2009.06.19

『落語の国からのぞいてみれば』から左利きを考える

以前、メルマガ『週刊ヒッキイ』の「おまけコーナー」でも少しふれていたのですが、このたび左利き仲間の間で話題に出ましたので、改めてここでもう少し詳しくふれておこうかと思います。

第143号(No.143) 2008/7/26「<左利きプチ・アンケート>第55回」


昨年2008年6月に出版された、江戸時代を背景にした落語から現代社会を考えるといった本『落語の国からのぞいてみれば』(堀井憲一郎/著 講談社現代新書1947)のなかに、落語のなかの左利き、江戸時代の左利きについて書かれた章がありました。

内容的には、面白い本です。
江戸時代と現代を見比べるといった趣向で、現代を別視点から捉えることで、明らかになる面があるだろう、ということでしょう。

こういう発想は、落語がブームになっているという背景も手伝ってのことだと思うのですが、なかなかタイムリーな企画でもあったと思います。


さて、この左利きに関する章は以下のような内容です。

第十四章 左利きのサムライはいない
 左で食べる落語家はいない/舞台のカミとシモ/左と右はどちらが偉いのか/刀を扱うときの左右のルール/社会コストの問題

昨年話題になった国分太一主演の落語の映画『しゃべれども しゃべれども』での右手箸遣いを枕に落語に登場する左利きを紹介しながら、サムライにおける刀の扱いなど、江戸時代と現代を比較し、社会的な話題を提供してゆきます。

特にこれといって私に異論はありません。
当時はそういうものだったのだろう、と思う程度です。

昔の社会では少数派の左利きの人に、それだけの配慮を示す余裕はなかった、ということも事実だったのでしょう。


ただ、一言いえば、だからといって、ただ今現在も昔同様の在り方を肯定するものではない、ということです。

社会コストの問題があるといっても、実際には色々と少数派に配慮した社会投資がなされるようになってきました。

これは、少数派への配慮を含む社会投資の必要性が、人権の問題もあり、社会的に見ても有効な投資に成り得る可能性があると判断する考え方も出てきて、誰もが無視できないと考えるようになったからでしょう。

例えば、歩道には点字ブロックが標準装備されるようになりました。
これによって、視覚に障碍のある人も外に出やすくなり、社会で活躍できる機会が増えたのではないでしょうか。
十全ではないにしても、一歩前進でしょう。


左利きの問題に関しても、単にいわゆる左利きの人(強度の左利きの人)だけでなく、左利きの要素を持つ人や右利きでも状況により左手や左体側を使う人、やむなく左手や左体側を使わざるを得ない人にとっても、福音となるのです。

左利きの人だけを優遇するのではなく、時と場合により左体側に重点を置く人にもプラスになるとわかれば、従来考えられていたような狭い範囲のニーズではなく、もっと有効性のある投資に成り得ると考えられるのではないでしょうか。

実際には、ちょっとした工夫で左右どちらでも使用可能となるものは、いくらでもあります。

そういう左右の共用性にも目を向ければ、もっと少ない費用で、右利き仕様に偏重した社会をもう少し緩和できるのではないでしょうか。

単にコストがかかるから、できなくても仕方がない、とはいえないような気がします。

左利きは少数派なのだから、それにちょっと頑張れば慣れることでもあるのだから、我慢しなさいよ、と言って済ませる時代ではなくなったように思います。

 ・・・

そして、実は私が一番気にかかったのは、巻末の参考資料編の中での発言です。

「参考文献的おもしろかった本解説」での大路直哉/著『見えざる左手』の感想がそれ。

これは左利きの人からの提言で、右利きが見落としそうな部分の指摘はおもしろかったが、読んでて、でも申し訳ないがおれは右利きなんで、と思ってしまったのも事実。

当然といえば当然の話ですが、いかにも左利きで困った経験を持たない右利きの人らしい意見?が読み取れ、<右利きだけでなく左利きにも優しい左右共存共生社会の実現を目指す>私にとっては、ちょっと残念な気がします。

右利きの人の素直な感想といえば、そうなのでしょう。
たぶん多くの右利きの人は、このような感想をお持ちなのかもしれません。

しかし、素直な意見なら良い、というものでもないでしょう。

本として公刊するということは、社会的な意見の表明でもあるわけで、当然その発言には、社会的な責任というものもついて回るはずです。

「申し訳ないがおれは右利きなんで」と締めてしまったのでは、世の中の大半の少数派や弱者といわれる人たちは浮かばれません。

たとえば、このを「申し訳ないがおれは右利きなんで」の「右利き」を他の言葉に置き換えて考えてみればどうなるでしょうか。

有色人種の苦難の歴史は知っているが「白人なんで」、障碍者の大変さも認めるが「健常者なんで」、高齢者の気持ちはわかるが「まだ青年なんで」、女性の立場も理解できるが「男性なんで」、云々。

今どきこんなことを発言をすれば、マスコミからも世間一般からも、袋叩きにあったり総スカンを食らってもおかしくないでしょう。
無責任な発言と、良識が疑われかねません。

でも、左利きのことだから、マスコミからも世間の誰からも非難されずに済んでいるのではないでしょうか。

いくら落語の話を扱っているからといって、何でもかんでも軽く冗談半分におもしろおかしく締めればいい、というものではありません。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2009.03.26

学習塾のチラシに見る左手書字の子供-part2

先日は、求人広告チラシに見る左利きを話題としました。

2009.3.1
求人広告チラシのイラストに見る左利き 
お茶でっせ版新生活版
0902kyuujinkoukokuhasi


Jukutirasihidariteshoji2009

今回は、学習塾の広告チラシです。

実は、昨年も同じ題名で記事にしています。

2008.4.10
学習塾のチラシに見る左手書字の子供
お茶でっせ版新生活版
Jukutirasilhw


すると今年も、塾の新聞折り込み広告のチラシに、左手書字の子供を使っているものがありました。

どうも記憶をたどると、同じ塾のようです。
(昨年の写真には、全体を写したものがなく、確認はできませんが…。)

全体の構図、塾名の印象(漢字と他の文字の組み合わせ方)など、同じところのように思われます。

広告チラシの制作に当たった会社が同一で、似たものになったのかもしれません。
あるいは、塾そのものの考え方によるものかも。

部外者には裏の事情は全くわかりませんので、これから書くことは私の憶測です。


ただ一つこれは確実だといえることは、世間一般の左利きに対する「違和感」や「マイナス」イメージが、確実に払拭されてきた、ということでしょう。

その結果、プロのモデルさんであれ、塾生であれ、左利きの子供を広告に使うことが全く自然なこととなっている、ということでしょう。

昨年も書きましたように、

「世の中には、右手で字を書く人もいれば、左手で字を書く人もいるのです。」
「そんなこと当たり前じゃないか!」
と、そう言える時代になったのです。


少なくとも、私がその昔に経験したようなこと―「左利きは字が書けない」「左利きは頭がおかしい」といった暴言に見られるような、左利きを完全に否定するイメージを持つ人が、世間の主流ではなくなった、ということです。

今の世では、逆に(昔から一部では言われていたことですが)「左利きは天才」であるとか、左利きは個性的な「右脳派」の「芸術家」タイプであるとか、「左利きはカッコイイ」とする、左利きを持ち上げるような見方も生まれています。

私にいわせれば、どちらもいい加減なものの見方にすぎません。
一面だけを取り上げたもので、本質を理解した発想ではないと思われます。

左利きには、典型的な右利きの人に比べると、様々な点で一様でない部分があるようですが、所詮は一人の人間にすぎず、表面に現れる性質に相違があるだけです。
(内面においても異なる部分があるのかもしれませんが、それはまだ未確定の要素で、現実の問題としてどうこう言うことは避けるべきでしょう。あくまでも、科学上の仮説にとどめるべきです。)

もちろん、それが多様性を受け入れられなかった時代においては、見過ごせない大きな問題であったのは事実でしょうけれど…。


左利きがいいとか悪いとか、右利きが便利で得だとか、そういう見方は、大人の勝手な思い込みにすぎません。

大人が勝手に左利きだなんだと子供にラベルを貼って、自分たちの考えで決め付けてしまうことのほうが重大な問題なのです。

本人にとって、どういう対応が自分らしく主体性を発揮できることなのかどうか、ということが大切なのです。


まあ、とにかく、こういう形で左利きを目にする機会が増えることは、社会全体で左利きについて広く考えてもらいたいと願う、私にとってはうれしいことだといえるでしょう。

なぜなら、左利きの存在が必要以上に特別なものでもなく、かといって、その存在を無視することができないものでもある、ということを明らかにしてくれるわけだからです。


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2009.03.09

左利きを直す必要はない-親野智可等『父親のための親力養成塾』第45回

090306nikkeititioya45

いまさら説明するまでもないと思いますが、『まぐまぐ!』メルマガ大賞の教育部門で連続一位を続けている『親力で決まる子供の将来』の筆者で、他にも『ドラゴン桜』関係やあれやこれやで大活躍中の、元小学校教師の教育評論家・親野智可等先生の教育・子育てコラムです。


日経BPnet SAFETY JAPAN HOME >> コラム
第45回 左利きを直す必要はない 親野 智可等氏 2009年3月6日

内容は、以前、先のメルマガの連載記事やその書籍化『「親力」365日!』(宝島社)収録の<親力88>「左利きを右利きにする必要は、一切ない」等でもお書きになられていたことのおさらいです。

 ・・・

私の目についた点を見て行きましょう。

1 わたしは左利きを右利きに直す必要も両手利きにする必要も一切ないし、そうしてはいけないと考えている。

2 そもそも左利きを「直す」という言葉自体に、差別的発想がある。

3 左利きの子は左利きのまま育てた方が、自分の能力を十分に発揮できる。

4 「なぜ左利きの子だけ両手利きにならなければならないのか?」と考える必要がある。それは、決して子どもためにならないし、差別構造の温存につながるものでもあるのだ。

5 無理やり利き手を替えさせられたり両手利きにさせられたりすることには大きな弊害がある。
 (子どもはコンプレックスを感じてしまう。/ 自信を喪失してしまう。/ 親子の良好な人間関係の形成を妨げることにもなる。/ ある種の良心の呵責を覚えさせてしまう。/ 大人に対して反発心を持つようになる。)

6 仮に左利きを右利きに替えることに成功したとしても、大人になって、コンプレックスや大人への不信感に悩まされている場合がかなりある。

7 左利きという個性をセールスポイントにするぐらいの気持ちで子育てしてほしいと思う。

8 実際、今の時代は「人と違う個性がセールスポイントになる時代」「自分の特色を最大限生かす時代」である。まず、子どもに左利きであることに自信を持たせてほしい。

9 右利きの人は驚くほど左利きの人への配慮がない。

10 まず、右利きの人が気づくことが第一歩なのだ。

11 左利きの人たちがどんどん発言すれば、社会の無神経さに右利きの人たちも気付く。そういう気付きが出てくれば、車椅子利用者、視覚障害者、聴覚障害者、老人、妊婦などに対する無神経さにも気付いてくるはずだ。根っこは同じ無神経さなのだから。
 
12 まず一人ひとりが、こんなことから心掛けたい。
 (「ぎっちょ」という言葉を使わず、その代わりに「左利き」「サウスポー」「レフティ」を使う。/ 「おはしを持つ方が右手」と言われて混乱する。これも、左利きの人たちを全く無視した表現と言わざるを得ない。だから、「名札のある方が左」「名札のない方が右」などの言い方に替えていくといいだろう。特に幼稚園、保育園、小学校の教職員の皆さんには、このことを強くお願いしたい。)

13 企業関係者のみなさんに提案
 (左利きも右利きも誰でも使えるユニバーサルデザインを意識した物づくりを進めてほしいのだ。/ ぜひ、左利きの人も右利きの人も同じように便利に使えるものを作ってほしい。それが無理なら、製品の1割は左利き仕様で作ってほしい。そこにビジネスチャンスもあるはずだ。)

 ・・・

基本的に私も同感です。

個々について、話したいことがいっぱいありますが、ここでは置いておきます。
今までにも、このブログや、メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』誌上でさんざん書いてきましたから。

(いずれ機会があれば、番号を振った各項目について書いてみるかもしれません。)


私自身一番大切なことは、その人が自分らしく自分本来の姿で、自分の才能を活かして、日々真っ当に生きることだ、と考えています。


左利き・右利きという性質も、一つの才能です。
左手・左足・左目といった左体側が得意な人、右手・右足・右目といった右体側が得意な人、ということです。


子供の才能を伸ばして、自分の力で生きてゆけるように導いてやるのが、親の務めでしょう。

そういうふうに考えれば、左利きの問題も何も難しいものではないのです。

もし子供が左利きだとわかったら、その才能を伸ばし、活かせるようにしてやればよいのですから。


例えば、
左手・左利き用の道具を与える

左利き用の道具がない場合は(悲しいことですが、まだまだ左手・左利きが使用することを想定していない道具や機械がたくさんあるのです)、右手・右利き用をいかにすればうまく使えるようになるか、その技術や工夫を研究して伝授する。

その一方で、左利きでも不都合のないように、左右平等の社会に変えてゆくように努力する。

こういう製品を作って欲しいとメーカーに訴える。
こういう点を改めるべきだと、社会のシステムを改善する要望を出す。
―等々です。


左右平等の社会を一度築き上げてしまえば、自分の子供だけでなく、他の左利きの子供たちも、そのまた次の世代の左利きの子供たちも、苦労をすることなく生きてゆけるようになるのです。

私たちは、過去、多くの現実を変えてきました。

人間以外の多くの動植物は、環境に自分を合わせて生き延びてきました。
それに対して、人間は環境を変えることで、自分たちに適した社会を作り、ここまで繁栄してきたのです。

確かに、社会の在り方を変えるということは、一朝一夕にできることではありません。
しかし、そういう今日の地道な努力の積み重ねが、明日の幸せにつながってゆくのです。


左利き右利きの問題だけでなく、何事においても、「世の中が○○だから○○に」といった形で、社会の風潮やその時代の状況に合わせた、その場その時の世渡りをするのではなく、子供の意思や適性に合わせた、子供本意の生き方を考えてやるべきでしょう。

いつの時代でも生きてゆくのは、子供自身です。
親は所詮、子供が死ぬまで面倒見てやれません。

親であれ教師であれ、まずは、子供の才能を見極め、それぞれの持ち味を活かした生き方ができるように導いてあげて欲しいものです。

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2008.09.18

左利きは不便ではあるが不幸ではない

「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」

この言葉は以前にもあちこちで書いた言葉です。

実は、これはある人の言葉をもじったものです。
原典に直接あたったことがないので、偉そうなことはいえませんので、元の言葉についてはこれ以上は沈黙とします。


さて、私が言いたいことは、こういうことです。


「あなたは幸せですか?」と問われた時、どちらの答えにしろ即答できる人はいいのですが、アレッと考えてしまう人がいるといいます。

そういう人は、たいていその後「幸せ」を選ぶのだそうです。

で、それには理由があるのです。

「それは、幸せな人ほど、自分が幸せであることを意識せずに暮らしているからです。/幸せだから、幸せについて考える必要がありません。/外部からの質問で、改めてよく考えてみて初めて、自分が幸せであることを気づいたり、思い出したりするのです。」
(流音弥「名言ナビ」No.380 2008年9月18日発行分より)

そして、普段から不幸だと思っている人は躊躇なく「不幸」を選び、「分からない」とか迷ったりしないものだというのです。

なるほど、と思いますね。


そこで、始めの言葉です。

「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」

今の世の中では、左利きであるということは、確かに何かと不自由なもので、不便を感じさせられます。

生まれつき左利きで、こういう状況のなかで育ってきたのだから、特に不自由は感じないとか、不便だとは思わない、という人もいます。

しかし、これは言ってみれば、あきらめです。
そういうものだという、思い込みです。

実際には様々な場面で、アレッとかウーンとかどうもなあとか、色々と感じることがあるものです。
そういうものを「特別に意識しない」ようにしているだけです。

言ってみれば、「不幸」を選ばないようにしているだけです。

実際につきつめてみれば、不幸なのです。
不便というのは、やはり不幸の一つです。

しかし、この不幸は改善できる、解決できる不幸である場合がほとんどだといえます。

この不便さからくる不幸は、そしてそれ以外の不幸も、たいてい改善できる、解決できる不便であり不幸なのです。


始めの言葉、「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」は、現状では生活してゆく上で物理的に不便だが、そういう不便さはあってもそれが生きてゆく上での精神的な不幸にはつながらないのだ、精神的な不幸とは別物なのだ、という宣言です。

物理的な便不便は、元々は自分自身(と社会との整合不整合)に起因するものではあっても、それは本来は外にあるもので改善可能の問題ではあるが、現状ではどうにもならないことである。
それに引きかえ、精神的な幸不幸は、自分自身に起因するものだけれど、自分の内にあるものであり、心の持ち方しだいでどうにでもなるものである、といえます。


哲学者の岩田靖夫氏は、その著書『よく生きる』ちくま新書(2005)の中で、「本当の生きる喜びは、... 幸福は他者との交わりのうちにあるのです。」(33p)と書いておられます。

即ち、物理的環境が満たされなくても、他者との心の交わりにおいて満たされていれば、幸福と成り得るということです。


ここでまた、「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」ということになります。

物理的環境は満たされていなくても、精神的な環境は自分を認めて受け入れてくれるのであれば、幸福になれる、ということです。

そこで、今、私たちのまわりを考えてみたとき、左利きを認めて心から受け入れてもらえるときは、幸せを実感できるけれど、そうでないときは不幸に感じてしまうということです。

残念ながら、現状では、そういう左利きを認めない、受け入れてくれない人もいるのです。
少なくとも条件付でなければ、といった人が。


古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、幸福は核となる純粋な魂の活動だけでなく、それを取り巻く外的な要素も含めて成り立つのだ、というのです。
例えば、富や名誉とか健康とかも含めて、です。
岩田靖夫/著『ソクラテス』勁草書房(1995)「第十章 幸福」218-223p)

そして、アリストテレスに先立つ哲人ソクラテスの考えも同様だったと言います。

...「徳の至高性」を基本に据えながら、しかもなお、非倫理的な諸善をも幸福の小さな付属的構成要素として容認することが、人間の現実に適合しており、それがソクラテスの立場でもあった...(同236p)


そこでまた、「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」です。

即ち、左利きの人にとって外的な要素―物理的環境が今ひとつと感じられるのが現状だとしたら、それは幸福にとってマイナスであり、いくら心の持ち方を充実させても幸福とはいえないことになります。

ましてや、左利きを認めない人、受け入れない人と遭遇したとしたら、これは悲劇となるでしょう。


何度も言うように、私は「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」と思っているのです。

しかし、それを心から真実と言い切るためには、まだまだ越えていかなければならない問題が数多く横たわっているように感じるのです。

このことを一人でも多くの人が心に留めてもらえれば、と思いつつ、私は日々こういう文章をメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイ』やサイト『左利きを考える レフティやすおの左組通信』、ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』などで書いているのです。

※本稿は、レフティやすおの他のブログに転載しています。

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2008.08.13

33回目の8月13日国際左利きの日

Hidaritaimigikikite

例年この日のことを書いてきましたが、間違いを書いていました。

従来、「イギリスの左利きの会 The Left-Handers Club が1992年に制定した「左利きの日」International Left-Handers Day」としてきました。

私の他のサイトでも一貫してこの説を書いてきました。

ところが昨年、アメリカの左利きの会「Lefthanders International」について改めて調べていましたところ、誤りであったことが判明しました。

これは、

1976年、アメリカの「Dean R. Campbell」氏が、自身の左手・左利き用品の店の開店一周年を記念して、その開店日にあたる8月13日に、左利きの会「Lefthanders International」(隔月刊で、左利きに人のための雑誌"Lefthandaer magazine"を発行していた)を設立し、この日を「左利きの日」と制定した

というのが真実のようです。
(改めて私の手元にある"Lefthandaer magazine"のバックナンバーを紐解いてみましたところ、それを裏付ける内容の"Lefthanders day"の記事が掲載されていました。)

*『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第116号(No.116) 2008/1/19「2007年の左利き事情―後編―&第2回<LYグランプリ>2008」
「左利き講座<左利きQ&A>(14)2007年の左利き事情―後編―」記事参照
*『レフティやすおの左組通信』
左利きの日を祝おう!(左利きの日のページ)
International Lefthanders Day - Wikipedia, the free encyclopedia


左利き用品の普及および左利きに対する理解を広めようといった趣旨で始められたもの」という動機の点は、従来通りで間違いありません。

左手・左利き用品のお店の「イヴェント」として、という意味ではまさにピッタリの趣旨です。


というわけで、従来より16年遡ることになり、今年は33回目となります。

上のアメリカの会は解散してしまったようですが、イギリスのほうはまだ活動しています。

LEFTHANDERS DAYのサイト―イギリスのANYTHING LEFT-HANDEDという左手・左利き用品専門店のサイト内の「左利きの会」Left-Handers Clubのサイトにある(こちらは、17回目とうたっている。)

私のほうのサイトでは特にこれといったことはしていませんが、こういう<左利きの日>があるということを機会あるごとに宣伝するだけでも意義があるのでは、と考えています。

年に二度ぐらい(日本では別個に2月10日は<日本版>の左利きの日としています。)少数派である左利きに目を向ける日があってもいいのではと思います。

今年は、ここのところ(7月に入って)、左利きに関する科学的研究本『左対右 きき手大研究』(八田武志/著 化学同人・DOUJIN選書―同氏の1996年の前著『左ききの神経心理学』以降の左利き・利き手研究の成果をまとめたもの、前著は専門的なものでお値段もそれなりのものでしたが、今回は一般向きの啓蒙書でお値段もお手ごろとなっています。左利き・利き手に関心のある方は必読!)
が出版されたり、
女性向け週刊誌『女性自身』に左利きの記事が出たり(8月13日左利きの日にちなむものと銘打たれています。なかでも、プロの書道家・武田双雲氏が左手書道に挑戦されているのが目を惹きます!)、
6月にも江戸時代を背景にした落語から現代社会を考えるといった本『落語の国からのぞいてみれば』(堀井憲一郎/著 講談社現代新書1947)のなかにも、落語のなかの左利き、江戸時代の左利きについて書かれた章がありました。

『レフティやすおの本屋』左利きの本棚/研究書・実用書(『左対右 きき手大研究』『左ききの神経心理学』ほか)
 左利きの本棚/研究書2(『落語の国からのぞいてみれば』ほか)


左利きがメジャーな話題となったとは言いませんが、日常的な話題の一つとして通用する時代になってきたということは十分いえるのではないかと思います。

もっと多くの方が「利き(手)の違い」ということに目を向けてもらえるようになれば、左利きの私たちももっと暮らしやすい世の中に変っていくのではないか、と考えています。

そして、それは、単に「強度の左利き」という人だけでなく、「潜在的に左利きの要素を持つ人たち」―例えば、利き手は右でも、利き目や利き足は左という人、また右手使いと左手使いが混在するという人―、あるいは「右手が不自由だという人」など、様々な境遇の人たちにとっても暮らしやすい社会へと変える、大切な一歩となるような気がします。


参照:過去の<国際左利きの日>8月13日の記事
・2007.08.14 少数派の気持ち伝える「左利きの日」企画開催される
 お茶でっせ版新生活版
・2006.8.13 きょう8月13日は≪国際≫左利きの日です
 お茶でっせ版新生活版
・2005.8.13 今年も今日8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY
 お茶でっせ版新生活版
・2005.7.26 あなたの左利きの願い事を教えて!
 お茶でっせ版新生活版
・2004.8.13 きょう8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY 「左利きの日」
・2004.8.12 明日8月13日は「左利きの日」

*過去の<日本版左利きの日>2月10日(レフトの日)に関する記事:
・2008.02.10 2月10日左利きの日記念<LYグランプリ>2008発表
 お茶でっせ版新生活版
・2008.1.28 2月10日日本版左利きの日記念第二回<LYグランプリ>2008開催中!
 お茶でっせ版新生活版
・2007.2.10 2月10日日本版左利きの日記念第1回LYG読者大賞発表
 お茶でっせ版新生活版
・2007.1.31 2月10日左利きの日記念「LYグランプリ」第1回開催中
 お茶でっせ版新生活版
・2006.2.9 2月10日は日本版左利きの日
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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「33回目の8月13日国際左利きの日」を転載したものです。

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2008.06.26

「左利き」の人の脳の特徴

『ダイヤモンド・オンライン』というサイトに、山元大輔・東北大学大学院生命科学研究科教授/理学部生物学科教授のコラム「「脳」がわかれば「なぜ?」がわかる!」があります。

...「脳」を知ることは、あなたの中にある「なぜ?」を知ることにもなるのです。この連載では、脳のトリビアともいえる意外な脳の姿を紹介していきます。

この【第8回】6月19日付の記事の話です。


「左利き」を矯正された人でも、とっさのときには左手が動く!?
──あきらかに違う、「左利き」の人の脳の特徴

右利き社会の中で「左利きから右利きに矯正された」大人―(青文字部分は原文からの引用。「矯正」という言葉の使用についてはサイドバー等をご参照ください。)

周囲に、子供のころは左利きだったはずなのに、大人になって右利きに変わった人が1人や2人はいるのではないでしょうか。その多くは親に注意され、左利きから右利きに矯正されたケース。親としては、左利きだとなにかと不便だし、箸を左で持つのはみっともないと考えるからです。

そういう人では、「日常生活では確かに右利きなのですが、危険に直面したときや、気が動転した場面では左利きに戻ってしまう」といいます。

これは、「...脳の内部ではまだ左利きのため、とっさのときには本来の左利きが顔を出すと考えられています。」

ということで、脳の構造の話が出ています。
いわゆる言語機能がどちらの脳半球にあるかという話です。

詳細は省略します(詳しくはサイトをご覧ください。)が、左利きの70%は右利きの人と同じだが、少なくとも左利きの人の30%は、「あきらかに右利きの人たちとは異なっている」といいます。

そして、「左利きから右利きに矯正したとしても」、とっさの行動において左利きが顔をのぞかせるのは、このような脳機能の所在が変化しないことが原因である、と締めくくっています。


まあ、左利きに興味のある人なら既存の知識の範囲だろうと思われますが、右利きの人には初耳という方も多いかもしれません。

(個人的には、一部の表現には“異論”がないわけではありませんが、)こういう記事を通して左利きについて知る人も多いのではないかと思い、ここに記録しておきます。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.12.06

『R25』左利き記事にコメント掲載される

R25no170rxr071206

いやあ、世の中なにが起こるかわかりません。
私のような人間でもメジャーな雑誌にコメントを発表する機会がありました。

昨夜の『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』号外 2007/12/5「『R25』コメント掲載のお知らせ」でもお知らせしましたように、

東京近辺で配布されている
リクルートのフリーマガジン『R25』12月6日配布号(No.170)
のミニ・コラム集「ランキンレビュー」

 「右利きが左利きより多いのはなぜ?」

という記事が掲載されました。

前半は、左利きの本(『左ききでいこう』『見えざる左手』)の著者で左利きのサイト「クラブレフティ」の大路直哉氏の解説

後半に、私のサイトのメインのコンテンツであり、メルマガでも紹介しています、<左利きプチ・アンケート>「左利きで困ったこと」、および私の左利きに関するコメントが紹介されています。

私自身、マスコミに取り上げていただくのは、初めてのことでとても喜んでいます。


しかも、この『R25』という雑誌は、いまや首都圏のM1世代(20~34歳の男性)の間で必読誌だそうで、非常に人気の高い、メジャーなフリーマガジンとのこと。

関西在住の私には、ピンと来なかったのですが、東京近辺の左利き仲間によると、先の言葉を裏付けるような発言ばかりです。
正直へぇー、という感じです。


光栄に思います。

サイト4年メルマガ2年にして初めての快挙です。

編集者さん、そして今日まで応援してくださった読者のみなさん、
心から感謝感謝、ありがとうございます。

「右利きの人は、利き手に関して恵まれた環境で暮らしています。私は、左利きの人も同様に自分らしい生き方ができるように、メルマガなどを通じてご理解を求めるべく努力しています。よろしくご協力を!」

わずか二行ほどのコメントですが、左利きに関する私の思いの一端が―最も伝えたいことの一つが、この言葉に詰まっています。

改めてサイトで読んで見ますと、文脈の流れとして問題ないのですが、今ひとつ自己宣伝に終わっているような気もします。
ちょっと反省しました。
もう少し左利き全体への思い込めているつもりだったのですが、どうでしょうか。

ただ、右利きの人たちへ伝えたい私の気持ちは、よく表されているとは思うのですが…。

「アナタの知り合いにも左利きの人は結構いるはず。右利きばかりの世界じゃないこともたまには意識してみて。」 (記事筆者・新型 光氏の結びの言葉)

とラストにありますように、この記事を機に、一人でも多くの方が少しでも利き手および左利きについて関心を持ち、理解を深めていただければ、幸いです。


『R25』のサイト

R25 > ランキン レビュー > 雑学 > 右利き
右利きが左利きより多いのはなぜ?

『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
<左利きプチ・アンケート>目次

『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
号外 2007/12/5「『R25』コメント掲載のお知らせ」

*画像は、『R25』のサイトを加工したものです。

※本稿は、レフティやすおの他のブログに転載しています。
(gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」
 ヤプログ「「レフティやすおの本屋」店長日記」
 アメブロ「レフティやすおの作文工房」)

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2007.11.28

研究熱心?なトラックバック―右利き?左利き?

本日「『まぐまぐ大賞2007』スタート!」に来たトラックバックはおもしろいものでした。

うちのブログは左利きネタを扱っていますので、そういう面ではよく狙ったTBの方かもしれません。
これで、こちらの該当記事名やURLでも入れてあったら、削除の対象にするのはかわいそうという気になっていたかもしれません。
(まずないでしょうけれど。)

一応成人向けの話題を扱っていますので、18歳以下の方はこれより先の文はお読みにならないでください。
(っていうほどのこと?)

 ・・・

一見して成人向けとわかる記事なのですが、その辺をうまくカバーしながら何とか人の目を括ろうとしています。
(以下、一部表現を変えて引用しています。)

実は(女性名)は・・・
右でも左でも、どっちも自由に使えます(^-^)

子供のころはカンッペキな右利きだったんですが、
左腕を骨折した後リハビリしてたら左も使えるようになってました。

無意識に訓練してたのかも知れない・・・笑
(なにをやねん! って感じですが。)

「右腕を骨折したので、左腕を使っているうちに左も使えるようになりました。」
という意見は今までにも聞いたことがありますが、こういう例は初めてかもしれません。

充分ありえる?ことで、お話としても良く考えられています。

アダルト関係の人というのは、人間の本能?を扱っているせいか、人間の本性というものに敏感な部分をお持ちのようで、なかなか興味深い点を突いて来るような気がします。


それにしても、お金儲けとはいえ、ブログ・掲示板へのアダルト系の書き込み(TB・コメント含む)ほど熱心?なものはありません。
自動で送るような仕掛けがあるのかもしれませんが、よくもこんなに飽きないものと感心します。
♪あの手この手の思案を胸に~、という歌が昔ありましたが…。
このエネルギーを○○のほうに…、といえば何をかしこぶってとかいわれるのでしょうか。

まあ、どうしても…ということでしたら、面白ネタで書いてください。
そうしたら、今回のように紹介するかもしれません。

というところで―。

●追記:
(下↓のTBへの回答を書き忘れています。)
私は左利き。強度の、典型的な。
で、右利きが右手を使うように、左利きは左手を使うのが自然なのだと考えています。


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第386回「あなたは右利き?左利き?」にTBしています。

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2007.11.14

左手仕様=左利き仕様か?―電子辞書から考えたこと

最近、富みにこういうことが気になります。

先日、電子辞書を買いました。
以前から手に入れたいと思い、あちこちのメーカーのパンフレットを見たり、電器屋さんで実物を触ってみたりしていました。

コンテンツがもちろん一番大事なのですが、使い勝手の良さというのも、やはり大きなポイントです。

で、使い勝手の問題となりますと、私の場合は左利きなので、そういう面でどうかということが気になります。

ものによってはこれは非常に大きな比重を占めてきます。


 ●使い勝手のよさと利き手の関係

例えば、ペン

文字の横画を書くとき、左から右に線を引くわけですが、左手で書く場合は、どうしても横に押すようになります。
このとき、ペン先が通常の右利き用のものですと、紙に引っ掛かってうまく書けません
どうしても左手書きにふさわしいものを選ぶ必要が出てきます。

あるいはケータイ電話でも、私は左手に持って操作します。

すると、向かって右側の側面に色々と操作ボタンのあるものは、握った際につい間違って押してしまうことがあります。
そこで右側にあまりボタンのないものを選ぶようにしています。
すると意外に選択肢がありません。

カッターナイフでもそうです。

カッターナイフも通常のものは、右手で持ったときに自由に操作できるようになっているものです。
左手で使うと、刃を出し入れするときにいちいち裏返さなければなりません。
しかも、握りの部分が右手に添うように作られていて、左手で持つとストッパーやネジ部分が手のひらに当たります


 ●電子辞書の使い勝手と利き手

電子辞書ではどうでしょうか。
私の買おうとしているものは、手書きで検索できるタイプのものです。

一般にキーボード部のカーソルや決定ボタン類は主に右側です。
両方に振り分けているメーカーもあります。

カシオは、両サイドにスピーカーを配置してボタン類も左右対称に近い配置になっています。
イヤフォン・ジャックの位置も右側です。

シャープはどちらかというと、操作ボタンも右寄りです。
特に主要なカーソルや決定・戻るといったボタン類はすべて右に寄せてあります。
左側には小ぶりの機能ボタンがあります。
イヤフォン・ジャックの位置は左側です。(左手で使うとき邪魔になります。)

手書き用のタッチペンは右側にセットされているものばかりです。
カシオのものは、後方の蝶番部分の右側です。
シャープは底部の右側。

こう見てきますと、右手で使いやすいのはシャープ、左手もある程度使えるのはカシオといった感じです。
すなわち、右利きに優しいのはシャープ、左利きにも優しいのはカシオという気がします。


しかし、本当のところはどうでしょうか。

よく考えてみると、右(あるいは左)手で使いやすいものが右(あるいは左)利きに優しいか、というと一概には言えないような気がしてきます。

片手で操作するものでは、比較的明確に「右(あるいは左)手仕様」は「右(あるいは左)利き仕様」といえるかもしれません。
先ほど例に投げた、ペンとかカッターナイフ、ケータイ電話など。


 ●両手使用時の利き手対応とは

しかし、両手で使う、あるいは両手を使う可能性のある場合はどうか
これは考え方によって違うような気がします。

例えば、があります。
かつての勉強机にしろ事務用のものにしろ、たいていは自分の右側に上から下まで段々に抽斗がついていました。そこで上板の中央より左寄りに座り、右手側にはスぺースが広がっていました。

右側に抽斗があるので右手でものを取り出しやすいこと、上板の右手側にスペースがあるのでものを置いても手を動かす邪魔になりにくく使いやすいこと、など右利きに便利な設計になっています。

しかし、左手で書きものをしながらでも、空いている右手でものを取り出したりできるので、これは左利きに便利な左利き仕様だ、と考える人もいたのです。


昔の固定電話器は、左手で受話器を取る用になっているので、左利きに便利な機械だという人がいます。

しかし、実際は左手で受話器を取り、右手でダイアルを回す、あるいはメモを取るといった、重要な動作を右手で行うために、より重要度の低い動作を左手で行っていただけのことです。

今普及しているケータイ電話のような、ダイアル?つきの受話器のタイプとは使用方法が根本的に異なっていました。


こういった両手で使う、(あるいは)両手を使うことを前提とした場合、どういう機能がどちらに配置されているか、その見極めが重要です。

ピアノは両手で弾きますが、右手で主旋律を引き、左手では伴奏を弾くのだと聞いています。
これは両手を平等に使っていることになるでしょうか。

私は違うと思います。
明らかに右手使用を重視した右利き用の道具でしょう。

パソコンも同じです。
左手も使うけれど、より右手に比重が掛かっています


 ●両手使用時―電子辞書の場合

で、電子辞書です。

電子辞書の正しい使い方というものがあるかどうかは知りませんが、自分なりに使い方を考えてみましょう。

まず辞書として単独で使うときは、これはやはり「右手仕様」=「右利き仕様」と考えられます。

どちらの手も空いている状況では、右手で使いやすくなっている「右手仕様」は当然「右利き仕様」でしょう。

では、両手で使用する、(あるいは)両手を使用する場合は?


その前に「両手で使用する/両手を使用する」ケースにはどういう場合があるか見ておきましょう。

一つは両手に持って、ゲーム機のコントローラーのように両手を使って操作する場合。
次に考えられるのは、書きものの途中で言葉を検索するときに横に置いた辞書を操作する場合。

始めのケースならパソコンのキーボードなどと同じ分類ができそうです。
二番目の場合には、パソコンのマウスを操作するときに似ているように思います。


このように「両手で使用する/両手を使用する」という前提で電子辞書を考えた場合、パソコンを使うときに似ているといっていいように感じます。

パソコンを使うときも、実は二通りの考え方があります。
すなわち、「右手マウス派」と「左手マウス派」です。

右利きの人の場合、利き手を空けておくためにマウスは左手で使え、という人がいます。
例えば、キーボードだけでなく他の入力機器を使う場合や、手書きのメモ等を取る必要のある場合など、この方が絶対便利でしょう。
(これが「左手マウス派」です。)

一方、マウスも利き手でないと使えない、という人もいます。
(右利きの人の場合なら「右手マウス派」です。)

私は、以前は後者でしたが、肩を痛めてからは、前者に変わりました。
痛みがなくなってからも右手マウスです。
やはり利き手を空けておくほうが絶対に有利だからです。


 ●片手使用時と両手使用時のねじれ現象

私はメモを利用しながらパソコンでものを書きます。
辞書を左手で繰りながら、引用する文献や抜書ノートを左手であれこれ探しながら、など。

すると、単に辞書を繰るのではなく、パソコンでものを書きながら、もしくは書くためにメモを取りながら辞書を繰る、という使い方が基本となるでしょう。

電子辞書を選ぶときも、そういう使い方を前提にしなければならない、ということになります。

そうしますと、当然両手使用のためのものよりは、片手で使いやすいもの、それも右手で使いやすいもの―がよい、ということになります。

すなわち私の場合は、「右手仕様」=「<左>利き仕様」ということになります。


片手で使用する際は、「左手仕様」=「左利き仕様」であるのに、
両手で使用するときは、「右手仕様」=「<左>利き仕様」です。

ねじれ現象が生まれて来ます。

こういうことも、これからは考えてゆかなければいけません。
単純な「右手仕様」=「右利き仕様」、「左手仕様」=「左利き仕様」思考では、割り切れないものがいっぱいあるように思います。

ユニバーサルデザインを考えるときにも大事なポイントになるのではないでしょうか。

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2007.11.09

トリンプ『マイ箸(はし)ブラ』と配膳のこと

別にブラに興味があるとか、環境問題に関心があるというわけではなく、
興味を持ったのは、ご飯茶碗と味噌汁椀の位置です。

トリンプのプレス・リリース
2007/11/07「世相を反映させたユニークなブラジャーシリーズ 最新作 トリンプ『マイ箸(はし)ブラ』」
の画像を見ますと、モデルさんを正面から見て、向かって左にご飯茶碗(モデルさんの右側)、右側に味噌汁椀(モデルさんの左側)があります。

しかし、この配置(ご飯お茶碗が右、汁椀が左)は、モデルさんから見た場合は明らかに伝統の和食の配膳とは逆になります。

これは、「逆さ膳」と呼んで仏様にお供えするときのスタイル、といわれるそうです。
(PHP研究所刊『和食ワザあり事典』「ご飯茶碗と汁椀の正しい位置」による)

もちろん、われわれ観客側から見ると正しい配置(左にご飯茶碗、右側に汁椀)となります。
見せるためのものですから、きっと観客側に合わせたセッティングなのでしょう。


ところで、私は左利きには左利きの常識を、との考えから配膳も基本的に、利き手に合わせるべきだろうと考えています。

左利き仕様の配膳では、先に書きましたように、仏様に出す膳であり、宗教的なタブーにふれると考える方もいます。
日本の伝統を守るべきだ、とおっしゃる方もいます。

しかし、左利きは個性として尊重される時代です。

箸遣いも左手箸がごく普通に認められるようになっています。
(一部には伝統を守って、左手箸は誤った持ち方とする人もいますが、少数派になりつつあります。)

特に、まだ幼い左利きの子供の場合は、利き手に合わない配膳では、つい手が当たって汁をこぼすとか粗相をするケースが多いといいます。

そういう場合はやはり利き手に合わせることで、左利きの子供も右利きの子供と同じように、楽しく食事できるように配慮してやるほうが先決であり、大事なことではないか、と思います。

大人でももちろん同じことで、食べやすさが違ってきます。

私の母は私が子供の頃はいつも、「お母ちゃんにはわからないから(適当に並べるけれど)、自分の食べやすいように並べ替えたらいいんだよ」、と言ってくれました。

なじみの左利きのお客さんに対して、ご飯茶碗を逆に置く気の利いたお店もあります。


公式の場と日常とを使い分けすればいい、という方もいます。
なるほどそれも一つの考え方でしょう。

気になる方はそのように解釈していただいてもよいでしょう。


ただ、
私個人としては、やはり「利き手本意」が新たな伝統として定着してくれるといいと思うのですが…。


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2007.09.14

左利きから哲学する

最近、哲学の本を読み始めています。

まだまだ初歩の初歩といった、初心者向けの入門書ばかり、せいぜい百ページや二百ページといった本を読みかけているところです。

今までにも東洋思想の本や、ちょっとした哲学っぽい本は読んだことがありました。
しかし、本格的に哲学の本を読もうとするのは初めての経験です。


『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第87号(No.87) 2007/6/23「<左利きプチ・アンケート>第42回」の編集後記でもちょっと書きましたように、モンテーニュの『エセー』の三巻本の選集を読み終えてから、ボチボチと哲学の入門書を読み始めるようになりました。

モンテーニュの『エセー』そのものは、<哲学書>というよりは、<思索の書>であります。
しかし、この本により、同じくフランスの近代哲学の祖ともいわれるデカルトや、パスカルといった哲学者が影響を受けているように思われます。

思索の書から哲学へ、と、これはまさに私が今たどっている道のようです。


私が哲学に興味を持つようになったのは、先に挙げた編集後記にも書いていますように、左利きについて考える過程で出会った諸問題―礼儀・作法とは、社会のあり方とは、個人の生き方とは、何が正しいのか、善悪・正誤・正邪とは、正常・異常とは、普通・特殊(特別)とは、などなど…といったことについて考えてゆくうちに、こういう思考はひょっとしたら<哲学>とやらいうものと関係があるのでないか、と気付いたからです。

また私は、本を読むときでも何事でも、ついつい自分自身の中にある左利きや利き手の問題に引き付けて考えてしまいます。
こういう考え方というのも、案外、哲学の考え方ではないのか?

このように、これは哲学的な考え方に近いのではないか、という疑問を解決する意味でも、またこれから更に左利きについて考えを深めてゆく上でも、一度<哲学>なるものがどういうものか見ておくべきではないかと思い立ったわけです。

竹田青嗣(たけだ・せいじ)さんという哲学者の書いた初心者向けの入門書『自分を知るための哲学入門』(ちくま学芸文庫 1993年刊)の「まえがき」のなかで、職業に関連してではなく、日常生活の中で人間が哲学する根本的な動機について書いています。

自分の(=世間から受けとった)習慣的な考え方でものごとを考えると、どうしても自分が苦しく、行き詰ってしまうときがある。そういう場合にはじめて、人間はこの習慣的な考え方に逆らい、それに<抗って>ものごとを根本的に考え直そうとする動機を与えられる。まさしく哲学は、そういう場合にわたしたちにとって“役に立つ”。そういうときこそ哲学は、その“何のためにあるか”という意味をはっきりとわたしたちに告げるのである。(11p)

私が左利きについて考えるとき、というのはまさにこういうときに当たるのではないか…。

竹田さんは在日朝鮮人で、全共闘世代でもあったといいます。
そういう自分が行き詰った/生き詰まった?経験が、自分を哲学に押し進めたのではないか、といった内容のお話をされています。

私の場合は、左利きという問題が哲学へと押し進めているのかもしれません。
少なくとも私にとって左利きは哲学する動機として十分成り立つような気がします。

さて、どのような世界が私の前に開けるのかはまだ不明です。
しかし、とてつもなく広い世界が目の前に広がってきたように思います。

終着点ははるか遠くです。

いつたどり着けるのか、たどり着く地がどのような場所なのかはわかりませんが、やりがいのある旅が始まったように思います。


*
竹田青嗣先生の本では、下の記事で、『哲学ってなんだ 自分と社会を知る』岩波ジュニア新書415(2002刊)の中の「差別の本質観取」の項を参考に話を進めています。

今回、哲学および竹田先生の本に興味を持たれた方で、私のように哲学の基礎知識をお持ちでない方は、中高生以上向けに書かれたこちらの本から先にお読みになられるほうが、哲学とは何か、哲学することの本質とは何かが、わかりやすいかもしれません。

*
2007.07.05 横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造
お茶でっせ版新生活版


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2007.08.14

少数派の気持ち伝える「左利きの日」企画開催される

2007813lhd_2
8月13日は、イギリスの左利きの会 The Left-Handers Club が1992年に制定した「左利きの日」International Left-Handers Day です。
左利き用品の普及および左利きに対する理解を広めようといった趣旨で始められたもので、今年は15周年に当たります。

これまでにも日本でも一部有志により集まりが持たれたりしていましたが、今年はちょっと違った動きもあるようです。


asahi.comの「暮らし」のコーナーのニュースに、この「左利きの日」を記念して実施された、レストランであらかじめお箸が左右逆向きに置かれているというプロジェクトのことが紹介されています。

「左利きはつらいよ」という少数派の左利きの気持ち伝える企画として、東京・渋谷の「DexeeDiner渋谷店」など4軒のカフェやレストランが参加して行われた、といいます。

記事によりますと、

asahi.com > 暮らし > 暮らし一般 > 記事
「「左利きはつらいよ」 少数派の気持ち伝える企画を開催」
2007年08月13日11時01分

 発案したのは東京都渋谷区の広告会社「デザインバーコード」代表で、自らも左利きの吉田稔さん(36)ら。

 「日常風景に右利きが正しいという価値観がしみこんでいる。左利きの視点を多数派が取り込むことで、社会はよりやさしく豊かになるはず」と吉田さん。

 賛同した恵比寿のカフェ「ura.」の田中旬店長(31)も左利きだ。「不便を感じながらも、右利き向けのモノが当たり前だと思っていた」という。「お客さんとの会話がはずむきっかけにもなればうれしい」

箸袋には「感想を『左手』でお書きの上、お店に残してください」と書かれているそうです。
集まった感想はホームページで紹介されるそうです。

一人でも多くの反響が集まるように祈っています。

面白い企画です。
是非また来年もやって欲しいものです。
そして、もっと多くの参加店が現れ、規模が大きくなるといいですね。

長年、少しずつでも左利きの活動をしてきたものとして、うれしいニュースでした。

---

私のサイトでは、今年はこれといったことは実施していませんが、先月は<左利きプチ・アンケート>で、
「第42回 左利きの日はどっちがいい?」を実施しています。

また、先週11日発行分の左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第94号(No.94) 2007/8/11
では、左利きの日を意識して、<特別篇>として「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ/左利き子育てへの要望」を書いています。

左利きの子供を右利きの常識で括らないで欲しい、左利きには左利きの常識があってもいいのではないか、右利きの子供が右利きで生きることに何の疑義も持たれないように、左利きの子供も左利きで生きてゆくのが標準と考えられる世の中になって欲しい、といった内容の要望を書いてみました。


参照:「お茶でっせ」の<国際左利きの日>の記事
・2006.8.13 きょう8月13日は≪国際≫左利きの日ですお茶でっせ版新生活版
・2005.8.13 今年も今日8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAYお茶でっせ版新生活版
・2005.7.26 あなたの左利きの願い事を教えて!お茶でっせ版新生活版
・2004.8.13 きょう8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY 「左利きの日」
・2004.8.12 明日8月13日は「左利きの日」

参照:『レフティやすおの左組通信』 しかしか
左利きの日を祝おう!(左利きの日のページ)


■追記(2007.8.14 10:30):お詫び
昨夜(日付上は今日)の初稿で、いきなり冒頭でミスをしました。

「The Left-Handers Club が1972年に制定した「左利きの日」International Left-Handers Day」と書いてしまいました。
もちろんこれは「1992年」の間違いです。
そのあとの記述からどちらかが間違いであるのは明白ですが、改めてお詫び申し上げます。


※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.07.05

横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造

「横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと」お茶でっせ版新生活版
に続いて、もう一度、横澤彪氏の発言を取り上げます。

J-CAST テレビウォッチ 「横澤彪のチャンネルGメン69」
で、2007/6/27「国分太一くん、箸は右手で持とうよ」の続編とも言うべき記事を発表しています。


2007/7/ 2 「国分太一くん、オレも左利きなんだ」

ところが記事内容を拝読いたしますと、前回の記事で左利きの人たちから「左利き差別」と批判されたそのポイント、および理由を正しく理解されていない様子が見えます。

それゆえに、更なる混乱を来たしつつあるように思われます。

そこで、横澤発言に見る、左利き/利き手差別の構造―なにゆえに「左利き差別発言だ」といわれるのかを、私なりに考察してみました。

 ・・・

『哲学ってなんだ 自分と社会を知る』竹田青嗣/著 岩波ジュニア新書415(2002刊)
「第4章 近代の哲学者たち/2 自由をつきつめる/差別の本質観取」119-126p
の項を、参考資料として紹介してみましょう。

著者は、在日韓国人二世で、民族の問題に関して悩み、哲学に出合い、これを克服された方と思われます。
差別というものに関しても、自分の問題として捉えることのできる人物だ、と私は思っています。


---差別とは

差別の土台
 ―人間も競争原理の中で生きているので、必ず強いものと弱いものがいる。

差別
 ―近代に入り、人間はみな平等で同じ価値を持つ存在である、という考えが広まり、それにもかかわらず貴賎等の身分の差があることを指して呼んだ。

「差別」という考えは、人間はみな平等である、という近代人の人間理解を基礎としている。


---差別の本質

人間は誰でも大なり小なり、差別をしたりされたりしている。

【実際の行動でなくとも意識の上で、など思い当たるものは誰しもお持ちでしょう。私もそうです。】

差別というものは、好き嫌い同様、人間関係には普遍的につきまとうもの。


---「差別するという経験」の本質契機(=条件・要件)

差別語という呪文には、相手を「劣った存在」に変えてしまう力がある。
一方、呪文をかけたほうは、自分を「相対的に」優越した存在であると感じる。

この相対的な自己価値の上昇感覚が、つい差別をしてしまう秘密だ。


---外から見て、差別が醜いものと感じる理由

自分なりの努力でつかんだ自己のアイデンティティの確認ではなく、
他人を貶めて作り出した落差によって、心情的に相対的に自分を「上」にあるという感じるような方法だから。

他人の苦痛を利用して自己価値を持ち上げるような行為だから。


---呪文が力を持つ条件

共同体の関係。
(利き手に関して言えば、多数派の「右利き」、少数派の「左利き」。)

この内属が、自然なものとして信じられるということ。

そして、この共同体の優劣の関係が、一般通念として共有され信じられていること。

ここで初めて、差別語が呪文として力を発揮できるようになる。


人間がつい「差別」をしてしまう根本理由は、「アイデンティティ補強」。

<だから、どんな人間も対等な「人間」と見なすことが自分たちの社会の基本的でフェアなルールであるという自覚が薄いと、それができる立場に立つと誰でも「つい」差別してしまう。>123p

---差別しつつ生きることの本質

差別してしまう体質の人
 ―自己の自然なアイデンティティに不安がある。

自分なりの自己価値をそれなりに持っている人は、他人を差別する内的理由が少ない。

自己価値に不安があるほど、機会があれば、無意識のうちに他人の価値を貶め、自分の価値を相対的に引き上げようとする。

自分の価値を社会の一般通念だけで受け取っている。
無自覚に、社会の通念的な価値の中で生きている。
狭い価値観、世界像の中で生きている。

世間一般のルールを絶対視しており、うまく行っているときはそれでよいが、世間的な一般価値からずれてくると、決定的な打撃を蒙る。

【今回の、横澤氏の場合などは、その典型のような気がします。
世間的な価値観が変わってきているのに、それに気付かず、昔からの価値観を絶対的なものと考えて、意見を述べています。】


---差別されて生きることの本質

差別される側の人の危機
 ―自然な自己アイデンティティや自然な世界との親和性が脅かされている。

差別の呪文が、世間の一般価値に根拠を持つこと、その構造のなかで可能になっていることを自覚できないと、差別に負けて、自分自身へのうしろめたさ、不安、他人への攻撃性を抱きやすい。
そして、過剰に敵対意識や対抗意識を持つことになる。


差別は、個人の生き方の問題としてでなく、社会的な問題として、ルールや制度の問題として考えなければならない。

自分の問題としては、自己アイデンティティや自己価値についてどのような関係態度を取って生きているか、といった問題として捉え直したほうがいい。

<そうでないと、差別の問題は、しばしば、「差別語」など特定の差別現象批判や、差別はあってはならないし差別をする人は悪い人間であるといった、ごく一般的な差別教説としてだけ流通するようになるのである。>126p

 ・・・

★<「...オレも左利きなんだ」感想>

横澤氏の7月2日の記事について、私の感想を書いておきます。


「だから、左利きの人を非難したり、軽蔑したりするつもりはない。」

私も左利きだから、というのですけれど、前回なにが問題とされたのかの本質が理解されていない発言です。

問題はそういうところにはありません。
差別的と受け取れる発言である点が問題なのです。

人間はみな平等かつ自由である、という前提でものを考えているのが、現代の私たちです。
その中には「利き手の違い」も含まれています。
右利きであろうと左利きであろうと、右手を使おうと左手を使おうと。

基本的人権の尊重を謳う世界人権宣言「人権に関する世界宣言」が国連で採択されたのは1948年(昭和23)ですから、横澤氏が箸の手習いを始めた頃には間に合っていないかもしれません。

しかし、左利きの子供に対する無理な利き手の変更
(右手使いが正しい作法であるという観点から、誤った左手使いを右手に直す・正すという意味で「矯正」と呼んだ)
が及ぼす弊害について強調されるようになったのは、精神科医の箱崎総一氏が主宰した「左利き友の会」の運動が大きな役目を果たしたと考えますと、1970年代の半ば頃と思われます。

横澤氏がこの時期に自らの左利きに対する考え方を修正されておれば、時代の意識からのずれも修正できていたのではないでしょうか。


「躾をきっちり受けてきたオレ」「左手で箸を使っているのはいただけない」、およびラストの川柳に見られるように、
自分の努力を高く評価し、それに対して国分太一くん(および左手箸の人たち)の努力の欠如を指摘して、 
<他人を貶めて作り出した落差によって、心情的に相対的に自分を「上」にあるという感じ>を読者に与え、外から見て、醜い差別だと感じさせたのです。


「右手で箸を使ったほうがいいと思うのは、それが食事のマナー、作法だと考えるからだ。日本の文化では右手で箸を持つのが食事の作法とされてきたし、箸の置き方や料理の配膳の仕方は、右手で箸を持つことを前提にしている。」

ここ何十年かの間に、左利きに対する考え方が変わってきています。
そういう時代の変化とご自分の価値観・考え方のずれを表明しています。

いつまでも子供の頃に習った教えを絶対視しているのは、人間的に進歩のない証拠と受け取られます。

大人になれば、人の意見を無批判に信じるのではなく、検証してみるべきなのです。
五感を目いっぱい使って世間をよく観察し、自分の頭でしっかり考え、価値観や世界観を再構築する。
それが日々勉強するということでしょう。


「国分太一君に「箸は右手で持とう」とあえて注文をつけたのは、彼が「芸事」にたずさわるタレントだからだ。たとえバラエティであっても、テレビ番組で食事をするのはプライベートではなく、れっきとした仕事である。メシを食うのも芸のうち、なのである。」

きっと箸使いで考えておられるからお分かりになられないのでしょう。
こういうときは、他のことに置き換えてみるのです。

放送の仕事を長年されていた方ですので、放送関係の事柄に置き換えればよくお分かりになりましょう。

例えば、左手箸を方言に、右手箸を標準語・共通語に置き換えれば、一目瞭然でしょう。

アナウンサーは全国向けニュースで方言はご法度、役者も芝居の設定によっては方言はダメでしょう。
また、古典芸能などでも当然好き勝手とは行きません。

役者は役柄が設定されているときは、それに従うべきでしょう。

しかし、フリートークの番組なら方言でもOKのはずです。
自然体でいいのです。

お笑い芸人でもそうです。
全国向け放送でも関西弁バリバリの大物芸人さんがいます。

箸使いも同じです。
役柄ならば、それに従う。それ以外は自由です。

これが今の時代の標準的な考え方でしょう。


「テレビを見ている多数の視聴者に対する影響力も考えると、日本の食文化にのっとったマナーを大切にしてほしいと思うのだ。」

「視聴者に対する影響力」→「左手箸は悪影響を及ぼす」という解釈が可能になり、こういう言葉を使うと、いよいよご自身の時代とのずれを表明したことになります。


「つい言葉に勢いがついてしまったのかもしれない。」

前回の記事のラストの川柳。ブラック・ユーモアのセンスも空回りです。

つい~してしまった、という場合は、たいてい軽薄な行動です。
上記の本に書かれていたように、そういう行動を起こす要因を内に持っている証拠です。

結局は、本人が左利きであろうとなかろうと、左利きに対する差別的な言動を起こす要素を心の中に持っている人がいる、ということです。

何度もいうように、それは、結局、自分の考えが不足しているからです。
何事もよく観察して、自分の頭でしっかりとものごとを考える、という姿勢を持っていないことに起因しているのです。

 ・・・

★<ブログの特性>

横澤氏の発言が摩擦を生じた原因は、ブログというメディアの特性を十分認識されていなかったからではないでしょうか。

従来のメディアは送り手側からの一方通行でした。
また、過去に書いたものは「済んでしまった」ことで取り返すことができず、修正も削除もできませんでした。

読者が書き手の意見に不満を持っても、同じ土俵で議論することはできませんでした。
発表の場を持たない大半の人々は、あきらめて見過ごすしかありませんでした。

しかし、ブログは違います。
双方向性を持ち、同じ土俵で意見を公開できます。
もはや黙っていなくてもいいのです。

ここでは書き手側も従来のような書きっ放しは許されません。

そういう特性を認識できていたのかどうかも一つのポイントでしょう。


そして、このネットを生活の中に取り込んでいる人たちの多くは、人権宣言以後に生まれた人たちであり、かつ箱崎左利き友の会の活動以降に育ってきた人たちでしょう。

私や彼らにとって、横澤氏のような価値観や考え方は、古い時代の間違った考えだ、と判断されます。

今でも横澤氏のような価値観や考えを持つ人は少なくありません。
しかし、現在のネット上に限って言えば、圧倒的に少数派に属するでしょう。

たとえ世間一般から偏向した考えを表明していても、これが私のような素人の無名ブロガーによる人知られぬブログ上であれば、さほど問題にはならなかったでしょう。

ところが、実際は舞台も書き手もそうではなかった、ということです。

 ・・・

★<マナーや作法についての考え方>

「...オレも左利きなんだ」のコメントを読んでいますと、マナーや作法についての考え方の違いが云々されています。
その点について、上記の『哲学ってなんだ』を読んで考えた私の意見を書いておきます。


近代以降、人間はみな平等で、かつ自由な権利を持つ存在である、という考えが基本となりました。

一方、ものごとには、誰もが理解を共有できる普遍性のある共通了解の領域(自然科学や数学など)と、それぞれに立場が異なる共有できない、多様性に満ちた価値観や世界観などの共通了解の成立しない領域(宗教や美意識など)の二つがあります。

そこで現代では、お互いが平等でかつ自由な存在であることを考慮し、共有できる普遍的な考えをもとに、それぞれの多様性を承認し合い、お互いの関係を調整することで共存しようと考える時代になっているのです。


これを箸使いに当てはめますと―

・右手使いも左手使いも、平等かつ自由な人間同士である。
・普遍的な考えとして共有できる点は、「箸を上手に使える持ち方」が大事だ。
・多様性としては、「右手で持つのが正しい/美しい」、「左手で持ってもよい/上手に使える持ち方こそ大事」があります。

ここで、普遍的な考えに基づき、「箸を上手に使える持ち方」でさえあれば、互いに多様性を認め合い、どちらの手で持ってもよい、と考えるのです。

これが現代的な考え方ではないか、と思います。

 ・・・

横澤氏はこれ以上名を汚さぬように、「読者に対する影響力も考え」、改めて熟慮の上、収拾の道を探るほうが賢明でしょう。


* 左手箸&箸使い関連記事:
2004.11.14
ネットで拾った左利きの話題:マナーの悪いCM
2005.07.31
お箸の正しい持ち方に関するあれこれ

<横澤氏「太一くん…」左手箸発言>追加記事---(2007.7.16)
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第90号(No.90) 2007/7/14「<特別篇>横澤氏「太一くん...」発言から考える」

前の記事
・2007.06.30 横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと
お茶でっせ版新生活版

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

---
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2007.06.30

横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと

しばらく忙しくて自サイトのアクセス解析を見る機会がありませんでした。
本日(6/29)久しぶりにのぞいてみると、うちのサイトとしては非常に多くの閲覧を得ているページがありました。

『レフティやすおの左組通信』内
「<レフティやすおの左利き私論2>右手使いへの変更(左利き矯正)について」

というページです。

下に紹介する記事のコメントの一つにリンクを貼られていました。
(コメント・ページ)


横澤彪のチャンネルGメン69
2007/6/27「国分太一くん、箸は右手で持とうよ」


左手箸およびこのような考え方に対する私の意見に関しましては、リンク先の意見をご覧いただければよいかと思います。

ここでは、それ以前にこのような意見をお持ちになる人全般について、そういう考え方に対する私の意見を述べて見ます。

 ・・・

この記事の中で、タレント国分太一さんの左手箸を取り上げ、

「ただ一つ残念なのが、食べるときに左手で箸を使うことだ。箸は右手で持つもの。そういう躾をきっちり受けてきたオレのような世代の者には、左手で食べるのはすごく違和感があるんだよな。/... やっぱり左手で箸を使っているのはいただけない。今からでも遅くないから、箸は右手で持とうよ。/... /左手は ケツを拭く手だ 箸持つな」

とコメントされています。

ここに書かれた御意見は、きっと御自分の意見ではないのでしょう。


人は誰でも何事に対してもそれなりに自分の意見を持っている、と考えがちです。

しかし、自分の意見と思っているものもそのほとんどは、実は自分の内から出てきたものではなく、外から来たものだそうです。

『娘と話す哲学ってなに?』ロジェ=ポル・ドロワ/著 藤田真利子/訳 現代企画室/刊(2005)
にこんなことが書いてあります。長くなりますが、引用します。

「... よく見てしっかり考えないと、間違った考えを正しいと信じてしまうということなのさ。で、これがしょっちゅうあるんだね。じつにありふれた、よくあること、と言ってもいいくらいだ。いつも聞かされているからそれが正しいと信じる。小さいときに教えられて、ほかの人もみんな同じことを言ってる。わたしたちの頭の中に持っている考えというものは、ほとんど全部が頭の外から来ている。実際はどうやって入ってきたのか、知らないうちに入り込んでいる。それがどこから来るかと言えば、家族からのこともあれば、周囲の人たちや友達からのこともある。自分の考えと言ったって、それを作り上げたのは普通、自分自身じゃないんだ! ... /そういう考えがわたしたちのなかに入り込んで根を下ろす。それはほんとうに選んだわけでもないのに「自分の」考えになる。それが「いい」とか「悪い」とか判断することもほとんどない。正しいのか間違っているのかをほんとうに知ろうとすることもないんだ」
 <1章 正しい考えを探す>26-27p


この横澤氏の意見は、
<自分の五感を目いっぱい働かせて情報を集め、脳みそに汗をかくほど考え抜いて得た答えとしての自分の意見>ではないはずです。

「箸は右手で持つもの。そういう躾をきっちり受けてきたオレ」と記事の中にも書かれていますように、それは昔の人からの教えを、盲目的に何の疑いもなく、信じ込んで忠実に守っているだけなのです。

単に外から得た意見を自分の意見のように思い込んでオウム返しに伝えているだけなのです。


このように考える人は少なくありません。

以前、私のメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii(レフティやすおの左組通信メールマガジン)』第42号(No.42) 2006.8.5 「左手で字を書くために(3)」

「左利き子育て一口メモ マナー本・作法本」で紹介しました、

『箸づかいに自信がつく本 美しい箸作法は和の心』小倉朋子・監修(リヨン社 2006年1月刊)

という本の「第一章 箸使いってそんなに大事?」の冒頭「こんなお箸の持ち方していませんか?」で、「直したいお箸の持ち方」として、平行型(スプーン型)、交差箸、つかみ箸とともに、左手箸をあげています。

著者は、昔習った正しい教えを忠実に現代に伝えよう、とされているのでしょう。

しかし、結果的にそれは、部分的には現代に通用しないものになっています…。


これがひとつの現実です。

非常に残念なことに、自分の頭で真剣にものごとを考えていない人というのは、結構いらっしゃるものなのです。


横沢氏も小倉氏も、利き手について左利きについて、真剣に何時間も何日も何ヶ月も何年も考え続けたことはないのではないでしょうか。
左利きについて、人を見、人に聞き、本を読み、自分で体験したこともないのではないでしょうか。

お恥ずかしいながら、私の左利きに関する意見は、物心ついた時から現在まで40年以上、時にブランクはあっても、自分自身の体感に基づき、自分自身の体験を通して、時に人の姿も見、人の意見も聞き、本も読み、サイトも閲覧し、その上で自分の頭で考えて考えて考え抜いて出した意見です。


私は、利き手・左利きの問題を取り上げるときに、教育というものを一つの柱に考えています。
それは、こういうところにその理由があるのです。

左利き系の有名なサイトの一つでは、<左利きの人がこんなにいっぱいいる、左利きって当たり前>なのを示すことで、左利きに対する考え方を変えてゆこうとしています。

私はそれではダメだ、と考えています。

なぜならば、人は自分の見たいものしか見ない、自分の聞きたいことしか聞かない、自分の解釈したいようにしか解釈しないもの、だからです。


だから、教育が必要なのです!

何事も一から教育することが重要になってくるのです。

きちんとした人権教育の一環としての利き手教育というものが。

私はそう考えています。

<横澤氏「太一くん…」左手箸発言>追加記事---(2007.7.16)
「お茶でっせ」記事第二弾
・2007.07.05 横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造
お茶でっせ版新生活版
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第90号(No.90) 2007/7/14「<特別篇>横澤氏「太一くん...」発言から考える」

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.05.18

日刊スポーツ07年5月10日:どうして人間には、右利きが多いのか?

2007年5月10日の日刊スポーツ「雑学道場」(山田大介記者―少し複雑な利き手を持つという)に「どうして人間には、右利きが多いのか?」という記事が掲載されたそうです。

ご自身左利き(だったと記憶しています)の、脳血管研究所・杉下守弘教授の話が紹介されています。


知られざる利き手の不思議
 (旧石器時代?~右9割左1割~言語と関係?~未解決な問題)

言語優位半球が左脳にあり、右半身の運動を司るのも左脳であり、進化の過程で言語と同時に右利きを獲得していった野ではないか、というのが一つの有力な考え方である。
しかし左利きの場合は、言語優位脳が右利きと同じ左脳にある人が60~70パーセントいるといわれ、左利きについてこの説では説明しきれない。

結局、現時点では<なぜ人間に右利きが多いのか?>という疑問には正確に答えられない、というのが、結論になっています。

ただ、「私見として<右利きが右手で運動する時の右脳の活動部分>よりも<左利きが左手で運動する時の右脳の活動部分>が大きいのではないか、と考えます。」とあります。


「杉下教授の考える右利きと左利きの脳」の図解を、私なりに数値に置き換えて説明します。

・<右利き>【右手】
(右脳)●● 2:8 ○○○○○○○○(左脳)
         
・<左利き>【左手】
(右脳)●●●● 4:6 ○○○○○○(左脳)
             
右利きでは左脳に偏っているが、左利きでは左脳への偏りが少なく、右脳もかなり活動している。


“左利きに天才が多い”のは本当なの?
 (一概には言えない~スポーツで優位)

ほかに、「世間は右が中心」(ハサミなどの道具類、自動改札機などの機械類など)、「脳トレ塾」など。

 ・・・

一般紙に左利きや利き手の話題が掲載されるケースは少なくありません。
しかし、スポーツ紙で、スポーツがらみの記事でなく掲載される、というのは非常にめずらしいのではないでしょうか。

なにはともあれ、一人でも多くの方に左利きや利き手の問題に興味を持って欲しいと願う私としては、うれしい限りです。

* 情報源:mixi「左利き」コミュニティ・トピック

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.04.10

4月6日産経新聞の左利きの投書

4月6日の産経新聞朝刊の読者の投書欄「談話室」に、左利きについての投書が掲載されました。

地方によって掲載されるものが異なっている可能性があるので、(大阪版)と書いておきましょう。

---
43歳のお母さんの投書です。
ご自身左利きで小さいときはご両親や周りの人が右利きにしようと必死だったそうです。
学校でも左手を使おうものならすぐ注意された。消極的になり、自信を失った。人前で字を書くのが嫌いになったそうです。

でも、それほど辛い思いをしても、今でも左利き。

で、10歳の息子さんも左利き。
息子が左利きと分かってうれしかった。左利きは「個性」。その芽を摘み取ることなく、のびのび育って欲しい。息子は今まで嫌な思いをしたことがないようだ、という。

「まだまだ不便なことが多い世の中だが、息子といっしょに自信を持って生きていきたい」、と結んであります。
---

私には、非常にうれしい投書です。
皆さんがこのような考えを持っていただけるとよいのに、とつくづく思います。

ある程度年配の左利きの人なら、大なり小なり似たような経験のあるお話です。
しかし、今でもまだまだ理解が足りないとしかいえないような大人が少なくありません。

私の場合は、小学校入学時に母親が先生に相談し、左利きのままでよいという助言を受け、以来左手で生活してきました。

人は、本来の自分の姿で生活するのが一番快適です。

相田みつをさんの言葉にあるように、トマトはトマトでいいのです。
メロンにならなくてもいいのです。

嘘偽りのない、素直な自分であれれば、最高です。
お互い、自信を持って生きてゆきましょう!

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.03.21

紺野まひる「笑っていいとも!」左利きの家族

3月19日(月)のお昼のテレビ「笑っていいとも!」、テレフォン・ショッキング出演の紺野まひるさんが、左利きの話をされていました。

字や箸、庖丁などは左だけれど、ボール投げとスポンジでの皿洗いは右手だ、と手振りを入れてお話されていました。
ちょっと不思議だ、と。
まあ、そういうことはあるかもしれません。

左手で字を書く左利きでもボール投げは右という人は、意外に多いようです。

クリス・マクマナス/著『非対称の起源』大貫昌子/訳(講談社ブルーバックス 2006年刊)の「第7章右と左を決める遺伝子」のなかで、オンタリオのグウェルフ大学マイケル・ピーターズの研究が紹介されています。

「左利きの人のほぼ三分の一が左手で字を書くのに、ボールを投げるのは右手で、しかも右手のほうが正確なのだ。」(241p)

さらに、右手で字を書く右利きの人の2パーセントから3パーセントは、ボールを投げるのに左手を好む、というのです。

そういえば日本のプロ野球でも、右投げの左利きの選手、右利きの左投げの選手はかなりいました。

そして、タモリさんのストラップがもらえるという1/100のアンケート・コーナーで、紺野さんの出したのは、ご自身が左利きでお父さんも左利きだそうで、家族にも左利きがいる左利きの人、というものでした。

結果は3人でした。
けっこういるんですね、という感想。

しかし、これは左利きについてもうちょっと考えてみると何とかなったのでは、と思われます。

一般に左利きの割合は一割程度といわれています。百人なら十人です。

そして、先の本『非対称の起源』によりますと(同章、マクマナスとフィル・ブライデンの研究 247p-248p)、両親とも右利きで子供が左利きになる可能性は9.5%、片方が右利きで片方が左利きの場合は19.5%、両親とも左利きのときは26.1%

親のひとりが左利きだと左利きの子を持つ可能性は、両親とも右利きの場合の2.05倍、両親とも左利きの場合は、2.75倍だといいます。

家族に左利きがいる場合の可能性については、調査がないのか書かれていません。

※追記:2007.3.24―具体的な数値は出ていませんが、248pに「左利きの被験者の半数が、家族で左利きなのは自分だけだと答えている。」と記載されていました。)

が、これは範囲が広がりすぎて調査が不明確になるのではないでしょうか。
生物学的には親は必ず二人ですが、家族は兄弟の数が不定です。
兄弟の数が増えればそれだけ可能性は高くなるでしょう。

両親のどちらかが左利きの場合、倍の確率で左利きの子供が生まれる可能性があるとすると…、
まあ、家族に左利きがいる左利きの割合は、百分の一ということはまずない、それ以上だろうと推定できます。

ここでは、家族ではなく、親がもしくは父も、というふうに限定したほうが期待できたのではないか、と思えます。
残念でした。

左利きが遺伝であるかどうかは、まだ不明ではありますが、このように家族性の左利きがかなりあるという事実から見て、そういう可能性が高く、何らかの形で遺伝的な要素が関係していると見るのが有力と考えられています。

●参照:『レフティやすおの本屋』左利きの本棚/研究書
クリス・マクマナス/著『非対称の起源』大貫昌子/訳(講談社ブルーバックス 2006年刊)

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.01.30

『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?

過去二回、1.24の記事「『AERA』2007年1月29日号の左利き記事」お茶でっせ版新生活版、および1.26の記事「『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について」お茶でっせ版新生活版で、この『AERA』2007年1月29日号の左利き記事が、右利き寄りに偏向しているのではないか、そのような一方的な偏った報道は問題があるのではないか、と書きました。

今回は、図書館で記事を入手しましたので、改めて記事を読み、私の感想を書いてみます。

Aera070129refty1

「アエラネット/テーマ「レフティー」1-子どもの左利き、直す?直さない?」ライター:加藤美穂
―親にとっては、幼い子どもが左利きだと気になるようです。実際、子どもの左利きは矯正した方がいいのでしょうか。―


前半は、アエラネットでの「左利きは矯正すべきか?」のアンケートの結果から紹介しています。

最近の主流は、「子どもの個性を尊重した教育や、矯正の無理強いはよくないという考え方」だと紹介した上で、今回は少数派となった「矯正すべき」派の意見を紹介しています。

ゴシックの太文字で書かれている意見を引用します。

「左手で書くと、前に書いた字に手がかぶさって見えないせいか字の大きさもバラバラです」
「子どもの将来を狭めないためにも、不利な条件をできるだけ取り除いてやるのが親の務めでしょう。個性重視なんて言って、子どもに努力させない親は自分がしつけの苦労をしたくないだけ」

そして、後半で、「本誌「マンスリーBOOKスコープ」でもおなじみの生物学者、早稲田大学の池田清彦教授」の言葉を紹介して結んでいます。

右利きと言語活動などの話の後、松井やイチローを例に右目利きで左打ちが好成績を生んでいるとして、利き目の重要性を指摘しています。
利き手は矯正できるが、利き目の矯正は簡単ではないので、「だからお母さんたちは、子どもの利き手ではなく、利き目のほうに注意を払ったほうがいいのでは」という。

ここでのポイントは「利き手は矯正できるが、利き目の矯正は簡単ではない」です。

これでは、利き手は誰もが無理なく変えられる、ような印象を与えます。

確かに、前原勝矢/著『右利き・左利きの科学』(講談社)でも、利き眼の項目で左打ちのバッターのことなど書いています。
「利き手は文化の影響を受けるが、利き目は影響されない。」ので、利き目は、本来の側性(ラテラリティ)を残している、という説を紹介しています。

なるほど、利き目を変えることはむずかしそうです。

が、利き手は変えられると言い切ることは、危険だと思います。

私の調べた範囲では、一部の動作のみ変えられる人もいれば、それもできない人もいます。

基本的に、変えられる人は、元々右利き左利き両方の要素をいくらかでも持っている人のようです。

利き手調査の結果を示す分布グラフでいうと、右利きと左利きのあいだに位置する人では、右手使いが可能になるようです。


この記事のタイトルの由来もこの結論のように、どうも「左利きは変えられる」という前提で書かれているようで、その点がどうも危なっかしく感じました。

何度も書きますが、「直す?直さない?/矯正する」といった表現は、善悪・正邪・正誤といった価値判断を含む表現です。
これでは、左利きは「正しい状態ではないこと/正すべき欠点や悪癖・悪習」といったことになります。

左利きはそういうものだという認識は、現代ではほとんどなくなっています。
にもかかわらずこの表現を使用するのは、左利きに対して誤解を与える、偏見や差別を助長するおそれがあります。

私は、「右手を使ってみる/右手使いを試みる/右手使いを試行する」あるいはもっと簡単に事実のみを述べる「右手に変える/変えてみる」等の表現で充分だと考えています。

「直す?直さない?」ではなく、「右手を使ってみる/右手に変えてみる?」ぐらいで充分でしょう。


もうひとつ言えば、「子どもの将来を狭めないためにも、不利な条件をできるだけ取り除いてやるのが親の務めでしょう。」という意見がありました。
誠にその通りです。
しかし、目を向ける対象が違っています。

左利きの子供だけが余計な苦労を強いられるのなら、それは社会の側の問題でしょう。

左利きの子供に不利な条件を作っているのは、社会のほうです。

「左利き」を他の言葉に置き換えてみれば、よくわかるはずです。たとえば、女性、高齢者、病人、障害者、人種などなど―。
本人に責任のない身体的特性によって、不利になるような社会のあり方には問題があるのではないでしょうか。

社会が左利きの子供にも優しい構造であったなら、左利きの子も右利きの子と同じように暮らしていけるのです。
その恩恵は、今生きている子供たちだけでなく、将来、生まれてくるであろう左利きの子供たちにも及ぶのです。

子供のほうを変えるのではなく、社会のあり方のほうを改善すべきなのです。


こういう子供のほうを変えればよいという考えが生まれるのも、「利き手は変えられる」ものだ、という発想が根底にあるからです。

ぜひ、再考をお願い致します。

※ 参照:
・1月22日発売の週刊誌:『AERA』2007年1月29日号
 アエラネット/テーマ「レフティー」1-子どもの左利き、直す?直さない?
・1月29日発売:AERA 2007年2月5日増大号
 アエラネット/テーマ「レフティー」2
アエラ・ネット
 アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.01.26

『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について

前回、「『AERA』2007年1月29日号の左利き記事」お茶でっせ版新生活版 が右利き寄りに偏向しているのではないか、と書きました。
今回もう少しその点を考えてみましょう。

記事が特定のイデオロギーに偏向しているからといって、それが必ずしも悪いとは言いません。
思想の自由・表現の自由は保障されています。
道義的にはともかく、いかなるものであれ、否定されるものではありません。

しかし、19世紀イギリスを代表する哲学者・経済学者、J・S・ミルはその著書(約150年前の名著)『自由論』(山岡洋一/訳 光文社古典新訳文庫 2006.12刊)「第2章思想と言論の自由」のなかで、次のように書いています。

古代ローマの政治家キケロは、論敵の意見を研究するのを習慣にしていた。この点は、「真理をみつけだすために研究している人の全員が真似るべきである。」

「自説の根拠しか知らない人は、その問題についてほとんど何も知ってはいない。」

たとえ自説の根拠が適切で、かつ誰にも論破されていない場合でも、
「その人も論敵の根拠を論破できないのであれば、あるいは論敵が何を根拠にしているのかすら知らないのであれば、どちらか一方の意見を選ぶ理由をもっていないのである。合理的な立場をとるのであれば、どちらの意見についても判断を留保すべきであり、それでは満足できない場合には、権威にしたがっているのか、世間の人たちがそうしているように、自分の好みにいちばんあうと感じる意見を選んでいるのである。」

また「その意見を実際に信じている人から、つまり、その意見を真剣に擁護し、そのために最大限に努力する人から、主張を聞くことができなければならない。」と、論敵の主張にふれることの大切さを述べています。

「正しい意見のうち、反対論との議論で決定打になり、議論の全体に通じている人の判断を左右する部分 … をほんとうに知っているのは、両方の意見に公平に平等に注意を払い、両方の根拠のうち最強のものを理解しようとつとめた人だけである。」


この『AERA』2007年1月29日号「アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?」の記事の中で、ラストの方に、利き手の「矯正」は簡単にできるが、利き目の「矯正」はそうではない、という学者の意見を取り上げていたように記憶しています。

今回の記事だけを見ますと、まるで、利き手を変えることは容易であり、「直せる」という立場は不動のもののような印象を受けます。

こういう一方の側から書かれている記事は、多くの悩める左利きの子を持つ親御さんたちに誤ったシグナルを送ることになる、と私は考えます。

今後の連載がどのような展開を見せるのかは不明でありますが、基本姿勢は変わらないのではないかと危惧しております。


表題の「直す?直さない?」やアンケートにおける「矯正」という言葉を用いることに関しても、自説による見方に基づく言葉使いではなく、もう一方の見方も配慮した言葉使いがあっても良かったのに、と考えます。

実際、多くの利き手研究家がこの「矯正」という言葉の不適切さを訴えています。

1970年代前半、左利き友の会の主宰者であった精神科医・箱崎総一(『左利きの秘密』立風書房マンボウブックス 1979)や、利き手の研究成果をまとめた八田武志教授(『左ききの神経心理学』医歯薬出版 1996)のような、右手使い指導に反対する人たち。

また、一部右手使いに変えることを視野に入れても良い、もしくは容認する立場の人たち―『右利き・左利きの科学』(講談社/ブルーバックス 1987)の著者、前原勝矢、児童かきかた研究所所長・高嶋喩(『だれでもできる幼児・児童の書き方指導(硬筆編)』あゆみ出版 1994年刊)の両氏も著書で、この言葉の不適切さに言及しています。

ネットの検索でも、この言葉について色々な情報が得られます。
不適切さに言及しているサイトはいくつもあげられます。

これらの情報はすべて、左利きについてちょっと調べれば出てくるものであり、左利きを研究する人の間では常識といえなくもありません。

どうも左利きを語る上での資格についても疑問を感じてしまいます。


広く一般に使われている言葉だから、という理由であれば、それはおかしいと思われます。

実際に、広く一般に使われている言葉であっても、それが現実に差別的に使われていたり、あるいは誤解を招くおそれがある、もしくは偏見や差別を助長するおそれがある、と考えられる言葉を差別用語として自主規制してきたのは、新聞やマスコミ業界だったのではないでしょうか。

大きな声には耳を貸すが、小さな声は聞かなかったことにするのでしょうか。

差別用語の類は既に広く認知されているが、こちらはそうではない、というのなら、それこそは、マスコミの誘導(よく言えば、啓蒙。悪く言えば、洗脳)の結果ではないでしょうか。


百歩譲って、ライターが先入観を持たないで取材に当たりたいという考えであったとしても、「先入観を持たない」こと=「基礎知識を持たない」ことではないでしょう。

取材に当たる者、および書き手が当該対象に基礎的な知識を持つことは、最低限の常識ではないでしょうか。
テレビのバラエティ番組でリアクションを期待されている出演者ではないのですから。


今後はぜひとも、もう一方の声にも公平に耳を貸していただきたいものです。

その上で、左利きの問題において、誰もが公正な判断を下せるような立派な記事にしていただきたい、と願っています。

※ 参照:
・1月22日発売の週刊誌:『AERA』2007年1月29日号
 アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?
アエラ・ネット
 アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」
・前回の記事:2007.1.24
『AERA』2007年1月29日号の左利き記事 お茶でっせ版新生活版
・サイト『左組通信』、ブログ『お茶でっせ』「アピール:左利き」
「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート
『左組通信』<レフティやすおの左利き私論2>右手使いへの変更(左利き矯正)について

[追記]続編記事:
2007.1.30『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?
お茶でっせ版新生活版

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2007.01.24

『AERA』2007年1月29日号の左利き記事

1月22日発売の週刊誌、『AERA』2007年1月29日号に、左利きの記事「アエラネット/レフティー(1)-子どもの左利き、直す?直さない?」が掲載されています。

左利きメルマガ「週刊ヒッキイ」の読者氏からの情報を得て、ひとっ走りしてきました。
でも結局買いませんでした。
パラパラッと見ましたが、360円出すほどの目新しいことも書かれていない様子でした。

見開き2ページで、今後何回か連載されるようです。

左利きの問題を取り上げようという意欲は買いますが、取り上げ方や全体の方向としては、私には懸念すべき点があるような気がします。
その辺が残念です。

アンケートは、アエラ・ネットで紹介されていました。

*アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」
(こちらについては、後日ブログなり、メルマガなりで紹介します。)

記事のほうですが、このアンケートを元にコメント記入者の意見を紹介している模様です。

最後に、利き手より利き目に注目しているという学者の意見をそえて、目の付け所が違うというようなオチにしています。

記事詳細については、現時点ではなんともいえませんが、先ほども少し書きましたように、気になる点があります。


それは、タイトルやアンケートに使われている言葉です。

記事を書いた人は、「矯正」を「変える」の漢語表現のように理解しているのか、たとえば、松井やイチローが打撃を左に矯正した、といったような使い方をしています。

この言葉の使い方がどうも気に入りません。

私は、サイト『左組通信』やブログ『お茶でっせ』で、「アピール:左利き」と題して、
「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート

などという運動を展開しています。


この筆者は、「矯正」の意味が分かっていないのか、左利きの人の中にはこういう使い方に拒絶反応を示す人もいるということを知らないのか、とにかく、こういうふうに使って平気な感覚は明らかに偏向している、と私は感じました。

(少なくとも、言葉の力を知っているはずの朝日新聞系列の雑誌で記事を書く人とは思えません。プンプン!)


表題の「子どもの左利き、直す?直さない?」もそうです。

「直す?直さない?」という表現には、前提として、二つのことがあります。

ひとつ目の前提は、対象は「直せるもの」だ、もしくは「直せる可能性がある」、あるいは「直せるという可能性があると考えられるもの」だ、ということです。

直せないと判断したものを指して「直せますか」と尋ねる人はいません。

もう一つの前提は、対象は「都合の悪いもの」だという認識です。

都合のいいもの、正常と思われるものを直そうとは誰も考えません。
(まあ、大阪では「しまう/整理する」ことを「直す」ともいいますが。)

「矯正」(欠点を正す―左利きにおいては、右手使いを正しい作法と考えて、右手使いに変えさせること)や「直す」(誤りを正す/悪くなったものをよい状態に戻す)という言葉を使う限り、左利きは悪いものだという烙印を押すことになり、考え方として偏向している、といわれても致し方ないということです。

これは左利きに対する偏見や差別を助長する行為です。
マスコミが率先してすることではありません。
(ましてや、大朝日ともあろうものが…。)

―と、私は思うのですが…。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

--------------
[追記]続編記事:
2007.1.26 『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について
お茶でっせ版新生活版

2007.1.30『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?
お茶でっせ版新生活版

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2006.12.12

左右ユニバーサルデザインのビン:磯じまん

Isojiman
旧聞になりますが、わが家でも愛用の
♪いーそいそいそいそじまん、でおなじみの海苔の佃煮「磯じまん」のビンがユニバーサルデザインになりました。

11月24日の新聞広告(産経新聞)によりますと、

保存性に優れ、環境にやさしいガラスビンには、すべり止めとして波形デザインを! キャップには、未開封がひと目でわかるセーフティボタン付です。

もちろんキャップにも、開栓時に指のかかりが良いように凸凹が点けられているユニバーサルデザインです。

ビンの波形は、磯じまんのデザインの波模様を映したもので、浮き彫りの高さはさほど大きな凸凹ではありませんが、指がかりとしては左右の偏りなく使用できます。

この磯じまんのビンは、右利きの人でも左利きの人でも同じように指がかりとして使える、左右ユニバーサルデザインといえるでしょう。


私は左利きなので、ユニバーサルデザインにおいてもその左右性に目がゆきます。

以前、2005.12.22「左利きに使いづらい?ユニバーサルデザインびん:アヲハタ55」(お茶でっせ版)(新生活版)という記事で、ユニバーサル・デザイン化された新型のジャムのビンについて書きました。

このビンは、左右のUDという観点から見た場合、必ずしもUDとはいえないのではないか、少なくても左利きの私にとってはちょっと不便を感じる点がある、と述べました。

それは、ビンの上部の肩にあたる部分にある楕円形の凹(へこ)みが、斜めに付けられていて、その角度は右手にキャップ左手にビン本体を持つ場合に指がそうように作られている、と思われる点でした。

これは右利きの人の持ち方にそったもので、左利きの人の場合には、その逆で、指に楕円形のへこみの縁が食い込むような感じがして、あまり心地よくないのです。
凹みに指を合わせるとビンの口が右側に傾いてしまい、左手から遠くなります。

この凹みに角度がついていなければ、指がかりとしての機能がどちらの手でも満足できたのでは、と思われました。


この磯じまんのビンではそういう左右性がなく、左右ユニバーサルデザインとしてみた場合、一歩優れているように感じました。

右利きの人が多数を占めるのは事実ですが、右利きの人の使い方がすべてではない、という点もUDにおいては考慮して欲しいものです。

一見ささいなことと思われるかもしれませんが、こういうことの積み重ねも日常生活では非常に大きなものとなるような気がします。

UDを考える方々の参考になれば、幸いです。


磯じまん

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.10.28

子どもに「自由」の獲得の経験を:メルマガ『親力で―』から

遅くなりましたが、前回の記事「子供に自分で選択できる自由の実感を:メルマガ『親力で―』から」に引き続き、親野智可等先生の教育メルマガ『親力で決まる子供の将来』で連載されていた「子どもの人生は子どものもの」への感想の第二弾―連載完結に当たっての総まとめ的な感想です。

この文章は、先にメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第51号(No.51) 2006/10/14「左手で字を書くために(7)」に発表した、「■左利き子育てメモ■「子どもの人生は子どものもの」感想」を新たに加筆修正したものです。

 ------

「子どもの人生は子どものもの」への感想を『お茶でっせ』に掲載しました。
左利きからの視点をからめて親の期待と子供の自由について考えてみました。
この連載が終わりましたので、その後の感想も含めて、少し書いてみます。

 ・・・

村瀬学・著『10代の真ん中で』(岩波ジュニア新書389 2002年刊)という本の中に、
 

 「子ども」が「大人」になるっていうのは、結局は「親のルール」から「子のプラン」が出てゆくことであり、親はそれを、どこかの時点で、承認し支援してゆくしかないんだ。問題は、その「時点」を「いつ」と親は考えるべきかってことだ。

―とあります。
そして著者の村瀬氏は、自分の経験からその「時点」を「13歳」だと思う、と書いています。
この時期になると親離れし始める時期だと覚悟すべきだ、と。

この“「親のルール」から「子のプラン」が出てゆく”決定的な親離れの時期は、なるほど13歳ぐらいがひとつの大きな分岐点かもしれません。
しかし、それは自分の進路も含めて自己の意志により、ものごとを決めてゆく能力を持った、本当の意味で「大人になる」時期のことでしょう。

その前の段階として、もう少し低いレベルの“「親のルール」から「子のプラン」が出てゆく”―いってみれば、大人への「脱皮」をはかる段階がいくつもある、と思います。

まずは親の手の届く範囲から、次に親の目の届く範囲から…、と徐々に子供は活動範囲を広げつつ冒険を重ねます。
そのたびに、より小さな“「親のルール」から、次の一回り大きな「親のルール」の世界へ「子のプラン」が飛び出してゆくのです。

こういう経験をいくつも重ねることで、子供はその都度、自己決定能力を養って「大人」になり、本格的な旅立ちが可能になるのです。

村瀬氏は別の言い方として、「学校や親のスケジュール」から「子のスケジュール」が「別立て」になる、という表現を使っています。

「自分のスケジュール」を立てることで、「親の予定表」から離れ、自分の走るレールを「先」に引き出すわけだ。それが「親離れ」であり、「大人になる」っていうことではないか

―と、いう。
なるほど、そういう自分の行動を少しずつ自分で管理し、自己決定してゆくのが大人になるということでしょう。
そして、そこに至るまでには一定の過程、あるいは段階がある、と思います。


このとき子供のためといって、先回りして子供の前にレールを敷いて行けば、子供はただそれに乗るだけで、自己決定能力を養うことができなくなってしまうでしょう。

運よくそれで何の問題もなくすごしていったとしても、その子はあやつり人形のように無気力なマニュアル人間になってしまいそうです。
あるいは、どこかでプッツンして道を踏み外すことになるかもしれません。

親が子供に代わってその人生を生きてやることはできません。
親は一生子供の面倒をみることはできません。

自分で生きる力を子供に身に付けさせるのが、親の務めでしょう。

子供のために先回りして考えてやることは必要でしょう。
しかし、実際に生きるのは、子供自身です。

最後には子供が自己決定できるように、親は様々な選択肢とその可能性を示すだけにとどめるべきではないでしょうか。

子供の人生は子ども自身が決めて初めてスタートするのだと思います。

親は「子どもの人生は子どものもの」として受け入れ、子供の成長に合わせてその許容範囲をひろげ、子供の自由に任せてゆくのです。

そういう「自由」の獲得の経験が、人生を生き抜く子供の力になるのでしょう。


―そんなことを考えました。

 ・・・

左利きの問題でも、左手使いでは不便だろうというのは、親の考えです。
子供の考えは違うかもしれません。

左手以外に右手もあるよ、左手用にこんな道具もあるよ、左手使いは不作法だって言う人もいるよ、左利きはカッコイイって言う人もいるよ、…。

様々な選択肢と可能性と現実の世界を子供に提示して、そのなかから子供がどのような道を選ぶのかを見守ってあげるのも、ひとつの親のあり方ではないでしょうか。

小さい子には理解は無理だろうとか、一時の苦痛や苦労は忘れてしまうだろうとかではなく、子供も一人の人間として扱う部分が必要です。

自分ならどうだろう、と考えてみるのも大事です。

そして、子供の内なる自由意志を育ててあげてください。

その上で、子供が決める機会と子供の決定を支援する環境を与えて欲しいと思います。

最後に親野先生の言葉で締めくくりとします。
 

 > 子どもの自由を保障してやってください。
 > 自由は人間の生得の権利なのですから。

 > 子どもの自由を保障してやってください。
 > 自由は人間の存在価値そのものなのですから。

2006/10/2「親力で決まる子供の将来 」・・No698「子どもの人生は子どものもの」の13回目

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.10.01

子供に自分で選択できる自由の実感を:メルマガ『親力で―』から

今、親野智可等先生の人気教育メルマガ『親力で決まる子供の将来』で、「親力147・・・子どもの人生は子どものもの」が連載されています。

『親力で決まる子供の将来』
2006/9/20・・No686~「親力147・・・子どもの人生は子どものもの」
最新号

今、マスコミで盛んに持ち上げているスポーツ界の親子鷹とも言うべき人たちの「○○家の子育て」に関して、教育者として注意を促されています。

これらはあくまでもひとつの成功例であり、その裏には数々の報道されない後悔が渦巻いているものであり、そのまま受け取るのは危険だというのです。

その失敗例として、奈良の家族3人放火殺人事件や、絵が好きだった男の子の例、なんでもよくできた女の子の例を挙げておられます。

習い事をいっぱいやっていた少女は、五年になった時、学校に来なくなりました。
それまで、全てにおいて模範的ないい子で「いや」とか「やめたい」などと言ったことがなかったのが、です。
親の方には、子どもに無理をさせているとか押しつけているという意識は全くなかったのです。
しかし、とうとう限界が来てしまったのです。

そして、こういう子が今たくさんいる、と親野先生は言います。

親は気をつける必要がある。
無理に過剰な要求をしているつもりがなくても、結果的にそうなっていることもある、と。

ここには「親の強い思いの押しつけ」、「子どもの意思、特質、能力の無視」とのふたつの問題点がある、と指摘されています。

なぜそんなことになるのか、その理由は―
「自分の夢や願いを子どもに託す親がいる」、「それがこの子のためだと親が思っている」から。

例え愛情から出たものであっても、これらは「子どもの人生を奪うこと」なのです、と。

「子どもは、親の強い思いを見せられると、なかなか「いや」と言えないものなのです。
親を愛していますし、親を喜ばせたいとも思っています。

親をがっかりさせたくないという気持ちは、子どもならみんな持っています。
ですから、「いや」と言わないからといって、だいじょうぶということにはならないのです。」

 ・・・

この連載は、まだ続いています。

私の感想を、先生への返信から引用しておきます。

------

「子どもの人生は子どものもの」毎回興味深く拝読しております。

私はつい何事も左利きに結び付けて考えてしまうのですが、今回のテーマもまた左利きの子供に対する教育に当てはまります。

右利きの親御さんが、左利きのお子さんに右手を使わせようとする気持ちになるのは、その子のその後の人生において、左手を使うより右手を使うほうが便利で、日常生活が楽になるのではないか、という考えによるようです。

特に書字において、その考えが根強くあるように思われます。
他のことは左手使いでもよしとする人でも字だけは右手でないと書きにくいのではないか、なかでも毛筆習字に関しては、これは絶対左手では書けない、右手でないときれいに書けない、という考えが強いようです。

しかも、左利きの親御さんのなかにもこの考えを持つ人がいます。
自分が左手書字で苦労したから、子供は小さいときからやれば慣れるだろう、と右手書字を強いる人がいます。

子供の意見を尊重しているという親御さんのなかにも、本当に子供の自発的な意思を確認できているかどうか、はなはだ怪しい場合もあるような気がします。

親は子供の笑顔を見るのが好きです。
しかし、子供というものは、親が子の笑顔を見たいと思う以上に、親の喜ぶ顔を見たいものなのです。
そして、親の求めにできるだけ応えたいと思うものです。

私のもとに持ち込まれた相談のなかにも、お父さんが強く右手を使うように言うので、というお子さんがいました。
最終的に、お父さんが、もういいんだよ、自分の使いたいほうの手を使えばいいんだよ、と子供さんに話して解決に至ったと聞いています。

私自身もそうでした。
私は学校の先生になりたかった時期がありました。
でも、経済的な事情もあり、自分の知っている世界に進んで欲しいという親の希望もあり、私も物作りは好きな方だったので、大学はあきらめて工業高校に進みました。

15歳は子供ではないと思われるかもしれません。しかし、今の私から見れば、本当に子供です。
子供が自分の意志を貫くのはなかなかむずかしいものです。

今私は、結局のところ、次善の道を進むのは最善の道が閉ざされてからでもよいのではないか、と考えるようになりました。
まずは自分の一番を求め、それがどうにもならないとわかってから、次善の策を練れば良いと思います。

>なぜなら、子どもの人生は子どものものだからです。
>誰にも自分の人生を自分で決める生得の権利があるのです。

>子どもの内に秘めている意思を引き出してやることこそ、親のやるべきことです。

まさにその通りだと思います。

「子どもの人生は子どものもの」という考えを持って、正しく子供の教育に当たって行けば、このような問題もクリアできるのではないか、と私も考えています。

なかなかむずかしいことですが、必ずやらねばならないことです。

ヘレン・ケラーの自伝に、教育についてこんなことが書いてありました。

「生徒が自ら進んで勉強するためには、勉強中も休憩中も、「自由」は自分の手の中にある、と感じなければならない。そして、自ら勝利の喜びと敗北の失望感を味わってはじめて、嫌いな課題でも本腰で取り組み、単調な教科書の勉強も、勇気を持って楽しくやり抜こう、と決心できるのだ。」『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』小倉慶郎訳 新潮文庫

子供の人生の教育も同じことだと思います。

自分で選択できる自由がある、という実感を子供が持てなくてはいけません。

日本の子供は、特に大人の顔色をうかがう傾向が強い、と子供の発育を研究している専門家は言います。

これは、心に留め置く必要がある、と思います。


また、思いのたけを長々とつづってしまい、失礼いたしました。
では、続きを楽しみにしております。

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2006.09.20

養老孟司と左利き

養老孟司氏が、産経新聞に連載中の「往復エッセー/脳あるヒト 心あるヒト」の9月18日の文章「普通ってなんだろう(解剖学者・養老孟司to作家・角田光代さん)」に、左利きに関して興味深いことを書かれています。

やっと私の長年?の疑問が解決しました。
なんかホッとした気分です。

<その頃から私は、自分は普通ではないのではないかと思っていたのである。… 子どもらしくない子どもである。反応が素直でない。>

<たぶん大きな理由が2つある。… もう1つは、左利きだったのをそのあと矯正されたことである。>

<左利きを矯正すると、さまざまな心理的反応が生じることは、いまではよく知られている。小学校の国語の試験で、私はよく漢字の偏とつくりを、反対に書いた。短いという字など、矢が右か、豆が右か、いつもわからなくなった。これは左利きを矯正したことと関係があると思う。
ものごとを「正す」ことは、当たり前だが、普通はいいことだと思われている。私がいまでもかならずしもそうは思わないのは、ずいぶん古い理由があるらしい。その私が「正しい」とも、むろん私は思っていない。相変わらず、子どもの頃と同じで、周囲の人はどうなのか、まずそれを見ているのである。>

氏が素直でないのは、「左利きを矯正されたこと」が原因と書かれていました。
(先の1つは、自分のよき理解者であったという父を4歳のときに亡くされたことだという。)

 ・・・

実は、私は養老氏が好きではありませんでした。
当然、氏の著書はあまり読んできませんでした。

氏と同様、私も海外ミステリが好きで、スティーヴン・キングも好きだったのですが…。

氏のミステリ関係の著書もときおり手に取ることはありました。
他の本もたまに手に取ることもありました。

しかし、どうも氏のちょっとひねくれたような意見が気に入らず、あまり深く読んでみようとは思いませんでした。

もっと素直な反応をしてもいいように感じていました。
きっとこういうひねくれ加減は、氏の左利きに起因するのではないか、と私はひそかに考えていました。

いつでしたか氏が左利きだということをどこかで聞いていました。

左利きなのは私も同じで、だからこそ感じるものがあるのでした。

左利きというものは、まあ、最近の若い人たちはかなり違う環境に育っているようですが、昔は、というか、氏の世代なら、かなりの圧力を受けながらの人生だったと思うのです。

しかし、私が今まで手にした範囲の氏の著書では、その辺を確認できずにいました。

 ・・・

新潮新書『バカの壁』(2003年刊)が、バカみたいにいつまでもベストセラー・リストに並んでいたものです。
本屋でペラペラ見て大体のところは知っていましたけれど、以前、改めて読んでみました。

<「個性」なんていうのは初めから与えられているものであって、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない。>

<神様というか親から与えられた身体の天分があった>

<私たちには、もともと与えられているものしかないのです。>

個性はもともと身体にあるものだ、という意見などは、いかにも左利きの人らしい実感に支えられた発想ではないか、と私などは感じたものでした。

左利きでなくても解剖学者なら当然行き着く結論でもあるのかもしれません。あるいはちょっと頭の働く人ならたどり着く結論でもあるのかもしれません。

しかし、左利きの私には、左利きという個人の性質を持った者ならではの発想に感じるのです。
私自身、左利きを個性のひとつとして感じているから、そう思うのでしょう。

右利きの人は、きっと自分自身が右利きであるということに個性を感じないんじゃないか、と思うのです。
右利きという性質をなんら特別なものと感じてはいないでしょう。
いや、自分の中にそういう性質があることすら感じていないのではないでしょうか。

ところが、左利きの人というのは、いやがうえにも、自身の利き手・利き側を実感させられるときがあります。
どんなに普段、特に何も意識しませんという人でも、人生を通してみるといつかどこかで何かしら感じているものなのです。

利き手・利き側というものは、文字通り身体の持つ性質です。
それが人によって違うのだということを、右利きの人は日常生活の中で自己完結的に感じることは、きっとないでしょう。

しかし、左利きの人は、自分では忘れていても人から思い知らされるときもあれば、自分で気付かされるときもある、のです。

昨今では左利きは個性だから尊重しましょう、といって右手使いを強要されることは少なくなったといいます。

しかし、個性は他の面で発揮させてあげて、○○は右手で行うように指導しましょう、などとおためごかしを言うバカ者もいるのです。

そんな時、私は、個性という言葉を誤って認識している、といった趣旨の養老氏の言葉を実感するのです。

 ・・・

左利きにおいて、右手使いに変えることを「正す」と表現する、その言い方自体が誤りだと気付けば、氏の考え方も少しは「矯正」されるような気がしますが…。

左利きの「矯正」という表現について:
 私は以下の記事にありますように、左利きの「矯正」という言葉の使用に反対を唱え、使用しないようにお願いしています。
 この養老氏の文章における左利きの「矯正」という表現につきましては、当時の氏の経験を表すもので、当時の考え方を表す言葉で、過去の事実の表明ですので問題とは考えていません。
 「矯正すべきかどうか」といった現在形・未来形での使用には問題がある、と考えています。
・「お茶でっせ」記事:
「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について

*So-net ニュース:産経新聞 [ベビー]
【往復エッセー】脳あるヒト心ある人 普通って何だろう

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.08.13

きょう8月13日は≪国際≫左利きの日です

813lhd
本日も残り少なくなってしまいましたが、Iternational Lefthanders Dayです。

左利きの日 - Wikipediaより

左利きの生活環境の向上に向けた記念日。1992年8月13日、イギリスの「Left-Handers Club」により、右利き用だけでない誰もが安全に使える道具を各種メーカーに対して呼びかけることを目的に提唱、制定された。同日は提唱者の誕生日である。日本国内では、この日がお盆と重なり不都合であるため、2001年独自に「2月10日」(0…「れ」2…「ふ」10…「と」)を左利きの日と宣言した。
 
2月と8月、半年に一度ぐらいは、左利きを意識する日があってもよいと思います。

わがサイトでは毎年なんらかの催しを行おうと考え、一年目は「お茶でっせ」の記事だけでしたが、昨年からは、『左組通信』で左利きの日にちなんだ<左利きプチ・アンケート>を実施したり、掲示板「あなたの左利きの願い事を教えて!―INTERNATIONAL LEFT-HANDERS DAYに向けて―」(通年受付)を設置したりしました。

今年も<左利きプチ・アンケート>「第31回 左利きの日の催しは何がよいか」を『左組通信』表紙で実施中。また、12日には、<国際左利きの日記念号>と銘打ってメルマガ「週刊ヒッキイ 左利きで生きるには」第43号を発行しました。

また、mixiの左利きのコミュニティでも、「国際版の左利きの日」の書き込みを行い、アピールしてみました。

8.11の「左利きを庇護するのではなく違いに対応する社会を」お茶でっせ版新生活版 でも書きましたように―

左利きのみならず、本人の責任でない、肉体的なことがら(脳も肉体の一部です)がハンディキャップとなるという社会の構造は、やはり改善されるべきではないかでしょうか。

人間の多様性を認識し、それぞれの違いに対応できる社会にしてゆきましょう。


参照1:LEFTHANDERS DAYのサイト―イギリスのANYTHING LEFT-HANDEDという左利き用品の専門店のサイト内にある「左利きの会」Left-Handers Clubのサイトにある

参照2:「お茶でっせ」の<国際左利きの日>の記事
・2005.08.13 今年も今日8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAYお茶でっせ版新生活版
・2005.07.26 あなたの左利きの願い事を教えて!お茶でっせ版新生活版
・2004.08.13 きょう8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY 「左利きの日」
・2004.08.12 明日8月13日は「左利きの日」

参照3:『レフティやすおの左組通信』 左利きの日を祝おう!(左利きの日のページ)

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.08.11

左利きを庇護するのではなく違いに対応する社会を

わがホームページ『レフティやすおの左組通信』に、感想として、以下のようなメールをいただきました。(○○様、感想メールをありがとうございます。)

不利な条件を持って生まれたことは他より強くなる資質を持って生まれたって事です
が、庇護すれば左利きかつへなちょこ精神の弱者が出来上がるだけ

この意見に対して、私の考えを述べて見たいと思います。

 ・・・

おっしゃるとおり、不利な条件をバネにして強くなる、というのも事実です。

プロ野球・楽天イーグルスの野村監督のように、踏まれても踏まれても耐え抜いて成長する雑草精神で、逆境から這い上がり、立派な人間になる方もいらっしゃいます。

左利きという不利な条件ゆえに工夫することを覚え、心身ともに鍛えられる、というのも事実です。

ただ、みんながみんな強い人、強くなれる人ばかりではない、ということも事実でしょう。
そういう弱いものは淘汰されてよいのだ、という意見もありましょう。

しかし、右利きの人は、弱くても(偶然、右利きに生まれついたという)運だけで有利な立場に立てるのだとしたら、やはり不公平な気がします。

人生はもともと不公平なものです。
だからこそ、真っ当に生きている人なら誰であっても、差別されることなく公平に権利を与えられるべきだ、というのが平等の思想だと思うのです。

特に強くなくても、対等な条件さえ与えられれば普通に生きていける、そういう生き方も認められていい、と思うのです。

左利きでもその他の条件でも、本人の責任でない、肉体的なことがら(脳も肉体の一部です)がハンディキャップとなるという社会の構造は、やはり改善されるべきではないか、と考えます。

私の願う「左利きにも(右利きにも)やさしい社会」というのは、決して左利きを甘やかすとか、左利きを弱者として庇護するというものではなく、人という存在の多様性を認め、それぞれの違いに対応する、ということです。

例えて言えば、一般(右手・右利き)用の自動改札だけでなく、車椅子用の自動改札を用意するとか、対面式の人による改札を用意する、というようなことです。
(ここまでは実現されています。ここに、左手・左利き用改札もできると、「左利きにも(右利きにも)やさしい社会」となります。)

私は、左利きの問題を、人間の多様性を容認するか否か、そしてそれに対応するか否かの問題として考えています。
ご理解ください。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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2006.07.16

さようなら、gooテーマサロン◆左利き同盟◆

≪1・gooテーマサロン◆左利き同盟◆投稿の不思議≫

gooブログにテーマサロンという、ある共通のテーマでトラックバックにより記事を投稿し合う場があります。

その中に「◆左利き同盟◆」というのがあり、私も2004年11月より参加させていただいています。

ところがここに、「レフティやすおさんへ (◆左利き同盟◆) /テーマサロンを一人で独占するのは、やめてください。」という投稿がありました。

正直なところ、最近では私の記事がほとんどになっています。
確かに実態は独占状態です。これは事実です。

ただ、これは日々の積み重ねの結果です。

私は、このテーマサロンに参加する以前から、年間100本近くの左利きについての記事を書いていました。
その後もほぼそれぐらいのペースで書いています。
(最近はメルマガを始めたのでペースは鈍っていますが。)

私は、左利きゆえに小さい頃から様々な体験をしてきました。
そして自分のその経験を通して、左利きについて色々と考える機会を持ちました。
いつしか左利きについて世間の人々に訴えてゆきたい、と思うようになり、左利きの活動をライフワークと考え、活動するようになりました。

十数年前、紙媒体による身近な友人を中心にした活動から、一度休止期を経て、2003年末よりネットに舞台を移して。

こういう背景を持つ私は、他の皆様方とは書く次元が違っているのかもしれません。
ブログ・テーマのひとつとして左利きについて書く、といった姿勢ではなく、左利きをメイン・テーマとするブログのなかで日々記事を書いているのです。

当然、記事の量も内容も、他の方とは違ってくるようです。


≪2・テーマサロンは誰でも参加できるフリーな場≫

私としては、もっと皆さんに書いて欲しい、と思うのです。
「独占するのは、やめて」という前に、皆さんに、もっともっと左利きに関連した記事を書いて欲しいのです。
また、書いている人は積極的にこのサロンに投稿し、どんどん利用して欲しいと願っています。

左利きに関して常日頃感じていることは、皆さん色々おありだと思うのです。
不満に思うこと、自慢に思うこと、などなど。
不満があれば不満について、もし現状に納得して満足されているのなら、どういう点が満足かなど、様々な切り口で書くことはあるはずです。

私は期待して待っていました。
参加した当初は、他の人の記事が出るのを待って一、二本。また次の人のを待って二、三本…。
しかし、そのうち待ちきれなくなりました。

テーマサロン開設当初こそ、投稿も盛んでにぎやかでしたが、その後は投稿が、サロンを利用する人が、だんだんと減ってゆきました。
そして、この頃は私以外は誰一人として利用していない、といっても過言ではない状況です。

私がひとりで独占しているというより、結果的に、他に投稿する人が少ないため目立っているだけで…。
それを独占といわれても、正直困ります。
他に利用者がいないので貸切状態になっているだけでしょう。

どうも合点がゆきません。

私は独占しようと思ったことはありませんし、他の人の邪魔をしようという気もありません。
実際にそのような行為をしたこともありませんし…。

ここは、全くフリーに公開されている場です。

現実に他にも、参加させてください、と投稿されている方がいます。
投稿は自由です。
テーマに共鳴する人は誰でも参加できます。


≪3・新たな旅立ちへ≫

しかし、感情的になるのはよしましょう。

何かにつけて、目立ちすぎるのはよくないのかもしれません。
私の投稿が多いので、他の方が二の足を踏んでしまう、投稿をためらってしまう、ということはあるのかもしれません。

お前が目立ちすぎるから、書く気にならぬのだ、という意見にも一理があるような気もします。

そこで私は、このサロンを去ることにしました。
記事自体は書き続けますが、こちらのサロンへの投稿はもうやめることにします。
批判があるからやめるというのではなく、以前から限界のようなものを感じていました。
自主的に去るのです。

オリックス時代7年続けて首位打者を独占していたイチロー選手が、大リーグに新天地を求めたように、新たな場へ、より刺激のあるところへと活躍の場を移したいと思います。
(まあ、イチローに例えるのは行き過ぎかもしれませんが、ご勘弁ください。それぐらいの意気込みだ、ということです。)

◆左利き同盟◆読者の皆様、ながらくお世話になり、ありがとうございました。
感謝にたえません。
お蔭様でこのサロン向けに開設したという一面もある、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」も多くの読者を得ることができました。
ご愛読ありがとうございました。
(当面「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」では、引き続き「お茶でっせ」から左利きの記事を転載します。将来的にどうするかは、未定です。)

これからもこちらのサロンが末永く繁栄することを祈っています。


≪4・gooテーマサロン◆左利き同盟◆に参加しましょう!≫

先ほどもいいましたように、皆さんふるって投稿しましょう!

過去の記事でもかまいません。左利きをテーマにしたものならよいのです。
どんどんトラックバックしてください。
gooブログ以外からも参加できます。

みんなで、永遠のマイノリティ、【左利き】に光を当ててゆきましょう!

それが、左利きの人にとっても暮らしやすい世の中に変えてゆく力になるのだ、と私は信じています。

gooテーマサロン◆左利き同盟◆に参加しましょう。

来月13日は、左利きの日です。
皆さんで、この日を盛り上げてください。

私がいなくなっても、このテーマサロンをよろしくお願いいたします。

では、gooテーマサロン◆左利き同盟◆読者の皆様、さようなら。
またどこかでお会いしましょう!

* gooテーマサロン◆左利き同盟◆関連記事:
2004.11.19 goo ブログ 左利き同盟

o『レフティやすおの左組通信』左利きの日を祝おう!(左利きの日のページ)

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2006.06.28

赤ちゃんの利き手―産経新聞・新赤ちゃん学・右利き左利き

Achangakumigihidari
2006年6月27日の産経新聞朝刊<生活>面の「新赤ちゃん学・国際学会、日本へ(12)」「右利き左利き」がテーマになっていました。

以下、記事の紹介です。

 ・・・

米ノースカロライナ大学グリーズボロ校ジョージ・F・ミッシェル教授は、赤ちゃんの利き手を調べている。
教授の研究方法は、「利き手とは、手を使うときの好み」と考え、赤ちゃんがおもちゃで遊ぶ様子を観察し、手の動きを分析する。
7,9,11,13カ月の赤ちゃんにおもちゃで遊んでもらい、どちらの手を頻繁に使うか、どちらの手の方が複雑な動きができるか、といったことを観察する。

57パーセントの赤ちゃんに使う手の好みがあった。
41パーセントが右手、16パーセントが左手。
新生児は潜在的に右利きの傾向が強いという研究結果もあり、やはり、人間には右利きが多い。

「実はこの傾向はヒトに特有のものなのです」と教授はいう。
チンパンジーなどに比べて、ヒトは右利きに偏った分布を示す。

しかし、発達にしたがって利き手は変化している。

「利き手といってもはっきりと右、左、と分けられるものではない。右の傾向が強い、やや右傾向、どちらともいえない、左の傾向が強いなど、その度合いの強弱があります」

成長にともなって右傾向が強まったり弱まったりもする。
そこには社会的、環境的な要因が影響している、と考えられる。

両親の利き手との関係を調べてみた。
母親が右利きだと子供はどう変化するか。

7ヶ月の時に右傾向の強かった赤ちゃんは、11ヶ月の時点ではさらに右傾向が強まっていた。
逆に左傾向の強かった赤ちゃんでは11ヶ月の時点では、その傾向が弱まっていた。
明らかに親の利き手の影響を受けていた。

「右利きがいいとか、左利きがいいとか、そういうことはまったくありません」

どちらかの利き手のほうが、何かの動作をやりやすいということはあるかもしれないし、文化的にどちらかの利き手を重視することがある。
たとえば日本では右手に箸を持たせるようにしつけていた。

「文化的な規範は時代とともに変化します。こだわらずに、赤ちゃんにはやりたいようにやらせてあげてほしい」

みんな、いろいろ。ひとりひとり違っているからこそおもしろい。

 ●産経新聞2006.6.27朝刊<生活>面「新・赤ちゃん学/国際学会、日本へ(12)/右利き左利き 【見出し】個々の好み+周囲の環境」(岸本佳子)より

 ・・・

*
子供の利き手がいつ頃から明らかになるか、あるいは子供の利き手はいつ頃決まるのか、といったことがよく話題になります。

従来よく言われるのは、子供が3歳ぐらいになるとおもちゃやスプーン等のものや道具をどちらかの手でよく使うようになリ、これが利き手に気付く始まりだろう、ということです。

そして、学者の研究でも8歳ぐらいで完全に利き手が固まる、といわれてきました。

もちろん利き手といっても、実態は、この新聞記事の中にもありましたように、実際に使う手の偏りの傾向を表すものです。

右利き左利きといっても、スイッチをオン・オフするような、列車の線路のポイントを右に左に切り替えるような、明確なものではなりません。
中央分離帯のない道路のどの辺を通るかといったようなものでしょう。右に寄る人、左に寄る人、真ん中を行く人…。

以前(2004.09.19)、「ヒトにはなぜ利き手ができたか」 で、 ヒトという種は右利きが標準にできているようだ、といった内容の記事を書きました。

今回の赤ちゃんの利き手の調査でもそれが証明されたように思います。

この教授の調査方法こそ、より実態に近い利き手調査のあり方ではないでしょうか。

従来行われてきた利き手調査の方法としては、自己評価に基づくものや、こういうときにどちらの手を使うかといった一定の質問に答える調査票によるものがあります。
しかし、これでは、外的な要素すなわち学習や訓練による影響が非常に大きくなってきます。

一番ふさわしいのは、日常の行動の中での自然な動作をつぶさに観察し、使用頻度や器用さなどを見るものだろうと考えます。

そういう意味でこの教授の方法は、手間は掛かるけれど、より真実の値に近い結果が得られるのではないでしょうか。

とはいえ、こういう基本的な傾向の上に、人間には環境適応能力のような、利き手という「才能」の枠の中でそれぞれの側の「能力」が発揮される、ということも明らかになったようです。

簡単なことであれば、親(外的な環境)の影響で多少の変化はある、ということでしょう。
これは、左利きの人たちがその生活のなかで自然に右手を使うことを身に付ける、という現実を思い起こせば納得の行くところです。

しかし、これは、あくまでもその傾向が「弱まる」とか「強まる」といったことであって、利き手を「変えられる」といったものではありません。

利き手を変えることはできません。生まれつき決まったものだからです。赤ちゃんのときから芽生えているのですから。くれぐれも勘違いなさらぬように―。

※「新・赤ちゃん学」関連記事:
「お茶でっせ」版 「新生活」版
2005.03.06
左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―その5・子供の良き味方、心の支えになろう―
・『左組通信』
左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―レフティやすおの左利き私論 3―

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2006.05.13

ためそう!「親力」診断テスト~左利きの子をどうしますか?

私がとっている教育関係のふたつのメルマガは、親野智可等先生関連のものです。
そのひとつ、「教育のまぐまぐ!」(毎週木曜日発行)には、親野智可等先生の「ためそう!「親力」診断テスト」が掲載されています。

5月4日発行「教育のまぐまぐ!」2006/05/04号掲載分は「ためそう!「親力」診断テスト~左利きの子をどうしますか?」で、左利きの子供をテーマにしていました。

※参照:
教育のまぐまぐ!TOP > 親力診断テスト
第51回~左利きの子をどうしますか?
「親力で決まる子供の将来 」親野智可等 発行
2006/5/8「親力で決まる子供の将来 」・・No653

[ 問題 ]
親戚同士で食事をしたとき、わが子の利き手について、父方のおじさんにこう言われました。
「おや、○○ちゃんは左手でお箸を持つんだね。これから右手で持てるように変えていった方がいいよ。
字も右手の方が書きやすいし、はさみも右手の方が使いやすいし、右利きの方がいろいろ便利だよ。
左利きだとハンディキャップになるよ。まだ1年生なんだから、今からなら直せるからね。
とりあえず、お箸だけでも右手で持てるようにしていったら?」
さて、あなたならどうしますか?

A これからは、左手で持つのは禁止して、右利きにさせる
B いきなりは無理だから、右手と左手を交代に使って慣れさせて、だんだん右利きにさせる
C 右手と左手を交代に使わせて、両手利きにさせる
D 左利きのままでいいので、右手で持たせる練習はしない
親野先生の回答は…。

・・・

「左利きの子は左利きであることを伸ばしてやるべきです。一番いいのはDです。 」

勝手に全文を転載するわけにもゆきません。
詳細は、先のサイトをご覧ください。

ふだん私が、こちらや『左組通信』、メルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイ」などで書いてきたことと共通しています。

「生まれつき左利きの人は、そのまま左利きを伸ばすのが一番いいのです。…それでこそ、自分の能力を十分伸ばすことができるのです。…」

もう一箇所、最後の一部を紹介します。

「…私は左利きの人は左利きでいくべきだと思います。そして、もっと人権を主張して、左利きの人も右利きの人も同じように便利に暮らせる社会にしていくといいと思います。

それが、少数派の人たちにも配慮できる社会を作ることにつながるのです。つまり、ユニバーサル社会の実現につながるのです。…」

「左利きの人たちに、ぜひがんばってもらいたい」とあります。
私自身こうやって努力しているつもりですが、はたしてどれだけの人に届いているのかわかりません。
きっともっともっとがんばれということなのでしょう。

・・・

ちなみに、親野先生の4冊目の本『「叱らない」しつけ 子どもがグングン成長する親になる本』PHP研究所 が、5/11発売予定になっています。
もう書店に並んでいるはずです。

親野智可等先生のホームページ 

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2006.04.24

堀ちえみは左利き?!

Horichiemi
人間ひとつ悪い、痛いところがあると、何も手に付かなくなるものです。

メルマガの原稿書きに忙しかったというのも事実ですが、それとは別に、口の中に傷ができたようで、ものを飲み込むときに痛くて唾も飲み込めないような状況でした。
きょうでもう一週間ぐらいでしょうか。ようやく普通に飲み食いができるようになってきました。
やれやれです。
先の三日ほどは、食事のたびに頭を抱えるほどの痛みでした。

さて、そういうわけでごぶさたの更新になっています。
そのうち書こうと思いつつ、いまだに書けずにいる左利きの記事について、ボチボチと書いてゆきましょう。

まずは、もう旧聞になってしまいましたが、堀ちえみさんの話題から。

* 堀ちえみは左利き?! *

タレントの堀ちえみさんが産経新聞(大阪版・夕刊)に連載中のエッセイ「きょうの空模様」の4月7日分「右腕がピンチ!」で、左利きのお話をされています。

幼いころは左利きだったらしいが、当時は右利きに矯正しなくてはいけないというのが一般的な考え方だったので、早いうちに母親が治したらしい。でもその名残が時々、私の頭の中で混乱を起こす。

例として、独楽回しの紐の巻き方が逆でうまく回せなかったことや編み物がうまく編めないことをあげています。

また、子供さんも五人のうち男の子二人が「完全に左利き」で、娘が「両方利き」だといいます。

私は、自分の経験上、無理に右利きに矯正しようとは思わなかった。左利きだと生活していくうえで多少の不都合はあるかもしれないが、今では左利き用の便利な道具もたくさん売られている。私のように本来左利きとして生まれてきた体に右中心の動きを強いると、必要以上に手に力が入り、今回のようなことになってします。

右腕が使い痛みだというのですが…。

*

ご自身の経験に基づき、左利きに対する考えがしっかりされていて、左利きのお子さんをお持ちの世の親御さん方にも勉強になるのではないでしょうか。
皆様にもぜひ一度目を通していただきたい文章だと思い、紹介させていただきました。

これは私の勝手な推測ですが、多分ちえみさんは、左利きの女性にときに見られる、右手使いになじみやすい左利きの度合いがゆるやかなタイプだったのでしょう。

女性の場合、左右の両脳の機能分化が男性に比べて比較的ゆるやかで、左利きの度合いがきつくなく右手使いになじみやすい人もいる、といわれています。

ちえみさんのお子さんの場合も、男の子二人が「完全に左利き」で娘さんが「両方利き」ということで、どうやらその傾向が見られるようです。

ちなみに、左利きの成因としては、このような家族性の遺伝に関係すると思われるものと、病理的成因と呼ばれる、妊娠中や出産時のトラブル(障害)による、非家族性のものとのふたつがある、という説が有力とされています。

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2006.03.22

mixi「左利きの子の子育て」コミュニティに書いたこと

SNSのmixiの左利き関連コミュニティのひとつに、この「左利きの子の子育て」コミュニティがあります。

左利きのお子さんを持つ親御さんの相互相談窓口というスタンスでしょうか。アドバイスをしてくれる左利きの人にも参加を呼びかけているということで、私も参加しています。(現在の参加者数は約150人。)

1年ほど前にできたコミュニティですが、内容的にはまだこれというほどではないかもしれません。
現在、徐々に参加者も増える傾向にあり、左利きの子供の子育ての参考になるコミュニティになってゆけば、と期待しています。

「矯正する事しない事」というトピックがあり、そこに私が書き込んだ文章を以下に掲げておきます。
(「矯正」という言葉およびそういう発想―右手使いを「正しい」作法と考え、左利きの子の左手使いを認めず、右手使いに「正す」という指導、およびその考え―に私は同意できませんが、ここでは、この言葉の使い方に対して多少の気遣いが見られますので、現時点では特に反論していません。以前も書いたように「矯正」=単に「変える」の意味と誤って解釈している人が増えています。そういう傾向も考慮しています。)

基本的には、こちら(「お茶でっせ」)や「左組通信」「週刊ヒッキイ」などで書いてきたことです。
ブログ再出発に当たって、mixiでの活動の報告も兼ねて、あらためて私の左利きの子供の子育てへの主張として記録しておきます。


左利きの子は、立派な左利きに育ててあげてください。

両利きといえば聞こえはいいですが、実際に経験者に話を聞いてみると、大半の人はどっちつかずの中途半端な両利きになってしまった、といいます。

私のように左利きの活動をやっていますと、ときおり相談を受けることがあります。
実際には相談というより、助言を求められるというべきでしょうか。

たいていは男児のケースで、右手使いになじめず、左に戻した方がいいのかどうか、というものです。

それらの問題では、両親のあいだで、あるいは祖父母とのあいだで、保育所の保育士や幼稚園、小学校の先生とのあいだで、指導方針の対立があったりで、結局子供を忘れた、大人たちの自分本位な指導の犠牲になって子供たちが泣かされてる、というのが実情です。

大人は先回りして左利きで困るのでは、といったことを考えますが、本当にこの悩みは大人の悩みか、子供の悩みか、をよく考えて欲しいと思います。

常に犠牲になるのは子供です。
所詮大人は見ているだけで、大人が困ることはありません。

子供の身になって考えて欲しいものです。

私は左利きであることで困ったことはありません。

困るのは、左利きを認めない、左利きを受け入れてもらえない、社会の現実にぶつかったときだけです。

左利きは××だとか、左手使いは無作法だとか、右利き用の道具しかなかったり、したときだけです。

これらはみな、その気になって取り組めば解決できることです。
意識を変える、道具や機械を用意するといったことで。

利き手というのはその人の持って生まれた才能です。
子供の才能を活かしてあげるのが親の務めだと思います。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

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2006.02.09

2月10日は日本版左利きの日

従来私のサイトでは、8月13日の国際左利きの日INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAYを祝ってきました。

今年からは、それに追加して2月10日を「日本版の左利きの日」として、お祝いしてゆこうと思います。

これは以前「左利きアンケート第25回日本の左利きの日―レ(0)フ(2)ト(10)の日を知っていますかのお知らせ」(↓下段参照)で、お知らせしたとおりです。

*
ありがたいことに、日本で一番有名な左利き系サイトの主宰者氏は、「…別の日を立てようという動きも過去にありましたが、とても推奨できる理由ではありません。…」等々の反語的表現で、大いに宣伝に一役買ってくださっています。(ご協力ありがとうございます!)

私は過去の経緯など存じませんので、単純に、左利きの認知のためにこの日を利用しようとがんばっている人(※注1)を応援するために、協力してゆこうと思っています。

はっきりいって日にちが何日かということは(全然無関係というわけではないけれど)、あまり大きな問題ではなく、要は何をどうするか、ということでしょう。

すでにある程度の認知がある日ならそれを利用してみるのもいいじゃないか。
mixiなどのSNSのコミュニティも同じことで、あるものは利用してもいいのではないか。
常識の範囲内で、自分の趣旨に反しないのなら。
―という考えです。

昔何らかの齟齬があったとしても、それはこの日が悪いというのではなく、活動主体の側の問題でしょう。
(レ(0)フ(2)ト(10)の語呂合わせなどはそれなりに楽しめるものになっていると思います。日程的に、右翼や左翼といった政治活動と混同されると困るけれど…。)

目的意識を持って実行に移してゆけば、いずれは認めてくれる人も出てくるように思います。
一過性でなく、毎年少しずつでも実績を積み上げてゆくことが大切です。

*
実際問題として、年に二回(2月と8月と、ちょうど半年に一度)ぐらいは、右利き左利きに関わらず世間の人たちが左利きについて関心を持つ日があってもいいのではないか、と思います。

まだまだ左利きに関しては、十分な理解が得られていないように感じています。
左利きの人自身が左利きとは何かということを十分理解していないところがある、とも思います。
これはちょっと恥ずかしいことですし、もったいない気がします。

昔の人は、敵を知り己を知れば百戦危うからず、と言いました。
敵はともかく、最低自分のことぐらいは知っておきたいものです。
(これがいかにむずかしいか、という事実から、こういう言葉が生まれてくるわけです。お互い、注意しましょう!)

私は左利きが少数派だからどうというのではなく、人間の一人として、こういう性質の人もいるのだ、この世の中には色々な境遇の人がいて、いろいろな考え方があり、様々に生きているのだということを、(私自身が左利きなので)左利きを通して知ってもらうことを、目的のひとつとしたいと考えています。

左利きの日の関連記事:
●2005.08.13 今年も今日8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY お茶でっせ版新生活版
●2005.07.26 あなたの左利きの願い事を教えて!―"左利きの日"企画 お茶でっせ版新生活版
・書き込みはこちら→<左利きの願い事―左組掲示板>
●2004.08.13きょう8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY 「左利きの日」
●2004.08.12明日8月13日は「左利きの日」
・ホームページの関連ページ―レフティーズ・ライフLL再録5「新たなる希望!」

ただ今実施中の<左利きプチ・アンケート>
●2006.01.26 左利きアンケート第25回日本の左利きの日―レ(0)フ(2)ト(10)の日を知っていますかのお知らせ お茶でっせ版新生活版
このアンケートの現在の結果を見る
●2005.8.6 お知らせ-左利きアンケート第19回(国際)左利きの日を知っていますか お茶でっせ版新生活版
このアンケートの現在の結果を見る
・投票は『レフティやすおの左組通信』の表紙アンケート欄よりお願いいたします。

レフトの日のサイト:
02月10日は「日本の左利きの日」by Japan Sountpaw Club

(注1)左利き用グッズきくやねっと ウェブマスター日記
明日は左利きレフトの日

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2006.01.24

GREEやmixi―あるいは左利きのコミュニティのこと

SNSの「GREE&mixi日記」のカテゴリも作っているので少し書いておこうと思います。

どちらも参加して二ヶ月がすぎました。一応ほぼ毎日、自分のページのチェックは欠かさぬようにしています。でも、どちらかというと今はmixiに割く時間のほうが多くなっています。(こちらの方が若干お友達が多いせい―といってもまだ一桁ですが。)

まだまだその全貌を見渡したとはいえません。ほんの一部を垣間見たというのが実際のところです。
それでもそれなりに見たところ、感じたことを書き留めておきましょう。

*
まず私がこれらに参加した理由というのは―

ひとつは、JSCのMLがなくなってML参加者との繋がりが少なくなったことをさびしく感じていたこと。言いかえれば、左利きの人たちとの「内輪」だけの話ができなくなった、ということですね。

もうひとつは、以前からたまにあったのですが、うちのサイトへのmixiからの訪問者をたどろうとしてもアクセスできず、不快であったこと。
自分のサイトのページがどのように紹介されて―リンクを貼られて―こちらへ来ているのかわからないので、その辺がおもしろくない気分でした。

そこでどのような状況にあるのかこの目で確かめてみたいと言う気持ちがありました。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、ということわざもあります。

三つ目は、私の個人的な趣味の世界を少し遊んでみたいということです。
本や読書―海外ミステリやSFや、古典名作名著など―についてや、その他色々。
(ちなみに、左利きの活動は趣味ではなく、使命だと考えています。)
友達の少ない人間ですから、少しでも機会を設けたいということです。

*
SNSなるものがどういうものかよく知らなかったので、実際には入ってから勉強したという感じです。
今でも基本理念とか何とかはもう一つよくわかっていないのですが、とにかくは「交流の場を作ろう」という試みでしょう。

日常生活のなかでは知りあう機会の(少)ない人同士を結びつける場を設けようということでしょう。
ですからSNS内部には、これといって情報はない、といっても言い過ぎではないでしょう。

基本的には「場」「空間」を提供しているだけですから。「サロン」のようなものです。(SNSのSはサービスの頭文字だそうです。)
そこで出会って、あとはまったく個人の領域になると言っていいでしょう。

コミュニティというものがあります。
これも基本は同じで、「場」の提供です。
もちろんなかには、この「場」自体がかなり充実して、身のある情報を包含しているところもあります。
(ただし、何をもって身のある情報と呼ぶかは人それぞれですが…。)

これはやはり管理する人の個人的なベクトル(方向性を持った力)によると思われます。
方向性を示して導く力があれば、そしてその方向性が単なる「場」の提供だけでなく、もっと違う目標を示せば、自然とそういう方向に結実するのではないでしょうか。

*
以前、「JSCジャパン・サウスポー・クラブ再開?」お茶でっせ版新生活版 という記事に元JSC会長さんからいただいたコメントへの返事にも書いたように、mixiのコミュニティも、野球のファンがファンの溜まり場として応援するチームのファンのやっている酒場に集うようなもの、といっても過言ではないと思います。

もちろんそこから発展して私設応援団を作る人もいるでしょうし、ただ酒を飲みに来て同好の士と騒ぐだけの人もいるわけです。
酒場としては場を提供するだけで、何をどうしろというわけではないのです。

そこら辺でカン違いをすると「なんだぁ」ということになるのでしょう。

SNSといっても結局はちょっと大規模な仲間内個人サイトという感じです。仲間内でやっているサイトの大きくなったもの。そういうものにあれこれ言ってみても仕方がないと言う気もします。
もちろんある程度の規模になれば、社会性も帯びてくるので、支障があれば何とかしなければならないわけですが。
要はいかにうまく利用するか、もしくは関わらずに済ますか、ということではないでしょうか。
飛んで来る火の粉に困惑する、というのも事実ではありますが…。


―左利きのコミュニティ―

SNS内の左利きのコミュニティもだいたいは他のコミュニティと似たようなものです。
MLのときもそういうサロン的に終始する傾向がありましたが、基本的には同じと考えて良いでしょう。

もちろんここでも、その管理人による方向性というものが違い、もっと別のものを狙っている人もいるようです。
単なるサロンに終わらない何か、という意味です。

私自身まだすべての左利き関連コミュニティをのぞいたわけではないので、確かなことはいえません。
なにしろ参加者の数ほどあると言えるほどに日々開設されています。しかもそのなかのトピックまで含めるとそのすべてを見てまわるということは、まさに至難の技とも言えます。

その分、まどろっこいと感じる人や失望する人もいるでしょう。逆に言えば、これから何かが生まれる可能性がある、とも言えます。まあ現状では、この辺に留めるのが無難な評価のようです。

*
私の期待するものはというと、これも先にあげたコメントへの返事に書いたように、コミュニティとしては三つの要素があり、それをそれぞれに満たしてくれる場があればなあ、というものです。
どうしてもそういう既成の場を見つけられなければ、自分で作るしかないのかな、という気ではいますが…。

(1)左利きをキーワードとしたいつでも誰でも気楽にふらっと立ち寄れるサロンのようなもの
(2)もう少し左利きに特化した情報交換の基地的なもの
(3)左利きの認知のために社会に働きかける組織的な動きの場、といったもの

これらは、SNSという枠に限った話ではありませんし、左利きの人だけが参加できるというものでもありません。

(ミッシク・プロジェクトに勝手に参加しています。)

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2006.01.16

私の理想社会とは―左利きメルマガ週刊ヒッキイ15号新春放談

今年最初の定期便を14日無事発行できました。

今回は年の初めということで「新春放談」と称して、私の日常考えている左利きにもやさしい社会という理想の姿を描いてみようという試みです。

詳細は、メルマガでお読みください。

具体的なイメージを小説仕立てにするか、放談らしく仮想インタヴュー仕立てにしようか、などといろいろ考えていましたが、お正月ボケした頭ではイメージが浮かんでこず、総論的ないつもどおりの文章になってしましました。
また次の機会の宿題になりました。

臨時増刊の「かなちゃん」のおかげでしょうか、前回よりもわずかですが発行部数が増えて、過去最高を記録しました(と、言ってもしれてますが…)。今年はこれをきっかけにどんどん読者を増やして行きたいものです。

 ・・・

左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii
第15号(No.15) 2006/1/14「新春放談/私の理想社会」

最新号発行日:2006/01/14 最新号発行部数:90部 サイズ:16k

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─目次―
 ■新春放談/私の理想社会■
私の夢見ている「左利きにも優しい左右共存社会」について、具体的にお話しましょう。 

 ■マイ・ファースト・レフティ・グッズ■ 読者のお便り募集中
 ●レフティやすおのサイト案内●・・更新情報・・
 ▼次号案内▼
 ▼バックナンバーの閲覧▼
▼読者拡大キャンペーン▼
 ●レフティやすおの編集後記●
------------------------------
▼次号案内▼
 第16号(No.16) 2006/1/21「正しい利き手・利き側認識を(2)」(予定)
内容:
 ▼レフティやすおの左利き実用講座▼ ―隔号掲載―
   正しい利き手・利き側認識を(2)使いと利き―見掛けと仕掛け(予定)  
お正月には華やかさもあり、マジックを扱ったテレビ番組も多かったのではないでしょうか。マジックには見掛けの裏に隠された仕掛けがあります。
同じように、人の手にも見掛けの使いと仕掛けの利きがあるのです。
その点を考えてみましょう。

 ●「レフティやすおの左組通信」から●
  <左利きプチ・アンケート> 第25回 左利きの本を読んだことがありますか
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※予定変更のお知らせ:

<左利きプチ・アンケート>の予定を急遽変更します。
日にちが迫ってきましたので、今月のアンケートを「日本の左利きの日―レ(0)フ(2)ト(10)の日―を知っていますか」に変更いたします。22日から受付開始です。

「左利きの本を読んだことがありますか」は来月行います。
(また原稿の作り直しや、えらいこっちゃえらいこっちゃ!)

●登録および解除(配信停止)、バックナンバーの閲覧は、以下から↓ 
まぐまぐのページ
・『レフティやすおの左組通信』内「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」

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2006.01.11

JSCジャパン・サウスポー・クラブ再開?

2005.10.21「JSCジャパン・サウスポー・クラブのサイト消滅」お茶でっせ版新生活版でお知らせしましたように、昨年9月末ごろ、ずっと休眠状態の続いていたネット上の左利きのコミュニティのサイトとMLが消滅しました。

その後偶然、私や何人かのMLメンバーが相次いでmixiに参加、そちらで再会をはたしました。
そのひとりからの情報で、元JSC会長氏がブログを始め、その中で以下のような文章を発表していることを知りました。
 
Japan Southpaw Club の存続について思うこと
このマークに記憶のあるかた~

ひだりききコネクション
■このブログは「Japan Sountpaw Club」なるひとりよがりなコミュニティの存続を測るために始めました。)

JSCの活動スタイルとして、MLという閉じた形式にこだわるのは時代にそぐわないだろう。ブログもれっきとしたWebサイトだし、日本の左利きの立ち寄れるラウンジのような役割がJSC(サイト)ではないだろうか?そこは団体の区別が無い交流の場にしたいがどうだろうか?

 ・・・

JSCについては、私も一応の役割を果たしたし、それなりに胸を張って歴史を刻んだことを自慢してよいと思っています。

「左利きの小ネタ」(「お茶でっせ」サイドバー参照)のひでゆきさんから指摘―Japan と銘打つからには、japanをとりまとめる活動が必要だ/左利きにかこつけた飲み会に変わっただけの「集会」―もその通りだと思います。

一番最初は「左聞きが集まるコミュニティ」という漠然とした目的での立ち上げでした。

とあるように、「JSC」も当初は、ごく軽い左利きが集まるコミュニティ、いってみれば、<阪神タイガース・ファンが集まる飲み屋>の「乗り」のようなものだったのかもしれません。

それが勢いに乗って、次々と仕事を膨らませて行った。
そこまではよかった。

しかし、強い熱情と志(と経済力)に裏打ちされていない、勢いだけで突き進んできた烏合の衆のような集まりはやはり空中分解するしかなかったのでしょう。

従来少数派の中で唯一の組織化されない人々、といわれてきたのが左利きでした。
そういう人がたとえ何百人かでも、MLに登録し、何かを求めたのは事実です。

日本の左利きの歴史をたどってみたとして、このようなことは箱崎先生の左利き友の会以来のことでしょう。

理念と現実の間で空中分解したとしても、これはやはり評価されるべきであったと思います。

 ・・・

そして今、再開について意見交換しましょうと提言されています。

「例えば、左利きに関する情報のデータベースの役割がJSC」「例えば、他のコミュニティときちんと交流を持つことが必要」「ひとりよがりじゃないと万人に認めてもらうために、JSCとして何が必要なのかを見直したい。」

私の意見は、はじめの記事への雷電太郎さんのコメントとほぼ同じです。

JSCの再興を考えるならば、ビジョンの「議論」をするのではなく、同士が集まるようなビジョンをここで提示できるかだと思います。それに共感すれば仲間は集まり、再興は可能でしょう。また、一人で始めるなら難しいことを考えず、好きなことから始めればいいと思います。

理念を持って進めるのなら、より高い志に基づき自分ひとりでも始められると思います。
(少なくとも私はそういう気持ちでやってきたつもりです。)

また、単に左利きの人がくつろげる空間を提供するのなら、そういう場としてもブログは十分機能すると思います。

 ・・・

要するに自分に思いがあるのなら、とにかく一歩を踏み出すことしかない、のです。
結果として何が付いてくるかです。

そして、そのような結果はずっと後からやってくるものでしかないのです。

何事でも大事なのは、何を考えたかではなく何をしたのか―実行なのです。

実行に移しても、継続はなおむずかしい…。

でも、何度でも出直せばいいのです。
そして、恐れることなくひるむことなく、前へ前へ進む、のです。

 ・・・

新たな活動に期待しています。

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2006.01.06

"不動にされた男"リンカーン・ライム―『魔術師』

ジェフリー・ディーヴァー『魔術師(イリュージョニスト)』The Vanished Man(2003) 池田真紀子訳 文藝春秋(2004.10)
現代の安楽椅子探偵、ニューヨーク市警捜査顧問、犯罪学者リンカーン・ライム(&アメリア・サックス)シリーズ第五作

今回は「デヴィッド・カッパーフィールドとハンニバル・レクターを合わせたような」犯人、イリュージョニスト"マレリック"との頭脳対決。 

次々とマジックの出し物に見立てた連続殺人が発生する。
ライムとアメリアはこの事件に取り組む。マジックやイリュージョンに関する情報を求めて、ひとりのイリュージョニストの卵、カーラに協力を依頼する。

そうそうにライムは次なる犯行を予知し、アメリアは犯人を追い詰める。が、今一歩のところで逃げられる。

そして大胆にも犯人はライムを襲撃する。
この危機を脱したライムたちは、ついに犯人の名前にたどりつき、犯人の狙いが逮捕された極右武装組織の指導者の脱走に関わることであると知るが…。


脱出王と呼ばれた稀代のマジシャン、ハリー・フーディーニに魅せられた男、事故で妻を亡くし、やけどを負い、イリュージョニストとしての生命を絶たれた、損傷した左手を持つ男ウィアーは、復讐の炎を燃やす。

犯人は幾度も窮地に陥りながらも、慎重に準備をされた何重にも仕組まれたトリックにより、警察の手を逃れる。しかも本当の狙いがライムにもわからない。…


毎度のことながら、安楽椅子探偵としての頭脳比べとしての本格謎解きの醍醐味と、この辺のジェット・コースター・サスペンスには振り回される。でも一気に読んでしまう。二段組五百ページを越す分厚い本がまったく負担にならない。

『コフィン・ダンサー』に並ぶの凄腕の悪役の登場で、物語はいやがうえにも盛り上がる。ディーヴァーお得意の大どんでん返しのイリュージョンも大いに冴え渡る。シリーズ屈指のできばえであろう。

しかも人間ドラマとしてもアメリアとカーラの抱える女性問題、カーラの弟子と師匠の人間関係、ライムと犯人とのやり取りなどなど、多彩な人生模様を見せてくれる。
カーラが師匠のもとを去るシーンも記憶に残る。

 ・・・

―左利きの視点から―

左手の薬指と小指がくっついてひとつになったという特徴を持つ犯人、それはまさしくハンニバル・レクターを意識している。
そして、首から下は左手の薬指を動かすことしかできないライムと対比させている。

私はひそかにライムを「左利き(左手使い)の名探偵」のひとりに上げているのだが、ハンニバル、そしてこのウィアーは左手に特徴のある犯人ということになる。


今回このミステリの軸となっているマジックにおける「効果(エフェクト)」―観客の目に映るもの―と「手段(メソッド)」―陰で行われている演者の仕掛け―とは、いいかえれば「見かけ」と「本質」だ。

利き手・利き側というものも、「見かけ」―実際に使っている手・側―と「本質」―その人が持っている潜在的な資質―とに分けて考えるべきだ。

右手を使っていてもそれは「見かけ」にすぎず、本当は(その人の「本質」が)右利きかどうかはわからない。
同様に左手・左側を使っていても、左利きとは限らない。
たとえば大リーグのイチローや松井秀喜、サッカーの中村俊輔など。

ところが、世間一般では右手・右側を使えば右利き、左手・左側を使えば左利きという場合がある。
これは「利き」と「使い」の混同だ。

右手を使うのは「右手使い」であって、「右(手)利き」ではない。
だから右手を使うようになったからといって、「右利きになっちゃった」わけではない。「右手使い」になっちゃっただけで、本質は変わらない。

「利き」とは優位性である。どちらが得意であるか、より速いか、より正確か、より巧みか、…といった本来持っている普遍的な性質だ。

正しい利き手、利き側認識を持って欲しい。

(いやあ、またしても、話がそれてしまった…。)

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2006.01.04

左利きメルマガ「週刊ヒッキイ」お正月臨時増刊号発行

2006(平成18)年の元旦にお年玉として、発行しました。

いつもの定期発行のメルマガでは私の左利きに関する生硬な文章を並べています。
自分としてはそれで満足ではありますが、はたしてそれだけで私の思いが伝わっているかどうか大いに疑問です。
単なる自己満足に終わっているのではないか。
もっと違った形でアピールする方法はないものか、と常々考えていました。

そこで、昨年末の年内最終号では左利きアンケート特集を組んでみました。
さらに今度は、物語を通して考えていただこう、と臨時増刊の形で企画してみました。
いってみれば、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ」シリーズの番外編です。

 宮川集造・作「かなちゃんのひだりて」

左利きの子供さんについて考える意味でも、とてもよいお話です。
ぜひご一読を!

左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii
第14号(No.14) 2006/1/1「お正月臨時増刊号/かなちゃんのひだりて」

最新号発行日:2006/01/01 最新号発行部数:86部 サイズ:19k

─目次―
 ■新年のご挨拶■
 ◆お正月特別企画:左利きの少女かなちゃんの物語◆
   「かなちゃんのひだりて」 宮川集造
 ▼バックナンバーの閲覧▼
▼読者拡大キャンペーン▼
 ●レフティやすおの編集後記●

 ・・・

お正月特別企画:左利きの少女かなちゃんの物語
 左利きのかなちゃんはピカピカの一年生、でも左利きであること
 で、ある種の感情を抱きます…。
 かなちゃんの抱いた感情とは?

◆本編について―
本編は、宮川集造氏のホームページ「パオしゅう 宮ちゃん文庫」 内の「作品」に収められている一編です。

以下の「作者の言葉」にありますように、原題は「右手ひだりて」(作者名も旧姓の「吉原」)となっています。
ここでは作者のご了承を得て、宮川集造・作「かなちゃんのひだりて」として掲載いたしました。

(※詳細は、バックナンバーをご覧ください。

 ・・・

▼次号案内▼
 第15号(No.15) 2006/1/14
「新春放談/私の理想社会 」(予定)
内容: ■新春放談/私の理想社会■

私の夢見ている「左利きにも優しい左右共存社会」について、具体的にお話しましょう。


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2005.12.22

左利きに使いづらい?ユニバーサルデザインびん:アヲハタ55

最近はあまり食べなくなったのですが、わが家でもジャムといえば、キューピーの「アヲハタ55」ジャムを愛用しています。
久しぶりに買いに出かけてみました。
するとビンが変わっているではありませんか。

ビンの上部の肩にあたる部分に凹(へこ)みが付いています。キャップも凸凹が付いていかにも開けやすそうです。さらに、両側に二箇所ずつあるへこみの間に点字が刻まれて(盛り上がって)います。
ユニバーサル・デザイン容器になっているのです。

ホー、やるもんだ、と思ってよーく見るとへこみに角度が付いています。右肩上がりの楕円形です。グルグルッと回すと皆そうです。
左手で取り上げたのでそのまま指をあてがうとピタリときます。なるほど! ようできてる。右手でキャップを持つといかにも開けやすそう!

で、ふと思いました。
これって、右利き用?

私は左利きで、右手にビンを持って、左手でキャップを持ち、ひねって開けます。

今度はいつも開けるときのように、右手に持ち替えてみました。
指をへこみに合わせて持つと、少しビンが傾いてキャップが右側を向きます。左手から遠くなっています。

もう一度左手で持ってみますと、なるほどビンのキャップは右手のほうに傾いています。右手でどうぞ開けてください、というように。

再度右手に持ってみました。へこみに指を合わすのでなく、ビンを真っ直ぐ持つようにしながらへこみに指を置いてみました。
すると向こう側の人差指はまず問題はありません。でも、こちらの親指はへこみの下辺の縁の立った部分に当たり少し痛いのです。

小さい方(170gと335gの二種類ある)のビンでも試してみました。やはり多少の違いはあるものの同じように親指が、左手で持つときのようなピッタリ感がなく、指に当たり不快です。

aohata-ud

*
家に帰って「アヲハタ」のサイトを見ました。

アヲハタのこだわり ユニバーサルデザインびん採用
1. 瓶の上部に、握りやすいへこみリブを採用し、開けやすくしています。へこみリブは人間工学に基づき設計され、力のかかる方向を考え斜め左下がりの形状としています。
2. 瓶の上部に、「アヲハタ」「ジャム」という点字を入れ、より多くのお客様に判別しやすいようにしています。
3. へこみリブや点字など、通常ガラス瓶に凹凸をつけると強度が低下しますが、今回はユニバーサルデザインに配慮しながらも、継続している瓶の軽量化を進めました。
アヲハタ|アヲハタ商品紹介|アヲハタ 55ジャム より

今年2005年2月22日から全国で新発売、となっています。
点字の採用や凹みをつけて開けやすさを考えた点は、大いに評価できます。
ユニバーサル・デザインを採用する企業がドンドン増えることは喜ばしいことだと思います。

ただ、先ほども述べたように、私にはどうも気になる点があります。

「へこみリブは人間工学に基づき設計され、力のかかる方向を考え斜め左下がりの形状」―逆に言えば、右(肩)上がりです―とありますが、開ける方向に逆らうような向きにへこみがあればいいのであって、この角度はどうも左手でキャップ右手でビンを持つ左利きの人には不向きな気がします。

まだ現物を実際に使用していないので、正確なところはなんともいえません。
しかし、もうひとつしっくりしませんでした。
結局、今回は購入を見送りました。

皆様はいかがお考えでしょうか。

*
実は左利きの人のなかには、「人間工学に基づき」という言葉を目にすると、ちょっと眉に唾をつけたくなる人がいます。私もそういうひとりです。
どうもこの「人間」という言葉には、「右利きの」という修飾語が脱落しているような気がするのです。

なるほど右利きの人が右手で(あるいは右手を主に左手を従―補佐役として)作業するには適切でも、左利きの人には不適切になる場合もあるという、そういう左右のユニバーサル・デザインの視点の欠けたものが往々にして存在するように思います。

もう一度、ユニバーサル・デザインの基本精神を思い起こして、設計に当たって欲しいと思います。

※画像は、上記および下記のアヲハタのサイトより借用したものを適宜加工作成しました。
アヲハタ55ジャムおいしさナチュラル製法|キユーピーより
キューピー トップ > ジャム・ワールド > アヲハタ55ジャムおいしさナチュラル製法

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2005.12.15

左利き:子育ての悩み―Yahoo!知恵袋その2

前回「左利き:子育ての悩み―Yahoo!知恵袋」お茶でっせ版新生活版の最後に触れた質問、5歳の男の子の場合について書いてみます。
まず、今回も質問に続いてベストアンサーのみを紹介します。

解決済みの質問

5才の長男の件ですが、左利きです。そのままでいいか、右に矯正すべきか夫婦で意見が食い違っており困っています。絵を書くのが大好きなのですが左利きは右脳を刺激し芸術面でも優れると聞いており、このまま左でいいかと思いますが、字はとても書きづらそうです。

どのように対処していくのが一番いい方法なのでしょうか。無理に矯正するのはよくないのでしょうか。
質問した人: yasusu27さん
▼ベストアンサーに選ばれた回答▼
ハサミ・鉛筆・お箸
この3つは直した方が良いかもしれませんね。
左用のハサミは高いですよ。探すのも一苦労・・・
『お手て反対よ』って気がついたら持ち直してあげましょうね。
そのほかは特に問題ないかと・・
私もそのように治しましたし、娘も治しました。
ですが左利きって結構器用なのよね^^
握力は同じくらいになってるし^^
どうしても高くつきそうなものだけは直した方が良いかもしれませんよ^^
回答した人: ii_0v0_iiさん
*
前回も書きましたように、どのようにしてベストアンサーが決められるのか、よく知りません。
しかし、他の意見に比べてこの意見が優れているようには思えません。
確かに今回の他の回答は、前回の質問の際の回答に比べると、具体性に欠ける短い意見が多く、結局右利きにも受け入れやすそうなこの回答がベストアンサーに落ち着いたように思われます。

他の回答は「矯正」はよくないからやめなさい、あるいは、基本的には子供の自由でよいが字を書くのは右手でできるのなら右手でやらせてもよいのでは、という意見が大勢でした。

*
さて、ベストアンサーについての私の感想です。

この方自身左利きのようで、自分も娘も「治した」と書いておられます。
まず「治した」という表記そのものが何か嫌です。まるで病気か悪癖のようで、こういう左利きに対するものの見方・考え方それ自体に問題がある、というのが私の考えです。

次に、現状をよくお知りになっていないように思われます。
今では子供用のハサミは右手用と同一価格で販売されています。三百数十円ぐらいで売っています。専門文具売場のあるスーパーならたいていどこか一社ぐらいは置いています。
確かに同価格ですから右手用より安くはないのですが、高くもありません!!

※参照:「左手用/左利き用 はさみ・ハサミ・鋏 コレクション/左利きphoto gallery<HPG3>」

昔、メーカーのレイメイRAYMAY藤井の担当者氏におたずねしたところでは、製造原価はやはり左手用のほうが高くつく、けれど利潤を押さえて右手用と同一価格に設定している、という話でした。

他社も同じように努力されています。
さらに、大手百円ショップのダイソーでは、百円で大中小三種類のハサミを売っています。私も大を愛用しています。

他の一般用となると、若干高め。用途別のハサミ、専門的なものとなると、最低二割程度は割高になっているようです。その辺は確かにそうですし、手に入れるのも子供用よりはむずかしいかも知れません。

しかし、百歩譲ってそういう状況にあったとしても、子供のために必要なものなら多少のことは努力できるのが親御さんのお気持ちでしょう。

「ハサミ・鉛筆・お箸 この3つは直した方が良いかもしれませんね。」というのも、理解できかねます。

まず、「直せる」という前提が初めにあります。これが合点がいきません。
前回の「私の回答」の(2)番目にも書いたように、「左利きでも男性に比べると女性の場合は、比較的右手使いができる可能性が高いといわれます。これは女性の脳が男性の脳に比べて左右の機能分化が極端でないからといわれます。」
ベストアンサーの回答者さんの場合も女の子の例のようです。
ところが、この質問者の場合は男の子です。男の子の場合はむずかしいといわれます。

もっと大事なことは、なぜこれらの字を書くことや箸使いになると、右手でなければならないと考えるのか、ということです。

右手でないと、みっともないからでしょうか。作法にもとるというのでしょうか。
今ではこのような考え方をする人は少なくなっています。
右利きの人が右手を使うように、左利きの人は左手でいい、という風潮になっています。
その人の個性を尊重するのが作法であるから左利きは左手でよい、という作法の先生の言葉を紹介している本もあります。

※『左ききでいこう!―愛すべき21世紀の個性のために』(フェリシモ出版)第3章「左ききの未来を開く道づくりをみんなではじめよう」の「食事の席での左ききはマナーに反するの?」に、小笠原流総領家第32代世礼法家・小笠原忠統さんのお話が出ています。

字を書くのも同じことです。
その昔は一部の特権階級の人のみが身に付けられる特別な技術だったのです。当然お作法もうるさかったでしょう。
しかし、今は違います。
みんなが身に付ける技術となったのです。右手で書く人がいたり、左手で書く人がいてもよいのです。

右手が得意なら右手で左手が得意なら左手で、よいのです。
野球やサッカーなら許されて他ではダメというのは、やはり変です。

私の回答

左利きは左利きで、というのが基本です。
特に男の子の場合は、女の子より左利きの度合いが強く、右手を使える比率が低いと言われています。女の子ならできると意味ではありません(強調!)が、過去の経験や調査結果などからいうとそういう傾向があるということです。

「字はとても書きづらそう」というのですが、これは右利きの人から見るとそう見えるという見かけ上のことか、本人も実際に書きにくいという感じているのか、が問題です。
左手で字を書いているのを見ると違和感がある、書きにくそうに見えると言う人がいます。
あくまで本人の身になって考えてください。非利き手より利き手の方がずっと使いやすいのです。

書くときの姿勢はどうか? 持ち方は正しいか? 照明の位置は? 筆記具が合っているか? など確認してください。
姿勢が悪いと腕がうまく動かせません。親指人差指中指の三本指できちんと持てないと鉛筆をコントロールできません。手元が見えないとうまく書けません。左から右への線は、右手書きの場合は自然な引く動作で書けますが、左手書きでは押すようになり、硬い筆記具では紙に刺さるなど非常に書きづらくなります。なめらかに書けるやわらかめの筆記具を使ってください。

幼児期はまず利き手を一人前に使えるようにすることが一番大事です。
もし左手で不便な場面が出てくれば、そのときに改めてどうするか本人が考えればよいことです。親が勝手に先回りして考えることではありません。
親は一生子供の面倒を見ることはできません。子供が自分の力で生きてゆけるように育てることを心がけてください。

※参照:『左組通信』表紙 > 目次 >「左利き私論」、『お茶でっせ』育児カテゴリ『左ききで生きるには 週刊ヒッキイ』「左ききのお子さんをお持ちの親御さんへ」などで、左利きの子供さんへの対処法を考えています。
左手用の書き方補助具などは「左手/左利き用文房具(筆記具・定規・その他)/左利きphoto gallery〈HPG6〉」で紹介しています。
参考にしてください。

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2005.12.12

左利き:子育ての悩み―Yahoo!知恵袋

12月10日ホームページ『レフティやすおの左組通信』のアクセス解析をしていると、chiebukuro.yahoo.co.jpからの訪問者がかなりありました。
たどってみると、Yahoo!知恵袋からの訪問者でした。
解決済みの質問―下記の質問の回答の最後、m_perompaさんのものにリンクが貼られていました。

Yahoo!知恵袋トップ > 子育てと学校 > 子育て、出産 > 子育ての悩み >

1才9ヶ月女の子がスプーンやクレヨンを左手で扱います。集中しているときは左手です。左利きでしょうか。気づいたとき右で持って、と直してあげるのですがまたすぐに持ち替えてしまいます。親としては右利きにしたいですが直る(もしくは一時的なもの)か経験のある方教えてください。
質問した人: tonkichisevenさん

▼ベストアンサーに選ばれた回答▼

可能性は高いと思いますが、小さなお子さんは、どちらでも使えるみたいですね。
左利きも都合の良いことがたくさんありますが、道具類では不便なこともあります。
まだ早いですが書道とか食事は右手で出来るようにしてあげた方がよさそうです。
今は、拘らないことも多いと思いますし、迷信かも知れませんが、左利きのこを無理に右利きにするとドモリ(差別語だったらゴメンナサイ)になると言われました。
理想は両手利きになるといいですね。
回答した人: mypet_gonta0202さん

●リンクの貼ってあった回答●

それは左利きの可能性が大です。
うちの息子もそうでした。

左利きは脳がそうなっているので、矯正はかなりのストレスになります。
子供が野球とかで両ききになりたいとか言わない限りそのまま育てようと思っています。
何も今まで不都合はありませんよ。

こちらに左利きの人に色々アンケートを取ったさまざまな考え方が載っています。
どうぞ参考にしてみてください。
参考URL: http://homepage3.nifty.com/lefty-yasuo/
回答した人: m_perompaさん

それにしても、この手の相談あるいは質問が今も変わらず繰り返されています。
左利きの私にとって、左利きにも優しい左右共存社会の実現をめざして(ネット活動して)いる、私にとっては、なんともいえない気持ちになります。

幸い今回は私のサイトをご存知の方がいて、少しは浮かばれるという感じですが、実際にどれだけの方がどのようにサイトを見て、どういう感想をお持ちになられたのかがわからないので、不安がいっぱいです。

*
ベストアンサーがどのように選ばれるのか存じませんが、m_perompaさんの意見でなかったのは少し残念な気がします。

ベストアンサーの回答について感想を申しますと、いかにも右利きの人に受け入れやすい内容になっているな、と感じました。

「両手利きになるといいですね。」は、「戦争のない平和な社会がいいですね」というのと同じで、何人たりとも批判しがたい意見です。
しかし、そう言って非利き手を訓練させられるのは、たいてい左利きの子です。右利きの子に、両手が使えるようになるといいね、と言って左手を使わせる親や教師はまずいません。
これをみれば、いかに不公平な言葉であるかご理解いただけると思います。

「小さなお子さんは、どちらでも使えるみたいですね。」というのは誤解です。
どちらも使えるのではなく、成長の過程でどちらも使っているだけです。基本的な利き手というものは潜在していて、まだ表面に現れていないだけです。

「道具類では不便なこともあります。」これは事実です。

しかし、「まだ早いですが書道とか食事は右手で出来るようにしてあげた方がよさそうです。」というのは根拠が示されていません。
何をもってそう言えるのか、なぜそう考えるのか、私には納得できかねます。
右利きの人にとって便利なことが左利きの人にも便利だ、とは言い切れません。

結局、利き手というものの本質とはかけ離れたところで話がまとまってしまっていて、正しい回答になっていない、と私には感じられます。

これでは、いつまでたっても左利きの子に幸せはやってこない、というのが私の結論です。

◆ここで私の回答を書いておきます。

(1)この時期ではまだ左利きかどうかはなんともいえません。可能性はあると考えても良いでしょう。
 ただ、利き手がはっきりするのは8,9歳ごろといわれます。
 身体だけでなく、脳や神経系も左右均等に発達するのではなく、右側が発達する時期やその逆の時期があります。その結果、右利きの子でも、発育の過程で右手を使ったりそうでなかったりする時期があります。
 今は、偶然左手を使う時期かもしれません。
 本来右利きなのに、この時期に早合点して左利きだと思い、右手を使わせたところ右利きになり、左利きを右利きに直したと思い込む場合もある、と思われます。左利きの名残がある、という人もいますが、人の利き手というものは、人によりかなりの幅があります。
 半数以上の人はほとんどのことを右手で行う右利きですが、そうでない人もいます。右利きでも、目や足は左とか、ほうきの持ち方や雑巾の絞り方が違うとか、様々です。

(2)利き手は生来の性質で、右手を使えば右利きに左手を使えば左利きになる、といった流動的なものではありません。たしかに特定の動作においては、訓練の結果、右手なり左手なりが使えるようになる場合もあります。
 左利きでも男性に比べると女性の場合は、比較的右手使いができる可能性が高いといわれます。これは女性の脳が男性の脳に比べて左右の機能分化が極端でないからといわれます。
 しかし、幼児期は本来の利き手を確立させることが大事です。それを怠ると、両方とも非利き手並みの不器用な両手使いになる、といわれます。
 精神的ストレスの問題があるのはすでによくご存知でしょう。

(3)なぜ左利きだったら右利きに直したいと思うのでしょうか。それは親の勝手な願望です。子供はどう考えるでしょうか。
 なぜ左利きではいけないと考えるのでしょうか。この世の中が右利きに便利にできているからでしょうか。
 では、なぜ子供に圧力をかけるほうを選ぶのでしょう。なぜ左利きでも苦労することのない世の中にしようと考えないのでしょうか。
 かつては、女性や障害者や高齢者は暮らしにくい社会でした。しかし、今はそういう弱者に優しい社会に変えてゆこうとしています。左利きも同じです。左利きにもやさしい社会になれば、あなたのお子さんだけでなく、これから生まれてくるすべての左利きの子供たちが幸せに暮らせます。そういう考え方を身に付けて欲しいと思います。

*
実はこの質問を探し出すのに、Yahoo!知恵袋トップから改めて入ってみると、また別口の質問がありました。
今度は5歳の男の子の場合です。

これはまた別の機会に譲ることにします。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

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2005.11.15

週刊ヒッキイ第7号「あなたは本当に左/右利き?(1)」発行

左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii
(レフティやすおの左組通信 メールマガジン) 世界の片隅で左手と左利きを考える
 第7号(No.7) 2005/11/12「あなたは本当に左/右利き?(1)」

第七号です。
この回から表題下の説明文を変更しました。

前号まで:

左利きで生きる、ってどうなんだろう?
世界の片隅で左利きと左手使いの問題を考えるレフティやすおが、自らの左利き体験を基に左利きの人の生活の実態を語る、左利きをメインテーマにしたホームページ『レフティやすおの左組通信』から、左利きで生きるための実用メールマガジンを発行します。
左手や左利き、利き手に興味のある人、左利きの人、左手が利き手でない人のための、左手・左利き生活にまつわるお話満載のメルマガです。

今回から:

左利きで生きる、ってどうなんだろう?
左利きでお悩みのあなたに贈る、左利きで生きる人のための応援メルマガです。
左手や左利き、利き手に興味のある人、左利きの人、左手が利き手でない人も、左手・左利き生活にまつわるお話をお聞きください。
 

まぐまぐサイトでの紹介文:

左利きで生きる、ってどうなんだろう? 左利きと左手使いの問題を考えるレフティやすおが、自らの左利き体験を基に左手・左利き生活の実態に即した独断的アドヴァイス、および提案、役に立つ情報を紹介する左手生活者のための実用メルマガです。

メルマガは、ホームページやブログと違って読者を明確に絞ってもいいのでは、と思います。
そこで、今回から左利きでお悩みの方に、という絞った宣伝文句を考えてみました。
今後は、左利きでお悩みでない方には興味を持てない内容になっていくかもしれません。
それでもついてきてくださるなら、うれしく思います。

この文章のせいかどうかはなんとも言えませんが(単に期待はずれなだけ?)、ここ二、三日登録解除が続いています。
ちょっと残念です。

* 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii * (レフティやすおの左組通信 メールマガジン) 世界の片隅で左手と左利きを考える
 第7号(No.7) 2005/11/12「あなたは本当に左/右利き?(1)」

・発行部数:89部(↑2)―ちょっとですが増えました。うれしいです!
・サイズ:12K ―ちょっとですが減りました。うれしいです。でも、ホントは二回に分けただけだから…。

─目次―
 ▼レフティやすおの左利き実用講座▼ ―隔号掲載―
  利き手調査の結果から利き手/側を分類する
  (1)従来の二分法
 ■マイ・ファースト・レフティ・グッズ■ 読者のお便り募集中
 ●レフティやすおのサイト案内●・・更新情報・・
 ▼次号案内▼
 ▼バックナンバーの閲覧▼
 ●レフティやすおの編集後記●

▼次号案内▼
 第8号(No.8) 2005/11/19 「社会は変化している」(予定)

内容: ▲左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ▲ ―隔号掲載―
  ―その8― 左利き用品は子供を甘やかす?(2)社会は変化している

左手・左利き用品を小さいときから与えていると、いざ外へ出て左手・左利き用品がない時に右手用が使えなくて困る、だから子供を甘やかさないように、左手・左利き用品を与えません、という親御
さんの意見があると聞きます。
本当にそうなのでしょうか? その二回目です。

*
「編集後記」にも書いていることですが、この社会をあとから使う人が気持ちよくすごせるようにしておきたいな、と私は思うのです。

これから先この世に生まれてくる左利きの人にとって、少しでも楽に生きて行ける社会にしたいのです。
左利きや左手使いで悩む人がいない社会にしてゆきたいのです。
悩む、といってもその中身は様々でしょう。
そういうものをみんなひっくるめて、左利きあるいは左手使いで悩む人をなくしたいと思うのです。

大それたことを言うやつだ、と思われるかもしれません。思い上がったやつだといわれるかもしれません。自分の胸に手を当ててよく考えてからもう一度言ってみろといわれるかもしれません。
それでもいいのです。

あとから歩く人が少しでも気持ちよく歩けるように、ちょっとでもきれいな道、少しでも歩きやすい道、歩いていて楽しい道にできたらなあ、と願っています。

みんながそういうあったかい気持ちでいたら世の中もっと良くなるように思うのですが…。

いいですか
いくらのろくても
かまいませんよ
たいせつなことはね
いつでも前を
むいて自分の
足で自分の
道を歩く
ことですよ
      みつを

―相田みつを『雨の日には……』文化出版局 より

●登録および解除(配信停止)、バックナンバーの閲覧は、以下から↓ 
まぐまぐのページ
・『レフティやすおの左組通信』内「左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii」

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2005.11.02

左利きメルマガ「レフト・ハンダー~左利きから見た世界~」

ブログの記事がメルマガで送られてくるというものがあるんですね。知りませんでした。

そのひとつが「まぐまぐ」にある、この『レフト・ハンダー~左利きから見た世界~』です。

私も九月末にメルマガ「左利きで生きるには 週刊ヒッキイ」を始めたばかりですが、そのちょっと前に見つけたのがこれです。

左利きをテーマにしたメルマガとしては、『レフティサーブ』に続く二番目のものです。(「まぐまぐ」では。タッチの差で私のが、三番目になります。私の兄貴分です。"左利きメルマガ三兄弟"か!)

まだ始まったばかりです。九月末から一ヶ月とちょっと。なかなか精力的に書き進めておられます。

ちょっとしたことでも、左利きならではの視点での切り取り方があり、興味深く楽しめます。
そうやそうや、そんなんあったな、とか、そんなんあるの? とか、毎回改めて身の回りを見回してしまいます。

左利きに生まれた私は‘ギッチョ’と呼ばれ特別扱いされた。幼い頃、読売巨人軍の王貞治選手がヒーローだった。世の中便利になったけど、左利き社会は変わらない。左利きから見た世界を、思いつくまま綴ったブログです。

発行者のレッド&カーボンさんは昭和39年生まれとありますから、ちょうど私とは十年違いになります。左利きに関する問題は、年代だけでなく、地方と都市部といった地域の事情でもかなり異なります。
また、身近な環境―家族や親戚、友人やご近所―に左利きの人がいるかどうかで大きく違ってきます。

レッド&カーボンさんの場合はお父さんが左利きとか、それで家庭では守ってもらえたようです。
でも、世間はまだまだ…。左利きの子には辛いことが色々あったようです。

※参照:最新号 2005/11/02 18:15 彫刻刀
「父は早速左用の印刀を買ってきた。しかも見るからに最高級品を…」
「自分の父が誇らしかったのを思い出す」

そういえば、私にとっても、王選手の存在は大きかったですね!
麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」はちょっとこそばゆい感じでした…。

それぞれ人により環境の違いがあります。
で、同じ左利きと一口に言っても、それぞれに違っているのです。

「幸福な家庭は一様に似通っているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」

トルストイの『アンナ・カレーニナ』の書き出しにそのような言葉がありました。

それをもじって、私なりに書いてみると―

「幸運な右利きは一様に似通っているが、不運な左利きはそれぞれに不運である」(私は、左利きが不幸であるとは思いません。しかし、不運だとは思います。)

この辺が左利きの問題の難しいところです。

*
私は見つけてすぐに登録しました。
これからも左利きから見た、様々なお話を楽しみにしています。

私とは異なるアプローチのメルマガですが、左利きに対する思いは共通する部分もあると思います。
ひとりひとりがそれぞれの立場からそれぞれの思いを伝えてゆくことで、初めて、左利きに対する正しい理解と認知が得られるのだと思います。

無理ぜずマイペースで発信し続けてください。

・登録はこちらから↓
《まぐまぐ!メールマガジン》レフト・ハンダー~左利きから見た世界~
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2005.10.21

JSCジャパン・サウスポー・クラブのサイト消滅

JSCのサイトが消滅しています。九月の下旬か、末頃に消えたようです。

JSCと言っても、日本SOHOセンター(JAPAN SOHO CENTER)でも、日本時間生物学会(Japanese Society for Chronobiology)でも、日本サイドカー連盟(japan Sidecar Community)でも、日本映画撮影監督協会(Japanese Society of Cinematographers)でも、 JENサポータズクラブ(JEN SUPPORTERS CLUB)でもありません。

Japan Southpaw Clubです。ジャパン・サウスポー・クラブ、左利きの会です。

ついこの間までは、Yahoo!Japanの登録サイトでも「生活と文化 > 文化、民族、集団 > 左ききの人」で登録されていました。(今でもJSC設立者の「Takeshi」さんのサイトは上っています。)
キャッシュにも「Japan Southpaw Club(JSC)が運営する左利きのコミュニティです。/左利きの方はもちろん、左利きに興味のある右利きの方もお楽しみください!」というホームページが残っていました。

しかし、今はもうURL(http://www.webee.co.jp/southpaw/)に行っても「ページが見つかりません」と出ています。

もうかなり以前(二年半ぐらい前?)からホームページは更新されないまま放置されていました。外部からの掲示板などの書き込みはできましたが、休眠(仮死?)状態でした。

しかし、ML(メーリング・リスト)はそれなりに機能して、たまには新たな会員登録もあり、会員間のやり取りで少しは盛り上がることもありました。
こちらもコクヨの「レフティマウス」が最期のやり取りになりました。

しかし、これらもついに消えてなくなりました。

1996年9月くらいに始まったというJSCですから、丸10年ということになります。
今ほどはネットが一般的ではなかった時に、ネットを使った活動により、広く人を集め、一時期かなりの活動を行ったというのは、日本の左利きの歴史にとって画期的なことでした。

1999年にはJSC公認の『おいしい左きき』造事務所編著(イーハトーブ出版)という本も残しています。

これだけブログが発達し、新たなネット活動の時代に入った今日この時期に消えてゆくというのは、それなりに感慨深いものがあります。

役割を終えたということでしょうか。

一方、新しい芽も出てきているようです。

これからはgreeやmixiといったコミュニティの時代なのでしょうか。
そして、ブログを通して個別に思いのたけを発信する時代になったのでしょうか。

それにしても―ひとりぼっちでそっと悲しみに耐える、左利きで泣かされた時代はもう終わりになる、(あるいは)なった、のでしょうか。

「サウスポークラブには左利きの社会に対する偏見と不具合について、うんぬんかんたら色々書いてあるんですが、私としては特に左利きだったからといって差別されたり偏見持たれたりした経験はありませんね。/逆に、「アーティスト思考だ、俺はー。」なんて喜んでる始末で。/時代が変わったんでしょうね。」
といった意見の人も少なくない時代です。

※参照:rezoomic blog: Japan Southpaw Club

(それでもね、あえて言いますが、それはうわべだけのことです。「あなたがた」に見えてないだけのことなんですよ。本質は変わっていません。まだまだ、ね。その辺をしっかりと見つめて欲しいのですが…。これ以上はまた別の話になりますので、置いておきます。―老婆心、ならぬ老爺心より)

とりもなおさず、ひとつの時代が終わったという印象です。
JSC関係者の皆様、お疲れ様でした。

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2005.10.11

「ののちゃんのDo科学」なぜ右利きが多いの?

asahi.comの<be on Sunday>の「ののちゃんのDo科学」で「なぜ右利きが多いの?」という質問に答えています。
ののちゃんと藤原先生との掛け合いでやさしく解説しています。

* なぜ「右」なのかはわからない *
まず、右利きと左利きの人口比率、国によっての違いにふれています。
「日本より米国、女性より男性」に左利きが多い。「発展途上国では右利きがさらに多い」そうです。

 先生 本来(ほんらい)は左利きでも、訓練(くんれん)して右利きになった人が多いからと考えられているわ。おはしは左利きでも字を書くのは右手、という人もいるでしょう。

「訓練(くんれん)して右利きになった人」という表現が気になります。
これでは訓練すれば、左利きを右利きに変えることができる、ことになります。
<右手を使うこと> =(イコール)<右利き> という考えなんでしょうか?

次に、右利きと左利きをどのように分けるのか、基準をたずねています。

ここでは、エディンバラ利き手調査をあげて説明しています。

さらに、なぜ右利き左利きになるのか、その理由について聞いています。

 先生 実は、そこが難(むずか)しいの。初めから、人間という生き物が右利きが多いようにできているのか、右利きに便利(べんり)な社会がなりたつに連(つ)れて、右利きの人が増えてきたのか、結論は出ていないわ。洞窟(どうくつ)に描かれた大昔(おおむかし)の絵は左向きの顔が多いから、描いた人は右利きだという人もいるし、人類初期(じんるいしょき)の道具(どうぐ)が右利き用だった影響(えいきょう)だという説もある。

この辺の説明はややあいまいなところがあります。
「右利きに便利(べんり)な社会がなりたつに連(つ)れて、右利きの人が増えてきた」というのは、社会的文化的な影響をさしているのでしょうか、それとも、適者生存による遺伝的なものをさしているのでしょうか。

右利きの定義があいまいだからかもしれません。
右手を使えば、右利きというのなら社会的文化的影響は大ですが、自然な動作のみを利き手の判定材料に採用すれば、そういう影響は少なくなり、右利きの割合も減ることになります。

日本では、上記のエディンバラ利き手調査にかわって、字を書く動作をはずした、日本人向きに改良したH.N.きき手テストが使われることが多いようです。(『左ききでいこう!』フェリシモ出版)

私が今までに勉強して利き手の発生に関して認識していることは、次の二点です。

一、利き手の発生が左右の脳の機能分化を促したのか、左右の脳の機能分化が利き手を発生させたのか、どちらが先なのか確かなことはわからない。
二、その利き手がどうして左でなく右なのか、も不明である。

* 左利き右利きの違いを理解するのはむずかしい *
利き手の定義というのも、実はけっこうあいまいなところがあって、何を利き手というかについて、一般の人と利き手関係の専門の研究者とでは違っている場合も少なくありません。

時に、科学者でも右利きの人では、右利き左利きの違いというものを本当は理解していないのでは、と思えるような発言をする場合があります。
たとえば、ハサミのグリップ(握りの指を入れる部分)が対称形であればそれで両利き用だと書いている(そうとしか解釈できない記述がある)、右と左に関する一般向け科学解説書(根平邦人『生物界の左と右』共立出版)があります。刃のかみ合わせの違いに気付いていないのです。

(科学者といっても、日常的なちょっとしたことも理解できていない場合があります。私も含めて、皆さん、注意しましょう。知ってるつもりにならないように! また、科学者や文化人、知識人の発言だからと、頭から信じ込まないように!)

*
「お母さんのおなかにいる赤ちゃんは、もう利き手が決まっている」という、最近の研究発表も入れて、生得的なものだという意見も紹介しています。

最後に、左右の脳の存在や言語と脳の関係など、利き手と脳との関係についてふれて締めくくっています。

* 左利きの人のためにもう少し神経を使って欲しかった * 
社会的文化的影響をどう捉えるか、また、左利きになるメカニズムの説明に関する記述にも、右利き寄りな感じがして、ちょっと不満を感じます。
右手使いへの変更指導を容認させる、あるいは、左利きは(右利きの人と比べて)左脳の発達が劣っている結果であるかのような読み方ができる表現は問題ありではないか、と感じました。

左の脳(大脳左半球(はんきゅう))の成長に関係する遺伝子(いでんし)があって、発達(はったつ)を抑(おさ)える場合があると考えたらどう?

全体の印象として、限られた字数でわかりやすく説明しようとして、結果として誤解を招きかねない表現になっているような気がしました。
右利きの人には気にならないのかもしれませんが、私にはデリケートな話題であり、もうすこし神経を使って欲しいと感じました。


asahi.com
home > be > be on Sunday
【ののちゃんのDo科学】なぜ右利きが多いの?
(取材協力=脳血管研究所教授・杉下守弘さん、国立科学博物館人類研究部室長・溝口優司さん、構成=冨岡史穂)

*
ちなみに、杉下守弘さんは、ジーニー・ヘロン編集『左きき学』西村書店 の監訳者の一人であり、左利きの人の言語と脳についての章を含む『言語と脳』講談社学術文庫 という著書があります。

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2005.09.02

納得できない「鉛筆の持ち方フォーラム」左利きの意見

「鉛筆の正しい持ち方」※お茶でっせ版新生活版 の参照サイトとしてあげました「鉛筆の持ち方フォーラム」について一言しておきます。

「鉛筆のヘンな持ち方に対するご意見」として、十二件収録されています。その中に、“左手使いを右手に直した”という事例を四番目と五番目に二件続けて載せています。これについてです。

* このフォーラムは「持ち方矯正」ではなく「左利き矯正」か *
まず根本的におかしいのは、この場は「持ち方の矯正」についてのフォーラムであって、字を書くときに左手でなく右手に持つべきか否かという「使い手の変更」問題―書字における「左利きの矯正」(※注)問題に関しての意見を開陳する場ではないはずです。
「どちらの手で持つか」ではなく、「どのように持つか」の意見を扱う場所でしょう。

※注:右手使いを作法にかなった正しい所作と考え、左手使いは誤りであるからこれを正す必要があるとする考え方。非科学的で不合理な、非民主的で封建的な旧来の思想であり、誤りであると私は考えています。過去の事象に用いる場合を除き、上記の理由により不適切な表現であり、現在形や未来形では使用すべきでないと考えています。参照:「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について

内容的に言うと、「持ち方を直す」ことと「左手で持つことを直す」ことが明確に区別されていません。
左利きにおいては、「持ち方を直す」=「左手で持つことを直す」になっています。
これは、ちょっと偏見に満ちた意見ではないでしょうか。左手で持つことは「へんな持ち方」なのでしょうか?

しかし、一方、「鉛筆の持ち方矯正器具のテスト」では、左利き用(左手書き)に対応した器具の紹介もしています。
左手使いに対する配慮を示しています。
両者に整合性がなく、どうも納得がいきません。

* 無知無教養な人を惑わす意見 * 
成功の事例のみ取り上げて掲載することの多いこういう場所で利き手の問題と言う“微妙なケース”を取り上げるのは問題ではないでしょうか。

たとえば、宝くじの広報で当選者の声を掲載している例と同じで、これは問題ありと言わねばなりません。
宝くじは買えばいつか必ず当たるかのような宣伝は、いたずらに射幸心をあおり、無知無教養な人を惑わすものです。

同様に、このような左手から右手への変更意見を掲載することは、やはり無知無教養な人に一方的な認識を与える危険性があります。左利きでも、字を書くときは右手を使うほうがよいのだ、という認識です。
成功例のみが掲載され、それ以外の声は出てこないのですから、これは一方的で偏向していると言えます。

こういう一方の意見のみを麗々しく掲載するのは、極言すれば、「左利きに対する偏見に基づく陰謀」と言われてもいたしかたないでしょう。

これでは、変更を強制していることになります。
こちらのサイトでは、少なくとも字を書くことに関しては「左利きは右手に直す」ことを勧めているのでしょうか。

* 「矯正」派に見られる誤った持ち方の原因 *
個別に例をふりかえってみますと、ミロさんのように、左利きの方で右手使いに「矯正」された人の場合、右手で持つことはできていても、その持ち方が正しくないケースがけっこうあります。

これは利き手ではないため手の器用さがたりず、正しい指使いができない結果であると思われます。
そして親としては、右手に持たせるだけで疲れ果て、とりあえず右手で持っていれば良しということにして、それ以上の指導を放棄するせいではないでしょうか。

器用さに欠ける、非利き手で持とうとするとどうしても持つことに意識が行き、力を入れて握りこむような持ち方になってしまいがちです。
微妙な力加減でそれぞれの指を自由に動かせる状態を維持するには、利き手の持つ精妙な動きを可能にする鋭敏な神経が必要です。

神経系が未発達な幼児では、非利き手でそのような微細で精密な動作を行うことはむずかしく、大きな負担になります。これは避けるほうが無難でしょう。

* どちらの苦労を取るか―非利き手を使う難行か、生活の不便さか *
字を書く、箸を持つといった動作は、右手でなければできないことではなく、左手でも十分要件を満たすことができます。

右手に比べ左手使いでは、効率が悪いとか不便であるという意見がありますが、確かに作業だけを問えばそういう結果になるかもしれません。どちらもまったく同じ能力を有している場合は、単純に比べることが可能です。

しかし、前提としてその人の利き手という問題があるのです。

これはレースに言い換えれば、現在位置の違いです。
ゴールに近い位置でスタートするか、より遠い位置からスタートするかの問題に置き換えることができるのではないでしょうか。

あるいは、スピードのある人とない人の違いです。
コースが短くても亀のように歩みののろい場合と、コースは長くてもウサギのように跳んで行ける場合との違いです。

左手を使うことの非効率性か、非利き手を使うことの非効率性か、その人にとってどちらがより不都合となるかの問題です。

別の言い方をすれば、心身に他人の目には見えないさまざまな影響を受けるであろう非利き手を鍛える難行に挑むか、まわりの人の協力があれば改善できうるであろう生活の表面的な不便さを取るか、です。

現状では、左利きで生きて行く場合、多くの乗り越えなければならない試練が待ち受けています。
一方、非利き手を使えるように鍛えることは想像以上に苦しいものがあります。

しかし、どちらにおいても、さほどの苦労を感じずに生きてゆく人もいます。
これはまったく個人差の大きな問題です。
ただ、だからと言ってリスクを抱える生き方を選ぶのがいいのか、リスクを最小にするのがいいのか、それは誰にもわかりません。
そして、それを親が決めていいのかどうかも…。

* それぞれに才能を生かす生き方を *
結局大事なことは、その子の才能がどこにあるか、どのようなものであるかを見極めることです。
その上で指導に当たらなければ名選手に育てることはできません。

そこで、利き手の判定、あるいは判別をしっかりと行わなければなりません。
残念ながら、まだ利き手を科学的に判別する方法はありません。
脳を調べてこういう時にこういう場所が活性化しているから、こういうホルモンが分泌されているから、血液中のある因子がこれこれだからどうだこうだ、というように分析できるわけではありません。

一番にいい方法は自然に明らかになるまで待つことです。
利き手というものは、あらかじめ個人に設定されたものです。それが脳・神経系の成長や、手を使う機会の増大とともに徐々に明らかになってゆくものです。
誰の目にも明確になる時期は、せいぜい五、六歳ぐらいから。完全に決定されるのは学者によれば十歳ぐらいとも言われます。
それまで待つのが一番確実な方法です。それから字を書かせるなり、箸を持たせるなりすればいいのです。
しかし、実際問題としてそれでは遅すぎます。食事の摂取は日々の必要ですし、学校もあります。

ではどうするのか。
その子の生活の場面場面でのふるまいをじっくりと観察し、時には遊びを通して色々試行錯誤してみるしか方法はないでしょう。
その上で利き手が明らかになれば、親のエゴでなく、それぞれの才能を活かして能力を伸ばしてゆくように指導するしかないのです。
各人の才能に応じてその能力を活かし育ててゆける社会を作って行くしかないのです。

* 個人の問題とするか、社会の問題とするか *
最終的にいえることは、左利きにおける問題は、それを個人の問題とするか社会の問題と捉えるかという点に尽きます。

利き手そのものは個人の問題と言えば個人の問題のようですが、社会そのものが「左利きにも」優しいものに変われば、以後生まれてくる子供たちはみな何不自由なく暮らしてゆけるようになる、ということです。

すなわち個人の問題として、個人に改善を要求していれば、この世に生まれてくる左利きの子供たちは永久にこの問題と直面し続けなければならないということです。

*
―些細な問題から、大きな話になりました。
しかし、これが真実ではないでしょうか。
私はそう信じています。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

*2008.4.30追記* 左手書字について―
・『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「左手で字を書くために―レフティやすおの左利き私論4―」
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
「左手書字の研究―実技編」(2008年より第三土曜日発行分に掲載)

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2005.08.13

今年も今日8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY

 今年もまた8月13日、INTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY(国際)左利きの日がやってきました。
 この「お茶でっせ」で迎えるのも昨年に続いて二度目です。
 昨年は、過去の海外でのこの日の様子を伝える左利きの会の会報や雑誌の画像など紹介しました。
 今年は、『左組通信』で掲示板「左利きの願い事」を用意して、皆様に書き込みをしていただこうという企画を実施しています。
(下記参照↓)

 今のところ不発のようですが、いえこれもみな宣伝不足なだけで、私の力の至らなさを示しているだけです。
 きっとそのうち浸透してくるだろうと期待しています。(どうかなぁ…)

 日本でも、左利き用品を用意して、右利きの人に実際に左手用を"右手"で使ってもらって、普段左利きの人が感じている不便を体感してもらうような機会が作れたらいいだろうなと思います。ちょうど福祉の授業などで行う(車椅子で街に出る、目隠しして街を歩くなど)障害者の疑似体験のように。

 メーカーさんとか販売店さんとかにお手伝いしてもらって大々的にできるようになれば、おもしろいと思うのですが…。
 来年はぜひそういう企画を試みてみたいものです。今からご協力をお願いしておきましょうか。

 というわけで、こういう日があるということをぜひ多くの人に知っていただきたいものです。
 そして一年に一度でいいですから、左利き右利きに関わらず、左利きについて考える機会を持っていただきたいものです。

「左組通信」左利きの日の企画―左利きの願い事:
●2005.07.26 あなたの左利きの願い事を教えて!―"左利きの日"企画 お茶でっせ版新生活版
・書き込みはこちら→<左利きの願い事―左組掲示板>

ただ今実施中の<左利きプチ・アンケート>
●2005.8.6 お知らせ-左利きアンケート第19回(国際)左利きの日を知っていますか お茶でっせ版新生活版
・投票は『レフティやすおの左組通信』の表紙アンケート欄よりお願いいたします。
このアンケートの結果を見る

昨年の<国際左利きの日>の記事:
●2004.08.12明日8月13日は「左利きの日」
●2004.08.13きょう8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY 「左利きの日」
・ホームページの関連ページ―レフティーズ・ライフLL再録5「新たなる希望!」

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

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2005.08.04

シャトル左利き野口さんの船外活動サポートに思う

* 補修作業で野口さんサポートにまわる *

スペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗している<左利き>の野口聡一さんについては、既に多くの方が書いていらっしゃるので、パスするつもりでしたが、昨日の夕刊(わが家は産経新聞)の記事を見ると一言書かずにはいられません。

スペースシャトル計画史上初の宇宙空間における船外活動によるシャトルの損傷補修作業を実施することになったのですが、この作業を野口さんらが担当することになったというわけです。ところが、なんと見出しにこうあります。

シャトルきょう補修作業/左利き野口さんサポート担当/右利き用工具「使いづらい」

記事内容は、

船外活動のチーフは野口さんだが、今回の人選では、作業に使う工具が右利き用で、左利きの野口さんには使いづらいのが理由のひとつになったという。

というわけで、実際の作業はスティーブン・ロビンソン飛行士(49)が担当し、野口聡一さん(40)サポートにまわるとあります。
どうやらこの作業は無事に終了したようで(実際には手で簡単に抜き取れたようで、工具は必要なかった様子)、まずはホッと一安心というところでしょうか。

それにしても、前回の「コロンビア」の事故で、あらかじめこういう補修作業を想定していたであろうはずなのに、工具のひとつが作業に当たる人(少なくともそのうちの一人)に不向きな右利き用のものであった、というのはお粗末すぎる感じがします。利き手に関して調査していなかったのでしょうか。

だって、チーフが左利きなのに、右利きの工具しか用意してないなんて・・・。
NASAも全く想定していなかったんでしょうね。
これは職務怠慢なんでしょうか?
―なんて意見もあります。 (参照):備えあれば憂いなし(汗

野口さんにしても、道具が不適当なために自分の能力を発揮できないというのは、期待に応えられず情けない思いと、道具さえあればという切なく哀しい思いとが胸に去来していたのではないでしょうか。

左利きについて色々考えている私にとっても、これは非常に悲しいことです。
(もちろん理由のひとつにすぎないわけで、他にも考慮しなければならない事由があったのでしょう。単に私の思い過ごしで、ご本人はそれほど切実に感じてはおられないかも知れません。)


* 宇宙開発の技術も、所詮は日常の積み重ね ~ 普段から左利き対応、UD対応を! *

宇宙開発などというと、いかにも科学の最先端と思われがちです。
しかし、その実態は既存の科学技術の寄せ集めというか、成果の上にあるわけです。個々の機械・道具というものもわれわれが日常使用するものが基本になっているのでしょう。
まったくの新開発の物ばかりではないわけです。
即ち、日常のわれわれの生活の延長線上にあるわけで、私たちの生活にないものはそこにもまずないと考えた方がいいわけでしょう。
左利き用のない工具に関しては、宇宙開発用のものもやはりないのです。

だからこそ、私たちは日頃から左手用の左利き用の道具や機械などの必要性を訴えていかなければならないと思うのです。
いや、少なくともユニバーサル・デザインの道具を普及させて誰でも使える道具や機械というものを社会の基本にしてゆかねばならないと思うのです。
そして特殊なものに関しては、利き手に応じて使用可能なものを作ってゆくべきでしょう。


* だから左利きはダメだ、なんて思わないで! *

余談ですが、今回の右利き用の工具が使いづらいうんぬんに、これだから左利きはダメだ、と考える人が出てこないことを願っています。
ある特殊な製造業の会社の社長さんは、社員の入社試験の面接でいっしょに食事を取りその「利き手」を確認して、「右利きの人だけ」を採用するそうです。特殊な作業用の機械や工具に左利き用がないから、というのがその理由だそうです。
一見筋が通っているようですが、ちょっと変な気もします。くわしくは書きませんが…。


* 野口さんは「レフティサーブ」渡瀬さんの高校の後輩 *

もうひとつ―今週の『レフティサーブ』「[96号]宇宙飛行士」によりますと、発行者渡瀬さんにとって野口さんは高校の後輩にあたるそうです。ウーン、意外なところに意外なつながりが…。

 計器類や道具なども、おそらく左手では扱いにくいものも多いだろう。
 それでもメンバーに選ばれた野口さんの能力と、それを認めたNASAの判断に敬意を表したい。

―さて、どうだったんでしょうか。
とにもかくにも、あとは、ただ無事の帰還を祈るばかりです。

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。
(※新生活版

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2005.07.26

あなたの左利きの願い事を教えて!―"左利きの日"企画

 8月13日はINTERNATIONAL LEFT-HANDERS DAY(国際左利きの日)です。
 イギリスやアメリカでは、左利きの会の人たちが1993年からこの日に左利きのイベントを実施しています。社会の多数派である右利きの人たちに左利きについて知ってもらうために様々な催しを行ってきました。
(参照:イギリスのANYTHING LEFT-HANDEDという左利き用品の専門店のサイト内にあるLeft-Handers Clubのサイト「Left-Handers Day」

 私も十年ほど前に参加の要請を受けたことがあります(※参照)が、そのときからいつか日本でもこの日に何かイベントを実施できればいいのになぁ、と思っていました。
 そして、その成果を世界に向けて発信できれば、と願っていました。

 とはいえ、イベントをやる実行力も企画力もないし、ノウハウも知らない私ですのでこれといったことはできません。でも今回、自分にできる範囲で何かやってみることにしました。

*
 皆様にご自分の左利きの願い事を書いてもらおう、と考えました。
 七夕の短冊にお願い事を書くように、あなたの左利きの願い事を書いてください。

 掲示板を用意しました。こちらを使ってください。↓
<左利きの願い事―左組掲示板>
 あるいは、ウェブログの記事へトラックバックしてくださってもけっこうです。
 楽しいイベントごっこをしてみませんか。

 皆様にご協力をお願いいたします。
 左利きの人はもちろん、左利きに関心のある方ならどなたでもご自由にどうぞ!
(この企画は、期間限定のものではなく、通年で実施します。来年も再来年も、私が続けられる限り…。)

 この企画は、『レフティやすおの左組通信』(表紙)でも告知しています。

※参照:レフティーズ・ライフLL再録5「新たなる希望!」

※昨年の<国際左利きの日>の記事
●2004.08.12明日8月13日は「左利きの日」
●2004.08.13きょう8月13日はINTERNATIONAL LEFTHANDERS DAY 「左利きの日」

「私の七夕の願いごと」 ~『レフティやすおの作文工房』の記事

2005.8.12追記:※ただ今実施中の<左利きプチ・アンケート>
●2005.8.6 お知らせ-左利きアンケート第19回(国際)左利きの日を知っていますか お茶でっせ版新生活版
・投票は『レフティやすおの左組通信』の表紙アンケート欄よりお願いいたします。
このアンケートの結果を見る

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2005.07.01

飢えと渇き―左専用のグローブ/筑紫哲也「私の<盗み読み>時代」より

岩波文庫編集部編『読書のすすめ 第10集』岩波書店に、筑紫哲也「私の<盗み読み>時代」という一文が収録されています。
その枕に当たる部分にこんな文章がありました。

飢えと渇きは、食べものについてだけではなかった。/終戦後、多くの男児たちは野球少年となったのだが、私もふくめて、その少年たちにとって、満足な野球用具がどんなに渇望の的だったことか。/(略)元野球少年のかなりの人たちが、長じて収入のゆとりが生れると、使いもしないグローブを買ったことを私は知っている。/左利きで、ついぞ左専用のグローブに出会うことのないまま野球少年時代を送った私がまずやったのも、晴れてそれを手に入れることであった。

「晴れて」の部分が傍点付きで強調(照れ隠し?)されています。

筑紫氏ほどではないにしても、私も家が貧しかったこともあり、子供の頃は左専用のグローブにあこがれたものでした。運動音痴の私でしたが自分のグローブがあれば…、などと思ったことがあります。
そして、後年働くようになり、あちこちで左用のグローブも見かけられるようになると、ひとつ欲しいなぁと思ったものでした。実際に買うことはありませんでしたが。

子供にとってこういうものはひとつの武器でもあり、戦友でもあるわけです。人生の荒波のなかを戦い抜くための。
また、仲間に入れてもらえるかどうかの分岐点ともなります。道具は仲間入りするための許可証でもあるわけです。

同じように、左利きの子にとって左利き用品というのは、生活の利器であり、頼れる親友でもあると言えるでしょう。
ぜひ、左利きの子には左利き用の道具を与え、その力を人並みに活用できる機会を与えてあげて欲しいと思います。

※岩波文庫編集部編『読書のすすめ 第10集』は、非売品です。岩波文庫取扱書店で配布中です。(お早めに!)または、こちら⇒ http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/bun_nonfiction/susume10.html

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2005.06.08

TOKIMEKIママ倶楽部 ~ ママのお悩み、みんなで解決!

久しぶりに左利きについてネット検索して見ました。
最近はブログの普及とともに、左利きに関する記事もグッと増えてきました。そんな中から興味深いホームページを紹介してみましょう。

*
シャープが運営するスペースタウンに「TOKIMEKIママ倶楽部」というママを応援するコミュニティサイトがあります。
ここに「どうする?育児家事」コーナー「ひとこと言わせて!/ママのお悩み、みんなで解決!」という相談コーナーがあります。

2004年12月16日の相談は「年長の娘は左利き。右で書けるように直したほうが良い?」です。
「年長の娘は左利き。幼稚園で書き方の練習が始まったのですが、書くことだけでも右で書けるように直したほうが良いでしょうか。/来年から小学校に上がるので、心配です。」
リンク: TOKIMEKIママ倶楽部 ~ ママのお悩み、みんなで解決!.

"そうだんず三人組"ジョアンナ、クララ、マシュマロがそれぞれ代表的な意見を述べ、それぞれの投票数とコメントが紹介されています。
要約すると、以下のようになります。

ジョアンナ=変換賛成派(投票数3):左利きでは漢字など書きづらいことがある。他にも使いづらい道具もある。そこで、使いずらそうにしていたら、右手で使うと使いやすいよ、と無理なく自然に右手を使うように誘導してみては?

クララ=変換反対派(投票数11):左利きでいい。本人が使いづらいと思えば右手で書いてみようとする。得意なことも多いし。

マシュマロ=基本は反対、親の気の済むように一部容認派(投票数9):その子それぞれでいい。気になるなら右手も使えたらさらに素敵ね、という感じで右手を使えるように誘ってもみてもいい。

*
コメントの中で私が気になるのは、「わが家はこうしたい」と言う家庭、親の方針を打ち出している場合です。
なるほど思想や倫理観など精神的な事柄に関しては、それで良いと思います。
しかし、物理的に変更不可能な性質にまでそれを持ち込むのはやはり問題があると思います。利き手の問題はそういう変更不可能な要素を含む問題であると考えられます。

左利きというのはひとつの個性である、と言われるようになりました。そして、それぞれの子供の個性を認めよう尊重しよう、と言う左利き肯定の方向に社会は進んでいます。
ただ、個性と表現すると誤解を生むおそれがあります。個性個性と言うが、個性なら何でも許してよいのか、それでは自分勝手な人間に成長するだけだ、良いことと悪いことはしっかり教えて躾けなければいけない、と考える人も現れます。

私は、利き手は才能だと例えます。
右利きとは、右手を主に左手を従に使う才能。左利きとはその逆で、左手を主に右手を従に使う才能です。
才能ですからこれは変えることはできない。人によりそのレベルも異なる(才能の豊かな子は、非利き手も使えるようになるかもしれません)。そこで、それぞれの才能を活かす方法を考えるべきだ、と理解できると思います。

しかも、人間には才能だけでなく、能力もあります。これは変えることができます、本人の意志と努力とによって。
人は才能である利き手は変えられないが、実際に使う手は才能の範囲内でその能力を伸ばすことができます。しかしそれはあくまで、本人の意志と努力の結実として身に付くものです。それは物心ついてから、十代に入ってからで十分です。(以前紹介した、左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」の小野二郎さん〔※注1〕は、板前になろうと決意した十代初めに包丁を右手に持ち替えたそうです。―山本益博・著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書より。)
左利きというのは、脳神経系の機能という理由があってそうなっているわけですから、その原因を解消しなければ変えられるものではないのです。字を書くという行為も運動+言語という脳神経系の機能の複合の結果です。このような複雑な動作は利き手で行うほうが良いと思います。

基本的に幼児期においてはその持って生れた才能を十分に活かす方法を考えるべきです。
家庭の方針といって子供を縛るのは、利き手使い手の問題に関してはいかがなものか? と大いに疑問に思います。
ましてや、親の気が済むようにと、子供に右手使いを促すという行為も、どうでしょうか? 
子供は親のものではないのですから。子供を一番の考えるのが自然な子育てのあり方でしょう。
子供は親の喜ぶ顔見たさに、親の指図に従うかもしれませんが…。
親の笑顔を子供の喜びにさせるのではなく、子供の笑顔こそ親の喜びでしょう。

*
それともうひとつ気になるのは、字は右手で書くようにできている、という思い込みです。
本来文字(漢字)の成り立ちというものを考えると、右手で書くように生れては来ていないということです。
生れた後に、一部の人達によって右手で書きやすいように改変させられ、それが正式な書き方であり、美しい文字であるという基準に落ち着いたということでしょう。

現代人は、文字というものは万民が使うありふれた道具だ、と思い込んでいます。しかし、何千年かの文字の歴史(漢字の歴史は三千三百年ぐらいという)の中で、実際に万民のものとなったのはついこのあいだのことです。二、三百年も前には、一部のエリートだけが使う道具だったのです。
字を書くという技術は、エリートのステイタスだったのです。(今でも識字率の低い国があります。)
当然そこにはのちのち色々な尾ひれ(流儀・作法)がついてくるわけです。そのひとつが文字は右手で書くものという固定観念につながっているのだと思います。

*
全般的に見ると、変換反対派が多数を占めています。次に、一部容認派。変換賛成派はごく少数の意見となっています。す。それでも一部容認派を合わせると、五分五分というところです。
まずは常識的な線に落ち着いているようです。
反対派が多数を占めているのはうれしいのですが、内容的にはもうひとつ決定打に欠けるようで、私としては今ひとつ歯がゆい気分です。

また、一部容認派の中にも、私としては考えを改めて欲しいと思うものがあります。
やはり、一番大切なことは誰がそれを行うのか、という点です。それは子供自身です。子供は期待されればそれに応えようとするものです。その親の期待が子供にとってはどうなのか、ということを十分考えた上で結論を出して欲しいと思います。

※注1:
2005/05/20 左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その一 
お茶でっせ版新生活版
2005/04/06 左利きのすし職人『すきやばし次郎 旬を握る』 
お茶でっせ版新生活版

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2005.06.04

左利きの子にやさしい環境を整えよう―左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―その6

―左利きの子にやさしい環境を整えよう―

左利きの子に対する実際の手助けとしては、環境を整えてやることができます。

私たちが日常使用する道具には、元々左右対称形に作られていて、使う手を選ばない品物がかなりあります(例―普通の箸やスプーン、フォークなど)。
しかし、ハサミや刃物のような使う手を選ぶものも少なくありません。
こういうものに関しては、必ず左手・左利き用品を与え、左手でも苦労することなく、右利きの子供たちと同じレベルで様々な作業ができるようにしてあげましょう。

幸い、昨今は色々な左手・左利き用品が出回っています。これを用意しましょう。
あるいは、様々なユニバーサル・デザインと呼ばれる、右手でも左手でもどちらでも両用可能な商品(共用品)も開発されています。

手に合わない道具を使うと、うまく作業ができず、自分は不器用なダメな子ではないかと自信をなくす場合があります。
しかし、自分の体にあった専用の道具を使うと、右利きの子と同じようにでき、何事にも積極的に取り組む「ふつう」の子になります。

家庭内では、なるべくユニバーサル・デザインの左右の差がないものを用意しましょう。こうすれば、右利きの家族でも左利きの子でも、あまり不便さを感じることなく使うことができます。

たとえば、シャープのどっちもドア冷蔵庫は、左利きに配慮した結果生れた商品ではなく、本来は置き場所に困らないための設計です。しかし、結果としてどちらの手でも開けられることになり、使い勝手が格段にアップしています。
三菱クリンスイの浄水器のどっちもレバーは利き手に配慮した設計から生れたものですが、それのみならず、最近の浄水器はU字型レバーが標準のようになって来ています。また、洗面台の蛇口でも、蛇口とレバーが左と右に分かれたセパレーツ型だけでなく、レバーと蛇口が上下一体型になった製品も出ています。
これらは右利き左利きに関わらず、片手がふさがっているときなど便利な物になっています。

(その他に家族が共用する道具で言いますと、お茶を入れる急須は、注ぎ口と取っ手が上から見てへの字型になっているものは右手で使うように設計されているので、左手で使うのに不向きです。注ぎ口と取っ手が一直線になっている左右対称形のティーポット型か、弦状の取っ手がついている土瓶形がよいでしょう。
意外に気になるのがバターナイフです。これも普通のものは上から見ると左向きの刀のような形になっています。右手で持ってバターをカットしてすくって塗るのに便利なようになっています。真っ直ぐな板状のものも出ているようなので、こういうものに変えるか、あるいはジャム・スプーンを代用しましょう。
さらに、子供に料理のお手伝いをしてもらうなら、ピーラーも芽取りが左右についているものを用意する。レードルも片注ぎ口タイプは避ける。片手鍋は両側に注ぎ口があるものにするなど、ちょっとした配慮が必要です。)

このように見てくると、左利きの子に配慮した環境は、必ずしも右利きの人にとって不利になるとは限らないのです。

*
食事や書き物などでテーブルに座る席順も、左利きの子には左側に十分スペースを取れるようにしてやる。逆に右利きの人は右側に、といったちょっとした配慮で、生活の不便さが緩和されてきます。
(例えば外食の際などに、左利きの人のなかには、隣の人と肘が当たらないように左端の席に着くように心がけているという人も少なくありません。)

食事の給仕の際も、四角四面にご飯茶碗は左、おかずは右とか決め付けずに、その子の利き手に応じた設定を心がける。 給仕する人が左利きの対応の仕方が自分でわからないなと思ったときは、左利きの子に自分の食べやすいように並べ替えればいいのだよ、と一言添える。

和食でも洋食でも決まったルールがあり、それぞれの伝統に則って配膳すべきではないか、という意見があります。
しかし、一流のレストランでもお客様が左利きとわかれば、それ以後は左利きに応じた給仕をしてくれる、と聞いたことがあります。左利きの握りすし名人と呼ばれる「すきやばし次郎」も、左手ですしを召し上がるお客様には左向きに出す、と言います(山本益博・著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書)。

世の中には右手が使いやすい人や左手が使いやすい人など様々な人がいて、それぞれに応じた自然な動作や仕草があります。
規則を守るのは大事ですが、その運用は人情を考慮するべきでしょう。
『論語』の「学而第一・十二」で有子(有若、孔子の晩年の弟子)は、「礼の用は、和もて貴しと為す」礼儀作法の実行(用)はなごやか(和)なのが大切だ、と言っています。新渡戸稲造も『武士道』で、礼は愛である、心がこもっていなければならない、形だけの礼は偽物という意味合いのことを説いています。

配膳も相手が食べやすいように、という気配りです。大部分の人が右利きなので、右利きの人が食べやすいように並べるのがルールの基本になっています。最大公約数に合わせて、こうしておけば「まずは無難だ」というものです。
本来は、作法のための作法ではなく、人のための作法です。形にとらわれて本質を見失ってはいけないと思います。実際に不都合や不便さが出てくるのは、その本質を見失っているからでしょう。
フォーマルな場であれカジュアルな場であれ、みんなで和やかに食事できるのが一番大切なことです。

さて、基本ルールはこうだという一般常識はどう教えればいいのか、というと、右利きの人の席でお手本を示せばよいのです。
そして、これが"多数派の右利きの人用のルール"で、たいていの人は右利きなので、これが使いよい形として"基本形"になっている、と教えればよいのです。

*
こういう風に、基本的な部分で、常に右左の違いを認識し、その差が出ないように心がけましょう。
どうしても日常の生活では、ついついこの左側の視点を忘れてしまいがちです。
逆に言えば、物事の多くが右側の視点に立って作られているということを。
これは左利きの私でもそうなのですから、右利きの人は余計に気を配らなければ難しいかと思います。

とはいえ、人間は慣れるものです。
必要以上にこだわりすぎないのが、肝心です。あまりまわりのものがピリピリしすぎると、子供も神経質になり、マイナスです。時にはドーンと太っ腹に構えて見て見ぬふりをする時も必要かもしれません。
この辺の加減が難しいですね。

結論:
左利きに配慮した環境は必ずしも右利きの人に不利になるわけではなく、どちらの立場の人にも優しいものとなりうる要素を持っているのです。

左利きにも優しいユニバーサル・デザインは、"誰にでも優しく"を実現するための助け合いのシステムです。誰かが一方的に便利さを享受するのではなく、誰もがそれなりの負担もするという考え方だと思います。異なる立場の人の便利さのためには、時には多少の不便さには目を瞑るものでもあるのです。

左利きの子にはそれにふさわしい環境を与える努力をしてください。それがその子の幸せにつながるのです。
そしてわが子の幸せは親の幸せです。
できれば、他人の幸せも自分の幸せ、と考えられるようにしたいものです。

※注:参照=加地伸行全訳注『論語』「学而第一・十二」講談社学術文庫、同著『<ビギナーズ・クラシック中国の古典>論語』巻末「『論語』から生れたことば・ことわざ」角川文庫。
この言葉は、このあとに和やかさが大切といっても、なあなあになってはいけない、節度を持って両者がつりあわなければならない、という意味の文が続きます。しかし、根本はまず和やかであることです。

※『レフティやすおの左組通信』に「レフティやすおの左利き私論3・左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ」のページを設けています。過去に『お茶でっせ』で発表したものをすべて転載しています。

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2005.05.26

『老人と海』に見る右利きの人の左手観

アメリカを代表する、ノーベル賞作家の一人、ヘミングウェイの『老人と海』はご存知でしょう。
八十四日も不漁続きの老人がついに大きなカジキマグロを二昼夜かけて釣り上げたものの、帰る途中でサメに食われ、港に持ち帰ったのは骨だけだった、という短いけれどドラマティックな名作です。

今回は作品についてどうこう言うつもりはありません。このなかで主人公が左手について色々と述べている部分が気になりました。その辺を紹介してみましょう。
右利きの人の非利き手である左手に対する考え、左手観といったものが垣間見れそうです。

*
ヘミングウェイ『老人と海』The Old Man and the Sea(1952) 福田恆存訳(新潮文庫)の主人公の老漁夫サンチャゴは、かつて港の腕相撲のチャンピオンだった―

その気になれば、どんなやつだってやっつけられる。だが漁には右手が大切だ、かれはそう思った。そして左手で二、三度勝負をこころみたことがある。しかし、かれの左手はいつも裏切者だった。自分の思いどおりには動かない。それからというもの、かれは左手を信用しなくなった。

…私は、若い頃、右手で書字や箸使いを幾度となくこころみたことがある。しかし、私の右手はいつも裏切者だった。自分の思い通りには動かない。それからというもの、私は右手のみならず自分のすべての能力を信用しなくなった。…

*
老人は昼夜にわたる格闘で、その左手が引きつりを起こしてしまいます―

「どうだい、ぐあいは?」かれは左手に向っていった。それはほとんど死後硬直に似た症状を呈している。「おれは、お前のために、もうすこし食ってやるぞ」/老人は引き裂いた残りのひときれを口に投げいれ、丹念に噛んで、皮を吐きだす。/「利くかね? ふん、そう早くはわからないかな?」

「さあ」とかれは左手に向っていった、「網を離した。お前がそんな道草くっているあいだ、おれは右手だけで魚を操ってやるぞ」老人は左手の握っていた重い綱を左足にかけ、背中を締めつけてくる圧力に抵抗して、それをねじふせるように仰むけに寝そべった。/「どうか、ひっつりがなおりますように」とかれはつぶやいた、「だって、魚のやつ、いったいどういうつもりか、おれには皆目見当がつかないんだからな」

*
しかし、釣った魚を食べ栄養をつけ、昼間暖めたことで何とか引きつりも治まります。そしてついに大きな魚を仕留めます―

「けちがついたわりには、お前も、よくやったさ」とかれは左手に向っていう、「でも、一時はお前の気ごころがわからなくなってしまったぞ」/おれはなぜ両手が利くように生れてこなかったんだろう、とかれは思う。片方を使わないでおいたのがおれのまちがいなんだ。しかし左手も使えるなんて、ちょっと気がつかないからな。まあいい、夜どおし、けっこうやってきたじゃないか。きのう一度つっただけだ。もしまたつったら、綱に切り落とさせるぞ。

*
「左手も使えるなんて、ちょっと気がつかないからな」というところが興味深く感じました。
左利きの人は、否応なしに右手を使わざるを得ないという場面がちょくちょくあるもので、こういう感覚はあまり感じないのではないかと思います。「右手も使えるなんて、気がつかないもんな」という人は少ないでしょう。
この辺が右利きの人と左利きの人の大きな違いではないでしょうか。
この辺のギャップをアタマでなく、肌の実感として感じ取れるようになると、右利きの人と左利きの人の相互理解も少しは進むのではないか、と思います。

「おれはなぜ両手が利くように生れてこなかったんだろう」と考えることはよくありますが…。

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2005.05.21

左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その一

5月2日に予告した記事の予定から、ひとつずつ消化してゆこうと思います。

*左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その一*

ちょうど一年前(2004年5月21日(金)02:35~03:30 フジテレビ放送)に「日本一の鮨を握る男~すきやばし次郎の365日~」という番組が放送されたようです。

名人とまで呼ばれる、左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」こと、小野二郎氏に関するドキュメント番組です。
この中の写真にもあるように、握りすしを握るの左です。

私が氏を初めて知ったのは、『すきやばし次郎 旬を握る』里見真三・著(文春文庫)でした。
その後に手に入れたのが『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』山本益博・著 (新潮新書) でした。
今回記事を書くにあたって改めてネット検索して、この番組のことを知りました。

この番組紹介ホームページのなかに「料理人には珍しい左利き」という記載がありますが、これはどうも、と思います。
左利きが珍しいのではなく、左手使いが珍しいという意味でしょう。
左利きの料理人はけっこう多いものだ、と私は感じています。多分十人に一人はいるでしょう―即ち、普通に存在するということです。
(次郎氏も登場する、16人の鮨職人たちを描いたノンフィクション『鮨を極める』早瀬圭一・著(講談社)のなかにも、左利きで苦労したという人が目次に出ています。「油井隆一 き寿司主人 左利きで人一倍の苦労も」。これだけでも十六分の二、一割二分五厘です。―筆者未読) 

ただ、和食の料理人には左手使いの人は少ないかもしれません。
これは、昔は箸使いと包丁(和包丁は片刃で、当然右手・右利き用が主流)使いにおいて、右利き用の右手使いの作法を重んじていたからです。
現に、この二郎さんも箸と包丁は右です(職人になろうと考えたときに右に変えたそうです―戦前のお話。ついでに書くと、二十年ほど昔、私が本屋さん時代に知った青年も、料理は右で、と親方に言われたと言って右手に包丁を持って練習に励んでいたものでした。散々手を切ったと言いながら…)。そういうことです。

でも、二郎さんは握るのは左です! これが利き手というものでしょう! 
心がこもるのが利き手だ、と私は思っています。

*
「その二」では、『すきやばし次郎 旬を握る』里見真三・著(文春文庫)、および『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』山本益博・著 (新潮新書) に関して書いてみます。

*左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」の記事*
・2005.5.23<左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その二>左利きのすし職人『すきやばし次郎 旬を握る』 お茶でっせ版新生活版
・2005.7.17<左利きの握りすし職人「すきやばし次郎」・その三>『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』山本益博 お茶でっせ版新生活版

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載して、gooブログ・テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。

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2005.05.16

人間の幸福、左利きの幸福

私のこのブログでの左利きを考える記事では、以前のお菓子の切り口といい、左利きに使いにくい水道の栓であったり、左手で取り上げにくい家電量販店のドライヤーの展示であったりと、もっぱらささいなことや実につまらぬことばかり取り上げている、と感じる方もおられることでしょう。

しかし、現実の人生というものは、この些細なことや一見つまらぬことの積み重ねの毎日です。
この些細なことをいかに処理し、こなしてゆくかが人の世の営みでしょう。
そしてその上にこそ、人の楽しみや喜び、人の幸福というものが築き上げられてゆくのではないでしょうか。

ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』松本慎一/西川正身訳(岩波文庫)の中で、次のように述べています。

「人間の幸福というものは、時たま起るすばらしい幸運よりも、日々起って来る些細な便宜から生れるものである」

さらに、サミュエル・スマイルズ『自助論』竹内均訳(三笠書房知的生きかた文庫)の中でこう述べています。

「人間の生活は元来、比較的ささいなことがらから成り立っているものなのだ。ちょっとした行動のくりかえしによって人間の全人格は形成され、国家の性格も決定される。堕落した人間や衰退した国家には、必ずといってよいほど、ささいなことがらを無視して来た形跡が認められる。」
「日々の経験が教えてくれるように、ささいなことがらに不断の注意を払うことは人間の進歩の前提だ。そして努力は、幸運を生み出す母親とも呼べるものである。」

スマイルズの言うように、この些細な事柄に向ける注意こそが、人の世を進歩させる原動力なのです。
左利きにとっては、ほんの少しだけれど使いにくいものがあるとか、左利きの存在が見過ごされているようなシステムであるとか、何かと不満の種はつきません。
それらをひとつひとつ掘り起こして行くことは、決して重箱の隅をつつくような卑小なことではないのです。
社会全体にとっても、非常に価値あることだと考えます。
一見些細なことと見えるものの中にこそ、人にとって社会にとって大切なものが含まれているように私は思います。

*
ちょっとした使いやすさが心にうれしいのです。
毎日毎日使い続けるからこそ、利き手に合った品物が使いやすく心地よいのです。重宝するのです。幸せの種になるのです。
右利きの人が多数を占める世の中では、その最大多数である右利きの人たちの幸福を追求すべく、些細なことから始まって、右利きの人に適した様々な道具や機械、システムが作られてきたのです。
そして、右利きに特化すれば特化するほどに、右利きには使いやすく、しかし左利きには使いづらいものになって行くのです。

その一方で、左利きの人はどうでしょうか。
些細なことひとつひとつにささくれがたち、心を突き刺してくるのです。
そげは小さいほど痛いものです。
それが常時、無数に心の肌を刺すのです。
これぐらいはみんな辛抱しているのだ、と歯を食いしばって我慢する人もいます。
あまりに常態化して、感じないようになる人もいます。
感覚を閉ざして保身する人もいます。ちょうど満員電車の中では感覚を遮断して、内なる自分の世界に避難するように。

本来、左利きの人には左手・左利き用の品物が心地よいのです。
左利きにふさわしい道具や機械、システムがあるのです。
それは決して、左利きの人のエゴや身勝手から言うのではないのです。ごくごく自然な内なる欲求にすぎないのです。右利きの人が右利き用を欲するように。
その辺を右利きの方にもそうでない方にも、ご理解いただければと思います。

右利きの人は右利き用の道具を選ぶ楽しみがあります。右利き用の世界でスイスイ泳ぐ自由があります。
それは右利きの人達の間でもっと評価されるべきです。
恵まれた環境にあると気付くべきです。
自分が恵まれた立場にあることを知れば、逆に恵まれぬ境遇の人の存在も見えてくるでしょう。
そして感謝すべきです。感謝の気持ちを抱けば、その喜びを分かちあう気分になることでしょう。
そうして初めて、恵まれない人達に対する思いやりの気持ちも生れるのではないでしょうか。

これは何も左利きの問題だけに限りません。
世の中のありとあらゆることについて言えることです。
恵まれた者は感謝の気持ちを忘れてはいけないのです。
そして思いやりの心で人と接してゆくべきです。互いに譲り合う気持ちがあれば、世の中はもっと円満に運営されてゆくのではないでしょうか。

互いを思いやる、些細な便宜の積み重ねの中にこそ、人間の幸福は見出されるのです。
身の回りの些細なことから世の中を見直してゆこうではありませんか。
それがきっとより良き明日につながる、と私は信じています。

※『フランクリン自伝』『自助論』は、『レフティやすおの本屋』本店「新しい生活のために/古典編」で紹介しています。

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2005.05.14

左利きもあるがままの姿で生きてゆこう

昨年11月の記事「「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について」に、「左利きなら左手で字を書けばいいじゃないか」というトラックバックをいただきました。
復活したばかりのいいタイミングですので、この際、感想を記事にしてみます。

*
kojidoiさま、トラックバックありがとうございます。
久しぶりに気持ちの良いトラックバックをいただきました。
これには二通りの意味があって、ひとつは内容、もうひとつは形式です(トラックバック先の記事を明記し、内容に言及した上でリンクを貼っている、という真っ当なトラックバック!)。

内容について言いますと、左利きにおける、いわゆる「矯正」書字や箸使いなどの一部の所作における左手から右手への使い手の変更をさす言葉で、かつては左手使いは見苦しい、作法にかなわぬ悪習・悪癖と考えて正すべきであるとされていましたが、今では偏見であり誤った考えであるとする人が増えており、私はこの言葉を過去の事例としてのみ使用する歴史上の言葉として死語とし、これからは使用しないように呼びかけています―についての御意見、当たり前といえば当たり前の意見なのですが、実に明快で気持ちの良いものでした。

世の中だいぶ改善されてきて、左利きも本来の姿で生きることが可能な状況になってきつつあります。人の意識も変わりつつあります。道具も色々と工夫されたものが作られ、販売されつつあります。
しかし、まだまだ「きつつ」あるというのが本当のところです。実際には苦労しているお子さんはたくさんいます。子供の左利きについて悩んでいる、という親御さんも大勢います。(そして、kojidoiさまの記事のきっかけとなった、Jun Rajiniさま―「居酒屋で僕の左隣に人が座ると、ちょっぴり悲しくなる理由」右手書字での苦闘の歴史を綴る記事―のような学齢期をすぎた成人の人たちでも、色々と悩む人は少なくないのです。)

なぜかというと、それは一部ではあるものの、教育関係者(幼稚園・学校だけでなく、お習字の先生など)の中に左手使いを認めないという考えを持つ人が、厳然と存在するからです。
大半は年配の方ですが、若い人の中にも、左利きについての認識に欠ける人(左利きの存在を知らない、左利きとは何かということを知らない、左利きの生徒に対する指導法がわからない等等)にそういう考えを持つ人がいます。

また、kojidoiさまの記事に「わざわざ使いにくい右手で操る必要がどこにあるというのだ」と左利きに理解のある人なら当然とも言える事実を指摘されていますが、利き手という概念が理解できていない右利きの人のなかには「わざわざ使いにくい左手で…」と、左利きの人はへそ曲がりか変人のように考える人もいるのです。

そして、そういう人々の存在に対して不安を持つ親御さんが子供の左利きで悩む、という問題があります。

過去に何度も書いてきたことなので、詳しくは書きませんが、本当に大切なことは、あるがままの姿で生きる、ということです。あるがまま、といってもほったらかしという意味ではなく、それぞれの持つ性質や才能を生かした形で、という意味です。
老子にあるような意味での、自然の大本に沿ったあるがままの姿で、ということです。

こういう当たり前のことが当たり前に理解される世の中になって欲しい、と私は願っています。

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2005.04.07

左利きの矜恃

最近スカッとした気分になったお話をしましょう。
最近ネットの左利き関連の文章を読んで心の底から爽快(※爽快すら常用外とは、日本語がダメになるのもうなずけます。)に感じたものがあります。
それを紹介しましょう。

すぐるさんのホームページの『#4682B4』の「アーチャー室」の"「ちょっとでも迷ったら」アーチェリーを始めようと思っている、左利きの人及びそれ以外の人へ"のなかの文章の一番おしまいの言葉です。

僕が左射ちにした理由はというと――/左利きだから。/利き目(マスターアイ)が左だから。/というのはもちろんありますが、一番の理由は、「左利きの矜恃」です。この点に関しては大いにアーチャー気質です。だから、有利だろうが不利だろうが弓具が高かろうが僕にはまったく関係のないことなのです。

私の心を打ったのはもちろんこの「左利きの矜恃」という言葉です。右利きの人には、わからないのではないかと思います。想像はできるでしょうが、ホントの気持ちはその立場の人でないとわからないと思うのです。
私が生まれ変わってもまた左利きに、と思うのも、結局はこれじゃないのか。左利きの人がどんなに嫌な思いをしていても、心気高く生きてゆけるのは、これじゃないのか。人生の本質とはここにあるのではないのか。
世の中がどうであろうと、「左利きの矜持」を持って生きて行ければその人は幸せになれるのではないか
たとえば、世の中右利き優先だから右手を使えたほうがいいのでは、といったことは所詮一時的な便宜的なことにすぎない。有利だ不利だ、損だ得だ、などどうということはない。人生においてはそんなことは本質ではないのだ。

本当に大切なのは、その人が自分に自信と誇りを持って、胸を張って生きてゆけるかどうかではないのか、ということです。

明治の日本人が欧米の人たちに負けず、独立を維持し、明治維新を達成できたのも、日本人としての矜持というものを持ち続けたからではないか。

まあ、話が大きくなりましたが、同じようなものが脈打っているのではないかと思います。人にはそれぞれ、そういう自負のようなものがあるかないかで、その人の価値が変わってくるのではないかと思います。

私が左利きにこだわる理由のひとつがそんなところにもあるのかもしれません。

左利きは、左利きでいいんだ!  自分は、自分でいいんだ!  と。

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2005.03.18

お菓子の切り口表示も右利き用

私はお酒が飲めないせいか、もっぱらお菓子が好きです。
一番好きなのはチョコレートですが、おしょうゆのおかきも好きです。和洋どちらが?と問われると辛いものがあります。

そんな私は、よくスーパーで特売のお菓子を買います。
よく安売りになるのがお徳用パックのお菓子です。
それぞれ個包装のチョコやクッキーなどが入っている、あれです。
通常四百いくらのものが、一袋300円を切る298円、あるいは278円、時には二つで500円なんていうこともあります。
F家やGコやLテやM永やM治やNレなどのチョコやケーキやクッキー等などです。

それらのお菓子は個包装といってそれぞれプラの小袋に入っています。
ひとつずつ食べられるので、私のようないっときに一口あれば十分満足できる者には非常に重宝します。
毎日ポツポツ楽しめます。

さて、この小袋ですが、食べるときに開けやすいように切り口が用意されています。
三角に切り込みのあるものもあれば、単に「切り口」とか「OPEN」とかの文字が入っているだけなど、それぞれです。
しかしたいていどの商品にもついています。
ところがこの切り口の位置が問題です。

kirikuti-ouあるとき、F家のクッキーを食べようとして手に取りました。
写真のように、表側から見て上部の向かって右側に切り口の▲マークとOPENの文字があります。
私は左利きなので、本体を右手に持って、左手で端をつかんで開けるのが常です。そこで、このままでは切り口が逆サイドなので裏返して切ろうとしました。
すると、そこにも同じように、右側にマークと文字があります。
反射的に私はまた裏返しました。
当然といえば当然なのですが、やはりまたしても、右側に切り口のマークと文字があります。
気がつくまで三、四度あまりこれを繰り返していました。 (*^^*)

お菓子を食べようというときに包装の開け方に注意を向ける人はいないものです。
ごくごく自然な動作でなんとなく習慣的に行っているものです。
そこで、こんなことになってしまいました。
もし横で見ている人がいたら、こいつなにやってるんや、と笑い者になっていたでしょう。

しかし、しかしです。これは笑えません。
本人の身になってください。

たとえば、同じように右側に切り口と印刷されているものでも、三角にカットされていたり、途中まで切れ目が入っているタイプですと、裏返せば切り口側の短片が左側に来ます。
こういうもので丁寧なものになると、裏側では左側に切り口と表示されている場合もあります。
これですと、左利きの私などは裏返して左側に短片を持ってきて、切り取ればいいのです。

しかし、先ほどのもののように裏も表も右側に切り口表示がされていると、気がつくまで反射的にぐるぐると商品を裏返し続けることになります。

右利きの人の開け方を標準として、表示されているわけです。
こんなところにも、右利き社会の一端が見えます。
左利きに対する配慮を要望するのは、行過ぎた行為でしょうか。
私は違うと思うのですが…。

どうかお菓子の切り口も、左右平等に取り扱ってください。
いえ、せめて片面表示だけにして欲しいものです。

念のために付け加えますが、現実には、経費節約のためか、あるいは私のような左利きに配慮したのか、片面表示のものも少なくありません。

エッ、そんな表示まったく気にせずに勝手に開けて食べてる、って。
なるほど、そういう人もいますよね…。 (-_\)

※写真=向かって左:裏側、右:表側
右利きの人の開け方は、左手で本体を、右手の親指と人差し指で端のほうを持って、手前もしくは向こう側に切り取る方法が一般的です。

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2005.03.06

左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ―その5・子供の良き味方、心の支えになろう―

―子供の良き味方、心の支えになろう―

こんな話を新聞で読みました。
(産経新聞2月15日「新・赤ちゃん学 私の研究室から 川上清文・10/3歳児の“誇りと恥”/大人を気にする? 日本の子供」川上清文・聖心女子大学文学部教授)
子供は、一歳過ぎから明瞭な“自己意識”を持ち、三歳ぐらいから誇りや恥の感情を持つようになると考えられているそうです。
そして、日本の子供はアメリカの子供に比べて辛抱強く、また大人の反応を気にしている“いい子”が多いのが特徴だと言うのです。
子供についての調査で実験を行う場合、アメリカの子供は自分が気が向いたときしか実験に付き合ってくれないが、日本の子供は大人の様子を見ていて最後まで実験に付き合ってくれるのだそうです。

また、注射などの痛い治療でも、アメリカの子供より日本の子供は我慢強いと臨床の場で経験されているいるそうです。
そして、このような我慢強さや大人を気