カフカの小説から題名について考える
私の読書論-32-初心者のための読書の仕方を考える(14)
最初の一冊の選び方(11) 本選び(選書)の方法 IV 直接法(3)
書名【後編】別冊 編集後記
―第79号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」
★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2012(平成24)年4月15日号(No.79)-120415-
私の読書論-32-初心者のための読書の仕方を考える(14)
最初の一冊の選び方(11) 本選び(選書)の方法 IV 直接法(3)書名【後編】
本誌では前回に引き続き、題名について書いています。
小説における題名について考えるのに役立ちそうな文章に出会いました。
見ておきましょう。
池内紀編訳『カフカ寓話集』(岩波文庫 1998.1.16)の巻末「解説」に―
《カフカは二種類のノートを使っていた。「四つ折り」とよばれる大型ノートに長篇を書き、短篇には「八つ折り」とよばれる小型のノートを使った。大半はタイトルがなく、ブロートが整理して著作集をつくった際に題をつけた。「雑種」(引用者注:岩波文庫『カフカ短篇集』所収)もその一つである。/ということは、カフカ自身はべつだん「雑種」といったイメージで、これを書いたわけではなかったかもしれないのだ。... 》p.234
《カフカの短篇にてらし語り手「私」の文脈で読み直すと、どうなるだろう? ... ブロートのつけたタイトルを消し去って読むと、カフカがこれを書いていた方向性といったものがはっきりするのではあるまいか。つまり、名声という方向、歴史に記される栄誉ということ。》p.235
「ブロート」というのは、カフカの遺作を編集し出版した、カフカの友人でチェコの作家マックス・ブロート(1884-1968)のことで、無名のサラリーマン作家であったカフカの著作を今日に伝えた功労者でもありますが、「ブロート問題」と呼ばれるカフカの著作における編集上の問題を残した人物でもあります。
要するに、文章の改編や削除などを行ったというのです。
さらにタイトルがないものには、自分でタイトルをつけた。
先に引用した池内氏の文章は、カフカがタイトルをつけなかった作品にブロートが自分の考えでタイトルをつけたために、カフカが意図したものとは誤った印象を与えることになった、といっているわけです。
小説の場合は、他のビジネス書や実用書などの場合では、大きく異なります。
イメージさえ内容に合致していれば良い、という面もあります。
細部の解釈は読者任せでもよいのです。
そうは言いましても、やはりそれなりのルールというものはあるでしょう。
名無しの権兵衛は困りますが、ないものはない、という区別の付け方も必要かもしれません。
・・・
本誌本文で、「書名が最も重要な判断材料である」と書きました。
これは多分に、小説や詩のような創作作品以外の分野においてです。
ところが、この重要な「書名・題名・タイトル」は、必ずしも書いた本人=著者が自分で決められるものではない、ということです。
もちろん、カフカの場合は自分で書き遺さなかったのですから、本人の意向が反映されなかったという点についてはどうしようもないのですけれど。
現在商業出版される本に関しては、書き手だけでなく、本の作り手=編集者や営業担当等の意向が大きく反映されるようです。
そこでは、「売れる」という要素が重んじられるのは否定できないことですが、本来の意図であるところの「内容を示す」という点が疎かにされては、やはりまずいのです。
・・・
タイトルをつけるというのは、簡単そうで非常に難しいものがあります。
読者の側から言いますと、やはり奇をてらわず、十年後にも百年後にも通用するような、長くもなく短くもなく、中身を十全に示すものを、とお願いしたいものです。
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池内紀編訳『カフカ寓話集』(岩波文庫 1998.1.16)
池内紀編訳『カフカ短篇集』(岩波文庫 1987.1.16)
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※本稿は、『レフティやすおの作文工房』より
2011.12.31「カフカの小説から題名について考える」を転載したものです。
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