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2017.04.04

人生は実に旅である―三木清「人生論ノート」NHK100分de名著2017年4月

NHK『100分de名著』2017年4月は、名著64 三木清「人生論ノート」です。

三木清(1897-1945)は、今年生誕120年を迎えるという、戦前の哲学者です。
1897(明治30)年、兵庫県に生まれ、一高を経て、西田幾多郎に師事し、京大哲学科入学、卒業後大学院へ進む。
1922年、岩波書店の岩波茂雄の出資を受けドイツ留学。その後パリに移る。
帰国後、三高や大学の講師を歴任。期待された京大に職を得られず、法大教授となる。
しかし、1930年に共産党への資金援助により治安維持法で検挙、有罪となり、法大をやめ、在野の哲学者となり、新聞雑誌への寄稿が増える。
また岩波文庫の発刊に協力、発刊の言葉の草稿も書いたという。
1945(昭和20)年6月、治安維持法違反の容疑者をかくまい逃亡させた嫌疑で検挙、投獄され、敗戦後も釈放されないまま、48歳で獄死。
『パスカルに於ける人間の研究』(岩波文庫)『哲学入門』(岩波新書)『人生論ノート』(新潮文庫)『語られざる哲学』(講談社学術文庫)などの著作がある。

 ・・・

名著64 三木清「人生論ノート」

「プロデューサーAのおもわく。(4月の名著:人生論ノート)」より

三木はこの本で一つの「幸福論」を提示しようとしていました。同時代の哲学や倫理学が、人間にとって最も重要な「幸福」をテーマに全く掲げないことを鋭く批判。「幸福」と「成功」とを比較して、量的に計量できるのが「成功」であるのに対して、決して量には還元できない、質的なものとして「幸福」をとらえます。... /哲学者の岸見一郎さんは、「人生論ノート」を、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福とみなされがちな今だからこそ、読み返されるべき本だといいます。一見難解でとっつきにくいが、さまざまな補助線を引きながら読み解いていくと、現代を生きる私たちに意外なほど近づいてくる本だともいいます。/...「人生論ノート」を通して、「幸福とは何か」「孤独とは何か」「死とは何か」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに生きる方法を学んでいきます。

第1回 4月3日放送 真の幸福とは何か
幸福を量的なものではなく、質的で人格的なものであるととらえなおす三木の洞察からは、経済的な豊かさや社会的な成功のみが幸福なのではないというメッセージが伝わってくる。... 第一回は、三木清がとらえなおそうとした「幸福」の深い意味に迫っていく。
第2回 4月10日放送 自分を苦しめるもの
三木が提示する方法は「それぞれが何かを創造し自信をもつこと」。... 第二回は、自分自身を傷つけてしまうマイナスの感情と上手につきあい、コントロールしていく方法を学んでいく。
第3回 4月17日放送 虚無や孤独と向き合う
人間の条件が「虚無」だからこそ我々は様々な形で人生を形成できる...「孤独」こそが「内面の独立」を守る術だ... 第三回は、人間の条件である「虚無」や「孤独」との本当のつきあい方に迫る。
第4回 4月24日放送 死を見つめて生きる
死への恐怖とは、知らないことについての恐怖であり、死が恐れるべきものなのか、そうではないのかすら我々は知ることができないのだ。... 第四回は、さまざまな視点から「死」という概念に光を当てることで、「死とは何か」を深く問い直していく。

【指南役】岸見 一郎(哲学者)…「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」の著者。
【朗読】市川猿之助(歌舞伎役者)


○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」人生論ノート 2017年4月 (2017年3月25日発売)
理想こそが現実を変える
人生は実に旅である。未知への漂白である。


◆三木清「人生論ノート」:
『人生論ノート』新潮文庫 改版 1978/9


『人生論ノート 他二篇』角川ソフィア文庫 2017/3/25
―『語られざる哲学』、『幼き者の為に』所収。 解説/岸見一郎


◆岸見 一郎/著:
『三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2016/6/28


『希望について: 続・三木清『人生論ノート』を読む』白澤社 2017/4/13


 ・・・

三木清の『人生ノート』です。
1938年から『文学界』に連載した短文をまとめたものです。

哲学書というよりは、もう少し一般的なエッセイに近いものでしょうか。

三木清の著作の中でも比較的読みやすいものでしょう。
(といっても私は、これと『哲学入門』しか読んだことがありません。)

三木清については、ほとんど知りません。
(今回、『三木清 人と思想』清水書院センチュリーブックス177 を読んで知ったことぐらいです。)

『嫌われる勇気』等でアドラー心理学の紹介者として有名になられた観のある、指南役の岸見一郎さんですが、実は哲学者でこちらの方が専門のようです。
実際にどのように読み説かれるか楽しみです。
(といいながら、第一回放送は終了しましたが。)


第一回について少しだけ書いておきますと――

1938(昭和13)年という、戦争前夜とでもいうべき、言論が弾圧され、個人が圧殺される全体主義の時代に書かれたもので、ストレートな表現は当局から目をつけられ発禁処分になる危険性もあり、難解な言葉遣いで著した、その分わかりにくいところがある、と解説されています。

その中で、幸福について語りにくい時代であるということ、それでも幸福とは徳であり、愛する人のためにこそ自分が幸福であるべきで、自分が幸福であること以上の善いことを為し得ない。
そして、幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福だ、という(「幸福について」)。
成功と幸福を不成功と不幸と同一視するようになり、真の幸福とは何かが理解できなくなった。幸福とは人それぞれオリジナルなものだ、という(「成功について」)。

――といった内容でした。

 ・・・

新潮文庫版『人生論ノート』から、私の心に残った文章をピックアップしておきましょう。

「死について」
執着する何ものもないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死に切れないということは、執着するものがあるから死ねるということである。深く執着するものがある者は、死後自分の帰ってゆくべきところをもっている。それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。》p.11

... 死は観念である。それだから観念の力に頼って人生を生きようとするものは死の思想を掴むことから出発するのがつねである。すべての宗教がそうである。》p.12-13

「幸福について」
... 幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。... 》p.16

幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。... 》p.18-19

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのづから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。》p.22

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。》p.22

「懐疑について」
人間的な知性の自由はさしあたり懐疑のうちにある。自由人といわれる者で懐疑的でなかったような人を私は知らない。... しかるに哲学者が自由の概念をどのように規定するにしても、現実の人間的な自由は節度のうちにある。古典的なヒューマニズムにおいて最も重要な徳であったこの節度というものは現代の思想においては稀になっている。懐疑が知性の徳であるためには節度がなければならぬ。一般に思想家の節度というものが問題である。モンテーニュの最大の智慧は懷疑において節度があるということであった。また実に、節度を知らないような懐疑は真の懐疑ではないであろう。度を越えた懐疑は純粹に懐疑に止まっているのでなく、... 一つの独断である。》p.24

「習慣について」
... 生命は形成作用であり、模倣は形成作用にとって一つの根本的な方法である。生命が形成作用(ビルドゥング)であるということは、それが教育(ビルドゥング)であることを意味している。... 》p.32-33

「虚栄について」
虚栄によって生きる人間の生活は実体のないものである。言い換えると、人間の生活はフィクショナルなものである。それは芸術的意味においてもそうである。というのは、つまり人生はフィクション(小説)である。だからどのような人でも一つだけは小説を書くことができる。普通の人間と芸術家との差異は、ただ一つしか小説を書くことができないか、それとも種々の小説を書くことができるかという点にあるといい得るであろう。》p.39

しかし人間が虚栄的であるということはすでに人間のより高い性質を示している。虚栄心というのは自分があるよりも以上のものであることを示そうする人間的なパッションである。それは仮裝に過ぎないかも知れない。けれども一生仮裝し通した者において、その人の本性と仮性とを区別することは不可能に近いであろう。道徳もまたフィクションではないか。それは不換紙幣に対する金貨ほどの意味をもっている。》p.42

「名誉心について」
人生に対してどんなに厳格な人間も名誉心を抛棄しないであろう。ストイックというのはむしろ名誉心と虚栄心とを区別して、後者に誘惑されない者のことである。その区別ができない場合、ストイックといっても一つの虚栄に過ぎぬ。》p.45

「怒について」
怒ほど正確な判斷を亂すものはないといはれるのは正しいであらう。しかし怒る人間は怒を表はさないで憎んでゐる人間よりもつねに恕せらるべきである。》p.53

ひとは愛に種類があるという。愛は神の愛(アガペ)、理想に対する愛(プラトン的エロス)、そして肉体的な愛という三つの段階に区別されている。そうであるなら、それに相対して怒にも、神の怒、名誉心からの怒、気分的な怒という三つの種類を区別することができるであろう。怒に段階が考えられるということは怒の深さを示すものである。ところが憎みについては同樣の段階を区別し得るであろうか。怒の内面性が理解されねばならぬ。》p.53

「人間の条件について」
虚無が人間の条件或いは人間の条件であるものの条件であるところから、人生は形成であるということが従ってくる。自己は形成力であり、人間は形成されたものであるというのみではない、世界も形成されたものとして初めて人間的生命にとって現実的に環境の意味をもつことができるのである。生命はみずから形として外に形を作り、物に形を与えることによって自己に形を与える。かような形成は人間の条件が虚無であることによって可能である。》p.60

古代は実体概念によつて思考し、近代は関係概念或いは機能概念(函数概念)によって思考した。新しい思考は形の思考でなければならぬ。形は単なる実体でなく、単なる関係乃至機能でもない。形はいわば両者の綜合である。関係概念と実体概念とが一つであり、実体概念と機能概念とが一つであるところに形が考えられる。》p.53p.61

「孤独について」
孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」――それは物質のものでなくて人間のものである。》p.65

東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は昼の世界と夜の世界である。昼と夜との対立のないところが薄明である。薄明の淋しさは昼の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に違っている。》p.66

孤独には美的な誘惑がある。孤独には味いがある。もし誰もが孤独を好むとしたら、この味ひのためである。孤独の美的な誘惑は女の子も知っている。孤独のより高い倫理的意義に達することが問題であるのだ。
その一生が孤独の倫理的意義の探求であったといい得るキェルケゴールでさえ、その美的な誘惑にしばしば負けているのである。
》p.66

物が真に表現的なものとして我々に迫るのは孤独においてである。そして我々が孤独を超えることができるのはその呼び掛けに応える自己の表現活動においてのほかない。アウグスティヌスは、植物は人間から見られることを求めており、見られることがそれにとって救済であるといったが、表現することは物を救うことであり、物を救うことによって自己を救うことである。かようにして、孤独は最も深い愛に根差している。そこに孤独の実在性がある。》p.67

「嫉妬について」
もし私に人間の性の善であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向って働くのが一般であるから。》p.68

嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。》p.72

「成功について」
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。》p.74

他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考えられ得るものである。だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴い易い。》p.74

純粹な幸福は各人においてオリジナルなものである。しかし成功はそうではない。エピゴーネントゥム(追随者風)は多くの場合成功主義と結び附いている。》p.75-76

「瞑想について」
ひとは書きながら、もしくは書くことによって思索することができる。しかし瞑想はそうではない。瞑想はいわば精神の休日である。そして精神には仕事と同樣、閑暇が必要である。余りに多く書くことも全く書かぬことも共に精神にとって有害である。》p.81

「噂について」
噂は誰のものでもない、噂されている当人のものでさえない。噂は社会的なものであるにしても、厳密にいうと、社会のものでもない。この実体のないものは、誰もそれを信じないとしながら、誰もそれを信じている。噂は原初的な形式におけるフィクションである。》p.84

「利己主義について」
愛情は想像力によって量られる。》p.89

我々の生活は期待の上になり立っている。》p.90

利己主義者は期待しない人間である、従ってまた信用しない人間である。それ故に彼はつねに猜疑心に苦しめられる。
ギヴ・アンド・テイクの原則を期待の原則としてでなく打算の原則として考えるものが利己主義者である。
》p.91

利己主義という言葉は殆どつねに他人を攻撃するために使われる。主義というものは自分で称するよりも反対者から押し附けられるものであるということの最も日常的な例がここにある。》p.92

「健康について」
誰も他人の身代りに健康になることができぬ、また誰も自分の身代りに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。そしてまさにその点において平等のものである。私はそこに或る宗教的なものを感じる。すべての養生訓はそこから出立しなければならぬ。》p.93

健康の問題は人間的自然の問題である。というのは、それは単なる身体の問題ではないということである。健康には身体の体操と共に精神の体操が必要である。》p.95

健康というのは平和というのと同じである。そこに如何に多くの種類があり、多くの価値の相違があるであろう。》p.98

「秩序について」
外的秩序は強力によっても作ることができる。しかし心の秩序はそうではない。》p.104

人格とは秩序である、自由というものも秩序である。... 》p.104

「感傷について」
感傷は主観主義である。青年が感傷的であるのはこの時代が主観的な時期であるためである。主観主義者は、どれほど概念的或いは論理的に裝おうとも、内実は感傷家でしかないことが多い。》p.109

あらゆる情念のうち喜びは感傷的になることが最も少い情念である。そこに喜びのもつ特殊な積極性がある。》p.109

感傷には個性がない、それは真の主観性ではないから。その意味で感傷は大衆的である。だから大衆文学というものは本質的に感傷的である。大衆文学の作家は過去の人物を取扱うのがつねであるのも、これに関係するであろう。彼等と純文学の作家との差異は、彼等が現代の人物を同じように巧に描くことができない点にある。この簡単な事柄のうちに芸術論における種々の重要な問題が含まれている。》p.109

感傷には常に何等かの虚栄がある。》p.110

「仮説について」
常識を思想から区別する最も重要な特徴は、常識には仮説的なところがないということである。》p.113-4

思想は仮説でなくて信念でなければならぬといわれるかも知れない。しかるに思想が信念でなければならぬということこそ、思想が仮説であることを示すものである。常識の場合にはことさら信仰は要らない、常識には仮説的なところがないからである。常識は既に或る信仰である、これに反して思想は信念にならねばならぬ。》p.114

仮説という思想は近代科学のもたらした恐らく最大の思想である。... 》p.115

「偽善について」
... 人生において証明するということは形成することであり、形成するということは内部と外部とが一つになることである。ところが偽善者にあっては内部と外部とが別である。偽善者には創造というものがない。》p.118

「娯楽について」
生活を楽しむことを知らねばならぬ。「生活術」というのはそれ以外のものでない。それは技術であり、徳である。どこまでも物の中にいてしかも物に対して自律的であるということがあらゆる技術の本質である。生活の技術も同樣である。どこまでも生活の中にいてしかも生活を超えることによって生活を楽しむということは可能になる。
娯楽といふ観念は恐らく近代的な観念である。それは機械技術の時代の産物であり、この時代のあらゆる特徴を具えている。娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代りに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。幸福についてほんとに考えることを知らない近代人は娯楽について考える。
》p.121

「希望について」
人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このような人生を我々は運命と称している。... 》p.127

人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間にとって生きていることは希望を持っていることである。》p.127

それは運命だから絶望的だといわれる。しかるにそれは運命であるからこそ、そこにまた希望もあり得るのである。》p.128

希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味いたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却って期待という如きものである。個々の内容の希望は失われることが多いであろう。しかも決して失われることのないものが本来の希望なのである。》p.128

希望というものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きている限り希望を持っているというのは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によって完成に達する。生命の形成力が希望であるというのは、この形成が無からの形成という意味をもっていることに依るであろう。... 希望はそこから出てくるイデー的な力である。希望というものは人間の存在の形而上学的本質を顕わすものである。
希望に生きる者はつねに若い。いな生命そのものが本質的に若さを意味している。
》p.129

絶望において自己を捨てることができず、希望において自己を持つことができぬということ、それは近代の主観的人間にとって特徴的な状態である。》p.130

... 断念することをほんとに知っている者のみがほんとに希望することができる。何物も断念することを欲しない者は真の希望を持つこともできぬ。
形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学的智慧であった。それは芸術的制作についてのみいわれることではない。それは人生の智慧である。
》p.131

「旅について」
何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。... いったい人生において、我々は何処へ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。... 》p.136

... 旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。》p.138

「個性について」
個性を理解しようと欲する者は無限のこころを知らねばならぬ。無限のこころを知らうと思ふ者は愛のこころを知らねばならない。愛とは創造であり、創造とは對象に於て自己を見出すことである。愛する者は自己において自己を否定して對象において自己を生かすのである。... 》p.147


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