「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
以前、4.2 「(左利きの)矯正」を死語にしよう
4.7 再び「(左利きの)矯正」を死語にしよう―生きた言葉として使わないようにしよう等で書いていますが、既に半年がすぎているので改めて引用を中心に書いておきます。
まず左利きに関する研究書から科学者の意見を抜書してみましょう。
7.26 朝日新聞7.24「疑問解決モンジロー/左利きは生活しにくい?」
でも登場された八田先生の著書から―
『左ききの神経心理学』八田武志(医歯薬出版)(サイドバー「左利き関連書」参照)
第7章 きき手の変更/2 きき手を変える理由より
きき手を変えることは、普通きき手の矯正といわれる。矯正という語の意味を広辞苑で調べると、「欠点を直し、正しくすること」とある。つまり、この矯正という言葉を使ってきき手の問題を話すときには、すでに左ききはよくないもの正しくないもので、左ききは欠点であるという考え方が前提となっている。単に左手の使用を右手使用に変更するという意味だけではないのである。
*
10月24日の産経新聞の朝刊第一面に「大丈夫?国語力」と題して、「メディア教育開発センター」小野博教授(コミュニケーション科学)の調査が出ていました。「4年制私大生 2割が中学生レベル」だというのです。
「憂える」のみを3人に2人が「喜ぶ」と回答したなど、いくつかの例が挙げられている。
最近の若い人(必ずしも若い人だけに限らぬが)には日本語の意味がわかっていないのではと思われる人が少なくない、と私は感じていたのですがまんざら見当はずれではなかったようです。
かく申す私も漢字に関しては今ではワープロ・ソフトにおんぶに抱っこ状態です。
しかしできる限り辞書機能を使って確認するようにしています。
確かに漢字を書く能力は落ちてはいるとしても、まだまだ漢字の意味を理解する努力は重ねているつもりです。
*
さて、どうしてそのような話題を出してきたのかというと、「矯正」という言葉も、若い人たちにすれば、単に「きょうせい」や「キョーセイ」「kyousei」だったりして、その意味は単純に「変える」という言葉だろうぐらいにしか受け取られていないような気がするからです。
しかしそれは誤りです。
確かに声に出して言うときには漢字の持つ言葉の意味は感じられないかもしれません。しかしひとたび漢字に変換されて「矯正」となれば、それは漢字の持つ意味が付与されてひとつの言葉としての意味がより厳密に明確になります。
もはやそこには、単なる「変える」といった意味はなく、辞書(三省堂大辞林)によると「欠点などを正しく改めさせること。まっすぐに直すこと。」といった意味になります。
用例として普段よく使うのは 「視力矯正」「歯列矯正」だし、他には「非行少年を矯正する」と言う例もあるのです。
その昔は少年院を「矯正院」と呼んだと言います。
矯正の「矯」という字は「た・める」と読みます。「矯める」とは同じく辞書(三省堂大辞林)によると、
(1)木・竹・枝などを、曲げたりまっすぐにしたりして形を整える。
「枝を―・める」「角(つの)を―・めて牛を殺す」
(2)悪い性質やくせなどを直す。矯正(きようせい)する。
「―・め難い不親切や残酷心はまさかにあるまい/行人(漱石)」「クセヲ―・メル/ヘボン(三版)」
(3)目をすえて見る。じっと見る。
「―・めつすがめつ」「清葉の容子(ようす)を最(も)う一度―・めて視て/日本橋(鏡花)」
(4)弓・鉄砲で、ねらいをつける。
という意味です。
(2)の項目にはっきりと、「悪い性質やくせなどを直す。矯正(きようせい)する。」と出ています。
*
そこで、もとに戻って、「利き手(左利き)の矯正」という言葉です。
八田先生の著書にもあるように、明らかにこれはかつての「左利きは行儀の良くない習慣、悪癖である、正すべきものである」という考えに基づいて使用されてきました。
しかし現代では、明らかにその考えが誤りであり、生来の個性であり、尊重されるべきものであると考えられる時代になっています。
それにもかかわらず、理解の十分でない一部の人たちによってこの言葉が何気なく使われています。
私はこの事態を放置しておくのはよろしくないと考えています。
そこで今までにも何度か訴えてきました。言い換えの方法も考えてみました。
なに、そのまま単純に「右手を使う、右手使いに変える」といった言葉を使えば済む問題なのです。
それをわざわざ「矯正」などという言葉を使って、左利きを貶めるような表現をする必要はないのです。
こんなことを言うと、反発されるかもしれませんね。
しかし「私はそういうつもりでは使っていません」と言ってみても、この言葉を少なくとも漢字で使ってしまえば、そういう意味を持って使ったとみなされても仕方ありません。
知らなかったとすれば、そのような批判を受けても甘んじなければならないでしょう。知らなかった自分が悪いのですから。
*
というわけで、この言葉は、かつてそのような意図の下にそのような行為を受けたという人がそのような行為について語る場合をのぞいて、「利き手(左利き)を変える」―これも、より正しくは「使い手を変える」と呼ぶべきでしょう、なぜなら利き手は変えられないものだからです―という意味で使うのは辞めるべきであると考えます。
本日の結論:
左利きにおいて「矯正」という言葉は誤用であり、使わないようにしましょう!
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Comments
よく言ってくれました。
自分も同じようなことを言ったことはあるけれど、今回のやっちゃんの説明の方がよくわかると思います。
広めましょう。
Posted by: まり | 2004.11.28 03:02 AM
まり様、コメントありがとうございます。
共感していただける方がいると知るのはうれしいものです。
これからも機会を見て訴えてゆくつもりです。
キャンペーンというのはちょっとなんですが、自分なりに広がって行く手助けができればいいなと思っています。
既に、この言葉を使わないで相談に応じている先生もいらっしゃるようですし…。
まさか左手を使うというだけで非行少年と同じ扱いでは変ですものね。
Posted by: レフティやすお | 2004.11.28 12:25 PM
中埜です。こんにちは。
※以前、『左組通信』のアンケートに参加させていただきました。
私はこれまで、当たり前のように『矯正』という言葉を使ってきていました。
左利きの私がそんなコトも知らずで、恥ずかしさと共に反省をしております。
この『利き手の矯正という言葉を使わない』に賛同したいと思いますので、勝手ながら、私のblogにこの記事のリンクを貼らせていただきます(やすおさんのご意思にそぐわなければ削除します)。
Posted by: 中埜実(亀井) | 2004.11.30 02:51 AM
中埜実(亀井)さん、アンケートのときはお世話になりました。また今後とも興味のあるアンケートの際にはご協力お願いいたします。
今回はまたご賛同の表明をいただきうれしく思います。しかもトラックバックもいただき、その上、特設リンクまで張っていただき、本当にありがたいことと心より感謝しています。
少しでも輪が広がれば良いな、と祈っています。
書いた甲斐があったというもの。
後日こちらからもそちらのブログから感じたこと考えたことなど書かせていただきます。
これからもよろしく!
Posted by: レフティやすお | 2004.11.30 11:30 PM
左利き同盟@goo からきました。
…個人的には、言葉を言い換えてもやってることが同じなら
意味がないのかと思うんですが…。
それとも、本来の意味での「左利きの矯正」というのはもうなくなって、言葉自体を死語にしてもいいくらいなのでしょうか?
Posted by: Lefty | 2004.12.07 10:55 PM
Lefty様、はじめまして。
左利き同盟@gooより、ようこそお越しいただきました。ありがとうございます。gooの左利き同盟には、毎度お世話になっています。
はじめに一言すると、私の問題とする点は、
1:この言葉の意味を認識不足のまま、安易に使用する人がいるということ、
2:それによって左利きに対する良い流れが損なわれることになる危険性を感じるということ、の2点です。
さてLeftyさんのコメントですが、やってることが同じなら言葉を変えても意味がないのでは、という疑問ですね。
幸いなことに、右手使いに変えるべきでは、と考える人は少なくなってきています。
左利きに対する理解がわずかずつでも進んで、そのまま自然に任せようという人が増えてきています。
そういう時期だからこそ、この言葉の不当性を訴えることで、その流れを促進して行ける、と私は考えています。
<本来の意味での「左利きの矯正」>については、「左利きの矯正」=「左手を使うことが礼儀にかなわぬこと、と考えて右手使いに変えさせる」と考える人は少なくなって来ています。
右手使いに変えさせる理由が変わってきているのです。
世の中が右利きに便利な社会にできているので、左手使いは不便で苦労するだろう、だから右利きに変えられるのなら右利きに変えさせたい、というのが昨今の左利きの子を持つ親御さんの考えです。
あるいは、利き手が変えられないのなら、せめて少しでも右手が使えるようになるように練習させるべきだろうか、という悩みです。
既にかなりの人たちが「左利き」=「無作法・不躾」「強情・わがまま」あるいは「異常」といった認識を持ってはいない、ということです。
「左利きは、正すべき欠点である」と考えて右手使いにさせることが「左利きの矯正」とすれば、そのような理由からではないということです。
にもかかわらず、この言葉を使うようになるのは、悩める親御さんたちに届く様々な雑音の中に「矯正」というこの言葉があり、本来の意味とは関わりなく右手使いに変えることを指す言葉として認識されるからです。
単に、言葉の意味上の問題としての認識不足です。
「矯正」=「変える」といったニュアンスで捉えている人が多いのです。
ところが、この言葉を使うことで、変えることが正しいのかも、という気もしてくるのです。
やはり昔の人が言うように、左利きは変える方がいいのか、と疑心暗鬼になるのです。
心が揺れるのです。
そこが言葉の持つ力なのです。
だからこそ、この言葉を使わないことが流れを逆流させないために必要だ、と私は考えるのです。
終わりに、念のために付け加えますと、
「私は子供の頃に利き手(左利き)の矯正を受けました」という用法は、かまわないのです。
「子供の利き手(左利き)を矯正すべきかどうかで悩んでいます」という使い方は、困りものだと考えています。
この場合は「子供に右手使いをさせるかどうか」といった表現にして欲しいと思っています。
ただし本当に、「矯正」させるべきだ、と考えているのなら別ですが…。
残念ながら、一部にはまだそのような昔の常識にとらわれて、左利きを矯正すべきものと考える人―主に年配の人―がいますが、確実に少なくなっています。
(毎度長文になってすみません。もう少し頭がいいとすっきりまとめられるのでしょうが。)
*「左利きを右手使いに変えさせる理由」という記事を書いてみました。そちらもご覧ください。
Posted by: レフティやすお | 2004.12.08 11:07 PM
私はこどもの頃右利きに矯正させられました。箸、文字は右利きですが、一部の動作は両利きです。その後、さまざまな場面で特に社会に出てからストレスを感じるようになりました。右利きになったはずなのに知らず知らずのうちに左利きの特徴が出ている事に気づいたのです。消しゴムを消すときに左で消す。ビールを注ぐとき左で注ぐ。ものを渡すとき左で渡すなど、意識していないとき、あせっているときの動作は左が先行している自分がいました。文字は右手しか書けませんが、どうしてもノートやメモがうまく書けない悩みがあって、社会人に出てから、ペン字を習い、文章がきれいに書けるようになりました。しかし、相変わらず、急いで書く文やメモは以前のまま変わりません。
矯正したことと関係があるのでしょうか?
是非意見を聞かせてください。
Posted by: アッキー | 2005.09.18 06:14 PM
アッキー様、コメントありがとうございます。
始めにお断りしておきますが、私は利き手について専門に科学的研究をしている人間ではありませんので、私の意見が科学的に正しいかどうかは判断できません。
ただ今まで何冊かの本を読み仕入れた知識と自分の見聞きした経験を基に、自分なりに総合的に考えたことを言わせていただきます。
これはなかなか難しい問題ですので、くわしくはいずれ別稿を立ててお話したいと思います。
ここでは簡単に申し上げますと、利き手というものは、単純にスイッチを切り替えるように右左と変えられるものではないということです。
ひとつは、持って生まれた運動神経の優位性(設計)というのが基本になっているわけです。その上に実際に使う「使い手」(施工)という段階が来ます。
設計どおりの施工であれば、特に問題は起こらないと考えられます。ところが、設計とは異なる施工をすると、細部で不都合が出てきてもおかしくはないでしょう。
左利きの「矯正」=右手使いへの変更には、当然そういうリスクが発生すると考えておくべきです。
特定の作業については、訓練でその能力を強化することは可能です。しかし、所詮はその才能の範囲内にとどまることになります。
たとえば、クルマのブレーキ操作などは訓練で身に付けることができるでしょう。しかし、総合的な操作に関して言えば、突発的な事故の時などでは、利き手もしくは利き側の方が速く反応できるのではないでしょうか。
あなたのケースも、いくら訓練していても非利き手では、とっさの際にはすばやく反応できないということでしょう。
あまり神経質にならず―再「矯正」するとか―、自分の本来の姿(字は右手なら右手、他の事は左手なら左手)に逆らわずに、自然体で生活して行けばよいと思います。左手用の道具も色々と出てきています。機会があればそういうものも使ってみて、自分に合うスタイルを見つけて下さい。利き手テスト(たとえば9月の「左組通信」のアンケートでやっています)をやってみてご自分の利き手度を知るのも良いでしょう。
Posted by: レフティやすお | 2005.09.18 11:48 PM
レフティやすお様
貴重なご意見ありがとうございました。
是非参考にしたいと思います。
Posted by: アッキー | 2005.09.19 03:27 PM