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2007.01.30

『AERA』左利き記事(3)―「利き手は変えられる」の発想?

過去二回、1.24の記事「『AERA』2007年1月29日号の左利き記事」お茶でっせ版新生活版、および1.26の記事「『AERA』左利き記事(2)―右利き偏向について」お茶でっせ版新生活版で、この『AERA』2007年1月29日号の左利き記事が、右利き寄りに偏向しているのではないか、そのような一方的な偏った報道は問題があるのではないか、と書きました。

今回は、図書館で記事を入手しましたので、改めて記事を読み、私の感想を書いてみます。

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「アエラネット/テーマ「レフティー」1-子どもの左利き、直す?直さない?」ライター:加藤美穂
―親にとっては、幼い子どもが左利きだと気になるようです。実際、子どもの左利きは矯正した方がいいのでしょうか。―


前半は、アエラネットでの「左利きは矯正すべきか?」のアンケートの結果から紹介しています。

最近の主流は、「子どもの個性を尊重した教育や、矯正の無理強いはよくないという考え方」だと紹介した上で、今回は少数派となった「矯正すべき」派の意見を紹介しています。

ゴシックの太文字で書かれている意見を引用します。

「左手で書くと、前に書いた字に手がかぶさって見えないせいか字の大きさもバラバラです」
「子どもの将来を狭めないためにも、不利な条件をできるだけ取り除いてやるのが親の務めでしょう。個性重視なんて言って、子どもに努力させない親は自分がしつけの苦労をしたくないだけ」

そして、後半で、「本誌「マンスリーBOOKスコープ」でもおなじみの生物学者、早稲田大学の池田清彦教授」の言葉を紹介して結んでいます。

右利きと言語活動などの話の後、松井やイチローを例に右目利きで左打ちが好成績を生んでいるとして、利き目の重要性を指摘しています。
利き手は矯正できるが、利き目の矯正は簡単ではないので、「だからお母さんたちは、子どもの利き手ではなく、利き目のほうに注意を払ったほうがいいのでは」という。

ここでのポイントは「利き手は矯正できるが、利き目の矯正は簡単ではない」です。

これでは、利き手は誰もが無理なく変えられる、ような印象を与えます。

確かに、前原勝矢/著『右利き・左利きの科学』(講談社)でも、利き眼の項目で左打ちのバッターのことなど書いています。
「利き手は文化の影響を受けるが、利き目は影響されない。」ので、利き目は、本来の側性(ラテラリティ)を残している、という説を紹介しています。

なるほど、利き目を変えることはむずかしそうです。

が、利き手は変えられると言い切ることは、危険だと思います。

私の調べた範囲では、一部の動作のみ変えられる人もいれば、それもできない人もいます。

基本的に、変えられる人は、元々右利き左利き両方の要素をいくらかでも持っている人のようです。

利き手調査の結果を示す分布グラフでいうと、右利きと左利きのあいだに位置する人では、右手使いが可能になるようです。


この記事のタイトルの由来もこの結論のように、どうも「左利きは変えられる」という前提で書かれているようで、その点がどうも危なっかしく感じました。

何度も書きますが、「直す?直さない?/矯正する」といった表現は、善悪・正邪・正誤といった価値判断を含む表現です。
これでは、左利きは「正しい状態ではないこと/正すべき欠点や悪癖・悪習」といったことになります。

左利きはそういうものだという認識は、現代ではほとんどなくなっています。
にもかかわらずこの表現を使用するのは、左利きに対して誤解を与える、偏見や差別を助長するおそれがあります。

私は、「右手を使ってみる/右手使いを試みる/右手使いを試行する」あるいはもっと簡単に事実のみを述べる「右手に変える/変えてみる」等の表現で充分だと考えています。

「直す?直さない?」ではなく、「右手を使ってみる/右手に変えてみる?」ぐらいで充分でしょう。


もうひとつ言えば、「子どもの将来を狭めないためにも、不利な条件をできるだけ取り除いてやるのが親の務めでしょう。」という意見がありました。
誠にその通りです。
しかし、目を向ける対象が違っています。

左利きの子供だけが余計な苦労を強いられるのなら、それは社会の側の問題でしょう。

左利きの子供に不利な条件を作っているのは、社会のほうです。

「左利き」を他の言葉に置き換えてみれば、よくわかるはずです。たとえば、女性、高齢者、病人、障害者、人種などなど―。
本人に責任のない身体的特性によって、不利になるような社会のあり方には問題があるのではないでしょうか。

社会が左利きの子供にも優しい構造であったなら、左利きの子も右利きの子と同じように暮らしていけるのです。
その恩恵は、今生きている子供たちだけでなく、将来、生まれてくるであろう左利きの子供たちにも及ぶのです。

子供のほうを変えるのではなく、社会のあり方のほうを改善すべきなのです。


こういう子供のほうを変えればよいという考えが生まれるのも、「利き手は変えられる」ものだ、という発想が根底にあるからです。

ぜひ、再考をお願い致します。

※ 参照:
・1月22日発売の週刊誌:『AERA』2007年1月29日号
 アエラネット/テーマ「レフティー」1-子どもの左利き、直す?直さない?
・1月29日発売:AERA 2007年2月5日増大号
 アエラネット/テーマ「レフティー」2
アエラ・ネット
 アエラ総研 月刊テーマ(2007-01-11 更新)「左利きは得か損か?」

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

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