文学を考える[3]軽小説考~私の読書論66
―第149号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記
★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2015(平成27)年4月15日号(No.149)-150415-
「私の読書論-66- -文学を考える 3 軽小説考- 」
本誌では、「文学を考える[3] 軽小説考-軽小説とライト・ノベルの違い~私の解釈~」について書いています。
軽小説を書きたい、という私の願望を前回述べたのですが、その「軽小説」について、もう少し書いておきたいと思い、書いてみました。
まあ、一般の読者の皆様にはあまり関心の無いことかもしれません。
でも、まあ、ことのついでということで、書いてみました。
ライト・ノベルも昨今では一般の小説と境界線があいまいになってきています。
従来のライトノベル作家が“進化”したという面もありますが、内容そのものは変わらなくても、一般の読者が受け入れている、という面もあるようです。
各出版社が様々なライト・ノベル専門レーベルを設けている中で、こぞってその境界的な作品を出し始めているということもあるのでしょう。
私自身は、ライト・ノベルというものをあまり評価していません。
専門レーベルのものを読んでみようとは思いません。
もちろん、ライト・ノベル的作品の存在を否定するつもりはありません。
児童文学と一般文学との橋渡しとなる境界的な作品はあってもいいと思います。
それで、読書を習慣化して行けるなら、それはいいことでしょう。
ただ、今の読者のことを聞いたところでは、どうもライト・ノベルでとどまっている人が多いようです。
あくまでも、児童文学は児童文学、ライト・ノベルはライト・ノベル、そして一般文学は一般文学なりに、読み解ける人になって欲しいものです。
なぜライト・ノベルではダメというかというと、専門レーベルの場合、基本的に高い読書能力がなくても読めるように書かれている、と想定されるからです。
テーマや感性は別ですが、基本的に文章はある程度抑えているのだろうと思います。
難しい言葉を使えば文章の程度が上がる、とは言いませんけれど。
一般向けが必ずしも高い読書能力を求めるものばかりだとは言いませんが、基本、制限はないと思うのです。
その辺が一番違うのだろうと考えています。
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