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2013.06.02

ジュール・ヴェルヌの本2点『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険』『永遠のアダム』

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私の大好きな作家ジュール・ヴェルヌを巡る二冊の本が、出版されています。

一つは、3月に出版された石橋正孝氏の著作
『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険 ジュール・ヴェルヌとピエール=ジュール・エッツェル(流動する人文学)』左右社 (2013/3/25)。

 

もう一つは、文遊社から5月31日発売(?)の短編集『永遠のアダム』。

『永遠のアダム』 ジュール・ヴェルヌ/著 江口清/訳(文遊社)

 

前者は、博士論文を基にしたものらしいのですが、産経新聞の読書欄で知りました。
(私は、ヴェルヌのファンですが、学問的に研究するというほどでもありませんし、第一、フランス語も読めません。ですから、ジュール・ヴェルヌ研究会には所属していませんし、特に熱心に新刊情報など集めていませんので。)

かなり難しい内容の本のようですが、ヴェルヌの創作における編集者エッツェルの関わり等興味深いものがあり、どういうものか一度のぞいてみたいという気持ちがあります。

産経新聞の書評(2013年5月19日)、永江朗「システム化された本づくり」によれば、本作りにおける編集者の仕事、出版事業というものを考える上でも重要な示唆に富んでいる本のようです。
目次↓を見ただけでも「すごいな」という気がします。

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第一部
 第1章 ピエール=ジュール・エッツェルとロマン主義時代の出版界 ―デビューから『教育と娯楽誌』の創刊まで
   1 編集者とはなにか ―「文学的存在性」または近代文学の両義性
   2 挿絵はいかにして編集者を編集者たらしめたか
   3 エッツェルのデビュー
   4 〈人間喜劇〉の編集者エッツェル
   5 政治の季節
   6 『教育と娯楽誌』の創刊(一八六四年)

 第2章 ヴェルヌとエッツェルの共同作業のメカニズム
   1 ヴェルヌとエッツェルの共同作業における「分冊」の役割の変化 ―ある編集システムの成立
   2 「システム」の成立
   2?1 〈驚異の旅〉の刊行開始まで
   2?2 「システム」の成立(その二)―挿絵は誰のものか
   2?3 「システム」の成立(その三)―困難な離陸
   2?4 「システム」の成立(その四)―テクストとイメージの統一性を求めて

 第3章 〈驚異の旅〉の舞台裏
   1 執筆方法と介入様態の変化(一)―普仏戦争以前
   2 執筆方法と介入様態の変化(二)―普仏戦争以後
   3 往復書簡―共同作業のための距離

 インタルード 〈驚異の旅〉という運動

第二部
 第4章 物語と過剰
   1 カニバリズム―『チャンセラー号』における現在形の描写と書くことの現場
   2 カニバリズムと恋愛―『グラント船長の子供たち』
   3 恋愛と政治―『ミシェル・ストロゴフ』
   4 恋愛と読者―『燃える多島海』または「組み合わせ小説」とはなにか
   5 未来文明への不安―『黒いインド』
   6 否定されたオリジナリティとしての未来都市―『ベガンの五億フラン』

 第5章 進歩に対する不安と日常の除外
   1 科学の不安―『チャンセラー号』
   2 知の世俗化
   2-1 知の世俗化(一)―アクチュアリティと禁断の知(『地球の中心への旅』)
   2-2 知の世俗化(二)―『地球の中心への旅』
   3 日常の除外
   3-1 日常の除外(一)―時空的近接の危険性、あるいは全員と意見を一致させること(『マチアス・サンドルフ』)
   3-2 日常の除外(二)―『ミシェル・ストロゴフ』とロシアの政治的圧力
   3-3 日常の除外(三)―誰でもない人の国籍

 第6章 全体化と局所性 ―〈驚異の旅〉における超越性と偶然
   1 十九世紀西欧文学におけるイデオロギー装置としての気球
   2 失効する局所性と摂理の方法的世俗化―『グラント船長の子供たち』
   3 小説の主人公としての編集者―『マチアス・サンドルフ』とそれ自体局所的な地域の局所的要素

エピローグ

あとがき
年譜/書誌/註/人名索引
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『永遠のアダム』のほうは、昔パシフィカから出た本の復刊といったところだそうです。

SFの始祖、ヴェルヌの傑作初期短篇三篇と、 歿後発表された「永劫回帰」に向かう中篇を収録した短篇集。初版発行当時のイラストを多数収録し、見た目にも楽しい作品集です。

という紹介文ですので、短編集ですね。

 

【追記】2013.7.9 --
収録作品は、表題作(「永遠のアダム」は、パシフィカ版『永遠のアダム・エーゲ海燃ゆ (1979年) (海と空の大ロマン)』収録)の他、「空中の悲劇」「ザカリウス」「マルティン・パス」
この三篇は、パシフィカ版『洋上都市 (1979年) (海と空の大ロマン)』に収録されていた作品のようです。

*『Jules Verne Page』「パシフィカ 海と空の大ロマン 1979」より
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でも挿絵付のようで、楽しみです。

ヴェルヌと言えば、短編よりもやはり長編が有名ですが、その辺はどうでしょうか。

私は昔、集英社から出たコンパクト・ブックス版<ヴェルヌ全集>の短編集『ドクター・オクス』(収録作:ドクター・オクス 1873 /ザカリウス師 1854 /ラトン一家の冒険 1891 /永遠のアダム、古屋健三 訳 1969年6月1日初版発行)というのを読んだことがあります。
他にも、初期のものとされる「氷海越冬譚」(1855)という作品を角川文庫版『悪魔の発明』で、他にヴェルヌ特集の雑誌で二本(『ユリイカ』 1977年5月号「詐欺師―アメリカの風習」、『水声通信』no.27 2008年11/12月合併号「ごごおっ・ざざあっ」)を読んでいます。

人生の一コマを切り取る、と言われるのが短編ですが、そういう意味では“切れ”で勝負する短編というより、“短いお話”という感じでしょうか。
中編のようなものが多いかもしれません。

内容はほとんど忘れてしまいましたが、それぞれ冒険ものあり遠未来のものありと多彩で、<驚異の旅>の作家を彷彿させるものもあれば、それらとは異なる結構“重い”作家なのだ、と思わせる印象のものもあった、と記憶しています。

表題となっている「永遠のアダム」は、ヴェルヌの死後息子ミシェルによって発表されたものと言われています。

 

お値段がの高いのが気になります。
昨今の翻訳ものが売れないと言われる時代を反映しているのか、ヴェルヌが売れない作家と思われているのか、あるいはそれ以上にきれいな本作りを目指した結果なのか、たぶんそれら全てが理由なのでしょうけれど。

先の学術的な著作はともかく、とにかく最近出るヴェルヌ関係の本がみな結構なお値段なのは、いかにファンとは言え、ちょっと大変です。
きれいな本作りの結果なのでしょうけれど、ちょっと気になる傾向です。

昨年出版された新潮社の新訳『海底二万里』は、老舗の文庫ということもあり、挿絵たっぷり注たっぷりのよくできた作りにもかかわらず、押さえた価格で出来の良い本でした。

『海底二万里』(上・下) 村松潔/訳 (新潮文庫 2012/8/27)―挿絵112点完全収録の決定版

 

このような形で色んな未訳小説を出していただければ、気軽に読めていいのですけれど、ないものねだりなんでしょうか。

 

*参照:
・『レフティやすおの左組通信』
「ジュール・ヴェルヌ Jules Verne コレクション」 ・『レフティやすおのお茶でっせ』2012.10.25
テレビの威力か?HPジュール・ヴェルヌ・コレクションにアクセス急増!

 

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