幼少時の記憶から【左利きライフ研究家のできるまで】第2回
【左利きライフ研究家レフティやすおのできるまで】第2回
第1回は、小学校入学時に担任の先生から“左利きを公認された”というところまで書きました。
今回はもう少し話を戻して、私の記憶にある限りの幼少時代のお話を―。
●昭和30年代の時代風潮
小学校入学までは、結構いろいろなことがありました。
私が生まれたのは1954(昭和29)年。
戦争が終わって10年近くが過ぎたとはいえ、当時はまだまだ戦後の真っただ中という時代です。
日本の国は貧乏で国家予算もやっと兆の位に届いたかどうかぐらいだったでしょう。
どこの家も似たり寄ったりの「ウサギ小屋」で、道路も大半は舗装されず雨が降ればぬかるみ、三輪トラックが活躍している…。
思想的にも生活信条的にも、戦前の考え方・物の見方が色濃く残っています。
戦後の民主主義が大いに流行っていたとはいえ、生活の個々の状況には戦前の風習の名残りが漂っていました。
左利きに対する考え方・物の見方も同様です。
例えば現在マスメディアでは、「差別(用)語」として使用を制限されているような言葉も、現役の言葉として誰もかれもが無意識に使っていた時代でした。
差別意識を持って使っている人も当然いましたが、まずそういう言葉による「差別」という考え自体が十分に浸透していない時代であったと言えるでしょう。
「差別」「人権」というものに関する意識と言いますか、認識ができていなかった、もしくは不十分だった時代と言えるでしょう。
前回も書きましたように、左利きは右利きに「なおす(直す・治す)」べきもの、「矯正する」ものとされていたのです。
その典型的な例が、以下に記す秋山孝氏の場合です。
●秋山孝『左手のことば』から
デザイナーでイラストレーターで現・多摩美術大学教授でもある、1952年生まれの秋山孝氏の『左手のことば』(日貿出版社 1990.6)というとイラスト集があります。
擬人化された「左手」がペンを持っているイラストが表紙を大きく飾っています。
(本書の書名について、「左手で書いた絵もしくは図」は「左手の発した言葉」であるという意味であるようです。
もし左手がしゃべれたら、いろいろ話したいことがあることでしょう。
以前メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』で紹介しました、ベンジャミン・フランクリン「左手からの手紙」や、阿刀田高「兄弟」のように。)
その本の巻末に英語と対訳になっている著者インタヴューが掲載されています。
そのなかで、著者が左利きで、子供の頃(1950年代)に右手を使うことを強要され(当時の言葉で言えば、「矯正」指導を受け)苦しんだ、という話が出てきます。
非常に興味深い内容ですので、長くなりますが、全文引用します。
《ぼくが小学校1年生のころに、ぼくは昭和27年生まれだから……昭和33年前後かな?。まあ昭和30年代のはじめにいろいろな人に左ききというのは、一般人のモラルに反していて、いやしいものであるというふうに教えを受けて、直すように強要されたというのがあって。でもぼくは左手のほうが使いやすいしね、細かい仕事をする、つまり字を書くのも絵を描くのも左手のほうが非常にうまくいくと。でもぼくの先生たちは直させるのに何と言ったかというと、文字は右利きの人にしか描けない図形であると。そうすると草書体が書けないだとか、英語は左から右へ行くものだから直しなさいだとかいわれたんだけれども、ぼくはそれに対して納得ができなかった。使いやすい手を替えて不自由な手を持つということにものすごく抵抗を感じたし、本当に納得がいかなかった。そこでぼくは左手を使っているのがそんなにみっともないのかと思って鏡に映しながら手を書いてみたら非常にスムーズにね、自然な感じで鏡に映っているわけ。で、また学校に行くと先生がのぞき込んで「左手を使うのをやめなさい!」と怒鳴る。「右利きに変えなさい、それは片輪なんだよ」ってね。その片輪ということもぼくには理解できなかった。心の底からの理解や納得がないことはやってはいけないよね、子供でも。悪くいうと頑固なんだけれども理解して納得できれば頑固は直るわけ、でも納得できなくてぼくは使ってる。先生の考えの中での「左手は悪」という既成概念に対する抵抗だね。》
結局、彼は左手使いを通します。
今では当たり前と感じる人も多いかもしれませんが、当時ではこれは非常につらい面があったと思います。
この右手使い(「矯正」)指導に関しては自分の意志で拒否した、教師の説得の言葉に納得できなかったから、と書かれています。
私の思うにここでは書かれていませんが、それだけではなく、やろうと努力しても“できなかった”という部分もあるのではないか、という気がします。
左利きの度合いが非常に強い子の場合、やろうと努力しても“できない子”もいます。(私は典型的なそういう子でした。)
そういう場合は、本人が劣等感を持つようになります(ぼくは、人ができることもできないようなダメなやつだ!)。
また仮に、この秋山さんのように断固とした意志で拒否した場合は、「強情な、協調性のない、素直でない子」といったレッテルを貼られることもあります。
どちらにしても子供にとっていい状況ではありません。
この辺はちょっと読んでいて辛いものがあります。
私はこの著者より二年ほどあとに生れているのですが、学校で教師からこのような扱いは受けたことがなく、その点は助かったな、と思いました。
もしこのようなことがあったら、私は秋山さんのように断固として突っぱねることはできなかったことでしょう。
そうなっていたら、と思うと正直なところ、ぞっとします。
●左手人差し指のやいとの痕
<左手の やいとの痕も うすくなり>
これは私の作った「左利き川柳」の一つです。
ホームページ「左利き川柳」の解説にも書いていますように、私の左手の人差し指の背の方の、付け根と第二関節とのあいだに、直径5mm程度のやいとの痕がありました。
さすがに寄る年波で、しわに隠れて見分けにくくなってしまいましたが。
小さい頃に親がなんとか左手を使わせないように、と努力した証です。
しかし、その甲斐なく、私の左利きは“頑固”だったようで、右手を使うようにはなりませんでした。
左手にはもう一つの跡が残っています。
こちらも今では寄る年波には勝てず、しわの中に埋没していますが。
それは火箸のあと。
当時の冬の暖房器具と言えば、一に火鉢でした。
火鉢には火箸が欠かせぬものです。
金属製の箸です。
当然熱くなると素手では持てません。
ところが何かのはずみで手を伸ばしたのでしょう。
親指と手の甲にかけてくっきりと残っていました。
やっぱり左利きだったのです。
つい左手が出てしまったのでしょうね。
【以下、次回に続く...】
▼参照サイト:『レフティやすおの左組通信』
・レフティやすおの左利き自分史年表
・レフティやすおの左利き人生 少年時代 その1
・左利き川柳
本稿は、メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第39号(No.39) 2006/7/15「私にとっての左利き活動」より、「■レフティやすおの左利き活動万歳■ 私にとっての左利き活動(1)」(隔号掲載)、および『レフティやすおの左組通信』「レフティやすおの左利き人生 少年時代 その1」を元に、一部加筆修正したものです。
【左利きライフ研究家レフティやすおのできるまで】過去の記事
*第1回
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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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