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2017.11.06

努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月

11月のNHK100分de名著は、バートランド・ラッセルの「幸福論」です。

名著70 バートランド・ラッセル「幸福論」

プロデューサーAのおもわく。

ラッセルの「幸福論」のキーワードは「外界への興味」と「バランス感覚」。人はどんなときにでも、この二つを忘れず実践すれば、悠々と人生を歩んでいけるといいます。そして、それらを実践するために必要な思考法や物事の見方などを、具体例を通して細やかに指南してくれるのです。まさに、この本は、人生の達人たるラッセルの智慧の宝庫といえるでしょう。

【講師】小川仁志(山口大学准教授)
【朗読】荒川良々(俳優)
【語り】墨屋 那津子(元NHKアナウンサー)

第1回 11月6日放送
自分を不幸にする原因ラッセル自身の人生の歩みを紹介しながら、人々を不幸にしてしまう原因を明らかにしていく。

第2回 11月13日放送
思考をコントロールせよ不幸に傾きがちなベクトルをプラスに転換する「思考のコントロール方法」を学ぶ。

第3回 11月20日放送
バランスこそ幸福の条件極端に走りがちな人間の傾向性にブレーキをかける、ラッセル流のバランス感覚を学んでいく。

第4回 11月27日放送
他者と関わり、世界とつながれ!ラッセルのその後の平和活動にもつながる、自我と社会との統合を理想とした、独自の幸福観を明らかにしていく。

 

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『ラッセル『幸福論』 2017年11月』小川 仁志

―客観的に生きよ
 「自分」のなかに閉じこもる――それが不幸の原因だ。

自分の「外部」に没頭せよ
核兵器の廃絶と科学技術の平和利用を訴えた「ラッセルアインシュタイン宣言」でも知られる知の巨人、バートランド・ラッセル。彼が自らの人生を通じて実証した、幸福を「獲得」する方法とは? 「究極のポジティブシンキング」で、論理的に幸福をつかめ!

 

 

【講師:小川仁志さんの関連著作】
小川 仁志『ポジティブ哲学! ―三大幸福論で幸せになる―』清流出版 2015/6/19
―アラン、ヒルティ、ラッセルの「三大幸福論」から得る幸せの見つけ方

 

『幸福論』 B・ラッセル/著 堀秀彦/訳 角川ソフィア文庫 2017/10/25
―解説:小川 仁志

 

 

 

 ●三大幸福論

哲学の三大幸福論と言われるのが、フランスの哲学者・アラン『幸福論』(1925)、スイスの哲学者ヒルティ『幸福論』(全三巻 1891-99)と、イギリスの哲学者・ラッセルの本書です。

一番とっつきやすいのは、アラン『幸福論』でしょう。
文庫本で2~3ページという短文を集めたもので、読みやすいというのが特徴の一つです。

内容は、哲学的・文学的で、アランの主張は、自分で作る幸福は決して裏切らない(「47アリストテレス」)といい、自分が幸福になるのは義務だ(「92幸福になる義務」)といい、子供には幸福になる方法を教えるべきだ(「91幸福となる方法」)といい、幸福になるにはまず気持ちの持ち方である(「66ストイシズム」)といい、幸福だから笑うのではなく笑うから幸福になるのだ(「77友情」)、と教えます。

 

*参照:『お茶でっせ』記事 2011.10.31
アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!

 

 

ヒルティ『幸福論』も各巻8本ずつの論文が集められたものです。
キリスト教的な見地からの実用的な幸福論という気がします。

「人間だれ一人として幸福を求めないものはない」(第三部「二種類の幸福」)といい、「幸福こそ、人間の生活目標なのだ」(第一部「幸福」)といい、「仕事は人間の幸福のひとつの大きな要素だ」といい、「あなたは額に汗してパンを食べねばならぬ」(創世記三の一九/同)と。
第一部が「仕事の上手な仕方」で始まるように、幸福への道は、まず仕事に励むこと、といいます。

そして、不幸は人生につきものであり、逆説的にいえば、不幸は幸福のために必要だ、とも言います。

第三部「二種類の幸福」で、「価値の低い幸福」に至る道については古くから述べられているといい、彼は「永続的な幸福」について書いています。
それは、「神のそば近くにあること」「偉大で真実な思想に生きる」ことだと言います。

 

 ●『ラッセル幸福論』

これらの著作と異なり、本書は、一冊を費やして幸福について論を張る長編の論文です。

「はしがき」によりますと、自身の経験と観察によって確かめられた処方箋で、《周到な努力によれば幸福になりうる》(『ラッセル幸福論』安藤貞雄/訳 岩波文庫より―以下同じ―p.5)という信念に基づき、本書を書いたといいます。

この本の目的は、

普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案することにある。》p.14

といいます。

いかにして幸福を獲得するか? その積極的で具体的な方法を伝授すること、だそうです。

特別な不幸――恐怖政治や戦争、社会の貧困といった大きな問題、個人的には病気やケガ等、あるいは親しい人の死等の、単純には乗り越えられない種類の不幸は取り上げない。
あくまでも個人の力で改善できる問題に置いて、です。

そして、多くの人はそのような日常的な不幸を抱えて生きている、というのです。
では、そのような日常的な不幸に陥る原因はどこにあるのでしょう。

 

第一部「不幸の原因」では、「不幸だと感じている人々」がどのような状況にあるか、を分析し原因を追究します。

第1章「何が人びとを不幸にさせるのか」では、

不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である。》p.22

といい、その原因を一つずつ挙げ、第2章「バイロン風の不幸」第3章「競争」第4章「退屈と興奮」第5章「疲れ」第6章「ねたみ」第7章「罪の意識」第8章「被害妄想」第9章「世評に対するおびえ」と、分析してゆきます。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。 》(中村融訳 岩波文庫)

と書いていますが、それと同じようなものでしょう。

 

たとえば第2章「バイロン風の不幸」では、

人生は、ヒーローとヒロインが、信じがたいような不運を乗り越えたのちにハッピーエンドで報われる、といったメロドラマの類推で考えられるべきではない。》p.33

といいます。
第3章「競争」では、

成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる》p.54

といいます。
第4章「退屈と興奮」では、

前の晩が楽しければ楽しいほど、翌朝は退屈になる》p.66

といい、

総じてわかることは、静かな生活が偉大な人びとの特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった、ということだ。》p.70

ともいい、

幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである。》p.74

といいます。
第5章「疲れ」では、

きちんととした精神を養うことで、どれほど幸福と効率がいまやすかは、驚くほどである。きちんとした精神は、ある事柄を四六時中、不十分に考えるのではなく、考えるべきときに十分に考えるのである。》p.79

といいます。
たとえば心配事に関しても、

最悪の場合でも、人間に起こることは、何ひとつ宇宙的な重要性を持つものはないからである。》p.84

といい、取り越し苦労を否定します。
第6章「ねたみ」では、

他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。何でも楽しいことが起これば、目いっぱい楽しむべきであって、これは、もしかしてよその人に起こっているかもしれないことほど楽しくないんじゃないか、などと立ち止まって考えるべきではない。》p.95-96

といいます。
第7章「罪の意識」では、

他人に対して心の広い、おおらかな態度をとれば、他人を幸福にするだけではなく、本人にとっても限りない幸福の源となる。》p.117

といい、

おのれの能力を最も完全に発揮するときに最大の幸福が訪れる。》p.121

といいます。
第8章「被害妄想」では、被害妄想を治すことが

幸福獲得の重要な部分である。というのは、私たちは万人が自分を虐待していると感じているかぎり、幸福になることはまるで不可能だからだ。》p.124

といい、被害妄想の予防薬となる四つの公理を挙げています。
第9章「世界に対するおびえ」では、世評に対する恐れは、

抑圧的で、成長を妨げるもので(略)真の幸福を成り立たせている精神の自由を獲得することは不可能である。》p.151-152

といい、幸福にとって不可欠なのは、

私たち自身の深い衝動から生まれてくる》p.152

ことがら――趣味や楽しみ、希望等によるのだと言います。

幸福は同じような趣味と、同じような意見を持った人たちとの交際によって増進される。》p.151

と。

 

第二部「幸福をもたらすもの」で、幸福になる秘訣を説きます。

第10章「幸福はそれでも可能か」では、幸福には2種類あると言います。
一つは、どんな人にも得られるが、もう一つは、読み書きのできる人にしか得られないものだといいます。
前者のそれは、動物にも見られる単純な喜び――生存における快適な充足といったものです。
それに引き換え、後者は、科学者の尊敬に値する業績のような、困難を克服したのちに得られる成功の喜び――自己の能力を高く評価する、といったものです。
しかしこのような成功を一般の人間が獲得するのは難しいものです。
そこで注目すべきは、「趣味に熱中すること」といいます。
それでも、このような趣味や道楽は、現実からの逃避の手段とも言えます。

根本的な幸福は、ほかの何にもまして人や物に対する有効的な関心とも言うべきものに依存している。》p.170

といいます。
そして、この人への関心は愛情であり、

幸福に寄与する愛情は、人びとを観察することを好み、その個々の特徴に喜びを見いだす類の愛情である。》p.170

といい、最後に

幸福の秘訣は、(略)あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ。》p.172

といいます。
第11章「熱意」では、幸福な人の最も一般的な特徴として「熱意」を取り上げます。

人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなり、また、運命に左右されることが少なくなる。》p.176

といいます。
一つを失っても別のものがある、というわけ。すべてのものに興味を持つには人生は短すぎるけれど……。

熱意こそは、幸福と健康の秘訣である。》p.192

、と。
第12章「愛情」では、

人生に対する一般的な自信は、ほかの何にもまして、正しい愛情を、必要なだけ、ふだん与えられているところから生まれる。》p.195

といいます。
ものごとへの熱意の源となる精神の習慣としての愛情において最上のものは、

相互に生命を与えあうものだ。おのおのが喜びをもって愛情を受け取り、努力なしに愛情を与える。》p.202

といいます。
ところが現代は、人との付き合いにおいて用心深さが必要とされる状況にあり、しかし、

愛における用心深さは、ことによると、真の幸福にとって致命的なものであるかもしれない。》p.205

といいます。
第13章「家族」では、

両親の子供に対する愛情と、子供の良心に対する愛情は、幸福の最大の源の一つ》p.206

となりうるにもかかわらず、現代では大きな不幸の源になっている、といいます。
それでも、

個人的に言えば、私自身は、親としての幸福は私の味わった他のどんな幸福より大きいと思っている。》p.218

といいます。
そして、

私たちは、よい人間関係は両方の側にとって満足すべきものでなくてはならないと信じている。》p.222

といい、

本当に子供幸福を希(こいねが)う親は、(略)衝動によって正しく導かれることだろう。》p.225

といいます。
第14章「仕事」では、「仕事」の役割としては、第一に

退屈の予防策として望ましいものだ。》p.231

といい、第二の利点は、

成功のチャンスと野心を実現する機会を提供してくれる。》p.232

といいます。
成功したいという欲望があれば、その仕事に耐えられるといい、

目的の持続性ということは、結局、幸福の最も本質的な成分の一つであるが、(略)これは主として仕事を通して得られる。》p.232

といいます。
そして、

一つの重要な仕事を見事にやり遂げた幸福を、人から奪えるものでは何ひとつない。》p.237-238

といい、

首尾一貫した目的(略)は、幸福な人生のほぼ必須の条件である。そして、(略)主に、仕事において具体化されるのである。》p.241

といいます。
第15章「私心のない興味」では、生活の根底をなしている主要な興味ではなく、二次的な興味について語られます。
これは、主要な仕事での疲れや活力を取りもどすための気分転換、余暇を満たす興味といった意味でしょう。

仕事以外の興味をたくさん持っていれば、持っていない場合よりも、仕事を忘れるべきときに忘れることが断然やさしくなる。》p.244

といいます。
そういう「思考のチャンネルを切り替えること」ができる

魂の偉大さを持ちうる人は、心の窓を広くあけて、宇宙の四方八方から心に風が自由に吹き通うようにするだろう。》p.250

といい、

賢明に幸福を追求する人は、(略)いくつかの副次的な興味を持つように心がけるだろう。》p.253

といいます。
第16章「努力とあきらめ」では、古代中国の『論語』でも、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』においても語られる、古今東西で指摘されてきた「中庸」という教義について語ります。

純粋に個人的な希望は、無数の形で挫折するものであって、避けがたいものかもしれない。》p.260-261

といいます。
人生においては、ことを達成することができず、その努力を半ばで諦めなければならない場合があるということです。

中庸を守ることが必要である一つの点は、努力とあきらめのバランスに関してである。》p.254

といい、

日ごとに信じがたくなる事柄を日ごと信じようとする努力(略)を捨て去ることこそ、確かな、永続的な幸福の不可欠の条件である。》p.265

といいます。
最終章の第17章「幸福な人」は、いよいよ「まとめ」の章です。

外的な事情がはっきりと不幸ではない場合には、人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである。》p.267

といい、

やはり、人生は生きがいがあるのだ、と感じられるように自分に教え込むとよい。》p.270

といいます。さらに、

幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。》p.271

といい、

私は、本書を快楽主義者として、言い換えれば、幸福を善と見る人間として書いた。》p.271

といいます。
これはおおむね、健全な道徳家の推奨する行為と同じだが、私の推奨してきた人生態度と道徳家のそれとでは少し異なる部分があるとも言います。

私たちは、愛する人びとの幸福を願うべきである。しかし、私たち自身の幸福と引き換えであってはならない。》p.272-273

といいます。
自己否定の教義にくみすることなく、世界への興味を持つことで、自己もまた生命の流れを一部であることを認識し、自己と世界を統合したものと実感できる、といいます。
最後に、

幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である。》p.268

といい、

幸福な人とは、(略)自分の人格が内部で分裂してもいないし、世間と対立してもいない人のことである。(略)自分は宇宙の市民だと感じ、(略)宇宙が与える喜びをエンジョイする。》p.273

といい、子孫という生命の連続を信じ、死を恐れない、生命の流れと結合し、大いなる歓喜を見出している、と結論します。

 

簡単にいえば、幸福な人とは、自分の内に閉じこもらず、自らを客観的に見、広く外に目を向け、興味を持って人や社会と対立することなく友好的につきあい、未来につながる生き方で人生をエンジョイする人のことである、といえるのではないでしょうか。
幸福な人生とは、よく生きることである、と。

 

 

 ●よく生きる――幸福こそ最高善である

ソクラテスは、

最も尊重しなければならなぬのは生きることではなくて、善く生きることだ

といい、そのあと続けて

善く生きることと立派に生きることと正しく生きることとは同一である

といいました(プラトン著『クリトン』山本光雄訳 角川文庫)。

「善く生きる」とは、「立派に生きること」「正しく生きること」「美しく生きること」でもあり、「生きがいのある人生」のことであり、「自分にとって望ましい生き方」ということであり、すなわち「幸福に生きる」ことだと言います。

古代ギリシア人は、真・善・美を重んじたといいます。
「真」とは「善」であり「美」である(「真」=「善」=「美」)ということで、人もそのように生きるべきだということでしょう。

「幸福に生きること」が人生における「真理」なのだ、と。

 

アリストテレス『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫[上巻]第一巻第八章)には、

幸福とはよい人生を送り、立派にやっていくこと

といい、

というのも、[われわれの説では、幸福とは]或る種の善き生であり、善き行為であると大体は語られていたからである。

といいます。
さらに、

われわれにとって幸福は、尊敬に値する、完璧なもののひとつである、ということである。》(第一巻第十二章)

と。
結論として、人間にとっての幸福こそ、「最高善」なのだ(第一巻第七章)、といいます。

 

本書のラスト(第二部「第17章」)でも、ラッセルは

幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。

といい、「幸福は善だ」と書いています。

古代西洋哲学以来の考え方なのでしょう。
そして、それが真実なのではないでしょうか。

 ・・・

171104koufukuron

 

*私が読んだ本: 『ラッセル 幸福論』B. ラッセル/著 安藤貞雄/訳 岩波文庫 1991/3/18

 

 

*「三大幸福論」他の二点: アラン『幸福論』白井健三郎/訳 集英社文庫

 

 

『ヒルティ 幸福論』(全三巻)岩波文庫
[第一部] 草間平作/訳 改版 1961/1/1

 

*その他の参考文献:

・プラトン/著『ソクラテスの弁明―エウチュプロン,クリトン』山本光雄/訳 角川文庫 改版 1989/06
―ソクラテス裁判の朝の出来事を語る「エウチュプロン」と裁判後処刑を待つある一日の出来事を描く「クリトン」を併せて収録。

 

 

・アリストテレス/著『ニコマコス倫理学(上)』渡辺邦夫, 立花幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2015/12/8

 

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NHK100分de名著

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