「(左利きの)矯正」を死語にしよう
今回は「(左利きの)矯正」という言葉について考えて見ます。
「矯正」を実際に受けた左利きの人の中にはこの言葉を「強制」と呼び換え、嫌う人がいます。「強制」的に右手使いに「矯正」され、心に傷を受けた人たちです。
ここでは、そういう被害者の心理を思い図るという観点からではなく、あくまでもその言葉の持つ意味という観点から考えてみたいと思います。
アンケート「左利きイメージ調査」の報告(3/29付記事)でも書きましたように、左利きを取り巻くマイナスイメージというものを感じる人が右利き左利きの区別なく存在するのです。
この目に見えないけれど確かにある悪い空気のような存在はなんでしょうか。
その昔からいわれている左利きに対する差別的な偏見が生き残っているのでしょうか。
もしそれが生き残っているとすればそれはどのようなところにあるのでしょう。
一番の根源は、実際の左利きの人を知らない右利きの人たちが抱いている、昔からの左利きに対する考え方に基づく誤解や偏見の類でしょう。
そして私は、「(左利きの)矯正」というこの言葉の存在自体が、それらの誤解や偏見を助長し、これらの悪い空気を醸成するのに一役買っているのでは、と考えています。
「「右利き」または「利き手」の問題を考える」という記事でもふれましたように、
「矯正」とは、
「欠点などを正しく改めさせること。まっすぐに直すこと。/「歯列―」「非行少年を―する」」三省堂国語辞典
本来、この「矯正」という言葉は、「善悪正邪」という価値判断を含む言葉であり、この言葉を使う「行為」はすなわち善であり正しい行為であるわけです。
視力矯正、歯列矯正、さらには先日見た新聞広告の本の題名「少年A矯正2500日全記録」のように、年少犯罪者の矯正という場合など。
では左利きの子が左手で箸を使ったり、字を書いたりする行為は悪いことなのでしょうか。
確かにかつては左手で箸を持つ行為は、無作法であり、見苦しいとされたこともありました。
字は右手で書くものだ、という考えもあるようです。
(また、今でも一部の宗教や作法の流儀の中には、左手使いをタブーとするところもあるようです。しかしそれはあくまでもそれらの人たちの間でのことでしょう。ローカルルールとしては尊重すべきかもしれませんが、決してグローバルスタンダード、世界的な標準ではないはずです。)
そのような時代にあっては、この言葉が正しい用法であったでしょう。
しかし今は違います。左利きの成因が脳神経科学の発達から生来のもので後天的に変えられるものではないと判明し、固有の性質として認めるべきものであると考えられるようになりました。
もはや現代では、左手使いは悪いこととは考えられていません。
ゆえに左手使いを右手使いに変更する―直す?―必要はありません。
しかし、左利きの人のなかにも、その偏り具合に差があり、人によっては右手も使える人がいるというのも事実です。そういう可能性を認めて、右手使いを試行する―試みる―ことを否定するものではありません。
ですが、その行為を「善/正しい」と考えるわけではありません。
それゆえ、この行為を「(左利きの)矯正」と呼ぶのは適切さに欠けた表現というべきで、左利きに対しなんら知識を持たない人に誤った先入観を与えることになります。
ではかわりにどのような言葉を使うのがよいのでしょう。
最もふさわしいものは、中立の立場にたったもので簡単な言葉であるべきでしょう。
私の考えでは「右手使いを試みる」というものです。
これならこの行為はあくまで、試行であり、訓練ではないので失敗に終わっても本人もさほど傷つくことはないでしょう。
「訓練」といってしまうと努力によって成否が左右されるような気がします。失敗する子は努力が足りぬと受け取られるかもしれません。
さて皆さんはどのように思われますか。
みんなで考えてみたいものです。
*参照:
・2004.4.7 再び「(左利きの)矯正」を死語にしよう―生きた言葉として使わないようにしよう
・『レフティやすおの左組通信』
右手使いへの変更(左利き矯正)について―レフティやすおの左利き私論 2―
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Comments
右手使いに試みる必要もあるのでしょうか?左手使いが生まれつきなら、そして、世の中に一定数、そういう人が厳然として存在するのなら、それを世の中に認めさせるのが正当な道ではないでしょうか。私はそう思います。認めさせるだけでは足りません。左手使いでも使用できる品物を作る、見つけやすいようにするのは社会の責任です。
だから、表現うんぬんの問題なんか、気にするより、上記の運動を胸を張ってやるのが、左利き道のあるべき姿だと、右利きの私でも思いますが。もっと、本筋に焦点を当てて取り組むのがいいと思います。
Posted by: へそ美人 | 2004.04.04 09:57 PM
へそ美人さん、コメントありがとう。
私の考えをよく理解していただいるようでうれしく思います。
理屈はそうなのですが、私たちは今現実の世の中に生きています。
一方で理想のために戦いながら、他方で現実に対処していかなければいけません。取り組まなければならないことがいっぱいあるのです。
今すぐに左利き用品が世界中に普及するわけではありません。社会のシステムとなると一朝一夕に変えることができません。人の考えが急に変わるわけでもありません。
その中で現在進行形で生きている人がよりよい状況を作るには、「便法」として右手が使える人は右手を使えばいいのです。可能性があるのならそれを追う姿勢を他人が否定してはいけないと思います。
(私個人としては、そこまでする―右手使いを試行する必要はないと考えていますが…。時間をかけてどれだけのものが手に入るのか、よ~く考えてからでよいと思います。)
それと「表現」の問題は、また別次元のことです。
表現を正していくのも左利き問題の活動のひとつです。
表現をおろそかにしてはいけません。ひとつの言葉でまったく違うものになってしまう可能性があります。言葉で考えるのが人間です。その言葉が不適切だと内容そのものの捉え方が人により異なってくる場合があります。
物事を正しく理解してもらうためにはそれにふさわしい表現をしなければいけません。不適切な言葉を独り歩きさせてはいけないのです!
たとえば「障害者」という言葉があります。この「障害」は本来は「障碍」と書きます。しかしこの「碍」の字が常用漢字でないため、新聞などでは先の字を使います。しかし「害」という字から私たちが浮かべるイメージはあまりよいものではありません。それゆえ「障害者」のイメージまで悪いものになってはいないでしょうか。
「看護婦」が「看護師」に変わりました。「医師」と「看護婦」を一つの資格を持った存在として同列に扱おうという考えからです。(まちがってたら、ごめんなさい!)
「言葉」から正してゆく、という方法もあるのです。
ものごとを改善するのに、まず実態から取り組む方法、形から先に整える方法、の二つがあります。どちらかを選ぶというのでなく、両方を進めていかなければならないのです。
Posted by: レフティやすお | 2004.04.05 07:25 PM
「矯正」という言葉について、レフティやすおさんのお話を受けて自分のココログにも書いてみました。トラックバックもさせていただきました。
私は「使う」派です。やすおさんのお話を読んでも、今のところ自分の意志は変わっていません。言葉と実態を両方とも変えるというご意見にはまったく同感なのですが、言葉の言い換えで終わっている人があまりにも多いので、自分は違うやり方がないか模索しているところです。
Posted by: ひでゆき | 2004.04.05 10:50 PM
ひでゆきさんご無沙汰してます。
コメントありがとう。トラックバックも拝見しました。
私は以前からひでゆきさんが「左利きの矯正」という言葉を使うことを貴方のサイトを読み知っています。
ひでゆきさんが「理解してあえて使う派」であると考え、今までも何も言わずにいました。
(ほかの人にはわかりにくいかもしれませんが…。ひでゆきさんのサイトをご覧ください。)
しかしこれからは変わるかもしれません。
私も自分のサイトで「便宜上」使ってきました。ただ注意書きのようなものはつけていたはずです。
これからは少し違う形にしていこうと考えています。
まだ具体的なプランはありませんが、機会あるごとに広く訴えてゆきたいと考えています。
*(閲覧者の皆様へ)「矯正」という言葉については「レフティサーブ」でもこのことを取り上げています。そちらもご参照ください。
*ひでゆきさんのサイトならびに「レフティサーブ」についてはサイドバー「左利きのサイト」をご利用ください。
Posted by: レフティやすお | 2004.04.05 11:21 PM