« September 2006 | Main | November 2006 »

2006.10.28

子どもに「自由」の獲得の経験を:メルマガ『親力で―』から

遅くなりましたが、前回の記事「子供に自分で選択できる自由の実感を:メルマガ『親力で―』から」に引き続き、親野智可等先生の教育メルマガ『親力で決まる子供の将来』で連載されていた「子どもの人生は子どものもの」への感想の第二弾―連載完結に当たっての総まとめ的な感想です。

この文章は、先にメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第51号(No.51) 2006/10/14「左手で字を書くために(7)」に発表した、「■左利き子育てメモ■「子どもの人生は子どものもの」感想」を新たに加筆修正したものです。

 ------

「子どもの人生は子どものもの」への感想を『お茶でっせ』に掲載しました。
左利きからの視点をからめて親の期待と子供の自由について考えてみました。
この連載が終わりましたので、その後の感想も含めて、少し書いてみます。

 ・・・

村瀬学・著『10代の真ん中で』(岩波ジュニア新書389 2002年刊)という本の中に、
 

 「子ども」が「大人」になるっていうのは、結局は「親のルール」から「子のプラン」が出てゆくことであり、親はそれを、どこかの時点で、承認し支援してゆくしかないんだ。問題は、その「時点」を「いつ」と親は考えるべきかってことだ。

―とあります。
そして著者の村瀬氏は、自分の経験からその「時点」を「13歳」だと思う、と書いています。
この時期になると親離れし始める時期だと覚悟すべきだ、と。

この“「親のルール」から「子のプラン」が出てゆく”決定的な親離れの時期は、なるほど13歳ぐらいがひとつの大きな分岐点かもしれません。
しかし、それは自分の進路も含めて自己の意志により、ものごとを決めてゆく能力を持った、本当の意味で「大人になる」時期のことでしょう。

その前の段階として、もう少し低いレベルの“「親のルール」から「子のプラン」が出てゆく”―いってみれば、大人への「脱皮」をはかる段階がいくつもある、と思います。

まずは親の手の届く範囲から、次に親の目の届く範囲から…、と徐々に子供は活動範囲を広げつつ冒険を重ねます。
そのたびに、より小さな“「親のルール」から、次の一回り大きな「親のルール」の世界へ「子のプラン」が飛び出してゆくのです。

こういう経験をいくつも重ねることで、子供はその都度、自己決定能力を養って「大人」になり、本格的な旅立ちが可能になるのです。

村瀬氏は別の言い方として、「学校や親のスケジュール」から「子のスケジュール」が「別立て」になる、という表現を使っています。

「自分のスケジュール」を立てることで、「親の予定表」から離れ、自分の走るレールを「先」に引き出すわけだ。それが「親離れ」であり、「大人になる」っていうことではないか

―と、いう。
なるほど、そういう自分の行動を少しずつ自分で管理し、自己決定してゆくのが大人になるということでしょう。
そして、そこに至るまでには一定の過程、あるいは段階がある、と思います。


このとき子供のためといって、先回りして子供の前にレールを敷いて行けば、子供はただそれに乗るだけで、自己決定能力を養うことができなくなってしまうでしょう。

運よくそれで何の問題もなくすごしていったとしても、その子はあやつり人形のように無気力なマニュアル人間になってしまいそうです。
あるいは、どこかでプッツンして道を踏み外すことになるかもしれません。

親が子供に代わってその人生を生きてやることはできません。
親は一生子供の面倒をみることはできません。

自分で生きる力を子供に身に付けさせるのが、親の務めでしょう。

子供のために先回りして考えてやることは必要でしょう。
しかし、実際に生きるのは、子供自身です。

最後には子供が自己決定できるように、親は様々な選択肢とその可能性を示すだけにとどめるべきではないでしょうか。

子供の人生は子ども自身が決めて初めてスタートするのだと思います。

親は「子どもの人生は子どものもの」として受け入れ、子供の成長に合わせてその許容範囲をひろげ、子供の自由に任せてゆくのです。

そういう「自由」の獲得の経験が、人生を生き抜く子供の力になるのでしょう。


―そんなことを考えました。

 ・・・

左利きの問題でも、左手使いでは不便だろうというのは、親の考えです。
子供の考えは違うかもしれません。

左手以外に右手もあるよ、左手用にこんな道具もあるよ、左手使いは不作法だって言う人もいるよ、左利きはカッコイイって言う人もいるよ、…。

様々な選択肢と可能性と現実の世界を子供に提示して、そのなかから子供がどのような道を選ぶのかを見守ってあげるのも、ひとつの親のあり方ではないでしょうか。

小さい子には理解は無理だろうとか、一時の苦痛や苦労は忘れてしまうだろうとかではなく、子供も一人の人間として扱う部分が必要です。

自分ならどうだろう、と考えてみるのも大事です。

そして、子供の内なる自由意志を育ててあげてください。

その上で、子供が決める機会と子供の決定を支援する環境を与えて欲しいと思います。

最後に親野先生の言葉で締めくくりとします。
 

 > 子どもの自由を保障してやってください。
 > 自由は人間の生得の権利なのですから。

 > 子どもの自由を保障してやってください。
 > 自由は人間の存在価値そのものなのですから。

2006/10/2「親力で決まる子供の将来 」・・No698「子どもの人生は子どものもの」の13回目

・村瀬学/著『10代の真ん中で』(岩波ジュニア新書389 2002年刊)

※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.10.01

子供に自分で選択できる自由の実感を:メルマガ『親力で―』から

今、親野智可等先生の人気教育メルマガ『親力で決まる子供の将来』で、「親力147・・・子どもの人生は子どものもの」が連載されています。

『親力で決まる子供の将来』
2006/9/20・・No686~「親力147・・・子どもの人生は子どものもの」
最新号

今、マスコミで盛んに持ち上げているスポーツ界の親子鷹とも言うべき人たちの「○○家の子育て」に関して、教育者として注意を促されています。

これらはあくまでもひとつの成功例であり、その裏には数々の報道されない後悔が渦巻いているものであり、そのまま受け取るのは危険だというのです。

その失敗例として、奈良の家族3人放火殺人事件や、絵が好きだった男の子の例、なんでもよくできた女の子の例を挙げておられます。

習い事をいっぱいやっていた少女は、五年になった時、学校に来なくなりました。
それまで、全てにおいて模範的ないい子で「いや」とか「やめたい」などと言ったことがなかったのが、です。
親の方には、子どもに無理をさせているとか押しつけているという意識は全くなかったのです。
しかし、とうとう限界が来てしまったのです。

そして、こういう子が今たくさんいる、と親野先生は言います。

親は気をつける必要がある。
無理に過剰な要求をしているつもりがなくても、結果的にそうなっていることもある、と。

ここには「親の強い思いの押しつけ」、「子どもの意思、特質、能力の無視」とのふたつの問題点がある、と指摘されています。

なぜそんなことになるのか、その理由は―
「自分の夢や願いを子どもに託す親がいる」、「それがこの子のためだと親が思っている」から。

例え愛情から出たものであっても、これらは「子どもの人生を奪うこと」なのです、と。

「子どもは、親の強い思いを見せられると、なかなか「いや」と言えないものなのです。
親を愛していますし、親を喜ばせたいとも思っています。

親をがっかりさせたくないという気持ちは、子どもならみんな持っています。
ですから、「いや」と言わないからといって、だいじょうぶということにはならないのです。」

 ・・・

この連載は、まだ続いています。

私の感想を、先生への返信から引用しておきます。

------

「子どもの人生は子どものもの」毎回興味深く拝読しております。

私はつい何事も左利きに結び付けて考えてしまうのですが、今回のテーマもまた左利きの子供に対する教育に当てはまります。

右利きの親御さんが、左利きのお子さんに右手を使わせようとする気持ちになるのは、その子のその後の人生において、左手を使うより右手を使うほうが便利で、日常生活が楽になるのではないか、という考えによるようです。

特に書字において、その考えが根強くあるように思われます。
他のことは左手使いでもよしとする人でも字だけは右手でないと書きにくいのではないか、なかでも毛筆習字に関しては、これは絶対左手では書けない、右手でないときれいに書けない、という考えが強いようです。

しかも、左利きの親御さんのなかにもこの考えを持つ人がいます。
自分が左手書字で苦労したから、子供は小さいときからやれば慣れるだろう、と右手書字を強いる人がいます。

子供の意見を尊重しているという親御さんのなかにも、本当に子供の自発的な意思を確認できているかどうか、はなはだ怪しい場合もあるような気がします。

親は子供の笑顔を見るのが好きです。
しかし、子供というものは、親が子の笑顔を見たいと思う以上に、親の喜ぶ顔を見たいものなのです。
そして、親の求めにできるだけ応えたいと思うものです。

私のもとに持ち込まれた相談のなかにも、お父さんが強く右手を使うように言うので、というお子さんがいました。
最終的に、お父さんが、もういいんだよ、自分の使いたいほうの手を使えばいいんだよ、と子供さんに話して解決に至ったと聞いています。

私自身もそうでした。
私は学校の先生になりたかった時期がありました。
でも、経済的な事情もあり、自分の知っている世界に進んで欲しいという親の希望もあり、私も物作りは好きな方だったので、大学はあきらめて工業高校に進みました。

15歳は子供ではないと思われるかもしれません。しかし、今の私から見れば、本当に子供です。
子供が自分の意志を貫くのはなかなかむずかしいものです。

今私は、結局のところ、次善の道を進むのは最善の道が閉ざされてからでもよいのではないか、と考えるようになりました。
まずは自分の一番を求め、それがどうにもならないとわかってから、次善の策を練れば良いと思います。

>なぜなら、子どもの人生は子どものものだからです。
>誰にも自分の人生を自分で決める生得の権利があるのです。

>子どもの内に秘めている意思を引き出してやることこそ、親のやるべきことです。

まさにその通りだと思います。

「子どもの人生は子どものもの」という考えを持って、正しく子供の教育に当たって行けば、このような問題もクリアできるのではないか、と私も考えています。

なかなかむずかしいことですが、必ずやらねばならないことです。

ヘレン・ケラーの自伝に、教育についてこんなことが書いてありました。

「生徒が自ら進んで勉強するためには、勉強中も休憩中も、「自由」は自分の手の中にある、と感じなければならない。そして、自ら勝利の喜びと敗北の失望感を味わってはじめて、嫌いな課題でも本腰で取り組み、単調な教科書の勉強も、勇気を持って楽しくやり抜こう、と決心できるのだ。」『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』小倉慶郎訳 新潮文庫

子供の人生の教育も同じことだと思います。

自分で選択できる自由がある、という実感を子供が持てなくてはいけません。

日本の子供は、特に大人の顔色をうかがう傾向が強い、と子供の発育を研究している専門家は言います。

これは、心に留め置く必要がある、と思います。


また、思いのたけを長々とつづってしまい、失礼いたしました。
では、続きを楽しみにしております。

・『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』小倉慶郎訳 新潮文庫(2004/07)


※本稿は、gooブログ「レフティやすおの新しい生活を始めよう!」に転載しています。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

« September 2006 | Main | November 2006 »