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2012.02.29

なぜギリシア悲劇を読むのか

―第76号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

古典から始める レフティやすおの楽しい読書
2012(平成24)年2月29日号(No.76)-120229-
ギリシア悲劇:"ギリシャ悲劇の創造者"アイスキュロス


なぜ今「ギリシア悲劇」を読むのか、について書いておきます。

本誌本文にも書いていますように、
「ギリシア悲劇」は、西洋演劇・文学の源流であり、
ということは、現代日本においても、近代以降、演劇・文学の源流の一つであるということです。

それは「人間のドラマ」であり、古今東西を問わず、人間としての普遍的な生き方を反映したものだ、ということです。

2500年前のギリシアのアテナイという一都市における演劇が、実は現代にもつながるものである、という事実。
ここに芸術・文学の持つ力が示されています。

読書には、こういう人間の生き方・在り方を考えさせるものもあれば、単に知識や技術を伝えるもの、ものの見方・考え方を教えるものなど色々もあります。

一般に「名著」と言われるものは、これらをリアルな形―現実の枠組みの中で論文とか随筆の形で取り扱うものです。
一方、「名作」と呼ばれるものは、創作、フィクション・虚構―詩や歌も含め、お話・物語・小説という作り話(疑似現実/仮想現実)の形で提供されるものです。

「ギリシア悲劇」の「名作」も、やはりこの人間の生き方・在り方を問うものであり、「悲劇」的な枠組みの中で、人間が神がどのように勇気を持って自己の意志を貫くか、といった姿が描かれています。

本誌本文のラストにも書いていますように、3.11東日本大震災とその後の原発事故という悲劇を経験した私たちも、彼らと同様に、どのように生きるべきか、何を求めて生きるべきか、そして、悲しいことではありますが、どのように死すべきかという問題を抱えて生きています。

「ギリシア悲劇」は神話の形を借りていても、遠い世界の遠い昔話ではなく、実は今も生きているお話なのです。
その辺を読みとっていただければ、という気がします。

※本誌で取り上げた本:
『ギリシア悲劇 I アイスキュロス』高津春繁[ほか]/訳 ちくま文庫 1985.12
『ギリシア悲劇入門』中村善也/著 岩波書店・同時代ライブラリー 1994.5


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※本稿は、『レフティやすおの作文工房』より
2011.12.31「なぜ「ギリシア悲劇」を読むのか」を転載したものです。
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