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2013.04.30

ヨーロッパ精神の始原~『アエネーイス』ウェルギリウス

―第103号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
http://archive.mag2.com/0000257388/index.html
2013(平成25)年4月30日号(No.103)-130430-  
ヨーロッパ精神の始原~『アエネーイス』ウェルギリウス

先月は春の訪れということで、古代ギリシアの恋愛小説の古典『ダフニスとクロエー』を紹介しましたが、今月はまたローマにもどります。

本誌では、ウェルギリウス『アエネーイス』をなぜ読むのかという点を中心に書いています。
ここでもう一度、ウェルギリウス『アエネーイス』について書いておきましょう。

2010年に日本で邦訳が出たスペインの作家のフェリクス・J・パルマのベストセラー『時の地図』(ハヤカワ文庫NV1227-1228)の上巻p.253に、ウエルズ『タイムマシン』を紹介する文章があり、こんな一文が見られます。

未来で座礁したままもとの時代にもどれなくなっては大事なので、しかたなくタイムトラベラーはアイネイアスやオルフェウスやヘラクレスの範に倣って、いまやモーロックの天下となった地下世界におり、タイム・マシンを探した。...

ここで訳者は、<アイネイアス>にのみ、()付きで訳注をつけています。
それは、《ギリシャ=ローマ神話に登場するトロイアの英雄。冥界に導かれてローマ帝国建設のお告げを受ける》というものです。

これでおわかりかと思いますが、『アエネーイス』の主人公<アイネイアス>は、大部分の日本人にとって訳注が必要な未知の存在だ、ということです。

ところが、西洋では上の例を見てもわかるように―上の作家もスペインの人です―、<アイネイアス>の存在はごく常識の範囲だ、ということです。

現在、世界では西洋文明の影響を無視できません。
そして、その西洋文明の源流古代ギリシアにあるのです。
さらに古代ギリシアから現代に至るには、古代ローマを経ているという事実があるのです。

今の日本ではこの古代ローマがあまり注目されていないように感じます。
古代ギリシアの哲学も古代ローマを経て、ヨーロッパ全域に広がったといえるのではないでしょうか。
それにも関わらず、カエサルを除けば、まずほとんど無視されていると言っていいでしょう。

世界文学史年表には、ウェルギリウス『アエネーイス』の名が掲載されています。
しかるに、日本の一般の人にはまず読まれていません。

ホメロス『イリアス』『オデュッセイア』は有名ですし、文庫本でも出版され、読んでいる人も多いでしょう。
ところがそれを本歌取りしたとも言われる、古代ローマ建国の叙事詩ウェルギリウス『アエネーイス』は、昔は岩波文庫から出ていたようですが、今は出ていません。

古代ローマを代表する大詩人といわれるウェルギリウスですが、ダンテの『神曲』の地獄・煉獄の案内人として名のみ知られているだけ、と言っていいでしょう。

こういう状況で本当に西洋文明を理解できるのでしょうか。
現代の西洋文明と敵対する世界状況を理解できるのでしょうか。
私は疑問だと思っています。

まあ、そういう大きな世界的な危機的状況との関連は横に置いておいたとしても、文学的に見ても、面白いものがあります。

それは、文学の、芸術の流れといったものについて考えるときに、です。

その辺のお話は、またいずれ「私の読書論」の方で考えてみましょう。


フェリクス・J・パルマ『時の地図』上巻 ハヤカワ文庫NV1227,1228(2010)
ウェルギリウス『アエネーイス』京都大学学術出版会 西洋古典叢書(2001/04)

 

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2013.04.26

注文しました!左手でもシャッターを切れる!キヤノンPowerShot N

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4月25日ようやく、注文しました。

というより、ようやく注文できた、というのが本当の所。

3月下旬予約開始だったと思い、何日か忘れましたが(25日ごろでしょうか)、キャノン・オンラインショップへ行くと、すでに予約受付終了。
(あるネット情報によりますと、3月12日10時予約受付で、初回予約受付分が、同日14時20分現在すべて終了とのこと。)
で、次回は4月12日(だったか)というので、その日お昼前ぐらいにのぞくと、またすでに、終了。
次回は、4月25日10時受付開始、と。

そして、4月25日(この日が発売日でもある)、またまたお昼前にのぞくと、なんとか受付中。
どうにか、狙いの「ステッチブラックセット」(画像)を注文。

それにしてもよく分からないのは、自社のオンライショップ販売のみで、一般の流通で販売しないのかということ。
まあ、色々あるのでしょうけれど、アメリカではAmazonでも出てたのに。

いったい何台作ってるんでしょうかねえ。
どれだけ売る気があるのか。


4月25日に入手した人のブログ↓

キヤノン「PowerShot N」、開封の儀!ボディがめっちゃカワイイ!
キヤノン「PowerShot N」をハイアングル&ローアングルで試し撮り!

なんと、《ちなみに、液晶をタッチしてもシャッターを切れます。》とあります。
タッチでも使えるんだ!
そうなるといよいよ、利き手の違いを気にしなくてもいいですね。

一つ残念と思うのは、やっぱり、画面が90度しか動かないこと。
180度になれば自画録りも楽で、ブロガー受けもいいでしょうに。


でも、待ち遠しいです。
5月13日頃発送予定とのこと。
早く来い来い!

・PowerShotN ホワイト●Canon (中古品)


━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ 
*『お茶でっせ』左右共用カメラ「PowerShot N」の記事:
・2013.5.15 届きました!左右共用カメラ・キヤノンPowerShot N

・2013.1.30 左利きも楽しめる新カメラ、キヤノンPowerShot N4月下旬発売
・2013.1.28 左(利き)右(利き)の手を選ばないカメラCANON PowerShot N

*『お茶でっせ』他の左手・左利き用カメラの記事:
・2009.9.21 左手でもシャッターが切れるデジカメ「FinePix Z300」
・2004.8.5 今は昔 世界初左手用カメラ、京セラ サムライSAMURAI Z2-L

*昔の左手専用フィルム・カメラ「京セラ・サムライSAMURAI Z-L/Z-2L」
左手用カメラ 京セラKYOCERA サムライSAMURAI Z2-L/左利きphoto gallery<HPG4>
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2013.04.25

左利きの会と赤かぶ検事『朝霧高原殺人事件』~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii360号

先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第360号のお知らせです。

 ・・・

第360号(No.360) 2013/4/20「名作の中の左利き~推理小説編15~左利きの会の謎『朝霧高原殺人事件』和久峻三」は、
日本人作家のテレビ・ドラマでもよく知られた、和久峻三の人気シリーズ/strong><赤かぶ検事>から『朝霧高原殺人事件』を取り上げます。

左手首を切り落とそうとしたらしい、左利きと思われる被害者と謎の『左利きの会』とは?

『朝霧高原殺人事件』―赤かぶ検事シリーズ (講談社文庫 2000.8)
『朝霧高原殺人事件』 (光文社文庫) Kindle


 ●被害者は左利き
 ●『左利きの会』とは?
 ●「赤毛組合」

*「赤毛組合」収録本:
『シャーロック・ホームズの冒険』日暮雅通/訳(2006.1)
光文社文庫<新訳シャーロック・ホームズ全集・1>


 ●左利きの話題を活かしきれたか?


詳細は本誌で。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

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2013.04.24

3Dプリンターで左手・左利き用品も自由自在?

テレビを見ていますと、3Dプリンターなるものについてやっていました。

“3Dプリンター革命” - NHK クローズアップ現代 - NHKオンライン
No.3323 2013年3月12日(火)放送
「“3Dプリンター革命” ~変わるものづくり~」
動画

サイエンスZERO/3Dプリンター「魔法の箱」の真骨頂!
(NHK Eテレ: 毎週日曜 午後11時30分~翌午前0時/毎週土曜 午後0時30分~1時(再))
2013年4月14日放送(No.422) 3Dプリンター「魔法の箱」の真骨頂!


 ●3Dプリンター

簡単に言いますと、3次元データを基にして立体造形する機械、ということのようです。

従来ものを作るには、材料から切り出すか、型に材料を流し込んで作るか、まず部品を作りそれを組み立てるか、というものでした。
たとえばプラスティックのフィギュアを作るには、型を作って流し込むか、部品を切り出して接着剤で貼り付けるか、といったものでした。

それをいきなり立体で作ってしまう、というのがこの3Dプリンターです。

今実際に使われているのは、個人では先ほどあげたフィギュアのようなおもちゃやオリジナルのグッズです。
世界で一つだけのものが作れるのです。

理論的には、データさえあれば、なんでも作れる(らしい)のです。
しかも、データさえあれば、同じものをいつでもどこでもだれでも、いくらでも作れるのです。

企業では、従来簡単には作れなかった試作品を何種類も作ることができるようになったそうです。
今までならそれぞれ金型を起すのに費用がかかったのですが、金型が不要になり、その分費用が節約でき、しかも何種類も試すことができる、というのです。


 ●数量的な障壁からの解放への期待

これを使えば、従来数量的に売れないからと敬遠されていた、左利きの人のための道具なども、簡単に作れるようになるのではないでしょうか。

以前聞いた話では、持ち方補助具のようなちょっとした文具でも、金型代がかさむので、数量的にかなり売れないと左手・左利き用は作れないそうです。


しかもこれなら、自分専用に作ることもできそうです。

例えば靴などでは、元のデータにアレンジを加えて、自分のサイズに合わせることもできる、と言います。


ネットを見ますと、10代の少年が自分の電動義手を作ったなどという話もあります。
少年の場合、成長に合わせた義手が必要になります。
3Dプリンターを使えば、その辺の調整も可能のようです。
2013年03月27日 10代の少年が独学で3Dプリンター製の電動義手を開発、その目的とは?


3Dプリンターによる製作なら、誰かがデータを作ってネットにアップすれば、あとはそれをコピーして自分の3Dプリンターで拵えればいいのです。

数売れないからメーカーが作ってくれないとか、販売店が置いてくれないといった問題は、一挙に解決です。


 ●模型でも違いがわかるかも?

いや仮に、個人で作れないような製品でも、試作品や模型が簡単に作れるのでしたら、この世にあるあらゆる右用の製品をことごとく、左右変換させた左用模型を作り、実際に左利きの人に手にしてもらえれば、面白いと思います。

この世に左用がないため、利き手に合った道具の使いやすさを実感していない左利きの人が多いと思うのです。
そういう人でもただの模型であれ、実際に手に持って使うマネをしてみるだけでも、何か感じるものがあるでしょう。

例えば、カメラでも「慣れれば同じ」と発言する人がいます。

でも、実際は違うんです!

私は京セラSAMURAIという左手用カメラを持っています。

*『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
〈HPG4〉世界初 左手用カメラ/京セラKYOCERA サムライSAMURAI Z2-L
左手用カメラ、京セラKYOCERA サムライSAMURAI Z2-Lの使い心地(使用感)


初めて手にしたときからしっくりなじみ、最高の気分でシャッターが切れます。
今までの右用で感じていた違和感がまったくないのです。
慣れる必要などないのです。

ところが、実際に左手用のカメラがほとんどないために、体感する機会がないのです。
それゆえ、実感できないので、誤解が生まれるのでしょう。
(今はデジカメに左用がないので困っていますが。)

楽器でも同じです。
左用がほとんどないから、利き手に合った楽器の良さを知らない左利きの人が多いと思うのです。

両手にはそれぞれの役割があるそうです。
作用の手としての利き手と、感覚の手としての非利き手。

楽器で言えば、弦を爪弾く利き手と、正確に弦を押さえる非利き手。
カメラで言えば、狙った瞬間にシャッターを切る利き手と、正確にレンズを動かしピントを合わせる非利き手。


3Dプリンターで起こす左利きグッズ革命!
なんとかなんないですかねぇ。

(3Dプリンターについての詳細は、Wikipediaや↓の本などでご自分で調べてください。)
・『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』 クリス・アンダーソン/著 関美和/訳 NHK出版 (2012/10/23)


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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2013.04.23

新型子供はさみ、ペンカットキッズ左手用オレンジ

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今回も、いつも左利き(というか左右平等)の話題を提供してくださる数少ない人物の一人、ガボちゃんのブログ「書類作成に奮闘中」(2013年3月30日)から教えられたレイメイ藤井 ペンカットキッズ 左手用の話題を―。

レイメイ藤井 ペンカットキッズ 左手用 オレンジ SHH505D


ペンカットキッズの商品ページ

「キッズ 左手用」とありますように、左手で使う(左利きの)子供向けのハサミです。
でも「ペンカット」です。


 ●新型ハサミ、ペンカット

従来の「ペンカット」は、二つの特徴を持っていました。

一つは、右利き・左利きに関係なく、刃のかみ合わせを入れ替えて左右どちらの手でも使用できるという左右変換性です。

“諸刃の剣”のような左右両用の刃が両サイドについたもので、それぞれの刃の合わせを入れ替えることで、右手用にも左手用に変換できるという優れモノです。
ループ状のハンドルになっていて、それをどちら側にも移動できる構造になっています。
これによって、刃の合わせを入れ替えることが可能になっているのです。

もう一つの特徴は、ペンタイプで携帯性・収納性に優れている点です。

使わないときはハンドルが収納できるので、鉛筆のような棒状になり、ポケットにも、筆箱にもすっきり収まるのです。

*『お茶でっせ』過去の「ペンカット」の記事:
・2011.2.10 Raymayレイメイ藤井ペンカット:右手左手両対応携帯ハサミ
・2012.10.22 両手対応小型携帯ハサミ、ペンカット・ミニPENCUT mini
 


 ●新型子供用左手ハサミ

株式会社レイメイ藤井スクール&キャンパスの2013年2月1日のニュース・リリース「ペンカットキッズ」発売によりますと、

~お子様が使いやすい安心設計~ ペン型こども用ハサミ「ペンカットキッズ」を発売
とあり、

こちらの子供用は、使用する子供さんの安全を考えて、《通常の片刃仕上げなので工作用紙も切れます。》とありますように、片刃で、刃の入れ替えのできない左手専用になっています。

では、どの辺が「ペンカット」なのかと言いますと、先に挙げた二つ目の特徴を活かして、ハンドルが収納できるのでペンタイプに変身し、筆箱にもすっきり収まるということです。

ペンカットキッズは、お子様向け安心設計となっており、ペンタイプでコンパクトに携帯・収納できます。ハンドルが太めになっており、お子様の指や手にフィットします。又、携帯時に刃によるケガを防ぐための安全キャップが付いています。/ブレードは、刃先を丸くした安全設計で、今までのペンカットより厚い用紙もサクサク切ることができます。又、2段刃加工で切れ味が長続きします。

使い方:
1 スライダーを下げることでハンドルループが出ます。スライダーは固定される位置まで下げて下さい。
2 ハンドルループに指を通してご使用下さい。柔らかな素材でお子様の指にフィットします。
3 ご使用後はスライダーを元の位置まで戻してハンドルループを収納し,キャップを取り付けて保管してください。


 ●色、デザインの問題点

問題があるとすれば、この辺でしょうか。

今回は、右利き用2色と左利き用1色、全3色を発売しています。

SHM504A(ブルー)・SHM504P(ピンク)・SHH504D(オレンジ)です。

これは、このペンカットだけの問題ではありませんが、一言伝えておきたいことではあります。


右手・右利き用に関しては、たぶんブルーが男の子用でピンクが女の子用という設定なのでしょう。

では、左利きの子の場合は?
左利きの子は“第三の性”ではありません。
(そもそもそういう性別で色別をするという発想自体が問題だ、という考え方もあるかもしれませんが。)


左手・左利き用のハサミは、従来、緑色だったり黄色だったりしました。

この色別は、誰でも簡単に右手・右利き用と区別できるように、という配慮から始まったものです。
すなわち、緑/黄色のハサミは、左手用という意味を表すのです。


実際、大人でも右手用と左手用ハサミの違いを近いできていない人が少なくありません。
シルエットが左右対称なら―要するにハンドル部分が左右対称なら、どちらの手でも使える(両利き)ハサミだ、と思っている人もいるのです。
もちろんこれは間違いで、刃のかみ合わせの違いがあるのです。

一番わかりやすい判別法としましては、切る構えをしたとき上に来る刃が、どちら側にあるかです。
右に来るのが右手用で、左に来るのが左手用です。


閑話休題―。
この色による区別は、左利きという身体的特性を重んじた結果ではあっても、それぞれの子供の色の好みという精神的特性を無視したもの、とも言えるものです。

海外のMIRANという会社の製品は、右手・右利き用同様に、色とりどりのカラフルな左手・左利き用のハサミを用意しています。

では、その製品はどのようにして右と左を区別しているのでしょう?
それは、ハンドル部分が左右非対称の親指と他の指との区別のある製品で、「L」という文字の入った左手マークをプリントして区別しているようです。

この左手・左利きバージョンには、左手・左利きマークというパターンは、他の製品にも結構見られます。
また、万年筆のような筆記具では、「L」という文字を入れて区別しているものもあります。

ハサミは二つの刃とハンドルからなっていますので、2色のカラー・コンビネーションを施し、それぞれの色の入れ替えで表すこともできるのではないでしょうか。
あるいは片方を縞模様にするという方法もあるでしょう。
(どういう組み合わせを右なり左なりと設定するかを決めるのは難しいですが。)


現代は、とにかく「(なんでもいいから)あればよい」という時代ではなくなってきました。

機能だけでなく、色やデザインも重要なものとなっています。
ぜひ、そういう面も検討されてはいかがでしょうか。

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2013.04.22

左利きの道具<無印良品 暮らしの良品研究所>4月3日コラム

もう半月以上前の話題です。
いつも左利き(というか左右平等)の話題を提供してくださる数少ない人物の一人、ガボちゃんのブログ「書いてくれて良かった」から教えられた<無印良品>の左利きの話題を―。

<無印良品 暮らしの良品研究所>の4月3日のコラム「左利きの道具」です。

「利き腕の自由」で、左利き専用の道具を一切持っていないというある20代の女性の話を紹介しています。
その理由として、《「右利き社会では職場や出先で常に左専用グッズがあるわけではなく、そのことで後ろ指を指されることに耐えられない」から》と。
そのあとに続けて、

人と利き腕が異なることに後ろめたさを感じさせるような空気がその社会にあるとしたら、それはちょっと寂しい社会だと思いませんか? 画一的な教育を押し付けられず個を大切にされて育ったという意味で、「左利きの人がうらやましい」と言う人もいるほどです。左利きの人が左利きのままでありのままに生きていける。そんな社会を後押しするのが、ストレスなく使える道具の存在なのかもしれません。

と書いています。

非常に嬉しい言葉です。
しかし一方で、正直に告白すれば、「今頃そんなことを言うのか!」という憤りの気持ちもあります。

私は、今から50年ほど前に小学校入学時に担任の先生から「左利きは左利きのままでよい」という教えを受けて来ました。
しかし、実際には左手・左利き用の道具はほとんど手に入らない状況でした。

無印さんがきのうきょう設立されたのならいざ知らず、「今頃になって、左利きの味方面されても…」という気持ちになります。

もちろん、そういう意味でお書きになられたのではないでしょう。
今現在担当されている方が、純粋に理不尽に思っての、思いやりのお言葉だと思いますが。

そういう憤りの気持ちを抱くほどに、(私たち一部の)左利きはズーッと昔から“左利きにも優しい”道具の出現を待っていたのです。

“I have a dream. 私には夢がある。”~私の夢は、利き手の違いによって差別されることのない社会の実現である。~
と主張してきました。

*『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
「左利き宣言―レフティやすおの左利き私論 1―」左利き宣言

21世紀の今(頃ようやく)その機運が盛り上がりつつある、というところです。
実際には、まだまだではありますが。


次の「左利きの不便」項では、道具だけでなく、「駅の自動改札機」のような機械やシステムもまた「ストレスを感じる」ものだ、という事実を紹介しています。


「専用と共用」という項では、《「シンプルでユニバーサルなデザインのものを開発してほしい」》という左利きの人たちのアンケート結果を紹介しています。
そうなのです、私たち左利きの多くの人は、左利きの人さえよければいい、という考えはありません。

右利きの人のとっても不便になるものではなく、という思いがあります。

別に左利きの人は思いやり深いから、とうぬぼれる気持ちはありません。
単純に共に暮らす右利きの人のことを考えれば、というだけの気配りにすぎません。

なぜそういう気持ちになるかと言えば、自分が普段不便な思いを感じ、嫌になることが多いからからなのです。
だから他の人にもそういう嫌な気分を味わってほしくない、と思うだけのことです。

左利きの人に使いやすい道具を考えることは、すべての人にやさしい道具を考えることにもなるでしょう。
という言葉でこの文章をしめています。

こういうことも(私たち一部の)左利きの人は以前から訴えていました。
ここでも先ほどと重複しますが、今ようやく、という気持ちになります。
(もちろん、そうは言いながらも喜んではいるのですよ、そういう時代の流れを。)

無印良品では、アンケートをもとに、ステーショナリーとキッチン用品で、左利きの方にも使いやすい商品開発を急ピッチで進行中です。
アンケートの結果そういう結論になったのでしょうけれど、できればステーショナリーとキッチン用品だけといわず、各方面でチャレンジして欲しいと思います。

たぶん「これで成功を収めれば、次なる展開も」とおっしゃるのでしょうけれど、時には利益に拘らず長期ビジョンで「損して得取れ」を実践してもらえれば、という思いがあります。
それこそ、企業の社会貢献だと言えるんじゃないでしょうか。

社会を変えるというのは大変です。
でも誰かが始めなければ、スタートしません。

なにもオレが先陣でなくても…、と思いがあるかもしれませんが、ね。

でも、トップ・バッターというのはカッコイイものですよ。

*『お茶でっせ』過去の無印・左利きプロジェクト関連の記事:
・2012.9.21 空想無印Facebook左利きPJで親野智可等先生のコラムが…
・2012.7.20 無印良品プロジェクト ハートフル・左利き
・2012.4.4 Project01左利き~空想無印cuusoo muji商品化企画の試み

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2013.04.18

左利きの悩みと“卒業”~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii359号

先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第359号のお知らせです。

 ・・・

第359号(No.359) 2013/4/13「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その20― 左利きの悩みと“卒業”(1)」は、
▲左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ▲(第二土曜日発行分掲載)の―その20―では、「左利きの悩みと“卒業”」について考えます。

今回から新たなテーマが始まります。
今回のテーマは―

 左利きに悩んだ人たち―本人であれ親御さんであれ誰であれ―
 も
 いつしかその悩みから“卒業”してゆく、
 という現象があります。

 一方で私のように、いつまでも抱えたままの人もいます。

 その辺の事情を考えてみよう、という試みです。


まずはその第一回。

 ●悩みからの卒業とは?
 ●卒業への段階
 ●本人の場合
 ●卒業への内的要因と外的要因
 ●内的要因
 ●外的要因
 ●悩みからの卒業

詳細は本誌で。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

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2013.04.15

齋藤孝『古典力』を読む(2)私の読書論-44-

―第102号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2013(平成24)年4月15日号(No.102)-130415-  
私の読書論-44- 齋藤孝『古典力』を読む(2)
http://archive.mag2.com/0000257388/20130415120000000.html


本誌では前回に引き続き、齋藤孝『古典力』(岩波新書2012.10.19)を紹介しています。

齋藤流古典読書への助言の一つ、「古典を読むための十カ条」について、今回は少し詳しく引用なども入れてみました。

さほど目新しいことを書いているわけではありません。

というよりも、読書の本質においては、目新しいことなどあり得ないのです。
なにしろ、文字が発明された有史以来何千年の年月がたち、活版印刷が始まってからでも550年以上経過しています。
読書という行為について、書物の形態は変わっても、その行為そのものはほとんど変わっていません。

今頃何ほどの目新しい方法が見つかることでしょう。

とにかく新しかろうが古かろうが、古典には古典にふさわしい読み方というものはあると思います。
それさえ身に付けることができれば良いのです。

とはいえ、自分なりに自分の方法というものがあります。

もともと足の速い人もいれば、鈍くさい人もいます。
それでも正しいフォームや自分に適した走法といったものを身に付ければ、ある程度のところまでは戦えるようになるでしょう。

それをすべて自分ひとりで見い出すには時間が掛かり過ぎます。
誰かコーチしてくれる人がいれば、時間を短縮できます。

そのためには、よいコーチを見つけなければなりません。
あなたにあったやり方を見つけて教えてくれるコーチばかりではありません。
自分勝手なコーチもいるでしょう。

その辺の見極めは、自分の力です。

自分にふさわしいコーチを、そしてトレーニング法を見つけてください。

*本誌で取り上げた本:
齋藤孝『古典力』(岩波新書 2012.10.19)
『ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条』
ダニエル・ペナック/著 浜名優美 木村宣子 浜名エレーヌ/訳 藤原書店 第2版(2006/10)
 

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2013.04.11

真面目な私とあなた―夏目漱石『こころ』~NHK100分de名著2013年4月

「NHKテレビ100分de名著」2013年4月は、夏目漱石『こころ』です。

第1回 4月3日放送 私たちの孤独とは
第2回 4月10日放送 先生という生き方
第3回 4月17日放送 自分の城が崩れる時
第4回 4月24日放送 あなたは真面目ですか

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
4月 夏目漱石『こころ』 [語り手 姜 尚中]
悩むことに、救いがある!
自由と孤独に生きる“現代人の自意識”を先駆的に描いた『こころ』。
他者との関係性に悩む登場人物たちの葛藤を読み解きながら、モデルなき時代をより良く生きるヒントを探る。

2013年3月25日発売 定価550円(本体524円)


こころ (新潮文庫)
こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)


放送は見ていなくても、一言何か書きたくなるのが、こういった著名な古典を扱う番組の魅力かもしれません。

毎回のゲスト講師にどんな人が選ばれているのか、いつも気になるところです。
今回はなんと、《ベストセラーとなった「悩む力」「続悩む力」で独自の漱石論を展開した政治学者の姜尚中さんを語り手に迎え、「こころ」を読みときます。》(「プロデューサーNのおもわく」より)とあります。

名前はお聞きしていますが、実際どういう人か存じません。
著書もお読みしていないので、まったく情報なしです。

それだけにどういうお話になるのか、楽しみといえば楽しみでしょうね。


 ●高校の夏休みの宿題

私の『こころ』の思い出と、今回改めて読み直した印象とを書いておきます。

私にとって夏目漱石は、「不幸な出会い」でありました。

最初に出会ったのが本書『こころ』でした。
高校2年か3年の夏休みの読書感想文の宿題でした。

新潮文庫をもらって帰ったのですが、これが大変でした。


当時の私は年間30冊程度は本を読んでいました。
当時人気作家だった北杜夫の純文学系の本も読んでいました。

本を読むのは好きだったのですが、得意というわけでもありませんでした。
おもしろ系の本―今風に言えば、エンタメ系でしょう。

海外の翻訳もののSFやミステリ、冒険ものなど読んでいました。

なぜそういうものを読むようになったか。
一言で言いますと、漢字が苦手だった、ということが大きな理由です。

当時私が買えるような本といえば文庫本でした。
そして文庫本では、現代表記(新仮名づかい・新字体)で発表された最近の作品以外は―夏目漱石のような近代文学は、(たぶん)原文のままの旧仮名づかい・旧字体でした。

そのため、古典や名作名著を読みたくても、私のような国語力の低いものには、敷居の高いものでした。

そこで、戦後の日本の現代ものか、現代表記の翻訳文である最近の海外の翻訳ものを主に読んでいました。


そんな私には、文庫の漱石は荷の重いものでした。
それでも何とか読み続け、読み終えました。

はっきり印象に残っているのは、話の内容が不快だったこと、高等遊民と呼ばれる「先生」のような身分はいいなあ、と思ったことでしょうか。

「K」という人物にしろ「先生」にしろ、社会に背を向けているようで、自分勝手で、どうも胡散臭い感じです。
「先生」も(結果として働かずに食う生活を考案するようで)「私」を不良に誘うような人であり、「先生」と呼ぶに値しないような人物ではないでしょうか。

以後、夏目漱石の作品を手に取るまでには、『坊っちゃん』まで二十数年の歳月が流れました。
『こころ』との出会いが不幸というのは、こういう背景があってのことです。


 ●今回再読の印象

今回改めて読んで感じたことは、表記は別にして、非常に読みやすい作品だということです。

表記に関しても、今回読んだ本は、平成16年の改版で、現代表記に改められたものです。
難読漢字と思われるものには振り仮名が付けられ、漢字表記の接続詞・代名詞等をかなにしたものです。

そういう読みやすさは別にしても、新聞連載小説ということで、連載の一回ごとに意味深な展開を見せ、読者を引っ張っていきます。
「先生」の謎に満ちた過去を「私」と会話から小出しにほのめかしてゆきます。

ミステリとしても読めそうです。

そして、第二部にあたる「中 両親と私」で、「私」の問題を取り上げます。
「先生」に憧憬する「私」もまた、“明治の知識人”としての問題にぶつかります。

それは、古い共同体に所属する親たちと、近代という新たな都市環境の中で生きる知的エリートとしての「私」の立場の違いです。

ただし、この「私」のその後の“冒険”は語られませんでした。
先生の遺書を手にして列車に飛び乗ったところで、「私」の物語を終えています。

このあと、死につつある父を捨て、死んでしまった(であろう)「先生」を取った「私」がどのような生き方を選んだのか、その結果どうなったのかは、語られずに終わっています。

「私」は「先生」の決断に対し、批判するにしろ肯定するにしろ何らかのアクションを取るはずでしょう。
そこまで書かれて初めて、本来の書かれるべき小説があったのではないか、と思われます。

始めから読んでゆくと、どうしてもそう受け取れるのです。
ところが、「先生の遺書」で終えられています。

単なる「先生」の秘密の種明かしで終わっています。

そこに何か作者の読み違いがあったのでしょう。

本来書きたかったのは、この後の変化ではなかったのか。
しかし、それはあまりにも大きな問題でありすぎた。
簡単には綴れないものであった、と言えないでしょうか。


 ●以前感じた不快感とは?

今回読み直して、最初に読んだときの不快感は何だったのか、もう一度考えてみました。


当時の私は、北杜夫さんにあこがれ、あんなふうに文学とはいかなくても、文章家として生活できれば、楽しいかなあ、という気持ちでいました。
そういう私には「先生」的高等遊民は、なかなか都合のいい生き方に思えました。

好きなことをして働かなくても暮らしていけるのなら、結構毛だらけ猫灰だらけじゃないか、と。
その上、好きな女性とも結ばれて、万々歳!

「K」との「お嬢さん/奥さん」をめぐる関係にしても、元々自分が先に目をつけていたのだし、結果として「K」が死を選んだのも彼自身の弱さであり、なんら問題ではないと言えるのではないか。
所詮は負けた方が悪いのであって、その責任といっても、自己満足に過ぎないのではないか、と。

... 真面目(まじめ)な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一分一厘(りん)でも、私には堪(た)え切れない不幸のように見えました。/要するに私は正直な路(みち)を歩く積りで、つい足を滑らした馬鹿(ばか)ものでした。... 》『こころ』新潮文庫 p.299
本当にバカものです。

単に親友であるからというだけで、彼の死を恋の相手を抜け駆けで奪われたせいだと決めつけ、自責の念にかられるのは、手前勝手な気がしました。
しかも、それを理由に妻にも明かさず自分勝手にふるまい、ムダに生きたあげく、自殺を選ぶのも自分勝手の利己主義以外のなんでもありません。

読んでいて不快になるのも理解できます。


古代ローマの哲人、皇帝ネロの家庭教師で政治家であったセネカ『心の平静について』(『生の短さについて 他二篇』大西英文/訳 岩波文庫 2010.3.16)でこんなふうに書いています。

さて、しかし、個人的な悲しみの原因を取り除くだけでは何の益もない。なぜなら、人間存在そのものへの憎悪が心を占領することが稀ではないからである。純朴さがいかに稀有のものか、無辜というものがいかに知られざるものか、[...] 恥ずべき行ないで輝いている野心などのことを考えたとき、精神は暗黒の夜へ導かれ、[...] 暗闇が鬱勃として精神を覆う。だから、われわれは心の向きを変え、俗習のすべての悪徳を、憎悪すべきものとではなく、笑止なものと思うようにし、ヘーラクレイトスよりは、むしろデーモクリトスに倣うようにすべきなのである。 [...] 前者にはわれわれ人間のすることはすべて哀れなものと、後者には愚かなものと映ったのである。それゆえ、万事を軽く考え、万事に柔軟な精神で耐えるべきである。生を嘆くよりは生を笑い飛ばすほうが人間的なのである。》(p.120-121)

続けて、
しかし、さらによいのは、世の習いや人間悪を、笑いにも涙にも陥ることもなく、穏やかな心で受け入れることである。他人の災厄に心を痛めることは際限のない不幸であるし、[...] 他人の災厄を喜ぶことも非人間的な快楽だからである。》(p.121-122)

遺書の末尾に「先生」は、

... 私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存して置いて遣りたいのが私の唯一(ゆいいつ)の希望なのですから...》『こころ』新潮文庫 p.327
というのですが、本当に愛している人で大切な人であれば、正直に話すべきでしょう。

中野孝次/著『セネカ 現代人への手紙』(岩波書店 2004.5.27)は、セネカ晩年の道徳書簡集「道徳についてのルキリウスへの手紙」のなかから、著者の心に残る文章を選び、解釈をつけたものです。
そのなかに、次のような言葉が紹介されています。

8 なぜ誰も自分の過ちを告白しないのか? それは彼がまだその過ちの中にとらわれているからだ。夢の話をすることができるのは、夢から覚めた者だけだ。自分の過ちを告白したのは、心が健康になったしるしだ。》「<手紙53>海にとびこむ」p.150

とあります。

同じく「<手紙9>真の友情と贋の友情」によりますと、セネカには《自分をこの上なく幸福だと思えない者は、たとえ世界を支配していようと、不幸な人だ。》(p.57)という言葉があるそうです。
まさに「先生」はこの典型でしょう。

「K」にしろ「先生」にしろ、どうも人生を狭く見ているように思うのです。
そして自分の殻に閉じこもりすぎです。
もっとまわりのことも見るべきではないか、頼れる身寄りがない、と言っても現実には同居する人もいるわけで、ご近所や学校なども含めれば、まったく無縁とも言えないのです。

それを<近代人の孤独>か何か知りませんが、自分から蟻地獄に堕ち込んでいるようです。
自分で自分の不幸を演じているように思えるのです。

... 私は仕舞にKが私のようにたった一人で淋(さむ)しくって仕方がなくなった結果、急に所決(しょけつ)したのではなかろうかと疑がい出しました。そうして又慄(ぞっ)としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿(たど)っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過(よこぎ)り始めたからです。》『こころ』新潮文庫 p.318

『セネカ 現代人への手紙』には、こんなくだりがあります。

3 無私の愛情については深い理解をもって対さねばならない。そしてときには、たとえもっともな理由がいくら押しよせてこようとも、共に生きる者の献身的な愛情のためには、苦しくともいのちの息を呼び戻し、舌の上にとどめておかねばならぬことがある。まっとうな人間の為すべきことは、楽しいあいだだけ生きることでなく、必要とされるあいだ生きることなのだから。妻が、友人が、少しでも長く生きてくれと切望しているのに、それを顧みず、それでも死ぬと言い張る男は、弱虫だ。家族の者の仕合せがそれを要求しているとき、魂はその命令に従わねばならぬ。単に死にたいときばかりでなく、すでに死に始めたときでも、それを中止し、家族のために図らねばならない。》「<手紙104>セネカと妻パウリナ」p.262

セネカは皇帝ネロから死を命じられた時、妻パウリナは「私も死にます」と言ったという。
この夫婦愛について、モンテーニュは感銘を受け、『エセー』「三人の良妻について」(第二巻第三十五章)の中で取り上げている、と言います。

「先生」も何かしら理由はあるにしろ、妻を愛しているのなら、別の方法もあったのではないか。
もっと心を開いて相手を受け入れれば…。

まあ、そうすればお話が終わってしまうのですけれど。


夏目漱石という人は、高等遊民などという人物ばかり登場させて、浮世離れしたあらぬことを書く自分勝手な人だというのが、当時の私の印象だったように記憶しています。
少なくとも、他の作品を読む気にさせないものだったのです。

今も私にはそのような印象が抜けません。


偶然見た4月10日の第二回放送分「先生という生き方」で、講師の姜尚中氏は―
「先生」は「私」の中に自分の思想を受け継いでくれるDNAを持った存在、思いを託す人が見つかったので死んだのだ
―というように解説されていました。

... 私の過去は私だけの経験だから、... それを人に与えないで死ぬのは、惜(おし)いとも云われるでしょう。... ただし受け入れる事の出来ない人に与える位なら、私はむしろ私の経験を私の生命(いのち)と共に葬(ほうむ)った方が好(い)いと思います。実際ここに貴方という一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。... ただ貴方だけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目(まじめ)だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云ったから。》『こころ』新潮文庫 p.172

漱石は、お手本とする理想となる人物が見つからない時代だからこそ、真面目に人生の教訓を伝えあおうとする「先生」と「私」という二人を介して師弟関係というものを表現しようとしたのだ、とも。

なるほど、そういう見方もできるのか、という気もします。


【追記】2013.5.7
━━
姜尚中氏の著書『悩む力』(集英社新書 444C 2008/5/16)を読んでみました。


この本は、《誰にでも具わっている「悩む力」にこそ、生きる意味への意思が宿っていることを、文豪・夏目漱石と社会学者マックスウェーバーを手がかりに考え》る、というものです。

その中で著者・姜尚中氏は、漱石の『こころ』について、人が自ら死を選びうる自由について書いたけれど、それ以上に

人が他者とのつながりを求める切実な気持ちについて、書きたかったのではないでしょうか。
と書いています。(「第八章 なぜ死んではいけないか」p.158)
この辺が、姜尚中氏の言う「先生」と「私」の師弟愛といった見方なのでしょう。
━━


それでも私は、こういう結末が嫌いです。
やはり、人間は生き延びてナンボ、だと思いますね。


谷沢永一の著書『ローマの賢者 セネカの知恵―「人生の使い方」の教訓』(講談社2003.11.11)にこうあります。

過去を嘆きの種にしてはならない。楽しかったこと嬉しかったことを、しっかり記憶にとどめなければならない。幸せであったことに感謝すべきである。生きておればこそ、あの友この友に出会えた。真摯に数えあげてゆけば、たとえぽつりぽつりであっても、自分がどれほど恵まれているかがわかるであろう。》p.65

最後に「先生」も書いています。

私は私の過去を善悪ともに他(ひと)の参考に供するつもりです。... 》『こころ』新潮文庫 p.327

「先生」自身善とも悪とも受け取れるものだと考えていた、という証拠でしょう。

先に挙げた『ローマの賢者 セネカの知恵』にはこんなことも書いてあります。

過(あやま)たざらんとばかり警戒する思想家が、人間を冷たく醜く評価してばかりいるのに抗して、愚かで情に狂う人間にも、そうならざるをえない事情があるのだと、弁護士の役割を引き受け始めたのが文藝の発生であろう。》p.55

文藝は悖徳(はいとく)の世界であり、アカンタレの楽園である。文藝の発生によって、駄目人間にも言い分のあることが、巧みな表現によって堂々と活写されるに至ったのである。》p.57

漱石は、そんな近代的知識人のアカンタレぶりを巧みに描いてみせたのかもしれません。

  


 ●「殉死」

今回再読して、改めて気付いたことは「殉死」を取り上げていることです。
物語を終えるための方策という意味もないとは言えません。

しかし、「先生」が自分の人生に区切りを付けたい、そのきっかけにしようとした、という事実は動かせないでしょう。
そこには、夏目漱石自身の区切りの意味もあったのではないか、という読み方もできるでしょう。


彼の生涯を年譜で見ますと、再三神経衰弱や胃潰瘍といった病気に苦しめられていた事実が浮かびます。
ロンドン留学時代には、発狂した、といううわさも流れたと言います。

それはどういうことなのでしょうか。
彼はどうも精神に何らかの負担を感じていたようです。


漱石は、ロンドン留学から帰国後、東京帝大の英文科講師となります。
前任者はご存知ラフカディオ・ハーン小泉八雲です。
それ以前の漱石は、第五高等学校の教授でした。
ハーンは以前ここにも勤めていました。

結果として漱石はハーンのあとを追う形になっています。
そして、帝大の講師となってもハーンとの講義内容の違いから、一部の学生には不人気だったと言われています。

その後、彼は小説を書き人気を得、教職を去り、朝日新聞に入社し新聞に小説やエッセイを連載します。
それはまるで実作者であったハーンの影を追うような形とも見えます。

西洋人であったハーンに対して、何かしらコンプレックスを持ったという可能性もあるでしょう。
それは日本人が持つ西洋人へのものでもあったはずです。

しかしなまじっかエリート知識人であるがゆえに、一般庶民とは異なる次元での負担となったのではないでしょう。
近代日本人エリートであるがゆえの古い時代への憧れと、一方では近代化のために脱皮しなければという要求との間で、揺れるものがあったかもしれません。


“明治高等遊民のエゴイズム(利己主義、自己中心主義)”や“明治知識人の、近代人の精神の孤独”の問題を描いたと言われたりしますが、ここには「殉死」という問題も登場します。
天子様がお隠れになり、それに殉じて死を選ぶ乃木大将のような旧世代の生き方、というものが。

漱石もまた、明治という時代と共に生きた作家であると言われます。
古いものは去り、新しいものに取って代わる過渡期の時代であった明治―。

その明治という時代の終わりとともに、彼の中に自らの死という何かしら予感めいたものがあったのでしょうか。


 ●作家としての限界

今の私たちの感覚で言えば、50歳はまだまだ働き盛りであり、これからのという年齢でしょう。
しかし、彼はその年で亡くなっています。

ですから、彼の作品を読んだ年配の読者の中には、漱石は人間を知らない、人間心理というものの理解が足りない、こんなふうに人は動かない、という人もいます。


私ももう彼の年齢を超えました。

ただし私は人生経験が少ないので、年齢ほどの人間通ではありません。
多分漱石のほうがず~っと経験も豊富で、人生についても考えているでしょう。

ですから私が、具体的にどう、と指摘することは出来かねます。

何度も繰り返しますが、それでも話としては面白いけれど、やはり彼らの行動は人間として物足りない、青臭い行動であるという気がします。


本来ならば、当然この後の「私」の行動にこそ、真の人生の重さ、近代人の悩みといった問題が浮き彫りにされてくるのでは、という気がしてならないのです。

そこまで書けなかった漱石に、物足りなさを、作家的弱さといったものを感じないではいられません。
所詮は、「猫―」のような人を少し上から見下ろす皮肉屋的な作家に過ぎなかったのでしょうか。

あるいは、そこには、新聞連載小説というものの限界があったのでしょうか?


*夏目漱石 [Kindle版]
こころ
『心』自序
『心』広告文
『心』予告


*他のNHKテレビ「100分 de 名著」の記事:
2011年11月放送:2011.10.31 アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!
2011年12月放送:2011.12.6 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』悲しみを、乗り越えよ-「100分 de 名著」NHK
2012年1月放送:2012.1.5 吉田兼好『徒然草』両面から物事を見よ!-「100分 de 名著」NHK
2012年2月放送:2012.1.29 新渡戸稲造『武士道』日本的思考の根源を見る-「100分 de 名著」NHK
2012年3月放送:2012.3.6 仏教は「心の病院」である!NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』2012年3月
2012.4.2 「NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』を見て本を読んで」
2012年4月放送:2012.4.3 紫式部『源氏物語』NHKテレビ100分de名著
2012年5月放送:2012.5.2 確かな場所など、どこにもない―100分 de 名著 カフカ『変身』2012年5月
2012年6月放送:2012.6.6 <考える葦>パスカル『パンセ』NHK100分 de 名著2012年6月
2012年10月放送:2012.10.2 鴨長明『方丈記』NHK100分 de 名著2012年10月
2012年12月放送:2012.12.5 <心で見る努力>サン=テグジュペリ『星の王子さま』NHK100分de名著2012年12月
2013年1月放送:2013.1.11 呪文に頼るのもよし?~100分de名著『般若心経』2013年1月
2013年2月放送:2013.2.5 待て、そして希望せよ~NHK100分de名著『モンテクリスト伯』2013年2月
2013年3月放送:2013.3.28 どんな時も、人生には、意味がある。フランクル『夜と霧』~NHK100分de名著2013年3月(再放送)

2013年5月放送:2013.5.20
水のように生きる『老子』NHK100分de名著2013年5月
2013年6月放送:2013.6.5
生きる喜びは、どこにあるのか?『戦争と平和』トルストイ~NHK100分de名著2013年6月
2013年7月放送:2013.7.9
哲学とは、愛である『饗宴』プラトン~NHK100分de名著2013年7月
2013年11月放送:2013.11.10
「物語」に終わりはない『アラビアンナイト』~NHK100分de名著2013年11月
2013年12月放送:2013.12.11
切り離された者たちへ~ドストエフスキー『罪と罰』~NHK100分de名著2013年12月

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2013.04.10

LGPJ左利きが使いやすいカッターナイフ2~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii358号

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先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第358号のお知らせです。

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第358号(No.358) 2013/4/6「レフティ・グッズ・プロジェクト<左手・左利き用品を考える>第12回 カッターナイフ<2>」は、
━レフティ・グッズ・プロジェクトLGPJ━<左手・左利き用品を考える>第12回「左利きが使いやすいカッターナイフを考えるの<2>回目、持ち方と形状について考えてみました。

 ●カッターナイフの持ち方
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【左右両用のカッターナイフの例】
コクヨS&T「フレーヌ」カッタ―ナイフ(そのままで、左右どちらでも使える共用タイプ)
・コクヨ カッター フレーヌ 標準型 HA-S100YG 黄緑
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・『レフティやすおのお茶でっせ』
2011.6.3 上部スライドだから左右両手対応!左利きにも優しいコクヨS&T「フレーヌ」カッタ―ナイフ

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2013.04.07

左利きネットニュースでHP利き手テストページが盛況

ちょっと嬉しいことがありました。
うちのホームページの「<左利きプチ・アンケート>第22回 エディンバラ利き手調査(訂正版)」が、4月5日夜10時以降だんだんと閲覧数が増え続け、6日正午で1000件を突破しました。
最終的に3200を突破。
7日もお昼の3時現在で1000件突破。
10時で総数3000、例のページは2700超。
他にも異なる学者さんによる利き手テストを扱ったページがいくつもあります。

これは、学者さんによって、どういう項目が検査にふさわしいかという考え方が異なるからです。
たとえば、日本人の学者さんによるもの(<左利きプチ・アンケート>第23回利き手調査3回目―H.N.きき手テスト)は、文字や絵を書/描く動作、およびナイフやスプーンあるいは箸を使うといった摂食に関わる動作を割愛して、いわゆる右手を使うようにという「変換」(俗に言う「矯正」―この表現は誤解を与える誤った表現と考えています。)の影響を省こうとしたものです。

できれば、他のページもご覧になって、比べていただけるとよいかと思います。

―というように、ちょっと大変なことになっています。
とはいえ別に私には影響はないのですけれど、ね。

従来、一日多くて10件程度、たいていは2~3件あればというところです。
以前、SNSのmixiの左利き関連コミュニティに取り上げられた時でも一日数百件程度でした。

ブログのほうも、三桁に乗って400ぐらいでしょうか。
うち「chapman利き手テストにそっくりな利き手診断テスト」が、250ぐらい。
こちらは7日に入ってから増え、9時台で500件(うち例の記事が350件)を超えています。

ほとんどがキーワード「利き手 テスト」での検索から。

どういう理由であれ、自分の記事を多くの方が見てくださるのは嬉しいことで、感謝感謝です。


 ●原因はネットの左利きニュース

昨日、どうしてこんなに、と思って調べてみますと、5日の夜、
「瞬刊!リサーチNEWS 左利きの人は全国で5.1% 左利きの人が感じている不満とは?」
というネット・ニュースが配信され、2chでも転載されて広まったようで、それに関して「利き手テスト」を調べる人が増えたということのようです。

これは、RPデイリサーチのアンケート結果をニュース記事に仕立てたもののようです。

「利き手はどちらですか?-リサーチパネル」

「利き手はどちらですか?」と聞いてみたところ、以下のような結果となった。

・右利き:87.9%
・左利き:5.1%
・もともと右利きの「両利き」:2.3%
・もともと左利きの「両利き」:3.8%
・わからない:0.9%

(リサーチパネル調べ、対象は3万1869人)

コメント欄を見ますと、60歳代も見られ、全般に年齢層は高いのかもしれません。


 ●左利きの比率について

比率について一言いいますと、左利き率が意外と低い、と言う印象があるかもしれません。
ただこれは自己申告のため、単純に「字を書くのが右、箸を使うのが右=右利き」と判定している人も多いのではないか、という気がします。

<もともと右/左利きの「両利き」>といった項目があるので、「両利き」意識のある人はそちらに投票するでしょうけれど、そういう意識のない人の場合は上に書いたように、単純に右利きに投票する可能性があります。

また、昔は社会的に左利きを嫌う傾向が強かったので、年配の人の中には「左利き」と見られるのを拒否する人もいるでしょう。

実際に利き手テストの結果ではないので、これぐらいの数値が“自覚的利き手の度合い”としては適切かもしれません。


ただしこの数値は、八田武志/著『左対右 きき手大研究』(化学同人 DOJIN選書18 2008.7.20)に掲載されている、1993年のきき手テスト結果の数値(p.66、表3-1きき手の世代間比較)と比較してもさほど大差はありません。
20年前の調査結果との比較ではありますが、今回の結果も一概に不自然とは言えない、ということでしょうか。


(表3-1きき手の世代間比較 /『左対右 きき手大研究』p.66)
◆1973年
男子=左きき:4.3% 両きき:7.2% 右きき:88.5% 
女子=左きき:2.3% 両きき:3.7% 右きき:94.1%
◆1993年
男子=左きき:6.2% 両きき:6.6% 右きき:87.2% 
女子=左きき:4.2% 両きき:3.6% 右きき:90.2%

◆今回
左利き:5.1% 「両利き」:2.3%+3.8%=7.1 わからない:0.9% 右利き:87.9%

 ●左利きの不便について

左利きの不便については、ごく一般に言われている内容をなぞっているだけで、特記すべきものはないという印象です。

自動販売機や自動改札機であったり、ハサミ、包丁などの刃物類、回転寿司の流れる方向とか。

なかに一部よく合点の行かないものがないとは言いません(例えば「サランラップを切る」―このメーカーの商品は使ったことがないのでわかりません、「かなづち」―左右の方向性があったか?)が、だいたいのところは、よく知られた例です。


左利きの置かれている現状がどのようなものであるか、今世の中に普及している道具や機械等がいかに右利き仕様であるかを、具体的に一つずつ例示しながら語っている本として、渡瀬けん/著『左利きの人々』(中経の文庫 2009)があります。


 ・・・

左利きの不便についての私の意見は、次の機会に改めて書きたいと思っています。

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2013.04.04

春季臨増・既刊号一覧~左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii357号

先週の無料左利きメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第357号のお知らせです。

 ・・・

第357号(No.357) 2013/3/30 春季臨時増刊「既刊号一覧2012年10月-2013年3月発行分(No.332-356)」は、
2012年10月-2013年3月発行分のバックナンバーのURLの一覧です。
読み落としの確認、再読等にご利用ください。

あとちょっと《左利き教科書プロジェクト》―【小学書写教科書に左手書字例を!】プロジェクトのお知らせを末尾に入れています。

よろしければお読みください。
そして、ご協力をお願いたします。

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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