ハンディズム「見える化」P―8月13日は「国際左利きの日」(3) Happy International Lefthanders Day
8月13日は「国際左利きの日」です。
今年の<8月13日は「国際左利きの日」>の記事の第一弾がこちら↓
2026.8.3
始まりは1976年アメリカで―8月13日は「国際左利きの日」(1) Happy International Lefthanders Day
第二弾はこちら↓
2026.8.6
左利き用鍵盤ハーモニカP―8月13日は「国際左利きの日」(2) Happy International Lefthanders Day
本日は第三弾。
今回も、告知といいますか、新しいプロジェクトの発表です。
・・・
左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』 の最新号
第715号(Vol.22 no.15/No.715) 2026/8/1
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その26―
ハンディズム(利き手差別)を「見える化」する方法を考える(その一)
婦人画報デジタルの左利き特集に思う(1)」
(手違いで、7月31日に配信してしまいましたが……。)
2026.7.31
【編集後記】ハンディズム「見える化」(一)[婦人画報]左利き情報(1)-週刊ヒッキイ第715号
2026.8.8
【最新号】ハンディズム「見える化」(一)[婦人画報]左利き情報(1)-週刊ヒッキイ第715号
の冒頭でも少し書いていますが、
<ハンディズム(利き手差別)を「見える化」する>プロジェクト
というものを考えています。
近年、社会は「左利きに寛容になった」とよく言われます。
「寛容」という表現については、またいずれ書くつもりですので、今回はスルーしておきます。
とりあえずは、第715号で触れている(注)を写しておきましょう。
(*)寛容: 「寛容」とは、《心がひろくて、他人の言動をよく受け入れること。他人の罪過をきびしくとがめだてしないこと。また、そのさま。》(精選版 日本国語大辞典)といった意味があります。
どうもこの言葉を「左利き」に使われるのが、筆者は好みません。上から目線を感じるからです、「自分は心が広い人間だから、左利きは欠点だが、厳しく責めるのはやめておこう」とでもいうように。
左利きは欠点でも罪でもありません。
人から許してもらうような性格の事象ではありません。
「寛容」は宗教において、他の宗教を排除することなく容認する、といった意味合いで使われます。
岩渕巧一さんの『多様性とどう向き合うか――違和感から考える』(岩波新書2094 2025.12.19)
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には「共感」と混同されやすい言葉として「同情」が上げられていて、
《寛容のように自己と他者の不均衡な関係性に向き合うことなく、やや上から目線のものとなりがちです。》p.125
と説明されています。
《寛容は単に個人の徳目(心の広さ)ではなく、むしろ社会的な次元にかかわり、宗教と政治ないし国家との接点で生じてくる問題である。》(日本大百科全書(ニッポニカ) )ともいい、社会的な意味合いがある、というのであればまちがいではないのでしょうけれど、筆者が「左利き」に使うのなら、単に「認める」という意味で「承認」あたりでしょうか。
「承認」は《一般的には他人の行為に対して肯定的意志を表示すること。》(日本大百科全書(ニッポニカ))、《そのことが正当または事実であると認めること。》(デジタル大辞泉)――だそうです。
・・・
現状は、かつてよりは改善されてきたとはいえ、なくなったわけではない、という状況です。
まず最初に、「ハンディズム(利き手差別)とは何か?」です。
「ハンディズム(利き手差別)」とは、<利き手の違いによる差別>のことです。
利き手による差別とは、一つは、(1)精神的・心理的障壁で、もう一つは(2)肉体的・物理的な障壁、という二つのものがあります。
(1)精神的・心理的障壁 とは?
昔、左利き(左手使い)は、作法に悖(もと)る――作法からはずれている/そむくこと、とされていました。
昔と書きましたが、21世紀(2005)に入ってから出版された食事の作法に関する本でも、「左手箸」を「直したいお箸の持ち方」としていました。
21世紀になって筆者がネットで活動するようになってからでも、こういう状況が続いていました。
「左利き」というだけで頭から否定されるということもありました。
たとえばこういう例を挙げてみましょう。
『左利きは危険がいっぱい』という有名な左利きの本がありました。
この本にこういうイメージ調査が掲載されています。
スタンレー・コレン著『左利きは危険がいっぱい』石山鈴子訳 文藝春秋 1994(平成6)/1/1(原題"The Lefthander Syndrome"(c)1992)
から、「第一章 神話と固定観念」<ハンディズム(利き手差別)> p.23
《左手利きの人のイメージが型にはめられているなどといえば、ごく平均的な右手利きの人間はびっくりして、優越感を感じたこともなければ軽蔑の念を抱いたこともないというかもしれない。そこで、右手利きの人の仮面をはいで、そうした感情を掘り起こしてみる必要があるだろう。ここに、ある会話からの一節が不完全な形のままで取り上げられている。
「どんな具合でした?」
「彼の振るまいは、まるで○○○のようでしたよ」
空白部を埋めれば、ことがうまく運んだかどうかが、表現できる。「大バカ者」とか「まぬけ」といった言葉を埋めれば、当然、ことがはかばかしくなかったことになるし、逆に「天才」とか「英雄」といった言葉をあてはめれば、万事上手くいったことになる。
しかし、この空白部に「左手利き」という言葉をあてはめると、いったいどうなるだろう? 私はかつて、大学生のグループにこの実験を行って、二番目の話し手のいわんとする意味をいかに解釈するかと質問してみた。すると、話題の主は「不器用だ」「社会的に適応できない」「まぬけだ」「場違いだ」「無礼だ」などと、さまざまな否定的表現で二番目の文章を解釈したものは、グループ全体の九一パーセントにものぼった。残りの九パーセント(おそらく左手利きの学生たちだろう)は、「回答するにはもっと情報が必要だ」とか「筋がよく通っていない」といったコメントをして、確答を避けた。百四の回答のうち、肯定的な意味にとらえた者は一人もなく、このことは、左手利きの人に対する否定的な固定観念が根強いことを物語っている。》(pp.23-24)
すでに30年以上経っていますので、現在では少しは変わっていることと思われます。
特に、この本の出版年である90年代半ば以降に生まれた人の場合は。
しかし、それ以前の生まれの人の場合は、どうでしょうか?
少しは改善されているとしても、きっと同じような結果になると予想されます。
根拠は、大路直哉著『左利きの言い分』の中に記されている、「日本左利き協会」の右手使い指導を受けた(いわゆる「矯正」経験)人の割合の調査結果から想定するものです(同書p.25の文中、p.24の図0-3「幼少時に矯正ありと答えた比率(回答者1225名)」出典:日本左利き協会が実施した「利き手アンケート」(2020年集計)より)。
誕生年が1965年以前では約80%、1966年から85年までは年まで約70%、1986年から95年までは52%、1996年から2005年までは36%。
それぞれの親世代を考えるとき仮に25年ほど差し引いたとしますと、1986年から95年までは1961~70年生まれの親、1996年から2005年までは1971~80年生まれとなります。
この1970年代というのは、日本における左利き問題の一大転換期でした。
「左利き友の会」の活動が1971(昭和46)年に始まり75年まで、イギリスのご自身左利きで左利きの研究家であったマイケル・バーズリーさんの2冊の研究本の邦訳が出版されたのが1972年と73年。
この73年の夏、麻丘めぐみさんの歌う「わたしの彼は左きき」(作詞・千家和也 作編曲・筒美京平)が大ヒットし、百貨店に左利き用品コーナーが誕生するなど、<左利きブーム>が起きました。
1976年にはプロ野球・読売ジャイアンツに安打製造機と呼ばれた左打ちの張本勲選手が入団、左打ちの王選手とON砲に変わるOH砲が誕生し、<左利きの時代>の象徴のように言われました。
1977年になりますと、大リーグ初の女性(左腕)投手の活躍を描いた『赤毛のサウスポー』(ポール・R・ロスワイラー 稲葉明雄訳 集英社)が出版され、王選手はホームラン世界新記録通算756号を達成し、国民栄誉賞受賞の第1号となり、日清食品のインスタントうどん「どん兵衛」が発売され、左利きの山城新吾さんと川谷拓三さんのお二人がそれぞれ左手箸で食べる、かけ合い漫才のようなCMがヒットしました。
翌1978年、王選手モデルにした強打者と対戦する左腕投手を描く、ピンクレディー「サウスポー」(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)が大ヒット。
――というように、この1970年代を境に左利きに対するイメージや、左利きの子への対処に関する考え方に大きな変化が生まれた時期でした。
このように、1970年代以降の生まれの方とそれ以前の時代の生まれの方では大きなギャップがあると考えられます。
それ以前の時代は左利きに対して良いイメージを抱きにくい社会傾向にあった、と考えてよいでしょう。
・・・
以上述べてきました「左利き」に対する悪いイメージ――左手使いは「まちがった作法」であるとか、「左利き=悪」であるといった見方――だけではなく、もう一つ「左利き」もしくは「利き手(利き側)」というものの性質に対する理解不足、認識不足が障壁となっている面があります。
筆者が右利きの人に「どうして右手で箸を使ったり、字を書いたりするのですか」と尋ねた際の回答が意外だったという経験があります。
筆者の予想は「右利きだから」でしたが、それより多かった回答は「そう教えられたから」というものでした。
確かに最初は誰も皆、そう教えられるのかも知れません。
筆者の場合も最初はそう教えられたのでしょう。
しかし筆者にはできませんでした。
筆者は「強い左利き」の傾向を持っているため、どうしても左手でなければ……という感じでした。
「教えられたから」というのはまちがいではありません。
しかし、それを受け入れる能力、素地がなければ簡単には受け入れられません。
右手が自由に使える「右利き」という性質を元々持っていたから、その能力を活かして右使いを受け入れられたのだ、というのが筆者の意見です。
このへんの「利き手」に対する理解不足が、ひいては左利きへの理解不足や誤解に影響しているのではないかと考えられます。
昔、筆者が右利きの人に左利きの不便さについて語ると、「右手があるのだから右手を使えば済む問題」と返されたことがあります。
これも「利き手」に対する理解不足が影響しているのだと思います。
・・・
利き手(利き側)の性質とは、身体に左右二つある器官のうちのどちら側をより多く使うか、より巧みに使えるか、というものです。
この性質には、二つの側面があります。
一つは「好み」と呼ばれるもの――個体の固有の癖のようなものです。
もう一つは「巧みさ」――動きの正確さや緻密さといった器用さです。
(この二つが一致していればベストですが、時に不一致の例もあるようです。)
この利き手(利き側)を活用することで、人は環境に適応しているわけです。
ところが、ハンディズム(利き手差別)はそれを阻害し、不適応を求めているのです。
このへんの理解が進めば、精神的・心理的障壁が解消されるのではないでしょうか。
・・・
差別は偏見から生まれるものです。
偏見は意識的なものではなく、無意識下に刷り込まれたイメージから生まれます。
それは個人の意見というよりも、社会の持つ構造的な思想、思潮によるものです。
それゆえに一朝一夕には変えられないもので、現状でもこういう固定観念が強く残っている状況は否定できません。
さらに社会の持つ構造的、制度的なあれこれによって、強化されていきます。
2024年に翻訳された、ピエール=ミシェル・ベルトラン/著『左利きの歴史』によりますと、ヨーロッパでは近代に入って始まった学校制度が左利き差別を生んだ、というようなことが書かれています。
《後に述べるように、学校はつねに左利きに対向するためのもっとも有効な手段のひとつであった。というのも学校は、利き手のいかんにかかわらず、右手で書くことを子供たちに義務づけていたからである。こうし何世紀にもわたり、文盲――これはとくに農村社会に見られ、下層階級に特徴的な弊害である――は、いわば左利きのもっとも安全な隠れ所となっていた。(略)
ところが、十九世紀を通して公教育が大幅に進展すると、やがてあらゆる階層の人々が、学校の文明化と徹底した規範化の動きに巻き込まれることになる。一八八二年、フランスで初等教育が義務化されると、すべての左利きの子供たちが、社会階層や家族柄にかかわりなく、いっさい例外なしに右利きの支配下に置かれ、平等という名のもとに、生まれつきの性向を放棄するように命じられる。当時のある証言はこうした「右利きの規範化」を国民に推し進めるうえで、公教育が果たした重要な役割を示している。(略)》「第二部 刑罰された左利き/第7章 不寛容の始まり」p.106
それまでは社会の中で左利きの人に対して鷹揚であったものが、誰もが学校で学ぶようになって一定の作法が決められ、それを厳格に守ることが正しい在り方とされ、その主流からはみ出す人たちは否定されるようになった、ということです。
日本でも基本的には同じでしょう。
*参照:
『左利きは危険がいっぱい』スタンレー・コレン著 石山鈴子訳 文藝春秋 1994(平成6)/1/1(原題"The Lefthander Syndrome"(c)1992)
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『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』大路 直哉/著 PHP新書 2023/9/16
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『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社 2024/6/27
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第588号(No.588) 2021/2/6
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
左利き本のために――左利きの人生を考える(4)
「わたしの彼は左きき」の時代:1970年代(3)」
2021.2.6
1970年代は左利き観の転換期「わたしの彼は左きき」の時代-週刊ヒッキイ第588号
(2)肉体的・物理的な障壁
肉体的・物理的な障壁といえば、これは左利きの人がズバリ日常的に感じている道具や機械、環境における動線やシステム的なものの不便さといったものです。
社会的に左右を決めなければならないこと――左側通行とか右側通行といった交通ルールのようなものは、致し方ない部分があります。
しかし、それ以外の部分では、どうしてもどちらかに統一しなければならないというわけではないので、そういうものに関しては左右共用できるか、専用品を左右両方用意することで問題は解消できます。
ここで問題となるのは、近年左利きが一般的とされるようになって来たことで新たに生まれてきた、と筆者が感じている問題点です。
昔は「左利きだから」というので「違う人間」として認められていた部分があり、道具の違いとか、ある程度理解してもらえていたと思うのです。
ところが最近は「同じ人間」だとして、左利きはここが右利きとは違うのだ、という相違点を十分理解できてもらえていない、と感じることがあります。
それは、ごくふつうに右利き用の道具や機械類などなどが日常社会に充満している中(左利きの人の間では「右利き社会」と呼ばれます)で、左利きの人自身がそれが右利き用だと理解できていない、そういう部分も関係があるようです。
左利きの人自身は、生まれたときからこの「右利き社会」にどっぷり浸かって生活しているため、それが右利き用にできているという事実に気付かずにいることも多い、ということです。
本来「不便」であると感じるはずのものも、少し不便とは感じるものの、まわりの人たちが何も言わないので「これがふつうなのだ」と感じている部分があるようです。
筆者の子供の頃と同じで、(右利きの)他の子のようにうまく道具を使えないのは「自分が不器用だから」と思い込んでいるケースがあるのです。
本当は、それが右利き用でそれを左手で使っているから、というのが真実なのですが、子供にはそこまで理解できません。
こういうことは親やまわりの大人が教えてあげなければ、子供は理解するのは難しいものなのです。
先日、偶然出会った左利きの女の子(20歳前ぐらいか)に話を聞いたところ、左利きだから何か言われたという経験はない、ということでした。
それは一見良いことのように思われます。
しかし、実際は右利きと左利きは違う点があるわけで、その点は区別しなければいけないわけです。
ところが、同じ人間じゃないかと十把一絡げに考えられてしまうと、ハサミ一つとっても問題が起きてしまうわけです。
右利き用の道具や機械類が世に溢れている「右利き社会」の状況が、ハンディズム(利き手差別)そのものなのです。
これを改善することが重要です。
これは、1970年代に「左利き友の会」を主宰された精神科医の箱崎総一さんの著作『左利きの秘密』(立風書房マンボウブックス)にこんな文章があります。
《左利きに対する偏見と差別が真になくなるのは、左利きの人たちがなんら苦痛を強いられることなく生活していけるときである。それをはかる物指しは、結局、左利きのための道具・器具の普及度である、と私は考える。(略)
たとえ人々の頭の中から左利きに対するあやまった考えがなくなったとしても、それだけでは左右同権の社会とはいえないのだ。左利きの人たちが右利きのための道具や器具に囲まれて暮らしているかぎり、真の解放はありえないのだ。/ こうしたことを考えるとき、わが日本の左利きにとってまだけわしい前途が横たわっているといわねばならない。》
*参照:
第713号(Vol.22 no.13/No.713) 2026/7/4
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その25―
(特別編)日テレ左利き番組『踊る!さんま御殿!!』
左利きは天才!?大検証(その2)」
『左利きライフ研究家(元本屋の兄ちゃん)レフティやすおのお茶でっせ』
2026.7.4
【編集後記】左利きのお子さん~その25(特別編)日テレ左利き番組(2)-週刊ヒッキイ第713号 2026.7.11
2026.7.11
【最新号】左利きのお子さん~その25(特別編)日テレ左利き番組(2)-週刊ヒッキイ第713号
・『左利きの秘密』箱崎総一 立風書房マンボウブックス 1979(昭和54)
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日本の利き手・左利き研究の権威である八田武志さんの著書『左ききの神経心理学』(医歯薬出版)にも同じことが書かれています。
《左きき用のものを作成すればよいだけである。社会の中で多数者である右ききが左ききの存在を受け入れ、理解を示し、左きき用の設備や道具が大量に生産され、右きき用のものと大差ない価格で販売できるように配慮すればよいことである。社会が成熟するということが、少数者への配慮ができるかどうかで測れるとするならば、近い将来に解決されうる、またしなければならない問題といえよう。》
*参照:
第714号(Vol.22 no.14/No.714) 2026/7/18
「ホームページ『レフティやすおの左組通信』復活計画 [46]
レフティやすおの左利き自分史年表(12)2004(平成16)11-12月
―ネットの時代(5)」
『左利きライフ研究家(元本屋の兄ちゃん)レフティやすおのお茶でっせ』
2026.7.18
【編集後記】『左組通信』復活計画(46)左利き自分史年表(12)2004年11-12月―ネットの時代(5)-週刊ヒッキイ第714号
2026.7.25
【最新号】『左組通信』復活計画(46)左利き自分史年表(12)2004年11-12月―ネットの時代(5)-週刊ヒッキイ第714号
・『左ききの神経心理学』八田武志 医歯薬出版 1996.11
(Amazonで見る) 
左手・左利き用品に関していいますと、一定の割合で左利き用のものを作るだけでいいのです。
そのとき、価格が左用が右用に比べて高くなる場合は、そのコストを左右全体で考慮して、郵便料金やケータイ電話料金などと同じようにユニバーサル・サービス料金制度を導入して、左右同価格にする方法があります。
●ハンディズム(利き手差別)を解消するため
筆者の理想の社会である<右利きだけでなく、左利きにも優しい社会>の実現のため、ハンディズム(利き手差別)を打破し、意識改革だけでなく、最終目標である左利き用品の普及――左利き楽器の普及のための一歩を始めてみようと思います。
ハンディズム(利き手差別)は、一般の人には見えにくい差別の一つではないでしょうか。
左利きの問題がなかなか理解されにくいのは、それが一般の人にはわかりにくい、見えにくいからではないか、という気がするのです。
世には様々なマイノリティーや社会的弱者と呼ばれる人々の中にあって、人種や高齢者や女性、身体障害者などは、他の人たちとのあいだに、比較的誰にでもわかりやすい、一見して分かる違いがあります。
そういう人たちに関わる差別の実態は、これも誰にでも想像できる部分があり、ある程度は理解できるのではないでしょうか。
一方、左利きの人の場合、一目見ただけでは左利きかどうかは識別できません。
左利きと分かるのは、主に字を書いたり箸を使ったり、様々な道具を使うときに限られます。
それも筆者の経験でもあるのですが、左手で字を書いていても箸を使っていてもまったく気付かれない時もあるのです。
そういう見えにくい差異を持つのが左利きの人なのです。
その差別の実態に関しても、それが差別なのだ、と認識してもらえないことも多々あるのです。
右利きの人にとってはごくふつうの動作であっても、左利きの人には不自然な動きや無理を強いられる動きになることもあるのです。
しかし、その部分は説明しなければ見過ごされてしまうのです。
ピアノの鍵盤の音階配置などはその最たるものでしょう。
右利きに人ならごく自然に弾いてしまうだろう、右手の「ドレミ…」ですけれど。
そういう見えにくい「左利き」とその諸問題――ハンディズム(利き手差別)を見えるものに変える、ことが必要になるわけです。
そうでなければ、一般の人――右利きの人たちには、理解できないものなのです。
「見えないものは、ないもの」と思われてしまいます。
結果として、いつまでたっても差別は解消されない、ということになります。
ハンディズム(利き手差別)を解消するためには、まずその存在を知ることが第一です。
そのためには右利きと左利きの差異を明らかにして、もう一度「左利きとは何か」を明確にして、「左利き」への差別の実態を明らかにしていかなければならない、というのが筆者の考えです。
そこで、まずは原点に戻って、ハンディズム(利き手差別)を「見える化」する方法を考えてみたい、と思います。
左利きの存在を「当たり前」のように考えてもらうのは良いことですが、それによって、左利きも右利きと同一視してしまってはいけません。
左利きが見えにくくなっている現状を改める。
そのためにハンディズムを見える化することが大切だ、と考えています。
――というわけで、これから「ハンディズム(利き手差別)見える化」プロジェクトを進めていこうと思います。
ぜひ、ご協力を!
※参照:ブログ『左利きライフ研究家(元本屋の兄ちゃん)レフティやすおのお茶でっせ』―過去の「8月13日は<国際左利きの日>」の関連記事
・2026.8.6
左利き用鍵盤ハーモニカP―8月13日は「国際左利きの日」(2) Happy International Lefthanders Day
・2026.8.3
始まりは1976年アメリカで―8月13日は「国際左利きの日」(1) Happy International Lefthanders Day
・2025.8.13
2025年8月13日は50回目の<国際左利きの日>INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY
・2024.8.13
8月13日は49回目の「国際左利きの日」INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY――始まりは1976年アメリカ
・2023.8.12
8月13日国際左利きの日を前に~メディアに注文-週刊ヒッキイ第647号
・2022.8.13
2022年8月13日左利きの日INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY合併号-週刊ヒッキイ第624号
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第624号(No.624) 2022/8/13
「2022年8月合併号―「8月13日は国際左利きの日」―」
・2021.8.12
8月13日「国際左利きの日」を前に、左利きメルマガ「週刊ヒッキイ」創刊600号達成
・2021.8.7
「左利き差別」問題と「みにくいアヒルの子」-週刊ヒッキイ創刊600号記念号
・2020.8.12
2020年8月13日は1976年の制定から45回目の国際左利きの日
・2019.8.13
8月13日は国際左利きの日-1976年の制定より今年は44度目
・2018.8.13
8月13日国際左利きの日ILHDとAKB48Team8左利き選抜のことなど
・2017.8.13
8月13日はハッピーレフトハンダーズデー!
・2016.9.1
8月13日は〈国際左利きの日〉特別編-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第474,475,476号
・2016.8.14
昨日(8月13日)アメブロで「今日は左利きの日」をやってました
・2016.8.10
今年もやります!8月13日レフチャス(LEFTEOUS)の日―国際左利きの日
・2015.8.12
明日8月13日は1976年制定から40回目の国際左利きの日
・2014.8.12
8月13日は39回目の国際的な<左利きの日>&LEFTEOUS2014年
・2013.8.13
8月13日<国際左利きの日>企画「ヒダリキックマガジン」で始まる!
・2013.9.2
『グリグリくりぃむ』左利き選手権:<国際左利きの日>情報5
・2013.8.28
ブログネタ「両利きになる練習したことある?」:<国際左利きの日>情報4
・2013.8.19
雑学フェアにて~渡瀬けん著『左利きの人々』:<国際左利きの日>情報3
・2013.8.18
レフチャス(LEFTEOUS)day2013:<国際左利きの日>情報2
・2013.8.13
8月13日<国際左利きの日>企画「ヒダリキックマガジン」で始まる!
・2012.8.12
8月13日は37度目の“左利きの日”
・2011.8.13
国際“左利きの日”を迎えて&週刊ヒッキイ273号特別編「個人モデル」から「社会モデル」へ
・2010.8.21
今週の-週刊ヒッキイhikkii225名作の中の左利き(番外編)はさみ
・2010.8.14
今週の-週刊ヒッキイhikkii224《矯正/直す》表現に思う(5)前編
・2010.8.13
13日の金曜日はナント…左利きの日
・2009.8.22
今週の週刊ヒッキイ―第193号「<左利きプチ・アンケート>再版第33回」
・2008.8.13
33回目の8月13日国際左利きの日
・2007.8.14
少数派の気持ち伝える「左利きの日」企画開催される
・2006.8.13
きょう8月13日は≪国際≫左利きの日です
・2005.8.13
今年も今日8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY
・2004.8.13
きょう8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY 「左利きの日」
・2004.8.12
明日8月13日は「左利きの日」






















































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