ジェイン・オースティン『高慢と偏見』-NHK100分de名著2017年7月
7月のNHK100分de名著は、ジェイン・オースティン Jane Austen の『高慢と偏見』PRIDE AND PREJUDICE です。
今年はジェイン・オースティン没後200年だそうです。
ということもあっての選択でしょうか。
この機会に読んでみました。
1813年に出版された小説で、しかも執筆はそれより16年も前と言います。
というと、1796年。
18世紀末もしくは19世紀初頭の作品ということで、どちらにしろ既に200年以上前の作品で、タイトルからも「古臭~い観念的な小説かな」と思っていました。
実際に読んでみますと、翻訳(小尾芙佐訳・光文社古典新訳文庫)のせいもあるのかもしれませんが、文章もすごく読みやすく、ストーリイの展開も人物の描写も明快で、楽しく読めました。
単純にみても200年以上の歴史を経たものでもあり、オースティンの文章はかなり複雑な構文で難解なものと言われているそうです。
翻訳の違いでかなり読んだ印象も異なるかと思います。
私は、この翻訳が親しめました。
・・・
冒頭の一節――
《独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要というのが、おしなべて世間の認める真実である。/そうした青年が、はじめて近隣のひととなったとき、ご当人の気持だとか考え方などにはおかまいなく、周辺の家のひとびとの心にしっかり焼きついているのはこの真実であり、その青年は、とうぜんわが娘たちのいずれかのものになると考える。》(小尾芙佐訳・光文社古典新訳文庫)
(ちなみに、最新訳ではこうなっています。)
《世の中の誰もが認める真理のひとつに、このようなものがある。たっぷり財産のある独身の男性なら、結婚相手が必要に違いないというのだ。/そんな男性が近所に越してきたとなると、当人がどう思っているか、結婚について何を考えているかなどお構いなし。どこの家庭でもこの真理が頭に染みついているから、あの男は当然うちの娘のものだと決めてかかる。》(小山太一訳・新潮文庫 2014)
これを読んで、私はいっぺんにやられてしまいました。
こういう書き出しをさらっと書けるのは、やはりすごいと思います。
一見ありきたりな紋切り型に見えますが、導入部としては、やはりすごいの一言でしょう。
さらにその後に続くベネット夫妻の会話がみごとに作品世界を説明しています。
イメージがいっぺんに定着します。
(あとでふれますが、夏目漱石も引用文を示して激賞しています。)
内容は、年頃の長女と次女を始め、五人娘を持つ上層中産階級(アッパー・ミドル・クラス)の地主階級(ジェントルマン)のベネット家の娘たちの恋愛と結婚のお話です。
タイトルは当初『第一印象』と名付けられていたように、この作品は主人公エリザベスが結婚相手となるダーシー青年に対して見てとったその性格(高慢 PRIDE)と、抱いた誤解(偏見 PREJUDICE)についてのお話という意味でしょうか。
あるいは、ダーシー自身の性格(高慢)と階級差に対する考え(偏見)なのでしょうか。
もしくは、エリザベス自身のダーシーへの見方そのものが、高慢であったり偏見であったりした、ということでしょうか。
その辺は、各自読んだ上での判断ということにしましょう。
●結婚観や夫婦像を見る
恋愛小説のジャンルに入るかと思いますが、紆余曲折の恋愛ののち結婚にゴールインしてめでたしめでたしとなる“恋愛と結婚”の小説です。
新潮文庫版の「解説」で作家の桐野夏生さんが
《裕福ではないジェントリの娘にとって、結婚とは「シューカツ」である。そして、家族にとっては、少しでもいい条件のところに娘を嫁がせて、自分たちも楽をするための「ファミリー・ビジネス」なのだった。》
と書いています。
確かに、ここに登場する何組かの夫婦を見ていますと、結婚のあり方というものを考えさせられます。
エリザベスは経済的にも社会的地位的にもまさに玉の輿に乗るわけですが、姉も経済的にいえばそれでしょう。
アッパー・クラス(上流階級)に属するダーシーと、アッパー・ミドル・クラス(上層中産階級)のジェントリー(地主階級)の娘であるエリザベスの結婚は、身分(階級)違いの結婚となり、多くの障害を乗り越えるためには互いの愛情と覚悟が必要でもあるのです。
姉の場合も同じです。
ダーシーは当初からその自信はあったようです。
問題は女性の側というところでしょう。
一方、エリザベスの親友の27歳の(当時としては行き遅れ?)シャーロットは、経済的な安定をとったというところでしょうか。
それぞれの結婚観に基づくものでもあるのでしょうけれど、現実的な妥協でもあるという見本でしょう。
他にも、ベネット夫妻やベネット夫人の弟夫妻、結婚したシャーロット夫妻など、いくつかの夫婦が登場します。
こういう結婚観や夫婦像を観察するのも、この作品を読む楽しみの一つでしょう。
●夏目漱石の『文学論』から
光文社古典新訳文庫版の小尾芙佐さんの「訳者あとがき」によりますと、東京帝大英文科で講師を務めた夏目漱石もその前任者であったラフカディオ・ハーンも、オースティンを評価しています。
夏目漱石は『文学論』のなかで、オースティンの『高慢と偏見』や『多感と分別』にふれ、「Austenは写実家なり」といい、かつ「写実の泰斗なり」と書いています。
『文学論』「第四編 文学的内容の相互関係/第七章 写実法」(岩波文庫 2007)
《Jane Austenは写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文字を草して技(わざ)神に入るの点において、優に鬚眉(しゅび)の大家を凌ぐ。余いふ。Austenを賞翫する能はざるものは遂に写実の妙味を解し能はざるものなりと。例を挙げてこれを証せん。》p.167
以下、第一章の冒頭のベネット夫妻の会話が原文とご自身の和訳で紹介されています。
《取材既に淡々たり。表現亦洒々(しゃしゃ)として寸毫の粉飾を用ゐず。これ真個に吾人の起臥し衣食する尋常の天地なり。これ尋常他奇なきの天地を眼前に放出して客観裏にその機微の光景を楽しむ。もし楽しむ能はずといはばこれ喫茶喫飯のやすきに馴れて平凡の大功徳を忘れたるものの言なり。》p.175
《Austenの描く所は単に平凡なる夫婦の無意義なる会話に非ず。興味無き活社会の断片を眼前に髣髴せしむるを以て能事を畢(おわ)るものにあらず。こう一節のうちに夫婦の性格の躍然として飛動せるは文字を解するものの否定する能はざる所なるべし。(略)――悉く筆端に個々の生命を託するに似たり。》p.176
《即ちこの一節は夫婦の全生涯を一幅のうちに縮写し得たるの点において尤も意味深きものなり。ただ縮写なるが故に意味深きのみならず。(略)この一節の描写は単に彼ら性格の常態を縮図にせるの点において深さを有するのみならず、併せてその可能的変態をも封蔵せるの点において深さを有するものとす。》p.177
《這裏(しゃり)の消息に通ずるものはAustenの深さを知るべし。Austenの深さを知るものは平淡なる写実中に潜伏し得る深さを知るべし。》p.178
ラフカディオ・ハーンも、オースティンの作品を高く評価しています。
「それはあまりに繊細すぎた」といい、それゆえ、
《文学的教養が十分でないと彼女の小説の並はずれた長所を理解することはできない。》『ラフカディオ・ハーン著作集第十二巻』野中涼・野中恵子共訳、千九百八十二年、光文社(「訳者あとがき」p.366より孫引き)
『高慢と偏見』については、
《シェイクスピアの芝居のあるもののように面白い。実際、人物たちの劇的な真実といきいきしたようすは、シェイクスピア的と言っていいくらいだ》同
といいます。
・・・
なかなか鋭い観察眼と描写力を持つ、達者な作者の名品という感じでした。
さて、この作品を廣野由美子講師がどのように読み説いていただけるのか、楽しみです。
・・・
名著67 高慢と偏見
第1回 7月3日放送 偏見はこうして生まれた
第2回 7月10日放送 認識をゆがめるもの
第3回 7月17日放送 恋愛のメカニズム
第4回 7月24日放送 「虚栄心」と「誇り」のはざまで
【指南役】
廣野由美子(京都大学教授)…19世紀の英文学研究の第一人者。
【朗読】
ミムラ(女性の登場人物担当)、川口覚(男性の登場人物担当)
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
高慢と偏見 2017年7月
2017年6月25日発売
*私が読んだ本: 『高慢と偏見〈上〉』ジェイン・オースティン/作 小尾芙佐/訳 (光文社古典新訳文庫 2011/11/10)
―唯一の女性訳者の手になる翻訳。小尾さんの翻訳は、エンタメ系小説で多く慣れ親しんでいるので、安心して読めました。
『高慢と偏見〈下〉』(同)
『自負と偏見』ジェイン・オースティン/作 小山太一/訳 (新潮文庫 2014)
*講師・廣野由美子さんのオースティンの本: 『深読みジェイン・オースティン―恋愛心理を解剖する』廣野 由美子 (NHKブックス No.1246 2017/6/22)
「NHK100分de名著」カテゴリ:
NHK100分de名著
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