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2011.10.31

アラン『幸福論』喜びは、行動とともにある!

ゲスト講師のプレゼンを受けて、古今東西の“名著”を25分の番組4回100分で読み解く番組、
「NHKテレビ100分de名著」11月の放送は、アラン『幸福論』です。

第1回放送 人は誰でも幸福になれる
11月2日(水)午後10:00-10:25/Eテレ(教育)
以下、毎水曜日

現在テキストも発売中!
『NHKテレビテキスト 100分de名著 2011年11月
 アラン『幸福論』 喜びは、行動とともにある!』

 合田正人/著 日本放送協会/編集 NHK出版

『NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論』合田 正人  
―テキスト未収録の第4回放送分、鎌田實氏との対談/読書案内/年譜を新たに収録した保存版。


アランの『幸福論』は、ヒルティやラッセル『幸福論』と共に、哲学者による三大幸福論の名著にあげられています。

ただ、アランの『幸福論』は(ヒルティのそれを同様の傾向ですが)、ラッセルのものとは異なり、幸福<論>というものではなく、幸福について考察した小エッセイ集といったもので、
彼が書き綴ってきた「プロポ」と呼ばれる小文の中から、幸福をテーマにした作品93編を集めたものです。

哲学者アランが信ずる幸福な人となるための具体的な生き方を説いています。

このテキストの表紙にも記されているように、
「“幸せ”だから笑うのではない、“笑う“から幸せなのだ―。」
という言葉に象徴されるように、
積極的に幸せになろうと決意し行動することで実際に幸せになれる、と説く実践的幸福論。

また、人間には自分が幸せになる他人への義務がある、とも説いています。

《わたしたちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、やはり自分が幸福になることである》
(『幸福論』白井健三郎/訳 集英社文庫 1993 「90 幸福は寛大なもの」p.280 より)  

幸福とは、誰もが人生において追い求めるものです。
それだけに多くの先人が語っています。

それらの中にあって、ひときわ読みやすく、なおかつ“読んだ気になれる本”
それが、アランの『幸福論』でしょう。

本国フランスでも、そして日本でも版を重ね、読み継がれています。

私の発行しているメルマガ『楽しい読書』(*)でも紹介していますが、私の気になるフレーズを幾つか掲げておきます。

特に今年は3.11東日本大震災がありました。
多くの不幸が日本を襲いました。

そして、いま世界の各地でも人々は多くの不幸にさらされています。
そんなときに役に立つかもしれない言葉を選んでみましょう。

 

《注目に値することは、わたしたちはいつでも自分自身の不幸に耐えるだけのじゅうぶんな力をもっているということだ。... 必然がわたしたちの肩に手をかけたときには、もうのがれられない。死ぬ方がましかもしれぬ。さもなくば、できるかぎり生きることだ。そして、たいていの人は後者のほうを取る。生命の力はすばらしい。》
「59他人の不幸」p.186
  『幸福論』白井健三郎/訳 集英社文庫 1993
 
《あらゆる幸福は意志と抑制とによるものである。》
p.288
 
《なによりもまず、行動から事がはじまる。》
p.289
  「93誓うべし」同書
 
《期待をもつこと、これは幸福であることである。》
p.270
 
《規則正しい努力と、勝利に次ぐ勝利、これこそおそらく幸福の公式であろう。》
p.271
  「87勝利」同書
 
《自分でつくる幸福は、けっして裏切らない。》
「47アリストテレス」p.154 同書


(*)『レフティやすおの楽しい読書』

2010(平成22)年6月30号(No.37)-100630-アラン『幸福論』―幸せとは何か

<アラン/著>
『幸福論』白井健三郎/訳 集英社文庫 1993.2.25
『幸福論』石川湧/訳 角川ソフィア文庫 2011.10.25(新版)


『幸福論』串田孫一、中村雄二郎/訳 白水社 白水Uブックス1098 2008.11.13
『幸福論』神谷幹夫/訳 岩波文庫 1998.1.16

*他のNHKテレビ「100分 de 名著」の記事:
2011年12月放送:2011.12.6
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』悲しみを、乗り越えよ-「100分 de 名著」NHK
2012年1月放送:2012.1.5
吉田兼好『徒然草』両面から物事を見よ!-「100分 de 名著」NHK
2012年2月放送:2012.1.29
新渡戸稲造『武士道』日本的思考の根源を見る-「100分 de 名著」NHK
2012年3月放送:2012.3.6
仏教は「心の病院」である!NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』2012年3月
同:2012.4.2
NHKテレビ「100分 de 名著」ブッダ『真理のことば』を見て本を読んで
2012年4月放送:2012.4.3
紫式部『源氏物語』NHKテレビ100分de名著
2012年5月放送:2012.5.2
確かな場所など、どこにもない―100分 de 名著 カフカ『変身』2012年5月
2012年6月放送:2012.6.6
<考える葦>パスカル『パンセ』NHK100分 de 名著2012年6月
2012年10月放送:2012.10.2
鴨長明『方丈記』NHK100分 de 名著2012年10月
2012年12月放送:2012.12.5
<心で見る努力>サン=テグジュペリ『星の王子さま』NHK100分de名著2012年12月
2013年1月放送:2013.1.11
呪文に頼るのもよし?~100分de名著『般若心経』2013年1月
2013年2月放送:2013.2.5
待て、そして希望せよ~NHK100分de名著『モンテクリスト伯』2013年2月
2013年3月放送:2013.3.28
どんな時も、人生には、意味がある。フランクル『夜と霧』~NHK100分de名著2013年3月(再放送)
2013年4月放送:2013.4.11
真面目な私とあなた―夏目漱石『こころ』~NHK100分de名著2013年4月
2013年5月放送:2013.5.20
水のように生きる『老子』NHK100分de名著2013年5月
2013年6月放送:2013.6.5
生きる喜びは、どこにあるのか?『戦争と平和』トルストイ~NHK100分de名著2013年6月
2013年7月放送:2013.7.9
哲学とは、愛である『饗宴』プラトン~NHK100分de名著2013年7月
2013年11月放送:2013.11.10
「物語」に終わりはない『アラビアンナイト』~NHK100分de名著2013年11月
2013年12月放送:2013.12.11
切り離された者たちへ~ドストエフスキー『罪と罰』~NHK100分de名著2013年12月

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※本稿は、レフティやすおの他のブログに転載しています。
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2011.10.29

北さんが死んじゃった―わが敬愛する作家、北杜夫さん死去

10月26日の訃報によりますと、<体調を崩して23日に入院した後、容体が急変した>という。
<24日午前6時2分、腸閉塞(ちょう・へい・そく)のため東京都内の病院で死去した。84歳だった。>

いずれは、と思いつつも、とうとうその日がやってきました。
正直残念です。

お兄様の茂太先生が亡くなられたとき、総じて長寿なご一家だと思っていました。

次は北さん(私にとっては本当は「先生」と呼ぶべき存在ですが、「先生」というよりは「北さん」と呼ぶ方がふさわしい感じがする人柄です。)の番だなあ、とは思っていたのですが…。


思えば、
高校時代私をして、将来物書きになりたい、と思うようにさせたきっかけを作った人とも言えます。

当時の北さんは、司馬遼太郎氏などと共に長者番付の作家部門の上位に名を連ねる流行作家の一人でした。
(私も微力ながら協力した一人でした。)

時にテレビにも出演され、決して滑らかとは言えないおしゃべりながら、いかにも北さんらしい軽妙なお話をされていたものでした。

  


私は、近所の本屋で見つけた角川文庫版の『どくとるマンボウ航海記』を読んだのが最初でした。
その後『昆虫記』を読み、『船乗りクプクプの冒険』を読み、『幽霊』で完全にファンになりました。

  


さらに、『怪盗ジバコ』や『さびしい王様』シリーズといった軽小説や『青春記』他のマンボウものはもちろん、芥川賞を受賞した「夜と霧の隅で」はじめ初期短編集、登山もの『白きたおやかな峰』、斎藤家をモデルにした大長編『楡家の人々』など数々の本を読みました。

友人でもあられた狐狸庵先生こと遠藤周作氏もそうですが、一方でシリアスな純文学を書きながら、一方で痛快なユーモア・エッセイをものにし、さらにエンターテインメント小説も書けるという才人でもありました。

誠にさびしい思いです。


先日、最近出た文庫本『マンボウ家族航海記』(実業之日本社文庫)の巻末解説で娘のエッセイスト斎藤由香さんの文章で、かなり弱っておられると知り、少しでも長生きしてもらいたいものと願ったものでした。
しかし…。

考えてみれば、この本の冒頭が「葬式」―お母さんの輝子さんの―というのは、いかにも…、という感じです。

ご冥福をお祈りいたします。


北杜夫[本名:斎藤宗吉(さいとう・そうきち)]1927年5月1日-2011年10月24日
【北杜夫さん死去】重厚な純文学と、ユーモア作品が同居 - MSN産経
asahi.com(朝日新聞社):作家の北杜夫さん死去「どくとるマンボウ」シリーズ...
作家·北杜夫さん 死去 NHKニュース

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2011.10.24

最初の一冊の選び方(5)文学は西洋から日本まで連続している

私の読書論-25-初心者のための読書の仕方を考える(8)
最初の一冊の選び方(5) 文学は西洋から日本まで連続している
―第67号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

◆古典から始める レフティやすおの楽しい読書◆
2011(平成23)年10月15日号(No.67)-111015-
私の読書論-25-初心者のための読書の仕方を考える(8)
最初の一冊の選び方(5) 文学は西洋から日本まで連続している

本の選び方から始まり、文学の連続性についてへ発展?してしまいました。

次回からは、もう一度振り出しに戻って、本の選び方を考察してみましょう。

脱線?しないように、大まかなところを書いておきます。

 ・・・

本の選び方には、まず実際に書店なり図書館で物としての本に当たる方法[現物法]と、
ガイド本や目録など本のカタログを当たる、ネット書店の情報を当たるといった情報検索法
実際に読んだ本の中身から情報を拾い上げる方法[文中取得法]、

他には、直接人に尋ねたり、薦めてもらう方法があります。

一番原始的な方法は現物に当たるものですが、実はこれが最も有効です。
何しろ自分の目で確認できるからです。

まずは、この現物法から始め、私なりの方法を紹介します。

以下、順にそれぞれの方法を取り上げてゆきます。

ご自分で自分に最も相応しいと思われる、いい方法を選んでいただければよいかと思います。

ではまた。


●本誌本文でふれた本から~
『三月は深き紅の淵を』恩田陸/著 講談社文庫 2001.7.15
―誰が書いたか不明の謎の稀覯本を巡る、読書好きの面々による読書談義・創作談義が面白い、異色のミステリ。

『ギリシャ神話 神々の愛憎劇と世界の誕生』新人物往来社/編 新人物往来社 ビジュアル選書 2010.6.24
―絵画や写真を多用した目で見るギリシア神話入門書。「第三部トロイア戦争」等で基礎知識を!

『世界文学の歴史』阿部知二/著 河出書房新社・<河出世界文学>カラー版 1989.10.10
―このメルマガを書くとき参考にしている文学史の本。
 《古代ギリシアから現代まで、人間の歴史とのかかわりで見る文学の流れ。
  あらためて文学とは何かを問いつつ、世界文学へのグローバルな展望を試みる。》
世界文学の歴史

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※本稿は、『レフティやすおの作文工房』より
2011.10.15「最初の一冊の選び方(5)文学は西洋から日本まで連続している」を転載したものです。
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2011.10.11

《死すべき者》人間~<アキレウスの怒り>『イリアス』ホメロス

―第66号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ★
2011(平成23)年9月30日号(No.66)-110930-《死すべき者》人間~<アキレウスの怒り>『イリアス』ホメロス

『イリアス』[上下] 松平千秋/訳 岩波文庫 1992.9
―詩形式の行立てを外し、小説のように読みやすくした翻訳によ
 る現代の定番。詳しい解説と豊富な訳注付。

イリアス〈上〉 (岩波文庫)/ホメロス


『イリアス 完訳』小野塚友吉/訳 風涛社 2004.2
―二段組一巻本。分かりやすい、読みやすい訳。感動の戦記。


本誌ではほとんどふれませんでした、
『イリアス』のおおよそのあらすじを紹介しましょう。

 ・・・

トロイア王の二男パリス(アレクサンドロス)に奪われた、
アガメムノンの弟スパルタ王メネラオスの妃
ヘレネを奪回する目的で始まった、
トロイア戦争が10年目に入った時、ギリシア軍を悪疫が襲った。

占いによりそれは、ギリシア軍の総大将アガメムノンが、
戦利品として得た女の変換の要求を拒否、
恨んだ父親の神官が神々の力を借りて復讐したことによる
と判明―。

その後、アガメムノンは女を返しますが、その代償として、
アキレウスが武勲によって得た女ブリセイスを奪います。

ギリシア軍一の勇将アキレウスは、
権勢をかさにきた、このアガメムノンの横暴に怒り、
戦線を離脱―。

しかし、アキレウスの悲嘆にくれる姿に同情した母、
海のニンフ(女神)であるテティスは、オリンポスの神ゼウスに頼み、
アキレウスに武功を挙げる機会を作ってもらうべく取り計らってもらいます。

ゼウスの後押しを受けたトロイア軍によって
ギリシア軍は敗退を続け、ついに多くの将たちが命を落とし、
アガメムノンやオデュッセウスらも負傷するはめに陥ります。

アキレウスの戦線復帰を願うギリシア軍の将たちは衆議を諮り、
アガメムノンを説得し、
アキレウスに女を返し、贈り物をすることに決し、使節を送ります―。

それでもアキレウスは頑として聞き入れません。

味方の窮地を見かねた、アキレウスの親友パトロクロスが、
彼の武具を借り受け、彼の身代わりとして立ち上がります。

アキレウスが戦列に復帰したと錯覚したトロイア軍は敗走。

ところが、アキレウスの忠告を忘れ、
深追いしたパトロクロスは敵将ヘクトルに討ち取られ、
アキレウスの武具も奪われます。

パトロクロスの死を知らされたアキレウスは怒りをおさめ、
母テティスが鍛冶の神ヘパイストスに作らせた武具を身につけ、
敵討ちに立ち上がります。

しかし、彼もまた死すべき定めであることを知らされます。

それでも、彼は友情と名誉を賭けて、出撃―。

そして、ついにトロイア方の大将ヘクトルとの一騎打ちの果てに討ち取ります。

凱旋した彼は、パトロクロスを火葬し、葬送競技会を開催。
名立たる将たちがそれぞれに優勝、賞品を手にし、
最後にはアガメムノンにも賞品を贈り、一同の融和を図ります。

いよいよ、大詰め―。

なおもヘクトルの遺体を引きづり回し、
友パトロクロスの死を嘆くアキレウス―。

見かねた神々は、ヘクトルの父トロイア王プリアモスに助言し、
ヘクトルの遺体の返却をアキレウスに掛け合いに行かせることに。

自分も年老いた父と子を持つ身であり、
名誉の武勲を挙げた後には死すべき運命にあることも承知の上で
この戦争に参加した身の上であるアキレウスは、
老父プリアモスの気持ちも理解できると、
願いを聞き入れ、遺体を返します。

さらに葬儀にかかる日にちを問い、その間休戦することも約束します。

ラスト、返ってきたヘクトルの遺体と対面する家族たちの別れ―。

 ・・・

ラストの別れの場面も含め、感動的な場面がいくつもあり、まさに感動巨編です!

戦記ものとしても楽しめ、人間的な感情のせめぎ合いもあり、
古代ギリシア人はじめ、
西洋の人々が2500年以上も大切に読み続け、
代々受け継ぎ、伝え続けて来た理由がわかる気がします。

限りある命を生きる人間ならばこその物語です。

是非、ご一読を!

◆本誌本文で触れた本:
『ギリシア文学を学ぶ人のために』松本仁助・岡道男・中務哲郎/編 世界思想社(1991.4)
―叙事詩から始め、抒情詩、悲劇、喜劇、ヘレニズム・ローマ時代、哲学を含めた散文、小説・伝記・随筆・その他、詩論まで
 ギリシア文学全般を一通り紹介した入門書。

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※本稿は、『レフティやすおの作文工房』より
2011.9.15「《死すべき者》人間~<アキレウスの怒り>『イリアス』ホメロス」を転載したものです。
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2011.10.06

左利きは【心】=【身体】の欲求に任せる-週刊ヒッキイhikkii280号より

先週に引き続き、メルマガ登録読者のみならず、より広く、より多くの方にお読みいただきたい、という思いで、今回も、以下に先週発行分の内容を丸ごとを転載しておきます。

第280号(No.280) 2011/10/1
「創刊7年目へ~よく生きるために~(2)前回言い忘れたこと」


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『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii≫ 創刊7年目へ
 左利きの問題に関して今一番思うこと~よく生きるために~
 (2)前回言い忘れたこと
------------------------------------------------------------
先週から7年目に入りました、お知らせしました。
読者さんからお祝いの言葉もいただいています。

改めて、ありがとうございます。

まずは自分のため、できれば人のためになるように、
今後とも努力してゆきます。

よろしく!

 ・・・

先週ちょっと書き忘れたことがありますので、
今週も書いておきます。


 ◆利き手は心につながっている

先週、左利きの問題は、【身体】の問題だけれど、
実は、【心】の問題なのだ、と書きました。


それは、
私がいつも言ってきた持論―

 【利き手は心につながっている】

という見解から生まれたものでもあるのです。

その点を指摘するのを忘れました。

きっかけは、左手用カメラを手にしたことだ
ということは書きましたが…。


私たちが利き手を使うのは、
それは、誰かから教えられたからではなく、
それが身体の自然な動作だからです。

内発的な力によるもので、
外発的な力によるものではありません。

内発といっても、意志/意思的なもの―【頭】の作用よりも、
もっと肉体―【身体】そのものに内在した力によるもの、
という気がします。

理知的な意思が高度の知的反応だとすれば、
もっと原始的な(に~んげん?的な)反応そのものではないか、
という気がするのです。

脳神経系のなかでは、
大脳半球の左右の機能分担に発するものが、
利き手の違いにつながるというのが、
一般的な解釈になりつつあるようです。

しかし、
もっと下部の神経系に起因するものもあるのではないか、
というのが、私の考えです。


 ◆【心】と【身体】そして【頭】の関係

精神科医の泉谷閑示先生の著作

『「普通がいい」という病』講談社現代新書1862(2006.10.20)

「第3講 失楽園~人間の苦しみの起源~」<人間の仕組み>の
62ページの図3-1は、
【心】と【身体】そして【頭】の関係を図示したものです。

ちょうど「H」という字のような形です。
(↓こんな感じだと思ってください。)


111001hikkii_no280_2


「H」の左側の柱「|」の上部の先っぽに当たる部分が【頭】、
まん中から下部が【心】で、右側の柱「|」が【身体】を示し、
【心】と【身体】を横棒「―」がつないで、
両者が「一心同体」の存在であることを示しています。

【頭】と【心】の間には「フタ」(上図の∠)があり、
これは【頭】によって開閉されます。

これが閉じているときは、【頭】と、【心】=【身体】が
「内部対立」や「自己矛盾」の関係にあることを示しています。


【頭】は理性の場で、
【心】は感情や欲求の場で、
【身体】と一心同体につながっていて、感覚の場でもある。

(利き手も【身体】の性質の一つですから、
 【心】につながっている! と言えるのです。)


【頭】は、理性の場で、
コンピューターのように1/0の二進法で、
計算や情報の蓄積、それをもとにした情報処理―
推測・分析・計画・反省などを行う。
「~すべき」「~してはいけない」という。
論理的で因果関係を考える。
時間・空間の認識では、過去を分析し、未来をシュミレートする。
過去の「後悔」や未来への「不安」などはここで生まれる。
自分の【心】や【身体】を含めて、
何でもコントロールしたがる特性を持つ。

【心】は、「~したい」「~したくない」「好き」「嫌い」と、
理由や意義・意味など一切関係なく、
いきなり判断だけを言ってくる。
時間・空間の認識では、「今・ここ」に焦点を当て、
シャープに反応する。
過去の情報に基づいた反応はしない。
(それは【頭】の仕事。)
喜怒哀楽の「深い感情」が生まれる。
(期待に対する反応としての感情は、
コントロール志向に由来するもので、【頭】から生まれる。)

【身体】は【心】と直結しているので、
欲求や感覚はこの両者によって生まれる。
【心】に元気がなければ、【身体】も元気がなくなる。

間違ってはならないのは、「欲望」は、
「欲求」と違って、【心】からではなく、
【頭】のコントロール思考から生まれるものだということ。

―と説明しています。


人間と他の動物とで決定的に異なる部分が、
この【頭】という部分にあると泉谷先生は言います。

この【頭】が人間にまつわる現象の鍵を握っている、と。


 ◆「快/不快」は【心】=【身体】の判断

先ほども言いましたように、
機能分化している大脳半球の左右どちらかの優位性が
利き手に関わっている、
というのが、昨今の有力な考え方のようです。

それに準じて言いますと、大脳の働きとは、
上記の【頭】の働きと、
【身体】をコントロールする働きとから成り立っています。

もちろん大脳以外の下部の脳神経系も【身体】に関与しています。


左利きに関して言いますと、
大脳であれ、下部の脳神経系であれ、
【頭】と【身体】の関係―せめぎ合いが【心】に影響している
と見られます。

【心】=【身体】のつながりから発せられる欲求を、
【頭】でコントロールして人間は生きています。

しかし、それが様々な障碍につながることにもなるのです。

不当に【頭】が介入することで、
自然な欲求の履行が妨げられることになります。


 《... 人間の「身体」も「心」も、本来は、「快/不快」とい
  うシグナルでもって、見事に適切な判断を自分に教えてくれ
  ているものなのです。... 》
   同書「第3講」<「心」=「身体」の知恵> p.77より


「利き手である左手を使いたい」という
【心】=【身体】の発する自然な欲求が、
【頭】によって、
「右手を使え、その方が色々便利なことがあるよ」
「左手だと不便だよ」
等の理由をつけて、理性的に妨げられる。

すると、そこに【心】=【身体】の不満が生まれてくる…。

昔から利き手の「矯正(変換)」により、
チック症状が出るとか、吃音になるとか言われるのは、
まさに、そういう身体的な不都合が生じた結果でしょう。


 ◆【心】=【身体】の欲求に任せる

【心】の平安のためにも、【身体】の健康のためにも、
私たちは【心】=【身体】の欲するままに、
自然に任せていいのではないか、という気がします。

なぜなら、右利きの人はそれで過ごしているのですから。

私たち左利きの人も、自然に任せていいのではないでしょうか。

そして、
それを社会が公認してくれるように、
今まで以上に、
積極的に働きかけていくべきではないでしょうか?


※参照:
『「普通がいい」という病 「自分を取りもどす」10講』
泉谷閑示/著 講談社現代新書1862 2006.10.20
―頭と心と身体の関係だけでなく、
 「第9講 小径を行く~マイノリティを生きる~」では、
 少数派の苦しみについても書かれています。


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◆先週号はこちら↓

・2011.10.1 左利きの子には生活の便不便よりも利き手を使う心の充足を!-週刊ヒッキイhikkii279号より
「お茶でっせ」版「新生活」版
第279号(No.279) 2011/9/24
「創刊7年目へ 今一番思うこと~よく生きるために~」

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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2011.10.01

左利きの子には生活の便不便よりも利き手を使う心の充足を!-週刊ヒッキイhikkii279号より

いつもは、無料メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』先週号の告知記事を書いているのですが、
先週号は、創刊7年目に入る記念号ということで、「左利きの問題に関して今一番思うこと」を書いています。

メルマガ登録読者のみならず、より広く、より多くの方にお読みいただきたい、ということで、今回は、以下に先週発行分の内容を丸ごとを転載しておきます。


第279号(No.279) 2011/9/24
「創刊7年目へ 今一番思うこと~よく生きるために~」


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『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii≫ 創刊7年目へ
 左利きの問題に関して今一番思うこと~よく生きるために~

------------------------------------------------------------
この9月末でついに7年目に突入します。
パソコンの故障等でかなりの期間休んでいますので、
週刊をうたいながら、号数は30号ほど足りません。

まあ、自分でもここまで続けられるとは思っていませんでした。
でも、続いてしまいました。(笑)

これもひとえに読者あってのこと、ありがとうございました。

そして、これからもよろしくお願い致します。

 ・・・

今左利きの問題に関して、私が一番に思うことを書いておきます。


 ◆「左利きとして、いかにあれば幸福であるか」

人間を50年以上続けていますと、
一番関心があることは、いかに生きるか、ということです。

逆に言えば、いかに死ぬか、とも言えます。

死ぬ時に後悔しない生き方―
長年生きて来ますと、それが問題になってきます。

残りの方が短いと思われる年齢になってきますと、どうしても…。


そこで、私がこの頃(左利きとして生きてゆく上で)思うこと、
一番気になること、そして、最も大切なことは、

 「左利きとして生きるとき、いかにあれば幸福であるか」

ということです。


 ◆物理的な不便さより、精神的な満足に目を向けよ!

昔からそうですが、
私が左利きの問題として最も気にかかることは、
左利きの子供に対する周囲の対応です。

特に親、それから様々な職業・趣味等における
「先生」と呼ばれる人たちの、それです。


私が今一番言いたいことは、
左利きの子供に対して親やまわりの大人たちが、
「肉体的・物理的な便不便」や、
「苦労するしない」といった点にばかり注目する
という捉え方は、【間違い】だということです。


右利き仕様の右利き偏重社会の中で、
右手が使えないと―
左利きだと不便であり、苦労するだろう…。

そういう心配は理解できます。
しかし、
もっと大事なことは、【精神的なこと】【心】の問題です。

 いかに自分らしくあるか

 自分の身体を自分の欲するままに、
 自分のものとして使えているか

です。


それは、

 「利き手を利き手としてしっかり使えているか」
 「自分の欲するままに自然に動かせる形で使っているか」

ということです。


 ◆利き手を使うことによる充足感

確かに、右利き偏重/優先の社会で左利きで生きる場合、
物理的な不便さゆえに、苦労することはあるでしょう。

しかし、それは【本人】に言わせれば、
「生まれたときからすでに存在する状況」であり、
考えてみれば

「特にどうこう言うことではない」
「ごく日常的な風景であり、経験である」

とも言えるのです。


私自身「自分が不器用だから」
道具をうまく使えない、作業できない
と思っていました。
だから「人一倍工夫したり、努力する必要がある」と。

だから、「便不便」や「苦労するしない」等の
物理的な困難は「問題ではない」とも言えるのです。

単なる【人生の一試練】にすぎないのです。
生きていれば、他にも色々な苦労に出会います。


それよりももっと重要なことは、
【心】の問題です。
【精神的なもの】です。

左利きの子供が、

「利き手を使えるか使えないか」
「利き手を使わせてもらえるかもらえないか」

ということです。


「利き手を自由に使えるかどうか」による、
「精神的な快不快」「満足不満足」「幸不幸」の問題です。

【利き手を使うことによる充足感】とでもいうものがあるのです。

【自分らしい自分でいられる】とでも言いましょうか。

それを制限したり否定したりしてはいけないのです!


 ◆身体の問題だけれど、やはり心の問題

たとえば、日本人が日本語で話すときと、
英語で話すときの違いとでも言えましょうか?

よそ行きの言葉で話すときと、普段着で話すときとの違い。

わが家に居るときと、よそに居るときの違い。

いかに落ち着いた部屋で快いおもてなしを受けても、
わが家でいるときのようにリラックスできるとは限りません。

それと同じだと思うのです。


たとえ結果として、右手で軽快に物事を処理できたとしても、
自分の利き手でない手で処理することに
【抵抗】を感じる人もいるのです。


私が左利きの活動を始めるきっかけとなったのが、
「京セラKYOCERA サムライSAMURAI Z2-L」という
【左手用カメラ】を手に入れたことでした。

このカメラはまるで昔からずっと使っていたかのように、
自分にフィットしたのです。

右手でシャッターを切る普通のカメラを使っていて
それまでどうしてもぬぐえなかった

 モヤモヤとした不満
 障害物越しに触っているような感じ
 何かしら他人の手を借りているような距離感

のようなものが、きれいに払拭されたのです。


 「やはり左利きは左利き用を使わなければ!」
 「身体に合った道具が一番!」

と実感したものでした。

【心】の問題なのです。

表面的には【身体の問題】だけれど、
やはり【心の問題】になるのです。


 ◆きき手変更歴と生活満足度の研究結果

日本における利き手研究の第一人者、八田武志先生の著書
左対右きき手大研究 (DOJIN選書 18)
(化学同人社 2008)によりますと、

「第8章 左ききの矯正はよいことなのか」
<きき手矯正の結末>の項で、
ポラックらによる、カナダ人の高齢者を対象とする、
を紹介しています。
【書字】における「利き手変更履歴の有無」
「成功失敗」の別による調査結果を紹介しています。

【きき手変更歴と生活満足度】
という図にまとめられていますように、
「変更履歴を持つが左手書字」の人
(要するに、きき手変更に失敗した人)では、
「生活満足度が低い」という結果が出ています。

失敗経験が大きく影を引いているようです。


特に素人目には、
「変更履歴なしの左手書字」者との差が目立つ
結果になっています。

まさに「明」と「暗」。

「失敗経験の有無」ということもありますが、
これはやはり、
「利き手を使うことを規制された経験を持つ人」と
「規制されなかった人」との【充足度】の差
ではないか、
と私には思われます。


 ◆左利きの人が左利きとして、よく生きるために

長い映画を見ているとオシッコがしたくなることがあります。
大人なら、おもしろいのでそのまま我慢して見るのでしょう。

子供はそうはいきません。
今と言えば今です!

本当は、大人であっても
身体が欲するままに従うのが一番いいのです。

でも、色々なしがらみがあり、大人は我慢します。


【利き手を使うかどうか】も同じです。

大人は色々なことを総合的に考えて判断できます。

多少は我慢してでもことの成果を取ります。
それで結果が出るなら、
肉体的な欲求よりも理性の決定に従います。


しかし、案外、それは深層心理的には
色々と【故障】につながっているのかもしれません。
(左利きは短命だという説もあります。)


私は、
「左利きの人は素直に左手・左側を使うべきだ」と思います。
それが結局、
【自分のしあわせ】【心の満足】につながるから。


右利きの人は自然に右手・右側を使っています。
それで特に問題を起こしているとは思いません。

それなら、なぜ左利きの人だけが、
自然に任せてはいけないのでしょうか?


しあわせになりたいのなら、
ごく【自然に人間らしく振る舞う】べきです。

それでもし、文句を言われるのなら、
甘んじて受けてよいと思います。

だって人のために不幸になる義務はないのですから。

人の役に立つために生きることはあっても、
人のご機嫌をうかがうために生きているわけではないのですから。

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*追記:今週発行の以下の号で続編を書いています。
 ↓
第280号(No.280) 2011/10/1
「創刊7年目へ~よく生きるために~(2)前回言い忘れたこと」
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※参照:
・『左利きを考える レフティやすおの左組通信』
左利きphoto gallery〈HPG4〉世界初 左手用カメラ/京セラKYOCERA サムライSAMURAI Z2-L
左手用カメラ、京セラKYOCERA サムライSAMURAI Z2-Lの使用感―使い心地
・八田武志/著『左対右 きき手大研究』化学同人社(2008)

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※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。
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