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2014.10.04

原始仏教との類似―『かもめのジョナサン【完成版】』リチャード・バック(五木寛之創訳)を読む

1970年に出版され、その後世界中でベストセラーになったという、前の『かもめのジョナサン』から43年後、2013年春(完成版序文による)バックが封印していた「Part Four」を公開したという作品です。
それを今回もまた五木寛之氏が創訳したものが出ています。

私が前の『かもめのジョナサン』を読んだのは、もう何年前になるのでしょうアk。
文庫になってからですので、早くても80年代、ひょっとしたら90年代だったかもしれません。
それからでも20年ぐらいはたっています。

今回【完成版】を読んでみました。

リチャード・バック『かもめのジョナサン【完成版】』五木寛之創訳(新潮社)


 ●前回の印象と今回の印象の違い

従来、三章「Part Three」までだった作品に封印していた四部が解禁された、ということです。

前回読んだときは、観念的な内容でよく理解できないまま、寓意性のある作品なんだなあ、というふうに感じただけというところでした。

精神性が大事だ。
より自由に生きる、より高みに登るためには、社会の習慣的に作られた掟に縛られず、自分の望む、自分の信じる道を行くべきだ。
―といった点を漠然と理解した、と言ったところでした。

今回、読んだところでは、従来より少し別の、というのでしょうか、より深くというべきなのでしょうか、読み方ができたように思います。
これは最近、『スッタニパータ』『ダンマパダ』等の原始仏典や解説書、入門書の類を読んだからでしょう。

この三部までで言いますと―

「Part Three」から、

「... きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の、無限なるフレッチャーであると発見しつづけることなのだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。きみに必要なのは、その師の言葉を理解し、その命ずるところを行うことなのだ」》p.122

これはまさに、釈尊・ブッダ・お釈迦様の死に至る最後の旅を描いた、原始仏典『大パリニッバーナ経』(中村元訳岩波文庫版『ブッダ最後の旅』)にある、「自帰依・法帰依、自灯明・法灯明」そのものではないか、という気がします。
自分をよりどころとして、法をよりどころとして、という教えです。
「... きみの目が教えてくれることを信じてはいかんぞ。目に見えるものには、みんな限りがある。きみの心の目で見るのだ。すでに自分が知っている物を探すのだ。... 」》p.122

と、こちらは「諸行無常」でしょうか。
すべてはみな不変ではなく、滅び去るものである。
あるいは、「色即是空」―色(目に見えるもの)も、実はみな空(実体がなく無)である。


「Part Three」では、群れを追放され、別次元の高みに登ったジョナサンは、改めて自分のようなカモメの存在を助けるため、元の群れに戻り、伝道を始めます。
そして無事後継者を育て、彼は去ってゆきます。

多少の挫折はあったものの単なるハッピーな物語というところでしょうか。


 ●「Part Four」

そして、問題の「Part Four」です。

(以下、結末に触れます。未読の方はご注意!)

ジョナサンが去ってのち、直弟子が伝道を続けますが、孫弟子たちは、偉大なるジョナサンの伝説話の聴講者ばかりとなり、実際に修業(飛行訓練)に励むものはいなくなります。
しかしそんな中でもやっと一羽のカモメが現れます。
そして彼にジョナサンが声をかけてきます…。


巻末の「ゾーンからのメッセージ」で五木さんも書いていらっしゃいますが、これはまさに『大パリニッバーナ経』に語られているような、ブッダの死後、舎利を収めた仏塔を建て、それを拝むようになった仏教教団の変質?を下敷きにしているように思います。

原始仏典を読んだことで、こういう読み方もできるようになったのでしょう。
これは私にとって、幸運なことでした。


 ●芸術の継続性

芸術というものは、継続性の上に成り立つものです。
古典を踏まえて自分の創作に活かすという姿勢で作られているものです。
それが改めて確認できたような気がします。


また、バックのこの作品、前回三章までの作品としては、もう一つ抜け切らないものを感じていました。
高みに登ったということは、素晴らしいし、それを伝えようとする行為も褒められるべきことです。
そして、理解者が、後継者が現れる。
とても美しいお話でした。

しかし、それで終わりではないはず。

人間の歴史というものは、それだけでは終わらない。
一つの堕落を越えて再生するとき、そこにこそ、人間の真に美しい物語が始まるように思うのです。

今回、この四章を得て、そういう作品になったのです。
ここにジョナサンの物語は完成しました。

苦難を乗り越える、超克する。
個人の歴史のなかでも、社会の歴史のなかにおいても、そこにこそ人間の営みの最も美しい部分が現れ出るのでしょう。
そんなふうに思いました。

*参照:
『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 』中村元訳 岩波文庫
―釈尊・ブッダ・お釈迦様の死に至る最後の旅を描いた原始仏典

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