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2019.03.11

左利き者の証言10左利きの寿司職人すきやばし次郎(中)-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第537号

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第537号(No.537) 2019/3/2「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その23― 左利き者の証言から~10 左利きの寿司職人・すきやばし次郎(中)」

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左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第537号(No.537) 2019/3/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その23―
左利き者の証言から~10 左利きの寿司職人・すきやばし次郎(中)」
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 過去の左利きの人たちの言葉を紹介しながら、
 先輩の証言から学ぼう、というテーマを始めました。

 前回からは、
 「ミシュラン・ガイド東京」の2008年版から
 連続で選ばれている、銀座の三つ星寿司店「すきやばし次郎」の
 左利きの寿司(鮨)職人・小野二郎さんを取り上げています。
 
第535号(No.535) 2019/2/2
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その23―
左利き者の証言から~9 左利きの寿司職人・すきやばし次郎(前)」
https://archives.mag2.com/0000171874/20190202094000000.html

 今回は、後編の予定でしたが、思いのほか書きたいことがあり、
 長くなり、全三回ということで、今回は二回目―中編です。

 (次回が、最終回―後編の予定です。)

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 左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その23―
  左利き者の証言から ~快適左利きライフのために~ 10
  ◆ 左利きの寿司職人(サウスポー二郎) ◆
   すきやばし次郎・小野二郎 ―中編―
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Sukiyabasijirou

 

 ●右では「できなかった」

宇佐美伸/著『すきやばし次郎 鮨を語る』文春新書 2009.10.20

 

 

元々サウスポーだった二郎さんは、
  鮨職人を志した二十代半ば、
  鮨を右手で握ることを泣く泣く諦め、
  左手で握る決意をした。
》p.196

 

二郎さん自身、
  「鮨は右で握るもんだっていう気持ちが強かったから、
  最初は右で必死に練習した」のである。/
   だが、やってもやっても、左の掌でタネと合わせた酢飯が、
  いつの間にか右の掌に入ってしまっている。/
   だったら自分がやりやすい左手でやれるだけやってみよう
  ――このへんの考え方がまわり道そのものなのである。
   まずは右でやろうとして「できなかった」
  と二郎さんは言う。だが、これは意訳するなら、
  ただ「できなかった」のではなく、
  自分の満足がいくようには「できなかった」ということだ。
》pp.196-197

 ●利き手・利き腕の持つ性質

「いつの間にか」や
「自分の満足がいくようにできない」といった、
この辺の感覚が、
利き手・利き腕の持つ微妙さではないか、という気がします。

非利き手ではどうしても自分の中で
「ピンと来るものがない」
とでもいった感触。

 

「まあ、今でも右で握ろうと思えば普通には握れるでしょう。
  ただつけ台の前の大勢のお客様をお相手するとなると、
  握るスピードが追いつかない。
  握りは手早さも命ですからそこが左で握る決意をした
  一番大きな理由なんですよ」
》p.197

スピード。
これも利き手の持つ能力の一つでしょう。

正確さと速度。

こういう巧みさは、利き手・利き腕の特徴です。

 ●和食の世界の掟との戦い
 

(略)二郎さんは最初から利き腕でやってやろう
  という博打も打たない。
  右手では鮨の世界で生きていけないと納得してみて
  初めて利き腕に頼るのは、
  天才肌のやり口ではないだろう。/
   まどろっこしい手順もおろそかにせず、
  即動物的勘でエイヤッと左へ行かないのが、
  二郎さんという人なのだ。
》p.197

二郎さんの言葉にもありましたように、
「鮨は右で握るもんだ」というのが、常識としてあったのです。

それをあえて左手で、というのは、
言ってみれば、
鮨職人として「生きるか死ぬか」という瀬戸際だった、
という切実な問題があったからではないでしょうか。

私はそういう気がします。

 ●こなれた動きなら気付かない

左利きで握ったって、それを自然体に感じさせられれば
 お客もいちいち利き腕のことなんか気にしないはずだって。

形が決まっていれば、右であれ左であれ、
きれいに見える――不自然には見えないということでしょう。

里見真三/著『すきやばし次郎 旬を握る』文春文庫 2001/9/1

 

 

「鮨の握り方(小野二郎は左利きである)」の
p.274、275の2ページ見開きで、
その握り方がコマ割り写真で解説されています。

Sukiyabasijirou_nigiri

 ・・・

詳細は本誌で。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

 

(※参照)「左利きのすし職人小野二郎」に関する記事:

・2005.5.20
 左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その一

・2005.5.23
 <左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その二>左利きのすし職人『すきやばし次郎 旬を握る』

・2005.7.17
<左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その三>『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』山本益博

・2007.11.20
「ミシュラン」三つ星に左利きのすし職人小野二郎

・2007.5.9
 新潮文庫 鮨に生きる男たち―左利きのすし職人もいます

・2005.6.8
 「TOKIMEKIママ倶楽部」のママのお悩み

 

 

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