左利きの矜恃
最近スカッとした気分になったお話をしましょう。
最近ネットの左利き関連の文章を読んで心の底から爽快(※爽快すら常用外とは、日本語がダメになるのもうなずけます。)に感じたものがあります。
それを紹介しましょう。
すぐるさんのホームページの『#4682B4』の「アーチャー室」の"「ちょっとでも迷ったら」アーチェリーを始めようと思っている、左利きの人及びそれ以外の人へ"のなかの文章の一番おしまいの言葉です。
僕が左射ちにした理由はというと――/左利きだから。/利き目(マスターアイ)が左だから。/というのはもちろんありますが、一番の理由は、「左利きの矜恃」です。この点に関しては大いにアーチャー気質です。だから、有利だろうが不利だろうが弓具が高かろうが僕にはまったく関係のないことなのです。
私の心を打ったのはもちろんこの「左利きの矜恃」という言葉です。右利きの人には、わからないのではないかと思います。想像はできるでしょうが、ホントの気持ちはその立場の人でないとわからないと思うのです。
私が生まれ変わってもまた左利きに、と思うのも、結局はこれじゃないのか。左利きの人がどんなに嫌な思いをしていても、心気高く生きてゆけるのは、これじゃないのか。人生の本質とはここにあるのではないのか。
世の中がどうであろうと、「左利きの矜持」を持って生きて行ければその人は幸せになれるのではないか。
たとえば、世の中右利き優先だから右手を使えたほうがいいのでは、といったことは所詮一時的な便宜的なことにすぎない。有利だ不利だ、損だ得だ、などどうということはない。人生においてはそんなことは本質ではないのだ。
本当に大切なのは、その人が自分に自信と誇りを持って、胸を張って生きてゆけるかどうかではないのか、ということです。
明治の日本人が欧米の人たちに負けず、独立を維持し、明治維新を達成できたのも、日本人としての矜持というものを持ち続けたからではないか。
まあ、話が大きくなりましたが、同じようなものが脈打っているのではないかと思います。人にはそれぞれ、そういう自負のようなものがあるかないかで、その人の価値が変わってくるのではないかと思います。
私が左利きにこだわる理由のひとつがそんなところにもあるのかもしれません。
左利きは、左利きでいいんだ! 自分は、自分でいいんだ! と。
※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。
「心と体」カテゴリの記事
- 2025(令和7)年、明けましておめでとうございます。(2025.01.07)
- 週刊ヒッキイ第676号-告知-楽器における左利きの世界(27)まつのじん(2)(2024.12.07)
- 週刊ヒッキイ第675号-告知-『左組通信』復活計画[34]『LL』復刻(7)LL81996年春号(2024.11.16)
- 週刊ヒッキイ第674号-告知-楽器における左利きの世界(26)まつのじん(1)(2024.11.02)
「左利き」カテゴリの記事
- 2025(令和7)年、明けましておめでとうございます。(2025.01.07)
- レフティやすおの楽しい読書380号-告知-私の読書論192-私の年間ベスト3-2024年〈リアル系〉『都筑道夫の小説指南』(2024.12.31)
- 週刊ヒッキイ第677号-告知-『左組通信』復活計画[35]『LL』復刻(8)LL91996年夏号(2024.12.21)
- 週刊ヒッキイ第676号-告知-楽器における左利きの世界(27)まつのじん(2)(2024.12.07)
「左利きを考える」カテゴリの記事
- 2025(令和7)年、明けましておめでとうございます。(2025.01.07)
- 週刊ヒッキイ第677号-告知-『左組通信』復活計画[35]『LL』復刻(8)LL91996年夏号(2024.12.21)
- 週刊ヒッキイ第676号-告知-楽器における左利きの世界(27)まつのじん(2)(2024.12.07)
- 週刊ヒッキイ第675号-告知-『左組通信』復活計画[34]『LL』復刻(7)LL81996年春号(2024.11.16)
Comments