2008.04.30

小学生漢字王選手権で左手書字の小学生が優勝

ちょっと遅くなりましたが、書いておきます。

4月24日放送の『TVチャンピオン2』(テレビ東京系)の「小学生漢字王選手権」で、左手書字の小学生がチャンピオンに輝きました。

最後のほうを少し見ただけなのですが、
CHANPION STAGE「漢字五目並べ」で、マジック(フェルト・ペン)を使って漢字を書くところを見ていました。

書かれた文字は右手書きの子と比べても、遜色なく、整った読みやすい漢字を書いていました。

やはりこれは手習い目習いの成果で、普段からよく文字を見て、しっかり書いている証拠ではないか、と感心しました。

世間には今でも、「左手では日本の文字、特に漢字は書けない、字は右手で書くべきだ」という人がいます。
一般の素人だけでなく、書や習字の専門家といわれる人にも見られます。

しかし、この少年の例を見てもわかりますが、それはまちがいであり、誤った認識だと断言できます。
左手では字が書けない云々というのは、明らかに偏見です。

確かに左手書きの場合、筆記具によっては書きにくさがある、というのは事実です。

例えば、毛筆などはその最たるものかもしれません。
あるいは一部のボールペンや万年筆等のようなものでも。

しかしこれも、用具選びと筆法の工夫で解決できることです。

右手で書くか左手で書くかということよりも、大事なことは、どれだけ注意力を持って字を書くかという点でしょう。

いい加減に書く態度が常態化してしまえば、一旦そういう癖を身につけてしまえば、右手で書こうと左手で書こうと、真っ当な文字は書けません。
また、どんなに偉い先生について習おうと、なかなか直るものではありません。

基本に沿って、使いやすい手で気を入れて心を集中して習うのが一番でしょう。

そして、気を入れるには、利き手で書くべきです。

なぜなら利き手は心につながっているからです。
利き手は心が表に現れる窓口だからです。

そう私は信じています。

*2008.4.30追記* 左手書字について―
・『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「左手で字を書くために―レフティやすおの左利き私論4―」
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
「左手書字の研究―実技編」(2008年より第三土曜日発行分に掲載)

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

---
「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」
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* 親野智可等・発行「親力で決まる子供の将来」No913 2007/12/26号で紹介されました! 
*『R25』ランキンレビュー「右利きが左利きより多いのはなぜ?」でコメントが紹介されました! 

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2007.12.30

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』、『親力―』で紹介

Oyaryoku071226no913hikkii
年末お忙しいことと思います。
なんでか当方、何もする気力がないという感じです。
いまさら大掃除もないだろう、という気持ちになります。
普段からきっちりしているのならそれでもいいのですが…。

また、掃除力、なんていわれる世の中に反逆してやろう、という気概があるならいいのですが、単なるズボラです。
情けない。


さて、閑話休題―。

メルマガに関する報告です。


<まぐまぐ大賞>4年連続“教育・研究部門”第1位の人気メルマガ、
親野智可等先生の発行する

「親力で決まる子供の将来」No913 2007/12/26号 の冒頭で、

わがメルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」が紹介されるという栄誉に!

親力で・・・913「自閉症とADHD両方の状態が見られると言われました(後編)」


親野先生には以前から応援していただいており、リクルートのフリーマガジン「R25」にコメント掲載されましたと報告を行いましたところ、では今度は私のところでも…、というお話をいただきました。

※ 先生のメルマガで紹介していただくのは、二度目となります。
最初は、2006/8/23「親力で決まる子供の将来 」No668
・「お茶でっせ」記事:2006.8.23
「親力で―」668号で「左利きで生きるには 週刊ヒッキイ」紹介される
お茶でっせ版新生活版


誠にありがたいことです。
感謝感謝!
宣伝ベタの私にとっては、ホントの願ったりかなったりのこと。

幸い、年末の忙しいときにもかかわらず、読者登録が急増中です。


今年最後の発行となります、29日発行の臨時増刊号
第114号(No.114) 2007/12/29冬季臨時増刊「既刊号一覧2007年後期」

で、とりあえず簡単ではありますが、読者の皆様に掲載報告をさせていただきました。

この最新号の発行部数は、305となっています。
(先週号が264部ですので、+41部。)


今年の目標の一つであった、発行部数300を、この年末の最後にきて達成できました。
(他の二つ―創刊二周年・通算百号突破―は、既にクリア。)

何事も最後まであきらめてはいけない、ということでしょう。


以下に「親力―」から、告知文を転載させていただきます。

レフティやすおさん から
↓↓↓↓
「今、あなたの子どもをアイドルにするなら、アイススケート…」
今、世の中は○○だから、○○に――。

本当にそれでいいのでしょうか? 私は違うと思います。
大事なことは、子どもの気持ちと、適性―生まれ持った資質です。

日本では毎年、十万人前後の左利きの子どもが生まれています。
確かに今の世の中、右利きの人は恵まれています。

それに引きかえ、左利きはちょっと暮らしにくい環境です。
小さい頃から右手を使わせるほうが便利になるのかもしれません。

でもそれは、やっぱりまちがった考え方だと思います。
人は、自分本来のありのままの姿で生きるのが一番いいのです。

私は、雑誌「R25」の左利き記事でコメントしましたように、
左利きの人も右利きの人と同じように、
自分らしい生き方ができるような、そんな社会の実現をめざして、
ご理解を求めるべく努力しています。

メルマガを通して、左利きについていっしょに考えてみませんか。
・「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」
http://www.mag2.com/m/0000171874.html

「R25」のコメントにも書きました内容を元に、自分の思いを伝える文章を考えてみました。

改めてブログ読者の皆様にもお願い致します。

「メルマガを通して、左利きについていっしょに考えてみませんか。」

(メルマガ登録は、以下から ↓)

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*『R25』左利き関連記事でコメントが紹介されました! ↓
「右利きが左利きより多いのはなぜ?」

※本稿は、レフティやすおの他のブログに転載しています。

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2007.10.12

左利きアンケート第45回左利きのための生活技術指導者・コーチは必要か?

少し遅くなりましたが、わがホームページ『左利きを考える レフティやすおの左組通信』恒例<左利きプチ・アンケート>のお知らせです。

欧米では左利きの子供のためのティーチングの本やビデオが色々と出版されているようです。

ところが、残念ながら日本ではそのような本が全くといっていいほど見られません。
少なくとも私が今まで調べた範囲では見かけません。

かろうじて、左利き筆法についての本、編み物やギター演奏などの本がある程度でしょう。
それも、いつでもどこでも手に入るというものではありません。

また、左利きについての様々な技術を教えてくれる人の存在もあまり耳にしません。

左手での習字(書道)を教えている先生もいるようですが、あまり知られていません。

もう少しそういう技術の伝習が行われれば、左利きの人の生活も変わってくるような気がしますが、どうなのでしょうか。

今回はそういう点を考えてみましょう。

 ・・・

<左利きプチ・アンケート>第45回左利きのための生活技術指導者・コーチは必要か?

昨今は、左利きが左手を使う、左足を使う、…等々、左利きのスタイルで生きることが当然のこととして肯定されるようになって来ました。

人として生きてゆくためには、日常生活の上で様々な技術を身に付ける必要があります。

ところが実際には、左利きの人と右利きの人の動作には、ちょっとした違いがあります。

しかし、この差が意外に大きく感じられる場合もあります。

右利きのお手本や見本は、まわりにいくらでも見つかります。
道具も色々そろっています。

一方、左利きの場合は、その存在そのものが希少であるため、肝心のお手本や見本が手に入りにくい状況です。

道具も不足気味であったり、様々な難関があるように思われます。

こういう様々な技術の習得のために、適切なコーチを受けることができるかどうかによって、そこに非常に大きな差が生まれてくるのではないでしょうか。

例えば、字を書くといった場合にも、左手でもきれいな字を書く方法を教えてくれる人がいたら…。

刃物の使い方でも、裁縫でも、あるいはスポーツでも…。

自ずから違いが出てきそうです。

いや全く不要、昔の人はみな自分で工夫してきたのだし、人それぞれやり方があるのでは…、
という考えの人もいらっしゃるかもしれません。

あなたは、左利き生活を営む上で、左利きの人のために有効な技術を教える、左利きの人専門の指導者・コーチが必要だと思いますか?

以下の中から、最もふさわしいと思うものを一つ選んでください。

*投票者の利き手別で選択肢を用意しています。ご自身でご自分の利き手を右もしくは左と、どちらか判断した上で投票してください。

*一言言わせて、という方は投票後に表示されます一番下の「ご意見ボード」をご利用ください。貴方のご意見ご感想をお聞かせください。

1 (右利きの投票者)絶対必要
2 ( 〃 )できればいたほうがよい
3 ( 〃 )特にいなくてもよい
4 ( 〃 )全く必要なし
5 (左利きの投票者)絶対必要
6 ( 〃 )できればいたほうがよい
7 ( 〃 )特にいなくてもよい
8 ( 〃 )全く必要なし


 ※ 現在の結果を見るのは、こちら

*このアンケートは、07.9.23-10.27まで5週間(予定)に渡って実施されます。(その後は、表紙からそれぞれのページに移動し、受付しています。)

*今までに実施したアンケートを見る ↓
『レフティやすおの左組通信』<左利きプチ・アンケート>目次

 ※ 関連<左利きプチ・アンケート>:
第32回 非利き手使い指導を受けたことがありますか
第34回 あなたの父母は右利きor左利き?
第15回 あなたのまわりに左利きの人はいますか

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.10.02

クツワSTADおけいこ用えんぴつけずり<両利き用>

文房具メーカーのクツワの主力商品スタッドSTADから、左利き用の文具が色々発売されていることは、このブログでも再三紹介してきました。


・2006.02.06 クツワSTADかきかた鉛筆左手用 お茶でっせ版新生活版
・2005.10.18 クツワSTAD左手用・左利き用文具 お茶でっせ版新生活版
・2005.08.20 鉛筆持ち方補助具(練習具)あれこれ お茶でっせ版新生活版
・2004.10.25 クツワの左手用学童はさみ お茶でっせ版

Enpitukezuriryou
今回は、「おけいこ用えんぴつけずり<両利き用>」です。

すでに、ホームページでは、読者からの情報でどういうものかは紹介済みですが、実物を手に入れましたので。こちらでも紹介しておきます。

*『左組通信』
左利きphoto gallery〈HPG6〉左手/左利き用文房具(筆記具・定規・その他)

クツワSTADおけいこ用えんぴつけずり<両利き用>
・RS013BL 鉛筆けずり (ブルー)
(アソートでピンク有り) 本体価格\300 税込価格\315
・れんしゅう用の半木鉛筆つき
・「鉛筆の正しいけずり方が学べます。」
・「ガード付きなので安全に鉛筆を削る練習ができます。」
・なまえシール2枚入


※両刃のナイフに安全ガードをつけたもの。
普段は収納されていて、使うときにスライドさせる。
両刃ゆえに、右手でも左手でも(右利きでも左利きでも)使える。 ただ両刃ですので、片刃とは違って、最初の削り込む際に刃が食い込むように角度を大きくとらなければならない点が、ちょっと戸惑うかもしれません。


クツワ スタッド スタッド商品紹介 > 左利き用
両刃なので、右利き(右手)でも左利き(左手)でも使える、左右共用品です。

私の子供の頃は、「肥後守」という小刀があり、鉛筆削りによく使われていました。

私はこのナイフがうまく使えず(右利き用の片刃を左手に持つので、刃が裏返り、食い込まないため)、もっぱら、手持ちの四角い小箱型の鉛筆を回す式の鉛筆削りを使っていました。
(それ以前は、毎日親に削ってもらっていた。―これもいい思い出ですが。)

それがいつしか、安全という観点からでしょう―学校にナイフをもて来てはいけない、ということになり、各学級に据え置き型の手回し鉛筆削りが設置されるようになりました。

今でもそのせいか私はナイフでは鉛筆が削れません。
というより、削ったことがない、というべきでしょう。

今回この鉛筆削りを手に入れたので、ちょっと練習してみようかと思います。

最近の日本人は、子供に限らず、手先が不器用になってきているそうです。
この鉛筆削りが子供たちの手先の訓練に役立ってくれるといいなあ、と思います。


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2007.07.26

左手書字用お手本使用のネット書写塾

いつも自分のサイトのアクセス解析のついでに、左利きに関するネット検索を行っています。

すると、こんな情報が出てきました。


左利きにおける左手書字(左手筆記/左手書き)について、

『インターネット書写塾』というサイトの
「小学生向けコース」に、以下のような告知が出ていました。

左手で書いてもお手本がかくれない『手本右版』ができました
 

ネット検索で見ただけですので、詳しい内容はわかりません。

しかし、こういう「左手書字に配慮した書写塾がある」という事実は、「左利きは左手を使えばよい」という、私のような立場の人間にとって、非常にうれしいことです。


当たり前じゃないか、といわれれば、その通りです。

しかし、その当たり前が、当たり前として認知されるとは限らないのが、左利きの現状でもあります。


「きれいな字を書きたいなら右手で」という考え方の書写・書道教室が、まだまだ幅を利かしている中で、こういう書写塾が現れたということは、特筆に価することだと思います。


何事も、積極的に取り組んでみなければ―果敢に挑戦してみなければ、決して解決法は見つかりません。

「左手でもきれいな字が書ける方法」も、実際に書いてみなければ見つかりません

これからも「左手書字の正しい方法」を、右利き左利きを問わず、みんなでいっしょに模索してゆきましょう。



アルファベットの書き方に関して、左手書字に配慮したものを工夫しているサイトとしては、以下の岡邦雄氏のものがあります。

ペンマンシップ練習帳:右手書き/左手書き

「中学や小学校で、英語を学び始めるころの手書き文字練習用」としての印刷して使用するお手本です。


左手書字(左手筆記/左手書き)のための研究ページ
『レフティやすおの左組通信』
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2007.07.05

横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造

「横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと」お茶でっせ版新生活版
に続いて、もう一度、横澤彪氏の発言を取り上げます。

J-CAST テレビウォッチ 「横澤彪のチャンネルGメン69」
で、2007/6/27「国分太一くん、箸は右手で持とうよ」の続編とも言うべき記事を発表しています。


2007/7/ 2 「国分太一くん、オレも左利きなんだ」

ところが記事内容を拝読いたしますと、前回の記事で左利きの人たちから「左利き差別」と批判されたそのポイント、および理由を正しく理解されていない様子が見えます。

それゆえに、更なる混乱を来たしつつあるように思われます。

そこで、横澤発言に見る、左利き/利き手差別の構造―なにゆえに「左利き差別発言だ」といわれるのかを、私なりに考察してみました。

 ・・・

『哲学ってなんだ 自分と社会を知る』竹田青嗣/著 岩波ジュニア新書415(2002刊)
「第4章 近代の哲学者たち/2 自由をつきつめる/差別の本質観取」119-126p
の項を、参考資料として紹介してみましょう。

著者は、在日韓国人二世で、民族の問題に関して悩み、哲学に出合い、これを克服された方と思われます。
差別というものに関しても、自分の問題として捉えることのできる人物だ、と私は思っています。


---差別とは

差別の土台
 ―人間も競争原理の中で生きているので、必ず強いものと弱いものがいる。

差別
 ―近代に入り、人間はみな平等で同じ価値を持つ存在である、という考えが広まり、それにもかかわらず貴賎等の身分の差があることを指して呼んだ。

「差別」という考えは、人間はみな平等である、という近代人の人間理解を基礎としている。


---差別の本質

人間は誰でも大なり小なり、差別をしたりされたりしている。

【実際の行動でなくとも意識の上で、など思い当たるものは誰しもお持ちでしょう。私もそうです。】

差別というものは、好き嫌い同様、人間関係には普遍的につきまとうもの。


---「差別するという経験」の本質契機(=条件・要件)

差別語という呪文には、相手を「劣った存在」に変えてしまう力がある。
一方、呪文をかけたほうは、自分を「相対的に」優越した存在であると感じる。

この相対的な自己価値の上昇感覚が、つい差別をしてしまう秘密だ。


---外から見て、差別が醜いものと感じる理由

自分なりの努力でつかんだ自己のアイデンティティの確認ではなく、
他人を貶めて作り出した落差によって、心情的に相対的に自分を「上」にあるという感じるような方法だから。

他人の苦痛を利用して自己価値を持ち上げるような行為だから。


---呪文が力を持つ条件

共同体の関係。
(利き手に関して言えば、多数派の「右利き」、少数派の「左利き」。)

この内属が、自然なものとして信じられるということ。

そして、この共同体の優劣の関係が、一般通念として共有され信じられていること。

ここで初めて、差別語が呪文として力を発揮できるようになる。


人間がつい「差別」をしてしまう根本理由は、「アイデンティティ補強」。

<だから、どんな人間も対等な「人間」と見なすことが自分たちの社会の基本的でフェアなルールであるという自覚が薄いと、それができる立場に立つと誰でも「つい」差別してしまう。>123p

---差別しつつ生きることの本質

差別してしまう体質の人
 ―自己の自然なアイデンティティに不安がある。

自分なりの自己価値をそれなりに持っている人は、他人を差別する内的理由が少ない。

自己価値に不安があるほど、機会があれば、無意識のうちに他人の価値を貶め、自分の価値を相対的に引き上げようとする。

自分の価値を社会の一般通念だけで受け取っている。
無自覚に、社会の通念的な価値の中で生きている。
狭い価値観、世界像の中で生きている。

世間一般のルールを絶対視しており、うまく行っているときはそれでよいが、世間的な一般価値からずれてくると、決定的な打撃を蒙る。

【今回の、横澤氏の場合などは、その典型のような気がします。
世間的な価値観が変わってきているのに、それに気付かず、昔からの価値観を絶対的なものと考えて、意見を述べています。】


---差別されて生きることの本質

差別される側の人の危機
 ―自然な自己アイデンティティや自然な世界との親和性が脅かされている。

差別の呪文が、世間の一般価値に根拠を持つこと、その構造のなかで可能になっていることを自覚できないと、差別に負けて、自分自身へのうしろめたさ、不安、他人への攻撃性を抱きやすい。
そして、過剰に敵対意識や対抗意識を持つことになる。


差別は、個人の生き方の問題としてでなく、社会的な問題として、ルールや制度の問題として考えなければならない。

自分の問題としては、自己アイデンティティや自己価値についてどのような関係態度を取って生きているか、といった問題として捉え直したほうがいい。

<そうでないと、差別の問題は、しばしば、「差別語」など特定の差別現象批判や、差別はあってはならないし差別をする人は悪い人間であるといった、ごく一般的な差別教説としてだけ流通するようになるのである。>126p

 ・・・

★<「...オレも左利きなんだ」感想>

横澤氏の7月2日の記事について、私の感想を書いておきます。


「だから、左利きの人を非難したり、軽蔑したりするつもりはない。」

私も左利きだから、というのですけれど、前回なにが問題とされたのかの本質が理解されていない発言です。

問題はそういうところにはありません。
差別的と受け取れる発言である点が問題なのです。

人間はみな平等かつ自由である、という前提でものを考えているのが、現代の私たちです。
その中には「利き手の違い」も含まれています。
右利きであろうと左利きであろうと、右手を使おうと左手を使おうと。

基本的人権の尊重を謳う世界人権宣言「人権に関する世界宣言」が国連で採択されたのは1948年(昭和23)ですから、横澤氏が箸の手習いを始めた頃には間に合っていないかもしれません。

しかし、左利きの子供に対する無理な利き手の変更
(右手使いが正しい作法であるという観点から、誤った左手使いを右手に直す・正すという意味で「矯正」と呼んだ)
が及ぼす弊害について強調されるようになったのは、精神科医の箱崎総一氏が主宰した「左利き友の会」の運動が大きな役目を果たしたと考えますと、1970年代の半ば頃と思われます。

横澤氏がこの時期に自らの左利きに対する考え方を修正されておれば、時代の意識からのずれも修正できていたのではないでしょうか。


「躾をきっちり受けてきたオレ」「左手で箸を使っているのはいただけない」、およびラストの川柳に見られるように、
自分の努力を高く評価し、それに対して国分太一くん(および左手箸の人たち)の努力の欠如を指摘して、 
<他人を貶めて作り出した落差によって、心情的に相対的に自分を「上」にあるという感じ>を読者に与え、外から見て、醜い差別だと感じさせたのです。


「右手で箸を使ったほうがいいと思うのは、それが食事のマナー、作法だと考えるからだ。日本の文化では右手で箸を持つのが食事の作法とされてきたし、箸の置き方や料理の配膳の仕方は、右手で箸を持つことを前提にしている。」

ここ何十年かの間に、左利きに対する考え方が変わってきています。
そういう時代の変化とご自分の価値観・考え方のずれを表明しています。

いつまでも子供の頃に習った教えを絶対視しているのは、人間的に進歩のない証拠と受け取られます。

大人になれば、人の意見を無批判に信じるのではなく、検証してみるべきなのです。
五感を目いっぱい使って世間をよく観察し、自分の頭でしっかり考え、価値観や世界観を再構築する。
それが日々勉強するということでしょう。


「国分太一君に「箸は右手で持とう」とあえて注文をつけたのは、彼が「芸事」にたずさわるタレントだからだ。たとえバラエティであっても、テレビ番組で食事をするのはプライベートではなく、れっきとした仕事である。メシを食うのも芸のうち、なのである。」

きっと箸使いで考えておられるからお分かりになられないのでしょう。
こういうときは、他のことに置き換えてみるのです。

放送の仕事を長年されていた方ですので、放送関係の事柄に置き換えればよくお分かりになりましょう。

例えば、左手箸を方言に、右手箸を標準語・共通語に置き換えれば、一目瞭然でしょう。

アナウンサーは全国向けニュースで方言はご法度、役者も芝居の設定によっては方言はダメでしょう。
また、古典芸能などでも当然好き勝手とは行きません。

役者は役柄が設定されているときは、それに従うべきでしょう。

しかし、フリートークの番組なら方言でもOKのはずです。
自然体でいいのです。

お笑い芸人でもそうです。
全国向け放送でも関西弁バリバリの大物芸人さんがいます。

箸使いも同じです。
役柄ならば、それに従う。それ以外は自由です。

これが今の時代の標準的な考え方でしょう。


「テレビを見ている多数の視聴者に対する影響力も考えると、日本の食文化にのっとったマナーを大切にしてほしいと思うのだ。」

「視聴者に対する影響力」→「左手箸は悪影響を及ぼす」という解釈が可能になり、こういう言葉を使うと、いよいよご自身の時代とのずれを表明したことになります。


「つい言葉に勢いがついてしまったのかもしれない。」

前回の記事のラストの川柳。ブラック・ユーモアのセンスも空回りです。

つい~してしまった、という場合は、たいてい軽薄な行動です。
上記の本に書かれていたように、そういう行動を起こす要因を内に持っている証拠です。

結局は、本人が左利きであろうとなかろうと、左利きに対する差別的な言動を起こす要素を心の中に持っている人がいる、ということです。

何度もいうように、それは、結局、自分の考えが不足しているからです。
何事もよく観察して、自分の頭でしっかりとものごとを考える、という姿勢を持っていないことに起因しているのです。

 ・・・

★<ブログの特性>

横澤氏の発言が摩擦を生じた原因は、ブログというメディアの特性を十分認識されていなかったからではないでしょうか。

従来のメディアは送り手側からの一方通行でした。
また、過去に書いたものは「済んでしまった」ことで取り返すことができず、修正も削除もできませんでした。

読者が書き手の意見に不満を持っても、同じ土俵で議論することはできませんでした。
発表の場を持たない大半の人々は、あきらめて見過ごすしかありませんでした。

しかし、ブログは違います。
双方向性を持ち、同じ土俵で意見を公開できます。
もはや黙っていなくてもいいのです。

ここでは書き手側も従来のような書きっ放しは許されません。

そういう特性を認識できていたのかどうかも一つのポイントでしょう。


そして、このネットを生活の中に取り込んでいる人たちの多くは、人権宣言以後に生まれた人たちであり、かつ箱崎左利き友の会の活動以降に育ってきた人たちでしょう。

私や彼らにとって、横澤氏のような価値観や考え方は、古い時代の間違った考えだ、と判断されます。

今でも横澤氏のような価値観や考えを持つ人は少なくありません。
しかし、現在のネット上に限って言えば、圧倒的に少数派に属するでしょう。

たとえ世間一般から偏向した考えを表明していても、これが私のような素人の無名ブロガーによる人知られぬブログ上であれば、さほど問題にはならなかったでしょう。

ところが、実際は舞台も書き手もそうではなかった、ということです。

 ・・・

★<マナーや作法についての考え方>

「...オレも左利きなんだ」のコメントを読んでいますと、マナーや作法についての考え方の違いが云々されています。
その点について、上記の『哲学ってなんだ』を読んで考えた私の意見を書いておきます。


近代以降、人間はみな平等で、かつ自由な権利を持つ存在である、という考えが基本となりました。

一方、ものごとには、誰もが理解を共有できる普遍性のある共通了解の領域(自然科学や数学など)と、それぞれに立場が異なる共有できない、多様性に満ちた価値観や世界観などの共通了解の成立しない領域(宗教や美意識など)の二つがあります。

そこで現代では、お互いが平等でかつ自由な存在であることを考慮し、共有できる普遍的な考えをもとに、それぞれの多様性を承認し合い、お互いの関係を調整することで共存しようと考える時代になっているのです。


これを箸使いに当てはめますと―

・右手使いも左手使いも、平等かつ自由な人間同士である。
・普遍的な考えとして共有できる点は、「箸を上手に使える持ち方」が大事だ。
・多様性としては、「右手で持つのが正しい/美しい」、「左手で持ってもよい/上手に使える持ち方こそ大事」があります。

ここで、普遍的な考えに基づき、「箸を上手に使える持ち方」でさえあれば、互いに多様性を認め合い、どちらの手で持ってもよい、と考えるのです。

これが現代的な考え方ではないか、と思います。

 ・・・

横澤氏はこれ以上名を汚さぬように、「読者に対する影響力も考え」、改めて熟慮の上、収拾の道を探るほうが賢明でしょう。


* 左手箸&箸使い関連記事:
2004.11.14
ネットで拾った左利きの話題:マナーの悪いCM
2005.07.31
お箸の正しい持ち方に関するあれこれ

<横澤氏「太一くん…」左手箸発言>追加記事---(2007.7.16)
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第90号(No.90) 2007/7/14「<特別篇>横澤氏「太一くん...」発言から考える」

前の記事
・2007.06.30 横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと
お茶でっせ版新生活版

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2007.06.30

横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと

しばらく忙しくて自サイトのアクセス解析を見る機会がありませんでした。
本日(6/29)久しぶりにのぞいてみると、うちのサイトとしては非常に多くの閲覧を得ているページがありました。

『レフティやすおの左組通信』内
「<レフティやすおの左利き私論2>右手使いへの変更(左利き矯正)について」

というページです。

下に紹介する記事のコメントの一つにリンクを貼られていました。
(コメント・ページ)


横澤彪のチャンネルGメン69
2007/6/27「国分太一くん、箸は右手で持とうよ」


左手箸およびこのような考え方に対する私の意見に関しましては、リンク先の意見をご覧いただければよいかと思います。

ここでは、それ以前にこのような意見をお持ちになる人全般について、そういう考え方に対する私の意見を述べて見ます。

 ・・・

この記事の中で、タレント国分太一さんの左手箸を取り上げ、

「ただ一つ残念なのが、食べるときに左手で箸を使うことだ。箸は右手で持つもの。そういう躾をきっちり受けてきたオレのような世代の者には、左手で食べるのはすごく違和感があるんだよな。/... やっぱり左手で箸を使っているのはいただけない。今からでも遅くないから、箸は右手で持とうよ。/... /左手は ケツを拭く手だ 箸持つな」

とコメントされています。

ここに書かれた御意見は、きっと御自分の意見ではないのでしょう。


人は誰でも何事に対してもそれなりに自分の意見を持っている、と考えがちです。

しかし、自分の意見と思っているものもそのほとんどは、実は自分の内から出てきたものではなく、外から来たものだそうです。

『娘と話す哲学ってなに?』ロジェ=ポル・ドロワ/著 藤田真利子/訳 現代企画室/刊(2005)
にこんなことが書いてあります。長くなりますが、引用します。

「... よく見てしっかり考えないと、間違った考えを正しいと信じてしまうということなのさ。で、これがしょっちゅうあるんだね。じつにありふれた、よくあること、と言ってもいいくらいだ。いつも聞かされているからそれが正しいと信じる。小さいときに教えられて、ほかの人もみんな同じことを言ってる。わたしたちの頭の中に持っている考えというものは、ほとんど全部が頭の外から来ている。実際はどうやって入ってきたのか、知らないうちに入り込んでいる。それがどこから来るかと言えば、家族からのこともあれば、周囲の人たちや友達からのこともある。自分の考えと言ったって、それを作り上げたのは普通、自分自身じゃないんだ! ... /そういう考えがわたしたちのなかに入り込んで根を下ろす。それはほんとうに選んだわけでもないのに「自分の」考えになる。それが「いい」とか「悪い」とか判断することもほとんどない。正しいのか間違っているのかをほんとうに知ろうとすることもないんだ」
 <1章 正しい考えを探す>26-27p


この横澤氏の意見は、
<自分の五感を目いっぱい働かせて情報を集め、脳みそに汗をかくほど考え抜いて得た答えとしての自分の意見>ではないはずです。

「箸は右手で持つもの。そういう躾をきっちり受けてきたオレ」と記事の中にも書かれていますように、それは昔の人からの教えを、盲目的に何の疑いもなく、信じ込んで忠実に守っているだけなのです。

単に外から得た意見を自分の意見のように思い込んでオウム返しに伝えているだけなのです。


このように考える人は少なくありません。

以前、私のメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii(レフティやすおの左組通信メールマガジン)』第42号(No.42) 2006.8.5 「左手で字を書くために(3)」

「左利き子育て一口メモ マナー本・作法本」で紹介しました、

『箸づかいに自信がつく本 美しい箸作法は和の心』小倉朋子・監修(リヨン社 2006年1月刊)

という本の「第一章 箸使いってそんなに大事?」の冒頭「こんなお箸の持ち方していませんか?」で、「直したいお箸の持ち方」として、平行型(スプーン型)、交差箸、つかみ箸とともに、左手箸をあげています。

著者は、昔習った正しい教えを忠実に現代に伝えよう、とされているのでしょう。

しかし、結果的にそれは、部分的には現代に通用しないものになっています…。


これがひとつの現実です。

非常に残念なことに、自分の頭で真剣にものごとを考えていない人というのは、結構いらっしゃるものなのです。


横沢氏も小倉氏も、利き手について左利きについて、真剣に何時間も何日も何ヶ月も何年も考え続けたことはないのではないでしょうか。
左利きについて、人を見、人に聞き、本を読み、自分で体験したこともないのではないでしょうか。

お恥ずかしいながら、私の左利きに関する意見は、物心ついた時から現在まで40年以上、時にブランクはあっても、自分自身の体感に基づき、自分自身の体験を通して、時に人の姿も見、人の意見も聞き、本も読み、サイトも閲覧し、その上で自分の頭で考えて考えて考え抜いて出した意見です。


私は、利き手・左利きの問題を取り上げるときに、教育というものを一つの柱に考えています。
それは、こういうところにその理由があるのです。

左利き系の有名なサイトの一つでは、<左利きの人がこんなにいっぱいいる、左利きって当たり前>なのを示すことで、左利きに対する考え方を変えてゆこうとしています。

私はそれではダメだ、と考えています。

なぜならば、人は自分の見たいものしか見ない、自分の聞きたいことしか聞かない、自分の解釈したいようにしか解釈しないもの、だからです。


だから、教育が必要なのです!

何事も一から教育することが重要になってくるのです。

きちんとした人権教育の一環としての利き手教育というものが。

私はそう考えています。

<横澤氏「太一くん…」左手箸発言>追加記事---(2007.7.16)
「お茶でっせ」記事第二弾
・2007.07.05 横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造
お茶でっせ版新生活版
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第90号(No.90) 2007/7/14「<特別篇>横澤氏「太一くん...」発言から考える」

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」
―左利きの人、左利きに興味のある人のためのメールマガジン発行中!
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2007.04.20

輪ゴムでできる簡単・お箸の持ち方練習具

2005.7.9「百円ショップのおはしのけいこ(子供用練習箸)」お茶でっせ版新生活版 で、ちょっと紹介しました、輪ゴムを使う簡単お箸の持ち方練習具(左右両用)の作り方を、ホームページのお箸のページに追加しました。

最近は、大人の方でも自分のお箸の持ち方が気になる、ぜひ直したいとお考えの人も増えているようです。

でも、わざわざ買ってくるのは面倒だ、という方、あるいは探しに行くのも面倒だ、あるいは、左利きなので適当なものがみつからない、という方もいらっしゃるでしょう。

百円ショップで売っていたお箸の練習具は、非常に簡単にまねして作れるものでした。
もちろん両手どちらでも使える、左右両用の共用品です。

正規の商品を買う前に、<お試し>として作ってみてもいいかもしれません。

詳細は、以下から ↓
『レフティやすおの左組通信』
左利きphoto gallery〈HPG5〉左手/左利き用お箸・しつけ箸(練習用箸)

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.04.10

4月6日産経新聞の左利きの投書

4月6日の産経新聞朝刊の読者の投書欄「談話室」に、左利きについての投書が掲載されました。

地方によって掲載されるものが異なっている可能性があるので、(大阪版)と書いておきましょう。

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43歳のお母さんの投書です。
ご自身左利きで小さいときはご両親や周りの人が右利きにしようと必死だったそうです。
学校でも左手を使おうものならすぐ注意された。消極的になり、自信を失った。人前で字を書くのが嫌いになったそうです。

でも、それほど辛い思いをしても、今でも左利き。

で、10歳の息子さんも左利き。
息子が左利きと分かってうれしかった。左利きは「個性」。その芽を摘み取ることなく、のびのび育って欲しい。息子は今まで嫌な思いをしたことがないようだ、という。

「まだまだ不便なことが多い世の中だが、息子といっしょに自信を持って生きていきたい」、と結んであります。
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私には、非常にうれしい投書です。
皆さんがこのような考えを持っていただけるとよいのに、とつくづく思います。

ある程度年配の左利きの人なら、大なり小なり似たような経験のあるお話です。
しかし、今でもまだまだ理解が足りないとしかいえないような大人が少なくありません。

私の場合は、小学校入学時に母親が先生に相談し、左利きのままでよいという助言を受け、以来左手で生活してきました。

人は、本来の自分の姿で生活するのが一番快適です。

相田みつをさんの言葉にあるように、トマトはトマトでいいのです。
メロンにならなくてもいいのです。

嘘偽りのない、素直な自分であれれば、最高です。
お互い、自信を持って生きてゆきましょう!

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.01.05

左利きアンケート第36回利き手は変えられると思いますか

年末年始のバタバタで遅くなりましたが、恒例の『左組通信』表紙<左利きプチ・アンケート>欄でのアンケートのお知らせです。

今回は、いよいよ左利き問題の本丸ともいうべき、利き手の変更についてのアンケートです。

 ・・・

<左利きプチ・アンケート>第36回 利き手は変えられると思いますか

近年は左利きのイメージもアップし、スポーツ関係では特にその傾向が強いようで、左利きにあこがれるという人も確実に増えています。
そこで、わが子を左利きに変えられないか、と考える親御さんも少なからずいらっしゃるようです。

一方、いまだに左利きの子の左手使いは「直さなければ」と考える人々もいます。

また、左利きが悪いというわけではないが、右利き偏重の社会で苦労するのではないかという不安から、できれば右手を使えるようにしたいと願う親御さんも少なくないようです。

では利き手というものは変えることができるのでしょうか。
あなたはどのようにお考えになりますか。

大人は無理でも子供なら、という考えもあるでしょう。
ここでは、子供の利き手の変換についての考えをお尋ねします。

右利きであれ左利きであれ、訓練すれば誰でも字を書いたり絵を描くことや箸を使うこと、ボールを投げたり打ったりなど、どのような作業であれ、左手でも右手でも自由に使いこなせるようになる。

あるいは、何でもできるとはいえない、できないこともあるけれど、字を書くとか箸を使う、ボールを投げるなどの限られた一部の作業に関してなら訓練で自由に使いこなせるようになる。

もしくは、元々右利きや左利きに近い性質を持っている人なら、訓練によっては利き手を変えることもできる場合がある。

いや、やっぱり人間というものは、持って生まれた性質を変えることはできない。多少は使えるようになるかもしれないが、自由自在に使いこなせる利き手の域までは無理。

―などなど色々な意見があると思います。

以下の選択肢から、最もふさわしいと思うものをひとつ選んで投票してください。

*投票者の利き手別で選択肢を用意しています。ご自身でご自分の利き手を右もしくは左と、どちらか判断した上で投票してください。

*一言言わせて、という方は投票後に表示されます一番下の「ご意見ボード」をご利用ください。もっと言わせて、という方は掲示板もご利用ください。貴方のご意見ご感想をお聞かせください。

1 (右利きの投票者)変えられる:訓練すれば誰でも何でも
(左から右、右から左、あれもこれも)
2 ( 〃 )変えられる:一部の動作なら訓練により
(できることとできないことがある)
3 ( 〃 )変えられる:元々その傾向がある人は
(変えられる人と変えられない人がいる)
4 ( 〃 )変えられない:努力しても生来の性質なので
(ある程度は使えても、自由自在にはならない)
5 (左利きの投票者)変えられる:訓練すれば誰でも何でも
(左から右、右から左、あれもこれも)
6 ( 〃 )変えられる:一部の動作なら訓練により
(できることとできないことがある)
7 ( 〃 )変えられる:元々その傾向がある人は
(変えられる人と変えられない人がいる)
8 ( 〃 )変えられない:努力しても生来の性質なので
(ある程度は使えても、自由自在にはならない)

 ※ お手数をおかけしますが、投票は『レフティやすおの左組通信』表紙<左利きプチ・アンケート>

 ※ メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第61号(No.61) 2006/12/23「<左利きプチ・アンケート>第36回」からも投票できます。(今回もメルマガからの先行投票を実施しました。)

 ※ 現在の結果を見るのは、こちら

*このアンケートは、06.12.24-07.1.27まで5週間(予定)に渡って実施されます。(その後は、表紙からそれぞれのページに移動し、受付しています。)

*今までに実施したアンケートを見る ↓
『レフティやすおの左組通信』<左利きプチ・アンケート>目次

*関連アンケート:
第3回 左利きの子に右手使いを試みるべきか否か
第21回 左/右利きにあこがれたことがありますか
第32回 非利き手使い指導を受けたことがありますか

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.10.28

子どもに「自由」の獲得の経験を:メルマガ『親力で―』から

遅くなりましたが、前回の記事「子供に自分で選択できる自由の実感を:メルマガ『親力で―』から」に引き続き、親野智可等先生の教育メルマガ『親力で決まる子供の将来』で連載されていた「子どもの人生は子どものもの」への感想の第二弾―連載完結に当たっての総まとめ的な感想です。

この文章は、先にメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第51号(No.51) 2006/10/14「左手で字を書くために(7)」に発表した、「■左利き子育てメモ■「子どもの人生は子どものもの」感想」を新たに加筆修正したものです。

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「子どもの人生は子どものもの」への感想を『お茶でっせ』に掲載しました。
左利きからの視点をからめて親の期待と子供の自由について考えてみました。
この連載が終わりましたので、その後の感想も含めて、少し書いてみます。

 ・・・

村瀬学・著『10代の真ん中で』(岩波ジュニア新書389 2002年刊)という本の中に、
 

 「子ども」が「大人」になるっていうのは、結局は「親のルール」から「子のプラン」が出てゆくことであり、親はそれを、どこかの時点で、承認し支援してゆくしかないんだ。問題は、その「時点」を「いつ」と親は考えるべきかってことだ。

―とあります。
そして著者の村瀬氏は、自分の経験からその「時点」を「13歳」だと思う、と書いています。
この時期になると親離れし始める時期だと覚悟すべきだ、と。

この“「親のルール」から「子のプラン」が出てゆく”決定的な親離れの時期は、なるほど13歳ぐらいがひとつの大きな分岐点かもしれません。
しかし、それは自分の進路も含めて自己の意志により、ものごとを決めてゆく能力を持った、本当の意味で「大人になる」時期のことでしょう。

その前の段階として、もう少し低いレベルの“「親のルール」から「子のプラン」が出てゆく”―いってみれば、大人への「脱皮」をはかる段階がいくつもある、と思います。

まずは親の手の届く範囲から、次に親の目の届く範囲から…、と徐々に子供は活動範囲を広げつつ冒険を重ねます。
そのたびに、より小さな“「親のルール」から、次の一回り大きな「親のルール」の世界へ「子のプラン」が飛び出してゆくのです。

こういう経験をいくつも重ねることで、子供はその都度、自己決定能力を養って「大人」になり、本格的な旅立ちが可能になるのです。

村瀬氏は別の言い方として、「学校や親のスケジュール」から「子のスケジュール」が「別立て」になる、という表現を使っています。

「自分のスケジュール」を立てることで、「親の予定表」から離れ、自分の走るレールを「先」に引き出すわけだ。それが「親離れ」であり、「大人になる」っていうことではないか

―と、いう。
なるほど、そういう自分の行動を少しずつ自分で管理し、自己決定してゆくのが大人になるということでしょう。
そして、そこに至るまでには一定の過程、あるいは段階がある、と思います。


このとき子供のためといって、先回りして子供の前にレールを敷いて行けば、子供はただそれに乗るだけで、自己決定能力を養うことができなくなってしまうでしょう。

運よくそれで何の問題もなくすごしていったとしても、その子はあやつり人形のように無気力なマニュアル人間になってしまいそうです。
あるいは、どこかでプッツンして道を踏み外すことになるかもしれません。

親が子供に代わってその人生を生きてやることはできません。
親は一生子供の面倒をみることはできません。

自分で生きる力を子供に身に付けさせるのが、親の務めでしょう。

子供のために先回りして考えてやることは必要でしょう。
しかし、実際に生きるのは、子供自身です。

最後には子供が自己決定できるように、親は様々な選択肢とその可能性を示すだけにとどめるべきではないでしょうか。

子供の人生は子ども自身が決めて初めてスタートするのだと思います。

親は「子どもの人生は子どものもの」として受け入れ、子供の成長に合わせてその許容範囲をひろげ、子供の自由に任せてゆくのです。

そういう「自由」の獲得の経験が、人生を生き抜く子供の力になるのでしょう。


―そんなことを考えました。

 ・・・

左利きの問題でも、左手使いでは不便だろうというのは、親の考えです。
子供の考えは違うかもしれません。

左手以外に右手もあるよ、左手用にこんな道具もあるよ、左手使いは不作法だって言う人もいるよ、左利きはカッコイイって言う人もいるよ、…。

様々な選択肢と可能性と現実の世界を子供に提示して、そのなかから子供がどのような道を選ぶのかを見守ってあげるのも、ひとつの親のあり方ではないでしょうか。

小さい子には理解は無理だろうとか、一時の苦痛や苦労は忘れてしまうだろうとかではなく、子供も一人の人間として扱う部分が必要です。

自分ならどうだろう、と考えてみるのも大事です。

そして、子供の内なる自由意志を育ててあげてください。

その上で、子供が決める機会と子供の決定を支援する環境を与えて欲しいと思います。

最後に親野先生の言葉で締めくくりとします。
 

 > 子どもの自由を保障してやってください。
 > 自由は人間の生得の権利なのですから。

 > 子どもの自由を保障してやってください。
 > 自由は人間の存在価値そのものなのですから。

2006/10/2「親力で決まる子供の将来 」・・No698「子どもの人生は子どものもの」の13回目

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.10.01

子供に自分で選択できる自由の実感を:メルマガ『親力で―』から

今、親野智可等先生の人気教育メルマガ『親力で決まる子供の将来』で、「親力147・・・子どもの人生は子どものもの」が連載されています。

『親力で決まる子供の将来』
2006/9/20・・No686~「親力147・・・子どもの人生は子どものもの」
最新号

今、マスコミで盛んに持ち上げているスポーツ界の親子鷹とも言うべき人たちの「○○家の子育て」に関して、教育者として注意を促されています。

これらはあくまでもひとつの成功例であり、その裏には数々の報道されない後悔が渦巻いているものであり、そのまま受け取るのは危険だというのです。

その失敗例として、奈良の家族3人放火殺人事件や、絵が好きだった男の子の例、なんでもよくできた女の子の例を挙げておられます。

習い事をいっぱいやっていた少女は、五年になった時、学校に来なくなりました。
それまで、全てにおいて模範的ないい子で「いや」とか「やめたい」などと言ったことがなかったのが、です。
親の方には、子どもに無理をさせているとか押しつけているという意識は全くなかったのです。
しかし、とうとう限界が来てしまったのです。

そして、こういう子が今たくさんいる、と親野先生は言います。

親は気をつける必要がある。
無理に過剰な要求をしているつもりがなくても、結果的にそうなっていることもある、と。

ここには「親の強い思いの押しつけ」、「子どもの意思、特質、能力の無視」とのふたつの問題点がある、と指摘されています。

なぜそんなことになるのか、その理由は―
「自分の夢や願いを子どもに託す親がいる」、「それがこの子のためだと親が思っている」から。

例え愛情から出たものであっても、これらは「子どもの人生を奪うこと」なのです、と。

「子どもは、親の強い思いを見せられると、なかなか「いや」と言えないものなのです。
親を愛していますし、親を喜ばせたいとも思っています。

親をがっかりさせたくないという気持ちは、子どもならみんな持っています。
ですから、「いや」と言わないからといって、だいじょうぶということにはならないのです。」

 ・・・

この連載は、まだ続いています。

私の感想を、先生への返信から引用しておきます。

------

「子どもの人生は子どものもの」毎回興味深く拝読しております。

私はつい何事も左利きに結び付けて考えてしまうのですが、今回のテーマもまた左利きの子供に対する教育に当てはまります。

右利きの親御さんが、左利きのお子さんに右手を使わせようとする気持ちになるのは、その子のその後の人生において、左手を使うより右手を使うほうが便利で、日常生活が楽になるのではないか、という考えによるようです。

特に書字において、その考えが根強くあるように思われます。
他のことは左手使いでもよしとする人でも字だけは右手でないと書きにくいのではないか、なかでも毛筆習字に関しては、これは絶対左手では書けない、右手でないときれいに書けない、という考えが強いようです。

しかも、左利きの親御さんのなかにもこの考えを持つ人がいます。
自分が左手書字で苦労したから、子供は小さいときからやれば慣れるだろう、と右手書字を強いる人がいます。

子供の意見を尊重しているという親御さんのなかにも、本当に子供の自発的な意思を確認できているかどうか、はなはだ怪しい場合もあるような気がします。

親は子供の笑顔を見るのが好きです。
しかし、子供というものは、親が子の笑顔を見たいと思う以上に、親の喜ぶ顔を見たいものなのです。
そして、親の求めにできるだけ応えたいと思うものです。

私のもとに持ち込まれた相談のなかにも、お父さんが強く右手を使うように言うので、というお子さんがいました。
最終的に、お父さんが、もういいんだよ、自分の使いたいほうの手を使えばいいんだよ、と子供さんに話して解決に至ったと聞いています。

私自身もそうでした。
私は学校の先生になりたかった時期がありました。
でも、経済的な事情もあり、自分の知っている世界に進んで欲しいという親の希望もあり、私も物作りは好きな方だったので、大学はあきらめて工業高校に進みました。

15歳は子供ではないと思われるかもしれません。しかし、今の私から見れば、本当に子供です。
子供が自分の意志を貫くのはなかなかむずかしいものです。

今私は、結局のところ、次善の道を進むのは最善の道が閉ざされてからでもよいのではないか、と考えるようになりました。
まずは自分の一番を求め、それがどうにもならないとわかってから、次善の策を練れば良いと思います。

>なぜなら、子どもの人生は子どものものだからです。
>誰にも自分の人生を自分で決める生得の権利があるのです。

>子どもの内に秘めている意思を引き出してやることこそ、親のやるべきことです。

まさにその通りだと思います。

「子どもの人生は子どものもの」という考えを持って、正しく子供の教育に当たって行けば、このような問題もクリアできるのではないか、と私も考えています。

なかなかむずかしいことですが、必ずやらねばならないことです。

ヘレン・ケラーの自伝に、教育についてこんなことが書いてありました。

「生徒が自ら進んで勉強するためには、勉強中も休憩中も、「自由」は自分の手の中にある、と感じなければならない。そして、自ら勝利の喜びと敗北の失望感を味わってはじめて、嫌いな課題でも本腰で取り組み、単調な教科書の勉強も、勇気を持って楽しくやり抜こう、と決心できるのだ。」『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』小倉慶郎訳 新潮文庫

子供の人生の教育も同じことだと思います。

自分で選択できる自由がある、という実感を子供が持てなくてはいけません。

日本の子供は、特に大人の顔色をうかがう傾向が強い、と子供の発育を研究している専門家は言います。

これは、心に留め置く必要がある、と思います。


また、思いのたけを長々とつづってしまい、失礼いたしました。
では、続きを楽しみにしております。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.08.23

「親力で―」668号で「左利きで生きるには 週刊ヒッキイ」紹介される

本日(8月23日)発行の「ドラゴン桜」などで有名な、親野智可等先生の教育メルマガ「親力で決まる子供の将来 」No.668で、私の左利きメルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイ」が紹介されました。

私の書いた紹介文が掲載されました、というのがより正確なところです。

読者数3万超というメルマガです。
多くの人の目にふれるかと思うと、うれしいような怖いような気がします。

これを機に、一層の気合を入れて取り組もう、と決意いたしました。

親野先生、貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。
感謝いたします。
そして、ご期待に応えられるように、これからも精進してゆこうと思います。

親野先生のお世話になるのは、これが二度目です。

前回は「UD百マス計算」のことでした。
このアイデアは既存のものでしたが、私からの問題提起として、先生のメルマガで取り上げていただきました。

当時は、先生もまだ無名でらっしゃいましたが、今は違いますからね。
本当に光栄に思います。

今回は、先生の新著『「親力」365日!』で、左利きを取り上げていただいたのが縁になりました。
(こちら本欄での紹介はまだですが、「お茶でっせ」サイドバーや、『週刊ヒッキイ』第43号、『左組通信』「自分史年表」『本屋』では紹介済みです。読者の皆様も、ぜひこの新著、一度目を通してください。)

左利きの人たちのためにも、この機会を活かしたいものです。

さっそくこのニュースを最新号でもお知らせします。
週末の最新号が今から楽しみです。

私のメルマガが、少しでも世の人々のお役に立てれば…、幸いです。


2006/8/23「親力で決まる子供の将来 」・・No668「続き・親子遊びをたっぷりやっておくと、マット、跳び箱、鉄棒が得意になる」

「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」


(親野先生関連記事)
「お茶でっせ」 
2004.05.11 現役小学校教師がメルマガで取り組む左利き問題
2004.06.16 改良版「UD百マス計算」が紹介されました
2004.10.07 人気メルマガ「親力で決まる子供の将来 」が本に
2004.12.24 「親力で決まる子供の将来」がメルマガ大賞一位に!
2005.04.09 メルマガ『親力―』の親野先生、ブログに進出
・2005.09.12 左手・左利き用定規(ものさし/物差し)のこと 
お茶でっせ版新生活版

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.06.28

赤ちゃんの利き手―産経新聞・新赤ちゃん学・右利き左利き

Achangakumigihidari
2006年6月27日の産経新聞朝刊<生活>面の「新赤ちゃん学・国際学会、日本へ(12)」「右利き左利き」がテーマになっていました。

以下、記事の紹介です。

 ・・・

米ノースカロライナ大学グリーズボロ校ジョージ・F・ミッシェル教授は、赤ちゃんの利き手を調べている。
教授の研究方法は、「利き手とは、手を使うときの好み」と考え、赤ちゃんがおもちゃで遊ぶ様子を観察し、手の動きを分析する。
7,9,11,13カ月の赤ちゃんにおもちゃで遊んでもらい、どちらの手を頻繁に使うか、どちらの手の方が複雑な動きができるか、といったことを観察する。

57パーセントの赤ちゃんに使う手の好みがあった。
41パーセントが右手、16パーセントが左手。
新生児は潜在的に右利きの傾向が強いという研究結果もあり、やはり、人間には右利きが多い。

「実はこの傾向はヒトに特有のものなのです」と教授はいう。
チンパンジーなどに比べて、ヒトは右利きに偏った分布を示す。

しかし、発達にしたがって利き手は変化している。

「利き手といってもはっきりと右、左、と分けられるものではない。右の傾向が強い、やや右傾向、どちらともいえない、左の傾向が強いなど、その度合いの強弱があります」

成長にともなって右傾向が強まったり弱まったりもする。
そこには社会的、環境的な要因が影響している、と考えられる。

両親の利き手との関係を調べてみた。
母親が右利きだと子供はどう変化するか。

7ヶ月の時に右傾向の強かった赤ちゃんは、11ヶ月の時点ではさらに右傾向が強まっていた。
逆に左傾向の強かった赤ちゃんでは11ヶ月の時点では、その傾向が弱まっていた。
明らかに親の利き手の影響を受けていた。

「右利きがいいとか、左利きがいいとか、そういうことはまったくありません」

どちらかの利き手のほうが、何かの動作をやりやすいということはあるかもしれないし、文化的にどちらかの利き手を重視することがある。
たとえば日本では右手に箸を持たせるようにしつけていた。

「文化的な規範は時代とともに変化します。こだわらずに、赤ちゃんにはやりたいようにやらせてあげてほしい」

みんな、いろいろ。ひとりひとり違っているからこそおもしろい。

 ●産経新聞2006.6.27朝刊<生活>面「新・赤ちゃん学/国際学会、日本へ(12)/右利き左利き 【見出し】個々の好み+周囲の環境」(岸本佳子)より

 ・・・

*
子供の利き手がいつ頃から明らかになるか、あるいは子供の利き手はいつ頃決まるのか、といったことがよく話題になります。

従来よく言われるのは、子供が3歳ぐらいになるとおもちゃやスプーン等のものや道具をどちらかの手でよく使うようになリ、これが利き手に気付く始まりだろう、ということです。

そして、学者の研究でも8歳ぐらいで完全に利き手が固まる、といわれてきました。

もちろん利き手といっても、実態は、この新聞記事の中にもありましたように、実際に使う手の偏りの傾向を表すものです。

右利き左利きといっても、スイッチをオン・オフするような、列車の線路のポイントを右に左に切り替えるような、明確なものではなりません。
中央分離帯のない道路のどの辺を通るかといったようなものでしょう。右に寄る人、左に寄る人、真ん中を行く人…。

以前(2004.09.19)、「ヒトにはなぜ利き手ができたか」 で、 ヒトという種は右利きが標準にできているようだ、といった内容の記事を書きました。

今回の赤ちゃんの利き手の調査でもそれが証明されたように思います。

この教授の調査方法こそ、より実態に近い利き手調査のあり方ではないでしょうか。

従来行われてきた利き手調査の方法としては、自己評価に基づくものや、こういうときにどちらの手を使うかといった一定の質問に答える調査票によるものがあります。
しかし、これでは、外的な要素すなわち学習や訓練による影響が非常に大きくなってきます。

一番ふさわしいのは、日常の行動の中での自然な動作をつぶさに観察し、使用頻度や器用さなどを見るものだろうと考えます。

そういう意味でこの教授の方法は、手間は掛かるけれど、より真実の値に近い結果が得られるのではないでしょうか。

とはいえ、こういう基本的な傾向の上に、人間には環境適応能力のような、利き手という「才能」の枠の中でそれぞれの側の「能力」が発揮される、ということも明らかになったようです。

簡単なことであれば、親(外的な環境)の影響で多少の変化はある、ということでしょう。
これは、左利きの人たちがその生活のなかで自然に右手を使うことを身に付ける、という現実を思い起こせば納得の行くところです。

しかし、これは、あくまでもその傾向が「弱まる」とか「強まる」といったことであって、利き手を「変えられる」といったものではありません。

利き手を変えることはできません。生まれつき決まったものだからです。赤ちゃんのときから芽生えているのですから。くれぐれも勘違いなさらぬように―。

※「新・赤ちゃん学」関連記事:
「お茶でっせ」版 「新生活」版
2005.03.06
左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―その5・子供の良き味方、心の支えになろう―
・『左組通信』
左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―レフティやすおの左利き私論 3―

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

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2006.06.26

左利きメルマガ週刊ヒッキイ第35号「書字は万民の技術2」

先週土曜日発行の最新号は発行部数が、104部
過去最高を記録しました。記録更新です。
といっても、たったの二部ですが。

それでもこれで7号連続の三桁(百部以上)確保です。

じわじわですが、『まぐまぐ』全発行メルマガの順位も上っています。
『メールマガジンのランキング屋さん』における「メールマガジン発行部数ランキング:左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」のウィークリーランキング履歴(2006/06/18~2006/06/24 の発行履歴)によりますと、

総合で、8068位。
カテゴリ別では、大カテゴリ:1064位。
中カテゴリ:270位、 小カテゴリ:144位。
形式別では、7682位。

対象期間中の総発行部数は、 56,867,507 部。
■総発行回数 23,953 回
■集計対象マガジン数 11,871 誌
■集計対象マガジン部数合計 20,559,365 部
です。

まだまだ、上を見るとキリがありません。地べたを這っているに近い順位ではありますが、志は高く、目指すは天!
当面は200部です、よろしく!

・・・


左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii 第35号「書字は万民の技術2」

mag2 ID:0000171874
最新号発行日:2006/06/24 最新号発行部数:104部 サイズ:18k

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─目次―