左手できれいな字を書きたい、習いたい
最近の私のいちばんの関心事、それは字を書くこと。
きれいな字を書くことです。
もちろん「利き手」を使って書くことです。
ここまでは誰も不審に思う人はいないでしょう。
当然のことという人もいらっしゃるかもしれません。
たいていの人は字を書くときに「利き手」を使います。
その「利き手」はたいてい「右手」のようです。
しかし、なぜ「右手」を使うのか、を考える人は少ないのではないでしょうか。
気がついたら「右手」を使っていたという人が大半でしょう。
いや、「利き手」が「右手」だから、と答える方もいらっしゃるでしょう。
あるいは、「右手」で書くように教えられた、という記憶をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
そこで、私はまた考えます。
「右利き」の人では「利き手」である「右手」で字を書くのは当たり前のことと考える人が多い。
また、(利き手である)「右手」で字を書くようにと教わったという人もいる。
然るに、「左利き」の人の場合はというと、(利き手ではない)「右手」で書きなさいと言われることがある。
実際に「右手」を使って書いている「左利き」の人も少なくない。
なぜなんだろう?
「右利き」の人が「右手」を使うのは理解できる。
しかしなぜ、「左利き」の人は「左手」を使ってはいけないのだろう。
「左利き」が「左手」を使うのは自然なことである。
なんら不思議なことではない。
『左利き用ボールペン字練習帳』なる本が出ているぐらいである。
(この本については、以下参照―)
2004.06.18『左利き用ボールペン字練習帳』再び
2004.06.03『左利き用ボールペン字練習帳』岡田崇花
2004.06.26『左利き用ボールペン字練習帳』「レフティサーブ」で紹介
それでも、字を書くときは「右手」でと考える人が少なくない。
ただそう考える人は、主に「右利き」の人である。
もちろん「左利き」の人でもそういう考えを持つ方もいる。
しかし、たいていそういう人は自分も「右手」で字を書いている人だ。
「左手」で字を書く人で、字は「右手」で書くほうがいいという人は少ないようだ。
そういう人はたいてい「左利き」なら「左手」で字を書いてよいという。
字は「右手」で書くものだ、というのは「右利き」の人の勝手な固定観念だと考えている。
さて、字は「右手」で書くものだ、という方が書を教える先生の中には結構いらっしゃる。
「利き手」に関わらず、字というものは「右手」で書きやすいように作られているので、これは「右手」で書くべきなのだ、と力説される方も少なくないようです。
きれいな字を書くためには「右手」で書くほうが良い、と親切そうに優しく薦める方もいます。
(2004.07.15の記事「左利きに関して最近腹が立ったこと:きれいな字を書く」で紹介したメルマガの先生や、
2004.07.26の記事「朝日新聞7.24「疑問解決モンジロー/左利きは生活しにくい?」」 の投書にあった例など。)
しかし、これも私には理解できません。
本来、字というものが発明されたときには、どちらの手で書きやすいようにしようとか考えていたとは思えないのです。
まず、言葉を書き表す方法を考えたのであって、字形が整えられたのは後の世であろうと考えるわけです。その後多くの人がより書きやすい、より覚えやすい、よりきれいに見える書き方を編み出して、次代の人に教え伝えていったのだと思うのです。
そしてその当時は、現代のように万人の技術ではなく、特定の階級に属する人たちの特別な技術であったと思うのです。
当然の結果として、ひとつの流儀や作法といった考え方が出てきてもおかしくないわけです。
しかし、今は状況が変わりました。字を書く技術は一部特権階級の独占物ではないのです。万民のものとなりました。誰でも必要な技術です。誰もが書けるものにすべきなのです。
―といったことは今までにも、さんざん書いてきました。
今回は、別の見方も考えてみましょう。
百歩譲って字は「右手」で書くものだとしましょう。
しかし、「右利き」の人にとっての「右手」と、「左利き」の人にとっての「右手」ではその間に大きな隔たりがあるのです。
「右利き」の人はそのへんを正しく理解しているように思えません。
「左手」に対してはそのような感覚をお持ちのようですが、こと「右手」に関してはどうも違うようなのです。
「右利き」の人には、「左手」でできることとできないことの違いの認識は十分あるようです。
ところがこの考えが、しばしば「左利き」の人のそれにまで影響を及ぼしているようなのです。
すなわち自分が「左手」でできないことは、「左利き」の人にもできないのではないかと考え、それができると知ると心から驚くのです。
「まあ、器用ね」と。
私たち「左利き」にとっては当然のことなのに。「左利き」だからできるのであって、それが「左利き」というものなのに。
そこには、自分たち「右利き」にとって便利で使いやすい手である「右手」は、左利きの人にとっても便利で勝手のいいものだという思い込みがあるように思われるのです。
その便利な手があるにもかかわらず使おうとしない「左利き」の人はずいぶん意固地で変わり者というふうに感じている、のではないでしょうか。
文句を言う前にまず使ってみなさい、こんな便利なものはないよ、という感じが漂ってくるのです。
その点が私は好きになれません。
自分の思い込みを人に押し付けてくる、それも大人が子供に。
ものを教える先生が教わる生徒に向かって。
強い立場の人が弱い立場の人に。
これでは、気の弱い人、素直な人は従わざるを得ません。
そういう卑怯な態度が許せません。
それを卑怯と思わない態度が許せません。
もし仮に字は「右手」で書くのがベストだとしても、「右手」が使いやすい手ではない、非「利き手」である「左利き」の人は「利き手」の「左手」で書いても良いのではないでしょうか。
そして、そういう「左手」で字を書く人のために、「左手」でも(「右利き」の人が見て)きれいな字が書ける方法を考えてくださる先生がいても良いのではないでしょうか。そういう方法を工夫し、教えてくださる先生がいても良いのではないでしょうか。
これが本日の結論です。
*2008.4.30追記* 左手書字について―
・『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「左手で字を書くために―レフティやすおの左利き私論4―」
・『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
「左手書字の研究―実技編」(2008年より第三土曜日発行分に掲載)
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