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2014.08.31

最初に感じたこと考えたこと―原始仏教、初期仏教:ブッダの教え、ブッダとなる教え(1)

 ―第134号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2014(平成26)年8月31日号(No.134)-140831-
「原始仏教:ブッダの教え、ブッダになる教え(1)」


昨年9月より開始しました古代インド編ですが、今月からいよいよ仏教を取り上げてみます。

 10月、インド最古の聖典~『リグ・ヴェーダ』
 今年2月、古代インドの哲学-「ウパニシャッド」
 3月、古代インドの大叙事詩-『マハーバーラタ』
 4月、古代インドの宗教詩編-『バガヴァッド・ギーター』
 5月、古代英雄叙事詩『ラーマーヤナ』
 6月、幸福な生のための“性”典『カーマ・スートラ』

と続けてきて、ここに始めて「仏教」を扱うことになりました。

本誌では、原始仏教、初期仏教、原始仏典、ブッダ(釈尊、お釈迦様)に関する本を読み、感じたこと考えたことを綴っています。

仏教についての本を読むこと、かつ色々考えることは長年の希望でありました。
空海についての本などは少し読んでいましたが、原始仏教や原始仏典、そしてブッダに関する本についてはまったくといっていいほど読んでいませんでした。

普段接することの多い仏教と言えば、日本の場合どうしても大乗仏教となります。
日常接するお坊さんは、月詣りにお越しいただいていた真言宗のお寺のお坊さんでしたし、テレビで接したお坊さんと言えば、薬師寺管長だった高田好胤さんぐらいでした。

真言宗については、空海、弘法大師の本は読んできました。
しかし、元々の開祖であるブッダ、釈尊、お釈迦様についてはほとんど知識もなく、今回始めて色んな本を通して知りました。

簡単な知識はありました。
仏教入門といった本も少しは読んでいましたし。

しかし、ここまで突っ込んで色んな本を読んだのは初めてでしたし、特に原始仏典についてはホントに初めての体験でした。

以前、NHK・Eテレの「100分de名著」<ブッダ『真理のことば』>の際に、中村元博士の訳された『真理のことば(ダンマパダ)』を読みました。

*『レフティやすおのお茶でっせ』
2012.4.2 NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』を見て本を読んで
2012.3.6 仏教は「心の病院」である!NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』2012年3月


その後、今回のためもあり『ブッダの言葉―スッタニパータ』を読み始めました。

興味のあるものなので、楽しく読んでいます。

ただ専門用語が頻出します。
だんだんと慣れて来ますが、最初のうちは難解なものです。

微妙な用語の違いもありますので。
「○○もしくは××ともいう」といった調子で。

理解できるようになってくれば、逆に専門用語を使わず平易に普通のことばで書かれた書物の方が難解になる、ということもありえます。

この辺はなかなか難しいものです。
お釈迦さまも相手に合わせて説いた(対機説法)と言いますから。


本誌では、今年いっぱいはこれらの原始仏典について書いてゆこうと考えています。
お楽しみいただければ幸いです。

では、ダラダラ書いてきましたが、時間切れです。
今回はここまで。


*本誌で取り上げた本:『原始仏典の世界―仏典の教えを現代にどう生かしていくか』奈良康明/著 NHKライブラリー 1998.4.1
―原始仏典の教えを噛み砕いて示し、自分の身に置き換え、現代を生きる智慧として活かす道を明らかにする。
『仏教の真実』田上太秀/著 講談社現代新書 2013/8/13
―前半では、現代のまちがった日本仏教に対して、ブッダが説いた本来の教えを示す。後半では日本での変容した姿を。
『ブッダの質問箱 (仏教まるごとQ&A) 』アルボムッレ・スマ
ナサーラ/著 サンガ新書46 2011/9/5
―ブッダの教え編 戒律編 布教編 ブッダとその弟子編 輪廻転生編 ブッダの修行時代編 インドの習俗編 実践お役立ち編 全72。Q&A形式で仏教の疑問に答える。

 

『ブッダのことば―スッタニパータ』中村元/訳 岩波文庫 1958/1/1  
―最古の聖典。第4章、第5章が最も古い部分といわれる。《人間として正しく生きる道が対話の中で具体的に語られる》
『真理のことば 感興のことば』中村元/訳 岩波文庫
―漢訳『法句経』の名で知られる「真理のことば」(ダンマパダ)「感興のことば」(ウダーナヴァルガ)。

 


*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

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2014.08.21

牧歌的純愛悲恋物語『ポールとヴィルジニー』光文社古典新訳文庫

『ポールとヴィルジニー』の新訳本が7月10日に出ています。
嬉しいことです。

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(画像:新訳『ポールとヴィルジニー』と牧歌的恋愛小説の祖ロンゴス『ダフニスとクロエー』と北杜夫版『ダフニスとクロエー』と言われる『神々の消えた土地』)

読書メルマガで牧歌的恋愛小説の祖である、ロンゴスの『ダフニスとクロエー』を取り上げたとき、参考の一編として挙げました。

古典から始める レフティやすおの楽しい読書
2013(平成25)年3月31日号(No.101)-130331- 牧歌的恋愛小説の祖~『ダフニスとクロエー』ロンゴス
http://archive.mag2.com/0000257388/20130331120000000.html

が、いざ探すと現行本が見当たりません。
仕方なく図書館の書庫の本借り出して読みました。

若い頃はどこの文庫でも出ていたと記憶しています。
実際に調べてみると岩波始め、新潮、角川、旺文社等の文庫から出ていました。

ところが今、書店で手に入る本がほとんどないことを非常に残念に思いました。

確かに文学史的に見て「これ」というほどの作品ではないのかもしれません。
ありきたりなストーリーで、通俗的な恋物語かもしれません。
小説としても、現代人の眼から見ると色々と突っ込みどころも見つかります。

しかし、伊藤左千夫『野菊の墓』と並ぶ幼馴染同士の牧歌的純愛悲恋物語です。
よくあるパターンの話でしょうけれど、いつの時代も愛され、求められる、心打つ一作だと思います。

だからこそ、二百年もの間生き残ってきたのです。

あのナポレオンも愛読した》と帯にありますように、当時から愛され続けているのです。


『ポールとヴィルジニー』光文社古典新訳文庫 ジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエール/著 鈴木雅生/訳 


地図・挿絵(キュルメール版より木版画21点)入りがいいですね。

地図はオリジナルのようです。
こういうのを見ていると、はまってしまいます。

『宝島』や『十五少年漂流記』、『ロビンソン・クルーソー』『ガリヴァ旅行記』といった弧島もの秘島ものを思い浮かべます。


原著は1788年作品。
『自然の研究』第四巻に付けられた挿話だったものが好評を得て独立したという。

文学的な価値について、少し触れましたが、本作品は、西洋文明に対し反旗を翻すような作品でもあります。
西洋文明を批判する反西洋文明的な描写や話の展開が見られます。

西洋の文明社会からはみ出した人たちの子供たちである主人公は、自然の中で素直に自分の力で生きて行くことを学んで育ちます。
しかし、西洋文明社会を良しとする考えに負けて、娘を送り出してしまいます。
ところが、自然の中で暮らしてきた娘は、文明社会に馴染めず、帰ってきます。
ようやく島に帰還したとおもいきや、嵐に遭遇し、恋人の前で命を落とします。

師であり年の離れた友人でもあったという、「自然に還れ」でも有名なジャン=ジャック·ルソーの影響を受けているところがあるのでしょうか。
自然を愛し、自然に密着した働く人間の価値を描いた作品でもあります。

そういう意味でも、今また読まれるべき作品であるのかもしれません。

... いいかい、ポール、善い行いというのは、徳と結びついた幸福なんだ。これこそがこの世でもっとも確実で、もっとも大きな幸福なんだよ。快楽、安逸、愉悦、富、名誉、そんなものは、この世を仮の宿とするはかない人間が追い求めるものではない。考えてもごらん、財産を求めてたった一歩踏み出しただけで、われわれは坂を転がり落ちるように不幸のどん底まで突き落とされてしまったではないか。... 》p.212
こんな調子の文章が次々と展開され、ちょっと説教くさいところもありますが。

一度手に取ってもらえれば、と思います。

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2014.08.15

古典を考える-岩波文庫フェア小冊子から(2):私の読書論59

―第133号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2014(平成26)年8月15日号(No.133)-140815-
「私の読書論-59- -古典を考える-
 岩波文庫フェア 小冊子から(2) 伊藤真」

本誌では、「岩波文庫フェア 小冊子から」の二回目として、伊藤真さんの「ゆっくりいそげ」を取り上げ、古典についての考えを紹介しています。


さてそこで、今回は古典について、このフェアの一冊である『ブッダのことば― スッタニパータ ―』(中村 元 訳) からの言葉を交えて、お話しましょう。

本書「第四 八つの詩句の章」(八四四)にこんな言葉があります。

古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)にとらわれてはならない。》p.24

前半部分は解説はいらないと思います。

古いものだからといって、それだけでありがたがっていてはいけない。
それでは進歩というものを否定することになりかねません。

だからといって新しいというだけでありがたがっているのも、バカなことです。
単に目新しだけでは意味がない。

文化・文明というものは、過去の遺物の上に積み上げられるものでもあるのです。


古典もそうです。
古いから価値があるのではなく、現代にも通じる何かがあるから、価値があるのです。

新作は確かにその時代にあったものだから、一見役に立つように見えます。
しかし、時代におもねっただけかもしれないし、一時的な人気に過ぎないかもしれないのです。
その時だけの一瞬の輝きをもたらす花火のようなものかもしれないのです。

持続する輝き、燃え続ける炎―そういうものが古典であるといってもよいでしょう。


後半の部分は、少し解説が必要でしょうね。
滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)にとらわれてはならない。。

《滅びゆくものを―》というくだりはそのままに解釈していいでしょう。

次の《牽引する者―》というのは、(妄執)とありますように、自己の欲望とか、他人の言説とかに振り回されてはいけないということでしょう。
中村先生は訳注で、《人間の根底に潜む、眼に見えぬ、どす黒いもの》(p.403)というふうに書いておられます。
それは進路を誤らせ、破滅につながる、と。

また、この詩句について先生は、この訳注でこんなふうに書いておられます。

転換期にあって古いものを残すか、新しいものを採用するかの決断を迫られる。
その際には、一つの原理に従ってなさねばならない。
その原理は、《人間のためをはかり、人間を高貴ならしめるものでなければならぬ。》(p.403)。
それは、邦語でいえば「ため」で、「ひとのため」であり、同時に高い意味で「わがため」となるもの。
人間のよりどころであり、人間を人間のあるべきすがたにたもつものである。》という意味で、原始仏教では「法(ダルマ)」と呼ぶ。
―と。

 ・・・

少し話がずれましたが、古典は古いから大切なのではなく、現代人にとっても意味があるから価値があるのだ、ということです。

その意味をどこに見出すかは、人それぞれの発見によるのです。

発見するためには、出会ってみなければ始まりません。

より良き出会いの目安に、このようなフェアの品目、および小冊子を利用するのも一法です。



『ブッダのことば― スッタニパータ ―』中村 元 訳
―来月以降、ブッダについて見て行こうと考えています。
 もっとも古い仏典とされている、この書物には人間ブッダの姿とそのそもそもの教えが描かれていると言われています。

詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』
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2014.08.13

右利き・左利き・中間の人

今日は<国際左利きの日>INTERNATIONAL LEFT-HANDER(')S DAYということで、左利きの話題を。


8月13日<国際左利きの日>については、きのうのこちらの記事を↓
2014.8.128月13日は39回目の国際的な<左利きの日>&LEFTEOUS2014年


右も左もある程度使えるという「両使い」の人とお話していますと、色々と「目からうろこ」的な思いをすることがあります。

たとえば、↓の記事など読めばわかるのではないでしょうか。

1日早いですが国際左利きの日を意識して思うこと

私自身は強度の左利きゆえ、発想がどうしても「左利き視点」になってしまいます。
これは明らかに偏った見方なわけです。

でも、それを言えばもちろん「右利き視点」極端な偏った見方であるはずなのです。
ところが世間的には、これが主流派として「平均的な見方」とされています。
誰もその事実を疑わないのですね、一部の<ひねくれた人>(自嘲気味に!)以外は。


私としてはその辺をなんとかしたいという気持ちがあるわけです。
そこで、「左利きは少数派に留まらない」という意味で、味方を増やす意味合いもあり、より正確な見方をすれば「左利きの要素を持った人はもっと多いはず」という理論で、「中間的な人」の存在をアピールするようになったのです。

学者さんの中にも、「大きく分ければ右か左のどちらかに分類できる」と主張される人がいます。
どちらかといえば、そういう人の方が多いかもしれません。
特に海外の学者さんでは。

そうではない、必ずしも大別では漏れる人がいる。
限りなく判断が難しい人もいるのではないか。

そこで最近では「三分法を取りましょう」という提案をして来たのですね、私は。


一つ指摘しておきたいことは、私個人としては「右利き・左利き・両利き(両使い)」の三つに分けるのではなく、「右・左・(その)中間」に分けるべきだ、という主張です。

あくまで「両利き(両使い)」ではなく、「(右利きと左利きの)中間」という位置づけです。

自分自身で大きく分けた場合であっても、なお「左」とも「右」とも言いづらいと感じている人に、この「中間」を選んで欲しいと思うのですね。


実際に、過去に聞いた悩みにそういうものがありました。

自分で「左」とも「右」とも決めづらい、かといって「両(利き/使い)」とも言い難い。
 両利きとか両使いといえば、何かしらどちらでもできる印象を持たれる。
 でも、実際は「あれは左でこれは右」といった状態で、左右の利きが混在している。
 すべてにおいてバラバラなのだ。
 自分は何者なのだろう?
―というものです。

ここまで来ると、やはり「中間」です、としか言えないのではないか、と思うのです。
そして、それで悩みが解消できるのなら、これでいいのではないか、と。

たとえ大別にしろ、どっちかに分ける必要はないのではないか。
真ん中は真ん中でいいじゃないか、という提案です。

先に紹介しました記事の方は、実際に左にあれば左手で右にあれば右手で作業するといった、まさに両使いの方だそうです。
もちろん、どちらかでしかできないこともあるのですけれど。
こういう方は、三分類でも、大別しての二分類でも問題はないでしょう。
特に悩むことなく、自分の位置を確認できるでしょう。

でも実際には、もっと複雑な人もいるようで、そういう人のことを考えれば、「中間」というあいまいな分類を追加しておいた方がいいと思うのですね。

万民の幸福の為に、ムダな争いの種は減らすほうがいい!?

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2014.08.12

8月13日は39回目の国際的な<左利きの日>&LEFTEOUS2014年

明日、2014年8月13日は、1976年に制定されてから数えて39回目の国際的な<左利きの日>INTERNATIONAL LEFT-HANDER(')S DAYです。

起源については、↓の記事でも紹介していますので、省略します。

2014.8.6
終わったはずのクチコミ「右利き? 左利き?」がまた

 ●国際左利きの日 INTERNATIONAL LEFT-HANDERS DAY

Left Handed Portal/History of Left-Hander's Day
Wikipedia/International Lefthanders Day
*『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
左利きの日を祝おう!

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(画像:"LEFTHANDER MAGAZINE"の1994、95年のINTERNATIONAL LEFT-HANDERS DAYを祝う記事)

 ・・・

私自身は特に何もしてこなったのですが、近年日本でも催し物を行う人たちが出てきています。
喜ばしいことです。

その代表的な一つとして、「LEFTEOUS」では、2006年からこの日に「箸を通常と逆向きに置く」という催しを続けています。
それ以外にも色々とイベントを繰り広げてこられました。

今年は、LEFTEOUSフェイスブックによりますと「LEFTEOUS DAY 2014【んめうそし流 FESTIVAL】」だそうです。

これは、《流しそうめんが左からではなく右から流れてくる》もの。
夏の風物詩というところですね。

でも設営の仕方によっては、両サイドで食べているケースもあるみたいですけど…。

 ・・・

私が知らないだけで、「LEFTEOUS」のみならず他にも、左利きの日を祝う行事が開催される予定があるのかもしれませんね。
期待しています。


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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2014.08.10

忘れ物のお知らせ:左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii第423・424号

忘れ物のお知らせです。

無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第423・424号のお知らせです。

 ・・・

第423号(No.423) 2014/7/19 「≪教科書プロジェクト≫
【小学書写教科書に左手書字例を!】PJ11
左手書字例を考える(1)目習い」

 今月から「左手書字例を考える」を始めましょう。
 今回は、手始めに、字の書き方の総論から。

┏ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┓
 【小学書写教科書に左手書字例を!】プロジェクト・11
  左手書字例を考える(1)目習い
┗ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ┛

 ●自分の理想の字を
 ●目習いでイメージ作り
 ●ゴール

【参考】
*『お茶でっせ』: 2011.4.21
左手で(それらしい)字を書く方法(左手書字考)1ペンを持つ手の構え
*『お茶でっせ』:【左手書字】カテゴリ

*『レフティやすおの左組通信』
<私論4> 左手で字を書くために 
―メルマガ『週刊ヒッキイ』掲載の 「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ」 その13,14を転載したものです。
<私論4> 左手で字を書くために(その2)実技編
―メルマガ『週刊ヒッキイ』に掲載した≪左利き学入門≫ 「左手書字の研究―実技編」を転載したものです。

 ・・・

第424号(No.424) 2014/8/5
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その22―
左利きで心地よく生きるための方法(1) これから生まれてくるもののためにも 」

 「左利きで心地よく生きる」ための方法を考えてみようと思います。

 子供にどうしてやればいいのか、という観点で。

 今回は、総論的に考え方や発想について考えてみましょう。

 どういうふうに考えてゆけばいいのか、どういう見方をする方がいいのか、といったことについて。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
―その22― 左利きで心地よく生きるための方法
 (1)これから生まれてくるもののためにも
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●これから生まれてくるもののためにも

... 釈迦は「己にも他にも為になること」が善いことだと説いた。...
 田上太秀『仏教の真実』講談社現代新書「第二章 釈迦は人の道を説いたにすぎない」p.43より

 ●差別の根は生まれ
... 生まれによる差別をくりかえしてきたのが人類の歴史であり、人間社会である。要するに生まれによる差別がなくならないかぎり人びとの平和はない。差別がなくなったときに本当の平和がある。
 田上太秀『仏教の真実』講談社現代新書「第二章 釈迦は人の道を説いたにすぎない」p.58より

 ●差別と区別
... 区別することは、ある意味であるがままに状況を理解する在り方であるので、当然認められるべき行為である。しかし、そこに社会的、世俗的な優劣など他と比較した価値、評価が入り込めば、それは区別ではなく、差別となる。仏教は、人間世界に浸透しているこの在り方を断じて否定し、すべての差異は単に名称にすぎないとの立場をとっている。
 並川孝儀『『スッタニパータ』 仏教最古の世界』岩波書店「第二部/第七章 差別と平等」p.165より

 ●右側が中央だったら…
 ●教育による革命
 ●箸遣いの例
 ●生まれではなく行為によって


田上太秀『仏教の真実』講談社現代新書 (2013/8/13)
並川孝儀『スッタニパータ 仏教最古の世界』岩波書店 (2008/12/18)


『ブッダのことば -スッタニパータ-』中村元/訳 岩波文庫


詳細は本誌で。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2014.08.06

終わったはずのクチコミ「右利き? 左利き?」がまた

先月終わったと思っていたamebloクチコミ「右利き? 左利き?」が再び登場。

前回は、クチコミ投稿期間2014年07月09日~2014年07月23日 で、総投稿数1924件でした。

詳細を見ますと、前回はブログネタ運営局の「ジョニー」さんのネタ。
2014.7右利き?左利き?
総投稿数1924件

「ジョニー」さんは、《何故か包丁が左利き/ 鉛筆は右利き》だという。

もしかしたらジョニーも、 /最初は鉛筆も左利きだったのかなあ、/ なんて思うこともあります
と。

【『お茶でっせ』前回記事】2014.7.10
アメブロで「右利き?左利き? 」ブログネタ


今回は、ブログネタ運営局の「レイラ」さんのネタ。

右利き? 左利き?
クチコミ投稿期間2014年08月06日~2014年08月20日
(結果)

ママ友と、その子供たちとで大集合ランチ会をしましたニコニコ/そうしたら、なんと/7人中4人が左利き
と、多いのに驚かれています。
レイラ世代は、左利きの子ってあまりいなかったけど、/それって「矯正」されていたから?/放っておくと、かなりの割合ってことなのでしょうか
とも。 私の思うところですと、色んなデータを総合して「強度の右利き」は半数ぐらいで、残りの人は両方の要素をそれぞれいくらかの割合で有している「中間的な人」(全体の三分の一ぐらい)と「強度の左利きの人」(一割前後)だろうと考えています。

左利きが多くなったと感じることも増えています。

実際に左利きは左利きのままで、という教育方針が広がっているので、それ自体は喜ばしいことと考えています。
人間自然ままが一番だと思うからです。


 ●右利きの間でも左使いが増えている

武井壮さんも「右利きを左利きに変えた」方だそうです。
大抵のことは左でなさいます。

いろんな考えがあるのでしょう。

だいぶ前になりますが、郷ひろみさんもテレビ↓で左手で箸を使ってらっしゃいました。
左右のバランスを改善するためだとか。

右利きの人の場合ちょっとしたことでも右手一本でできてしまうので、ついつい右手を過剰に使いすぎる傾向があります。

左利きの場合は、逆で左では使いづらく、仕方なく右手の出番となる、ということも再々です。
結果的に左だけでなく右も使うことになり、案外バランスがとれているということもあるようです。


7月3日、日本テレビ「ぐるぐるナインティナイン」グルメチキンレースゴチになります!15|第14回 現代イタリア料理対決 2014/7/3 O.A
5月26日、テレビ朝日「お試しかっ!『帰れま10』」


最近こういう考え方をする人が増えているようです。

郷さんのようなバランス改善の為という考えには賛同できます。
がしかし、右脳左脳の機能分化的な面から思考や発想の転換だとか右脳強化とかいった意味での左手使用に関しては、どうかと疑問に思います。


8月4日も、石原さとみさんが左投げで始球式を行っていました。
この場合は、

撮影で右腕を痛めたということで、「サウスポーでやります」と宣言。フォームはさまになっていたが、慣れない左腕から投じられた球は3塁側へ大きくそれて捕手に届かず。
とのこと。


Yahoo!ニュース - 石原さとみ 暴投で2度始球式(2014年8月4日(月)掲載)
YouTube「石原さとみ まさかの始球式やり直し 大暴投で サントリードリームマッチ2014」


右腕を痛めたということですが、そういうときの補佐の意味でも左腕は存在しているのでしょう。

この「補佐」の「佐」も、にんべんに左と書き、「たすける」の意味です。
これも左が右の補助の役割を持っているという意味でもあります。

左をおろそかにすると、泣きますよ―という警告の意味も兼ねて書いておきましょう。

 ・・・

国際的な<左利きの日>8月13日が近づいています。
そういう意味でもこういう手の企画が増えるのもいいと思います。


 ●国際左利きの日 INTERNATIONAL LEFT-HANDERS DAY

私の持っている"Lefthander Magazine"のINTERNATIONAL LEFT-HANDERS DAYの記事、および英語のサイト↓によりますと、(私の英語力に間違いがなければ)起源は

1976年に、アメリカのDean R. Campbellという人が、左利きの人のための専門雑誌"Lefthander Magazine"を発行する左利きの組織Lefthanders Internationalを創設した、その日8月13日を「左利きの日」と定め、イヴェントを始めたということのようです。/このなぜ8月13日かといいますと、それは、これに先立つ一年前に、Campbell氏が左利き用品の店を開いたのがその日だったから、とされています。

Left Handed Portal/History of Left-Hander's Day
Wikipedia/International Lefthanders Day

*『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
左利きの日を祝おう!


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※本稿は、ameblo「レフティやすおの作文工房」から転載しています。
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2014.08.04

右利きだけでなく左利きの人にも優しい魅力的な新製品を!

昨今は、人に優しいいい世の中になりつつあります。

例えば障碍のある人に対して社会がコストをかけて、少しでも住みやすい環境を整えようと心掛けています。
もちろん、まだまだ未熟ではあろうと思われますが。

さて、同じように少数派である私の取り組む左利きに関してはどうでしょうか。

確かに対左利き用と思われる製品が増えてきています。
あるいは、左利きでも利用に差し障りの少ないであろう道具や機械といった製品が。

しかし、こちらもまだまだな部分があります。


一方、世の中の進歩は目覚ましく、目新しい魅力的な製品が生まれています。

ところがこういう製品の大半は、多数派に沿ったものとなります。
そこでは少数派は疎外されるケースが大半となります。

右利きの人には都合のよい、魅力的な新製品であっても、左利きの人にとっては、魅力的ではあっても必ずしも使い勝手のよいものではないのです。


たとえば、左利きの人にとって使いにくいものの一つにハサミがあります。

これは二枚の刃の噛み合わせ方が左右で異なるのです。
そのため右手で使う場合は自然な右手の動きに対応する右手用、左手で使う場合は同じく左手用が適しているのです。

左手を使う傾向の高い左利きの場合は、左手用が都合がよいのです。

新製品にこういうものがあります。

日本文具大賞、機能部門で優秀賞を受賞したという、
レイメイ藤井「スウィングカット」

従来のハサミと違い支点の位置を刃の中心からずらす事で、包丁で切るような引き切り効果を発揮する。対象物に対して刃を斜めに引くような動きで軽い力で切れる。また、支点が邪魔にならずスムーズに切り進められる。
第23回日本文具大賞の受賞製品決定!【機能部門優秀賞 受賞製品】より)

レイメイ藤井「スウィングカット」
Raymay_swingcut_title


ホームページを見ても分かりますように、右手用のみです。
右手用が使える人には朗報でしょうけれど、そうでない人(左利きの人等)には高嶺の花でしかありません。

悲しいことですが、こういうことを日々経験していくのが、少数派の左利きの人の生活ということになります。

「少欲知足」が左利きの人の生活信条というべきでしょうか。
魅力的に見えるものがあっても、我慢我慢の生活。


製品を作る人たちに悪意はないのでしょう。
しかし、結果的に幸せを願って作ったはずのものが、一部の人たちだけとはいえ、不幸の種を作ってしまうことも事実です。

お釈迦様は、生きとし生けるものすべての幸せを願った、と言われています。

誰もが万民の幸福を願って行動できるようになれば、と祈っています。


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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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