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2014.10.15

古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(4)その他:私の読書論61

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―第137号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2014(平成26)年10月15日号(No.137)-141015-
「私の読書論-61- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(4) その他あれこれ」

本誌では、岩波文庫フェア 小冊子から過去三回に取り上げなかった、その他の人々のエッセイから、古典の魅力に関する記述を拾ってコメントしています。

古典とは何か、古典の魅力とは何か、価値とは何かと問いますと難しそうに考える人もあるかと思います。
しかし結局、本は本です。

面白いと感じるかどうかの違いです。

面白いと感じるためには、何事でも同じですが、素養が必要です。
素養とは、基礎となる情報、共通の基盤のことです。


例えば、私が隣のおじさんの話をしても、知らない人には関心は持ちにくいでしょう。
いくら笑い話だといっても、まったく知らない言語で話されては笑えません。
面白おかしくためになる話ですと言われても、高度に専門的な用語を多用して話されては、理解できないでしょう。

面白がるためには、それなりに必要となる要素があるのです。

最低限度の知識や教養が必要なのです。


キャッチボールを楽しむには、きちんと相手に向ってボールを投げ、相手の投げたボールをしっかり捕る技術が大事なのです。
それがなければ、ただくたびれるだけです。


本を読むにも、それなりの練習を経て、読む技術を身に付ける必要があります。
それを手にして初めて、本を読むことも楽しくなるのです。

古典は特にそういうハードルが高いものです。

言語的な距離、時間的な距離、地域性という距離などです。
外国のものも翻訳で読むにしても、そうです。


最初から何でもできる人は、まずいません。
読書も簡単な練習から始めましょう。

今回は、そんなお話でした。

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詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

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