「自分勝手」が招く悲劇『焦熱の裁き』デイヴィッド・L・ロビンズ
最近読んだ海外ミステリからひとつ紹介しよう。
デイヴィッド・L・ロビンズ『焦熱の裁き』Scorched Earth (2002)村上和久訳 新潮文庫(2005.1)。
"怒りと哀しみの充満する町で救済を求める者たちの真実を追う感動のリーガル巨編。"―カバー裏表紙の紹介文より。
著者は戦争ものの小説で名をあげた作家でミステリはこれが初めてというが、ミステリとしても非常によくできた物語になっている。公正とは何か不正とは何かを考えさせる罪と罰の物語。
しかし、それ以上にこの小説を読み応えのあるものにしているのが、嫌々ながら公選弁護人にされた主人公の元検事補のナット・ディーズ、彼の級友でもある酔いどれ牧師のダービー、24年間保安官補を務めている黒人モンロー、インディアンの裁判所判事<鷹(ザ・ホーク)>などなど、それぞれの登場人物たちである。
最近の小説にしては改行の少ない、長い段落の文章を書く。しかも現在形を多用する文で、多少の違和感があり、読みにくいと感じる向きもあるだろう。そこは少し我慢していただければ、すごい世界が展開してゆく。
*
アメリカ南部ヴァージニア州のかつて南北戦争の戦場でもあったパマンキー郡、とうもろこし畑と製紙工場の町グッド・ホープ、雨が欲しい、心にも潤いが欲しい、そんな夏の物語。
雨は何かの発作ではない。空が突然何かの感情を爆発させたわけではない。悲しみでも一種の解放でもない。ただ雨が降っただけ。ありきたりで、当然の出来事だ。/ナットはぐっすりと眠っている。/雨は物陰に隠れないものすべてを包み込む。そして、その点で、雨は愛にとてもよく似ている。
ラストの結びの文章より。
悲惨な物語だが、読後感は決して悪くない。それは、再生を願って努力する人たちがいるから。その人たちを信じたいから。信じられると期待したいから…。
*
冒頭、愛し合う女と男、白人の妻と黒人の夫―クレアとイライジャ。
彼らが働く製紙工場で開かれた、<多様性委員会>に出席した二人。人種差別をなくし、みんな仲良くしてゆこうという集まり。
「われわれは相手の気持ちにもっと敏感になる方法を探す必要がある。これはなにも工場だけにかぎった話じゃない。社会全体についていえることだ」(略)「われわれはみんな、もっとクレアとイライジャのようになる方法を見つけなければならない。二人を見習って、もっと相手を受け入れるように」
席上、イライジャは静かな声で言う。「これはあんたらの問題だ」。クレアは言う。「悪いけど、私達はあなた達の理想像なんかじゃない」。
彼らの子が生れて十分で亡くなり、その遺体をクレアの唯一の親族である祖母が教会執事を務める、先祖の埋葬されたヴィクトリー・バプテスト教会の墓地に埋葬したことから事件が始まる。
教会執事たちの会合で彼らの二百年の伝統に従い、同胞ではない者の埋葬は拒否される。この地には、黒人専用のもうひとつのバプテスト教会があり、黒人達はそちらで礼拝をし、死者はその墓地に埋葬されるのだ。
ワデル夫妻の子ノーラの棺は掘り起こされ、親族のいない黒人墓地の見知らぬ人々のあいだに埋葬される。
伝統の力が差別を蘇らせてしまう。反対しなかった祖母、反対を押し切られた雇われの身の牧師…。
「われわれの世界は、いったいどこまで小さくなってしまうのかね?(略)われわれは、あらゆる扉を開かねばならんのかね?(略)わたしが彼や彼の親族といっしょに埋葬されたいわけじゃない。あのかわいそうな赤ん坊は、自分の同胞に囲まれた場所で眠りにつくべきだし、その場所はここではなく、道の先だ。わたしは赤ん坊のためにそれを望むことが罪だとは思わないし、また、わたしや、今夜わたしとここにいる善良な人たちのために、それと同じことを望むことも罪だとは思わない」(略)「わたしはそう固く信じている」
そして埋葬がすんだ夜、ヴィクトリー・バプテスト教会は何者かに放火され炎上。現場にいたイライジャは逮捕される。しかも現場からは保安官の娘の焼死体が発見される。
窮地に陥ったイライジャを救うべく颯爽と現れるはずの弁護士は…。
*
憎しみの炎が過去を一掃して、そのあとに再生される世界に愛は育まれるのだろうか。
罪とは、罰とは、公正とは、不正とは、あるいは神とは、信仰とは、そして故郷とは、人の心とは、夫婦とは、愛とは、思いやりとは…。色々なことを考えさせられる物語であった。
特に際立った悪人は出て来ない。しかし、みんな少しずつ「自分勝手」だ。そんな小さな「自分勝手」が積み重なって行くとどうなるのか、ここにその見本がある。利己主義に陥った人間たちが引き起こす悲劇である。
あえて書くと、黒人と白人の人種差別が前面に取り上げられているため、日本の読者の中には、アメリカは大変だねといった他人事のように受け取る人もいるかもしれない。しかし作者が言いたいのは、人種差別にしろ他の問題にしろ、その根本の原因は、人々の心のなかにある「自分勝手」な考え方―他を省みない自己中心的な考え方、利己主義にあるのだ、ということではないだろうか。私にはそう思える。
*
こういう手の小説では、巻頭の引用句が深みを添える。
人は失ったものだけを永遠に所有できる。 ヘンリク・イプセン『ブラン』
善と悪とを分ける境界線が通っているのは、国家と国家のあいだでも、階級と階級のあいだでも、党派と党派のあいだでもない。それはまさに人間の心のなかを通っているのである。 アレクサンドル・ソルジェニーツィン
なかなか、見事だ。
※David L. Robbins: The Official Web Site
※『「レフティやすおの本屋」店長日記』「本店に『タオ』『焦熱の裁き』他計三点追加」
※『レフティやすおの本屋』本店「海外ミステリを貴方に」
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