2008.06.19

文豪スティーヴンスンの大人のミステリ

久しぶりに本の話題でも。

新訳版が出版されたり、今年から始めました月刊メルマガ「レフティやすおの楽しい読書」で、青春時代からのお気に入りの愛読書の一つ『宝島』を取り上げることもあり(今月末発行予定の「レフティやすおの楽しい読書」第7号、登録は↓、もしくはサイドバーから→)、スティーヴンスンの本を、新訳による再読も含めていくつか読んでみました。

海洋冒険もの『宝島』や善悪二重人格を扱った『ジーキル博士とハイド氏』の二作が特に有名ですので、エンターテインメント系の作家と言う認識をお持ちの方が多いだろうと思います。

J・D・カーも絶賛するという、奇妙な発端が読ませるロンドン冒険奇談の連作短編集『新アラビア夜話』も書いています。

まさにそういう面を持つ人です。
ただそれは、一つはお金が必要であったことも理由としてあるようですが…。

で今回紹介しますのは、『宝島』創作のきっかけを作った張本人でもある義理の息子ロイド・オズボーンとの合作ミステリ二点です。

これらの作品は、今様のジェットコースター風のストーリイ展開のものや、現代社会を反映したらしいやたら人間の暗い面ばかり強調する心理的な“現代ミステリ”とは一味も二味も違った、まさに大人の読み物、芳醇なミステリ、もしくはミステリの源流、あるいは究極のミステリといえる物語です。


●その一、
『箱ちがい』国書刊行会 ミステリーの本棚(2000)
The Wrong Box(1889)

『宝島』創作のきっかけとなった義理の息子との最初の共作。
生き残った最後の一人が保険金を独り占めするという組合年金に入っている伯父を持つ従兄弟兄弟は、伯父が事故死したとカン違い、その死体をかくそうとするが…。
死体があちこちするストーリイも滑稽な登場人物たちもそれぞれに愉快で、見事なドタバタ・コメディです。
死体隠蔽と保険金詐欺が絡んでいる点では犯罪小説で、ミステリといえます。
しかし、実際には特に誰がどうなるというわけでもなく、(まあ実害がなかったとはいえませんが)奇妙な、ミステリともいえないミステリです。
さすがは文豪、序文にもあるように親バカでなく、息子の用意したらしいストーリイは設定も意外性に満ちています。その上にしっかりと肉付けを行い、楽しめる作品に仕上げ、見事な合作になっています。


●その二、
『難破船』駒月雅子/訳 ハヤカワ・ミステリ1771(2005)
The Wrecker(1992) 

継子との合作第二弾長編。芸術家気質のアメリカ人青年はパリに出て芸術家を目指すが、父の死で仕送りが止まる。幸いなことに、一足先に芸術をあきらめてアメリカに帰国後、実業家となっていた親友の助けを受け、共同経営者として実業界に乗り出す。あるとき難破船の競売情報を得るが、法外な値がつき、アヘンの密輸船と読んだ二人は、これを競り落とし、いざ難破船回収に赴くが、そこには意外な難破船の謎が待っていた…。
さすがに文豪の晩年の作品で、キャッチコピーに<大人版『宝島』>とありますが、単なる絵空事の謎解き小説に終わらないように、登場人物たちの背景をじっくり書き込んだ大人の読み物―芳醇なミステリに仕上がっています。
巻末エピローグにこの作品の成立までの経緯やその形式についてなど解説されているのですが、そこに書かれているように、十分に練られた主人公たちの生い立ちなどの背景がじっくりと書き込まれ、味わい深い作品になっています。

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2008.03.19

まぐまぐ!今週のおすすめに「レフティやすおの楽しい読書」

今年一月から始めました、左利きメルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」に続く、二つ目のメルマガ「レフティやすおの楽しい読書 」。

幸いなことに好評のようで、
『まぐまぐ!』の「今週のおすすめ』に選ばれました。

3月14日発行のまぐまぐのオフィシャルマガジンに掲載されました。

『ウィークリーまぐまぐ[エンタテイメント版]』2008/3/14号
「今週のおすすめメルマガ@エンタテイメント」コーナー


そして、
きょう3月19日から一週間は、『まぐまぐ!』のサイトでも
「今週のおすすめ(毎週水曜日更新)」コーナーに掲載されます。

今週のおすすめメルマガ
まぐまぐのメルマガの中から、スタッフが読んでみて「これは!」というものをおすすめしまっす!
(3月12日から1週間のおすすめ)

エンタテイメント2008/3/14(金) [エンタテイメント版]
スポーツ・レジャー、エンタテイメント、アート・文芸 のカテゴリより厳選!

レフティやすおの楽しい読書
若い頃は本屋の店員だった本好きのレフティやすおが、古今東西の古典・名作・名著のなかから毎月一点を選んで、楽しい読書のポイントを紹介します。読書とは他人(ひと)様の人生を追体験すること。「楽しい読書」で豊かなひと時、楽しい人生を送りましょう。

(編)『トム・ソーヤーの冒険』のマーク・トウェイン作品から『論語』まで。

発行周期:月刊 マガジンID:0000257388 バックナンバー:すべて公開 発行者サイト


3月13日には、左利き仲間で『営業ビジネスマナー超入門』(日本実業出版社)ほかビジネス書の著述家、無口営業の達人・渡瀬謙氏の殿堂入りビジネス・メルマガでも紹介していただきました。

『営業のカンセツワザ』2008/03/13 208号「我流 文章術(2)」

紹介してもらえたから、お薦めに選ばれたからといって、即、読者登録が増えるというものではありません。
しかし、作り手としては、一応の評価を受けたということで、うれしいものです。

作者自らお薦めするのもなんですが、ぜひ、一度だまされたと思って登録して読んでみてください。
月刊なんで、忘れた頃にふとやってくる感じです。

絶対、登録しておかないと忘れちゃうよ!

ぜひ、よろしく!

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それから
「楽読」メルマガ・コミュニティも開設します。
古典のみならず、広く本や読書の話で盛り上がりませんか?

ではでは。

※本稿は、レフティやすおの他のブログに転載しています。

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2008.02.06

本と読書に関する新メルマガ「レフティやすおの楽しい読書」発行!

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最近ずっとご無沙汰です。
たまにはなんとかしなくっちゃ…。

というわけでもないのですが、
報告です。


2月5日『まぐまぐ!』から、新しいメルマガの発行承認のお知らせが届きました。

1月31日に、本と読書に関する新メルマガ「レフティやすおの楽しい読書」の発行を申請していましたが、その承認です。

従来のメルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイ」に続く、二番目のメルマガです。

今回は、当面月刊(月末発行予定)で発行し、状況によれば、月二回程度まで拡大してもいいかな、という気持ちでいます。

もしよろしければ、ご登録ください。
無料です。
登録及び解除は、いつでもできます。

 ・・・

■発行承認のお知らせ

マガジンID 0000257388
マガジンタイトル レフティやすおの楽しい読書

以下の場所でメールマガジンが掲載(紹介)されます。
メールマガジン個別ページ
明日以降にページが作成されます。
新作メールマガジンページ
明日から1週間掲載されます。
・「ウィークリーまぐまぐ」内の「新作メールマガジン情報」コーナー
掲載日程など詳しいことは、後日あらためてメールでお知らせします。
(【掲載号】 「ウィークリーまぐまぐ エンタテイメント版」 2008/02/08(金)号―2/6に決定の通知あり)

 ・・・

「レフティやすおの楽しい読書」

●マガジンID 0000257388
●カテゴリ  アート・文芸 > 文芸 > 批評・論評
●マガジン形式  テキストメルマガ形式
●バックナンバー設定  全て公開 
●発行周期  月刊
●メールマガジンの説明文(全角120文字/半角240文字以内)

若い頃は本屋の店員だった本好きのレフティやすおと「楽しい読書」を通して豊かな人生の時をすごしましょう。読書とは他人(ひと)様の人生を追体験すること。そこから何かを学ぶか、ひと時の愉快な時間をすごすか、自分なりの楽しみを見つけてください。

●バックナンバー(創刊号:見本誌)
「2008(平成20)年1月 創刊号(No.1)『論語』―学ぶことは楽しい」

第一号は、ここ三四年で一番のお気に入りの本、『論語』を取り上げています。

本文では、『論語』が何ゆえに私のお気に入りとなったかその理由にふれながら、『論語』がすばらしい本であることを説いています。

「付録」では『論語』を楽しく読める本をいくつか紹介しています。


次号(今月末の発行予定)では、『トム・ソーヤーの冒険』を紹介する予定です。


ぜひ私といっしょに本を読むこと、読書の楽しみを味わいませんか。
そして、己の人生を豊かのものにしませんか。


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◆レフティやすおのもう一つのメルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」
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2007.09.14

左利きから哲学する

最近、哲学の本を読み始めています。

まだまだ初歩の初歩といった、初心者向けの入門書ばかり、せいぜい百ページや二百ページといった本を読みかけているところです。

今までにも東洋思想の本や、ちょっとした哲学っぽい本は読んだことがありました。
しかし、本格的に哲学の本を読もうとするのは初めての経験です。


『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第87号(No.87) 2007/6/23「<左利きプチ・アンケート>第42回」の編集後記でもちょっと書きましたように、モンテーニュの『エセー』の三巻本の選集を読み終えてから、ボチボチと哲学の入門書を読み始めるようになりました。

モンテーニュの『エセー』そのものは、<哲学書>というよりは、<思索の書>であります。
しかし、この本により、同じくフランスの近代哲学の祖ともいわれるデカルトや、パスカルといった哲学者が影響を受けているように思われます。

思索の書から哲学へ、と、これはまさに私が今たどっている道のようです。


私が哲学に興味を持つようになったのは、先に挙げた編集後記にも書いていますように、左利きについて考える過程で出会った諸問題―礼儀・作法とは、社会のあり方とは、個人の生き方とは、何が正しいのか、善悪・正誤・正邪とは、正常・異常とは、普通・特殊(特別)とは、などなど…といったことについて考えてゆくうちに、こういう思考はひょっとしたら<哲学>とやらいうものと関係があるのでないか、と気付いたからです。

また私は、本を読むときでも何事でも、ついつい自分自身の中にある左利きや利き手の問題に引き付けて考えてしまいます。
こういう考え方というのも、案外、哲学の考え方ではないのか?

このように、これは哲学的な考え方に近いのではないか、という疑問を解決する意味でも、またこれから更に左利きについて考えを深めてゆく上でも、一度<哲学>なるものがどういうものか見ておくべきではないかと思い立ったわけです。

竹田青嗣(たけだ・せいじ)さんという哲学者の書いた初心者向けの入門書『自分を知るための哲学入門』(ちくま学芸文庫 1993年刊)の「まえがき」のなかで、職業に関連してではなく、日常生活の中で人間が哲学する根本的な動機について書いています。

自分の(=世間から受けとった)習慣的な考え方でものごとを考えると、どうしても自分が苦しく、行き詰ってしまうときがある。そういう場合にはじめて、人間はこの習慣的な考え方に逆らい、それに<抗って>ものごとを根本的に考え直そうとする動機を与えられる。まさしく哲学は、そういう場合にわたしたちにとって“役に立つ”。そういうときこそ哲学は、その“何のためにあるか”という意味をはっきりとわたしたちに告げるのである。(11p)

私が左利きについて考えるとき、というのはまさにこういうときに当たるのではないか…。

竹田さんは在日朝鮮人で、全共闘世代でもあったといいます。
そういう自分が行き詰った/生き詰まった?経験が、自分を哲学に押し進めたのではないか、といった内容のお話をされています。

私の場合は、左利きという問題が哲学へと押し進めているのかもしれません。
少なくとも私にとって左利きは哲学する動機として十分成り立つような気がします。

さて、どのような世界が私の前に開けるのかはまだ不明です。
しかし、とてつもなく広い世界が目の前に広がってきたように思います。

終着点ははるか遠くです。

いつたどり着けるのか、たどり着く地がどのような場所なのかはわかりませんが、やりがいのある旅が始まったように思います。


*
竹田青嗣先生の本では、下の記事で、『哲学ってなんだ 自分と社会を知る』岩波ジュニア新書415(2002刊)の中の「差別の本質観取」の項を参考に話を進めています。

今回、哲学および竹田先生の本に興味を持たれた方で、私のように哲学の基礎知識をお持ちでない方は、中高生以上向けに書かれたこちらの本から先にお読みになられるほうが、哲学とは何か、哲学することの本質とは何かが、わかりやすいかもしれません。

*
2007.07.05 横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造
お茶でっせ版新生活版


※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.08.24

ジュール・ヴェルヌ『海底二万里(上)』岩波文庫

Jvkaiteinimanri
思わず買ってしまいました。
この本『海底二万里』の文庫本は三冊目(正確に言うと、三種類目というべきか)です。

最初は、集英社文庫<ジュール・ヴェルヌ・コレクション>の一冊、次が二年ほど前に買った角川文庫クラシックス版『海底二万海里』

角川文庫版は昔、兄が持ってた本で、読みかけたけれど、いろんな魚の種類や何やかやがむずかしく感じて読み通せなかった、悲しい思い出があります。
当時は、400ページを越えると読むのがしんどいと感じていた、情けない時代でした。
でもそんな中でも、ヴェルヌの本だけは読んでいたのに…。

この角川本をあえてまた買ったのは、原書の挿絵が数葉ながら収録されていたから。
縮刷されていてあまり良い印刷でもなく、不鮮明だったりするのですが、ないよりましということで。

集英社版には挿絵は一切ありません。
元版の<ヴェルヌ全集>には、日本人画家の挿絵が入っていたはずなのですが…。

今回この岩波文庫版を見つけて思わず買ってしまったのは、先に出ている『地底旅行』『八十日間世界一周』の二作品(もちろん私のジュール・ヴェルヌ文庫本コレクション?に入っています。)同様、原書の挿絵がかなり豊富に収録されているからです。

原書の挿絵が欲しいのなら、お子様向けの偕成社文庫版(全3巻)では、原書の挿絵をすべて収録していたはず。
こっちは判形も文庫本より大きく、その分、絵も見やすい。

ただ、私の場合は置き場所の問題もあり、こちらは買えません(残念!)。


この本、今回は上巻のみの発行で、下巻の発売はいつになるか、岩波のサイトでも不明。

来月期待しています。

とにかくそれまではペラペラ挿絵でも見ながらのお楽しみです。

---
岩波書店
>今月の新刊一覧

海底二万里(上)
ジュール・ヴェルヌ 作
朝比奈 美知子 訳
岩波文庫
フランス文学[赤]
■赤569-4
■体裁=文庫判・並製・カバー・300頁
■定価 840円(本体 800円 + 税5%)
■2007年8月17日
■ISBN978-4-00-325694-7

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2007.07.22

異色作家短篇集(新装版)20 エソルド座の怪人 アンソロジー/世界篇

異色作家短篇集(新装版)第18巻『狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇』異色作家短篇集(新装版)19『棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇』に引き続き、

早川書房/刊 異色作家短篇集(新装版)第20巻 若島正/編『エソルド座の怪人 アンソロジー/世界篇』を読みました。

異色作家短篇集の掉尾を飾るオリジナル・アンソロジー三巻の第三弾、いよいよ最終巻になりました。米英をのぞく、世界中から集めた作品十一篇を収録

ハヤカワ・オンラインのページによると、以下のようになります。

地球は広い まだまだ続く 不思議な国への長い旅

世界には数多の異色作家が存在する。フランス、イタリアなどの西欧勢から、東欧、ラテン・アメリカ、さらには台湾やエジプトに至るまで、世界の鬼才が集う全十一篇で異色作家短篇集の有終を飾る。

【収録作品】容疑者不明(ナギーブ・マフフーズ)/奇妙な考古学(ヨゼフ・シュクヴォレツキー)/トリニティ・カレッジに逃げた猫(ロバートソン・デイヴィス)/オレンジ・ブランデーをつくる男たち(オラシオ・キローガ)/トロイの馬(レイモン・クノー)/死んだバイオリン弾き(アイザック・バシェヴィス・シンガー)/ジョヴァンニとその妻(トンマーゾ・ランドルフィ)/セクシードール(リー・アン)/金歯(ジャン・レイ)/誕生祝い(エリック・マコーマック)/エソルド座の怪人(G・カブレラ=インファンテ)


いやあ、やはり世界は広い、を痛感させられました。

18巻『狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇』、19巻『棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇』は、知った作家がずらっと並んでいて、たとえ一作二作でも既読の作家たちが大半でした。

さすがにこちらは違います。
知った人すらほとんどいない。
かすかに読んでるのが、クノーとレイぐらいか。

浅学ゆえに、二人のノーベル賞作家すら名前も知らない有様。
(一人は、ナギーブ・マフフーズ―1988年アラビア語圏初のノーべル賞受賞。二人目は1978年受賞アイザック・バシェヴィス・シンガー。)

こういうアンソロジーを読むことの利点の一つは、知らない作家に触れ、読書の間口を広げるきっかけを作れるところでしょう。

そういう意味では非常にうれしい一冊です。

全体の感じからいうと、ユーモアものが多いのかな、という気がしました。
ユーモアといっても、健全な、単純な笑いを誘うものばかりとは限りません…。


さて、私のベストは―

チェコ生まれでカナダに亡命したという、ヨゼフ・シュクヴォレツキーの「奇妙な考古学」
まあ、本格的なミステリ(本格もの、のではない!)ですが、チェコを舞台にした、ブルーフカ警部補のシリーズ作品。
かつて自分が手がけた事件を再捜査することになるが…。
考古学者が掘り出した殺人事件がからんでくるところが、面白い。

次は、やはり、ノーベル賞作家は違うのか?(というわけでもないのですが。)
ポーランド生まれでアメリカに移住した、アイザック・バシェヴィス・シンガー「死んだバイオリン弾き」
ポーランドのユダヤ教徒の娘に取り付いた死霊とその退治の物語だが、こういう土俗的?な感じがいい。

ここまでは比較的長めの短篇(中篇)がいい。


で、もう一つの中篇が、表題作の「エソルドの怪人」。

これが、編者の書いているように、映画狂の作者による<怪作>。
しかし、当方『オペラ座の怪人』も未読未見、『ファントム・オブ・パラダイス』も未見では、意味不明もいたしかたなし、か。
しゃれが多くて、よく訳したな、というのが唯一の感想といったところ。

私のベストの三番目を選ぶなら、これではなく、
トンマーゾ・ランドルフィ「ジョヴァンニとその妻」当たりか。
天才的な<音痴>夫婦のお話。

あと、アイデア的には、エリック・マコーマック「誕生祝い」か。

ほかに、フランケンシュタインを下敷きにしたユーモアSF「トリニティ・カレッジに逃げた猫」、奇人たちのお話「オレンジ・ブランデーをつくる男たち」、死体の金歯をいただく盗人のお話「金歯」なども、それぞれにおもしろく読みました。


昨今、海外ミステリの翻訳が盛んではありますが、これをきっかけに、英米に偏らず広く世界中の名作を掘り起こして紹介していただきたいものです。

私もこれを機に、もっと多くの様々な国々の色々な作家に触れてみようと思いました。


最後に、風見賢二の巻末解説「ぼくはこれで柔らか頭になりました」を楽しく読みました。

ほぼ同年代らしく、同じような本を読んできました。
私は風間氏とは違い、元々エンタメ系の読者でしたので、始めっからこういう本を読んできました。

最近は、かなり読む本も変わってきています。
今回いくつかの再刊されたものを読んでみても、面白いと感じるものも変わってきてはいるようです。

それでも、やはりこの異色作家短篇集的な作品が、自分にとって一番楽しめます。


他社の同様な、異色作家短篇集的な作品集も幾つか読んできました。

幸い私のようなオールド・ファンだけでなく、若い人たちの間でも、それなりに読まれているようです。

これからもこういう傾向の作品が継続的に紹介してもらえればいいのになあ、と願っています。



異色作家短篇集 新装版 20
エソルド座の怪人 アンソロジー/世界篇
The Phantom of the Essold and Other Stories
若島 正(編)
早川書房 2007.3.23刊

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2007.07.13

異色作家短篇集(新装版)19 棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇

異色作家短篇集(新装版)第18巻『狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇』に引き続き、

早川書房/刊 異色作家短篇集(新装版)第19巻 若島正/編『棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇』を読みました。

異色作家短篇集の掉尾を飾るオリジナル・アンソロジー三巻の第二弾、イギリス(アイルランドを含む)作家の作品十三篇を収録

ハヤカワ・オンラインのページによると、以下のようになります。

「ここに、そこに、あそこにも 隠れているぞ 目には見えない影法師」

【収録作品】時間の縫い目(ジョン・ウインダム)/水よりも濃し(ジェラルド・カーシュ)/煙をあげる脚(ジョン・メトカーフ)/ペトロネラ・パン--幻想物語(ジョン・キア・クロス)/白猫(ヒュー・ウォルポール)/顔(L・P・ハートリー)/何と冷たい小さな君の手よ(ロバート・エイクマン)/虎(A・E・コッパード)/壁(ウィリアム・サンソム)棄ててきた女(ミュリエル・スパーク)/テーブル(ウィリアム・トレヴァー)/詩神(アントニイ・バージェス)/パラダイス・ビーチ(リチャード・カウパー)


前巻のアメリカ篇とはかなり趣が変わっています。
前巻は、SF系のエンターテイメントが中心でした。

今回は、いかにもイギリスの怪奇幻想談といった雰囲気の小説が多くを占めています。

それにしても、前巻は、20~25年ぐらい昔を思い起こすラインナップでした。

今回は、もう少し遡って、25~30年、あるいは35年前の一般向けの本を読み始めた当時を思い出させるようなラインナップがそろっています。

ミステリマガジンやSFマガジン、創元推理文庫のアンソロジーなどで一作二作読んだような作家が並んでいます。

ウインダム(唯一?のSF系の作家によるSFですが)を筆頭に、カーシュ(この人だけは最近短編集を読みましたが)、メトカーフ、ウォルポール、ハートリー、エイクマン、コッパード、スパーク、バージェス。

ジョン・キア・クロス、ウィリアム・サンソム、ウィリアム・トレヴァーの三人が初顔でしょうか。


では、私のベストを紹介しましょう。

一番は、なんといっても表題作でもある、ミュリエル・スパーク「棄ててきた女」

短いけれど、こういうのはいいですね。
(でも、ホントに本邦初訳? どっかでこういうものを読んだような気もしますが…。)

この作家はなかなか興味深いものを書いていました。

記憶によれば、「落葉掃き」という作品がありました。

調べてみますと(ベッドの下這いずって探すの大変なんだから! 一部ネット翻訳アンソロジー/雑誌リスト:雑誌一覧:ミステリマガジン/EQMMによる。)、
The Leaf-Sweeper、『ミステリマガジン』1971年6月号や、角川文庫版の『クリスマス・ストーリー集1/贈り物』に収録されています。(二冊とも手元にあるにはあるんですが…。)

昔のノートを紐解きますと、私の71年度の『ミステリマガジン』掲載短編の<年間ベスト12>の7位に選んでいます。
(こんな遊びしてたんですね。ちなみに、1・エリン「画商の女」2・ラファティ「恐るべき子供たち」3・ラニアン「プリンセス・オハラ」4・フィニイ「ゲイルズバーグ...」5・ジャクスン「家じゅうが...」―みんな懐かしいですね。不思議と異色作家系が上位に入ってますね。本格的なミステリがない?)


次は、時間(異次元?)SFだけれど、シェイクスピアは本当にあのような名作群を一人で書いたのか、という謎に挑む、アントニイ・バージェスの「詩神」を興味深く読みました。

三番目は、同じく時間SFのジョン・ウインダム「時間の縫い目」
ちょっと平凡な選択になりますが。昔懐かしいほのぼの系です。

意外なところでは、消防士経験を生かしたウィリアム・サンソム「壁」
どうってことはないのですが、こういうところに混じっていると、おもしろく感じます。


本格的な怪談物は、それなりに面白いのですが、これはすごい! というレベルまでは…。
また、普通小説風の奇談?も、それなりにいいのですが、もう一つ突き抜けたものを感じません。

微妙に読み方・感じ方が昔と変わってきているような気がします。

ラストの(もろにSFミステリ系の)、リチャード・カウパー「パラダイス・ビーチ」がそこそこおもしろいと感じるのは、ちょっと自分としては許しがたいような気もしています。

怪奇小説は、昔はもっとおどろおどろしいもの、出るぞ出るぞ的なものが好きだったはずなのですが…。
でも、そういう作品は、異色作家短篇集のイメージとは違うからでしょうか。

これでいいのかなあ。


異色作家短篇集 新装版 19
棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇
The Girl I Left Behind Me and Other Stories
若島 正(編)
早川書房 2007.3.23刊

●2007.07.22 異色作家短篇集(新装版)20 エソルド座の怪人 アンソロジー/世界篇

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2007.06.29

6月29日は星の王子様の日

本日は、「星の王子様の日」だそうでございます。
これは『星の王子さま』作者サン=テクジュペリの誕生日に由来するものだそうです。

1900年のこの日に彼は生まれています。
そして、44年7月に偵察飛行に出たまま(文字通り)帰らぬ人となりました。

(以下のサイトによる)
366日への旅 > 今日は何の日 > 6月の記念日 > 星の王子様の日


実は、私の大好きな作家の一人でもあります。


 ★☆彡『星の王子さま』★☆彡

この作品に出会ったのは、小学校の教科書(6年生?)で、冒頭のウワバミの絵を帽子と間違われるというエピソード部分でした。

面白いことを考える大人がいるものだ、というのが当時の私の正直な感想だった、と記憶しています。

まあ、子供ならこの手の経験は誰しもあるもので、大人は自分の絵をなかなか理解してくれないものだというのが、子供の実感ではないでしょうか。
そして、それゆえに自分は絵が下手だと思うようになり、あの主人公のように絵を描かなくなるものです。


近年著作権切れと共に、各社からこれでもかとばかりに新訳本が乱発されています。

かく申す私も何点か実際に手に取りました。

それぞれに訳者の皆様の思いを込めた翻訳に仕上がっていまして、それなりにおもしろいものです。

(実はまだまだ未読のものがあるため)最終的にどれがいいという判断はいたしかねますが、廉価版なら新潮文庫版の河野万里子訳、もうちょっとお金が出せるならみすず書房版の山崎庸一郎訳などはいかがかと思います。

サン=テクジュペリのほかの作品の中で、必読本はといいますと、やはり「夜間飛行」「南方郵便機」(新潮文庫/みすず書房)の小説二編、小説ともエッセイともつかぬ『人間の土地』(新潮文庫)『―大地』(みすず書房版)でしょう。


新潮文庫から出ている三冊(『星の王子さま』『夜間飛行』『人間の土地』)ぐらいは是非読んでいただきたいものです。

人生観が変わる人もあるかと思います。

例えば、JR西の列車事故の際も感じたのですが、もし「夜間飛行」の主人公のような考え方を持った人がいたらどうだったろうか、と。

未読の方がいらっしゃれば、この機会に是非ご一読をおすすめします。


『レフティやすおの本屋』支店「世界名作文学文庫館」
<サン=テグジュペリ>
子供にも大人にも楽しめる名作「星の王子さま」でおなじみのサン=テクジュペリの本を集めました。飛行家として人間を人生を、社会を世界を見つめた思索家サン=テクジュぺリの数少ない著作はすべて読むに値するものばかりです。

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「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」
―左利きの人、左利きに興味のある人のためのメールマガジン発行中!
(最新号はこちら)

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2007.06.21

異色作家短篇集(新装版)18 狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇

久しぶりに本の話題です。

早川書房/刊 異色作家短篇集(新装版)第18巻 若島正/編『狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇』を読みました。

異色作家短篇集の掉尾を飾るオリジナル・アンソロジー三巻の第一弾、アメリカ作家の作品十一篇を収録

ハヤカワ・オンラインのページによると、以下のようになります。

「11人がやって来て 大風呂敷を広げてみれば 煌めく才気が目を射抜く」

【収録作品】
ジェフを探して(フリッツ・ライバー)/貯金箱の殺人(ジャック・リッチー)/鶏占い師(チャールズ・ウィルフォード)/どんぞこ列車(ハーラン・エリスン)/ベビーシッター(ロバート・クーヴァー)/象が列車に体当たり(ウィリアム・コツウィンクル)/スカット・ファーカスと魔性のマライア(ジーン・シェパード)/浜辺にて(R・A・ラファティ)/他の惑星にも死は存在するのか?(ジョン・スラデック)/狼の一族(トーマス・M・ディッシュ)/眠れる美女ポリー・チャームズ(アヴラム・デイヴィッドスン)

で、読後の感想です。

まずは、予想以上のでき。
本邦初訳作品を集めてということで、どの程度過去のこのシリーズの雰囲気に溶け込めるのかという不安もありました。
その点ではよくできています。

(雑誌に埋もれた旧作を使って掘り出し物をそろえる選集を期待していた部分もあるのですが。)

序盤、50年代風のホラーやクライム・ストーリイなどでその気にさせて、
(「どんぞこ列車」で、オッチャンをちょっとほろっとさせたり)
実験小説風があったりしながら、中盤で一発食らわし、SF風で攪乱させた上で、ラスト二編で締める感じです。


私のお気に入りは、

本邦初紹介だろうという作家、ジーン・シェパードの「スカット・ファーカスと魔性のマライア」(浅倉久志/訳)
少年時代+魔法のお店ものの一篇というところか。

いかにも怪しい婆さんの言葉―
 <「じゃ、幸運を祈るよ、坊や。気をつけな、そいつは性悪女だからね」>
お決まりのラスト―
 <それからもしばらくのあいだ、私は捜索をつづけた。だが、あの店は二度と見つからなかった。>

二番目は、
巻末のアヴラム・デイヴィッドスン「眠れる美女ポリー・チャームズ」(古屋美登利/訳)

架空の王国を舞台にした、エステルハージ博士の連作シリーズの一篇という。
雰囲気も気に入りました。もう少し読んでみたいシリーズです。

見世物の眠れる美女もの。
ラストのオチがなくても私は十分楽しめました。
 <「こうして、いかに速く神話が作られ、伝説が始まっていくことか……ああ! まさか!」>
ポーの「ヴァルドマアル氏の病床の真相」などを引っ張り出したり、小細工も楽しめます。


三番目は、むずかしい。
表題作(トーマス・M・ディッシュ「狼の一族」)もいいですし、チャールズ・ウィルフォードの「鶏占い師」も、私はどっちかというと怪奇派で、こういう持って行きかたも好きです。
ジャック・リッチー「貯金箱の殺人」も、いかにも彼らしいという気がします。
ついでに、ハーラン・エリスン「どんぞこ列車」も付け加えておきましょうか。


三巻にわたる新アンソロジーの開幕第一弾だったのですが、エンタテイメント系で固めた感じのこのアメリカ篇、比較的知った名前が多く、まずは無難にスタートというところでしょうか。
次に期待が持てました。


異色作家短篇集 新装版 18
狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇
His own Kind and Other Stories
若島 正(編)
早川書房 2007.1.24刊

●2007.7.13 異色作家短篇集(新装版)19 棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇
●2007.7.22 異色作家短篇集(新装版)20 エソルド座の怪人 アンソロジー/世界篇

書籍・雑誌, 海外ミステリ | | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.05.09

新潮文庫 鮨に生きる男たち―左利きのすし職人もいます

先日、本屋をのぞいたところ、新潮文庫の5月の新刊が出ていました。

見た名前があるなあと思って、その中の一冊を手に取りました。

それは、講談社(2003年刊)『鮨を極める』の文庫化されたもの―『鮨に生きる男たち』でした。

原著は、すし好きの著者が通いつめ、名人級と認める全国の16人のすし職人たちのお店紹介と職人伝レポートでした。

本書は、その後の経過を踏まえて、一軒一人削除の上、新たに二軒二人が収録され、一部新たに書き足したり、差し替えられたものもあり、改訂版となっています。

冒頭いきなり、「左利きで人一倍の苦労も」という「油井隆一 [き]寿司主人」
そして、ラストを飾るのが、左利きのすし職人として有名な「小野二郎 すきばやし次郎主人」です。
左利きの職人さんでサンドイッチされた本になっています。

ただし、この小野二郎編は、原著の文章ではなく、『小説新潮』平成17年7月号に掲載された「銀座」を舞台にした達人達の一連のシリーズ中の一編に差し替えられて、より現状に近いレポートになっています。

反面、左利きの観点からいうと、若い頃の話がカットされているようで、興味半減ですが。

すし(寿司・鮨)が好きな人、左利きの“和食”の職人さんに興味のある人は、ぜひご一読を。

新潮文庫 鮨に生きる男たち 早瀬圭一/著
心意気で客を呼ぶ。東京・名古屋・京都・金沢……17の鮨屋の主人たち。美味しい人物列伝。

*関連:左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」の記事*
・2005.5.20 左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その一 お茶でっせ版新生活版
・2005.5.23 <左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その二>左利きのすし職人『すきやばし次郎 旬を握る』 お茶でっせ版新生活版
・2005.7.17 <左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その三>『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』山本益博 お茶でっせ版新生活版

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.04.05

朝読で年100冊読破する

一昨年昨年と二年間年百冊読破に成功しました。
マンガ絵本再読をのぞいて、お初の活字の本だけです。

ただし、百数十ページから二百数十ページのといった小品で冊数稼ぎもしています。
例えば、全集本なら一巻で六作品収録されている、シェイクスピアも文庫で一作一冊で読んでいます。
それでもたまには長編も大冊も読んではいますが。


数読めばいいというものでもありません。
読んだというだけでは自慢になりません。

それでも、古今東西の古典名作名著と呼ばれるものを中心に、その他新刊も含めて、百冊読むということはそれなりに価値がある、と思っています。

まず読んでみる。
そこから始まります。

読んだこともない状態からは、確実に大きく進歩します。

今年の私のモットーは、知ることよりも考えること、考えることより行うこと。

しかし、まず知る、ということが基本であり、スタートです。
知って、そこで初めて次なるステップに進めるのです。

まず先人の智恵にふれることが、重要です。

研究の成果をあげるには、まず先人の研究を知ることが大事です。
その上でそれを生かし、次なる研究に発展させてゆくのです。


で、朝読です。

日本は夏時間(サマー・タイム)制をとりません。
しかし、冬季に比べて今頃の季節は、めっきり日の出時間が早くなっています。
当然、日の出時間と自分の起床時間にずれが生じます。

私の部屋は東向きのため、天気のよい日は窓のカーテン越しに日が差し込み、早い時間に思わず目が覚めることもしばしばです。

従来は、そのまままた眠っていました。

一昨年からこの時間を利用して本を読むことにしました。

枕元に本を用意しておき、目覚めたら、すぐに本を取り出し読むのです。

眠くなったらまた寝ます。
無理に読もうとはしません。

それが長続きさせるコツでしょう。

そんないい加減な読書で身につくのか、と思われるかもしれません。

しかし、これが結構身につくのです。


人間の脳は起きる一時間前ぐらいから準備運動ではないのでしょうが、自然と活動を始めるそうです。
だいたい朝5時ごろになると活動を始めるそうで、その後1~2時間がもっとも活発に活動する時間だそうです。
朝の6時から7時ぐらいが、脳が一番元気なときに当たるそうです。

この時間に本を読むのです。

本は、硬いもの重いもの難しい集中力の必要なものを選びます。
だいたい科学解説書や啓蒙書、教養書のような勉強の本、人生を考えさせる小説などです。

柔らかいもの軽いもの自然と集中できるおもしろいもの趣味のもの娯楽小説などは、夜に回します。

私は先ほども書きましたように、無理せずその日の状態で読んでいます。
たとえ数ページずつでもいい、そんな気楽な気分で読んでいます。

それでも、自然と頭に入ってきます、残っています。

いつの間にか、本を読む量が倍になりました。
今まではせいぜい多くても50~60冊が限度でした。
今では、百冊になりました。

冬場はさすがに暗くて目が覚めることも少なく、まず読めません。
でもそれでいいと思っています。


まあ、物は試しです。
明日の朝からでもやってみてはいかがでしょうか。


ただし、弊害がひとつ

それは、本を読むのがおもしろくて、文章を書いている閑がありません。
現在、メルマガやこのブログの記事などの文章が書けません。

読みながら、自分なりに思うこと考えることはあっても、それをまとめる時間の余裕が持てないのです。
知り、考え、その考えをまとめ、具体的な実行に移す―という段階まで行きません。

次々に読んでみたい本が目白押しです。
当分はこんな調子で行くのでしょうか…。

参照: *朝読―寝床読のすすめ*
『レフティやすおの新しい生活を始めよう!』
2005.10.12記事:一日一ページでも本を読もう―良い習慣その九
 カテゴリー / 新しい生活のために

※本稿は、良い習慣についても書いている、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.04.02

利き手の進化の歴史:『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか』から

またしても旧聞です。

この件に関しましては、以前、わが左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii 第66号(No.66) 2007/1/27「<左利きプチ・アンケート>第37回」』の「◎左利きニュース◎ 『AERA』連載記事&『なぜヒトの脳だ~』」で、簡単に紹介しました。

が、今回改めて通読しましたので、こちらにも書いておきます。

* 『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか―人類進化最大の謎に挑む』 *
 濱田穣/著 講談社ブルーバックス(2007.1.20刊)

京都大学霊長類研究所形態進化分野助教授で、霊長類の形態比較を研究する(ニホンザルなどの身体形態と成長・加齢を比較し、ヒトの進化を考察する)著者が、ヒトの脳がなぜこれほどまでに大きく発達してきたのかの謎に、新たな視点から迫ります。

脳の進化を保障したのは、脂肪であり、脂肪をためることが可能になったことが、人類の脳を大きく発達させたのだというのが結論です。
この結びつきがおもしろく、かつユニークな視点です。

まず、ヒトの進化について語られ、脳の発達を促した要因を探ります。
言語コミュニケーションを成り立たせた発声器官の発達から、さらなる脳の拡大へと、話が続きます。

本書のそういう流れの中で、脳の進化のもうひとつの大きな原動力となった手の発達、そして利き手の進化について検討されます。

「第4章 脳の拡大は、なぜ、どのように起こったのか?」に、「利き手と言葉と脳の発達」(117-122p)という項目があり、そのなかで、霊長類における利き手の進化の歴史を説明しています。

<ヒトはいかにして利き手を獲得したか>についての説です。

1.それは左利きから始まった
 霊長類の進化史の中で「左利き」が最初にあった。
 キツネザルのような原猿類の「利き手」は左手―右手で木の幹にしがみついて身体を支え、食物に左手を伸ばす。
 霊長類では、三次元の樹上空間での運動性が適応に必要な条件で、視覚・空間定位感覚と身体定位能力という、これらの機能を持つ右半球が発達した。
 その影響を受けて、同じく右半球のコントロールする左手が、より精密な運動を必要とする食物採取に使われ、利き手となった。
 
2.「右利き」の進化
 第二段階は、生活の場所が地上に移行してから始まった。
 しがみつきの必要がなくなり、利き手の偏りがなくなる。
 地上生活に伴い、集団での社会生活に必要な音声が発達した。
 脳におけるこの聴覚・発声領域が右手の運動コントロール部分と近接しており、影響を与え、「右利き」が発生した。
 原猿類の「左手伸ばし」より精密な手指使い(マニュピレーション)が発達した。
 
3.「右利き」から言葉が進化した
 第三段階は、人類進化の過程で起こった。
 「利き手」のマニュピレーションが精巧になり、言語コミュニケーションが発展し、手が物を、発声器官が音声(言葉)を操作する。
 これらは、大脳左半球が関与する。
 そして、言葉を操る専門の領域(ブローカ野、ウェルニッケ野)も生まれた。
 

しかし、右利きであっても、「左手がどうしようもなく不器用というわけではない」とあります。
「左手は左手らしい動作を担当している」、「とくに対象物を保持すること」で「右手の及ばない能力だ」といいます。

同じように音声でも、「左半球の言語中枢だけが重要なのではない」という。歌や言葉に情感を与えるには、右半球や脳の奥にある辺縁系の働きが重要だ、といいます。


もうひとつ、気になる点を書いておきますと、ヒトの幼児が発達する間にも、左半球の「言語野が右手の動きにも関係していることがわかってきた」といいます。

「どちらかの中枢に障害があって、その機能発達が損なわれると、もう一つの機能発達も遅れがちとなる」とあります。

言語と手の精緻な運動との発達は相互に乗り合わせしているのだ、と。

これは、発達障害の子に左利きが多いなどといわれることと何か関係があるのでしょうか。


…まだまだ分からないことばかりです。

・・・

以前『お茶でっせ』の記事:2004.9.19「ヒトにはなぜ利き手ができたか」で、利き手の発生のメカニズムについて、同じく京都大学霊長類研究所の元所長、久保田競/著『脳を探検する』(講談社 1998年刊)の説を紹介しました。


原始的なサルでは左利きで、類人猿のチンパンジーになると、親指を使う高度なつまみ方では右手だ、という。
どうやら、道具を使うという要素が取り入れられたときから、右利きの要素が現れたと考えられる。

利き手だった左手でしっかりと保持し、自由になったあいている右手で細かい作業をするようになった。
こうして右手と左脳が発達して来たと考えられる。


------
※ 参照:『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii
第66号(No.66) 2007/1/27「<左利きプチ・アンケート>第37回」』
 ◎左利きニュース◎ 『AERA』連載記事&『なぜヒトの脳だ~』

※ 参照:『お茶でっせ』記事
・2004.9.19 ヒトにはなぜ利き手ができたか

※ 参照:『レフティやすおの本屋』左利きの本棚/研究書2
・『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか 人類進化最大の謎に挑む』
 濱田穣/著 講談社ブルーバックス(2007.1.20刊)

※ 参照:
・『脳を探検する』久保田競/著(講談社 1998年刊)

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.01.30

『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?

過去二回、1.24の記事「『AERA』2007年1月29日号の左利き記事」お茶でっせ版新生活版、および1.26の記事「『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について」お茶でっせ版新生活版で、この『AERA』2007年1月29日号の左利き記事が、右利き寄りに偏向しているのではないか、そのような一方的な偏った報道は問題があるのではないか、と書きました。

今回は、図書館で記事を入手しましたので、改めて記事を読み、私の感想を書いてみます。

Aera070129refty1

「アエラネット/テーマ「レフティー」1-子どもの左利き、直す?直さない?」ライター:加藤美穂
―親にとっては、幼い子どもが左利きだと気になるようです。実際、子どもの左利きは矯正した方がいいのでしょうか。―


前半は、アエラネットでの「左利きは矯正すべきか?」のアンケートの結果から紹介しています。

最近の主流は、「子どもの個性を尊重した教育や、矯正の無理強いはよくないという考え方」だと紹介した上で、今回は少数派となった「矯正すべき」派の意見を紹介しています。

ゴシックの太文字で書かれている意見を引用します。

「左手で書くと、前に書いた字に手がかぶさって見えないせいか字の大きさもバラバラです」
「子どもの将来を狭めないためにも、不利な条件をできるだけ取り除いてやるのが親の務めでしょう。個性重視なんて言って、子どもに努力させない親は自分がしつけの苦労をしたくないだけ」

そして、後半で、「本誌「マンスリーBOOKスコープ」でもおなじみの生物学者、早稲田大学の池田清彦教授」の言葉を紹介して結んでいます。

右利きと言語活動などの話の後、松井やイチローを例に右目利きで左打ちが好成績を生んでいるとして、利き目の重要性を指摘しています。
利き手は矯正できるが、利き目の矯正は簡単ではないので、「だからお母さんたちは、子どもの利き手ではなく、利き目のほうに注意を払ったほうがいいのでは」という。

ここでのポイントは「利き手は矯正できるが、利き目の矯正は簡単ではない」です。

これでは、利き手は誰もが無理なく変えられる、ような印象を与えます。

確かに、前原勝矢/著『右利き・左利きの科学』(講談社)でも、利き眼の項目で左打ちのバッターのことなど書いています。
「利き手は文化の影響を受けるが、利き目は影響されない。」ので、利き目は、本来の側性(ラテラリティ)を残している、という説を紹介しています。

なるほど、利き目を変えることはむずかしそうです。

が、利き手は変えられると言い切ることは、危険だと思います。

私の調べた範囲では、一部の動作のみ変えられる人もいれば、それもできない人もいます。

基本的に、変えられる人は、元々右利き左利き両方の要素をいくらかでも持っている人のようです。

利き手調査の結果を示す分布グラフでいうと、右利きと左利きのあいだに位置する人では、右手使いが可能になるようです。


この記事のタイトルの由来もこの結論のように、どうも「左利きは変えられる」という前提で書かれているようで、その点がどうも危なっかしく感じました。

何度も書きますが、「直す?直さない?/矯正する」といった表現は、善悪・正邪・正誤といった価値判断を含む表現です。
これでは、左利きは「正しい状態ではないこと/正すべき欠点や悪癖・悪習」といったことになります。

左利きはそういうものだという認識は、現代ではほとんどなくなっています。
にもかかわらずこの表現を使用するのは、左利きに対して誤解を与える、偏見や差別を助長するおそれがあります。

私は、「右手を使ってみる/右手使いを試みる/右手使いを試行する」あるいはもっと簡単に事実のみを述べる「右手に変える/変えてみる」等の表現で充分だと考えています。

「直す?直さない?」ではなく、「右手を使ってみる/右手に変えてみる?」ぐらいで充分でしょう。


もうひとつ言えば、「子どもの将来を狭めないためにも、不利な条件をできるだけ取り除いてやるのが親の務めでしょう。」という意見がありました。
誠にその通りです。
しかし、目を向ける対象が違っています。

左利きの子供だけが余計な苦労を強いられるのなら、それは社会の側の問題でしょう。

左利きの子供に不利な条件を作っているのは、社会のほうです。

「左利き」を他の言葉に置き換えてみれば、よくわかるはずです。たとえば、女性、高齢者、病人、障害者、人種などなど―。
本人に責任のない身体的特性によって、不利になるような社会のあり方には問題があるのではないでしょうか。

社会が左利きの子供にも優しい構造であったなら、左利きの子も右利きの子と同じように暮らしていけるのです。
その恩恵は、今生きている子供たちだけでなく、将来、生まれてくるであろう左利きの子供たちにも及ぶのです。

子供のほうを変えるのではなく、社会のあり方のほうを改善すべきなのです。


こういう子供のほうを変えればよいという考えが生まれるのも、「利き手は変えられる」ものだ、という発想が根底にあるからです。

ぜひ、再考をお願い致します。

※ 参照:
・1月22日発売の週刊誌:『AERA』2007年1月29日号
 アエラネット/テーマ「レフティー」1-子どもの左利き、直す?直さない?
・1月29日発売:AERA 2007年2月5日増大号
 アエラネット/テーマ「レフティー」2
アエラ・ネット
 アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.01.26

『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について

前回、「『AERA』2007年1月29日号の左利き記事」お茶でっせ版新生活版 が右利き寄りに偏向しているのではないか、と書きました。
今回もう少しその点を考えてみましょう。

記事が特定のイデオロギーに偏向しているからといって、それが必ずしも悪いとは言いません。
思想の自由・表現の自由は保障されています。
道義的にはともかく、いかなるものであれ、否定されるものではありません。

しかし、19世紀イギリスを代表する哲学者・経済学者、J・S・ミルはその著書(約150年前の名著)『自由論』(山岡洋一/訳 光文社古典新訳文庫 2006.12刊)「第2章思想と言論の自由」のなかで、次のように書いています。

古代ローマの政治家キケロは、論敵の意見を研究するのを習慣にしていた。この点は、「真理をみつけだすために研究している人の全員が真似るべきである。」

「自説の根拠しか知らない人は、その問題についてほとんど何も知ってはいない。」

たとえ自説の根拠が適切で、かつ誰にも論破されていない場合でも、
「その人も論敵の根拠を論破できないのであれば、あるいは論敵が何を根拠にしているのかすら知らないのであれば、どちらか一方の意見を選ぶ理由をもっていないのである。合理的な立場をとるのであれば、どちらの意見についても判断を留保すべきであり、それでは満足できない場合には、権威にしたがっているのか、世間の人たちがそうしているように、自分の好みにいちばんあうと感じる意見を選んでいるのである。」

また「その意見を実際に信じている人から、つまり、その意見を真剣に擁護し、そのために最大限に努力する人から、主張を聞くことができなければならない。」と、論敵の主張にふれることの大切さを述べています。

「正しい意見のうち、反対論との議論で決定打になり、議論の全体に通じている人の判断を左右する部分 … をほんとうに知っているのは、両方の意見に公平に平等に注意を払い、両方の根拠のうち最強のものを理解しようとつとめた人だけである。」


この『AERA』2007年1月29日号「アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?」の記事の中で、ラストの方に、利き手の「矯正」は簡単にできるが、利き目の「矯正」はそうではない、という学者の意見を取り上げていたように記憶しています。

今回の記事だけを見ますと、まるで、利き手を変えることは容易であり、「直せる」という立場は不動のもののような印象を受けます。

こういう一方の側から書かれている記事は、多くの悩める左利きの子を持つ親御さんたちに誤ったシグナルを送ることになる、と私は考えます。

今後の連載がどのような展開を見せるのかは不明でありますが、基本姿勢は変わらないのではないかと危惧しております。


表題の「直す?直さない?」やアンケートにおける「矯正」という言葉を用いることに関しても、自説による見方に基づく言葉使いではなく、もう一方の見方も配慮した言葉使いがあっても良かったのに、と考えます。

実際、多くの利き手研究家がこの「矯正」という言葉の不適切さを訴えています。

1970年代前半、左利き友の会の主宰者であった精神科医・箱崎総一(『左利きの秘密』立風書房マンボウブックス 1979)や、利き手の研究成果をまとめた八田武志教授(『左ききの神経心理学』医歯薬出版 1996)のような、右手使い指導に反対する人たち。

また、一部右手使いに変えることを視野に入れても良い、もしくは容認する立場の人たち―『右利き・左利きの科学』(講談社/ブルーバックス 1987)の著者、前原勝矢、児童かきかた研究所所長・高嶋喩(『だれでもできる幼児・児童の書き方指導(硬筆編)』あゆみ出版 1994年刊)の両氏も著書で、この言葉の不適切さに言及しています。

ネットの検索でも、この言葉について色々な情報が得られます。
不適切さに言及しているサイトはいくつもあげられます。

これらの情報はすべて、左利きについてちょっと調べれば出てくるものであり、左利きを研究する人の間では常識といえなくもありません。

どうも左利きを語る上での資格についても疑問を感じてしまいます。


広く一般に使われている言葉だから、という理由であれば、それはおかしいと思われます。

実際に、広く一般に使われている言葉であっても、それが現実に差別的に使われていたり、あるいは誤解を招くおそれがある、もしくは偏見や差別を助長するおそれがある、と考えられる言葉を差別用語として自主規制してきたのは、新聞やマスコミ業界だったのではないでしょうか。

大きな声には耳を貸すが、小さな声は聞かなかったことにするのでしょうか。

差別用語の類は既に広く認知されているが、こちらはそうではない、というのなら、それこそは、マスコミの誘導(よく言えば、啓蒙。悪く言えば、洗脳)の結果ではないでしょうか。


百歩譲って、ライターが先入観を持たないで取材に当たりたいという考えであったとしても、「先入観を持たない」こと=「基礎知識を持たない」ことではないでしょう。

取材に当たる者、および書き手が当該対象に基礎的な知識を持つことは、最低限の常識ではないでしょうか。
テレビのバラエティ番組でリアクションを期待されている出演者ではないのですから。


今後はぜひとも、もう一方の声にも公平に耳を貸していただきたいものです。

その上で、左利きの問題において、誰もが公正な判断を下せるような立派な記事にしていただきたい、と願っています。

※ 参照:
・1月22日発売の週刊誌:『AERA』2007年1月29日号
 アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?
アエラ・ネット
 アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」
・前回の記事:2007.1.24
『AERA』2007年1月29日号の左利き記事 お茶でっせ版新生活版
・サイト『左組通信』、ブログ『お茶でっせ』「アピール:左利き」
「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート
『左組通信』<レフティやすおの左利き私論2>右手使いへの変更(左利き矯正)について

[追記]続編記事:
2007.1.30『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?
お茶でっせ版新生活版

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.01.24

『AERA』2007年1月29日号の左利き記事

1月22日発売の週刊誌、『AERA』2007年1月29日号に、左利きの記事「アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?」が掲載されています。

左利きメルマガ「週刊ヒッキイ」の読者氏からの情報を得て、ひとっ走りしてきました。
でも結局買いませんでした。
パラパラッと見ましたが、360円出すほどの目新しいことも書かれていない様子でした。

見開き2ページで、今後何回か連載されるようです。

左利きの問題を取り上げようという意欲は買いますが、取り上げ方や全体の方向としては、私には懸念すべき点があるような気がします。
その辺が残念です。

アンケートは、アエラ・ネットで紹介されていました。

*アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」
(こちらについては、後日ブログなり、メルマガなりで紹介します。)

記事のほうですが、このアンケートを元にコメント記入者の意見を紹介している模様です。

最後に、利き手より利き目に注目しているという学者の意見をそえて、目の付け所が違うというようなオチにしています。

記事詳細については、現時点ではなんともいえませんが、先ほども少し書きましたように、気になる点があります。


それは、タイトルやアンケートに使われている言葉です。

記事を書いた人は、「矯正」を「変える」の漢語表現のように理解しているのか、たとえば、松井やイチローが打撃を左に矯正した、といったような使い方をしています。

この言葉の使い方がどうも気に入りません。

私は、サイト『左組通信』やブログ『お茶でっせ』で、「アピール:左利き」と題して、
「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート

などという運動を展開しています。


この筆者は、「矯正」の意味が分かっていないのか、左利きの人の中にはこういう使い方に拒絶反応を示す人もいるということを知らないのか、とにかく、こういうふうに使って平気な感覚は明らかに偏向している、と私は感じました。

(少なくとも、言葉の力を知っているはずの朝日新聞系列の雑誌で記事を書く人とは思えません。プンプン!)


表題の「子どもの左利き、直す?直さない?」もそうです。

「直す?直さない?」という表現には、前提として、二つのことがあります。

ひとつ目の前提は、対象は「直せるもの」だ、もしくは「直せる可能性がある」、あるいは「直せるという可能性があると考えられるもの」だ、ということです。

直せないと判断したものを指して「直せますか」と尋ねる人はいません。

もう一つの前提は、対象は「都合の悪いもの」だという認識です。

都合のいいもの、正常と思われるものを直そうとは誰も考えません。
(まあ、大阪では「しまう/整理する」ことを「直す」ともいいますが。)

「矯正」(欠点を正す―左利きにおいては、右手使いを正しい作法と考えて、右手使いに変えさせること)や「直す」(誤りを正す/悪くなったものをよい状態に戻す)という言葉を使う限り、左利きは悪いものだという烙印を押すことになり、考え方として偏向している、といわれても致し方ないということです。

これは左利きに対する偏見や差別を助長する行為です。
マスコミが率先してすることではありません。
(ましてや、大朝日ともあろうものが…。)

―と、私は思うのですが…。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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[追記]続編記事:
2007.1.26 『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について
お茶でっせ版新生活版

2007.1.30『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?
お茶でっせ版新生活版

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2006.11.03

利き手と左利きの科学の本『非対称の起源』

先にメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイ』第53号(No.53) 2006/10/28「<左利きプチ・アンケート>第34回」で、新刊ニュースとして取り上げた、10月20日に講談社ブルーバックスより発売された『非対称の起源』を紹介しておきます。

450ページを越えるブルーバックスの中でも分厚い本ので、まだパラパラ読みしただけですので、簡単な紹介だけです。

『非対称の起源』クリス・マクマナス/著 大貫昌子/訳 講談社ブルーバックス

タイトルから、分子の非対称性に関する本か何かだろうと素通りした方もいらっしゃるかもしれませんが、この本は原題を"RIGHT HAND, LEFT HAND"という、2002年発行の比較的新しい利き手、および左利きに関する研究書です。

そうです、7月末に日本経済新聞社より出版された、デイヴィッド・ウォルマン『「左利き」は天才!』梶山あゆみ訳 の「第4章 左利きは遺伝するのか?」のなかで紹介されている、『右手、左手』のことです。

ここに、本書の著者クリス・マクマナスは、「利き手と左右差の研究をしている」ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジの心理学部の教授として登場しています。

本書に関しては、「手のことにとどまらず原子核からブラックホールまで、ありとあらゆるものの非対称性を取り上げた素晴らしい本」とあります。

著者マクマナスは、1970年代から30年以上に渡って「利き手」の傾向と大脳の側方性に関する研究を続け、分子の非対称性から宇宙物理学に至るまでの諸分野の進歩にも目を配って来た、という人物です。

本書は、その集大成です。

目次を見てもわかるように、第2章 右手は左手より優れているのか、第7章 右と左を決める遺伝子、第10章 利き手と社会、第11章 左利きの苦悩 …等、左利きの人には興味深い見出しが並んでいます。

利き手や左利きに興味のある方は必読です。

こういう研究書の類を読むときの楽しみの一つ、参考文献のリストがページ数の関係からか省かれている(ネット参照=ブルーバックスシリーズのサポートページ、となっています)のが少し残念です。

最後に、目次を紹介しておきます。

第1章 ワトソン博士の難問題
第2章 右手は左手より優れているのか
第3章 右と左の意味論
第4章 右と左の起源
第5章 心臓はなぜ左にあるのか
第6章 アミノ酸は左利き
第7章 右と左を決める遺伝子
第8章 脳の非対称性
第9章 言語に特化した左脳
第10章 利き手と社会
第11章 左利きの苦悩
第12章 人すべて対称なり
第13章 壮大にして微小なる我が宇宙

その他の詳細情報は、下の講談社ブルーバックスのページからどうぞ。

※ 参照:
講談社BOOK倶楽部TOP > 詳細検索
『非対称の起源』クリス・マクマナス

『レフティやすおの本屋』
「左利きの本棚/研究書・実用書」

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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