2017.05.15

私の読書論93-出会いは偶然か必然か

―第199号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2017(平成29)年5月15日号(No.199)
「私の読書論93-本との出会いは偶然か必然か」

本誌では、「本との出会いは偶然か必然か」について書いています。

マーク・トウェイン『人間とは何か』を例に、偶然と必然、運命の出会いについて書いています。

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そこでも少し触れていますが、簡単にまとめると――こう言えるのではないでしょうか。

 ネット書店: 探求 = 既知との遭遇 ⇒ 知っているものを探す
 リアル書店: 発見 = 未知との遭遇 ⇒ 知らなかったものを見つける


リアル書店では、その時その時の人の心をストレートに反映します。
一方、ネット書店は、その人の過去の履歴に依存しています。

ここに大きな差が生まれます。

人は動いています。
社会も動いています。

人の興味は変わります。
出版状況も日々変化します。

それを機械的にマッチングすることは不可能です。

人は、常に過去の履歴の上に立つわけではありません。
その辺が人の面白いところです。

そこが、「にんげ~ん」的なところです。

 ・・・

詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』


*参照:
マーク・トウェイン『人間とは何か』大久保博訳 角川文庫<マーク・トウェイン完訳コレクション> 2017/4/25
―著者自身と言われる老人と青年の対話篇。マーク・トウェイン晩年の思想の書。

コリン・ウィルソン『わが青春 わが読書』学習研究社 (1997/11)
―日本の編集者・安原顕氏の依頼で書かれた人生・読書論。

三木清『人生論ノート』新潮文庫 改版 1978/9

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2017.04.30

中国の古代思想を読んでみよう(14)『孟子』を読む (後編2)

―第198号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2017(平成29)年4月30日号(No.198)「古代中国編―
中国の古代思想を読んでみよう(14)『孟子』を読む (後編2)」

本誌では、四書五経の第7弾『孟子』の後編の2回目。

『孟子』を出典とする成語成句から私の印象に残ったものを中心に、『孟子』各篇について紹介しています。

以前も書きましたが、昔『孟子』にチャレンジしたものの途中で挫折した経験がありました。
孟子の時に強引なまでの議論の進め方についていけなくなった、というのが原因でした。

戦国時代の各思想家が競い合う中では、これぐらいの強い意志を示さなければならなかったのだという、貝塚茂樹さんの解説を読み、納得しました。

その孟子の思いは、「舜も人なり、我も亦(また)人なり」という言葉に集約されているように思います。


実は、今回も全篇通読には至りませんでした。
しかし、かなりのところまで読み進められ、ひとまずはリベンジできたのかな、という気がします。

またいずれ機会があれば、全篇通読にチャレンジしたいものです。

 ・・・

詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』


*参考:
『ビギナーズクラシックス中国の古典 孟子』佐野大介/著 角川ソフィア文庫 2015/2/25
―抄訳の訓み下し・原文・現代語訳と解説、コラム。


『孟子』貝塚茂樹/著 講談社学術文庫 2004/9/11
―孟子の時代背景の説明から著作『孟子』の解説・抄訳まで。

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2017.04.15

私の読書論92-近況から―本屋ロス~永遠に続くものはない~

―第197号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2017(平成29)年4月15日号(No.197)「私の読書論92-近況から―本屋ロス ~永遠に続くものはない~」

本誌では、「近況から―本屋ロス」について書いています。

最近バタバタとおなじみの本屋さんが閉店廃業しています。
50代に入って、古典の名著名作を勉強するようになり、その本を買った本屋さんでもあり、非常に残念なことです。

そんな思いを色々と綴っています。

あらためて、ものごとは永遠に続くものではない、と実感しました。

今日という日を大切に、生きてゆきましょう。

 ・・・

詳細は本誌で!


*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』


*参考:
『この人を見よ』ニーチェ 丘沢静也訳 光文社古典新訳文庫 2016/10

「なぜ私はこんなに利口なのか」

... 私の人生で画期的なことはすべて、偶然によって得られたものであって、誰かに勧められたものではない... 》p.61

『人生論ノート』三木清 新潮文庫 改版 1978/9

「希望について」

人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。... 》p.127


『星の王子さま オリジナル版』サン=テグジュペリ 岩波書店 2000

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(画像:左=オリジナル版2000年10月10刷、右=岩波少年文庫版1975年9月41刷)

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2017.04.07

『ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション II 地球から月へ 月を回って 上も下もなく』を読む

2017.1.23
『ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション II 地球から月へ 月を回って 上も下もなく』1月20日発売

で紹介しました、この本を読みました。

第1回配本『地球から月へ 月を回って 上も下もなく(完訳ガンクラブ三部作)』石橋正孝訳・1月20日刊行


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(画像:本書他、既訳本3点)


完訳ガンクラブ三部作世界初の合本。/石橋正孝訳・解説 月面に向けて打ち上げられた砲弾列車。巨大な大砲に取り憑かれた愛すべき紳士たちが活躍するガンクラブ三部作、世界初訳の補遺、挿画128葉を収録した特大巻として刊行!


地球から月へ ──九七時間二〇分の直行路──
 初出:〈ジュルナル・デ・デバ〉紙、1865年9月14日から10月14日まで連載、同年エッツェル社より単行本刊行
 挿絵:アンリ・ド・モントー、ジョルジュ・ルー(多色刷、1897年版に追加)
月を回って
 初出:〈ジュルナル・デ・デバ〉紙、1869年11月4日から12月8日まで連載、翌年1月エッツェル社より単行本刊行
 挿絵:エミール・バイヤール、アルフォンス・ド・ヌヴィル
上も下もなく 
 1889年11月書き下ろし、エッツェル社より単行本刊行
 挿絵:ジョルジュ・ルー
 補遺「ごく少数の人だけが知ればよいこと」A・パドゥロー(椎名建仁訳)
訳注/解説「〈驚異の旅〉の成立とガン・クラブ三部作」石橋正孝

新完訳の世界初の三部作合本の特大巻です。

巻末解説も〈驚異の旅〉コレクションの第一回配本らしく、このシリーズについての解説を兼ねています。
今後の配本を楽しむためにも、初めに読んでおいたほうがいいでしょう。


 ●月世界旅行二部作『地球から月へ』『月を回って』

作品については、もうかなり以前に読んで以来ということで、初めてではないにしても、実質初めてに近く楽しめました。

ただ以前読んだ当時は、特に『月を回って』に関しては、最初に読んだのが高校生ぐらいで、既にアポロ計画もまっ最中で、宇宙に対する知識もこの小説の時代とは比較にならないわけで、ちょっとバカにしてしまった記憶があります。
たとえば、発射時、大気圏をあっという間に通り過ぎるので摩擦熱などは問題にならないとか、宇宙空間で窓を開けて不要になったものを外に捨てる時も素早くすればいいとか、太陽に照らされたときの熱や逆に影に入ったときの冷却の具合など、ホントに大丈夫? という感じ。


でも今回読みますと、当時の最新の情報を詰め込んで、その上でイマジネーションの限りを尽くしていて、好感を持てます。

砲弾飛翔体は、当時の科学技術の最先端であるアルミニウムを使っているとか。
様々な情報を網羅するところは、いつものヴェルヌの十八番(オハコ)とするところですけれど。

飛翔体の大きさは、地上から望遠鏡で確認できる大きさという設定だったのですね。
そこで、あの大きさの砲になるわけです。


第一部『地球から月へ』の部分は、ミラー『詳注版 月世界旅行』を片手に読んだので、その辺の事情もわかり楽しめました。

第二部『月を回って』は、昔読んだ時も感じたのですけれど、「講釈師見てきたような嘘をつき」じゃないですけれど、よくこれほどに鮮やかに描けるものだ、と感心しました。
先にも書きましたように、当時の情報を巧みに織り込みながら、見事に想像力の翼を広げています。

フロリダから打ち上げ、太平洋上に帰還するというルートや、メンバーが三人だったり、共通する部分が幾つもあり、似せたのかそれともそれが当然の帰結だったのか、予言していたことになります。


ヴェルヌの小説といえば、科学情報を生かして、ひたすら冒険や探検に終始する男たちを描いた物語というイメージです。

しかし今回は、政治的社会的な風刺家としての面も具えているのだと改めて感じました。
南北戦争後のアメリカで、火砲の平和利用としてこの月世界旅行というプロジェクトを立案し、さらにアメリカの再統一を計ったり、世界的にも注目させたり、というところですね。

ミラー氏も書いているように、そういう面が読み取れました。


フランス人のアルダンが登場して、(地上から望遠鏡による)無人探査から有人探査になるのですが、その辺の事情がストーリーを盛り上げます。
ヴェルヌならではの想像力の世界になります。


 ●『上も下もなく』

第三部『上も下もなく』は、ガン・クラブのメンバーは共通ですが、事件としてはまったく別個の物語です。

『地球から月へ』の第19章「ミーティング」のラスト(p.146)で、J=T・マストン「われわれの努力を結集しよう、機械を発明し、地軸を立て直そう!」というシーンが出てきます。
この提案を小説化したものがこの作品です。

ミラー『詳注版 月世界旅行』p.396の注(21)によりますと、

この最後の三パラグラフをもとに、ヴェルヌは四半世紀後一冊の小説を書いている。1888年に鉱山技師アルシッド・バドゥローなる人物が、実に四カ月がかりで、「地球地軸を修正」しようとするマストンの計画の技術的青写真を練り上げた。
とあります。


前半は、北極探検の歴史の講義といった内容で、いつも通りのヴェルヌ調といったところで人名や地名が羅列されます。

で、この当時北緯84度を超えることができなかったこの北方の地(そう、陸地があるという推定しているのです――その根拠は、グリーンランドは北へ行くほどその標高が高くなり、その状態が北極点に近いところまで続いていそうだったから)には様々な地下資源が眠っている――特に当時の最重要資源であった石炭が――と考えられていました。

この地をアメリカの「北極実用化協会」がセリで購入するというのです。
この北極を開発しよう、という計画です。

行けもしない土地をどう活用するというのか?

ここで、例のガン・クラブの面々が登場します。
行けないのなら、来てもらおうというのですけれど……。


今回も、月世界旅行同様、奇想小説という感じです。
ワン・アイデアで勝負する空想小説です。

それを一本の長編小説に仕立てるところが、ヴェルヌの持つ科学情報と想像力です。


既訳本から11年ぶりぐらいの“再読”でした。
楽しめました。

挿絵が豊富で楽しめます。

挿絵は本書全体で128葉だそうで、今まで知らなかった絵が多く、楽しめました。

なかでも『上も下もなく』のヒロイン、エヴァンジェリーナ・スコービット夫人など。


本書には、先に紹介しましたアルシッド・バドゥローの手になる「補遺」が掲載されていて、数学的な根拠が示されています。
(私には理解不能と思われ、読もうという気にもなりませんでしたが。)


 ●石橋正孝さんの解説「〈驚異の旅〉の成立とガン・クラブ三部作」

〈驚異の旅〉の成立については、以前、石橋さんの『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険』を読み、大体のところは知っていました。
今回改めて『二十世紀のパリ』の意味を再認識しました。

この作品が出たとき、非常に意外に感じました。
従来言われていたことは、当初は科学技術の進歩に対して前向きに肯定的に評価していたものが、後年、様々な不幸に接し、ペシミズムに傾いて行き、それが作品にも反映されるようになった、というものでした。

ところが『二十世紀のパリ』では、それまでとはまったく違う、遠未来の悲惨な状況が描かれているのでした。

しかし、今回の解説で、この〈驚異の旅〉に変換される過程を示され、そういうことかという気になりました。
私には詳しくは説明できないので、「解説」をお読みいただくしかないのですけれど。

こうなりますと、集英社さんには、ぜひ『二十世紀のパリ』を復刊していただきたいものです。
これを読まないと、ヴェルヌ及びその作品を理解できませんからね。


 ●ハードカヴァーのきれいな本

私のなかでヴェルヌの本といいますと、集英社コンパクト・ブックス版〈ヴェルヌ全集〉といい、角川・創元の文庫本といい、ペーパーバックのイメージがありました。
文遊社の復刻本にしても、きれいな本ではありましたが、ソフトカヴァーでした。

一部の児童書を除いて、ハードカヴァー本は少ないイメージでした。

でも、先の『名を捨てた家族』や新潮社の新しい『十五少年漂流記』(この本の挿絵が新たに描かれた日本オリジナル版だったのは、ちょっと残念な気します。原書版が既にいくつか紹介されているにしても。表紙は日本オリジナルで、本文挿絵が原書版というやり方がベストだと思っています。)といい、ハードカヴァー本になっています。

この選集は全巻で挿絵を全点収録するのかどうかまだわかりませんが、ハードカヴァーのきれいな本になるようで、この点を評価したいものです。

価格も高いけれど、それなりにプラスアルファが感じられるものになっています。
次回の配本も期待したいものです。

なにしろ、噂に高い『蒸気で動く家』の本邦初紹介ですから。


【既訳】
地球から月へ──九七時間二〇分の直行路──
 鈴木力衛訳『月世界旅行』集英社コンパクトブックス〈ヴェルヌ全集〉9 1968
 高山宏訳 W.J.ミラー・注 『詳注版 月世界旅行 1・2』東京図書 1981
同『詳注版 月世界旅行』ちくま文庫 1999


月を回って
 高木進訳『月世界探検』集英社コンパクトブックス〈ヴェルヌ全集〉15 1968
 江口清訳『月世界へ行く』創元SF文庫 (新装版) 2005


上も下もなく
 榊原晃三訳『地軸変更計画』ジャストシステム 1996
 同 創元SF文庫 2005

*「ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション」全5巻

インスクリプト ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクション

このシリーズは、《21世紀ヴェルヌ研究の世界的権威、石橋正孝によるヴェルヌ原文の校訂、最終ヴァージョンを確定した上での底本・定本化と全巻解説》という、A5版二段組み平均500ページ超の大部な“ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉”の傑作選です。

〈全巻構成〉
第I巻(第4回配本)ハテラス船長の航海と冒険 荒原邦博・荒原由紀子訳(18年春刊) 予価:5,500円 [新訳]
第II巻(第1回配本)地球から月へ 月を回って 上も下もなく 石橋正孝訳(17年1月刊) 特大巻:5,800円 [完訳 世界初の合本]
第III巻(第5回配本)エクトール・セルヴァダック 石橋正孝訳(18年秋刊) 予価:5,000円 [本邦初の完訳]
第IV巻(第2回配本)蒸気で動く家 荒原邦博・三枝大修訳(17年5月刊) 予価:5,500円 [本邦初の完訳]
第V巻(第3回配本)カルパチアの城 ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密 新島進訳(17年11月刊) 予価4200円 [新訳、本邦初訳]


*参考:
ジュール・ヴェルヌ『二十世紀のパリ』榊原晃三/訳 集英社 1995/3
―執筆時から100年後の1963年のパリを描いたディストピア小説。ヴェルヌの死後金庫から発見されたと言われる。死後およそ90年ほどを経て公刊された。


石橋正孝『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険 ジュール・ヴェルヌとピエール=ジュール・エッツェル(流動する人文学)』左右社 2013/3/25
―この本については読後の文章を書いていませんが、一度読んでいます。学術論文を基に本にしたもので、そういう意味で難しいところがあります。
 原語がわからない、例に挙げられている作品を知らない、といったハンディキャップがあって、一般の人には理解が難しいのです。
 それでも読んでみると、当時の出版状況や〈驚異の旅〉叢書の出版事情、作家ヴェルヌについて新たに知ることができる部分が多々あります。一読の価値ありです。


『ジュール・ヴェルヌ伝』フォルカー・デース 石橋正孝/訳 水声社 2014/5
―本邦初のヴェルヌの本格的な伝記・評伝。従来知られていたヴェルヌ像とはかなり違ったものとなっているようです。
 実は途中までしか読んでいません。背景となるフランスやヨーロッパの歴史、ならびにヴェルヌ作品についてある程度知っていないと理解しがたい部分があるように感じました。

上記二冊でもそうですが、ミッシェル・セール『青春 ジュール・ヴェルヌ論』(豊田彰訳 法政大学出版局 1993/3)を読んだ時もそうでした、(本邦未紹介や訳本が入手困難等で)知らないヴェルヌ作品について云々されても、「ああ、そうですか」としか言えなくて、さびしいものがあります。

このたびの〈驚異の旅〉コレクションがきっかけとなり、さらなるヴェルヌ作品の紹介が進むことを願ってやみません。


*『お茶でっせ』記事:
【文遊社<ヴェルヌ>の過去の記事】:
・2014.7.19 文遊社ジュール・ヴェルヌ復刊第四弾『緑の光線』7月30日発売
・2014.1.13 文遊社ヴェルヌ復刊シリーズ第3弾『黒いダイヤモンド』年末に発売 
・2013.10.17 ジュール・ヴェルヌ『ジャンガダ』を読む
・2013.8.6 ジュール・ヴェルヌ『永遠のアダム』を読む&『ジャンガダ』出版
【その他の<ヴェルヌ>の過去の記事】:
・2017.1.22 ヴェルヌ『名を捨てた家族 1837-38年ケベックの叛乱』を読む
・2016.7.25 角川文庫から新訳ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』(上下)7月23日発売
・2015.8.10 ジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』椎名誠、渡辺葉・父娘共訳31日発売
・2013.6.2 ジュール・ヴェルヌの本2点『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険』『永遠のアダム』
・2012.10.25 テレビの威力か?HPジュール・ヴェルヌ・コレクションにアクセス急増!
・2007.8.24 ジュール・ヴェルヌ『海底二万里(上)』岩波文庫
・2004.10.18 偕成社文庫版ジュール・ヴェルヌ『神秘の島』と映画『80デイズ』
・2004.7.2 復刊された『グラント船長の子供たち』

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2017.04.04

人生は実に旅である―三木清「人生論ノート」NHK100分de名著2017年4月

NHK『100分de名著』2017年4月は、名著64 三木清「人生論ノート」です。

三木清(1897-1945)は、今年生誕120年を迎えるという、戦前の哲学者です。
1897(明治30)年、兵庫県に生まれ、一高を経て、西田幾多郎に師事し、京大哲学科入学、卒業後大学院へ進む。
1922年、岩波書店の岩波茂雄の出資を受けドイツ留学。その後パリに移る。
帰国後、三高や大学の講師を歴任。期待された京大に職を得られず、法大教授となる。
しかし、1930年に共産党への資金援助により治安維持法で検挙、有罪となり、法大をやめ、在野の哲学者となり、新聞雑誌への寄稿が増える。
また岩波文庫の発刊に協力、発刊の言葉の草稿も書いたという。
1945(昭和20)年6月、治安維持法違反の容疑者をかくまい逃亡させた嫌疑で検挙、投獄され、敗戦後も釈放されないまま、48歳で獄死。
『パスカルに於ける人間の研究』(岩波文庫)『哲学入門』(岩波新書)『人生論ノート』(新潮文庫)『語られざる哲学』(講談社学術文庫)などの著作がある。

 ・・・

名著64 三木清「人生論ノート」

「プロデューサーAのおもわく。(4月の名著:人生論ノート)」より

三木はこの本で一つの「幸福論」を提示しようとしていました。同時代の哲学や倫理学が、人間にとって最も重要な「幸福」をテーマに全く掲げないことを鋭く批判。「幸福」と「成功」とを比較して、量的に計量できるのが「成功」であるのに対して、決して量には還元できない、質的なものとして「幸福」をとらえます。... /哲学者の岸見一郎さんは、「人生論ノート」を、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福とみなされがちな今だからこそ、読み返されるべき本だといいます。一見難解でとっつきにくいが、さまざまな補助線を引きながら読み解いていくと、現代を生きる私たちに意外なほど近づいてくる本だともいいます。/...「人生論ノート」を通して、「幸福とは何か」「孤独とは何か」「死とは何か」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに生きる方法を学んでいきます。

第1回 4月3日放送 真の幸福とは何か
幸福を量的なものではなく、質的で人格的なものであるととらえなおす三木の洞察からは、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福なのではないというメッセージが伝わってくる。... 第一回は、三木清がとらえなおそうとした「幸福」の深い意味に迫っていく。
第2回 4月10日放送 自分を苦しめるもの
三木が提示する方法は「それぞれが何かを創造し自信をもつこと」。... 第二回は、自分自身を傷つけてしまうマイナスの感情と上手につきあい、コントロールしていく方法を学んでいく。
第3回 4月17日放送 虚無や孤独と向き合う
人間の条件が「虚無」だからこそ我々は様々な形で人生を形成できる...「孤独」こそが「内面の独立」を守る術だ... 第三回は、人間の条件である「虚無」や「孤独」との本当のつきあい方に迫る。
第4回 4月24日放送 死を見つめて生きる
死への恐怖とは、知らないことについての恐怖であり、死が恐れるべきものなのか、そうではないのかすら我々は知ることができないのだ。... 第四回は、さまざまな視点から「死」という概念に光を当てることで、「死とは何か」を深く問い直していく。

【指南役】岸見 一郎(哲学者)…「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の著者。
【朗読】市川猿之助(歌舞伎役者)


○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」人生論ノート 2017年4月 (2017年3月25日発売)
理想こそが現実を変える
人生は実に旅である。未知への漂白である。


◆三木清「人生論ノート」:
『人生論ノート』新潮文庫 改版 1978/9


『人生論ノート 他二篇』角川ソフィア文庫 2017/3/25
―『語られざる哲学』、『幼き者の為に』所収。 解説/岸見一郎


◆岸見 一郎/著:
『三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2016/6/28


『希望について: 続・三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2017/4/13


 ・・・

三木清の『人生ノート』です。
1938年から『文学界』に連載した短文をまとめたものです。

哲学書というよりは、もう少し一般的なエッセイに近いものでしょうか。

三木清の著作の中でも比較的読みやすいものでしょう。
(といっても私は、これと『哲学入門』しか読んだことがありません。)

三木清については、ほとんど知りません。
(今回、『三木清 人と思想』清水書院センチュリーブックス177 を読んで知ったことぐらいです。)

『嫌われる勇気』等でアドラー心理学の紹介者として有名になられた観のある、指南役の岸見一郎さんですが、実は哲学者でこちらの方が専門のようです。
実際にどのように読み説かれるか楽しみです。
(といいながら、第一回放送は終了しましたが。)


第一回について少しだけ書いておきますと――

1938(昭和13)年という、戦争前夜とでもいうべき、言論が弾圧され、個人が圧殺される全体主義の時代に書かれたもので、ストレートな表現は当局から目をつけられ発禁処分になる危険性もあり、難解な言葉遣いで著した、その分わかりにくいところがある、と解説されています。

その中で、幸福について語りにくい時代であるということ、それでも幸福とは徳であり、愛する人のためにこそ自分が幸福であるべきで、自分が幸福であること以上の善いことを為し得ない。
そして、幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福だ、という(「幸福について」)。
成功と幸福を不成功と不幸と同一視するようになり、真の幸福とは何かが理解できなくなった。幸福とは人それぞれオリジナルなものだ、という(「成功について」)。

――といった内容でした。

 ・・・

新潮文庫版『人生論ノート』から、私の心に残った文章をピックアップしておきましょう。

「死について」
執着する何ものもないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死に切れないということは、執着するものがあるから死ねるということである。深く執着するものがある者は、死後自分の帰ってゆくべきところをもっている。それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。》p.11

... 死は観念である。それだから観念の力に頼って人生を生きようとするものは死の思想を掴むことから出発するのがつねである。すべての宗教がそうである。》p.12-13

「幸福について」
... 幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。... 》p.16

幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。... 》p.18-19

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのづから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。》p.22

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。》p.22

「懐疑について」
人間的な知性の自由はさしあたり懐疑のうちにある。自由人といわれる者で懐疑的でなかったような人を私は知らない。... しかるに哲学者が自由の概念をどのように規定するにしても、現実の人間的な自由は節度のうちにある。古典的なヒューマニズムにおいて最も重要な徳であったこの節度というものは現代の思想においては稀になっている。懐疑が知性の徳であるためには節度がなければならぬ。一般に思想家の節度というものが問題である。モンテーニュの最大の智慧は懷疑において節度があるということであった。また実に、節度を知らないような懐疑は真の懐疑ではないであろう。度を越えた懐疑は純粹に懐疑に止まっているのでなく、... 一つの独断である。》p.24

「習慣について」
... 生命は形成作用であり、模倣は形成作用にとって一つの根本的な方法である。生命が形成作用(ビルドゥング)であるということは、それが教育(ビルドゥング)であることを意味している。... 》p.32-33

「虚栄について」
虚栄によって生きる人間の生活は実体のないものである。言い換えると、人間の生活はフィクショナルなものである。それは芸術的意味においてもそうである。というのは、つまり人生はフィクション(小説)である。だからどのような人でも一つだけは小説を書くことができる。普通の人間と芸術家との差異は、ただ一つしか小説を書くことができないか、それとも種々の小説を書くことができるかという点にあるといい得るであろう。》p.39

しかし人間が虚栄的であるということはすでに人間のより高い性質を示している。虚栄心というのは自分があるよりも以上のものであることを示そうする人間的なパッションである。それは仮裝に過ぎないかも知れない。けれども一生仮裝し通した者において、その人の本性と仮性とを区別することは不可能に近いであろう。道徳もまたフィクションではないか。それは不換紙幣に対する金貨ほどの意味をもっている。》p.42

「名誉心について」
人生に対してどんなに厳格な人間も名誉心を抛棄しないであろう。ストイックというのはむしろ名誉心と虚栄心とを区別して、後者に誘惑されない者のことである。その区別ができない場合、ストイックといっても一つの虚栄に過ぎぬ。》p.45

「怒について」
怒ほど正確な判斷を亂すものはないといはれるのは正しいであらう。しかし怒る人間は怒を表はさないで憎んでゐる人間よりもつねに恕せらるべきである。》p.53

ひとは愛に種類があるという。愛は神の愛(アガペ)、理想に対する愛(プラトン的エロス)、そして肉体的な愛という三つの段階に区別されている。そうであるなら、それに相対して怒にも、神の怒、名誉心からの怒、気分的な怒という三つの種類を区別することができるであろう。怒に段階が考えられるということは怒の深さを示すものである。ところが憎みについては同樣の段階を区別し得るであろうか。怒の内面性が理解されねばならぬ。》p.53

「人間の条件について」
虚無が人間の条件或いは人間の条件であるものの条件であるところから、人生は形成であるということが従ってくる。自己は形成力であり、人間は形成されたものであるというのみではない、世界も形成されたものとして初めて人間的生命にとって現実的に環境の意味をもつことができるのである。生命はみずから形として外に形を作り、物に形を与えることによって自己に形を与える。かような形成は人間の条件が虚無であることによって可能である。》p.60

古代は実体概念によつて思考し、近代は関係概念或いは機能概念(函数概念)によって思考した。新しい思考は形の思考でなければならぬ。形は単なる実体でなく、単なる関係乃至機能でもない。形はいわば両者の綜合である。関係概念と実体概念とが一つであり、実体概念と機能概念とが一つであるところに形が考えられる。》p.53p.61

「孤独について」
孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」――それは物質のものでなくて人間のものである。》p.65

東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は昼の世界と夜の世界である。昼と夜との対立のないところが薄明である。薄明の淋しさは昼の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に違っている。》p.66

孤独には美的な誘惑がある。孤独には味いがある。もし誰もが孤独を好むとしたら、この味ひのためである。孤独の美的な誘惑は女の子も知っている。孤独のより高い倫理的意義に達することが問題であるのだ。
その一生が孤独の倫理的意義の探求であったといい得るキェルケゴールでさえ、その美的な誘惑にしばしば負けているのである。
》p.66

物が真に表現的なものとして我々に迫るのは孤独においてである。そして我々が孤独を超えることができるのはその呼び掛けに応える自己の表現活動においてのほかない。アウグスティヌスは、植物は人間から見られることを求めており、見られることがそれにとって救済であるといったが、表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己を救うことである。かようにして、孤独は最も深い愛に根差している。そこに孤独の実在性がある。》p.67

「嫉妬について」
もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向って働くのが一般であるから。》p.68

嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。》p.72

「成功について」
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。》p.74

他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考えられ得るものである。だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴い易い。》p.74

純粹な幸福は各人においてオリジナルなものである。しかし成功はそうではない。エピゴーネントゥム(追随者風)は多くの場合成功主義と結び附いている。》p.75-76

「瞑想について」
ひとは書きながら、もしくは書くことによって思索することができる。しかし瞑想はそうではない。瞑想はいわば精神の休日である。そして精神には仕事と同樣、閑暇が必要である。余りに多く書くことも全く書かぬことも共に精神にとって有害である。》p.81

「噂について」
噂は誰のものでもない、噂されている当人のものでさえない。噂は社会的なものであるにしても、厳密にいうと、社会のものでもない。この実体のないものは、誰もそれを信じないとしながら、誰もそれを信じている。噂は原初的な形式におけるフィクションである。》p.84

「利己主義について」
愛情は想像力によって量られる。》p.89

我々の生活は期待の上になり立っている。》p.90

利己主義者は期待しない人間である、従ってまた信用しない人間である。それ故に彼はつねに猜疑心に苦しめられる。
ギヴ・アンド・テイクの原則を期待の原則としてでなく打算の原則として考えるものが利己主義者である。
》p.91

利己主義という言葉は殆どつねに他人を攻撃するために使われる。主義というものは自分で称するよりも反対者から押し附けられるものであるということの最も日常的な例がここにある。》p.92

「健康について」
誰も他人の身代りに健康になることができぬ、また誰も自分の身代りに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。そしてまさにその点において平等のものである。私はそこに或る宗教的なものを感じる。すべての養生訓はそこから出立しなければならぬ。》p.93

健康の問題は人間的自然の問題である。というのは、それは単なる身体の問題ではないということである。健康には身体の体操と共に精神の体操が必要である。》p.95

健康というのは平和というのと同じである。そこに如何に多くの種類があり、多くの価値の相違があるであろう。》p.98

「秩序について」
外的秩序は強力によっても作ることができる。しかし心の秩序はそうではない。》p.104

人格とは秩序である、自由というものも秩序である。... 》p.104

「感傷について」
感傷は主観主義である。青年が感傷的であるのはこの時代が主観的な時期であるためである。主観主義者は、どれほど概念的或いは論理的に裝おうとも、内実は感傷家でしかないことが多い。》p.109

あらゆる情念のうち喜びは感傷的になることが最も少い情念である。そこに喜びのもつ特殊な積極性がある。》p.109

感傷には個性がない、それは真の主観性ではないから。その意味で感傷は大衆的である。だから大衆文学というものは本質的に感傷的である。大衆文学の作家は過去の人物を取扱うのがつねであるのも、これに関係するであろう。彼等と純文学の作家との差異は、彼等が現代の人物を同じように巧に描くことができない点にある。この簡単な事柄のうちに芸術論における種々の重要な問題が含まれている。》p.109

感傷には常に何等かの虚栄がある。》p.110

「仮説について」
常識を思想から区別する最も重要な特徴は、常識には仮説的なところがないということである。》p.113-4

思想は仮説でなくて信念でなければならぬといわれるかも知れない。しかるに思想が信念でなければならぬということこそ、思想が仮説であることを示すものである。常識の場合にはことさら信仰は要らない、常識には仮説的なところがないからである。常識は既に或る信仰である、これに反して思想は信念にならねばならぬ。》p.114

仮説という思想は近代科学のもたらした恐らく最大の思想である。... 》p.115

「偽善について」
... 人生において証明するということは形成することであり、形成するということは内部と外部とが一つになることである。ところが偽善者にあっては内部と外部とが別である。偽善者には創造というものがない。》p.118

「娯楽について」
生活を楽しむことを知らねばならぬ。「生活術」というのはそれ以外のものでない。それは技術であり、徳である。どこまでも物の中にいてしかも物に対して自律的であるということがあらゆる技術の本質である。生活の技術も同樣である。どこまでも生活の中にいてしかも生活を超えることによって生活を楽しむということは可能になる。
娯楽といふ観念は恐らく近代的な観念である。それは機械技術の時代の産物であり、この時代のあらゆる特徴を具えている。娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代りに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。幸福についてほんとに考えることを知らない近代人は娯楽について考える。
》p.121

「希望について」
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。... 》p.127

人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。》p.127

それは運命だから絶望的だといわれる。しかるにそれは運命であるからこそ、そこにまた希望もあり得るのである。》p.128

希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味いたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却って期待という如きものである。個々の内容の希望は失われることが多いであろう。しかも決して失われることのないものが本来の希望なのである。》p.128

希望というものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きている限り希望を持っているというのは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。生命の形成力が希望であるというのは、この形成が無からの形成という意味をもっていることに依るであろう。... 希望はそこから出てくるイデー的な力である。希望というものは人間の存在の形而上学的本質を顕わすものである。
希望に生きる者はつねに若い。いな生命そのものが本質的に若さを意味している。
》p.129

絶望において自己を捨てることができず、希望において自己を持つことができぬということ、それは近代の主観的人間にとって特徴的な状態である。》p.130

... 断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。
形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学的智慧であった。それは芸術的制作についてのみいわれることではない。それは人生の智慧である。
》p.131

「旅について」
何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。... いったい人生において、我々は何処へ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。... 》p.136

... 旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。》p.138

「個性について」
個性を理解しようと欲する者は無限のこころを知らねばならぬ。無限のこころを知らうと思ふ者は愛のこころを知らねばならない。愛とは創造であり、創造とは對象に於て自己を見出すことである。愛する者は自己において自己を否定して對象において自己を生かすのである。... 》p.147


*他のNHKテレビ「100分 de 名著」の記事:
1 2011年11月放送:2011.10.31
アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!
2 2011年12月放送:2011.12.6
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』悲しみを、乗り越えよ-「100分 de 名著」NHK
3 2012年1月放送:2012.1.5
吉田兼好『徒然草』両面から物事を見よ!-「100分 de 名著」NHK
4 2012年2月放送:2012.1.29
新渡戸稲造『武士道』日本的思考の根源を見る-「100分 de 名著」NHK
5 2012年3月放送:2012.3.6
仏教は「心の病院」である!NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』2012年3月
6 同:2012.4.2
NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』を見て本を読んで
7 2012年4月放送:2012.4.3
紫式部『源氏物語』NHKテレビ100分de名著
8 2012年5月放送:2012.5.2
確かな場所など、どこにもない―100分 de 名著 カフカ『変身』2012年5月
9 2012年6月放送:2012.6.6
<考える葦>パスカル『パンセ』NHK100分 de 名著2012年6月
10 2012年10月放送:2012.10.2
鴨長明『方丈記』NHK100分 de 名著2012年10月
11 2012年12月放送:2012.12.5
<心で見る努力>サン=テグジュペリ『星の王子さま』NHK100分de名著2012年12月
12 2013年1月放送:2013.1.11
呪文に頼るのもよし?~100分de名著『般若心経』2013年1月
13 2013年2月放送:2013.2.5
待て、そして希望せよ~NHK100分de名著『モンテクリスト伯』2013年2月
14 2013年3月放送:2013.3.28
どんな時も、人生には、意味がある。フランクル『夜と霧』~NHK100分de名著2013年3月(再放送)
15 2013年4月放送:2013.4.11
真面目な私とあなた―夏目漱石『こころ』~NHK100分de名著2013年4月
16 2013年5月放送:2013.5.20
水のように生きる『老子』NHK100分de名著2013年5月
17 2013年6月放送:2013.6.5
生きる喜びは、どこにあるのか?『戦争と平和』トルストイ~NHK100分de名著2013年6月
18 2013年7月放送:2013.7.9
哲学とは、愛である『饗宴』プラトン~NHK100分de名著2013年7月
19 2013年11月放送:2013.11.10
「物語」に終わりはない『アラビアンナイト』~NHK100分de名著2013年11月
20 2013年12月放送:2013.12.11
切り離された者たちへ~ドストエフスキー『罪と罰』~NHK100分de名著2013年12月
21 2014年1月放送:2014.1.21
花とは何か~『風姿花伝』世阿弥~NHK100分de名著2014年1月
22 2014年3月放送:2014.3.4
戦わずして勝つ『孫子』~NHK100分de名著2014年3月
23 2014年12月放送:2014.12.3
生きるべきか、死ぬべきか-シェイクスピア『ハムレット』~NHK100分de名著2014年12月
24 2015年4月放送:2015.3.29
自分を救えるのは自分自身である-NHK100分de名著『ブッダ 最期のことば』2015年4月
25 2015年5月放送:2015.5.5
何もないことを遊ぶ『荘子』-NHK100分de名著2015年5月
26 2015年6月放送:2015.6.2
運命と人間―ギリシア悲劇/ソポクレス「オイディプス王」NHK100分de名著2015年6月
27 2015年7月放送:2015.6.30
ラフカディオ・ハーン/小泉八雲『日本の面影』NHK100分de名著2015年7月
28 2015年8月放送:2015.8.5
自然淘汰による進化「生命の樹」-ダーウィン『種の起源』NHK100分de名著2015年8月
29 2015年9月放送:2015.9.1
恋と革命~太陽のように生きる-太宰治『斜陽』NHK100分de名著2015年9月
30 2015年10月放送:2015.10.7
処世訓の最高傑作「菜根譚」NHK100分de名著2015年10月
31 2016年1月放送:2016.1.4
真面目なる生涯~内村鑑三『代表的日本人』NHK100分de名著2016年1月
32 2016年4月放送:2016.4.4
弱者(悪人)こそ救われる『歎異抄』NHK100分de名著2016年4月
33 2016年5月放送:2016.5.1
人に勝つ兵法の道-宮本武蔵『五輪書』NHK100分de名著2016年5月
34 2017年2月放送:2017.2.6
欲望から自由になれ-ガンディー『獄中からの手紙』NHK100分de名著2017年2月
35 2017年3月放送:2017.3.5
永久の未完成これ完成である〈宮沢賢治スペシャル〉NHK100分de名著2017年3月
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2017.03.31

中国の古代思想を読んでみよう(13)『孟子』を読む (後編1)

―第196号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2017(平成29)年3月31日号(No.196)「古代中国編―
中国の古代思想を読んでみよう(13)『孟子』を読む (後編1)」

本誌では、四書五経の第7弾『孟子』の後編の一回目。

『孟子』を出典とする成語成句から私の印象に残ったものを中心に紹介しています。

個々に見てゆきますと、意外に数が多くなり、「後編」をまた前後二回に分けることにしました。

今回は、全14篇中はじめの方の6篇分を。


本誌でも触れていますが、『孟子』中で一番のお気に入りの言葉は、《千万人といえども吾往(ゆ)かん》(「公孫丑上」)です。
これは、曽子が孔子に「大勇とはなんですか」と問うた時に得た答えです。

(勇気を持って)私は行くぞ! という「吾往かん」という響きが勇ましく、心意気を感じます。

 ・・・

詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』


*参考:
『ビギナーズクラシックス中国の古典 孟子』佐野大介/著 角川ソフィア文庫 2015/2/25
―抄訳の訓み下し・原文・現代語訳と解説、コラム。


『孟子』貝塚茂樹/著 講談社学術文庫 2004/9/11
―孟子の時代背景の説明から著作『孟子』の解説・抄訳まで。

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2017.03.26

アーナルデュル・インドリダソン『緑衣の女』を読む

前作『湿地』につづき、二年連続で北欧ミステリの“ガラスの鍵”賞を受賞し、さらにミステリの本場イギリスの“CWAゴールドダガー”賞を受賞したという名作で、『湿地』は日本でも好評を博し、期待値が上がっての登場です。
私も前作は大いに楽しみました。

2017.3.22
アーナルデュル・インドリダソン『湿地』を読む


期待を持って臨んだこの作品も、期待以上、といっていい出来でした。

『緑衣の女』アーナルデュル・インドリダソン 柳沢由実子訳 創元推理文庫 2016/7/11

地元のパーティで赤ちゃんがしゃぶっていたものを人骨(肋骨の一部)と医学生が見抜く、という発端がなかなかです。
それは、子供が工事中の新興住宅地で見つけ、宝物としていたものだった。
アイスランド・レイキャヴィクの警察のベテラン犯罪捜査官エーレンデュルと、前作でも登場した二人の同僚、シグルデュル=オーリとエリンボルクが捜査を担当する。
かなりの年代物(戦前のものか?)と判明し、考古学者による発掘が行われる。
手を挙げた状態で埋められていたことから、被害者は埋められた時点ではまだ生きていたと考えられる、という。

かつてこの場所の近くにはサマーハウスが建てられていて、イギリスやアメリカ軍のキャンプのバラックも設置されていた。
当時の生存者から、この地のそばにあるスグリの木立の辺りでよく“いびつ”な“緑衣の女”の姿が見られたという証言を得る。
さらに、サマーハウスの持ち主の婚約者が失踪していること、どうやら子を身ごもっていたらしいことも判明します。
はたして遺骨の主は誰なのか、また犯人はいかなる人物なのか……。

事件?の捜査と並行して、悲惨なDV(家庭内暴力)の様子が語られます。
妻の連れ子の娘と夫との男兄弟二人の目の前で、夫は妻を言葉と肉体で暴行します。

それに加えて、捜査官エーレンデュルの麻薬中毒の妊娠中の娘から救助の要請の電話が入り、彼は探索の結果、血まみれの姿の娘で発見します。
生死の境をさまよう娘に付き添い、忌わしい記憶となっている少年時代の思い出を語るエーレンデュル……。

この三つの話を交えて語られるのは、家族とは、家族の絆とは何か、愛とは、人と人との関係とは何かといったことであり、子育てや教育の力とは、といった人生の疑問の数々です。


救いのないDV描写は苛烈ですが、ミッケリーナという女性の存在が救いになっているように感じました。
ラストも悲劇的な中に何かしらホッとするところもあるように思います。

こういうDVを受け入れてしまう女性に関して、色々な意見があるかもしれませんが、私には理解できるところがあります。
ある種の人たちにとって人生というものは、受け入れるしかないものであり、ただ耐え忍ぶしかないものなのです。
嵐がゆきすぎるのを身を低くして、ただただ我慢して時がたつのを待つだけ、なのです。

人をして、そういう人生を送らせてはいけないのだ、ということです。
そのためには子供のころの育て方が重要なのだ、ということです。


前作では強姦事件、今回はDVとかなり厳しい状況を取り上げていますが、その根底にあるこの作家の家族の在り方をテーマにする姿勢にとてもいい印象を持っています。

ミステリ的にも、冒頭の謎といい、中盤の展開といい、ラストの意外性(謎の解決そのものというよりそれ以外の面で)といい、非常によくできた作品でした。

エーレンデュル自身に関しても、次作への興味を持たせるラストでもありました。

*次作:
『声』柳沢由実子訳 東京創元社 2015/7/29


*前作:
『湿地』柳沢由実子訳 創元推理文庫 2015/5/29

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2017.03.22

アーナルデュル・インドリダソン『湿地』を読む

『湿地』アーナルデュル・インドリダソン 柳沢由実子訳 創元推理文庫 2015/5/29


北欧ミステリの“ガラスの鍵”賞を受賞した、アイスランドの作家によるレイキャヴィクの捜査官エーレンデュル・シリーズ第三作(2000)で、アイスランド語ではなく、比較的近いというスウェーデン語からの重訳による、2012年本邦初紹介作。

レイキャヴィクの湿地地帯の集合住宅の地下室の貸し部屋で殺された老人。
明らかに突発的な殺人と思われるのだが、犯人は三語からなる書き置きを残していた。

捜査に当たるエーレンデュルは、被害者がかつて強姦の疑いで、女性から訴えられたが無罪となっていたことを探り出す。
その時の女性はその後、四歳で子供を亡くし、自殺していた。

子供の墓碑に刻まれていた言葉は、《邪悪なものの脅威からわたしの命をお守りください》であり、聖書をよく読んでいるエーレンデュルにはその出典がすぐに分かった。
それは、聖書詩篇第六十四篇の言葉であり、彼女の墓碑のために遺したのかもしれない言葉は、それに先立つ《神よ、悩み訴えるわたしの声をお聞きください》だった。

子供の死因は、今回の被害者の姪と同じ遺伝性の病気だったかもしれない、という。

隠せるものも隠さず、不器用で“典型的なアイスランドの殺人”だというのですが……。


アイスランドの北の湿地のジメッとした風土と連日の雨のなかの捜査を背景に、強姦魔と遺伝性の病気、家族(血筋)の絆と悲惨な運命、それを乗り越えようとする思いと現実のつらさ。
しかし、エーレンデュルの棄てた家族――中でもヤク中の娘エヴァ=リンドとの関係を交えたストーリーが悲しくも温かい。

我慢を続けていたエーレンデュルが思わず、エヴァ=リンドに怒りをぶつけるシーンは、巻末の川出正樹さんの解説にもあるように、一つのクライマックスでした。

犯罪といい、エーレンデュルの私生活といい、悲惨な状況の中にも事件解決に至るなかで、人間への信頼や家族の絆に関して、ある種一抹の救いが感じられる物語です。


ミステリ的には、特別に仕掛けがあるわけでもなく、純粋な警察捜査小説。
アナログなベテラン刑事とアメリカで犯罪学を学んだアメリカかぶれ?の若手刑事と中間世代の女性刑事の取り合わせもよく、ストーリーの展開も鮮やかに、短い章立てで一気にページを進めさせます。

トレヴェニアン『夢果つる街』や、警察小説ではないけれどデニス・ルヘイン『ミスティック・リバー』等を思い起こしました。

評判は聞いていたので、いつか読もうと思いつつ、つい最近まで読まずにいました。
タイトルからしても、ストーリーの紹介など見ても、なんとなく重い感じがして。

女性には辛い部分もあるかと思いますけれど(男性でもね)、著者も発言されているように、現実をしっかり見つめ、描く必要があると思います。

CWAゴールドダガー賞受賞という次作が楽しみです。


*他のアーナルデュル・インドリダソンの作品
『緑衣の女』柳沢由実子訳 創元推理文庫 2016/7/11

『声』柳沢由実子訳 東京創元社 2015/7/29


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2017.03.15

私の読書論91-私をつくった本・かえた本(2)小説への目覚め編

―第195号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2017(平成29)年3月15日号(No.195)-170315-
「私の読書論91-私をつくった本・かえた本(2)小説への目覚め編」

本誌では、今回は「幼少期編」(小さいころから小学校時代あたりまで)に続き、小学校5年生の夏休みの課題のプリントから父親に買ってもらった本の思い出です。

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(画像:上=少年少女新世界文学全集第37巻 日本古典編(2)・下=雨月物語)


講談社から出版された、お子様向けの文学全集の一冊、『少年少女新世界文学全集第37巻 日本古典編(2)』です。
この本には、三つの長編と一つの短編集が収録され、他にも俳句がいくつか紹介されていました。

「太平記」「雨月物語」「八犬伝」「東海道中膝栗毛」
それぞれ軍記や怪奇短編、伝奇小説、滑稽本です。

私が後年、幻想と怪奇の短編や、冒険ものを好むようになった原点がここにあるのかもしれません。
そういう意味でまさに、〈私をつくった本〉と言えるでしょう。

今一番好きなのは、『雨月物語』ですね。
当初は、「夢応の鯉魚」のようなファンタジー系のものでしたが、だんだんと「蛇性の淫」のようなものを好むようになりました。

「蛇性の淫」好きは、東映動画のアニメ『白蛇伝』を見た影響もあるのでしょうね。

 ・・・

詳細は本誌で!


*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』


*参考:
◎「太平記」◎
【入門書】
『太平記』長谷川端/訳 小学館〈日本の古典をよむ〉 2008/03


◎「雨月物語」◎
【現代語訳】
『雨月物語』上田秋成/作 高田衛、稲田篤信/訳 ちくま学芸文庫 1997/10


◎「八犬伝」◎
【入門書】
『南総里見八犬伝 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』石川博/編訳 角川ソフィア文庫 2007/10


◎「東海道中膝栗毛」◎
【入門書】
『現代語 抄訳で楽しむ 東海道中膝栗毛と続膝栗毛』大石学/監修 KADOKAWA 2016/9/22


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2017.03.06

ロバート・F・ヤング『時をとめた少女』を買う

以前、発売予定を紹介しました記事↓に書いた
2月23日に発売されたロバート・F・ヤングの短篇集『時をとめた少女』を、25日買ってきました。

2017.2.8
ロバート・F・ヤング新短篇集『時をとめた少女』2月23日発売

Rfyoung


4冊すべて、日本オリジナル短篇集です。

【ロバート・F・ヤング 日本オリジナル短編集】
『ジョナサンと宇宙クジラ』伊藤典夫編訳(ハヤカワ文庫SF/1977→新装版2006/10)
全10編


『ピーナツバター作戦』桐山芳男編(青心社/1983→新装版2006/12)
全5編


『たんぽぽ娘』伊藤典夫編(河出書房新社《奇想コレクション》/2013→河出文庫2015/1/7)
全13編


*参考:2013.05.27
たんぽぽ娘 (奇想コレクション)ロバート・F・ヤングを買う


先の『たんぽぽ娘』が長年待たれた傑作選だとすれば、今回の短篇集は落ち穂拾いといった感じでしょうか。


『時をとめた少女』シライシユウコ/イラスト 小尾芙佐・深町眞理子・岡部宏之・山田順子/訳 ハヤカワ文庫SF 2017/2/23
全7編


〔収録作品〕
わが愛はひとつ One Love Have I 深町真理子訳 [SFマガジン 1971年10月号
妖精の棲む樹 To Fell a Tree 深町真理子訳 [SFマガジン 1972年7月号
時をとめた少女 The Girl Who Made Time Stop 小尾芙佐訳 [SFマガジン 1972年6月号
 『見えない友だち34人+1』集英社/コバルト・シリーズ(1980/09/15)
花崗岩の女神 Goddess in Granite 岡部宏之訳 [SFマガジン 1969年9月号
真鍮の都 The City of Brass 山田順子訳 [SFマガジン 1986年6月号》
[長編化作品『宰相の二番目の娘』(山田順子訳 創元SF文庫)の原短編
赤い小さな学校 Little Red Schoolhouse 小尾芙佐訳 ★本邦初訳
約束の惑星 Promised Planet 山田順子訳 ★本邦初訳
解説/牧眞司


内容については、未読ですので、何も言えません。
またいずれ書いてみます。


*参考:
【ロバート・F・ヤング 長編化作品】
『時が新しかったころ』中村 融/訳 (創元SF文庫)2014/3/22
―原題"Eridhan"(1983) 「時が新しかったころ」"When Time Was Young"を書きのばしたもの


『宰相の二番目の娘』山田 順子/訳 (創元SF文庫)2014/10/31
―原題"Vizier's Second Daughter"(1985) 中編「真鍮の都」"The City of Brass"を書きのばしたもの

二冊ともいかにもヤングらしい作品になっています。
新たなアイデアを加えて、ストーリーにも変化を持たせ、でも、ヤングらしさは変わらず、より楽しめる作品になっていました。
松尾たいこさんのカバー絵もかわいらしくて、ヤング作品らしさを出しています。


【主なヤング作品収録アンソロジー】
『たんぽぽ娘―海外ロマンチックSF傑作選2』風見潤/編(集英社文庫―コバルトシリーズ 1980/2/15)

―「たんぽぽ娘」(伊藤典夫訳)収録


『見えない友だち34人+1―海外ロマンチックSF傑作選3』風見潤/編(集英社文庫―コバルトシリーズ 1980/9/15)

―「時を止めた少女」収録


『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』中村融/編(創元SF文庫/2009)
―「時が新しかったころ」収録


『時を生きる種族 ファンタスティック時間SF傑作選』 (創元SF文庫)2013/7/20
―「真鍮の都」収録

他。

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