最後のカウボーイ、ハヤブサ『マディソン郡の橋』
『マディソン郡の橋』ロバート・ジェームズ・ウォラー 村松潔訳 文春文庫 THE BRIGES OF MADISON COUNTY, 1992
50になったのでロバート・ジェームズ・ウォラーの『マディソン郡の橋』を読んでみた。
放浪の写真家と田舎の主婦の出会いと恋愛の4日間とその後の恋物語である。
本の裏表紙の文によれば、「漂白の男と定住する女との4日間だけの恋。時間にしばられ、逆に時間を越えて成就した奇跡的な愛」、「シンプルで純粋、涙なくしては読めない」、「不朽のベストセラー」だ。
「ロマンスもないし、エロティシズムもない。台所のロウソクの明かりの中で踊ることもないし、女の愛し方を知っている男のすばらしい愛撫もない。」―そんな退屈な生活の日々を過ごす45歳の主婦のもとに、ある日最後のカウボーイとも言うべき、世界を駆け巡り自分のお気に入りの写真を撮り続ける52歳のバツイチ男が現れる。屋根つきの橋を写真に撮るべくこのマディソン郡にやってきたのだ。ただ最後のひとつが見つからぬ。そこで道を尋ねてみようと立ち寄ったのだ。
二人がお互いを見たとき、魔法が始まった。それぞれが心の中で求めていたものに出会ったのだ。
ちょうど家族が出払っていたときだったので、女は男を家に招待する。そして魔法の4日間がすぎる。
最後の日に男はいっしょに行こうという。しかし女は家族との田舎での生活という自分の責任を全うする道を選ぶ。
以来二人の道は交わることなくすぎてゆく。
とはいえ女は、男の仕事を通じて男のその後を見つめている。一方、男は女が残した唯一の手書きメモを女そのもののように女を思い続ける日々を過ごす。
お互いの線が交わるのは、男の死後、男の遺品が届けられてからだ。
そして女の死後、二人は二人を出会わせるきっかけとなった記念すべき場所で再び結ばれる…。
私が思うには、魔法の恋の物語。人が生きるために見なければならない夢の恋と現実の生活の物語、だ。
魔術的な力を信じる男と合理的な判断を下す女とのすれ違わざるを得ない恋の物語。
瞬間の夢を追いかけて生きる男と継続した流れの中で現実を生きる女の話。
男は夢を現実にしようとするが果たせず、夢を振り切ろうとするがその都度夢に引きもどされる。
女は現実と夢を別の枠で捉え、別個の世界を作って二つの世界を生きる。
結局、これでよかったのかもしれないと思う。それが人生なのかもしれないと思うのである。
夢があるから生きてゆけるのだ。
誰もが起こり得たかもしれない、もうひとつの人生に思いをはせる時があると思う。
もしあの時・・・していたら、――。
そういう夢の恋物語なのだ。
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