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2013.06.05

生きる喜びは、どこにあるのか?『戦争と平和』トルストイ~NHK100分de名著2013年6月

「NHKテレビ100分de名著」2013年6月は、トルストイ『戦争と平和』です。

第1回 6月5日放送 人生に迷う若者たち
第2回 6月12日放送 生きる喜びとは何か
第3回 6月19日放送 心がひとつになる時
第4回 6月26日放送 本当の幸福を知る 

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
トルストイ『戦争と平和』2013年6月
川端 香男里 NHK出版 (2013/5/24)
人はいかに生きるべきか
個人は無力である――他者なしに世界は創りえない。

 

 

 ●『戦争と平和』の印象

本書の著者トルストイは、ドストエフスキーとならぶロシアの文豪であり、世界的な大作家と呼ばれています。
本書は、そのトルストイの大作であり、代表作の一つで、世界文学の最高峰とも言われます。

私自身、過去に読んだトルストイは、『イワン・イリイチの死」ぐらいで、大長編を読むのは本書が初めてです。
この番組のおかげで読んでみようと思い立ちました。

まさに《一度は読みたいと思いながらもなかなか手に取ることが出来なかった》作品です。

以前から気にはなっていたものの、大長編ゆえ二の足を踏んでいました。
なにしろ世界的な名作です。
しかも戦争と平和という大テーマを取り上げているようで、これは遊び半分では読めないぞ、といった気持もありました。

(そういう意味ではタイトルが足を引っ張っている、題名で損をしている本の一つかもしれません。
もちろん、他に適当なタイトルが浮かばないという面もあるのでしょう。
また、このタイトルだからこそ、の世界名作とも言えるのかもしれませんけれど…。)

 

新潮文庫版で読み始めました。
まだ途中までしか読んでいませんが、思っていた以上に読みやすく、だんだんと惹き込まれ、読む手を休める暇も与えない展開となってゆきます。

第一巻第一部冒頭の夜会のシーンなど始めは、人名と言い爵位と言い、何かと読みにくく感じたものですが、ある程度当時の状況や人名などに慣れますと、あとはまさに名作家の手にいざなわれ、次々とページを繰ってゆくようになります。
さすがに世界文学の最高峰という代名詞もうなづける、見事な展開です。

登場人物は多いのですが、その書き分けが巧みなのでしょう、まったく気になりません。
スイスイと頭に入ってきます。
(とはいえ、ファーストネームと家名の違いもあり、出来れば、主要登場人物の一覧は欲しいところです。
―その後手にした岩波文庫版にはちゃんと一巻ごとに進行するストーリーに合わせた人物紹介の一覧があります。これは親切! 
ただし、ロシア人の正式な名前というのは日本人には理解が難しいようです。)

 

ドストエフスキーが情念の作家なら、トルストイは理性の作家という気がします。
“憑かれたように読みふけるのがドストエフスキー”なら、“惹かれて読むのがトルストイ”という気がします。

 

 ●高揚と恐怖―戦争を巡る二つの感情

戦後日本では、この小説は反戦の小説として、戦争の恐ろしさを伝える小説というふうに解釈され、大いに受け入れられた、とものの本にありました。
しかし本来、本書は必ずしもそういうものとも言い切れない、とも。

 

まだ途中までしか読んでいないのに、何か書くのはどうか、という気もします。
それでもなお、書いておきたいことがあります。

とりあえず第二部まで読んだ印象を述べておきましょう。

本書は、総勢500人を超えるといわれる登場人物の生き方を通して、いいとか悪いとかを作者自らが判断することなく、戦争と平和を対比しながら人の生きる道を描いている小説だ、と感じました。

 

第二部8章で、戦場の真っただ中にあって登場人物(ニコライ・ロストフ)が、空の美しさ、ドナウ河の流れのやさしさに、山並みの中にたたずむであろう幸福に気付き、「あそこに行ければ何も望まない」と心の中で思いつつ、戦争によってそれらもむなしく失われるのだと死を思い、神に救いを求めます。

ニコライ・ロストフは顔をそむけて、まるで何かをさがしもとめるように、遠くを、ドナウ河の流れを、空を、太陽をながめはじめた。空のなんと美しく見えたことか、なんと淡青く澄んで、しずかで、そして深い空だろう! 沈みゆく太陽のなんと赤く、そして荘厳なことだろう! 遠いドナウの流れのなんとやさしくつややかに輝いていることだろう! 

(第二部8)p.345-6

また別の人物(アンドレイ公爵)は、戦場の銃弾飛び交う中で今まで感じたこともないような大きな生の喜びを感じる、という夢を見ます。

... 彼は胸におののきをおぼえながら、シュミット将軍と並んで馬を進める、銃弾がにぎやかに身辺を唸り飛ぶ、そして彼は生まれてこのかたまだ味わったことのないような、十倍にもふくらんだ大きな性の喜びにみたされる。/彼は目がさめた……/『そうだ、これはみなあったことなのだ!……』彼は幸福につつまれて、子供のように自分で自分に笑いかけながら、こう言い聞かせると、若々しい、深い眠りに落ちた。

(第二部11章)p.366-7

そして実際に戦場の真っただ中で生の高揚を感じます。

『はじまったぞ! これが待望の戦争なのだ!』という表情が、寝足りぬような濁った目をなかば閉じたバグラチオン公爵の、浅黒く日やけしたたくましい顔にまであらわれていた。...

(第二部17章)p.414

... アンドレイ公爵は、何か抗しえぬ力によって前へ引寄せられるのを感じた。そして大きな幸福に胸をみたされていた。

(第二部18章)p.427

他の兵士たちも同様です。

... トゥーシンはすこしの不快な恐怖感も感じているひまはなかったし、戦死か、あるいは重傷を負うかもしれぬという考えも、ちっとも彼の頭に浮かばなかったそれどころか、彼はますます陽気な気分になっていった。... 彼は熱病患者に似た状態か、あるいは酒に酔った人のような状態にあった。

(第二部20章)p.444

 

戦時における高揚もまた、人間の生の喜びであり、生の証です。
一方、戦時下の恐怖もまた人間の感情であり、それは生を希求する本能でもあります。

戦争を巡るこの二つの感情も、一つの人生の争点です。

第一巻第一部で描かれる老貴族の死とその前後の嫡子と庶子との遺産を巡る争いなども、人生の大きな争点です。

(以上は新潮文庫版「第二巻」―岩波版では「第二部」まで読了時。)

 

『戦争と平和(一)』トルストイ/著 工藤精一郎/訳 新潮文庫(改版 2005/08)―全4巻
『戦争と平和〈1〉』トルストイ/著 藤沼 貴/訳 岩波文庫(2006/1/17)

 

 

新潮文庫版は全4巻、一冊一冊がかなり分厚く、1ページ18行立てでかなり密な感じ。
途中で戦場を示す地図は出て来ますが、主な登場人物表がないので、自分で簡単なメモを取ると読みやすくなるでしょう。

ただし、各「巻」(岩波文庫版では「部」)ごとに区分されているので、「巻」の途中で切れることはない。

 

岩波文庫版は、新訳で全6巻、1ページ16行立て。
主な登場人物一覧・地図・年表など、読書の手助けになる資料が整っており、読みやすく理解しやすい印象がある。

全4部(新潮文庫版では「巻」)立ての小説を6分冊しているので、「部」の途中で切れている。
(まとめて所持して続けて読めば、それで不便だどうだ、ということは別にないですが。)

【全巻セット】
『戦争と平和(全6巻)』トルストイ 藤沼 貴/訳 岩波文庫

 

 

 ●読み終えて思うこと

さて、読み終えて言えることは、やはり相当に難しい部分があるということ。
簡単に私の印象を言えば、<司馬遼太郎に恋愛と宗教的な要素を付け加えたような小説>です。

 

まず全体から言いますと、主人公を戦場に送りだして具体的な戦闘を体験させる戦争のパートと、貴族の社交界での恋物語などの平和のパートの緩急をつける組み立て。
そこで、人が生きるとはどういうことか、を考えさせてくれます。

主人公の一人ピエールは、庶子であったにもかかわらず、遺言により、父の爵位とともに莫大な遺産を手にし、しかも美人の妻まで手にします。
しかし、すべてを手に入れたはずの彼は「人はなんのために生きるのか」と悩み、精神的に彷徨します。
その彼が戦場を体験し、捕虜となり、死と隣り合わせの日々をすごしたのち、パルチザンに解放され、平和の世界に戻るや、生きている間こそ幸福である、と悟るのです。

「不幸だの、苦労だのと言いますが」ピエールは言った。「... 慣れた道から放り出されたら、何もかもおしまいだと僕たちは思う。ところが、そういうときには新しい、いいものがはじまるだけなんです。生命があるあいだは、幸福もあります。先にはたくさんの、たくさんのものがあります。これはあなたに言っているんですよ」彼はナターシャに向かって言った。

(岩波文庫版『戦争と平和(六)』藤沼貴訳「第四部第四編 17」p.228)
ナターシャは、自分が裏切った元許嫁が戦死したショックで希望を失っていたのです。
ピエールは彼女への愛に目覚め、このように言葉をかけます。

「まちがいです、まちがいです」ピエールが叫んだ。「僕が生きていて、生きたいと思っているからといって、僕が悪いわけじゃない。あなただってそうです」

(同)

 

もう一つは、特に歴史哲学と呼ばれる部分ですね。

「第四巻」までは物語に乗っていますが、「エピローグ」後半ともなりますと、歴史哲学の部分ばかりといった感じで、その部分が面白く読める人には楽しめますが、ストーリーと絡まないじゃないかと思うと、興ざめになります。
途中で時折挟まれるくだりでは楽しめても、こうなってくるとどんなんだろう、と言う気持ちになりますね。
トルストイ自身は、この部分こそ書きたかったことなのでしょうけれど。

 

この点は昔から色々と批判されたり、逆に好評を得たりしてきたようです。

テキストには、実は大きく三つの版があるそうで、それぞれこの歴史哲学の部分の扱いによって異なるそうです。
私のような単なる物語読みには、もう少し削ってもいいような気もします。

と言いますか、小説であるならそのお話の中で描写すべきで、作者が顔を出して語るのは違反でしょう。
だからこそ、「『戦争と平和』という本についての数言」の中で、長編小説ではない云々と書いているのでしょう。

※参照:
『ハリネズミと狐―『戦争と平和』の歴史哲学』バーリン/著 河合秀和/訳(岩波文庫 1997.4.16)

 

 

 ●小説としての楽しい面白いエピソード

第二巻第四部(岩波文庫版・第二部第四篇)、1810年9月のニコライ、ナターシャ、ペーチャのロストフ一家による狼・狐猟や、12月のロストフ一家のクリスマスの場面です。
こういう“平和”のシーンで示される人生の楽しさ。

この場面の楽しさは、小説としても楽しめるし、この難解な長編の中であっても非常によく書かれた名場面だと思います。
ナターシャというヒロインの魅力もいっぱいあふれていますし、トロイカで疾走するシーンにしろ、クリスマスで訪問した先の老人も非常にいい感じの人物であり、この交流は非常に心を打ちます。

こういったナターシャを中心にした場面では、なかなか読ませるエピソードが登場し、小説としての楽しさを満喫させてくれます。

 

他に有名な場面としては、第二巻第五部(同・第二部第五篇)のラストの彗星のシーンでしょう。
これは、ハレー彗星と言われていますが、感動のラストと言えます。

 

 ●トルストイのこと

トルストイ(1828年8月28日-1910年11月7日)の小伝や岩波文庫版の訳者・藤沼貴/著『トルストイ・クロニクル―生涯と活動』(ユーラシア・ブックレット58 2010.10.20)を読みますと、トルストイという人は、私の敬愛するアメリカの著述家・思想家ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817年7月12日-1862年5月6日、1854年『ウォールデン 森の生活』・1849年「市民の抵抗(市民的不服従)」等の著者、ガンディーやキング牧師の精神的バックボーンとなった非暴力抵抗主義の元祖的存在で、シンプルライフ、エコライフの先駆者)に似ているように思いました。

子供の教育に熱心で学校を作ったり、物質的な繁栄よりも心の豊かさを求めたり、奴隷制反対や反戦の考えを表明したり(トルストイはガンディーと文通していた)、西洋の古典だけでなく東洋の古典(孔子や老子―トルストイは老子の翻訳も行った)を愛読していたり、等々です。

伝記によりますと、ソローとの接点はないようですが、ソローは当時アメリカでも無名に近い状態だったことを思いますと、致し方ないのでしょう。
二人に出会いがなかった点は、ちょっと残念な気がします。

 

【伝記】
・藤沼貴/著『トルストイ・クロニクル―生涯と活動』(ユーラシア・ブックレット58 2010.10.20)
・藤沼貴/著『トルストイ』(第三文明社 2009.7.7)

 

【映画】
[DVD] 戦争と平和 【完全版】 (初回生産限定特別仕様) リュドミラ・サヴェーリエワ (出演), セルゲイ・ボンダルチュク (監督) IVC,Ltd.(VC)(D)
・[DVD]戦争と平和 オードリー・ヘプバーン (出演), ヘンリー・フォンダ (出演), キング・ビダー (監督) パラマウント ジャパン

 

「NHK100分de名著」カテゴリ:
NHK100分de名著

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