古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(3):私の読書論60
―第135号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記
★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2014(平成26)年9月15日号(No.135)-140915-
「私の読書論-60- -古典を考える-
岩波文庫フェア 小冊子から(3) 外岡秀俊」
(画像:岩波文庫2014フェア「はじめよう、極上の読書 名著・名作再発見!」小冊子『古典のすすめ 第2集』)
本誌では、「岩波文庫フェア小冊子から」の三回目、外岡秀俊さんの「日も暮れよ、鐘も鳴れ」を取り上げています。
自分の生まれる前から死後まで生き残るものが、古典だと外岡さんは書いています。
その辺の詳細は本誌で。
*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』
私は、<幸福になれる読書>と本誌で書いてみました。
どういう意味かは、本誌で読んで頂きたいのですが、一つ言えば、古典をどう読むか、ということです。
少なくとも古典は単なる情報ではない、ということです。
情報なんですが、外的な何かのために利用する情報としてではなく、自分にとってのどういう情報なのかを窮める、ということです。
自分の言いたいことが表現できているかどうかわかりませんが。
*本誌で取り上げた本:
『ブッダのことば―スッタニパータ』中村元/訳 岩波文庫 1958/1/1
―最古の聖典。第4章、第5章が最も古い部分といわれる。《人間として正しく生きる道が対話の中で具体的に語られる》
『フラニーとズーイ』J・D・サリンジャー/著 村上春樹/訳 新潮文庫 2014/2/28
―現実世界の前にふさぎこみ、祈りの言葉を唱え続ける大学生の妹フラニー。彼女を思い、立ち直らせようとする俳優の兄ズーイの説得の物語。東洋思想とキリスト教という宗教的・哲学的装飾が生きている半面、独特の饒舌による説得がラストで決まるところが“『ライ麦畑―』のサリンジャー”の魅力なのでしょう。
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