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2013.12.11

切り離された者たちへ~ドストエフスキー『罪と罰』~NHK100分de名著2013年12月

「NHKテレビ100分de名著」2013年12月は、ドストエフスキー『罪と罰』です。


第1回 12月4日放送 傲慢という名の罪
第2回 12月11日放送 引き裂かれた男
第3回 12月18日放送 大地にひざまずきなさい
第4回 12月25日放送 復活はありうるのか


○NHKテレビテキスト
「100分 de 名著」ドストエフスキー『罪と罰』2013年12月
2013年 11月25日発売 定価550円(本体524円)


 


 


講師は、2008年にこの大作を新訳した亀山郁夫氏。


<全3巻>
『罪と罰〈1〉』フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー/著 亀山郁夫/訳 (光文社古典新訳文庫 2008/10/9)
『罪と罰〈2〉』(2009/02)
『罪と罰〈3〉』2009/7/9)


 



 



 


『『罪と罰』ノート』亀山郁夫 (平凡社新書 458 2009/5/16)
―『罪と罰』翻訳中に、その巻末解説である「読書ガイド」執筆のための参考書から得た「知的興奮」による「黙過」というテーマの発見により綴られた『罪と罰』解釈本。



 ●第一回の放送―「傲慢という名の罪」


第一回の放送を見ました。


ここでは、ラスコーリニコフによる老女殺害までを取り上げています。
彼の住む屋根裏部屋の意味、時間の聞き間違いのこと、偶然の積み重ねで追い込まれた上での犯行、といったことです。


学費滞納で法学部を退学した元学生である彼の元に届いた母からの手紙で、妹がお金のために結婚しようとしているのを知らされるなど、貧しさによって追いこまれた状況を一発逆転しようとする彼の思想的な傲慢さにふれていました。


 


 ●青春サスペンス小説?―『赤と黒』と『罪と罰』


ドストエフスキーの『罪と罰』と言えば、スタンダールの『赤と黒』と並ぶ近代小説の雄で、かつて文学全集全盛の時代、世界文学全集の第一回配本を『罪と罰』とするか『赤と黒』とするかは、出版社において大いに議論されたと言われる、古典的名作です。


それほどの世界的名作とされていますが、私は『赤と黒』もこの『罪と罰』も同じように、<青春サスペンス小説>、もしくは<青春犯罪小説>として楽しみながら手にした記憶があります。
前者は、美貌と知力で貴族社会で成り上がってゆこうとする青年、後者は自分の哲学の成就のために犯罪に手を出す青年を描き、それぞれ狂的?なパートナーを得て、凄絶な最後と崇高な最後を迎える長編小説です。


『赤と黒』は主人公の少年時代からの年代記であるために、それぞれの事件における心理描写とともに、成り上がってゆく過程のストーリーの展開で読ませます。
終盤の盛り上がりも狂的なラストも非常に印象に残るもので、読者に読後の達成感を与えます。


一方『罪と罰』は、事件の前後という限られた期間における主人公の心理描写が主体で、この主人公の苦悩というか熱っぽい粘っこい執拗なまでの描写が読ませます。
そして、「第六部」ラストの大地への接吻のくだり、「エピローグ」での流刑地における主人公の心理的変遷によって、読者をして何とも言えない崇高な気持ちにさせます。


... ところが広場の中央まで来たとき、不意にある衝動にとらえられた。ひとつの感覚が彼のすべてを――肉体と精神を鷲づかみにした。/ふいにソーニャの言葉を思いだしたのだ。「十字路に行って、そこに立つの。そこにまずひざまづいて、あなたが汚した台地にキスをするの。それから、世界じゅうに向かって、四方にお辞儀して、みんなに聞こえるように、『わたしは人殺しです!』って、こう言うの」/その言葉を思いだすと、全身がぶるぶると震えだした。... 彼はこの汚れない、新しい、充実した感覚がはらむ可能性のなかに身を躍らせていった。その感覚は、発作のようにいきなり襲いかかってきた。心のなかにひとすじの火花となって燃えはじめ、とつぜん、炎のように自分のすべてをのみつくした。自分のなかのすべてが一気にやわらいで、涙がほとばしり出た。立っていたそのままの姿勢で、彼はどっと地面に倒れこんだ……。/広場の中央にひざまずき、地面に頭をつけ、快楽と幸福に満たされながら、よごれた地面に口づけした。起きあがると、彼はもういちど頭を下げた。》『罪と罰3』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)p.409-410

... こうした、【すべての】[原文傍点=引用者注] 過去の苦しみがなんだというのだ! 芽生えたばかりのこの感動のなかでは、なにもかもが、自分のおかした罪や、判決や、流刑さえもが、どこかしら外の世界のふしぎなできごと、よそごとのように思われるのだった。... 彼はただ感じているだけだった。観念にかわって生命が訪れてきた。そして彼の意識のなかでは、なにかしらまったく別のものが、かたちになっていくはずだった。》『罪と罰3』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)p.461

... 《彼女の信じることが、いまこのおれの信じることじゃないなんてことがありうるのか? 彼女の感じること、彼女の意思、それだけでも……》... この幸せがはじまったばかりのころ、ときどきふたりは、この七年を、七日だと思いたいような気持になった。彼は気づいていなかった。新しい生活は、ただで得られるものではなく、それははるかに高価であり、それを手に入れるには、将来にわたる大きな献身によって償っていかなければならない……。》『罪と罰3』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)p.462

両作に共通するキーワードの一つは、<ナポレオン>です。
片やナポレオンにあこがれ成り上がってゆこうする青年、片や<ナポレオン主義>という選民意識で犯行を犯す青年。


特に後者ではこの<ナポレオン主義>がポイントとなってきます。


ところで、ドストエフスキーの『罪と罰』は、『カラマーゾフの兄弟』と並ぶ名作ですが、私は『罪と罰』のほうが好きで優れていると思っています。
『カラマーゾフの兄弟』は、謎解き推理小説としても優れているとは思いますが、小説そのものとしては未完であるがゆえに、何を言いたいのかが私には理解できませんでした。
書かれるはずだった第二部があれば、また違うのでしょうけれど。


 


 ●目的は手段を正当化するのか?―<ナポレオン主義>


私は『『罪と罰』ノート』や「読書ガイド」その他の解釈書等を読んでも、本書の背景となる当時のロシアの社会の思想・文化・政治状況、キリスト教等についての基礎知識に欠けるので、本書を読み解くにあたって、思想的な深い読み方はできません。
私なりに単純に解釈するとすれば、こういうところでしょうか。


 


ドストエフスキーの『罪と罰』は、「目的は手段を正当化するのか?」という<ナポレオン主義>という思想が一つのテーマです。
ここに<ナポレオン主義>が登場します。


本書の一つの読みどころが、予審判事ポルフィーリーと主人公ラスコーリニコフとのやり取りです。
「第三部」<5>章で、ポルフィーリーはラスコーリニコフと<ナポレオン主義>に関する議論します。


ラスコーリニコフは『犯罪論』という論文を発表していたのです。
(本人は掲載誌が廃刊になり活字にならなかったと思っていたのですが、別の雑誌『月刊言論』に掲載されていたのです。)


すべての人間は、「非凡人」と「凡人」という、二つのグループに分けられると、ポルフィーリーは説明します。


「... 凡人は、従順に生きなくちゃいならない、法を踏み越える権利も持たない。... ところが、非凡人はあらゆる犯罪をおかし、勝手に法を踏み越える権利をもつ、なぜなら、彼らは非凡人だから... 」》p.160

ラスコーリニコフは、非凡人の思想の実行(全人類にとって救済となるかもしれない)に当たって、その障害を踏み越えるために良心に許可を与える権利があるのだ、とまちがいを正します。


さらに、凡人と非凡人を「第一の階層」と「第二の階層」の人として解説します。


「... 第一の階層は、いつだって現在の主人で、第二の階層は、未来の主人です。第一の階層は世界を維持し、それを数量的にふやしていく。第二の階層は世界を動かし、それを目的へとみちびくんです。どちらも、完全にひとしく生存権をもつわけです。... 」》p.165-166

 


 ●730歩―「非凡人/第二階層の人」への助走


730歩―これはラスコーリニコフの下宿から金貸しの老女の家までの距離です。
それは、ラスコーリニコフが「凡人/第一階層の人間」ではなく、「非凡人/第二階層の人間」であることを立証するために、老女を殺害し金品を盗み、それを資金に次のステップに進むためのパフォーマンスを行う舞台までの助走距離だったのです。


 


言ってみればこれは、AKB48の1830メートルに相当するものです。
秋葉原のAKB48劇場から東京ドームまでの距離は1830メートルに過ぎないのですが、彼女たちがその距離を埋めるのにおよそ7年の歳月を要したのでした。


1830メートル先の東京ドームという舞台に立つことが、彼女たちの目標であり、一つのゴールでした。
そこでのパフォーマンスを成功させることが、彼女たちをして人気と実力をともに兼ね備えた国民的アイドルであることを証明することだったのです。


しかし、それを実現した時、その先に新たなゴールが見えてきたのでしょう。


 


同様に、ラスコーリニコフも彼の730歩を埋め、ついに舞台に立ってはみたものの、彼は老女を殺しはしたものの、老女の義理の妹のリザヴェータをも殺す事態を招き、金品を奪うことに成功したものの、それを使うことなく隠してしまうのです。
結局、彼のパフォーマンスは失敗に終わり、しかも予審判事にも目をつけられる羽目に陥ります。


 


 ●ラスコーリニコフの罪と罰


ラスコーリニコフの罪と罰とは何か。


ラスコーリニコフは言います。


「良心がある人間は苦しむでしょうよ、もしも自分の誤りに気がつけば、ね。これが、そいつにくだされる罰なんです――懲役以外のね」》『罪と罰2』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)p.174

良心の苦しみが罰だという意見です。


しかしそれだけでしょうか。


 


私の思うところは、ラスコーリニコフの罪とは、金貸しの老女を殺すという「非凡人/第二の階層」としての踏み越えようとした行為において、結局、踏み越えられなかったという現実―「凡人/第一の階層」にすぎなかったという自覚、「非凡人」であることを立証できなかった点でしょう。
「凡人/第一の階層」にすぎない人間が「非凡人/第二階層の人」を気取ろうとしたところにある、という見方です。


ラスコーリニコフの罰とは、「非凡人/第二の階層」ではなく、「凡人/第一の階層」としてシベリアの大地で生きる、ということです。
同じように、“踏み越えた”存在だった(と彼が考えた)ソーニャとともに。


だからこそ、比較的軽い刑となったのではないでしょうか。


 


女たらしの“悪人”であるスヴィドリガイロフが示したラスコーリニコフが選べる二つの道。
第一の道としては、彼が実行した自殺。
第二の道は、ラスコーリニコフが選んだ自首。


ラスコーリニコフは、第二の道を選び、さらに新たな別の道へ進もうとします。


 


 ●娼婦ソーニャの道―信仰


その道とは、ソーニャの選んだ道でした。


ソーニャは、役所を辞めた飲んだくれの父、肺病のその後妻とその子供三人という一家を支えるために、「黄の鑑札」を持つ(公認された)娼婦となった少女です。


ラスコーリニコフは、このような境遇にある彼女を支えてきたものは何か、と考えます。


《彼女の道は三つだ》彼は考えた。《運河に身を投げるか、精神病院に入るか、それとも……それとも……いっそのこと性の快楽に身をゆだね、理性を麻痺させて、心を石にしてしまうか》》『罪と罰2』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)p.317

しかし、ソーニャが選んだ道はそれらのうちのどれでもなく、信仰の道でした。


「それじゃ、ソーニャ、きみは、一生懸命、神さまにお祈りしているんだね?」彼はたずねた。》『罪と罰2』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)p.318

「神さまがいなかったら、わたし、どうなっていたか?」ソーニャはうるんだ目でちらりと相手を一瞥し、早口で力づよくそうささやくと、彼の手をしっかりとにぎりしめた。/《なるほど、やっぱりそうだったか!》と彼は思った。》『罪と罰2』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)p.319

《これが最後の道ってわけだ! 道の説明ってわけだ!》好奇心もあらわに、じっと相手をながめながら、彼は胸のうちでそう結論づけた。》『罪と罰2』亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)p.319

この会話のとき、彼はまったくこの道を信用していなかったのでしたが、最後にはこの道を選び取るのです。


 


 ●私が読んだ本


私が最初に読んだときの本は、江川卓訳の岩波文庫版でした。


冒頭に地図や人物一覧があり、これが結構役に立ちました。


日本人には、ロシアの人名(愛称が幾通りもあってこれがまたややこしい)や地名が結構、複雑で理解に時間がかかります。


とにかく、この人名地名に慣れるまで、冒頭の何十ページかを読み進めるのが、ちょっと大変です。
しかしその後は、主人公の独白や登場人物たちとの狂的な、熱っぽい粘っこいまでの対話に乗せられて、ドンドン読み進めることができました。


亀山郁夫訳では、人名の愛称も統一されていたり、巻末の「読書ガイド」で地図や気になるポイントを解説されていたり、読みやすい工夫がなされています。


私はこの二点しか見ていませんが、まずはどちらかで良いかと思います。
どちらも楽しく読めるでしょう。


 ・・・


先にも書きましたが、第六部のラストにしろ、エピローグの部分にしろ、非常に崇高な気分にさせられる感動の幕切れです。


これは、亀山郁夫『『罪と罰』ノート』に書かれていたのですが、親子ほどの年の差のある女性速記者と口述筆記していた部分であるらしく、二人の間にはロマンティックな気分が流れていたそうで、その影響が出ているのではないか、ということです。


... 『罪と罰』のフィナーレが、どこか、そこはかとないロマンティックな影を宿しているとみえるとしたら、それは、絶望のどん底から這い上がった作家自身の、ついに念願の幸福を勝ちとった喜びが照り映えているからなのかもしれない。》『『罪と罰』ノート』p.47

人の幸せって、結局そういうところにあるというのが、彼の最終メッセージなのでしょうか。


 



『罪と罰〈上〉』江川 卓/訳 (岩波文庫 1999/11/16)
『罪と罰〈中〉』江川 卓/訳 (岩波文庫 1999/12/16)
『罪と罰〈下〉』江川 卓/訳 (岩波文庫 2000/2/16)


 



 



 



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