2017.11.06

努力で幸福になれる―ラッセル「幸福論」NHK100分de名著2017年11月

11月のNHK100分de名著は、バートランド・ラッセルの「幸福論」です。

名著70 バートランド・ラッセル「幸福論」

プロデューサーAのおもわく。

ラッセルの「幸福論」のキーワードは「外界への興味」と「バランス感覚」。人はどんなときにでも、この二つを忘れず実践すれば、悠々と人生を歩んでいけるといいます。そして、それらを実践するために必要な思考法や物事の見方などを、具体例を通して細やかに指南してくれるのです。まさに、この本は、人生の達人たるラッセルの智慧の宝庫といえるでしょう。

【講師】小川仁志(山口大学准教授)
【朗読】荒川良々(俳優)
【語り】墨屋 那津子(元NHKアナウンサー)

第1回 11月6日放送
自分を不幸にする原因
ラッセル自身の人生の歩みを紹介しながら、人々を不幸にしてしまう原因を明らかにしていく。

第2回 11月13日放送
思考をコントロールせよ
不幸に傾きがちなベクトルをプラスに転換する「思考のコントロール方法」を学ぶ。

第3回 11月20日放送
バランスこそ幸福の条件
極端に走りがちな人間の傾向性にブレーキをかける、ラッセル流のバランス感覚を学んでいく。

第4回 11月27日放送
他者と関わり、世界とつながれ!
ラッセルのその後の平和活動にもつながる、自我と社会との統合を理想とした、独自の幸福観を明らかにしていく。


○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『ラッセル『幸福論』 2017年11月』小川 仁志

―客観的に生きよ
 「自分」のなかに閉じこもる――それが不幸の原因だ。

自分の「外部」に没頭せよ
核兵器の廃絶と科学技術の平和利用を訴えた「ラッセルアインシュタイン宣言」でも知られる知の巨人、バートランド・ラッセル。彼が自らの人生を通じて実証した、幸福を「獲得」する方法とは? 「究極のポジティブシンキング」で、論理的に幸福をつかめ!


【講師:小川仁志さんの関連著作】
小川 仁志『ポジティブ哲学! ―三大幸福論で幸せになる―』清流出版 2015/6/19
―アラン、ヒルティ、ラッセルの「三大幸福論」から得る幸せの見つけ方

『幸福論』 B・ラッセル/著 堀秀彦/訳 角川ソフィア文庫 2017/10/25
―解説:小川 仁志

 ●三大幸福論

哲学の三大幸福論と言われるのが、フランスの哲学者・アラン『幸福論』(1925)、スイスの哲学者ヒルティ『幸福論』(全三巻 1891-99)と、イギリスの哲学者・ラッセルの本書です。

一番とっつきやすいのは、アラン『幸福論』でしょう。
文庫本で2~3ページという短文を集めたもので、読みやすいというのが特徴の一つです。

内容は、哲学的・文学的で、アランの主張は、自分で作る幸福は決して裏切らない(「47アリストテレス」)といい、自分が幸福になるのは義務だ(「92幸福になる義務」)といい、子供には幸福になる方法を教えるべきだ(「91幸福となる方法」)といい、幸福になるにはまず気持ちの持ち方である(「66ストイシズム」)といい、幸福だから笑うのではなく笑うから幸福になるのだ(「77友情」)、と教えます。


*参照:『お茶でっせ』記事
2011.10.31
アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!


ヒルティ『幸福論』も各巻8本ずつの論文が集められたものです。
キリスト教的な見地からの実用的な幸福論という気がします。

「人間だれ一人として幸福を求めないものはない」(第三部「二種類の幸福」)といい、「幸福こそ、人間の生活目標なのだ」(第一部「幸福」)といい、「仕事は人間の幸福のひとつの大きな要素だ」といい、「あなたは額に汗してパンを食べねばならぬ」(創世記三の一九/同)と。
第一部が「仕事の上手な仕方」で始まるように、幸福への道は、まず仕事に励むこと、といいます。

そして、不幸は人生につきものであり、逆説的にいえば、不幸は幸福のために必要だ、とも言います。

第三部「二種類の幸福」で、「価値の低い幸福」に至る道については古くから述べられているといい、彼は「永続的な幸福」について書いています。
それは、「神のそば近くにあること」「偉大で真実な思想に生きる」ことだと言います。


 ●『ラッセル幸福論』

これらの著作と異なり、本書は、一冊を費やして幸福について論を張る長編の論文です。

「はしがき」によりますと、自身の経験と観察によって確かめられた処方箋で、《周到な努力によれば幸福になりうる》(『ラッセル幸福論』安藤貞雄/訳 岩波文庫より―以下同じ―p.5)という信念に基づき、本書を書いたといいます。

この本の目的は、

普通の日常的な不幸に対して、一つの治療法を提案することにある。》p.14
といいます。

いかにして幸福を獲得するか? その積極的で具体的な方法を伝授すること、だそうです。

特別な不幸――恐怖政治や戦争、社会の貧困といった大きな問題、個人的には病気やケガ等、あるいは親しい人の死等の、単純には乗り越えられない種類の不幸は取り上げない。
あくまでも個人の力で改善できる問題に置いて、です。

そして、多くの人はそのような日常的な不幸を抱えて生きている、というのです。
では、そのような日常的な不幸に陥る原因はどこにあるのでしょう。


第一部「不幸の原因」では、「不幸だと感じている人々」がどのような状況にあるか、を分析し原因を追究します。

第1章「何が人びとを不幸にさせるのか」では、

不幸の心理的な原因は、明らかに、多種多様である。》p.22
といい、その原因を一つずつ挙げ、第2章「バイロン風の不幸」第3章「競争」第4章「退屈と興奮」第5章「疲れ」第6章「ねたみ」第7章「罪の意識」第8章「被害妄想」第9章「世評に対するおびえ」と、分析してゆきます。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。 》(中村融訳 岩波文庫)
と書いていますが、それと同じようなものでしょう。


たとえば第2章「バイロン風の不幸」では、

人生は、ヒーローとヒロインが、信じがたいような不運を乗り越えたのちにハッピーエンドで報われる、といったメロドラマの類推で考えられるべきではない。》p.33
といいます。
第3章「競争」では、
成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる》p.54
といいます。
第4章「退屈と興奮」では、
前の晩が楽しければ楽しいほど、翌朝は退屈になる》p.66
といい、
総じてわかることは、静かな生活が偉大な人びとの特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった、ということだ。》p.70
ともいい、
幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである。》p.74
といいます。
第5章「疲れ」では、
きちんととした精神を養うことで、どれほど幸福と効率がいまやすかは、驚くほどである。きちんとした精神は、ある事柄を四六時中、不十分に考えるのではなく、考えるべきときに十分に考えるのである。》p.79
といいます。
たとえば心配事に関しても、
最悪の場合でも、人間に起こることは、何ひとつ宇宙的な重要性を持つものはないからである。》p.84
といい、取り越し苦労を否定します。
第6章「ねたみ」では、
他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。何でも楽しいことが起これば、目いっぱい楽しむべきであって、これは、もしかしてよその人に起こっているかもしれないことほど楽しくないんじゃないか、などと立ち止まって考えるべきではない。》p.95-96
といいます。
第7章「罪の意識」では、
他人に対して心の広い、おおらかな態度をとれば、他人を幸福にするだけではなく、本人にとっても限りない幸福の源となる。》p.117
といい、
おのれの能力を最も完全に発揮するときに最大の幸福が訪れる。》p.121
といいます。
第8章「被害妄想」では、被害妄想を治すことが
幸福獲得の重要な部分である。というのは、私たちは万人が自分を虐待していると感じているかぎり、幸福になることはまるで不可能だからだ。》p.124
といい、被害妄想の予防薬となる四つの公理を挙げています。
第9章「世界に対するおびえ」では、世評に対する恐れは、
抑圧的で、成長を妨げるもので(略)真の幸福を成り立たせている精神の自由を獲得することは不可能である。》p.151-152
といい、幸福にとって不可欠なのは、
私たち自身の深い衝動から生まれてくる》p.152
ことがら――趣味や楽しみ、希望等によるのだと言います。
幸福は同じような趣味と、同じような意見を持った人たちとの交際によって増進される。》p.151
と。


第二部「幸福をもたらすもの」で、幸福になる秘訣を説きます。

第10章「幸福はそれでも可能か」では、幸福には2種類あると言います。
一つは、どんな人にも得られるが、もう一つは、読み書きのできる人にしか得られないものだといいます。
前者のそれは、動物にも見られる単純な喜び――生存における快適な充足といったものです。
それに引き換え、後者は、科学者の尊敬に値する業績のような、困難を克服したのちに得られる成功の喜び――自己の能力を高く評価する、といったものです。
しかしこのような成功を一般の人間が獲得するのは難しいものです。
そこで注目すべきは、「趣味に熱中すること」といいます。
それでも、このような趣味や道楽は、現実からの逃避の手段とも言えます。

根本的な幸福は、ほかの何にもまして人や物に対する有効的な関心とも言うべきものに依存している。》p.170
といいます。
そして、この人への関心は愛情であり、
幸福に寄与する愛情は、人びとを観察することを好み、その個々の特徴に喜びを見いだす類の愛情である。》p.170
といい、最後に
幸福の秘訣は、(略)あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ。》p.172
といいます。
第11章「熱意」では、幸福な人の最も一般的な特徴として「熱意」を取り上げます。
人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなり、また、運命に左右されることが少なくなる。》p.176
といいます。
一つを失っても別のものがある、というわけ。すべてのものに興味を持つには人生は短すぎるけれど……。
熱意こそは、幸福と健康の秘訣である。》p.192
、と。
第12章「愛情」では、
人生に対する一般的な自信は、ほかの何にもまして、正しい愛情を、必要なだけ、ふだん与えられているところから生まれる。》p.195
といいます。
ものごとへの熱意の源となる精神の習慣としての愛情において最上のものは、
相互に生命を与えあうものだ。おのおのが喜びをもって愛情を受け取り、努力なしに愛情を与える。》p.202
といいます。
ところが現代は、人との付き合いにおいて用心深さが必要とされる状況にあり、しかし、
愛における用心深さは、ことによると、真の幸福にとって致命的なものであるかもしれない。》p.205
といいます。
第13章「家族」では、
両親の子供に対する愛情と、子供の良心に対する愛情は、幸福の最大の源の一つ》p.206
となりうるにもかかわらず、現代では大きな不幸の源になっている、といいます。
それでも、
個人的に言えば、私自身は、親としての幸福は私の味わった他のどんな幸福より大きいと思っている。》p.218
といいます。
そして、
私たちは、よい人間関係は両方の側にとって満足すべきものでなくてはならないと信じている。》p.222
といい、
本当に子供幸福を希(こいねが)う親は、(略)衝動によって正しく導かれることだろう。》p.225
といいます。
第14章「仕事」では、「仕事」の役割としては、第一に
退屈の予防策として望ましいものだ。》p.231
といい、第二の利点は、
成功のチャンスと野心を実現する機会を提供してくれる。》p.232
といいます。
成功したいという欲望があれば、その仕事に耐えられるといい、
目的の持続性ということは、結局、幸福の最も本質的な成分の一つであるが、(略)これは主として仕事を通して得られる。》p.232
といいます。
そして、
一つの重要な仕事を見事にやり遂げた幸福を、人から奪えるものでは何ひとつない。》p.237-238
といい、
首尾一貫した目的(略)は、幸福な人生のほぼ必須の条件である。そして、(略)主に、仕事において具体化されるのである。》p.241
といいます。
第15章「私心のない興味」では、生活の根底をなしている主要な興味ではなく、二次的な興味について語られます。
これは、主要な仕事での疲れや活力を取りもどすための気分転換、余暇を満たす興味といった意味でしょう。
仕事以外の興味をたくさん持っていれば、持っていない場合よりも、仕事を忘れるべきときに忘れることが断然やさしくなる。》p.244
といいます。
そういう「思考のチャンネルを切り替えること」ができる
魂の偉大さを持ちうる人は、心の窓を広くあけて、宇宙の四方八方から心に風が自由に吹き通うようにするだろう。》p.250
といい、
賢明に幸福を追求する人は、(略)いくつかの副次的な興味を持つように心がけるだろう。》p.253
といいます。
第16章「努力とあきらめ」では、古代中国の『論語』でも、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』においても語られる、古今東西で指摘されてきた「中庸」という教義について語ります。
純粋に個人的な希望は、無数の形で挫折するものであって、避けがたいものかもしれない。》p.260-261
といいます。
人生においては、ことを達成することができず、その努力を半ばで諦めなければならない場合があるということです。
中庸を守ることが必要である一つの点は、努力とあきらめのバランスに関してである。》p.254
といい、
日ごとに信じがたくなる事柄を日ごと信じようとする努力(略)を捨て去ることこそ、確かな、永続的な幸福の不可欠の条件である。》p.265
といいます。
最終章の第17章「幸福な人」は、いよいよ「まとめ」の章です。
外的な事情がはっきりと不幸ではない場合には、人間は、自分の情熱と興味が内へではなく外へ向けられているかぎり、幸福をつかめるはずである。》p.267
といい、
やはり、人生は生きがいがあるのだ、と感じられるように自分に教え込むとよい。》p.270
といいます。さらに、
幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。》p.271
といい、
私は、本書を快楽主義者として、言い換えれば、幸福を善と見る人間として書いた。》p.271
といいます。
これはおおむね、健全な道徳家の推奨する行為と同じだが、私の推奨してきた人生態度と道徳家のそれとでは少し異なる部分があるとも言います。
私たちは、愛する人びとの幸福を願うべきである。しかし、私たち自身の幸福と引き換えであってはならない。》p.272-273
といいます。
自己否定の教義にくみすることなく、世界への興味を持つことで、自己もまた生命の流れを一部であることを認識し、自己と世界を統合したものと実感できる、といいます。
最後に、
幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である。》p.268
といい、
幸福な人とは、(略)自分の人格が内部で分裂してもいないし、世間と対立してもいない人のことである。(略)自分は宇宙の市民だと感じ、(略)宇宙が与える喜びをエンジョイする。》p.273
といい、子孫という生命の連続を信じ、死を恐れない、生命の流れと結合し、大いなる歓喜を見出している、と結論します。


簡単にいえば、幸福な人とは、自分の内に閉じこもらず、自らを客観的に見、広く外に目を向け、興味を持って人や社会と対立することなく友好的につきあい、未来につながる生き方で人生をエンジョイする人のことである、といえるのではないでしょうか。
幸福な人生とは、よく生きることである、と。

 ●よく生きる――幸福こそ最高善である

ソクラテスは、

最も尊重しなければならなぬのは生きることではなくて、善く生きることだ
といい、そのあと続けて
善く生きることと立派に生きることと正しく生きることとは同一である
といいました(プラトン著『クリトン』山本光雄訳 角川文庫)。

「善く生きる」とは、「立派に生きること」「正しく生きること」「美しく生きること」でもあり、「生きがいのある人生」のことであり、「自分にとって望ましい生き方」ということであり、すなわち「幸福に生きる」ことだと言います。

古代ギリシア人は、真・善・美を重んじたといいます。
「真」とは「善」であり「美」である(「真」=「善」=「美」)ということで、人もそのように生きるべきだということでしょう。

「幸福に生きること」が人生における「真理」なのだ、と。


アリストテレス『ニコマコス倫理学』(光文社古典新訳文庫[上巻]第一巻第八章)には、

幸福とはよい人生を送り、立派にやっていくこと
といい、
というのも、[われわれの説では、幸福とは]或る種の善き生であり、善き行為であると大体は語られていたからである。
といいます。
さらに、
われわれにとって幸福は、尊敬に値する、完璧なもののひとつである、ということである。》(第一巻第十二章)
と。
結論として、人間にとっての幸福こそ、「最高善」なのだ(第一巻第七章)、といいます。


本書のラスト(第二部「第17章」)でも、ラッセルは

幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。
といい、「幸福は善だ」と書いています。

古代西洋哲学以来の考え方なのでしょう。
そして、それが真実なのではないでしょうか。

 ・・・

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*私が読んだ本:
『ラッセル 幸福論』B. ラッセル/著 安藤貞雄/訳 岩波文庫 1991/3/18


*「三大幸福論」他の二点:
アラン『幸福論』白井健三郎/訳 集英社文庫


『ヒルティ 幸福論』(全三巻)岩波文庫
[第一部] 草間平作/訳 改版 1961/1/1

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2017.09.22

9月19日TBS「マツコの知らない世界」で「左利きの世界」放送

後半で渡瀬謙さんによる「左利きの世界」が放送されました。

番組紹介によりますと、

「左利きの切なさを少しでも分かってほしい!」/左利きの切なさを収集する男・渡瀬謙さんに熱弁していただきました。/右利きは気づかない不便ポイントをマツコさんにもいくつか体験していただきましたが、器用にこなすマツコさんにゲスト渡瀬さんも驚かれていました。

動画はこちら↓
マツコの知らない世界 本当にヘンな動物&左利きの世界
(26分ぐらいから。放送終了後1週間無料。配信は10月10日まで。)

内容の説明はこちら↓
マツコの知らない世界「左利きの世界」渡瀬謙さんが語る左利きの切なさとは?

 ・・・

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(画像:配信動画から)

放送が始まってすぐに、マツコさんが「8割がた興味ない」と発言。

これが世間の大部分の(右利きの)人の正直な意見かもしれません。

人間というものは、当事者にならない限り、こういうものでしょう。


渡瀬さんの今週のメルマガ「サイレントセールスのススメ」[661号]冒頭に、収録裏話が掲載されていました。

出演者がマツコさんと会うのは、収録の時点が最初だそうです。
事前に挨拶したり打ち合わせをしたり、ということが一切ないそうです。
全くのぶっつけ本番。
(収録は録画なので、あとで編集は可能ですが、お互いにご当人同士は大変です。
 どういう反応があるか手探りですから。)

そういうふうに考えると、対応するマツコさんは凄いですね。
出演する当事者は一応プランを持って挑んでいるのですから。


余談ですが――
今回、マツコさんが、渡瀬さんの手書きのプランを書き出した進行表(一枚の紙)を取り上げて見せてくれました。

これを見て、彼が本を書くときのアイデア表を思い出しました。

以前、相談を受けたことがあって、その時にこちらが出したアイデアやちょっとした言葉をこういう一枚の紙に、表というかグラフ状に書き込んでいました。

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(画像:配信動画から/渡瀬さん自作の進行表)

 ・・・

で、渡瀬さんが登場して、初顔合わせとなります。

ここで、先に挙げた進行表のくだりがあって、テーマの紹介へと続きます。

先ずは、左手でズボンの左側のポケットからボールペンを取り出します。
このボールペンこそ「右利き社会の象徴だ」というのですが、これは、ボールの回転方向が云々ということではなく、彼が指摘した事実はロゴマークの文字でした。
ロゴの文字が左手で持つと逆立ちして読めない、という現実をマツコさんに体験してもらうのです。


次に、プロフィールの紹介です。

左利き人生プロフィール
8歳 右利き中心の文房具と戦い続ける/左利き用グローブがないので素手でライトを守らされる

この項目を読むところで、渡瀬さんが右と左を読み間違え、ライトとレフトも間違える。
 
ここで、二人の前に陣取ったスタッフが「右利き右利き」と注意すると、マツコさんがすかさず突っ込みます。


この「右と左を間違うことが多い」というのも、“左利きあるある”の一つでもあります。


11歳 肩身の狭かった「左利き」に革命が!/麻丘めぐみ『わたしの彼は左利き』が大ヒット

渡瀬さんが歌詞を紹介しながら、思わずニヤッとして「うれしいですよね」。
さらに「歌謡曲で生まれて初めて 歌詞が心に響いた曲ですね」と。

16歳 ピンクレディー『サウスポー』が大ヒット

ここで、マツコさんが「意外とベタなライン」と発言を。

そのあとちょっとしたことがありますが、これは見た人のお楽しみということで。


まあ、こんなふうな少年時代なんですね。

その後41歳になって、左利きの不便なものを紹介するメルマガ『レフティサーブ』を始めて、現在に。

 ・・・

内容に簡単に触れておきますと、メニューは以下の3つ。

1.知っておいて欲しい
 左利きの基礎知識
2.左利きに優しくない世の中
 魔のクロス生活
3.55年生きてきて
 左利きで良かったこと


詳しい内容は、動画を見てもらうなりすればいいので、ここでは私の気になったことを書いておきます。


3.55年生きてきて
 左利きで良かったこと
(1)卓球で第一試合に必ず勝つ
(2)カーナビの操作がスムーズにできる
(3)人に優しくなれる

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(画像:配信動画から/左利きで良かったこと)


私自身は「左利きでよかった」という思いがないので、これはちょっと意外でした。

(3)の優しさは、少し解説が必要でしょう。

確かに利き手に関心を持つのは左利きの人だけで、最初のマツコさんの発言にあったように、右利きの人は先ず関心がありません。

そんな中で、相手の利き手を意識して、(肘が当たらないように等)食事の際の席を考えたり、なんやかやと気を使うのが左利きの人です。

そういう相手への気づかいが、ひいては他の弱者への配慮となり、人間全般への優しさにつながってくる、ということでしょう。

 ・・・

やはりゴールデン・タイムのバラエティ番組ですので、どうしても社会派の番組ではなく、こういう感じになるのも致し方ないのでしょう。
それが物足りないというご意見もあるとは思いますが、ここまでできれば、まずまずです。


腕をクロスするという二つ目のコーナーで、食事の際に食器の位置を置き変えたりする等の余計な手間がかかる、といいます。

右利き仕様の社会では、様々な場面で、些細なことと言えば些細なことなのですが、ちょっと気になることが多々あるのです。
そういうことが、日常ちょこちょこある、と。


こういう時間を合計すると、55年間で1000時間になるといいます。

ムダにした時間を計算して見せるところが、一つの説得術なんですね。

もっといえば、時給千円なら100万円、1日8時間で日当1万円なら125万円、となります。


この辺の「左利きの切なさを分かってほしい」というのが渡瀬さんの主張でした。

この遠慮がちな姿勢が、渡瀬流という気がします。


今回、渡瀬さんから、ゆるい内容です、といった報告がありました。
実際に見ての印象は、まさにそういう感じです。

でも、それが内向型の人「渡瀬流の左利きの世界」なんですね。

改めてそう実感しました。

 ・・・

内容がどうこうということは別にして、左利きについてこうしたメディアで扱ってもらえるのは、嬉しいことです。
まずは、その存在を知ってもらうということが重要です。

「知られない事実」は「存在しない」のと同じです。

昨今、「報道しない自由」をとなえるメディアもあるようですが、それはやはり間違っています。
ありのままに事実を報道するのがメディアの使命です。

これからも多くのメディアで、左利きの問題を取り上げていただきたいものです。


*参照:
右利き社会での左利き生活の不便さ解説本:
『左利きの人々』渡瀬 けん/著 中経の文庫 2009.1
―左利きの著者による、右利き偏重社会における左利きの人の不便「あるある!」エッセイ集。


渡瀬謙氏の【内向型の人】の本
『仕事・人間関係・人生が好転する!「内向型の自分を変えたい」と思ったら読む本』渡瀬謙 大和出版 2017


『お茶でっせ』記事:2017.01.30
なりたい自分になる『「内向型の自分を変えたい」と思ったら読む本』渡瀬謙

『内向型営業マンの売り方にはコツがある』大和出版 2009
―渡瀬謙氏の最初の【内向型の人】のためのビジネス本


*【先週の予告編】
『お茶でっせ』記事:2017.09.13
TBS「マツコの知らない世界」で19日「左利きの世界」放送

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2017.09.13

TBS「マツコの知らない世界」で19日「左利きの世界」放送

12日の放送のラストで、次回予告が流れ、来週9月12日「左利きの世界」が放送されるそうです。

番組の予告編も公開されています。

TBS番組表/マツコの知らない世界[字]【本当にヘンな動物&左利きの世界】

動画(56秒ぐらいから「左利きの世界」予告)


友人で左利き仲間の『左利きの人々』著者・渡瀬謙さんが登場。

170912hidarikikinosekai

(画像:9月12日放送の本編末の予告から)

紐付ペンをマツコさんが左手で持つシーンが流れました。

170912hidarikikinosekai2

(画像:9月12日放送の本編末の予告から)


一部、左利きの人の間で早くも噂になっているようです。

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私も制作の方に彼を推薦した一人として、楽しみにしています。


ご本人からのメールによりますと――
散々の出来だった、改めて自分は内向型の口下手だ、後はどう編集してもらえるかだ、と言った内容で、反省しきりでした。

しかし本編末の予告での様子は、結構笑顔が見えて、うまくやっているように思えるのですけれど……。


「番組表」の予告編では、ハサミ、ワイン・オープナー(コーク・スクリュー)、自動販売機や急須が写っていました。

「右利き中心の商品に四苦八苦/費やした無駄な時間は1000時間」というフリップもありましたね。


 マツコ「???って右利き左利き関係ある?」

という発言もありましたが、

 マツコ「どっちもそんなに差がないんですけど」
 渡瀬謙「いきなりこんなにできる人見たことない」
 「生まれた時左利きだったんじゃ」

 マツコ「そんなことないです」

とあるなど、結構バラエティ番組らしくなっているようです。
まずは、よかったのではないでしょうか。


よく言われる道具類の不便や不都合だけでなく、ちょっとした視点の違いなども明らかになればいいなあ、と思っています。


*参照:
右利き社会での左利き生活の不便さ解説本:
『左利きの人々』渡瀬 けん/著 中経の文庫 2009.1
―左利きの著者による、右利き偏重社会における左利きの人の不便「あるある!」エッセイ集。


渡瀬謙氏の【内向型の人】の本
『仕事・人間関係・人生が好転する!「内向型の自分を変えたい」と思ったら読む本』渡瀬謙 大和出版 2017


『お茶でっせ』記事:2017.01.30
なりたい自分になる『「内向型の自分を変えたい」と思ったら読む本』渡瀬謙

『内向型営業マンの売り方にはコツがある』大和出版 2009
―渡瀬謙氏の最初の【内向型の人】のためのビジネス本


『お茶でっせ』記事:2009.3.4
お知らせ:友人渡瀬謙の新著「内向型営業マンの売り方にはコツがある」

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2017.07.03

ジェイン・オースティン『高慢と偏見』-NHK100分de名著2017年7月

7月のNHK100分de名著は、ジェイン・オースティン Jane Austen の『高慢と偏見』PRIDE AND PREJUDICE です。

今年はジェイン・オースティン没後200年だそうです。
ということもあっての選択でしょうか。

この機会に読んでみました。
1813年に出版された小説で、しかも執筆はそれより16年も前と言います。
というと、1796年。

18世紀末もしくは19世紀初頭の作品ということで、どちらにしろ既に200年以上前の作品で、タイトルからも「古臭~い観念的な小説かな」と思っていました。

実際に読んでみますと、翻訳(小尾芙佐訳・光文社古典新訳文庫)のせいもあるのかもしれませんが、文章もすごく読みやすく、ストーリイの展開も人物の描写も明快で、楽しく読めました。

単純にみても200年以上の歴史を経たものでもあり、オースティンの文章はかなり複雑な構文で難解なものと言われているそうです。
翻訳の違いでかなり読んだ印象も異なるかと思います。
私は、この翻訳が親しめました。

 ・・・

冒頭の一節――

独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要というのが、おしなべて世間の認める真実である。/そうした青年が、はじめて近隣のひととなったとき、ご当人の気持だとか考え方などにはおかまいなく、周辺の家のひとびとの心にしっかり焼きついているのはこの真実であり、その青年は、とうぜんわが娘たちのいずれかのものになると考える。》(小尾芙佐訳・光文社古典新訳文庫

(ちなみに、最新訳ではこうなっています。)
世の中の誰もが認める真理のひとつに、このようなものがある。たっぷり財産のある独身の男性なら、結婚相手が必要に違いないというのだ。/そんな男性が近所に越してきたとなると、当人がどう思っているか、結婚について何を考えているかなどお構いなし。どこの家庭でもこの真理が頭に染みついているから、あの男は当然うちの娘のものだと決めてかかる。》(小山太一訳・新潮文庫 2014)

これを読んで、私はいっぺんにやられてしまいました。
こういう書き出しをさらっと書けるのは、やはりすごいと思います。
一見ありきたりな紋切り型に見えますが、導入部としては、やはりすごいの一言でしょう。

さらにその後に続くベネット夫妻の会話がみごとに作品世界を説明しています。
イメージがいっぺんに定着します。
(あとでふれますが、夏目漱石も引用文を示して激賞しています。)


内容は、年頃の長女と次女を始め、五人娘を持つ上層中産階級(アッパー・ミドル・クラス)の地主階級(ジェントルマン)のベネット家の娘たちの恋愛と結婚のお話です。

タイトルは当初『第一印象』と名付けられていたように、この作品は主人公エリザベスが結婚相手となるダーシー青年に対して見てとったその性格(高慢 PRIDE)と、抱いた誤解(偏見 PREJUDICE)についてのお話という意味でしょうか。
あるいは、ダーシー自身の性格(高慢)と階級差に対する考え(偏見)なのでしょうか。
もしくは、エリザベス自身のダーシーへの見方そのものが、高慢であったり偏見であったりした、ということでしょうか。

その辺は、各自読んだ上での判断ということにしましょう。

 ●結婚観や夫婦像を見る

恋愛小説のジャンルに入るかと思いますが、紆余曲折の恋愛ののち結婚にゴールインしてめでたしめでたしとなる“恋愛と結婚”の小説です。

新潮文庫版「解説」で作家の桐野夏生さんが

裕福ではないジェントリの娘にとって、結婚とは「シューカツ」である。そして、家族にとっては、少しでもいい条件のところに娘を嫁がせて、自分たちも楽をするための「ファミリー・ビジネス」なのだった。
と書いています。
確かに、ここに登場する何組かの夫婦を見ていますと、結婚のあり方というものを考えさせられます。

エリザベスは経済的にも社会的地位的にもまさに玉の輿に乗るわけですが、姉も経済的にいえばそれでしょう。
アッパー・クラス(上流階級)に属するダーシーと、アッパー・ミドル・クラス(上層中産階級)のジェントリー(地主階級)の娘であるエリザベスの結婚は、身分(階級)違いの結婚となり、多くの障害を乗り越えるためには互いの愛情と覚悟が必要でもあるのです。
姉の場合も同じです。
ダーシーは当初からその自信はあったようです。
問題は女性の側というところでしょう。

一方、エリザベスの親友の27歳の(当時としては行き遅れ?)シャーロットは、経済的な安定をとったというところでしょうか。
それぞれの結婚観に基づくものでもあるのでしょうけれど、現実的な妥協でもあるという見本でしょう。

他にも、ベネット夫妻やベネット夫人の弟夫妻、結婚したシャーロット夫妻など、いくつかの夫婦が登場します。
こういう結婚観や夫婦像を観察するのも、この作品を読む楽しみの一つでしょう。

 ●夏目漱石の『文学論』から

光文社古典新訳文庫版小尾芙佐さんの「訳者あとがき」によりますと、東京帝大英文科で講師を務めた夏目漱石もその前任者であったラフカディオ・ハーンも、オースティンを評価しています。

夏目漱石は『文学論』のなかで、オースティンの『高慢と偏見』や『多感と分別』にふれ、「Austenは写実家なり」といい、かつ「写実の泰斗なり」と書いています。

『文学論』「第四編 文学的内容の相互関係/第七章 写実法」(岩波文庫 2007)

Jane Austenは写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文字を草して技(わざ)神に入るの点において、優に鬚眉(しゅび)の大家を凌ぐ。余いふ。Austenを賞翫する能はざるものは遂に写実の妙味を解し能はざるものなりと。例を挙げてこれを証せん。》p.167
以下、第一章の冒頭のベネット夫妻の会話が原文とご自身の和訳で紹介されています。
取材既に淡々たり。表現亦洒々(しゃしゃ)として寸毫の粉飾を用ゐず。これ真個に吾人の起臥し衣食する尋常の天地なり。これ尋常他奇なきの天地を眼前に放出して客観裏にその機微の光景を楽しむ。もし楽しむ能はずといはばこれ喫茶喫飯のやすきに馴れて平凡の大功徳を忘れたるものの言なり。》p.175
Austenの描く所は単に平凡なる夫婦の無意義なる会話に非ず。興味無き活社会の断片を眼前に髣髴せしむるを以て能事を畢(おわ)るものにあらず。こう一節のうちに夫婦の性格の躍然として飛動せるは文字を解するものの否定する能はざる所なるべし。(略)――悉く筆端に個々の生命を託するに似たり。》p.176
即ちこの一節は夫婦の全生涯を一幅のうちに縮写し得たるの点において尤も意味深きものなり。ただ縮写なるが故に意味深きのみならず。(略)この一節の描写は単に彼ら性格の常態を縮図にせるの点において深さを有するのみならず、併せてその可能的変態をも封蔵せるの点において深さを有するものとす。》p.177
這裏(しゃり)の消息に通ずるものはAustenの深さを知るべし。Austenの深さを知るものは平淡なる写実中に潜伏し得る深さを知るべし。》p.178


ラフカディオ・ハーンも、オースティンの作品を高く評価しています。
「それはあまりに繊細すぎた」といい、それゆえ、

文学的教養が十分でないと彼女の小説の並はずれた長所を理解することはできない。『ラフカディオ・ハーン著作集第十二巻』野中涼・野中恵子共訳、千九百八十二年、光文社(「訳者あとがき」p.366より孫引き)

『高慢と偏見』については、
シェイクスピアの芝居のあるもののように面白い。実際、人物たちの劇的な真実といきいきしたようすは、シェイクスピア的と言っていいくらいだ》同
といいます。

 ・・・

なかなか鋭い観察眼と描写力を持つ、達者な作者の名品という感じでした。

さて、この作品を廣野由美子講師がどのように読み説いていただけるのか、楽しみです。

 ・・・

名著67 高慢と偏見

第1回 7月3日放送 偏見はこうして生まれた
第2回 7月10日放送 認識をゆがめるもの
第3回 7月17日放送 恋愛のメカニズム
第4回 7月24日放送 「虚栄心」と「誇り」のはざまで

【指南役】
廣野由美子(京都大学教授)…19世紀の英文学研究の第一人者。
【朗読】
ミムラ(女性の登場人物担当)、川口覚(男性の登場人物担当)

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
高慢と偏見 2017年7月
2017年6月25日発売


*私が読んだ本:
『高慢と偏見〈上〉』ジェイン・オースティン/作 小尾芙佐/訳 (光文社古典新訳文庫 2011/11/10)
―唯一の女性訳者の手になる翻訳。小尾さんの翻訳は、エンタメ系小説で多く慣れ親しんでいるので、安心して読めました。


『高慢と偏見〈下〉』(同)


『自負と偏見』ジェイン・オースティン/作 小山太一/訳 (新潮文庫 2014)


*講師・廣野由美子さんのオースティンの本:
『深読みジェイン・オースティン―恋愛心理を解剖する』廣野 由美子 (NHKブックス No.1246 2017/6/22)


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2017.06.04

大乗仏典『維摩経』NHK100分de名著2017年6月

NHK(Eテレ)『100分de名著』2017年6月は、名著66 維摩経です。

名著66 維摩経

第1回 6月5日放送 仏教思想の一大転換
第一回は、「維摩経」が成立した背景や維摩の人物像を紹介しながら、既存の仏教体系を大きく揺るがした大乗仏教の基本構造を学んでいく。

第2回 6月12日放送 「得意分野」こそ疑え
第二回は、維摩と釈迦十大弟子や菩薩たちとの議論を通して、「得意分野」にこそ自分の弱点が潜んでいることや、自分との向き合い方の極意を学んでいく。

第3回 6月19日放送 縁起の実践・空の実践
第三回は、維摩がもたらす予想外の答えや不思議な出来事から、単なる観念の遊戯ではなく、生きるための智慧として示された大乗仏教の精髄を学ぶ。

第4回 6月26日放送 あらゆる枠組みを超えよ!
第四回は、既存の枠組みにとらわれず、解体、再構築を繰り返しながら、融通無碍に生き抜く自由なあり方を維摩から学ぶ。


【指南役】釈徹宗(如来時住職・相愛大学教授)
…著書「なりきる すてる ととのえる」「お世話され上手」で知られる宗教学者・僧侶

【朗読】哲夫(お笑いコンビ「笑い飯」)

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
維摩経 2017年6月
2017年5月25日発売

とらわれない、こだわらない
「自分」の枠をばらし、新たな「私」を組み立てる。

*参考:
・『維摩経をよむ―日本人に愛されつづけた智慧の経典』菅沼晃/著 NHKライブラリーNo.102 1999.6.1


・『「維摩経」を読む』長尾雅人/著 岩波現代文庫 2014/10/17


・『大乗仏典 7 維摩経・首楞厳三昧経』長尾雅人/訳, 丹治昭義/訳 中央公論社 1974

・『大乗仏典〈7〉維摩経・首楞厳三昧経』長尾雅人/訳, 丹治昭義/訳 中公文庫 2002/8/25


「プロデューサーAのおもわく。」より

「維摩経」を現代的な視点から読み解きながら、「こだわりや執着を手放した真に自由な生き方」「矛盾を矛盾のまま引き受けるしなやかさ」「自分の都合に左右されない他者や社会との関わり方」などを学んでいきます。


●『維摩経』について

『維摩経』番組の紹介(プロデューサーの「おもわく」)を見てもわかりますように、その昔聖徳太子が初めて解説したといい、以来日本では広く親しまれていたと言われる大乗仏教の古い経典の一つです。

なんと言っても在家の信者・維摩詰(ゆいまきつ)―漢訳名、ヴィマラキールティが元の名、略して維摩、または維摩居士とも呼ばれる―が、お釈迦様(ブッダ)の十大弟子や弥勒菩薩たち、最後は文殊菩薩を相手に教えを説く、という設定にあります。
しかもドラマ仕立てだ、というところ。

ヴァイシャーリーという町のお金持ちの一市民である、維摩が病気になり、お釈迦さまが弟子たちにお見舞いに行くように言います。
ところが、誰もが自分にはお見舞いに行く資格がない、と断ります。

たとえば、十大弟子の一人マハー・カーシャパ(大迦葉=頭陀行第一、清貧の行者と呼ばれる)はこう言います。

「在家の人でありながら、このような弁才をそなえているのであれば、(その説法を聞いて)だれか無上の正しいさとりに対して発心しない者があろうか、と思いました。」》「維摩経」長尾雅人訳(『大乗仏典7』中央公論社)p.38

最後に文殊菩薩が選ばれます。
そこで文殊菩薩がこう答えます。

「世尊よ、ヴィマラキールティはつき合いにくい人で、微妙な理屈にかんして弁説をふるう人です。逆の表現でも、満足なことばでも巧みに語り、その弁才を邪魔しうる者はありません。どんな人に対しても憤りをいだかない知恵の所有者で、菩薩のすべきことはすべて完成しており、一切の菩薩、一切の仏陀の秘奥のところにまではいりこんでおります。(略)方便という点でも知恵という点でも超越しております。(略)各種の衆生の機根に飾りを得させることが上手で、巧みな方便をよく知っており、質問に対しては決定的な答えを致します。(こちらの)貧弱な甲鎧(よろい)をもって、彼を満足させることは不可能です。」》同 p.70

そうは言いつつも、お釈迦様の言いつけとあればいたしかたないと、ブッダのお力添えをいただいて、議論してみましょう、といいます。

こうして本格的な維摩との対論が始まります。

●『維摩経』に学ぶこと

菅沼晃著『維摩経をよむ』(NHKライブラリー)によりますと―

仏教の真髄を体得している維摩は「人生の達人」として、その生き方が現代を生きる我々に鮮やかに示されている。
「如何に生くべきか」を教える経典として『維摩経』を読むことが重要。
大乗仏教の空の教えを、理論としてでなく、維摩の生き方から学ばなければならない。

―と。


●維摩はなぜ病んでいるのか

これも、菅沼晃著『維摩経をよむ』(NHKライブラリー)によりますと―

維摩が病気なのは、一切衆生(世の生きとし生けるものすべて)が病み苦しんでいるからだ、といいます。

「一切衆生病むを以って、是の故に我れ病む」と。

老・病・死といった苦を背負って生きているのが、我々一般の衆生です。
その病を受けて維摩や菩薩と呼ばれる人々は、病んでいるのだというのです。

子供が病気に苦しんでいると親もまた苦しむのと同じだ、と。

同じ立場に身を置くことで、同じ心情や悩みを共有し、人々を勇気付け、苦しくとも生きる力を与えようとしているのです。


●『維摩経』には逆説的な問いかけが多い

『維摩経』は、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『維摩詰所説経』3巻がもっとも読まれている。
他に、呉の支謙訳『維摩詰経』2巻、唐の玄奘訳『説無垢称経』6巻が現存。

玄奘訳は、サンスクリット原文からの忠実な直訳体であるのに対して、羅什訳は原文を達意の文章で訳しているといい、意訳的な部分があるようです。

長尾雅人著『「維摩経」を読む』によりますと、羅什訳では逆説的な問いかけの表現が多いけれど、チベット訳ではそれほどの表現ではないそうです。
その辺が羅什の解釈による翻訳になっているということでしょう。

インドのサンスクリット原本は現存せず、漢訳よりもより忠実に伝えていると見られるチベット訳からの翻訳が日本でもいくつか紹介されています。

●心に残ったこと

仏教の基礎的な教えから大乗仏教の考え方への変化を、維摩との対論を通して説明してゆきます。

初期仏教の自利から大乗仏教の利他への考え方の変化が一番大きな違いです。
己自身を救うことから衆生を救うことへの変化。
そのために何ができるか何をするかが、新たな時代の仏教徒の課された義務なのでしょう。

それらのお話のなかで、私の心に残ったのは、仏教では泥の中から咲く蓮の花のように、人は穢れのなかであっても花を咲かせるものだ、ということ。

ちょっと簡単には説明できないのですが、単なる道徳ではない、仏教の持つ宗教の力がその辺に存在するように思います。


また、病気についても、人は病にかかるとつい落ち込んでしまうものです。
しかし、それでも上にも書きましたように、みなと同じ立場に身を置いて、同じ目線で受け止め、力を与えようとしているという姿勢が、大乗仏教の菩薩の態度なのです。

私たちも、どのような困難な時にも勇気をもって、ありのままの自分で生きてゆくべきだなあ、と思いました。

 ・・・

内容的には、かなり難しい部分があります。
ちょっと読んだだけでは理解しがたいものですが、その辺を今回、どのように読み説いていただけるか、楽しみです。

*過去の仏教関係のNHK・Eテレ「100分 de 名著」の記事:
・2012年3月放送:2012.3.6
仏教は「心の病院」である!NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』2012年3月
・同:2012.4.2
NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』を見て本を読んで
・2013年1月放送:2013.1.11
呪文に頼るのもよし?~100分de名著『般若心経』2013年1月
・2015年4月放送:2015.3.29
自分を救えるのは自分自身である-NHK100分de名著『ブッダ 最期のことば』2015年4月
・2016年4月放送:2016.4.4
弱者(悪人)こそ救われる『歎異抄』NHK100分de名著2016年4月

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2017.06.01

右用と左用の違い(12) 回転系(5)すり鉢-左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第494号

毎月第一・第三土曜日発行の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』5月20日発行第494号のメルマガのお知らせです。

第494号(No.494) 2017/5/20「【左手・左利き用品を考える】右用と左用の違い(12) 回転系(5)すり鉢」

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◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆ 
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン
右利きにも左利きにも優しい左右共存共生社会の実現をめざして
左利きおよび利き手についていっしょに考えてゆきましょう!
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第494号(No.494) 2017/5/20「【左手・左利き用品を考える】
右用と左用の違い(12) 回転系(5)すり鉢」
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【左手・左利き用品を考える】 ..第三土曜日発行分掲載
 右用と左用の違い(12) 回転系(5)すり鉢
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 左手・左利き用品における右用との違いについて― 
 今年からは、左利きの人にとって刃物とともに問題になる
 回転系の道具類について考えていきます。
 今回はその5回目です。

 ・・・

 左(手/利き)用と右(手/利き)用との違いについて
 勘違いをしていたり、よく理解されていなかったり、
 というケースが少なくなく、
 私のサイトへの訪問者の検索キーワードを見ていますと、
 その類のものが結構あります。

 「○○の右用と左用はどう違うの?」といったものです。

 それぞれの右用と左用の違いを、
 私にわかる範囲で説明していこうと思います。

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
 【左手・左利き用品を考える】
  右用と左用の違い(12) 
  回転系(5):すり鉢 ―右回り・左回り
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛

今回は、先にブログでも紹介しました、すり鉢についてです。
画像は、こちらでご覧ください。

2017.5.16
左利き右利き両用すり鉢―『マツコの知らない世界』から

 ●『マツコの知らない世界』「一生使える日用品」
 ●9年かけて開発した
 ●キッチン用品は左右共用品がいい

 ・・・

詳細は本誌で。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』


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2017.05.16

左利き右利き両用すり鉢―『マツコの知らない世界』から

5月9日に放送されました、TBSテレビの『マツコの知らない世界』#102「一生使える日用品」で、あるすり鉢が紹介されました。

*参照:
TBSオンデマンド『マツコの知らない世界』#102「一生使える日用品」
(放送終了後一週間は無料で視聴できます。/配信期間2017.5.16 20:56まで)

(画像:『マツコの知らない世界』#102―TBSオンデマンドより)

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 ●「一生使える日用品」すり鉢

それは、
寛政6年創業、岐阜県多治見の老舗【山只華陶苑(やまただかとうえん)】の7代目、すり鉢職人加藤智也さんが9年かけて作ったすり鉢
です。

「左利き用のすり鉢を作ってほしい」という要望に応えるために、右利きでも左利きでも使えるものを9年もかけて開発したといいます。

溝が、独特の波紋状の渦巻き模様の「波紋櫛目」になっていて、右回りでも左回りでも楽にすれるのです。


*参照:
【楽天市場】
【岐阜県/山只華陶苑(やまただかとうえん)】すり鉢 4寸 JUJU


キッチン用品は、基本的に個人で使うというより家族のような共同生活者間で使うものですから、右利きでも左利きでも使えるものがベストでしょう。

こういう左右共用品がどんどん普及して欲しいものです。


*参照:
一般的な(右利きの)すり鉢のすり方(当たり方)の動画
プロの京料理人が教えるすりこ木の回し方 - YouTube(2013.8.18)


 ●左利きの私が気になった一品

この番組で紹介された商品のなかで、一つ気になったのが、「丸ナナメ杓子」

何が気になったのかといいますと、その形状です。
右手で持って使う分には多分最高に便利なものでしょう。

でも左利き・左手使いの私には、多分かなり使いづらいものではないでしょうか。
反りが逆になってしまい、フォークの背にものをのせるようなものです。

通常のご飯をよそうしゃもじは左右対称形です。
右手で持っても左手で持っても問題なく使えます。

最高に使いやすいとは言いませんけれど、使いにくくて困る、というものでもありません。

世の中、右利きの人しかいないわけではないのです。
何でも右利き・右手用にすればいいというものではないでしょう。


 ●要望を伝えよう!

これを見て、面白くない気分でいたあとなので、よけいに加藤さんのすり鉢は魅力的でした。

やはり、黙っていてはいけないのです。
不便を感じるときは、製造者・販売者に素直に伝えるべきでしょう。

そうして要望を出せば、配慮しようと考える人が現れるものです。

伝える努力を惜しまないで、自らの左利きライフの向上を目指しましょう。

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2017.04.04

人生は実に旅である―三木清「人生論ノート」NHK100分de名著2017年4月

NHK『100分de名著』2017年4月は、名著64 三木清「人生論ノート」です。

三木清(1897-1945)は、今年生誕120年を迎えるという、戦前の哲学者です。
1897(明治30)年、兵庫県に生まれ、一高を経て、西田幾多郎に師事し、京大哲学科入学、卒業後大学院へ進む。
1922年、岩波書店の岩波茂雄の出資を受けドイツ留学。その後パリに移る。
帰国後、三高や大学の講師を歴任。期待された京大に職を得られず、法大教授となる。
しかし、1930年に共産党への資金援助により治安維持法で検挙、有罪となり、法大をやめ、在野の哲学者となり、新聞雑誌への寄稿が増える。
また岩波文庫の発刊に協力、発刊の言葉の草稿も書いたという。
1945(昭和20)年6月、治安維持法違反の容疑者をかくまい逃亡させた嫌疑で検挙、投獄され、敗戦後も釈放されないまま、48歳で獄死。
『パスカルに於ける人間の研究』(岩波文庫)『哲学入門』(岩波新書)『人生論ノート』(新潮文庫)『語られざる哲学』(講談社学術文庫)などの著作がある。

 ・・・

名著64 三木清「人生論ノート」

「プロデューサーAのおもわく。(4月の名著:人生論ノート)」より

三木はこの本で一つの「幸福論」を提示しようとしていました。同時代の哲学や倫理学が、人間にとって最も重要な「幸福」をテーマに全く掲げないことを鋭く批判。「幸福」と「成功」とを比較して、量的に計量できるのが「成功」であるのに対して、決して量には還元できない、質的なものとして「幸福」をとらえます。... /哲学者の岸見一郎さんは、「人生論ノート」を、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福とみなされがちな今だからこそ、読み返されるべき本だといいます。一見難解でとっつきにくいが、さまざまな補助線を引きながら読み解いていくと、現代を生きる私たちに意外なほど近づいてくる本だともいいます。/...「人生論ノート」を通して、「幸福とは何か」「孤独とは何か」「死とは何か」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに生きる方法を学んでいきます。

第1回 4月3日放送 真の幸福とは何か
幸福を量的なものではなく、質的で人格的なものであるととらえなおす三木の洞察からは、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福なのではないというメッセージが伝わってくる。... 第一回は、三木清がとらえなおそうとした「幸福」の深い意味に迫っていく。
第2回 4月10日放送 自分を苦しめるもの
三木が提示する方法は「それぞれが何かを創造し自信をもつこと」。... 第二回は、自分自身を傷つけてしまうマイナスの感情と上手につきあい、コントロールしていく方法を学んでいく。
第3回 4月17日放送 虚無や孤独と向き合う
人間の条件が「虚無」だからこそ我々は様々な形で人生を形成できる...「孤独」こそが「内面の独立」を守る術だ... 第三回は、人間の条件である「虚無」や「孤独」との本当のつきあい方に迫る。
第4回 4月24日放送 死を見つめて生きる
死への恐怖とは、知らないことについての恐怖であり、死が恐れるべきものなのか、そうではないのかすら我々は知ることができないのだ。... 第四回は、さまざまな視点から「死」という概念に光を当てることで、「死とは何か」を深く問い直していく。

【指南役】岸見 一郎(哲学者)…「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の著者。
【朗読】市川猿之助(歌舞伎役者)


○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」人生論ノート 2017年4月 (2017年3月25日発売)
理想こそが現実を変える
人生は実に旅である。未知への漂白である。


◆三木清「人生論ノート」:
『人生論ノート』新潮文庫 改版 1978/9


『人生論ノート 他二篇』角川ソフィア文庫 2017/3/25
―『語られざる哲学』、『幼き者の為に』所収。 解説/岸見一郎


◆岸見 一郎/著:
『三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2016/6/28


『希望について: 続・三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2017/4/13


 ・・・

三木清の『人生ノート』です。
1938年から『文学界』に連載した短文をまとめたものです。

哲学書というよりは、もう少し一般的なエッセイに近いものでしょうか。

三木清の著作の中でも比較的読みやすいものでしょう。
(といっても私は、これと『哲学入門』しか読んだことがありません。)

三木清については、ほとんど知りません。
(今回、『三木清 人と思想』清水書院センチュリーブックス177 を読んで知ったことぐらいです。)

『嫌われる勇気』等でアドラー心理学の紹介者として有名になられた観のある、指南役の岸見一郎さんですが、実は哲学者でこちらの方が専門のようです。
実際にどのように読み説かれるか楽しみです。
(といいながら、第一回放送は終了しましたが。)


第一回について少しだけ書いておきますと――

1938(昭和13)年という、戦争前夜とでもいうべき、言論が弾圧され、個人が圧殺される全体主義の時代に書かれたもので、ストレートな表現は当局から目をつけられ発禁処分になる危険性もあり、難解な言葉遣いで著した、その分わかりにくいところがある、と解説されています。

その中で、幸福について語りにくい時代であるということ、それでも幸福とは徳であり、愛する人のためにこそ自分が幸福であるべきで、自分が幸福であること以上の善いことを為し得ない。
そして、幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福だ、という(「幸福について」)。
成功と幸福を不成功と不幸と同一視するようになり、真の幸福とは何かが理解できなくなった。幸福とは人それぞれオリジナルなものだ、という(「成功について」)。

――といった内容でした。

 ・・・

新潮文庫版『人生論ノート』から、私の心に残った文章をピックアップしておきましょう。

「死について」
執着する何ものもないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死に切れないということは、執着するものがあるから死ねるということである。深く執着するものがある者は、死後自分の帰ってゆくべきところをもっている。それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。》p.11

... 死は観念である。それだから観念の力に頼って人生を生きようとするものは死の思想を掴むことから出発するのがつねである。すべての宗教がそうである。》p.12-13

「幸福について」
... 幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。... 》p.16

幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。... 》p.18-19

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのづから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。》p.22

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。》p.22

「懐疑について」
人間的な知性の自由はさしあたり懐疑のうちにある。自由人といわれる者で懐疑的でなかったような人を私は知らない。... しかるに哲学者が自由の概念をどのように規定するにしても、現実の人間的な自由は節度のうちにある。古典的なヒューマニズムにおいて最も重要な徳であったこの節度というものは現代の思想においては稀になっている。懐疑が知性の徳であるためには節度がなければならぬ。一般に思想家の節度というものが問題である。モンテーニュの最大の智慧は懷疑において節度があるということであった。また実に、節度を知らないような懐疑は真の懐疑ではないであろう。度を越えた懐疑は純粹に懐疑に止まっているのでなく、... 一つの独断である。》p.24

「習慣について」
... 生命は形成作用であり、模倣は形成作用にとって一つの根本的な方法である。生命が形成作用(ビルドゥング)であるということは、それが教育(ビルドゥング)であることを意味している。... 》p.32-33

「虚栄について」
虚栄によって生きる人間の生活は実体のないものである。言い換えると、人間の生活はフィクショナルなものである。それは芸術的意味においてもそうである。というのは、つまり人生はフィクション(小説)である。だからどのような人でも一つだけは小説を書くことができる。普通の人間と芸術家との差異は、ただ一つしか小説を書くことができないか、それとも種々の小説を書くことができるかという点にあるといい得るであろう。》p.39

しかし人間が虚栄的であるということはすでに人間のより高い性質を示している。虚栄心というのは自分があるよりも以上のものであることを示そうする人間的なパッションである。それは仮裝に過ぎないかも知れない。けれども一生仮裝し通した者において、その人の本性と仮性とを区別することは不可能に近いであろう。道徳もまたフィクションではないか。それは不換紙幣に対する金貨ほどの意味をもっている。》p.42

「名誉心について」
人生に対してどんなに厳格な人間も名誉心を抛棄しないであろう。ストイックというのはむしろ名誉心と虚栄心とを区別して、後者に誘惑されない者のことである。その区別ができない場合、ストイックといっても一つの虚栄に過ぎぬ。》p.45

「怒について」
怒ほど正確な判斷を亂すものはないといはれるのは正しいであらう。しかし怒る人間は怒を表はさないで憎んでゐる人間よりもつねに恕せらるべきである。》p.53

ひとは愛に種類があるという。愛は神の愛(アガペ)、理想に対する愛(プラトン的エロス)、そして肉体的な愛という三つの段階に区別されている。そうであるなら、それに相対して怒にも、神の怒、名誉心からの怒、気分的な怒という三つの種類を区別することができるであろう。怒に段階が考えられるということは怒の深さを示すものである。ところが憎みについては同樣の段階を区別し得るであろうか。怒の内面性が理解されねばならぬ。》p.53

「人間の条件について」
虚無が人間の条件或いは人間の条件であるものの条件であるところから、人生は形成であるということが従ってくる。自己は形成力であり、人間は形成されたものであるというのみではない、世界も形成されたものとして初めて人間的生命にとって現実的に環境の意味をもつことができるのである。生命はみずから形として外に形を作り、物に形を与えることによって自己に形を与える。かような形成は人間の条件が虚無であることによって可能である。》p.60

古代は実体概念によつて思考し、近代は関係概念或いは機能概念(函数概念)によって思考した。新しい思考は形の思考でなければならぬ。形は単なる実体でなく、単なる関係乃至機能でもない。形はいわば両者の綜合である。関係概念と実体概念とが一つであり、実体概念と機能概念とが一つであるところに形が考えられる。》p.53p.61

「孤独について」
孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」――それは物質のものでなくて人間のものである。》p.65

東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は昼の世界と夜の世界である。昼と夜との対立のないところが薄明である。薄明の淋しさは昼の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に違っている。》p.66

孤独には美的な誘惑がある。孤独には味いがある。もし誰もが孤独を好むとしたら、この味ひのためである。孤独の美的な誘惑は女の子も知っている。孤独のより高い倫理的意義に達することが問題であるのだ。
その一生が孤独の倫理的意義の探求であったといい得るキェルケゴールでさえ、その美的な誘惑にしばしば負けているのである。
》p.66

物が真に表現的なものとして我々に迫るのは孤独においてである。そして我々が孤独を超えることができるのはその呼び掛けに応える自己の表現活動においてのほかない。アウグスティヌスは、植物は人間から見られることを求めており、見られることがそれにとって救済であるといったが、表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己を救うことである。かようにして、孤独は最も深い愛に根差している。そこに孤独の実在性がある。》p.67

「嫉妬について」
もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向って働くのが一般であるから。》p.68

嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。》p.72

「成功について」
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。》p.74

他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考えられ得るものである。だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴い易い。》p.74

純粹な幸福は各人においてオリジナルなものである。しかし成功はそうではない。エピゴーネントゥム(追随者風)は多くの場合成功主義と結び附いている。》p.75-76

「瞑想について」
ひとは書きながら、もしくは書くことによって思索することができる。しかし瞑想はそうではない。瞑想はいわば精神の休日である。そして精神には仕事と同樣、閑暇が必要である。余りに多く書くことも全く書かぬことも共に精神にとって有害である。》p.81

「噂について」
噂は誰のものでもない、噂されている当人のものでさえない。噂は社会的なものであるにしても、厳密にいうと、社会のものでもない。この実体のないものは、誰もそれを信じないとしながら、誰もそれを信じている。噂は原初的な形式におけるフィクションである。》p.84

「利己主義について」
愛情は想像力によって量られる。》p.89

我々の生活は期待の上になり立っている。》p.90

利己主義者は期待しない人間である、従ってまた信用しない人間である。それ故に彼はつねに猜疑心に苦しめられる。
ギヴ・アンド・テイクの原則を期待の原則としてでなく打算の原則として考えるものが利己主義者である。
》p.91

利己主義という言葉は殆どつねに他人を攻撃するために使われる。主義というものは自分で称するよりも反対者から押し附けられるものであるということの最も日常的な例がここにある。》p.92

「健康について」
誰も他人の身代りに健康になることができぬ、また誰も自分の身代りに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。そしてまさにその点において平等のものである。私はそこに或る宗教的なものを感じる。すべての養生訓はそこから出立しなければならぬ。》p.93

健康の問題は人間的自然の問題である。というのは、それは単なる身体の問題ではないということである。健康には身体の体操と共に精神の体操が必要である。》p.95

健康というのは平和というのと同じである。そこに如何に多くの種類があり、多くの価値の相違があるであろう。》p.98

「秩序について」
外的秩序は強力によっても作ることができる。しかし心の秩序はそうではない。》p.104

人格とは秩序である、自由というものも秩序である。... 》p.104

「感傷について」
感傷は主観主義である。青年が感傷的であるのはこの時代が主観的な時期であるためである。主観主義者は、どれほど概念的或いは論理的に裝おうとも、内実は感傷家でしかないことが多い。》p.109

あらゆる情念のうち喜びは感傷的になることが最も少い情念である。そこに喜びのもつ特殊な積極性がある。》p.109

感傷には個性がない、それは真の主観性ではないから。その意味で感傷は大衆的である。だから大衆文学というものは本質的に感傷的である。大衆文学の作家は過去の人物を取扱うのがつねであるのも、これに関係するであろう。彼等と純文学の作家との差異は、彼等が現代の人物を同じように巧に描くことができない点にある。この簡単な事柄のうちに芸術論における種々の重要な問題が含まれている。》p.109

感傷には常に何等かの虚栄がある。》p.110

「仮説について」
常識を思想から区別する最も重要な特徴は、常識には仮説的なところがないということである。》p.113-4

思想は仮説でなくて信念でなければならぬといわれるかも知れない。しかるに思想が信念でなければならぬということこそ、思想が仮説であることを示すものである。常識の場合にはことさら信仰は要らない、常識には仮説的なところがないからである。常識は既に或る信仰である、これに反して思想は信念にならねばならぬ。》p.114

仮説という思想は近代科学のもたらした恐らく最大の思想である。... 》p.115

「偽善について」
... 人生において証明するということは形成することであり、形成するということは内部と外部とが一つになることである。ところが偽善者にあっては内部と外部とが別である。偽善者には創造というものがない。》p.118

「娯楽について」
生活を楽しむことを知らねばならぬ。「生活術」というのはそれ以外のものでない。それは技術であり、徳である。どこまでも物の中にいてしかも物に対して自律的であるということがあらゆる技術の本質である。生活の技術も同樣である。どこまでも生活の中にいてしかも生活を超えることによって生活を楽しむということは可能になる。
娯楽といふ観念は恐らく近代的な観念である。それは機械技術の時代の産物であり、この時代のあらゆる特徴を具えている。娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代りに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。幸福についてほんとに考えることを知らない近代人は娯楽について考える。
》p.121

「希望について」
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。... 》p.127

人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。》p.127

それは運命だから絶望的だといわれる。しかるにそれは運命であるからこそ、そこにまた希望もあり得るのである。》p.128

希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味いたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却って期待という如きものである。個々の内容の希望は失われることが多いであろう。しかも決して失われることのないものが本来の希望なのである。》p.128

希望というものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きている限り希望を持っているというのは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。生命の形成力が希望であるというのは、この形成が無からの形成という意味をもっていることに依るであろう。... 希望はそこから出てくるイデー的な力である。希望というものは人間の存在の形而上学的本質を顕わすものである。
希望に生きる者はつねに若い。いな生命そのものが本質的に若さを意味している。
》p.129

絶望において自己を捨てることができず、希望において自己を持つことができぬということ、それは近代の主観的人間にとって特徴的な状態である。》p.130

... 断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。
形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学的智慧であった。それは芸術的制作についてのみいわれることではない。それは人生の智慧である。
》p.131

「旅について」
何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。... いったい人生において、我々は何処へ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。... 》p.136

... 旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。》p.138

「個性について」
個性を理解しようと欲する者は無限のこころを知らねばならぬ。無限のこころを知らうと思ふ者は愛のこころを知らねばならない。愛とは創造であり、創造とは對象に於て自己を見出すことである。愛する者は自己において自己を否定して對象において自己を生かすのである。... 》p.147


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永久の未完成これ完成である〈宮沢賢治スペシャル〉NHK100分de名著2017年3月
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2017.03.05

永久の未完成これ完成である〈宮沢賢治スペシャル〉NHK100分de名著2017年3月

NHK『100分de名著』2017年3月は、名著63「宮沢賢治スペシャル」です。
久しぶりにまた宮沢賢治です。

 ・・・

名著63 宮沢賢治スペシャル

(Eテレ)
毎週月曜日/午後10時25分~10時50分
<再>水曜日/午前5時30分~5時55分、午後0時00分~0時25分

第1回 3月6日放送 自然からもらってきた物語
第一回は、「注文の多い料理店」におさめられた童話などを中心に、賢治と自然との関わり方を読み解き、自然を奥深く感じ取り作品にしていく豊かな感受性を学んでいく。》「注文の多い料理店」「鹿踊りのはじまり」「貝の火」「イーハトーボ農学校の春」
第2回 3月13日放送 永遠の中に刻まれた悲しみ
第二回は、既存の詩の枠内におさまらない新たなものを作りたいという野心と気概が込められた心象スケッチ「春と修羅」、童話「やまなし」などを読み解くことで、賢治が向き合った「生と死」の問題に迫っていく。》詩集「春と修羅」~「永訣の朝」「オホーツク挽歌」、童話「雪渡り」「やまなし」
第3回 3月20日放送 理想と現実のはざまで
第三回は、作品に描かれた賢治の葛藤を克明に読み解きながら、私たちが理想と現実にどう向き合っていけばよいかを考える。 》詩「雨ニモマケズ」、童話「毒もみのすきな署長さん」「土神ときつね」「なめとこ山の熊」
第4回 3月27日放送 「ほんとう」を問い続けて
第四回は、「銀河鉄道の夜」「マリヴロンと少女」などの作品や彼の晩年の生き様を通して、「ほんとう」とは何か、そして、それを求めていくことの意味とは何かを考える。》童話「学者アラムハラドの見た着物」「ポラーノの広場」「銀河鉄道の夜」「マリヴロンと少女」

【指南役】山下聖美(日本大学芸術学部教授)
…「宮沢賢治のちから」「賢治文学『呪い』の構造」等の著作で知られる文学研究者。
【童話の朗読】原田郁子(クラムボン・ボーカル)
【詩の朗読】塚本晋也(映画監督)


○NHKテレビテキスト
「100分 de 名著」宮沢賢治スペシャル 2017年3月
 16作品が照らし出す心の真実

2017年2月25日発売

永久の未完成これ完成である
善も悪も清も濁も、同時に存在する――。

永久の未完成これ完成なり
「人間とは何か」という大きな問いに、独特の感覚で向きあい続けた宮沢賢治。その作品は童話や詩としても読める形式でありながら、世代や時代を超えて愛されてきた。『注文の多い料理店』『春と修羅』をはじめとする諸作品を読み解き、日本近代文学史に屹立する異才の謎に迫る。

【はじめに】 宮沢賢治の豊穣な文学
第1回 自然からもらってきた物語
    「注文の多い料理店」「鹿踊りのはじまり」「貝の火」「イーハトーボ農学校の春」
第2回 永遠の中に刻まれた悲しみ
    「永訣の朝」「オホーツク挽歌」「雪渡り」「やまなし」
第3回 理想と現実のはざまで
    「雨ニモマケズ」「毒もみのすきな署長さん」「土神ときつね」「なめとこ山の熊」
第4回 「ほんとう」を問い続けて
    「学者アラムハラドの見た着物」「ポラーノの広場」「マリヴロンと少女」「銀河鉄道の夜」


【指南役・山下聖美さんの賢治本から】
『NHKカルチャーラジオ 文学の世界 大人のための宮沢賢治再入門―ほんとうの幸いを探して』 NHK出版 (2015/12/25)


『新書で入門 宮沢賢治のちから』 (新潮新書)2008/9


 ・・・

この番組で、宮沢賢治を扱うのは、2011年12月『銀河鉄道の夜』が最初だったのではないでしょうか。
私もその後ほとんど読んでいないので、久しぶりです。

2011.12.6
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』悲しみを、乗り越えよ-「100分 de 名著」NHK

今回は、いくつもの作品を通して宮沢賢治の世界を扱うようです。

あまり有名でない作品もあり、私の未読のものもかなり登場するようで、楽しみです。
小学5年生の時の授業で、先生が「風の又三郎」を朗読して下さったのが、賢治作品との最初の出会いだったか、と記憶しています。

その後、高校生の時に、当時ラジオで朗読だったかドラマだったか、そういう番組で、賢治の童話をいくつか放送されたことがあり、それをきっかけに新潮文庫の賢治作品集2冊を読んだものでした。

私のお気に入りは、「グスコーブドリ――」や「虔十公園林」。
他には、二大名作ともいうべき「風――」や「銀河鉄道――」、「セロ弾き――」等です。


「永訣の朝」については、東日本大震災後の2011年3月末に、私の出しているメルマガ『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』特別編 でふれています。

2011年3月31日号(No.54)-110331-特別編 宮沢賢治の詩「永訣の朝」


今回紹介されるのは、あまり有名でない作品も多く、どのように読み解かれるのか楽しみです。


【新潮文庫の宮沢賢治作品集】
『新編 風の又三郎』 (新潮文庫) 1989/3/1
―「貝の火」「虔十公園林」「グスコーブドリの伝記」「風の又三郎」など16編


『新編 銀河鉄道の夜』 (新潮文庫) 1989/6/19
―「マリヴロンと少女」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」など14編


『ポラーノの広場』 (新潮文庫) 1995/1/30
―ブルカニロ博士が現れる「銀河鉄道の夜〔初期形第三次稿〕」、本物の風の子又三郎の話「風野又三郎」など17編。


『注文の多い料理店』 (新潮文庫) 1990/5/29
―生前唯一の童話集『注文の多い料理店』全編と、地方色の豊かな童話19編、「注文の多い料理店」「雪渡り」「土神ときつね」など


『新編宮沢賢治詩集』 (新潮文庫) 1991/8/1
―「永訣の朝」「雨ニモマケズ」など132編

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17 2013年6月放送:2013.6.5
生きる喜びは、どこにあるのか?『戦争と平和』トルストイ~NHK100分de名著2013年6月
18 2013年7月放送:2013.7.9
哲学とは、愛である『饗宴』プラトン~NHK100分de名著2013年7月
19 2013年11月放送:2013.11.10
「物語」に終わりはない『アラビアンナイト』~NHK100分de名著2013年11月
20 2013年12月放送:2013.12.11
切り離された者たちへ~ドストエフスキー『罪と罰』~NHK100分de名著2013年12月
21 2014年1月放送:2014.1.21
花とは何か~『風姿花伝』世阿弥~NHK100分de名著2014年1月
22 2014年3月放送:2014.3.4
戦わずして勝つ『孫子』~NHK100分de名著2014年3月
23 2014年12月放送:2014.12.3
生きるべきか、死ぬべきか-シェイクスピア『ハムレット』~NHK100分de名著2014年12月
24 2015年4月放送:2015.3.29
自分を救えるのは自分自身である-NHK100分de名著『ブッダ 最期のことば』2015年4月
25 2015年5月放送:2015.5.5
何もないことを遊ぶ『荘子』-NHK100分de名著2015年5月
26 2015年6月放送:2015.6.2
運命と人間―ギリシア悲劇/ソポクレス「オイディプス王」NHK100分de名著2015年6月
27 2015年7月放送:2015.6.30
ラフカディオ・ハーン/小泉八雲『日本の面影』NHK100分de名著2015年7月
28 2015年8月放送:2015.8.5
自然淘汰による進化「生命の樹」-ダーウィン『種の起源』NHK100分de名著2015年8月
29 2015年9月放送:2015.9.1
恋と革命~太陽のように生きる-太宰治『斜陽』NHK100分de名著2015年9月
30 2015年10月放送:2015.10.7
処世訓の最高傑作「菜根譚」NHK100分de名著2015年10月
31 2016年1月放送:2016.1.4
真面目なる生涯~内村鑑三『代表的日本人』NHK100分de名著2016年1月
32 2016年4月放送:2016.4.4
弱者(悪人)こそ救われる『歎異抄』NHK100分de名著2016年4月
33 2016年5月放送:2016.5.1
人に勝つ兵法の道-宮本武蔵『五輪書』NHK100分de名著2016年5月
34 2017年2月放送:2017.2.6
欲望から自由になれ-ガンディー『獄中からの手紙』NHK100分de名著2017年2月
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2017.02.06

欲望から自由になれ-ガンディー『獄中からの手紙』NHK100分de名著2017年2月

NHK『100分de名著』2017年2月は、ガンディー「獄中からの手紙」です。

実に昨年6月の「五輪書」以来の『100分de名著』でしょうか。
たまには、お勉強してみようというわけです。

170206gokuchu

(画像:『獄中からの手紙』他、参考にした本)

名著62 「獄中からの手紙」
第1回 2月6日放送 政治と宗教をつなぐもの
歴史の転換点となった「塩の行進」の意味を読み解き、近代人が回避してきた「政治と宗教の本来の関係」を見つめなおしていく。
第2回 2月13日放送 人間は欲望に打ち勝てるのか
「獄中からの手紙」にも描かれたガンディーの生き方を通して、「人間は欲望とどう向き合っていけばよいか」を見つめていく。
第3回 2月20日放送 非暴力と赦し
ガンディーの非暴力思想に込められた深い意味を読み解いていく。
第4回 2月27日放送 よいものはカタツムリのように進む
ガンディー思想の根底に流れている宗教観や労働観など、奥深い思想を読み解いていく。

【指南役】中島岳志(東京工業大学教授)
【朗読】ムロツヨシ(俳優)

「プロデューサーAのおもわく。」より

「歩く」「食べない」「糸紡ぎ車を回す」といった日常的行為を通して、政治の中に宗教を取り戻そうとしたガンディー。彼の人生は「宗教的な対立や抑圧を起こすことなく、政治と宗教の有機的なつながりをつくるにはどうしたらよいか」「すべての生命の意味を問い、近代社会の問題や人間の欲望と対峙しながら、具体的な政治課題を解決していくことは果たして可能か」といった壮大な課題に取り組み続けた人生でした。その精髄が込められた「獄中からの手紙」を読み解くことで、「宗教と政治の本来の関係とは?」「自分の欲望とどう向き合うのか?」「非暴力は現実に立ち向かえるのか?」といった現代にも通じるテーマを深く考えていきます。

○NHKテレビテキスト
「100分 de 名著」獄中からの手紙 2017年2月(2017年1月25日発売)
欲望から自由になれ
よいものはカタツムリのように進むのです。


【名著】
『獄中からの手紙』ガンディー/著 森本達雄/訳 岩波文庫 2010/7/17


【指南役・中島岳志さんの著作】
『ガンディーからの<問い> ―君は「欲望」を捨てられるか』 日本放送出版協会 2009.11
―2008年12月放送『NHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』「マハトマ・ガンディー 現代への挑戦状」番組テキストに加筆、禅僧・南直哉さんとの対談を終章「ガンディーの〈問い〉を考える」として追加したもの。


 ●ガンディーのイメージ

実は、ガンディーと言えば(私の世代では、「ガンジー」の方が馴染みがありますね)、もちろん「インド独立の父」として「マハートマ」と呼ばれる人権擁護派の民族解放運動の指導者として有名なわけですが、私としては、ソロー⇒ガンディー⇒キングといった「非暴力不服従主義」の歴史的な流れのなかの一人といった印象を持っていました。
ソローを敬愛する私にとっては、そういうふうな見方に傾いてしまいます。

『平和をつくった世界の20人』(岩波ジュニア新書)などはそういう流れの本のように思います。
「第Ⅰ部 非暴力を選ぶ」では、ソローに始まり、ガンディー、キング、アンデルソン・サー(ブラジルのミュージシャン)と続いています。
(ソローをイギリスに紹介したソローの伝記本の著者ソルトも登場しています。
 イギリスに留学した時、ガンディーは母の教えを守り菜食主義者で、菜食主義者のソルトの本を読み知り合いになっているそうです。)

今回初めて『獄中からの手紙』を読み、その他のガンディーに関する本をいくつか読んで、必ずしもそうではないことを知りました。

特に、政治家(政治運動家)的なガンディーではなく、宗教家としてのガンディーが感じられました。

今回、本書巻末の訳者・森本達雄さんの解説によりますと、政治がらみで服役中の刑務所からの手紙ということで、政治に絡む議論を避けたため、宗教色の強い内容となったといいます。
しかし、当然そういう制限があったとはいえ、やはりガンディーのめざすもの、思想の中心にあるのは、信仰に基づくストイックな生き方にあるということでしょう。

宗教の根本にある真理に基づく政治をめざした、ということのようです。


 ●『バガヴァッド・ギーター』について

以前、私のメルマガ『楽しい読書』でインドの古典を取り上げた際、『バガヴァッド・ギーター』も紹介しました。
2014(平成26)年4月30日号(No.126)-140430-「生き方の秘訣-古代インドの宗教詩編-『バガヴァッド・ギーター』」

このとき、『ギーター』がガンディーの愛読書であることをしりました。

『ギーター』は、インドの二大英雄叙事詩『マハーバーラタ』のなかの一章です。
『ギーター』の訳者・上村勝彦さんはこう書いています。

『マハーバーラタ』は人間存在の空しさを説いた作品である。... しかし、作中人物たちは、自らに課せられた苛酷な運命に耐え、激しい情熱と強い意志をもって、自己の義務を遂行する。この世に生まれたからには、定められた行為に専心する。これこそ『ギーター』の教えるところでもある。》『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦/訳 岩波文庫「まえがき」 p.16

ガンディーが『ギーター』から学んだものは、こういうところかと思います。

自己の義務(ダルマ)の遂行は、不完全でも、よく遂行された他者の義務に勝る。本性により定められた行為をすれば、人は罪に至ることはない。(47)
何ものにも執着しない知性を持ち、自己を克服し、願望を離れた人は、放擲(ほうてき)により、行為の超越の、最高の成就に達する。(49)》『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦/訳 岩波文庫 第18章 p.137

インド人の哲学者アニル・ヴィディヤーランカール氏の著作『ギーター・サール バガヴァッドギーターの神髄』(長谷川澄夫/訳 東方出版)には、

... ギーターは、一般にはヒンドゥー教の聖典と認められているが、それは正しくない。ギーターで説かれている宗教は、世界の全ての人々のためであり、我々はそれを普遍宗教という名で呼ぶことができる。》p.196
とあります。


 ●本書の内容

1930年の「塩の行進」ののち投獄された時に、サッティヤーグラハ闘争の拠点アーシュラム(修道場)の同志たちに書き送った、信条や戒律に関する論文です。
以下の15通の手紙と釈放後、雑誌に発表された論文からなります。

1.真理
 ――サティヤー(真理)の他には何一つも存在しない。神は一つ、それぞれの人に合わせて違った姿で現われる。
2.アヒンサー=愛
 ――アヒンサーとは「不殺生」「不傷害」の意。政治闘争の場での「非暴力」の意味に用いた。(訳者注)
   アヒンサーの道は剣の刃渡りに似ている。肉体の限界を認識しつつ、日々、力の限り理想に向って精進する。
3.ブラフマチャリヤ=純潔・禁欲・浄行
 ――完全なブラフマチャリヤ(無私)なくして、アヒンサー(あまねく万人への愛)の成就はあり得ない。
4.嗜欲(味覚)の抑制
 ――いかに困難であろうと、理想に到達しようと不退転の努力をすること⇒人間生存の目的。
5.不盗(アステヤ)
 ――最高の真理はそれ自体で存在する。真理は目的であり、愛はそこに至る手段。
6.無所有即清貧
 ――不盗に関連する。富者は知足の精神を広めるよう、率先して無所有を励行する。
   完全な自己放棄の理想に到達し、肉体が存続する限り奉仕する。奉仕が生命の糧。
7.無畏
 ――「無畏」とは恐れなきこころ、真勇を意味する(訳者注)。
   真理を求め、愛を心に抱き続けるためには、無畏をなくす。
8.不可触民制の撤廃
 ――嗜欲の抑制同様、新しい戒律。不可触民のみならず、あらゆる生きとし生けるものを己の命のように愛することで成就する。
9.パンのための労働
 ――トルストイの言葉「人は生きるために働かねばならない」。
   パンのための労働は、非暴力を実践し、真理をあがめ、ブラフマチャリアの戒律を自然行為たらしめようとする人にとって、真の喜び。
10.寛容即宗教の平等(一)
 ――樹の幹は一つでも枝葉が無数にあるように、真の完全な宗教は一つ。
11.寛容即宗教の平等(二)
 ――他の宗教のどの聖典にも同じ基本的な精神性を見出した。双方が互いの見解の違いを宥恕(ゆうじょ)する。
12.謙虚
 ――検挙は戒律になりえない、アヒンサーに不可欠の条件。謙虚は人間性そのものの一部。
13.誓願の重要性
 ――誓いを立てるのは、不退転の決意を表明すること。
   古今東西の人間性についての経験は、不撓の決意なくして進歩は望めないことを物語る。
   世のビジネスはすべて、人は約束を守るものだとの想定の上に成り立っている。
14.ヤジュニャ=犠牲
 ――報酬を望まずに行う他人の幸福にささげる行為。強力な信仰心が必要。
   「おまえ自身のことは、いささかも思いわずらうな。いっさいの悩みを神に委ねよ」―すべての宗教の訓(おし)え。
15.ヤジュニャ(承前)
 ――自己犠牲の生活こそは芸術の最高峰、真の喜び。
   純粋(まこと)の献身は、無条件に人類への奉仕に生命をささげるもの。
16.スワデシー=国産品愛用
 ――私たちに課せられた法(のり)〔行動規範〕。
   国産品愛用主義は、純粋なアヒンサー〔愛〕に根差した無私の奉仕の教理。


これらに示されているガンディーの厳しい戒律や考えは、一に己に対してであり、二にアーシュラム(修道場)のメンバーに対するもので、一般人に対するものではありません。
また、ここで、考えておくべきことは、インドの、ヒンドゥーの社会に於ける文化的な背景です。

輪廻という考えがあります。
日本にも仏教を通して伝えられています、六道輪廻というものです。
天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄と人は死んでも生まれ変わる(輪廻転生)。

輪廻というものは、言ってみれば、一生を回し車のなかで走り続けるハムスターのようなものかもしれません。
そう見なせば輪廻し続けるのは苦痛でもあり、その輪廻を抜けるためには修行をし悟りをひらけばよい、そうすれば輪廻を抜ける(解脱)ことができるというのです。


ガンディーが死を恐れず断食に挑むのは、ある意味で、死んでもまた生まれ変われる、善行を積んで死ぬ時は、地獄に落ちるのでも畜生に生まれるのでもなく、また人間に、あわよくば天に生まれ変われるかもしれないから、という見方もできるのです。

また、ガンディーの戒律の厳しさも、ヒンドゥーの上位カーストの「再生族」の男子の理想の生き方である四住期――師についてヴェーダ聖典や宗教を学ぶ学生期、結婚し家長となり子を育て一般社会人として活躍する家住期、家庭的社会的な務めを果たし終えると人里を離れ、森に入り修行をする林住期、そしてすべてを放擲し遍歴を続け解脱を求める遊行期を迎える――の先にあると考えることもできます。

そういう背景を考えますと、このような厳しさも、われわれの考えるものほどではない、とも言えるでしょう。
もちろん、厳しい内容であることは事実ですけれど。

理想の先に勝利があると考えられるならば、この戦いも難しいものではないのかもしれません。


 ●宗教について

私が一番興味深く読んだのは、宗教の根本は一つだということ。

宗教には、キリスト教やイスラム教、仏教、ヒンドゥー教等様々あるけれども、それらの根源は一つであり、それぞれの人びとに合わせて異なる姿を示している、という考え方です。

ちょうど一本の樹は幹は一つですが枝葉が無数にあるように、真(まこと)の完全な宗教は一つですが、それが人間という媒体をとおして表されるときには多となるのです。》「10.寛容即宗教の平等(一)」p.70

わが家は真言宗ですが、法事の際にお坊さんの法話で、山の頂上は一つでもそこまで登る道はいくつもある、そのようにそれぞれの宗教や宗派もめざすものは同じでも行く道は異なるものだ、ということでした。
(このお話について、『ガンディーからの<問い>』のなかで、ガンディーのたとえ話の一つとして紹介されていました。)

弘法大師空海の密教によりますと、(ごくいい加減な表現になっているとは思いますが、簡単にいえば)大日如来という根本仏があり、他の仏は皆その化身で、それぞれの人びとに合わせて姿を変えて現れたものだ、といいます。
ブッダ(お釈迦様)は、聴く人の能力や素質に合わせて、その時々の状況に合わせて教えを説いた(対機説法)といいます。
それと同じ発想で、その延長線の考え方でしょう。

印パの分離独立につながった宗教的な対立の問題に関して、ガンディーの言わんとするものも、正にそういうものではないか、という気がします。

その辺のお話が私の興味を惹くポイントでした。

岡倉天心は、インドの人と世界宗教会議のようなものを催したと聞きます。
世界の諸宗教をまとめようという、そういう背景となる何かがインドの人たちの中にあるのかな、という気がします。


 ●多神教と一神教

『ガンディーからの〈問い〉』の対談で、禅僧の南直哉さんは、ガンディーの主張に反論することになるかも、と言いながら《「諸行無常」と「絶対神」が同じ頂上に至るわけがない。そんなのは幻想です。》(p.179)とおっしゃっています。
確かに理念的に頂上を究めて行こうとすると、そうかもしれません。

しかし、出発点的に人間が幸せに生きてゆくにはどうすればいいのか、といった――一種「地べたの真理」とでもいうのでしょうか――そういったものを見つめる時、様々な宗教にある黄金律(ゴールデン・ルール)には、共通した項目が見られるのも、現実です。
そこには共有できるものがあるのではないか、という気がするのです。

南さんも、宗教同士が《もし本当に協力し合いたいなら、「共通の真理」じゃなくて、「共通の問題」を見出さなければいけない。それによって折り合えるんです。》(p.182)とおっしゃっています。
これがそれにあたるのでしょう。


一神教と多神教的なヒンドゥー教や仏教との違いは、確かに相いれない部分があります。

多神教的な世界の人々から見れば、一神教の神の存在の絶対性というのは理解しがたいですし、逆に、一神教の人々からみれば、他の宗教は邪教以外の何ものでもなく、他の神の存在は悪魔以外の何者でもないわけで、受け入れがたいものがあるでしょう。
それをいっしょくたにされたら、信仰が成り立ちませんから。

密教の大日如来の発想もキリスト教の影響だとも言われているようです。
それでも、基本的に多神教的な風土があるので、その枠組のなかで納得できる解釈が成り立つのでしょう。

岡倉天心の世界宗教会議といったものも、多神教的な世界に生きているインドの人たちには共感されたようですが、他の国の宗教人からは今一つだったようです。


 ●足るを知る

ガンディーもソローも、知足(足るを知る)という『老子』等の中国の古典に出てくる考えと同じように、過度な欲望が人の心を狂わせたり、迷わせたりする、だから、必要以上のものを欲するな、欲望をコントロールせよ、ということを教えたのだと思います。
そういう点では同じ思想です。

ガンディーが鉄道のような近代文明を否定したとも言います。

これもソローは『ウォールデン 森の生活』で、歩いて一日かかる移動を鉄道なら一時間に短縮できるかもしれないが、その料金を払うために一日働かねばならないのなら、自分は歩いてゆくというふうに書いています。
また、毎朝一杯のコーヒーを楽しむ生活の豊かさを得るために、余計な労働を強いられるのなら、目の前にあるおいしい自然のままの水を楽しめばよい、とも書いています。


ガンディーの教えというものがあるとすれば、それは、人権侵害や民族の分裂、あるいは他民族の支配からの解放や宗教の衝突など様々な問題の源は、すべて過度な欲望(物欲であれ名誉欲であれ)に振りまわされている人間の心にある、ということでしょう。
大事なことは、人生の真実を知ることであり、物事の真理を究めること――それがどんなに難しいことであって、諦めることなく努力し続けよ、ということ教えではないでしょうか。

 ・・・

さて、中島さんはどのように読み説いて下さるのでしょうか。
楽しみにしています。

【『バガヴァッド・ギーター』に関する本】
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦/訳 岩波文庫 1992/3/16
―学術的にも定本となっている感の一書。訳注・解説が豊富。『バガヴァッド・ギーターの世界』と併読すると理解しやすいか。

『バガヴァッド・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済』上村勝彦/著 ちくま学芸文庫 2007.7.10
―NHKラジオ文化セミナーのテキストを基にした1998年NHKライブラリー版の文庫化。『マハーバーラタ』中の一巻である『バガヴァッド・ギーター』の解説書。仏教との比較で理解を誘う。

『ギーター・サール バガヴァッドギーターの神髄』アニル・ヴィディヤーランカール/著 長谷川澄夫/訳 東方出版 2005.7.11
―『ギーター』700詩編から150詩編を選び、サンスクリット語原文・カタカナ読み・和訳・解説・原語フレーズを添えて、『ギーター』のエッセンスを、心の問題として生き方の助言を解説する。
CD付き・改訂新版 2007/10/10

【その他の関連書】
『平和をつくった世界の20人』ケン・ベラー&ヘザー・チェイス/著 作間和子、淺川和也、岩政伸治、平塚博子/訳 岩波ジュニア新書 2009/11/21
―1 非暴力を学ぶ 2 平和を生きる 3 多様性を大切にする 4 あらゆる命を重んじる、5 地球環境を大切にする、の5部。ソロー、ガンディー、キング、マザー・テレサ、シュヴァイツァー、レイチェル・カーソン等々の生き方と言葉を紹介。


『M.K.ガンディーの真理と非暴力をめぐる言説史 ヘンリー・ソロー、R.K.ナラヤン、V.S.ナイポール、映画『ガンジー』を通して』加瀬佳代子/著 ひつじ書房(シリーズ文化研究2) 2010.2
―ソロー⇒ガンディー⇒キングといった非暴力の思想の〈歴史的事実〉に関して、ガンディーの非暴力の思想が、ヘンリー・D・ソローの影響を受けたものかについてのくだりを興味深く読んだ。
 ガンディーがイギリス留学時、菜食主義者のソローの伝記の著者であるソルトと出会っているという事実はあるが、ガンディーがソローの「市民の抵抗」を読んだのは、1907年だという。
 ガンディーのイギリス留学は3年で、その後南アで初めて人種差別に合い、人種差別と闘うことになるのであり、留学当時にソルトからソローのことを聞いていた可能性はあっても、そのシンプルライフの思想には関心を持ったとしても、市民的不服従の考えと行動に興味を持ったかどうかは何とも言えません。


『ウォールデン 森の生活(上下)』ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 今泉吉晴/訳 小学館文庫 2016/8/5
―2年間ウォールデン池のほとりの小屋での自給自足の生活実験から導かれた省察録。


『市民の反抗―他五篇 』ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 飯田実/訳 岩波文庫 1997/11/17
―誰にでもできるけれど誰もやらなかった抗議行動を語る、市民的不服従の講演録「市民の反抗」他エッセイ5編。


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