四天王寺古本祭り―「本を読むこと」私の読書論-50-
―第114号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記
★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2013(平成25)年10月15日号(No.114)-131015-
私の読書論-50- 私にとって「本を読むこと」とは何か?
http://archive.mag2.com/0000257388/20131015120000000.html
本誌では、「私の読書論」50回目ということで、「私にとって「本を読むこと」とは何か?」について書いています。
この中でも触れていますが、先日大阪・四天王寺で16日水曜日まで開催中の秋の古本祭りに行ってきました。
境内に30軒の古本屋さんが集まってお店を出しています。
私の狙いは、まあ、あることはあるんですが、それは ひ ・ み ・ つ !
他の人に取られるといけないから。
こういうイベントの楽しさは、お寺の境内という非日常な空間で色んな人や色んな本を目にすることができる、という点でしょうか。
とにかく色んな本を見るのが楽しみです。
「え、こんな本がある/ったのか」とか、「この本持ってたんだよね」とか、「この本読んだよ」とか、「これ今度読んでみよう」とか。
色んな本との出会い、これが一番ですね。
年月を経た本には、独特の味があります。
単純に汚い、というものもないとは言いません。
しかし、経年変化した本には、それなりの味わいがあるのです。
それが、物としての本の魅力ではないか、と思います。
電子化することで、経年変化を逃れることができるとしても、やはり“本物”という感じがしません。
物として手に取れるという利点が、私は本の一番の魅力ではないでしょうか。
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