幅允孝『幅書店の88冊 あとは血となれ、肉となれ。』を読む
『幅書店の88冊 あとは血となれ、肉となれ。』幅允孝/著 マガジンハウス 2011.6.23
あの有名なブック・ディレクター幅允孝(はば・よしたか)氏の初出版という、お気に入りの本88冊を彼の言葉とセンスで紹介する本のガイド・ブックです。
《人が本屋に来ないならば、人がいる場所へ本を持っていこうと、あちらこちらに本を届けてきた》(本書p.187)というあの人です。
「はじめに 遅効の抽き出しを」の中で、本について語っている部分が興味深いものがあります。
非常に読ませます。
彼は本は手段だと言う、毎日の生活を潤わせるためのものとして。
もちろんこういう言葉では表現していないけれど…。
《本は、誰かの経験や感情をテキストという言霊(ことだま)に情報化したものだ。僕が大切だと思うのは、その情報化された誰かの経験を、ちゃんと自らの内側に注入し、自分なりの経験にもういちど還元できるかどうかだ。誰かの経験を、自分の経験として血肉化すること。自分の言葉で話せるようになること。》(p.3)
「救われよう」「なにかを得よう」と本を手に取る人が多い中で、彼はこう言います。
《厳密に言えば、本は誰も救ってくれないのかもしれない。》(p.3)
ただ「本の遅効性」を訴えています。
読書によって、自分の中の抽き出しが増える、
その抽き出しの中の小さな経験が、困難な現実に耐える力を与えてくれる、と。
《本を読むと「救われはしないけれど、耐えられるかもしれない」とは言える。》(p.4)
《僕にできるのは、... 自分の好きな本を共有したいと願うことだけだ。》誰でもおもしろいことや感動を他人と共有したいと思うだろう、そういう思いだと。
本には「良い本」も「悪い本」もなく、今の自分に「あう本」と「あわない本」があるだけ、
《1000人が本を手に取れば、1000通りの読み方があるはずだし、その余白の大きさが本の魅力でもある。》(p.5)
と続けます。
最後に、物理的にすべての本を読み尽せないことについて、ふたたび
《僕は、読んだ本の数よりも、読書にあてた時間よりも、読んだものがどう自身の中へ血肉化するかのほうが大切だと思える。》(p.6)
と繰り返します。
(これは本書のラスト「感謝の言葉」に続くページに示されている引用、
《本を読む人の美点は、情報収集力にあるのではない。また、秩序だて、分類する能力にあるわけでもない。読書を通じて知ったことを、解釈し、関連づけ、変貌させる才能(ギフト)にこそある。》アルベルト・マングェル『図書館 愛書家の楽園』(p.191)にも、さらに本書副題にもつながります。)
そして、
《すべての本を網羅した無限の図書館があるとしたら、それは僕らが生きている世界そのものなのだ。》(p.6)
と結びます。
また、「はじめに」の中でもふれているように現実のタフさについてや、冒頭の「オブラートに包めない痛みについて」の末尾、ヴォネガットの「人生とはなんだろう?」に、息子マークが応えた言葉の引用の
《父さん、われわれが生きているのは、おたがいを助けあって、目の前の問題を乗りきるためさ。それがなんであろうとね」。ヴォネガットは「それがなんであろうと」の部分が特に気に入っていたらしい。/そう、その痛みがなんであろうと、僕たちの人生も前に進んでゆくのだ。》(p.13)
という部分を見ても、この本が東日本大震災のあとに出版された本であることを如実に示している、震災以後の生き方を見据えたものとなっていると言えるでしょう。
・・・
内容について簡単に見ておきましょう。
主に、絵本、写真集、マンガ、雑誌といったビジュアル系の本、日記、自伝・伝記など現実との接点を持つ本が多いように感じます。
創作、詩・小説なども含まれていますが、全体に気軽に手に取り、何かしら感じ取れる本を主体に選ばれていると思いました。
それが“幅”流なのかな、という印象です。
構成も様々です。
一日24時間の中で一時間毎にその時間帯にふさわしいと思われる一冊の本を紹介する「彼女たちの時間」。
文章ごとに、文字の大きさを変えたり、段組を変えたり。
紹介する本を素材にした写真と文を見開きで示したり。
一冊の本を二通りの想定読者に合わせて紹介したり。
人に寄り添うように、押しつけにならないように。
なおかつ自分の感性を見せ、共感を得られるものなら得たいというように。
―と、様々な工夫と共に紹介しています。
それは、「はじめに」の中で
《あなたが自然に本を手に取りたくなるような環境にその一冊を配置してきたつもりだ。》(p.5)
と述べている心遣いを思わせるような方法だと言えましょう。
私の読みたい、というか普段読んでいる本とはまったく傾向の違うものが多く、新鮮さがありました。
ただハッキリ言って、手に取りたいと思った本はあまりないというのが正直なところです。
それはここに紹介されている本に魅力がないとか、紹介の仕方に問題があるとか言うのではなく、あくまでも私の感性と合わない、私の求めるものとは違う、ということにすぎません。
私の印象に残った言葉を拾っておきます。
《どんなネガティブな状況でも、「存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れること」つまり「これでいいのだ」である。こんな真理に行き着いた人間も、数えるほどの仏教者くらいなのではないだろうか?》(p.75)―「愛される、求道的な壊れ方 『おそ松くん』『天才バカボン』『レッツラゴン』赤塚不二夫」
すべてをあるがままに肯定的に明るく受け入れる度量の大きさというものは、なかなか難しいものですが、「これでいいのだ」と思うことで楽になることって結構あると思います。
また、私のように気弱、内気、内向型の人間の場合、他人の意見を受け入れる一方だったり、振り回されたり、自分を見失うことが多く、逆に開き直って、「これでいいのだ」と他人の意見を突き放すことも大事かもしれません。
1996年ノーベル文学賞を受賞したシンボルスカ(1923年、ポーランド生まれの女性詩人)の受賞スピーチの印象的な部分を紹介する文章から―
《シンボルスカは「私は知らない」という言葉を自分に問いかける重要性を説く。... 自分に向けてそのささやかな質問を続けよと説く。自分という個人にとっての「私は知らない」をたくさん発見すること。/街を歩いていて見かける些細な... 視点が世の中を具体的にかえる最初の歩みになるのだろう。... それは随分ちいさい一歩のように思えるけれど、大股に見える幻影の一歩よりも、確実に力強い歩みだ。そして、そんな「起きるに値する朝」を毎日繰り返して生きることが、世の中を実際にかえる最小単位となるに違いない。》(p.23)―「実際的な言葉の効用 『終りと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ」
「私は知らない」という自覚は、ソクラテスの「無知の知」といわれるものに通じる考え方でしょう。
また「朝」と言えば、ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、
《国の運命は、選挙で誰に投票するかで決まるのではない。... どんな紙を投票箱に投じるかではなく、毎朝どんな人間を自分の寝室から通りに送り出すかにかかっているのだ。》―「マサチューセッツ州における奴隷制度」(『ソロー語録』p.41 岩政伸治/訳 文遊社 2009.10.25)
と語っています。
一人一人の、朝から始まる一日一日の心の持ちようから世界を変えてゆくことができるのだ、という意味では同じことを言っているのでしょう。
・・・
私自身、元“本屋の兄ちゃん”としての興味から、この本を手に取りました。
“ブックディレクター・幅允孝”という人物を知ったのはいつどこでだったかは、記憶がありません。
しかし、一度その仕事がどういうものか見たい、知りたいという気持ちがありました。
今回、本の形でその一端を知ることができ、もう少し今度は生の形でその仕事ぶりを拝見したい、という気持ちも生まれて来ました。
これからの本屋のあり方というものを考える上でも、多いに興味があります。
頭に片隅にその名をメモして置こうと思いました。
・・・
因みに、88冊中、私の読んだことのある本は、『人間の土地』、『センス・オブ・ワンダー』『長距離走者の孤独』。
あと、『おそ松くん』『天才バカボン』『少年マガジン』がかすっているくらい。
ほとんど読んでないなあ、俺っていったい何を読んできたんだろう?
そうだ! 『LY書店の○冊』っていうものを試みるのもいいかも…。
※
幅允孝、ブックディレクターという仕事。|エキサイトイズム Vol.133 2009年1月26日
ブックディレクターの幅允孝さんに聞く(前編)~ 「普通の会社員として仕事を任されたのは幸運でした」
ブックディレクターの幅允孝さんに聞く(後編)~ 「ゆとり世代だって言われていても生きてりゃ食えるよ 」
*参考:
『図書館 愛書家の楽園』アルベルト・マングェル/著 野中邦子/訳 白水社 2008.9.29
―《古今東西、現実と架空の図書館の歴史をたどり、書物と人の物語を縦横無尽に語る。》
『終わりと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ/著 沼野充義/訳 未知谷 1997.6
『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン/著 三嶋輝夫・田中享英/訳 講談社学術文庫 1998.2.10
『ソロー語録』ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 岩政伸治/編訳 文遊社 2009.10.25
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