべきもののうち、
私の既読のものから、特にここに書き出しておきたい作品として
あげておきますと――

名著では

 五輪書  宮本 武蔵
 学問のすゝめ  福沢 諭吉
 論語
 読書について  ショウペンハウエル

など。

フィクション系では、

 ソポクレス オイディプス王
――現存するギリシア悲劇三大詩人の作品中の最高裁大の傑作
 蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ 芥川 竜之介
――芥川龍之介の児童ものの名作集
 星の王子さま  サン=テグジュペリ
――『トム・ソーヤーの冒険』と並ぶ私のベスト・ワンを争う双璧

それぞれ「小さな一冊」と呼んでいいでしょう。
でも中身は読み応え十分です。

 

 ●本年第一位――『エピクテトス 人生談義』

今年の59点から私の選ぶ一点は、『エピクテトス 人生談義』です。

*(新訳)
『エピクテトス 人生談義(上)』國方 栄二 訳 岩波文庫【青608-1】 2020/12/17

『エピクテトス 人生談義(下)』國方 栄二 訳 岩波文庫【青608-2】‎ 2021/2/18 

 

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元奴隷の哲学者エピクテトスの
奴隷という立場からの生き方を反映したと思わせる人生哲学です。

『エピクテトス 人生談義』は、
古代ローマ時代の元奴隷の哲学者エピクテトスの講義録のようなもので、
弟子のアリアノスという人がまとめた『語録』
(現存するのは全八巻中の四巻のみ)と、その『要録』(抄録作品)と、
「断片」からなる。

タイトルの『人生談義』は、
旧訳の鹿野治助訳(1958年)の書名を継承したもの。

*(旧訳)
『人生談義〈上〉〈下〉』エピクテートス/著 鹿野 治助/訳 岩波文庫 1958/7/5

 

エピクテトスは、
ローマ皇帝で『自省録』の著者マルクス・アウレーリウスや
セネカと並ぶ古代ローマの後期ストア派の哲学者で、
奴隷の子に産まれ、奴隷として長年暮らし、哲学を学び、
解放後は学校を開き、哲学の講義を行った。
アリアノスはその弟子の一人。

近代以降の哲学は、学者のための学問のようになって、
一般人には縁遠い高邁なものになってしまった印象があります。

しかし、古代の哲学は、まさに「よく生きる」ための学問で、
人生とは何か、どうすればしあわせに生きることができるのかを問う
人生論・幸福論のような一般人にもなじみ深いものになっています。

『エピクテトス 人生談義』は、
まさにそういう生き方論の考え方を教えてくれる
教科書のようなものではないでしょうか。

前回の「私の読書論158」では、
アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を取り上げましたが、
それにも似た、幸福論の一冊として読めるものです。

アリストテレスのような理詰めの論文調とは違い、
講義録といっても、『論語』に近いものかもしれません。
しかも内容的には、『老子』のような逆説に満ちています。
しかし一見逆説に見えますが、
よくよくきいてみるとなるほどと納得できる転回があります。

この『要録』を自身の『幸福論』の中で紹介している
スイスの哲学者カール・ヒルティは、こう書いています。

 《この書物は、現在そうであるよりも一層広く読まれる価値があり、
  ことに学校でもっと多く読まれてよいものである。
  まさにストア主義は、向上の精神にもえて修業の道にいそしむ
  青年の魂と性格とに、
  非常な魅力と、鼓舞の力とを与えるものである……》p.43

   ――ヒルティ『幸福論(第一部)』草間平作訳 岩波文庫

*『幸福論(第一部)』ヒルティ/著 草間 平作/訳 岩波文庫 1961/01)

 

日本では、このヒルティの『幸福論 第一部』中の「要録」が
最もよく読まれたエピクテトスでしょう。

旧訳の『人生談義』はあまり読まれてはいなかったように思います。
抄訳の方は、
『世界の名著(13) キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス』
 (責任編集/鹿野治助 中央公論社 1968)に収録され、
これは今も読まれているようですけれど。

今度の新訳はもっと読まれてほしいと思っています。

訳者の國方栄二さんの著作

『ギリシア・ローマ ストア派の哲人たち』
(中央公論新社 2019――ストア派哲学の初期から後期まで、
特に後期のエピクテトス、セネカ、アウレリウスについての著作)

で、この新訳が出るという話を知り、出るや早々購入したものでした。

本書の上巻の巻末解説「エピクテトスの生涯と著作」の末尾に、
<幸福論・人生論として>と書かれているように、
そういう読み方をしていただきたいものです。

 

 ●われわれの力の及ぶものとわれわれの力の及ばないもの

具体的に内容に触れておきましょう。

いちばん衝撃的といいますか、感銘を受けたのは、冒頭のこの一節です。

『語録』「第一巻/第一章
 われわれの力の及ぶものとわれわれの力の及ばないもの」より

 《われわれの力の及ぶものは、
  最も善いように処理しなければならないが、
  力の及ばないものは自然のままに扱うようにしなければならない
  ということだ。/「自然のままにとはどういうことだ」/
  神がのぞむままにということだ。》『上巻』p.23

 《(略)何が自分の手元にあるだろうか。何が私のものであり、
  何が私のものではないのか、何が私に許されており、
  何が許されていないのかを知ること、
  これ以外に何があるだろうか。》同 p.24

 《(略)私を縛るのか。君は私の足を縛るだろう。
  だが、私の意志はゼウスだって支配することはできない。》同 p.25

 

次に長いですが、『要録』の「一」の冒頭部分を。

 《物事のうちで、あるものはわれわれの力の及ぶものであり、
  あるものはわれわれの力の及ばないものである。
  「判断、衝動、欲望、忌避」など、一言でいえば、
  われわれの働きによるものはわれわれの力の及ぶものであるが、
  「肉体、財産、評判、官職」など、一言でいえば、
  われわれの働きによらないものは、
  われわれの力の及ばないものである。
  そして、われわれの力の及ぶものは本性上自由であり、
  妨げられも邪魔されもしないが、
  われわれの力の及ばないものは脆弱で隷属的で妨げられるものであり、
  本来は自分のものではない。
  そこで次のことを心に留めておくがいい。
  本性上隷属的であるものを自由なものと考え、
  自分のものでないものを自分のものと考えるならば、
  君は妨げられ、苦しみ、神々や人びとを非難するだろう。
  だが、君のものだけを君のものと考え、自分のものでないものは、
  実際そうであるように、自分のものでないものと考えるならば、
  だれもけっして君を強制したりしないし、邪魔したりもしないし、
  君はだれをも非難したりせず、だれかを咎めることもなく、
  なにひとつとして不本意におこなうようなこともなく、
  だれも君を害することはないし、敵をもつこともないだろう。
  なにか害を受けることもないからだ。》『下巻』p.360

 

要するに、
「われわれの力の及ぶもの」と
「われわれの力の及ばないもの」とを分けて考えよ、
という教えです。

「われわれの力の及ぶもの」――自分の意志で変えられるもの、と
「われわれの力の及ばないもの」――
自分の意志でどうにかできるとは限らないもの、
とをごっちゃに考えるから、事態が難しくなるというのです。

いい成績を取ろうと思い、一所懸命勉強することはできますが、
結果としていい成績を残せるかどうかは、なんともいえません。

自分の評判を上げようと、
人の気に入られるような行動を取ることはできますが、
それで評判が上がるかどうかは分かりません。

しかし「私は努力した」と、自分の気持ちを満たすことはできます。
人の心というものは、自分の力ではどうにもできませんが、
自分の心は自分の力でどうにかできる、自分の力の及ぶ範囲です。

究極ともいうべきは、
「君は私の足を縛れるが、私の意志は縛れない」というのがそれですね。

精神の自由を奪うことはできない、という宣言です。

奴隷の子に産まれ奴隷として過ごしてきた人、
エピクテトスらしい発想といえましょう。

 

 ●松井秀喜さんの『不動心』にも……

この「われわれの力の及ぶもの」と
「われわれの力の及ばないもの」を分けて考えよ、という教えは、
日本のプロ野球やアメリカの大リーグでも活躍した
松井秀喜さんも、その著書『不動心』(新潮新書 2007/2/16)の中で、

「自分のコントロールできることとできないことを分ける」

という言葉で表現されています。

左手のケガで試合に出場できなくなったとき、出場に向けてケガを治し、
無事な部分の体力筋力を維持するという、最善の準備をした、と。

最善の準備は、自分の力の及ぶ範囲のことですが、
結果は、自分の力の圏外のことです。

*『不動心』松井秀喜 新潮新書 2007/2/16

 

 ●私たちは劇の俳優だ、選ぶのは他の人

もうひとつ書いておきたいことがあります。

それは、『要録』の「一七」――。

 《次のことを心に留めておくがいい。
  君は劇作家がのぞむような俳優なのだ。
  劇作家が短いものを望めば短い劇の俳優になるし、
  長いものを欲するなら長い劇の俳優になるのだ。
  もし君に物乞いを演じることを望めば、
  それを上手く演じるようにせよ。(略)
  というのは、君の仕事は、
  あたえられた役を立派に演じることだが、
  どの役を選ぶのかは、他の人の仕事であるから。》『下巻』p.372

 

『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業
――この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』
(荻野弘之 かおり&ゆかり[漫画] ダイヤモンド社 2019)

というエピクテトスの本をもとに、
一般向けに人生訓・幸福論として
漫画と解説でわかりやすく紹介する本があります。

この最終話「さよなら、エピさん」(漫画)にこうあります。

 《どんな国に生まれ/どんな身体/どんな両親や兄弟を持ち/
  そして/どのような環境や立場に/置かれるかは/
  すべて神次第じゃ/
  しかし/神の仕事は/そこまでじゃ/
  そこからは/我々の仕事じゃ/
  神に与えられた場で/どのように/生きるかは/
  「我々次第」で/あるからな》

いま「親ガチャ」という言葉があるそうです。
俗に「ガチャガチャ」と呼ばれる
お金を入れてダイヤルを回すと丸い透明ケースに入った景品が出てくる
というヤツ、ですね。
あれのようにどんな親に生まれるかは当て物のようなものだ、
というわけです。

確かに経済力のある家に生まれれば、有利に人生を始められます。
あるいは遺伝的に優位の親の下に生まれれば――
例えば、頭がいいとか運動能力に優れているとか、であれば――
その素質を受け継いで、優良な人間になれるかもしれません。

しかし、神様の仕事はそこまでで、そこからは自分の努力次第です。
優れた素質を活かせるかどうかは、本人次第なのですから。

エピクトテスは、それを俳優に例えています。
私たちは、雇われた俳優で与えられた自分の役を精一杯演じるのみです。
勝手に主役を演じたりはできません。
たとえ端役でも腐ったりしないで、今自分の持てる力を精一杯ぶつける。
そうした努力を続けていれば、いつかは実力が正当に認められ、
自分にふさわしい役どころを得る日も来るかもしれません。

人生というものもそうで、与えられた場所で、
精一杯自分を活かすように努力するしかないのです。

渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』というのも同じですね。

*『置かれた場所で咲きなさい』渡辺 和子 幻冬舎文庫 2017/4/11

 

そここそが自分の力の及ぶ範囲なのですから。

そして、自分の力の及ばないものに関しては、煩わされないようにする。

この二つの違いをしっかり見極めて自分らしく生きていきましょう!
――というお話でした。

220614jinseidangi

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

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本誌では、「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」をお届けしています。

今回も全文紹介です。

前回同様長くなっていますが、ご容赦のほどを!

まあ、毎度のことで驚きはないでしょうけれど。

今回紹介した『エピクトテス 人生談義』は、プラトンの『クリトン』(ただ生きるのではなく「よく生きる」云々)などの<ソクラテス対話篇>の諸編、アランの『幸福論』、最近では前号でも紹介しましたアリストテレスの『ニコマコス倫理学』などとともに、私の気になる哲学書の一つです。
冗長な部分もありますが、『語録』『要録』を並べて読んでみれば、何かしら感じるところがあるかと思います。

なかでも冒頭の「われわれの力の及ぶものとわれわれの力の及ばないもの」をしっかり見極めて分けて考えよ、の教えは、非常に有効なものだと思います。

努力には、有効な努力とムダな努力があると思います。
自分の力の及ぶ範囲を見極めることで、ムダな努力を減らし、有効な努力に注力する。
人生は短い、そういう努力が必要だと思います。

「ムダな努力」が不要だとは思いません。
「努力することにムダはない」という考え方もあります。

しかし、物事には明らかに「ムダな努力」としかいえないものもあります。
そういうものを減らし、有効な努力に変えてゆく。
自分の力の及ぶ範囲のこと、自分がコントロールできることに注力する。

自分の力の範囲で生きるということは、人生の舞台で与えられた役回りを精一杯演じること。

それが大切なことで、<よく生きる>ことにつながるものでしょう。

 

[追記 2022.6.17]

私のもう一つのメルマガ、左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』の2021年の新春号で、2021年末に出た『人生談義(上巻)』をもとにした文章を書いていました。

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

第586号(No.586) 2021/1/2
「2021(令和3)年 新春放談 自分の力の及ぶものと及ばないもの」

<別冊編集後記>
2021.1.2
2021(令和3)年 新春放談 自分の力の及ぶものと及ばないもの-週刊ヒッキイhikkii第586号

(「新生活」版)

 

当時は、(下巻)はまだ出ていなくて、待ち遠しく感じたものでした。

すっかり忘れていましたが、結構エピクテトスの『人生談義』(『語録』と『要録』)について書いていたのですね。
別のメルマガの方だったので、チェックもれしていました。

私にとってそれだけ強烈な印象を持っている著作だった、ということです。

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2022.06.04

左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ(25)楽器における左利きの世界(4)昔の楽器-週刊ヒッキイ第620号

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第620号 別冊編集後記

第620号(No.620) 2022/6/4
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(4)昔の楽器」

 

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  右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
  左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第620号(No.620) 2022/6/4
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界(4)昔の楽器」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 「左手・左利き用楽器」による左利き楽器演奏について考える、
 の4回目です。

 前回は、左右の手・腕の動きを一つの鍵盤で試すことができる
 「左右合体型鍵盤」について考えてみました。

 今回は、一部その続きと、昔の楽器には左右の別がなかった、
 というお話を。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
 楽器における左利きの世界 (4)
  ◆ 左利き演奏と右利き演奏 ◆
   ~ 原始、楽器に左右はなかった ~  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●前回の続き――楽譜の左右

前回紹介しました、ガボちゃんさんのブログ

2022.4.5
妄想楽器?(^_^;)

に、余談としてこうあります。

 《右から左へ進行する楽譜はアラビア語圏であります。
  歌詞の進行方向の事情からでは?。過去日記です。》

その過去日記をみますと、

2008.07.07
ウイグル音楽の楽譜 (2)

 《ウイグル語ってアラビア語系だから、
  日本語や英語、中国語などと違い
  右から左へ進む横書きなんですよね。
  ↑
  (この文だと「。ねよすでんなき書横む進へ左らか右」
  ってことです。)
  だから、楽譜も右から左へ進むわけで、(略)》

220602-200877gabochan

慣れの問題があるとはいえ、
この逆綴り(進行)の楽譜というのは、結構大変な感じを受けます。

まあ、考えてみますと、私たちの日本語というのは、
本来は縦書きで、右から左へと進行します。

マンガ本も、右側のページから左側のページへ、
右のコマから左のコマへと読み進むので、
外国の人は最初は戸惑うようです。

その辺と同じ感覚でしょうか。

 

前回、右利きの人の場合、キーボードは左から右へ、
低音から高音へ弾いていく方が、腕の動き的に都合がよいのでは?
と書きました。

曲の展開的にも、
そういう方向性(低音から高音へと)が多いように思うのです。

そういう展開(左から右へ・低音から高音へ)が
右利きの人の心身的に快適なのではないか、という気がします。

ところが、楽譜の進行が逆に、右から左となりますと、
ちょっと混乱するような気がするのですけれど、どうなのでしょうか。

この右から左への楽譜は、
左利きの人が左利き用の逆キーボード(右から左へ・低音から高音へ)
を手にして、左利き演奏が実現した暁には、
感覚的に都合のいい楽譜になるのではないか、という印象があります。

 

 ●原始、楽器に左右はなかった

ここで、また別のお話を――。

以前ネット検索で見つけた記事です。

フルートを吹く少年 2019-12-08 01:13:44

オランダの画家、ユディト・レイステル
(Judith Jans Leyster:1609ー1660) 描くところの
「フルートを吹く少年」という絵画のお話です。

220602-2019128furuuto

 

 《この少年が吹いているフルートは一時期物議をかもしました。
  フルートの構えが左右逆であることで、
  反転しているのではないか?と言われたのです。

  現代のフルートはキーが複雑で右に構えるしかありません。

  この作品が作られた1630年頃はバロック時代。
  バロックフルートが発明されていました。

  四つに分かれて、金属キー
  がついています。

  それよりも古い時代
  ルネサンスのフルートトラヴェルソは

  こんな感じ 
  穴が空いているだけなので、左右どちらにも構えられます。
  この少年の吹いているのは、ルネサンスフルートに近いものでは?

220602-2019128furuuto-2

 

  フルートは新しい楽器の発達ともに
  古いタイプの楽器は忘れさられた。
  というわけではなく、
  実際には国ごと、地域ごと、町ごとに横笛があり、
  現代でもそういう楽器が人の生活に根差して活躍しています。》

とありました。

昔の横笛は、穴が空いているだけで、左右どちらにでも構えられた、
というところが、新鮮です。

何事も同じだと思うのですが、
そもそもの始まりは、たいていのもので、左右性というものはなかった、
と考えられます。

 

例えば、漢字なども、
そもそもは右手で書きやすい形のものではなかった、ようです。

単にそのものの形を映しただけの象形文字から始まっているのです。

左から右へ線を引くといった規則や、横画は右下がりの傾きで引く、
といった決まりはなかったのです。

それが時代とともに、右手で書くときに便利なように、
特定の方向、角度を持たせるように変化していったのです。

今のような右手の書き癖が標準化して、
文字としての美形と認められるようになったのは、
文字が生まれてしばらくたってからのことでした。

 

楽器も初めは、単に音を出すだけの道具に過ぎなかったものが、
より色々な音を出せるように工夫されてきたのでしょう。

その過程で、右利きの人が多数なので、構え方や音の調節の仕方など、
右利きに使いやすい形に変形(進化?)していったのでしょう。

 

世界各地にある様々な楽器を見ていけば、
きっとその歴史は、そういう左右の別のないものから、
左右性を持つものへと変化していったのではないでしょうか。

調べてみるとおもしろいかもしれません。

今ある近代的な楽器の大半は右利き仕様ですが、
歴史を見てゆけば、いろんなものが出てくるでしょう。

そして、この方が書いておられるように、
世界には、地域や文化等の生活に根ざした、左右性のない楽器や、
左利きの人の演奏に向いた左仕様の楽器もまだまだあるのではないか、
と思われます。

アラビア語が右利きの人には不都合な?右から左へ筆記するように、
左利きの人に向いた?楽器が何かしらあるのではないか、と。

 ・・・

今回は、簡単ですがこの辺で。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25― 楽器における左利きの世界(4)昔の楽器」と題して、今回も全紹介です。

今回も全文転載です。
短いので、まあ、今回はこんなものでしょうか。

 ・・・

この「フルートを吹く少年」の絵は、左右反転しているのでは? という疑問が持たれたそうですが、壁に掛けてあるバイオリンの横のリコーダーらしきものは、最下段の穴の位置が構えたときの右側によっており、右利き仕様のものになっています。
ですから、左右反転はないでしょう。

今でも小学生時代のリコーダー(縦笛)を持っています。
それもこれと同じ穴位置です。

これが右利き仕様だというのは、横笛のように横に構えれば分かります。

笛の先を右横に持ってきても、このままの持ち方でも不都合はありません。

逆に、左右の手をそのままに、左側に構えようとしますと、腕が窮屈で演奏できません。
左右の手を上下入れ替えれば、左側にしても構えられます。

 ・・・

下調べが思いのほか進んでいません。
音楽や楽器に興味はあるのですが、根本的に知識がないので、なかなかこの話題を広げて行けません。

実は、他にも、30代初めに買ったおもちゃに毛が生えたような、カシオのミニキーボードなんかも持っています。
弾けもしないけれど、弾きたい気持ちはあって……。

 ・・・

弊誌の内容に興味をお持ちになられた方は、ぜひ、ご購読のうえ、お楽しみいただけると幸いです。

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